世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
「ごめん……別れて欲しい」
それは悪夢だった。
告げられた絶望的な言葉を皮切りに手に入れた幸せの象徴が崩れていく。
愛しい彼の姿が遠ざかっていく。
短い時間の間に積み上げた、これまでの人生の中で一番幸福な記憶が一気に溢れ出し、虚空へ消えていく。
待って、と叫んだ。
行かないで、と懇願した。
壊さないで、と縋った。
魂を絞り出して放った声はしかし、どこにも届かずただの音になって虚空に溶けた。
後に残ったのは真っ暗な闇だけ。
何もない暗黒の中で一人、天羽璃奈は膝を抱えて座り込んでいる。
光を失った瞳で闇をボーっと見つめる。
見つめ続ける。
光に溢れた記憶を失った今、代わりに浮かび上がってくるのは闇に濡れた記憶。
知りたくなかった真実。
孤独な自分。
全てを失い、壊れていく過去の自分をボーっと見つめる。
やがてすべての記憶を見終えた天羽は、飽きたように暗黒の空を見上げ、虚空から呼び出した銀色の銃を自分の頭に押し当てて、引き金を――
「はっ―――」
そこで、目が覚めた。
ベッドの上でゆっくりと身体を起こす。そっと先ほど自分で撃ち抜いた頭を触る。
当然、風穴などない。彼女はまだ生きていた。
その事実を認識して天羽璃奈は泣きそうな溜息を洩らした。
恐ろしい独り言を耳にする人間はこの屋敷にはいなかった。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
一人きりの屋敷から学校へ登校し、天羽璃奈は悪夢が嘘のようにいつも通りの彼女に戻った。
勉学に励み、友人の相談に乗り、穏やかな笑顔を絶やさない、そんないつもの天羽璃奈へと。
内心に抱えている強烈な自殺願望と真逆の振る舞いは天羽璃奈という人間の歪さを浮き彫りにしているが、肝心の本人がそれに気づくことはない。
「――璃奈、璃奈。話聞いてる?」
「うん。聞いてるよ」
友人の中峰由里子の呼びかけに対し、天羽はニコリと魅力的な笑みを浮かべた。
嘘ではない。彼女はきちんと機能している。
仮に死んでしまいたいくらいに落ち込んでいても、彼女が友人の話を聞き逃すことはない。
「美香ちゃん、また彼氏さんと喧嘩したの……?」
「そうなの! 聞いてよ~!」
天羽がちゃんと話を聞いていたことに安堵したのか、友人である中島美香が自分の話を続ける。内容は彼氏とこれこれこういう内容で喧嘩したということ。
真剣に彼女の愚痴を聞きながら、しかし天羽は心の片隅で思ってしまった。
『私と優斗君はそんな下らないことで喧嘩しないのに』と。
「そういえば、璃奈はまだ彼氏できないの~?」
「えっ」
一通り愚痴を吐き終えて満足したのか、話の矛先が天羽へと向けられる。
友人たちの目は期待でキラキラと輝いている一方で、天羽のことを嘲笑うような色も見える。
友人たちから見た天羽璃奈は誰かと付き合ったことがない。
男性とキスをしたこともなければ、手を繋いだこともない――ことになっている。
それは彼女のアイドル性をより強固なものにし、男性陣にとっては光り輝く神話であったが――女性たちからは逆に見下される要素となっていた。
勉強、運動、容姿、全てにおいて劣っている友人たちが超人である天羽に唯一勝っている部分であったから。
「えっと……いないよ」
自分が見下されていることを理解しながら、しかし天羽は大して関心も抱かずに事実を口にした。心の中で呟く。一昨日振られたばかりだから、と。
「そ、そっか~天羽こんなに可愛いので何で出来ないんだろうね?」
「ね~男子見る目なさすぎ!」
天羽の返答を聞いて友人たちは明らかに喜んでいた。彼氏さえ作れない天羽を見下して笑っていた。天羽はニコニコとそれを受け入れる。馬鹿にされても、皆が笑ってくれるならそれでいいと思っていたから。
「……ホント、なんでなんだろうね」
あれやこれやと友人たちから送られてくる上から目線の恋のアドバイスを聞きながら、天羽は自嘲する。
どうして、こうなったのだろうか。
一昨日までは大好きな彼氏がいたのだ。
それが、今は一人だ。
「彼氏が出来たら教えなさいよ!」
「うん。もちろんだよ」
友人の言葉に笑顔で頷く。
この時点で彼女は嘘をついていることになるが、不思議と罪悪感はなかった。いつもなら、人に嘘をつく時は気分が悪くなるというのに
ちなみに、地藤優斗と付き合っていたことを隠していたのは天羽の意思ではない。彼が言っていたのだ。
『天羽は人気者だからね。僕なんかと付き合っていることが分かったら大事になるよ』と。
天羽はそんなことどうでも良かったし、自分がどれほど人気であるかにも無頓着であったが、彼の平穏を邪魔することはしたくなかったし、誰にも知られず2人きりの楽園を築き上げているようで居心地が良かったから誰にも話すことはしなかった。
だが、今にしてみればあれは失敗だったと反省する。
言うべきだったのだ。皆に周知し、皆に認めてもらえば良かった。
そうすれば彼が言い訳として口走っていた自己肯定感も上げられただろうし、何より天羽から離れにくくなっていただろうから。
かと言って、過去に戻ったとして彼が本気で嫌がる行為を天羽が実行できるかは疑問であったが。
『周りの人が邪魔なら、私が全員消すのに――』
心のどこかで何かが囁いた。
ハッと天羽は狼狽えながら周囲を見渡す。
「……どうしたの、急に?」
「い、いえ。なんでもないわ」
怪訝な表情を浮かべる友人を誤魔化すように慌てて天羽璃奈の仮面を取り繕う。
笑顔で話を逸らしながらも、天羽の心の中はぐちゃぐちゃだった。
信じたくなかったのだ。
邪悪な声が、自分の本心などと。
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結局、午後の授業も外面は上手く取り繕えたが内容は全く身に入らなかった。
今の自分が正常でないことを自覚していた天羽は、放課後になると友人たちから逃げるように教室を後にした。
凛と背筋を伸ばしながら――しかし、どこか普段と比べると覇気がない歩き方で階段を下りながら天羽は考える。
どうして、地藤優斗はあんなことを言ったんだろう?と。
何が原因なのか考えた。
自分の何が良くなかったのかを考えた。
だが、振られた側である天羽がどれだけ考えても意味はない。答えを知っているのは彼だけなのだから。
天羽はもう一度ちゃんと話し合いがしたくて、何度も連絡をした。――忙しいからごめんと返って来た。
直接面と向かって話し合いたくて、学校で彼を探した。――明らかに天羽と遭遇しないように避けられていた。
(あぁぁぁぁぁ……優斗君、なんで……どうして……?)
散々出し尽くした涙がまた溢れそうになる。
天羽はまた思考が逸れていっていることを自覚しつつも、自分を制御することが出来なかった。
胸に大きな空洞が出来ていて、それを埋める術が分からずに理由を考えることしか出来ない。でも、理由はいくら考えても分からない。教えてもらうこともできない。
いや、教えてはくれていた。少なくとも表面上の理由は。
(あんな理由じゃ、納得できないよ……)
彼のことをよく見ていた天羽は、つらつらと述べられた理由が表面上の理由でしかないことを見抜いていた。見抜いているからこそ、本当の理由も教えてもらえない事実が悲しくて、苦しくて、行き場のない感情に狂いそうになる。
(優斗君、優斗君、優斗君、優斗君、優斗君……会いたいよぉ……)
せめて話をさせてほしい。
彼が抱えている本心を教えて欲しい。
でなければ、とてもではないが諦めることなんて出来ない。
そんな諦めの悪さが実を結んだのかもしれない。
「―――」
「えっ」
ピン、と天羽の耳が立つ。
風に乗せられて届いた聞き覚えがある声。
耳心地のいい、落ち着いた声。
その声を聴き間違えるはずがない。
天羽はすぐに駆け出した。
「優斗君……!」
話し声が聞こえる。友達と一緒にいるのだろうか。
付き合っているころから周囲にバレたくないと言っていたが――もう天羽は我慢が出来なかった。
迷惑になるかもしれないと分かりつつ、脚を止められない。
「優斗君――」
校舎の角を曲がった天羽は今度こそちゃんと話し合いをすべく、彼の名を呼ぼうとして――瞬時に校舎の角に身体を隠した。
ドクン、ドクンと心臓が煩いくらいに鼓動している。
でもおかしい。心臓は稼働しているのに、頭に血が回っている感じがしない。
何も、考えられない。
校舎の壁に背中を預け、暫くぎこちない呼吸で気を落ち着かせた天羽は、角に身体を隠しながらそっと地藤優斗の声がする校舎裏を覗き込んだ。
そこには彼――地藤優斗がいた。
黒髪黒目。身長は平均より少し低く、若干コンプレックスだと本人が言っていた。
顔立ちは整っているが、絶世の美男子と言う程ではない。だが、「ルッキズム全盛期だし」と言いながら身嗜みに気を遣っているおかげか、彼には清潔感があった。
落ち着いていて、怒ったところなど見たことがない穏やかな性格。
だけど、好奇心旺盛で、たまに子供のようになる童心。
好きなところはたくさんあるが、天羽は特にその目が好きだった。
彼女の全てを理解しながら、受け入れてくれるその目が。
だが、その目は今、天羽を映してはいなかった。
「だれ……?」
美しい人だった。男女関係なく魅了するであろう顔立ち、スポーツ選手のように均整がとれた肉体。
天羽とは丸っきりタイプが違う美少女。
彼の瞳は、その女を真っすぐに見つめていた。
困惑し、校舎の角から見つめることしか出来ない天羽の前で2人は何かを話し合っている。その雰囲気はお世辞にも良好とはいえないが、冷静さを欠いた今の天羽にはその雰囲気を読み取ることが出来ない。
声を掛けることもできずじっと置物のように見つめる中、突如2人の距離がグッと近づいた。女性の方から地藤優斗へ急接近したのだ。
キスが出来る程の至近距離。いや、天羽の角度からでは既に唇を合わせているようにしか見えない。
思わず飛び出しそうになる自分を、辛うじて残っていた理性が引き留める。
殺気すら帯びた視線で事態を見つめる中、謎の美少女は何かを地藤優斗に呟いてからその頬にキスを落とし、楽しそうに笑いながらようやくその場から立ち去った。
去り際に天羽に向かって勝ち誇ったような笑みを向けてから。
「……」
ドロリ、暗い感情が生まれる。
天羽は震える手で自分の顔を触ってみた。
能面だった。
何もない。
笑顔を浮かべることもできない。
未知の感情に振り回され、自身の制御を失った天羽は顔面蒼白のまま立ち尽くすことしか出来ない。
校舎の角に姿を隠すことも忘れて。
「あっ――――」
そんなことをしていれば当然、彼に見つかることになる。
振り返った彼はどこか間の抜けたような声を発した。
「天羽……」
「優斗君……」
見つめ合う嘗て恋人同士だった2人。
お互いに恥ずかしがり屋で、付き合った当初は顔を真っ赤にしあっていたというのに、今はどちらも顔面蒼白だ。
「……だれ?」
「えっ?」
張りつめそうな沈黙を破ったのは今にも消え入りそうな天羽の儚い声だった。
思わず聞き返す地藤に対し、天羽は震える声で尋ねる。
「さっきの女の人、だれ……?」
迷子になった子供みたいな表情だった。
縋りたいのに縋る人が傍に居なくて、今にも泣きそうになっている。
地藤は返答できなかった。あの如月メフィラについては彼自身も良く分かっていないからだ。そして、咄嗟に気の利いた嘘をつけるほど冷静ではなかった。
黙り込む地藤の態度を見て、天羽の顔が悲痛に歪む。
「……浮気してたの?」
「えっ」
「私と付き合っている途中からあの女の人と会っていたの……? だから、私は、もう、いらなく……」
「い、いや、違っ――」
「違うの……?」
全くもって異なる事実を述べられ、反射的に否定する地藤優斗。
だが、彼が否定した瞬間に天羽の表情に若干ではあるが光が差した。
「あの人との間には、何もないの……?」
何もあって欲しくない。そんな切実な思いが言わずとも伝わって来た。
天羽璃奈は怖いのだ。地藤優斗と先程の女性との間に何か関係があることが。
彼が――別の女性のことを好きになってしまったかもしれないことが。
「優斗君……答えて……」
縋るような、懇願するような瞳。
胸が痛くなるようなその瞳を見て、思わず駆け寄りたくなる。駆け寄って、抱きしめて、全てを弁明したくなる。
だが、地藤はすぐに理性で自分を戒めた。
もし、ここで事実を口にしたところで、天羽璃奈には余計な希望を抱かせるだけだ。
もうあり得ないことなのに、地藤優斗と一緒にいる未来を夢見させてしまうことになる。
そんな残酷なことはできない。
だから、地藤は心を鬼に――いや、悪魔にして答える。
「……天羽には、関係ないだろ?」
「ッ!」
僅かに見えた希望に縋ろうとする彼女を突き放す冷たい一言。
くしゃり、と天羽の顔が泣きそうに歪む。
自分はきっと地獄に落ちるんだろうな。
漠然とそんなことを考えながら、地藤は彼女に背を向けて歩き出した。
いや、地獄に落ちることを待つまでもない。
地獄は間もなく始まるのだ。
決して忘れないよう記憶に焼き付けてある、とある人物の誕生日。
それが5日後まで迫っている。
彼が誕生日を迎えると同時に、この世界の物語も始まるのだ。
そうなれば彼女は彼と出会い、そしてこの世界は救われる。
原作の始まりを予感しながら、地藤優斗は一人で帰路に就いた。