世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第39話:血戦【後編】

 

 十六夜蓮。

 

 誰もがその力を付け狙う、この世界の中心人物。

 ゲームのタイトルにもある通り、主人公にして英雄。

 

 この世界は彼を中心に回っている。

 地動説ではない。天動説でもない。蓮動説である。

 

 ……あまり、うまいこと言えていないことについては見逃してほしい。

 

 ともあれ、誰もが命懸けで、手段を選ばずに狙うだけのことはあり、彼の霊力量と質は飛び抜けている。

 頭一つ、なんて尺度ではない。

 それこそ、天まで突き抜けそうなほどに隔絶した圧倒的な量と質。

 

 だからこそ、それを手に入れた時に何が起きるのか。

 

 それを知っている僕は、思ってしまった。

 

 あっ、終わった――と。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 吹き荒れる魔力が、迷宮の構造を根本から破壊していく。

 

 ただ吼えるだけで地が裂け、柱が弾け、空間そのものが軋んでゆがむ。天変地異のような現象が、意思なく繰り返されていた。

 それはもはや“戦闘”ではない。

 

 暴風。災害。存在の崩壊。

 その中心にいるのは、大公――否、もはやかつて大公だった何かだ。

 

 地藤優斗、天羽璃奈、霧島レイ。

 三人の優れた戦士は、迷宮を崩壊寸前にまで追い込む魔力の波動を前に、ただ立ち尽くすことしかできない。

 血の気が引いていく。肌が焼かれ、視界が歪む。

 

 それぞれが優秀なエクソシストであるが故に、すぐに悟った。

 悟ってしまった。

 

 これは――次元が違う相手だと。

 

 先程までの大公は強かったが、それでも付け入る隙はあった。

 ダメージは与えられていたし、三人の連携次第では勝機も見えていた。

 

 だが今、目の前にいるそれは、もはや“勝敗”で語れる存在ではない。

 これは、生き延びるか、全てが終わるか。

 生死――それだけだ。

 

 大公は十六夜蓮を重要な魔力源として捉えているのか、意識がない状態ながら彼のことを繭のような魔力に包み込み――頭上へと跳躍した。

 

『オオオオオオオオオ――!』

 

 放出される桁違いの魔力。

 手に入れた“力”に支配されてしまったのか。

 大公は、ほぼ意識を失った白目の状態で、ただ嵐を巻き起こすだけの暴力装置と化していた。

 

 このままでは、大公によって呆気なく迷宮は破壊されてしまうだろう。

 そして、全員迷宮ごと巻き込まれて死に絶え――

 やがて、大公は現世へと進行するだろう。

 

「ッ! ユウト!」

 

 荒れ狂う魔力の嵐を青褪めた表情で見上げていた地藤は、微かに反応が遅れてしまった。

 寸前まで迫っていた赤黒い魔力の渦。

 璃奈も動き出していたが、地藤を“守護”することに重きを置いていたレイは誰よりも早く反応し――霊力を放出しながら刀を掲げた。

 

「ぐぅ……!」

「先輩!」

「私のことはいい! 今は一先ず避難を――」

 

 全身に襲い掛かる負荷に歯を食いしばりながら、彼女は主の安否だけを気遣う。嵐を食い止めながらも、漏れ出した魔力の欠片が彼女の身体を切り裂き、全身に細かい傷が刻まれる。

 長く持たないことは明白だ。

 咄嗟に飛び出そうとする地藤だったが、

 

「ッ! こ、これは――」

「先輩!」

 

 次の瞬間。

 霧島レイの必死の抵抗も虚しく、彼女の身体は魔力の渦に呑まれ――

 ()()()()()

 

 銀閃も、霧も、声すらも、一瞬で飲み込まれた。

 つい先ほどまで大公に肉薄していたあの霧島レイが――その存在ごと、消えた。

 

「ッ! 璃奈、掴まって!」

「う、うん!」

 

 脳裏に血が昇る。だが感情は飲み込んだ。

 今は怒りより――判断だ。

 

 地藤は躊躇なく黒霧を展開し、璃奈の身体を優しく包み込んだまま、爆風の渦を裂いて空へと翔んだ。

 霧の状態の地藤に物理攻撃は効かないが、璃奈は違う。

 内側にいる彼女を守るため、霧の密度を上げ、魔力干渉の層を増やしながら、嵐の隙を縫うように飛行を続けた。

 

(このままだとまずいな……! どうにか逃げ道を――)

 

 視界は歪み、音が遠くなる。

 それでも地藤は霧の中から目を凝らし、わずかな光と逃走経路を探す。

 

「優斗君! あそこ――!」

 

 璃奈の声が霧の中で響いた。

 その指の先、破壊された迷宮の奥。

 さっきまで分厚い石壁で塞がれていたはずの出入口が――崩れている。

 大公の暴走に迷宮そのものが耐えきれず、綻び始めていた。

 

『掴まって! 飛ばすよ――!』

「了解!」

 

 次の瞬間、霧が矢のように駆ける。

 目標は一点、崩壊した出入口の先。

 黒霧の状態で疾走し、激突の衝撃を利用しながら、迷宮の壁を破り、吹き飛ぶように外へと抜けた。

 安全圏へたどり着いた地藤は実体に戻り、腕に抱えた璃奈をそっと降ろした。

 荒れた息。痺れる指先。

 

 だが、まだ安心なんて出来ない。

 

「よし、それじゃあ後は――」

 

 地藤は静かに掌を虚空へと向ける。

 すると、空気がわずかに歪み、そこに“それ”は現れた。

 鼓動。

 脈打つ――心臓。

 

 自分のものでない、それでいて確かに繋がっている命の核。

 璃奈の視線が、無言のまま突き刺さるのを感じる。

 だが、ここで自分の為に命を張ってくれた彼女を見捨てるなんて選択肢は地藤の中にはなかった。

 

「“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――蘇れ、我が主にして従者よ」

 

 言葉が呪として響く。

 その瞬間、心臓が脈動した。ひと際、大きく。

 ――ドクン。

 空間が揺れた。

 

 空気が反転するような違和感のあと、そこに“在った”。

 木端微塵に吹き飛ばされたはずの霧島レイが――

 無傷のまま、静かに立っていた。

 

 まだ状況が呑み込めていないのか、彼女はパチパチと目をしばたかせた後、地藤の手に握られている心臓を見て――そっと微笑んだ。

 

「なるほど、そういうことか……感謝するぞ、主よ。お陰様で生き返れた」

「いや、感謝するのはこっちですよ先輩。お陰様で、あそこで死ぬことを避けられましたから」

 

 実際のところ、霧島レイの行動はかなりの英断だった。

 彼女は死のうとも、主が生きていれば生き返るが、地藤優斗はそういうわけにはいかない。

 無論、彼も生き返りはするが……あの場所で生き返ったとしても、嵐の中で無限に再生と死を繰り返す無間地獄に放り込まれる羽目になっていただろう。

 恐ろしい末路を想像し、地藤の表情は一気に青褪めた。

 

「しかし、これはかなりまずい状況ですね……」

 

 地藤は後ろを振り返った。

 もはや大公は上級悪魔という括りを飛び越え、“天災”そのものと化していた。

 轟轟と音を響かせながら、制御不能の巨大な魔力の嵐で迷宮を破壊し続けている。

 

「あぁ。今は逃れることに成功したが、この場所だっていつまで安全か分かったものではない」

「……どのみち、大公を放置していれば、いずれはこの迷宮ごと葬り去られることになるでしょうね」

 

 険しい表情で、しかし真正面からしっかりと現実を直視した意見を述べるレイと地藤。

 

悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)で何とか逃げられないかな……?」

「そうしたいところだけど、この空間はまだ()()()()()()()()みたい。脱出も、外部への救難依頼も無理そうだね。それに――」

 

 璃奈の疑問に答えながら、地藤は宙を見上げた。

 そこには、天災そのものと化した血の大公と――その傍で魔力源として守られている十六夜蓮の姿がある。

 

「――蓮君を、このまま見捨てるわけにはいかない」

「そうなると、大公を倒すしかないわけだけど――」

「この嵐では、近づくことさえもままならないな……」

 

 霧になれば物理的なダメージは受けないが、しかし嵐に翻弄されて先に進むこともままならないだろう。

 さらに近づいたところで、攻撃する際には実体化する必要がある。

 となれば――

 

「遠距離からの攻撃しかないね」

「しかし、遠距離からの攻撃と言っても、あの嵐を貫通して大公まで届かせるような攻撃手段があるのか? お前の拳銃では、その……」

 

 二丁拳銃を見ながら、言いづらそうに言葉を濁す霧島レイ。

 璃奈は特に怒ることもなく、静かに彼女の言葉を首肯した。

 

「確かに、このままでは私の攻撃は届かないと思います。だけど、届かせる()()はあります」

「璃奈、それは……」

 

 原作知識を持っているが故に、地藤は恋人が何をしようとしているのかをすぐに察した。

 不安そうな表情で彼女を見つめる。

 璃奈は困ったような顔で微笑んだ。「やっぱり優斗君は知っているんだね」と言わんばかりに。

 

「ねぇ、優斗君。()()()があるの――」

 

 きっと、このお願いは簡単には受け入れてもらえないに違いない。

 それでも、これは必要なことであると信じて、璃奈はその願いを口にした。

 

「――私の心臓を、貰って」

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 十銀銃(クロス・シルバー)

 

 現在、璃奈が使用しているこの銃剣付きの二丁拳銃は、嘗て至高の天才と呼ばれたエクソシスト、天羽玲子が使用していた祓魔器である。

 

 使い手を選ぶこの祓魔器の最大の特徴は、その圧倒的な汎用性にある。

 ある時は敵を切り裂く刃となり、またある時は中距離を制圧する拳銃となり、またある時は――全てを射抜く魔弾の砲身と化す。

 

 複数の変形形態を持ち、敵と状況に合わせて使い分けが可能なオプション機能は便利ではあるものの、使い手の技量がもろに試される扱いの難しい武器でもある。

 

 天賦の才を持つ者が扱えば、ありとあらゆる状況に適応できる使い勝手のいい武具となるだろう。

 しかし、中途半端なものが用いれば、ただの器用貧乏となり――

 扱いが難しいが故に、この武器は容赦なく、正しくない持ち主へと牙を剥くだろう。

 

 璃奈は、己が未熟者であることを自覚していた。

 ――身の丈に合わないことをすれば、途方もないしっぺ返しを喰らうことも。

 

 恋人を守るためにも日々、研鑽を積み重ねているわけだが、それでも単純な経験不足から璃奈は未熟者の域をまだ超えられていない。

 

 だが――

 

 未熟者だからと言い訳を重ねて、何もしないことなど、璃奈には我慢が出来なかった。

 

 代償を払うことになることは百も承知。

 身の丈を超え、限界を超え、その先に自壊が待つこともまた、分かっている。

 分かった上でなお、璃奈は求めていた。

 

 この状況をひっくり返す――

 絶対破壊の一撃を。

 

「霧島先輩の心臓を受け取って不死性を与えることができたんだから、私にだってできるよね?」

 

 できないなんて、おかしい。

 そんなの――ズルいし、許せない。

 

「――だって私、優斗君の恋人だよ? もう全部、捧げてるんだから。心臓くらい、今さらじゃない?」

 

 横目で霧島レイに視線を送りながら、璃奈は勝ち誇ったように言った。

 挑発とも、見せつけとも取れるその言葉を受けて、レイの肩がかすかに動いた。

 だが、彼女は何も言わなかった。

 表情ひとつ崩さず、ただ静かに立ち尽くす。

 その姿勢が何より雄弁に語っていた。

 

 ――自分の立ち位置を、きちんとわきまえていると。

 凛とした立ち姿のまま、決して璃奈の前に出ようとはしない。

 

(ふぅん。思ってたより、ちゃんと分かってるんだ)

 

 恋人の姿から見て、彼女が吸血鬼として彼を同胞にしたことは間違いがない。

 加えて、“主”と呼ぶ従者のような姿勢。

 二人の間に何かがあったことは明白だが――それでも、璃奈のことはしっかりと尊重しているらしい。

 璃奈はその謙虚な姿勢を評価した。

 

 ――ここで図々しくも前に出てくるようだったら、何をしていたか分からなかったから。

 

「……それは、そうかもしれないけど……」

 

 心臓を受け取って欲しいという璃奈の言葉に、地藤はわずかにうつむいた。

 唇を噛み、どこか思いつめたような表情で。

 そんな恋人の顔を見ながら、璃奈はわざとらしく頬をふくらませてみせた。

 

「もうっ、霧島先輩の心臓はいいのに、私のは貰ってくれないの……?」

「璃奈、そういう問題じゃ――」

「分かってるよ」

 

 苦しそうな顔をする恋人に、璃奈は優しく笑い掛けた。

 

「優斗君は、私のことを心配してくれているんだよね?」

 

 天羽璃奈は未熟者である。

 だからこそ、祓魔器の性能を十全に引き出すことが出来ない。

 無茶をしようとすれば、きっと代償を支払わされることになる。

 その代償は――彼女の命。

 

「でも、これしか方法はないよ。優斗君が私の心臓を貰ってくれれば、私は限界を超えて力を出せる。――この命を使って、魔弾を大公まで届かせることが出来るはず」

 

 地藤優斗は苦しそうな顔で俯いた。

 璃奈の言っていることは分かる。

 その有効性も、理解できる。

 遠距離攻撃の手段を殆ど持ち得ない自分たちの中で、彼女が唯一の突破口となり得ることも分かっている。

 

 だが、璃奈が言っているのは、「生き地獄を味わいながら、己の全てを使って一撃を大公に届かせる」ということだ。

 

 自己犠牲の極み。

 璃奈が放つ絶対破壊の一撃は、きっとこの状況を一変させるだろう。

 仮に大公を仕留めきれなかったとしても、必ずその()がある。

 

「……」

 

 分かっている。

 地藤の冷静な部分は、彼女の提案がこの状況における最適解であることを理解している。

 けれど、恋人に地獄のような苦痛を味わわせることが、どうしても許容できそうになくて――

 

「……璃奈、やっぱりそれは――」

 

 思わず、拒絶の言葉が喉元まで込み上げた。

 だが、口にする前に――唇に、そっと人差し指が当てられる。

 璃奈は、彼女らしい――としか表現しようのない笑みを浮かべていた。

 

「お願い、優斗君。……今回のことだけじゃないの。私はね、優斗君に、私のすべてを受け取ってほしいの」

「……」

「気持ちだけじゃなくて。物理的にも、全部――あげる」

 

 その笑顔は、どこまでもまっすぐだった。

 無理強いでも、自己犠牲でもない。

 ただ、心からの願いをまっすぐ差し出してくるような――眩しくて、逃げ場のない、真剣そのものの表情。

 そんなものを向けられて、何が言えるというのか。

 璃奈は、懇願するように、そして同時に赦すような眼差しで、もう一度、静かに囁いた。

 

「だからお願い。私の()()()、受け取って」

「――――」

 

 地藤は、胸の奥が軋むのを感じた。

 困らせるようなわがままでもなければ、勢い任せの情熱でもない。

 怖いほどに理性と覚悟が整った目の前の少女が――あまりに真剣に、自分を委ねようとしている。

 ああもう、ダメだ。

 そう思った。

 

 完全にやられてしまっていた。

 この瞬間――いや、ずっと前から、彼は天羽璃奈という存在に、とことん参っていたのだ。

 抗う理由も、意味も、もう残ってはいなかった。

 

 地藤は、諦めたように溜息をついて――右手を前に伸ばした。

 

「受け取るよ。璃奈の全てを」

「うん――!」

 

 眩しい笑顔を浮かべる彼女に微笑み返し、地藤はその権能を発動させた。

 

 “悪魔の屁理屈”――発動。

 

『天羽璃奈は地藤優斗の恋人であり、己の全てを彼に捧げることを誓った。だからこそ、彼女の全ては地藤優斗のものであり――その心臓もまた、彼の手のひらのなかにある』

 

 その宣言を、“世界”は否定しなかった。

 地藤の言葉が、この現実に“通った”。

 権能として認められ、欺きと真実がひとつに交わる。

 

 掌に広げられた空間に、ひとつの命が現れた。

 心臓。

 天羽璃奈のもの――確かに鼓動を刻む、霊力の核。

 

 右手に乗ったこの世界で最も大切なそれを、金庫へ宝石をしまうかのように、丁寧に、異空間へと格納する。

 

 その一部始終を見守っていた璃奈の表情は――聖女のように穏やかだった。

 自らの心臓が他人の手に渡ったというのに、恐れも未練もなかった。

 ただ、幸福だけがその顔に満ちていた。

 

 なぜなら。

 

 心の底から、それは美しい光景だったから。

 ようやく、比喩でも比重でもない、物理的な意味で。

 自分のすべてを、大切な人に委ねることができた。

 その記念すべき瞬間を、璃奈は静かに――確かに、瞳に焼き付けたのだった。

 

「璃奈」

「うん」

 

 決意を込めた瞳で見つめてくる地藤を真っ直ぐに見つめ返す。

 彼は、非情に徹し――それでも隠しきれない痛みを滲ませながら、命令を下した。

 

「……あの赤い星を、撃ち落としてくれ」

「了解」

 

 死んで来てくれ。

 その命令を、璃奈は受諾した。

 

 魔弾の射手は不敵な笑みを浮かべて恋人に背を向け――

 

 一歩を踏み出した。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 舞台は、整った。

 

「さぁ、行くよ。十銀銃(クロス・シルバー)

 

 璃奈は己の祓魔器に呼びかけ、空を見上げた。

 災害そのものと化した血の大公が、今も力を放出しながら荒れ狂っている。

 赤黒い魔力を身に纏いながら暴れる大公は、地藤が評した通り、“赤い星”のようで――

 

()()()()()()()なんて、射手冥利に尽きるね」

 

 小さく、不敵に笑いながら、璃奈は十銀銃を高く構える。

 

「祓器――解放」

 

 嘗て、死王女との戦いで使用した祓器の解放。

 以前は璃奈がその扱いを習得しつつある近接形態への移行だったが、今回は違う。

 

「――狙撃形態、移行」

 

 彼女がまだ習得しきれていない、第三の形態。

 二丁の銀色の銃剣が、光に包まれて砕ける。

 銀片が空へと舞い上がり、霊力と混じり合いながら、新たな形を編み出していく。

 

 銃剣である必要は、ない。

 刃は、要らない。

 二丁である意味も、ない。

 手数など、必要としない。

 今、必要なのはただ一つ。

 

 一撃必殺――それだけだ。

 

 銀色の光が収まった時、璃奈の手には一丁の巨大な銃――まるで高出力の砲撃にも耐えるよう設計された、異形のライフルが握られていた。

 全長は彼女の身長に匹敵し、ずっしりとした砲身は極太で、放熱用の排気口が刻まれている。

 側面には大型のハンドグリップが備えられ、銀の文様が細やかに刻まれていた。

 装飾めいたスコープと、祓魔紋があしらわれた引き金が、これが確かに“祓魔器”であることを示している。

 それは――銃という形を取りながら、まるで聖堂の遺物のような、荘厳な存在感を放っていた。

 

穿光の砲陣(シルバー・バスティオン)

 

 顕現した十銀銃の第三形態。

 手にした銃は、もはや彼女の身体には過ぎるほどの質量を宿していた。

 璃奈はぎこちなく銃口を天へと掲げ、荒れ狂う大公を真っすぐに照準へ捉える。

 

「座標設定、砲台――固定!」

 

 巨躯の銃を単独で支えるには、璃奈の力だけでは到底足りない。

 引き金の根元から、数本の翡翠色のアンカーが撃ち出され、地面を穿ち、楔のように固定された。

 大地に刻まれる霊紋が、砲撃の暴走を封じ込めていく。

 

「霊力、充填開始」

 

 一つずつ、手順を口にしながら着実に工程を前に進めていく。

 これは璃奈自身も初めての試みであるが故に、万が一つも失敗は許されない。

 全ての作業は慎重に、しかし迅速に実行される必要がある。

 

「制御翼――展開」

 

 充填されていく霊力量に比例し、璃奈の身体が徐々に地面へと沈んでいく。

 押しかかる負荷で身体が押しつぶされるのを防ぐため、璃奈は背中から光の翼を放出させた。

 まるで空へ飛び立つロケットのように、魔力が放出される。

 このまま撃てば、狙撃の反動で璃奈は木っ端みじんになるだろう。

 それは既に覚悟の上だが、最後まで撃ちきれないのは困る。

 上と後ろから押しかかる圧力で身体がぺちゃんこになりそうになりながらも、しかし璃奈は一切ブレることなく、一射に集中し続ける。

 

「……」

 

 地藤は、必死に身に余る力を制御しようと試みる少女を後ろから見つめていた。

 本当であれば“悪魔の屁理屈”によってサポートしたいところだが、悪魔を討ち払う祓魔器と権能の相性はすこぶる悪い。

 ましてや、今回は一つのミスも許されない精密射撃である。

 彼が介入できる余地はなかった。

 

 故に、今の彼に出来ることは、ただ黙って後ろから見守ることであった。

 そして――

 

「ッ!」

 

 集中していた璃奈は、目を見開いた。

 固定砲台と化し、身動きが取れない彼女のもとへ嵐が迫っていたのだ。

 大公の破壊の規模が急速に広がりつつある中、発射までに時間を要するこの銃は絶望的に相性が悪い。

 璃奈は歯噛みした。どうする? 今撃つか? だが、これを外せば十銀銃の冷却に時間が掛かる。

 次は、もう――

 

「させるか――!」

 

 鋭く響いた叫びとともに、璃奈の背後から二つの霧が噴き上がる。

 黒と銀。互いに絡み合うように旋回し、襲いかかる魔力の嵐と正面からぶつかった。

 

 爆ぜる衝撃。迸る斬閃と、捻じ伏せる呪撃。

 黒霧から現れたのは、地藤優斗。不死の詭弁を纏い、鋭い眼差しで嵐を打ち払う。

 

「璃奈、気にせず集中して! 全部吹き飛ばしてやれ!」

 

 続けて銀霧を裂いて現れたのは霧島レイ。鋭く、一閃。

 魔力の奔流を切り裂きながら、その身体で璃奈を守るように立ちはだかる。

 

「お前の一撃こそがすべてだ。天羽……お前に、託す」

 

 その一言を残し、二人は再び霧となり、周囲に残る魔力を散らすようにして後方へと下がっていった。

 まるで彼女の背を守る双翼のように。

 

「優斗君……先輩……!」

 

 璃奈は歯を食いしばりながら、深く頷いた。

 

 さぁ、いよいよ大詰め。

 

 蓄積された璃奈の霊力は臨界点を超え、今にも炸裂せんとする脈動を放っていた。

 照準の先にあるのは、天に禍々しく浮かぶ“赤い星”。血の大公。

 ――見据える。

 

 そして、

 

穿光の砲陣(シルバー・バスティオン)――発射‼」

 

 その叫びとともに、璃奈は引き金を――引いた。

 直後、全身を貫く激烈なフィードバックが爆発する。

 神経を焼き尽くすような圧力。骨を軋ませる後方反動。

 

 もしアンカーで銃を地面に固定していなければ、もし制御翼がなければ、彼女の身体は一撃で四散していた。

 

 だがそれでも――撃った。

 放たれた魔弾は、翡翠色の極光となって雷鳴のような光と衝撃をまとい、迷宮に吹き荒れる嵐を真っ向から裂いていく。

 あらゆる魔力を断ち切り、空を砕きながら、一直線に。

 その矢は、璃奈の祈り、怒り、覚悟、すべてを載せていた。

 ――星を撃ち落とすための一撃だった。

 

『――……ッ……!』

 

 狂乱と化していた大公の双眸に、一瞬だけ“焦り”が浮かんだ。

 思考はもはや暴走していたはずなのに、生存本能はそれを見逃さなかった。

 咄嗟に振りかざされた手のひら。

 その掌から、赤黒い魔力の壁が瞬時に展開される。

 

 魔弾と魔盾、激突。

 翡翠と血の光が交錯し、空間が凄まじく歪んだ。

 轟音とともに、辺り一面に無数の霊力のひび割れが走る。

 最強の矛と、最硬の盾。

 

 互いの魔力が削り合い、世界がきしむような拮抗が生まれる。

 

「――っ……まだ、だっ!」

 

 渾身の力で撃ち続けながら、璃奈は唇を噛みしめる。

 霊力の消費はもはや尋常ではない。両手は痺れ、視界は白く瞬いていた。

 だが、極光はまだ燃えている。

 わずかずつ。ほんのわずかずつ――魔弾は盾を“削って”いた。

 

「まだ――やれるっ――!」

 

 だが、璃奈の目から光は消えない。

 この砲撃を制御している者として、直感していた。

 まだやれる。

 ここから踏ん張れば、きっと――あの盾は砕ける。

 

「制御翼、格納――リソースを全部、砲撃に回すッ!」

 

 元より捨て身の砲撃だ。

 狙いは術式が固定しているのだから、璃奈の身体を支える翼はもういらない。

 背中に展開していた制御翼を仕舞い、その霊力リソースを全て砲撃につぎ込む。

 新たな燃料を得た翡翠の極光が、雷鳴のごとく脈動し、空間を振動させた。

 

「――ぐぅ、うあっ……!」

 

 砲撃が増すたびに、反動もまた牙を剥く。

 どれだけ祓魔器が堅牢であっても、それを支える少女の肉体はただの“人間”だ。

 もし、これが彼女の母――天羽玲子であれば。

 祓魔器の力を操り、自身に“鎧”を纏わせ、防御と砲撃を両立していたかもしれない。

 だが、今の璃奈にはそれができない。

 

 “鎧”を編むための魔力すらも惜しんで、その全てを砲撃に費やしていく。

 いや、魔力だけではない。

 己の“命”そのものを燃料として投下していく。

 

 必然、守られることのない生身の彼女の身体は、燃えていた。

 生きながら燃やされる。

 それがどれほどの苦痛であるか。

 

 しかし、天羽璃奈は一切屈することなく、ただ己を焼く砲身を構え、空を睨み続ける。

 決して折れることのない、不屈の意思。

 

 身体がバラバラになろうとも構わない。

 この瞬間、自分の命が尽きても構わない。

 

 自分の心臓は彼の手の中にあるのだから――!

 

「貫けぇぇぇぇぇぇ!」

 

 渾身の想いを乗せて、少女は吠える。

 己の命、そのすべてを翡翠色の極光に託し、射出した一閃は――

 

 瞬間、鋭く――ピシリ、とひび割れる音が空を裂いた。

 

 血の大公が誇る赤黒の魔力障壁。

 絶対防御を謳うその魔盾に、わずかに走った歪みはやがて亀裂となり、断末魔のような音を立てて崩壊した。

 翡翠の魔弾が――砕いたのだ。

 

 ただ触れるだけで命を奪う嵐を乗り越え、空間の距離さえ意味をなさず。

 たった一発、少女の覚悟だけで放たれた祈りの弾丸が、ついに届いた。

 

『オオオオオオオオ――!』

 

 血の大公が、咆哮する。

 理性を失いながらも――否、だからこそむき出しの本能が叫んでいた。

 この一撃は、確かに“痛み”となって届いている。

 極光がもたらす濃密な霊力は、魔の性質そのものを焼き切る猛毒。

 大公は飛び退き、なおも燃え続ける魔弾の軌道から逃れようとする。

 だが遅い。

 

 砲弾の尾はなお伸び、彼の身を焼き、そのまま背後の空ごと穿ち抜いた。

 大地が揺れる。

 世界が割れたかと思うほどの、重く鈍い衝撃音が広間を覆い尽くす。

 そして――

 

「……フフッ……やった……」

 

 少女の声は、燃え尽きる火花のように微かで、穏やかだった。

 白煙をまとって崩れ落ちた璃奈の身体は、すでに限界を超えていた。

 皮膚は焼け焦げ、全身の内側は失われ、それでもなお撃ち抜いた。

 命を使いきる、その瞬間まで。

 ほんのわずかに笑ったその表情は、どこまでも満ち足りていた。

 ――静かだった。

 

 世界の音が遠のいていく中、彼女の胸にはもう、鼓動はなかった。 

 天羽璃奈は、安らかに目を閉じた。

 少女は、生を全うしたのだ。

 

 だが――。

 

「“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――! 蘇れ! 璃奈ッ‼」

 

 絶叫が、響いた。

 地藤優斗の手のひらにある“それ”が脈を打つ。

 世界が、抗うように揺らぎ始める。

 命が、再び呼び出される――

 

 ザーザー、と奇妙な線が世界に走り――

 

 次の瞬間、天羽璃奈はそこに立っていた。

 炎に灼かれ、霊力を絞り尽くしたはずの少女が、まるで何事もなかったかのように。

 無傷の状態で。

 ――が、すぐにその身体がふらつく。

 

「璃奈!」

 

 地藤は慌てて駆け寄って崩れ落ちる彼女を抱きとめた。

 

「あはは……ごめん、ちょっと、まだ疲れてるみたいで……」

 

 息も絶え絶えの声。

 けれど、その瞳は確かに光を宿していた。

 

「……うん。大丈夫。よく、やってくれたね。あとは――僕に任せて」

 

 優しく抱き上げ、壁際へと運び、ゆっくりと彼女をもたれさせる。

 その手は、どこまでも丁寧だった。

 璃奈が撃ち抜いた空へと、地藤はゆっくりと顔を上げる。

 

 血の大公は――未だに健在の様子だった。

 これでもまだ、仕留めるには至らないというのか。

 

 だが――決して無駄ではなかった。

 いや、無駄にさせるつもりなんてなかった。

 

 天羽璃奈が撃ち抜いた宙。

 そこには確かに亀裂が走っていて――この空間に穴を空けていた。

 

 これであれば、通じるはずだ。

 

 “悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――発動。

 

『この空間は、何人の侵入も阻む箱ではなくなった。だからこそ、通じるはずだ。()()にこの声は届くはずだ』

 

 大公の力が巨大であることは、既に分かっている。

 自分たちがどれほど死力を尽くそうとも、一手足りないことも理解している。

 これは根性論でどうにかなる話ではない。

 

 だから――

 

 足りないのならば、補えばいい。

 

 スッと息を吸い込む。

 そして、地藤は宙に向かって叫んだ。

 

 

 

「唯ちゃん! 助けてッ‼」

 

 

 

 恥も外聞もあるものか。

 恋人が命を懸けてこの空を穿ったのだ。

 であれば、自分も自分に出来ることをする。

 

 地藤優斗の声は、“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”の権能を通じて閉ざされた空間から放たれた。

 それは振動するように世界の狭間を滑り、現実の理を歪ませながら、ある一点へと届く――

 少女の耳へと、確かに。

 

 声を聞き届けた少女は、一瞬だけ静かに笑った。

 その笑みは、どこか呆れたようで、それでいて、どこまでも温かかった。

 そして、何も疑うことなく、その場から()()()

 

 “悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――発動。

 

『声が届いたのならば、居場所だって導き出せる。ならば、辿り着けるはずだ――彼女なら。』

 

 地藤優斗の第二の詭弁が、少女の道筋を織り上げていく。

 それは、隔絶された空間に道を開く虚構の論理。

 本来であれば、彼女ひとりでは決して辿り着けなかったはずの場所へ彼女を導いていく。

 

 やがて、彼女の眼のまえに未知の箱が出現した。

 微かに亀裂が走った、巨大な箱が。

 彼女は躊躇なく片手に黒剣を創り出して振り上げ――それを、振り下ろした。

 

 ――世界が、鳴いた。

 

 空に亀裂が走る。ビシリ、と砕けるような音が広間を引き裂いた。

 その傷口から、尋常ではない気配が滲み出す。

 密度。威圧。緊張。すべてが空気を震わせる。

 そして――

 

 天から、一滴の雫のように降りてきたのは、ひとりの少女だった。

 ゆるやかに降下しながら、その身は浮かんでいた。

 優雅で、静かで、それでいて――絶対的だった。

 

 宙を切り裂く黒。

 漆黒のドレスに包まれた肢体。

 燃えるような赤髪を風に靡かせながら、黄金と緋の二色に輝く双眸がゆっくりと持ち上がった。

 

 彼女は、宙に君臨していた。

 

 まるで天の使いのように。

 ――いや、悪魔のように。

 

「――やれやれ、全く。世話の焼ける人ですね」

 

 確かに聞き届けた声に応えるべく、別空間より馳せ参じた十六夜唯。

 遂に現れた最強の援軍は、呆れたような――

 

 だけど、ちょっと嬉しそうな声音で、そんなことを呟いた。

 

 

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