世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第35話:真偽の見極め

 

 銀と黒の霧が、咆哮を上げる獣のように迷宮を蹂躙していく。

 

 強固にして自動修復を誇るこの血の迷宮の壁も、もはや防壁たり得なかった。

 

 霧島レイと地藤優斗は共に霧の化身となり、迷宮の構造ごと貫きながら心臓部を目指して突き進む。

 抗う術を持たぬ亡者たちは、風に舞う落葉のように次々と刈られ、ただ蹂躙されて消えていった。

 

 その光景を高みから眺めていた血の大公は、長いため息をついた。

 

「――それで、満足されましたかな? メフィラ殿」

「えぇ。注文通り……いえ、期待以上の光景ですよ。大公」

 

 彼が視線を向けた先では、こちらに背を向けたメフィラが食い入るようにして迷宮を見つめていた。

 正確には、黒霧を身に纏っている少年を。

 

「……そんなに霧化したかったなら僕に言ってくれればいつでも教えてあげたのに、という不満はありますが、結果良ければ全て良しとしましょう」

 

 唇を尖らせて不満のようなものを口にはしたものの、すぐに笑顔に戻った。

 全体的にえらく機嫌が良さそうだが、彼女はあの少年が「強く」なったことが嬉しくて仕方がないらしい。

 

(俺の邪魔をしておきながら、呑気なものだ……)

 

 思わず、血の大公は顎を撫でた。

 彼は原種としての力を覚醒させようとしていた霧島レイに玩具としての面白さではなく、純粋な危機感を覚え、すぐにでも殺そうとした。

 だが、目の前の女に止められたのだ。

 

『今、邪魔をしたら――殺すよ?』

 

 底冷えするような瞳で脅されて。

 

 あの瞬間のことを思い出しただけで、背筋に寒気が走る。

 やはり腐っても悪魔王の娘と言ったところか。

 決して本気を出そうとせず、のらりくらりと生きているように見える悪魔だが、どうにも底が見えない。

 

 しかし――

 

(だからこそ、利用価値があるというもの。この女がいれば、四騎士にも勝てるはず……!)

 

 血の大公はほくそ笑んだ。

 

 別空間に隔離されている死王女に目を向ける。

 嘗て、理不尽そのものとして魔界に君臨していた彼女はしかし、見る影もない様子だった。

 相変わらず強力な悪魔ではあるが、全盛期とは比べるまでもないほどに弱体化している。

 他ならぬ、メフィラの力によって。

 

 “悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)

 

 純粋な“力”を尊ぶこの世界において、一種異様なその能力。

 だが、大公はその権能を決して軽視していなかった。

 有象無象共は気が付いていないが、これは万能の力だ。

 

 この力さえあれば、血の大公はもっと上まで上り詰めることが出来る。

 この女さえ味方につけていれば、強者どもを出し抜くことが出来る。

 

 そして、いつの日か、自分が魔界を――

 

「見たい物も見られましたし、そろそろ幕引きといきましょうか。大公」

 

 血の大公の思考を遮るようにメフィラが言葉を紡ぐ。

 咄嗟のことで驚いた大公は目を丸くした。

 

「よろしいのですか? まだ迷宮には貴女の少年が残っていますが……」

「問題ありませんよ」

 

 メフィラは肩を竦めながら言った。

 心底どうでも良さそうに。――或いは、これから何が起きようともあの少年なら容易く乗り越えられるだろうと確信するように。

 

「いつまでも姉上を閉じ込めておけるわけではありませんし、大公も早く力を取り戻さなければならないでしょう? 幕を閉じるなら今ですよ」

「ふむ……確かに、おっしゃる通りですな」

 

 死王女はあくまでも閉じ込めることに成功しただけだ。

 弱体化しているものの、今こうして談笑している間にも凄まじい数の亡者たちが消し飛ばされている。

 

 もう少し狩りに興じていたい気持ちはあったが、そろそろ終わらせるべきだろう。

 

「であれば……まずはあの少年を仕留めに行きますか」

 

 血の大公が舌なめずりをする。

 この迷宮の中で最も芳醇で、膨大な量の霊力を宿した少年。

 見るだけで涎が出てくるような、極上の獲物。

 

 大公が見つめる先では、十六夜蓮が地藤優斗、天羽璃奈と共に中央に向かって迷宮の中を疾走していた。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰ 

 

 

「優斗君! そっち!」

「了解!」

 

 二人の男女が、華麗に舞っていた。

 

 少年は剣を振るって亡者を切り裂き、少女は銃で亡者の頭を撃ち抜いていく。互いに声を掛け合いながら、適切な距離感で連携を崩すことなく、着実に仕留めていく。

 十六夜蓮は、先ほどから続く光景を目にしながら、二人の邪魔にならないように隅っこの方で立っていた。

 

 何もできず、ただ突っ立っていた。

 

 グッと拳を握り込む。苦々しい悔しさが胸に込み上げる。

 あの病院の時と同じだ。

 自分だって役に立ちたいのに。

 ここにいる意味を、見出したいのに。

 

 ――あの少女の隣で、一緒に戦いたいのに。

 

「ッ!」

 

 自覚しそうになった想いに慌てて蓋をする。

 そうだ。そんなことを考えること自体がおこがましい。

 だって、彼女には最愛の恋人がいるのだから。

 

 彼女の隣に立つに相応しい少年がいるのだから。

 

 蓮の葛藤を他所に、二人は手際よく亡者たちを掃討していく。

 数分後、亡者で混みあっていた通路は綺麗に整理されていた。

 

「よし、だいたい片付いたかな。蓮君、出てきていいよ」

「あぁ……」

 

 地藤優斗に声を掛けられ、蓮はゆっくりと二人に指示されて隠れていた瓦礫の近くから出てきた。

 その身には、璃奈によって姿を隠す聖言が掛けられている。

 

 ――直感的に、何故か術が()()()()()()気がしたが、素人の自分が文句を言ったところで仕方がないと胸の内に留めておいた。

 

「……二人とも、ありがとうな」

 

 戦えない自分の代わりに戦ってくれた二人に礼を述べる。

 二人は爽やかな笑みを浮かべた。

 

「別にお礼を言われるようなことじゃないよ。……寧ろ、蓮君はこっちの都合で巻き込んでしまったようなものだし、こっちが謝らないといけない立場だね」

「うん。優斗君の言う通り、私たちのせいで巻き込んじゃってごめんね、十六夜君」

 

 責任感が強い地藤優斗は真摯に頭を下げて蓮に謝罪をしてくる。

 ――まるで、戦えない足手纏いの蓮を戦いに巻き込んだことを後悔しているかのように。

 

 彼に加えて、天羽璃奈もまた謝罪をしてくる。

 ――“蓮君”と呼んでくれることのない、その声で。

 

「……いや、二人にも事情があったんだろ? 俺は気にしてないからさ、皆で協力してここを脱出しようぜ!」

 

 十六夜蓮は、全ての思いを呑み込んで、そう言うことしかできなかった。

 地藤と天羽はニコリと微笑んで頷く。

 早速進みだした二人の背中を追いかけながら、蓮はそっと項垂れた。

 

 “皆で協力して――”

 

 ここまで自分の言葉が空虚に聞こえたことがあっただろうか。

 どうしようもない劣等感と、虚無感を抱きながら、蓮は迷宮の中で重い一歩を踏み出した。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰ 

 

 

「……強く、なったわね。璃奈」

 

 その言葉は、賞賛にも慰めにも聞こえた。

 しかし、天羽璃奈は無感情にそれをスルーする。

 

 まるで無機物を見るような冷え切った瞳を向ける先には、膝をつき、血に濡れた姿の天羽玲子――の偽物があった。

 

 本物の天羽玲子であれば、今の璃奈でも勝てるかどうか怪しかった。

 だが、数段格下の偽物が相手ならば、璃奈に敗北の二文字はない。

 

 記憶の中からそっくりそのまま蘇ったかのような母の幻影。

 しかし、それが偽物である以上――躊躇う理由はない。

 璃奈は淡々と銃口を持ち上げる。

 

「……それで、私を殺してあの男の子を追いかけるの? 本当、単純ね。一体、誰に似たんだか」

「……」

 

 わずかに揺らぐ銃口。

 しかし、その微細な動揺すら、彼女はすぐに押し殺した。

 

 母の形をした偽物。その眉間へと狙いを定める。

 どれほど言葉を弄しようと、どれほど巧みに情を揺さぶろうと――璃奈の心は揺るがない。

 それを悟った偽物は、諦めたように乾いた笑みを浮かべた。

 

「頑固な子ね。やっぱり、私に似たのか」

 

 嘲るような響きのある言葉。しかし、それはどこか悲しげでもあった。

 璃奈は何も言わない。

 ただ、静かにトリガーに指を掛ける。

 

「それじゃあ、最後に一つだけ忠告してあげる」

 

 偽物は紫色の瞳を璃奈に向ける。

 その瞳に映るのは、憎悪か、それとも哀れみか。

 

 邪悪な笑みを浮かべながら、低く囁いた。

 

「――貴女は、絶対に私と同じ末路を辿る! 絶対に、絶対にね!」

 

 呪いの言葉が空気を震わせる。

 鬼気迫る形相で、偽物は凄まじい確信を持って叫ぶ。

 

「逃げられるなんて思わないことね! 貴女は、私と同じように大事なものを失って、狂う未来を――」

 

 その言葉が紡がれきることはなかった。

 ――銃弾が、玲子の顔を容赦なく吹き飛ばしたからだ。

 静寂が訪れる。

 ただ、擬態が解け、塵となっていく偽物の身体だけが、虚しく崩れていく。

 璃奈はそれをじっと見下ろしながら、淡々と呟いた。

 

「話が長いのも同じなんだね」

 

 まるで何の感慨もないかのように。

 だが、その紫色の瞳は僅かに揺らいでいて――

 

「……さようなら、お母さん。私は、貴女とは違うから」

 

 決別するように呟き、その一言をもって完全に感傷を振り切った。

 

 もはや、ここに用事はない。

 

 厄介な敵を葬った璃奈は背後を振り向いた。そこには、最愛の彼との間を引き裂いた壁がある。

 璃奈は忌々し気にその壁を睨みつけながら銃口を持ち上げ――すぐに下ろした。

 この壁の構造の厄介さは身に染みて分かっている。そしてそれは、“彼”も同じだろう。

 璃奈は彼――地藤優斗の思考をトレースすべく、目を閉じた。

 破れない壁があるのなら、どうするべきか。

 

 答えが出るまでに5秒も掛からなかった。

 璃奈は忌々しい壁に背を向け、迷宮の中央へ向かって走り始めた。

 

 地藤優斗なら、こうするはず。

 璃奈の中には確信があった。

 だって、彼と彼女の間には特別な絆があるのだから。

 

 必ず彼と中央で合流すべく、璃奈は道中の亡者たちには目もくれず風のように疾走する。

 

「待っててね、優斗君……!」

 

 一瞬だけ母の言葉が脳裏に浮かんで――しかし、すぐに立ち消えた。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰ 

 

 地藤優斗と天羽璃奈のコンビは、圧倒的な安定感を誇っていた。

 

 近接戦を得意とする地藤と、中距離戦を軸にする璃奈。その戦闘スタイルは絶妙に噛み合い、息の合った連携で亡者たちを次々に蹂躙していく。

 攻撃のタイミング、視線の送り合い、戦場における暗黙の理解――そのすべてが完璧だった。

 

 故に、この2人に掛かれば道中も安全そのもので――強いて言えば、中央に近づくにつれ、亡者の数が異様に減少していく様子は不自然だったか。

 僅かな違和感を覚えつつも、3人は大きな苦戦もなく、迷宮の核心へと進んでいく。

 だが、それが「嵐の前の静けさ」だと誰も気づいていなかった。

 

「なぁ、今更の話であれなんだが、本当にこっち方向で良いのか……?」

 

 進む二人の背中を追いながら、蓮は疑問を投げかける。

 

「間違いないと思うよ」

 

 地藤は迷いなく答えた。そして、頭上を指さす。

 

「あそこに赤い星が見えるでしょ? 脱出できるとすれば、あそこしか道はないと思う。だから――」

「あの星の真下にあるこっち方向に向かっているってことか」

「そういうこと」

 

 地藤は確信を持って頷く。

 

「さぁ、ゴールはもうすぐだよ。さっさとこの迷宮とおさらばしよう」

「あぁ、そうだな……」

 

 ずっと二人に守られながら進み続けてきたことで、蓮の精神は知らず知らずに疲弊していた。

 だが、それももうすぐ終わる。もうすぐ、この迷宮を抜けられる――。

 そう思った瞬間だった。

 

「ッ! 危ない!」

 

 爆音が轟いた。

 目の前の壁が突如として爆砕する。

 閃光が走り、瓦礫が弾け飛ぶ。猛烈な衝撃波に、蓮は反射的に足を止めた。

 

「なんだ急に⁉」

 

 地藤と璃奈が即座に武器を構える。

 立ち上る煙の中――ゆっくりと、その影が歩み出た。

 

 薄暗い霧の中で、鋭い刃を携えたその姿が徐々に露わになる。

 刃がついた銃剣を両手に握り、まるで羽ばたく寸前の鳥の翼のように構えた独特の姿勢――。

 

 蓮は息を呑む。

 

「……璃奈?」

 

 白煙の向こうから現れたのは、紛れもなく天羽璃奈だった。

 

 ――ここにいるはずの、天羽璃奈だった。

 

「……優斗君?」

 

 天羽璃奈が二人いる。

 

 混沌とした状況の中、新たに現れた天羽は地藤優斗の姿を見てから、訝しげな表情で首を傾げた。

 もう一人の自分には目もくれず、唖然と剣を構えている地藤を見つめている。

 

「……なーんだ。偽物か

 

 しかし、璃奈は自分の中で納得がいったのか、一つ頷いた。

 そして次の瞬間――何の迷いもなく、地藤優斗に向かって弾丸を放った。

 

「璃奈⁉」

 

 突如として撃ち放たれた銃弾に驚きながらも、剣を振るってそれを弾いた地藤優斗。彼は目を見開き、唖然とする。

 

「気が狂ったのか⁉」

「落ち着いて優斗君! 私はここ! あれは偽物よ!」

「ッ! そうか、そういうことか……!」

 

 銃を構えながら背後で呼びかけた天羽璃奈の声に、ようやく状況を理解したのか、地藤は剣を構え直す。

 その様子を見ながら、蓮もまた、混沌としたこの状況を飲み込もうとしていた。

 

(偽物の出現……そんなことまで起きるのか)

 

 無限に湧き続ける亡者に加え、偽物まで現れるとは――途轍もなく厄介な迷宮だ。

 しかし、不安はなかった。

 本物の璃奈と地藤優斗が揃っていれば、偽物に後れを取ることはないだろう。

 ある種、楽観的な考えのもと背後に控えていた蓮だったが――状況は、彼の予想を軽々と凌駕していく。

 

「地藤君の偽物に、私の偽物の組み合わせか……悪趣味にも程があるわね」

 

 不快感を滲ませながら低く呟く新手の璃奈。

 その目には冷たい光が宿っていた。

 

 次の瞬間、彼女は銃を構えながら腰を屈め――地面を蹴って疾風のように加速する。

 中距離から銃弾を撃ち込んでくると踏んでいた地藤が、璃奈の予想外の速さに一瞬の隙を見せる。その刹那、璃奈の銃剣が閃いた。

 

 十字剣を振るい、地藤は何とかその一撃を受け止めた。

 その衝撃に地面が砕け、空気が震える。

 

「くっ……! やっぱりお前、偽物だな⁉」

 

 必死に鍔迫り合いを繰り広げながら、地藤は呻いた。

 

「偽物に言われるとは屈辱ね。おまけに――」

 

 刃がぶつかり合ったその瞬間、璃奈の剣が巧みに軌道を変え――地藤の剣が弾き飛ばされた。

 その隙を見逃すはずもない。

 次の瞬間、容赦ない一閃が走る。

 

「――ッ!」

 

 鋭い閃光とともに、銃剣が地藤の胴を切り裂いた。

 鮮血が吹き出し、蓮は息を呑んだ。

 

「私に優斗君の形をしたものを傷つけさせるなんて……不愉快にも程があるわ」

 

 冷たい瞳に不快感が浮かぶ。

 

「このっ……!」

 

 地藤は、傷ついた身体を引きずりながら、それでも璃奈へと向かっていく。時間稼ぎになればと、両腕で彼女を拘束する為だ。

 だが、その意志は銃弾によって砕かれた。

 零距離で放たれた璃奈の弾丸が、地藤の両腕を容赦なく吹き飛ばしたからだ。

 

「なっ――」

「……良い造りだけど、残念ね。私、お人形に興味はないの」

 

 無機質な言葉とともに、銃剣が再び閃いた。

 刃が突き立てられたのは、地藤の心臓。

 

「あっ……り、な……」

「その声で私の名前を呼んでいいのは、本物の彼だけよ」

 

 璃奈の目には、一片の迷いもない。

 血に染まる男を見下ろしながら、彼女は銃剣を引き抜いた。

 膝をつき、ゆっくりと崩れ落ちる地藤の身体。最後の抵抗すら叶わない。

 璃奈は、淡々と銃口をその額へと押し当て――

 

「さようなら」

 

 迷うことなく、引き金を引いた。

 次の瞬間、地藤優斗の頭は跡形もなく吹き飛んだ。

 

「地藤……!」

 

 十六夜蓮は、地藤が悪魔と契約していることは知っているものの、その能力の詳細は聞かされていない。

 故に、彼が死から蘇る力を持っていることを知らないのだ。

 そして――蘇らない事実を受け、(元より確信していたものの)偽物であったことに璃奈が納得していることも。

 

 そして、衝撃を受けているが故に、彼の背後にいる天羽璃奈が大して動揺していないことにも気が付いていなかった。

 

「十六夜君! 立って!」

「り、璃奈……?」

 

 腰を抜かして座り込む彼を強引に立たせ、ここまで一緒にやって来た璃奈はここから逃げるように彼の腕を引っ張る。

 

「今は取り敢えず逃げよう! このままじゃ、私たちも殺されるよ……!」

「い、いや……でも、地藤が……」

 

 彼が死んでしまったことは分かっている。

 だが――あの天羽璃奈が、彼の死体を前に逃げるようなことをするものだろうか?

 

 ようやく、蓮の心の中にも疑問が生まれた。

 即ち、自分がこれまで行動してきたこの地藤優斗と天羽璃奈こそが偽物なのではないかという疑惑が。

 

 腕を引っ張る璃奈にほんのわずかに抵抗した次の瞬間――

 

「邪魔」

 

 その一言と共に一瞬で距離を詰めた冷酷な瞳をした天羽璃奈が、蓮の腕をつかんでいた天羽璃奈を蹴りで吹き飛ばした。

 

「きゃあっ!」

「璃奈!」

 

 思わず駆け寄ろうとした蓮だったが、

 

「動かないで」

「ッ!」

 

 突き付けられた銃口を前に動きを停止させた。

 地藤優斗の頭を容易く吹き飛ばした銃口が自分に向けられている。

 

「悪いけど、暫くじっとしていてくれる? 貴方がどっちかよく分からない……いえ、確かめる手段はあったね」

 

 蹴り飛ばした天羽璃奈の方へ注意を払っていた彼女の視線が十六夜蓮に向けられた。

 冷たく――しかし、それでも美しい紫色の瞳が彼を見つめる。

 思わず息を呑んだ次の瞬間、

 

「こうすれば早かった」

「えっ」

 

 言いながら、天羽璃奈は躊躇なく引き金を引いた。

 蓮の目の前が翡翠色の光で埋め尽くされる。

 ――原則として人を殺めることがない璃奈の十銀銃だが、それは普段の出力で放った場合だ。

 彼女が本気で霊力を込めれば、相手が何であろうとお構いなしにこの世から葬ることが出来る。

 地藤優斗の顔面を躊躇なく吹き飛ばした弾丸は、彼の頭を吹き飛ばそうとし――

 

「あ……れ……?」

 

 まるで蓮だけを避けるように後ろの壁に衝突した。

 思わず惚けたような声を出す十六夜蓮。

 天羽璃奈は確信を得たように頷いた。

 

「貴方は本物のようね。契約は結んだ相手との間にしか作用しないから」

 

 契約――

『地藤優斗、如月メフィラ、天羽璃奈は、十六夜唯、モルヴェリア、十六夜蓮に一切の危害を加えない』

 

 璃奈は地藤が結んだ契約を利用し、あっさりと真偽のほどを見破った。

 

「さて、十六夜君もこれで分かったでしょう? どっちが本物で――」

「ッ! 璃奈! 後ろだ!」

 

 十六夜蓮が本物の天羽璃奈に向かって声を張り上げる。彼女の後ろには、腕を鎌のように変形させた偽物が後ろから襲撃を仕掛けて来ていた。

 璃奈は蓮の方を見ている。このままでは回避は間に合わない――

 

「――どっちが偽物か」

 

 だが、やはり彼女は“本物”だった。

 背後から襲い掛かる偽物の攻撃を、振り向くことすらせず華麗な回し蹴りで迎え撃つ。

 空を切った璃奈の脚が、偽物の腹部へと深くめり込んだ。

 

「がっ!」

 

 内臓を揺さぶる衝撃に、偽物は悲鳴を上げる間もなく血を吐き、吹き飛ばされた。

 迷宮の硬質な壁へと叩きつけられ、無様に崩れ落ちるその姿を、璃奈は冷めた瞳で見下ろす。

 

 さらに、構えた銃口から放たれた弾丸が、偽物の肩を貫き、行動を封じた。わずかな躊躇もない。

 

「隙をつくためとはいえ、最後に人間の姿を捨てるとは……」

 

 璃奈は、ゆっくりと歩を進めながら、静かに言葉を吐く。

 

「偽物は偽物らしく、最後まで本物の真似をしておけばいいものを」

 

 嘲りでもなく、ただ断罪するような冷酷な声音だった。

 虚偽を決して許さない冷徹な女王のように君臨しながら、一歩ずつ歩みを進める。

 

「貴女、偽物とはいえ、優斗君を無惨に殺された後、逃げようとしたわね?」

 

 銃剣を握る指に、一切の迷いはない。

 偽物の元へと歩み寄るたび、璃奈の怒りは研ぎ澄まされ、殺意へと昇華していく。

 

「私が優斗君を守り切れないなんて、あり得ないから。そんなこと、許しちゃいけないから。それから――」

 

 自分で殺しておきながら、理不尽極まりないことを言う璃奈。

 足を止めた彼女は、地に伏す偽物を見下ろしながら、淡々と告げる。

 

「――私は優斗君を失った後、のうのうと生きるつもり、ないから」

 

 その言葉には決意があった。

 そして、何よりも確固たる怒りが――

 璃奈は銃口をゆっくりと偽物の頭へ向けた。

 

「さようなら。出来の悪い偽物さん」

 

 侮蔑を込めた言葉とともに、彼女は引き金を引く。

 銃弾が火を噴き――偽物の頭部が無惨に吹き飛んだ。

 

 静寂が訪れる。

 偽物を駆逐した璃奈は、深く息を吐き、疲れたように呟いた。

 

「全く。優斗君の声が聞こえた気がして、急いで壁を撃ち抜いてきたっていうのに……こんな三文芝居を見せられるなんて。ついてないな」

 

 見るに堪えない偽物の地藤優斗。

 吐き気がするほど醜悪な、自分自身の偽物。

 

 璃奈は、気分が悪いとばかりに眉をひそめ、塵と化して消えていく偽物を忌々しげに睨みつけた。

 

「な、なぁ……璃奈」

「ん? あぁ、十六夜君。ごめんね、ボーっとしちゃってた。怪我はない?」

 

 全てを焼き尽くすような、あの修羅のような姿を「ボーっとしてた」の一言で誤魔化そうとする彼女に内心少し引きながら、蓮は立ち上がって“本物”の彼女に歩み寄った。

 

「あぁ、お陰様で怪我はないよ」

「それは良かった」

 

 言葉こそ優しい。しかし、そこに情感はなかった。

 淡々とした口調で最低限の確認を終えると、璃奈は蓮に背を向け、銃剣の点検に移る。辺りを見渡しながら、次の行動を決めることに意識を向けているようだった。

 

 その無関心な態度に、蓮の胸が痛む。

 まるで、自分などどうでもいいかのような反応。

 

 蓮は息を詰め、押し寄せる思いを振り払うように口を開いた。

 

「……その、ごめん」

 

 衝動的な謝罪だった。

 何に対して謝っているのか、自分でも整理がついていない。ただ、何かを言わずにはいられなかった。

 

 璃奈が視線を向け、わずかに首を傾げる。

 

「それは、何に対する謝罪かな?」

 

 平然とした問いが、蓮の胸にさらに重くのしかかる。

 

「……俺は、一緒に行動していた璃奈が偽物だなんて全く気が付かなかった……だから」

「そんなの、謝ることじゃないよ」

 

 璃奈は微笑んだ。

 その笑みはどこか淡い。慰めのようでいて、深く踏み込むことはない。蓮の苦悩を受け止める気など最初からなかったように。

 

「私だって、最初は十六夜君が本物かどうか分からなかったし」

 

 まるで些事を語るような口調だった。

 

「でも!」

 

 蓮の声が震えた。

 どこか喉を締めつけられるような感覚に耐えながら、問いをぶつける。

 

「地藤のことは分かっていたじゃないか……!」

 

 契約を利用して蓮の真偽を見抜いたことは理解できる。

 しかし――璃奈は地藤優斗について、疑う素振すら見せず、一目でその真偽を見破った。

 まるで、地藤については間違いなど許されないとでも言うように。

 

「そりゃあ、私が優斗君のことを見間違えるはずがないし」

 

 璃奈は事もなげに答える。

 その言葉はあまりに揺るぎない。

 

 まるで、蓮の疑念そのものを無意味なものだと一蹴するかのようだった。

 蓮は唇を噛みしめる。

 

 何故――何故、彼女はそこまで断言できるのか。

 

「どうしてわかったんだ⁉ どうして、地藤のことは……」

 

 その問いは、嫉妬にも似た感情だった。

 分かっている。自分の心の奥底で燻る気持ちが、どこか歪んでいることも。

 それでも――聞かずにはいられなかった。

 

「どうして、か。別にそんな大した理由があるわけじゃないけど――」

 

 璃奈はすっと息を吸い込み。

 

 

 

「優斗君はね、普段はボーっとしているように見えるけど、本当は誰よりも賢くて鋭い人なの。だから、不測の事態が起きて驚いた表情をしていても眼光は冷静だし、オーバーリアクションを取る時は敢えて隙を見せている時だから、必要もなくあんなリアクションはしないんだよ。隙を見せた割には何も仕掛けてこないし、それこそ本物の優斗君なら私に蓮君を攻撃させて真偽を確かめようとするはずだよ。判断遅すぎ。理解が追い付いていないなら話術で時間稼ぎをするはずなのにそれもなかったしね。それから剣の構え方もちょっと変だったな。優斗君、努力しているのを見られるのを恥ずかしがる努力家だから誰にも言わないけど、本当は休みの日に公園で剣の練習しているんだよ? 最近では構えも様になってきているのに、あんな適当な構えしないよ。重心を置いている脚も逆だったし、剣の握り方も適当すぎ。優斗君は自分ルールで生きているように見えて、郷に入っては郷に従えというか、ちゃんとした型やルールがあるならそれに従う人だからね。ルールを破壊する側の人なのに、根は保守的なの。全然分かってないね。偽物にしても再現度が低すぎるよ。それから、眼の感じも違っていたな。本当の優斗君はもっと優しさと冷たさの割合が1:1の割合で綺麗にブレンドされているのに、冷たさが全然感じられなかった。あんなの、ただ優しいだけの木偶の坊だよ。やる気あるのかな? 耳たぶの感じも全然違う。ダメだよあれじゃあ。私がプレゼントしたピアスをちゃんと再現しているところは評価してあげてもいいけど、本物はもっと柔らかさを感じさせるもっちりした形をしているんだよ。あの触り心地が全然形に反映されてなかった。偽物を名乗るのもおこがましい。まだまだ判断材料はあるけど、取り敢えずはこんなところかな」

 

 

 

 一息で、愛の重さをこれでもかと吐き出した。

 

 

「……」

 

 あの一瞬でそんなに見ていたのか、とか。

 呼吸長持ちしすぎだろ、とか。

 地藤ってそんなにヤバい奴だったのか、とか。

 璃奈も相当ヤバい奴だな、とか。

 

 色々と思うところはあるが。

 ひとまず、自身のモヤモヤしていた思いを全て吹き飛ばされた蓮は――

 

「あっ、そっすか」

 

 宇宙猫みたいな顔でそれだけ口にした。

 それくらいしか、言えなかった。

 

 一通り不満を吐き出してスッキリしたのか。

 璃奈は適当なリアクションをした蓮には目もくれず、グッと伸びをしてから、頭上に輝く赤い星を睨みつけた。

 

「さて、取りあえず中央を目指そうか。……どうにも誘導されている感じがして気に食わないけど、それよりも――急がないと大変なことになる気がする」

「大変なこと……? 何か気づいたことがあるのか?」

 

 蓮は思わず身構える。

 冷酷無比で、恋人以外に情を持たない璃奈が焦燥を滲ませるほどの「大変なこと」とは、一体何なのか。

 彼女は蓮の疑問を受け止めるでもなく、ただ淡々と答えた。

 

「いえ、何も」

「……じゃあ、何をそんなに焦っているんだ?」

 

 彼女の背中を追いながら問いかける蓮。

 それでも璃奈は振り向くことなく、歩調を緩めることもなく、ただ静かに言葉を紡ぐ。

 

「なんだかよく分からないけど――」

 

 不安の正体も掴めないまま、ただ本能が警鐘を鳴らし続けている。

 

「――とんでもなく嫌な予感がするから」

 

 人はそれを、女の勘と呼ぶ。

 そして、この鋭敏すぎる勘は、間違いなく的中しているのだが――

 今の璃奈が、それを知る由はなかった。

 

 

 

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