世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
その日、十六夜蓮は17歳の誕生日を迎えた。
大人に一歩近づいた記念すべきその日はしかし、生憎と厄日となった。それも、これまでの人生で最大の。
蓮は多くを望んだつもりはなかった。
ただ健やかに、何事もなく平和に。
自分と、妹が幸せに生きていくことが出来ればそれだけで幸せだった。
だから、仮にそれが神様からのプレゼントだとしても、十六夜蓮はこんな非日常を望んでなんかいなかったのだ。
「ハッ、ハッ、ハッ、……!」
酸素を求め、呼吸が荒くなる。酷使し続けている脚が今にも攣りそうだと悲鳴を上げている。それでも彼の足は止まらない。
時刻は深夜。
僅かな街灯が道路を照らす暗い夜道を十六夜蓮は必死に駆けていた。
出血が止まらない肩を押さえ、前だけを見て必死に硬いアスファルトの上を疾走する。
幼い頃から走り回ってばかりいて落ち着きがなかったと今は亡き父に言われていただけあり、蓮は運動部に属していないにも関わらずかなりの健脚の持ち主だ。
今も重傷を負いながら陸上部が見れば死ぬ気で勧誘しにくるレベルの速度で足を動かしているが、これが恐怖と生存本能によってドーピングされた火事場の馬鹿力であることは彼自身がよく理解していた。
余裕はないが、どこか客観的な視線を持つ蓮の理性は残酷な真実を告げる。
じきに自分の体力は尽きるだろう、と。
蓮はちらりとオレンジ色の支柱が特徴的な前方のカーブミラーを見た。
疾走する彼の背後。
そこには闇があった。夜の闇ではない。
もっと恐ろしく、おぞましく、この世にあってはならない闇だった。
『ニ……ゲナイデ、ヨ』
全身を覆う獣毛。山羊と狼を組み合わせたような歪な顔。黄金の瞳は爛々と輝きながら獲物を狙っている。
救いがほんの少しだけでもあるとすれば、そいつの脚はまだ人間のそれだったという点だけだろう。
バイト帰り、急に見知らぬ人間に話し掛けられ――かと思えば急に化け物に変身して攻撃された時は面食らったが、微かに人間の面影があるお陰でこうして逃げていられる。
だが――
(クソ! 長くは持たねぇぞ……!)
蓮自身が自覚している通り、彼の体力はもうそろそろ尽きてしまう。そうしたら最後、彼はあの理解不能の化け物に蹂躙され、容赦なく殺される。
相手にそう聞いたわけではないが――そもそも会話が可能かどうかも不明 だが――誰に説明されるでもなく蓮はそれを悟っていた。
確実に迫りくる死の予感を背中に感じつつ、蓮は余裕のない頭で、それでも願った。
あぁ、日常が崩壊するのであれば、事前に教えて欲しかった、と。
「ハッ、ハッ、ハッ……くそ!」
そして、彼の逃避行の終わりは等々に終わりを迎えた。
訳も分からないまま闇雲に走り回り、気が付いたら辿り着いていた広い公園。
ほんの少しだけ気が抜けてしまったのか。蓮は脚をもつれさせて転倒してしまった。
『アァ……オイツイタ。ソノ“シルシ”……クらいタイッ!』
(印、だと……?)
蓮に追いついた悪魔は涎を垂らしながら訳の分からないことを呟く。
こんな怪物の言葉に耳を貸すつもりなど毛頭なかった蓮だが、しかしやけに熱が籠っているように思えた“印”とやらには生憎と心当たりがあった。
胸に手を当てる。ドクンッ、と心臓の鼓動とは別に、今朝起きたら何故か胸に刻まれていた“印”が鼓動する。
『ヨコセェェェェェェ!!』
「やばっ⁉」
その鼓動を聞きつけたように、急に活性化した化物がその場から跳躍した。これまで見せてこなかった運動性能を前に蓮は動けない。
「うわあああああああああ」
何とか身体を捻って致命傷を避けることは出来たが、代償として左肩の肉を大きく持っていかれた。体験したことがない激痛に絶叫する。
この公園までは化物が比較的鈍足ということもあって何とか逃げ回れていたが、新たな傷を負った蓮に立ち上がって走りだす体力は残されていない。
彼は死ぬ。
ここで、訳も分からないままに化物に殺されてその命を終えることになる。
「――ざけんな」
口から零れ落ちる小さな反抗の言葉。
「ふざけんな!」
気迫のこもった声。
彼の目はまだ、死んでいない。
「こんなところで、終わって堪るか――!」
少年は叫ぶ。
彼の魂に共鳴するように輝きを増す印。
次の瞬間、公園に光の柱が顕現した。
その柱は悪魔を吹き飛ばし、天を貫く。
大地を揺らすほどの衝撃。
神に選ばれた印である“聖痕”が白色の光を発しながら輝く。
だが、一時は世界を塗り替えるほどに強烈だった光の柱はすぐに少年へと収束し、消えてなくなった。
「あ、れ……今のは……?」
瞬間的に途轍もない力を発揮した十六夜蓮だが、巨大な力も使い方を知らなければガラクタ同然だ。
重傷だったはずの傷が既に治癒していることにも気づかず、もう一度先程の力を出せないものかと身体のあちこちを触るが、そこへ悪魔が迫る。
先程の光の柱には肝を冷やしたが、本人は覚醒したばかりで力の使い方を知らないと見える。コイツを喰らうなら今しかない。
合理的な判断を下し、悪魔が疾走する。
再度迫る命の危機を前に、十六夜蓮は何とか先程の力を再現できないかと力を込める。が、何も起こらない。
(ヤ、バい……)
せっかく一度は危機を乗り越えたというのに、結局死ぬことになるのか。
十六夜蓮は悔しさに唇を噛みながら、それでも目を閉じてなるものかと悪魔を睨みつけ――突如飛来した翡翠色の光が悪魔を吹き飛ばした。
「えっ」
見るも鮮やかなその光の出所に目を向けると、そこには天使がいた。
「天羽、璃奈……」
天使のように美しい容貌を持つ学園のアイドルが銀色の銃を二丁持ち、その銃口を悪魔に向けている。
月光を浴びながら凛と佇む彼女の姿は美しいがしかし、どこか顔色が悪そうに見えるのは気のせいか。
彼女は吹き飛ばした悪魔を警戒しながらも銃口を下ろし、微かに微笑んだ。
「――こんばんは。いい夜ね、十六夜蓮君」
それが、彼の壮大な物語の始まりだった。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
「――始まったか」
始まったらどうなるんですか? と僕に尋ねてくれる声はない。
時刻は深夜。僕は恋人たちの聖地として知られる幾山の展望台から双眼鏡を手に下の公園を見下ろしていた。
双眼鏡の先では血だらけの男子高校生、十六夜蓮が地面に座り込んでおり、そんな彼に武器を持った女性、天羽璃奈が話しかけている様子が映っている。
先程までの悪魔との激戦を終え、一息ついているようだ。
僕は2人に気付かれる前に双眼鏡を下ろして撤収の準備を始めた。かなり距離は離れているが、2人とも人外じみた直感を持っているので、あまり見すぎているとすぐに気付かれかねない。
「……ひとまず、原作通りに始まって良かった」
双眼鏡をバッグの中に仕舞いながら一人呟く。先ほどの光景は原作で見た流れと全く一緒だった。しかし、大好きなゲームの伝説的な一幕をこの目に焼き付けることが出来たというのに、あまり感動はない。それはきっと、これから徐々に距離が近づいていくあの2人の未来に嫉妬したからで――
「最低だな、僕は」
どうしようもない自分を自嘲しながら重いバッグを持ち上げる。中には双眼鏡だけではなく、最悪の事態を想定した念の為の道具が幾つか入っているが、出番がなかったようで何よりだ。
深夜、眠い身体に鞭打って山道を疾走する。
今頃、あの2人は状況を整理するために天羽璃奈の自宅で話し合いをするために移動しているところだろう。
流石にそちらまで見に行くつもりはない。天羽の家の結界を素人の僕が潜り抜けられるとは思わないし、この行為も行き過ぎるとただのストーカーだ。(既にそうなっているというツッコミは受け付けていない)
天羽璃奈の説明を受けた十六夜蓮は何とも羨ましいことにその日は彼女の家に泊めてもらえることとなり(もちろん何も起きない)、そうして序章は終了して第一章へ突入となる。
基本、この序章は十六夜蓮が怪我を負う展開はあるものの、それ以外に特筆すべき点はない。
さらに、先ほど見届けたように天羽璃奈も現場に駆けつけてくれるし、彼が負った傷も聖痕の覚醒に伴ってすぐに回復するので、最終的な死傷者は0人という、この物語で唯一の平和(?)な回だ。
「問題はこれからだな……」
序章を終えた先で待ち受ける過酷な展開。
その中で十六夜蓮を始めとし、主要な登場人物は心と体に大きな傷を負っていく。
さらに、そんな中でも一つ選択肢を間違えると簡単にバッドエンドへ直行ときた。
十六夜蓮には慎重に立ち回り、どうにか正しい選択肢を選んでもらう必要がある。
しかし、正しい選択肢を選ぶと言っても彼は全てを知っているプレイヤーに操られる存在ではない。ただでさえ初見で正解を選ぶことが難しい鬼畜ゲームだというのに、パーフェクト対応をすることは難しいだろう。
そこで、僕の出番というわけだ。
何も力がないモブAの分際ではあるが、天羽璃奈に別れを告げた日に決意した通り、十六夜蓮に正しい選択肢を選んでもらうために助力は惜しまないつもりだ。
「……それも、分不相応な話なんだろうけどね」
だが、それでもやり遂げて見せる。
世界の為に、天羽璃奈の為に、そして自分の為に。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
翌日。
天羽璃奈は真剣な表情で授業を受けているように見えてその実、自席で物思いにふけっていた。
(十六夜蓮君、か……)
考えているのは昨夜の出来事。悪魔の気配を察知し、急ぎ現場に駆け付けたところ、そこにいたのは中級の悪魔と、膨大な霊力を発する同じ学校の男子生徒。
状況を掴めずに困惑しながらも天羽は少年、十六夜蓮と協力しながら悪魔を撃破。
その後、十六夜蓮の自宅にお邪魔し、少しだけ悪魔たちについて説明してから彼の自宅に結界を張って天羽は帰宅した。
夜も遅く、他にも悪魔が徘徊している可能性もあったため、以前までの天羽であれば気軽に――誰もいない孤独な――家に招き入れてそのまま泊まらせていただろう。
だが、そうすることが
見知らぬ異性を自分の家に招き入れることに抵抗があったのだ。
まるで、誰かに貞操を立てているような――そこまで考えて、天羽は顔を覆った。
誰に操を立てるというのだ。そんな相手いないというのに。
自分は振られたのだ。
女々しいにも程がある。
だが、こうして他に考えるべきことがあるというのに、気を抜けば彼の顔が浮かんでくる。
真っすぐに天羽を見つめる真剣な瞳。
恥ずかしそうに、不器用に浮かべられる笑顔。
そして、苦しそうな表情で告げられた別れの言葉。
ズキン、と胸が痛む。
強い吐き気に襲われるが、そもそも最近は碌に食事もとれていないので、出すものがない。
(いけない……今は、十六夜蓮君のことを考えないと)
気合いで衝動をねじ伏せ、天羽は現実逃避のように思考を無理やり切り替えた。
改めて昨夜の出来事を思い返す。
(あの力は異常そのものだった……)
エクソシストの中でも霊力が多い方である天羽だが、そんな彼女を戦慄させるほどの霊力の奔流。
決して言うつもりはないが、天羽は最初、反射的に悪魔ではなく十六夜蓮に武器を向けかけていた。
(しかも、17歳で“聖痕”が現れるなんて聞いたことないわ……)
“聖痕”は通常、生まれた瞬間から発現するものだ。
後天的に得られるものではないため、正しく選ばれし者のための印といえる。
生まれたその瞬間からエクソシストとして生きていくことを義務付けられた天羽にとって、十六夜蓮はイレギュラーそのものだった。
(おまけに悪魔のこともほとんど知らないだなんて……大丈夫かな?)
日夜悪魔と戦うエクソシストの世界は排他的で冷たい世界だ。
業界柄、どうしても隠し事が多くなってしまうこと、そして適性を持つ者が少ないことも拍車を掛けたのだろう。
人類の敵を前にそんなことをしている場合かと言いたくなるような醜い大人の世界がそこには広がっている。
だからこそ、天羽璃奈はエクソシストとしては異端といえる人物であった。
合理的な最適解を導き出せる頭脳を有しているくせに、感情に突き動かされて甘い判断をする。
小を切り捨て、大を救うことが当たり前の世界の中で、小さな助けの声に耳を傾け、手を差し伸べる。
現に、どこからどう見ても厄介ごとに巻き込んでくれそうな危険人物に対してどう手を貸すべきか考えている始末だ。
それは彼女の長所であり――同時に、エクソシストとしては急所であった。
(機関に報告すべきかな? ……いや、絶対碌な扱いを受けない。せめて常識を身に着けるまでは外に知らせちゃダメね)
どこから手を付けたらいいものか。
璃奈は机の上で頭を抱えた。
いつも背筋をピンと立てている優等生の珍しい姿にクラスメートたちがギョッとしているが、気にする余裕はない。それくらいに彼女は困っていた。
(こういう時、優斗君ならどうするのかな……)
困った時、頭に思い浮かぶのはあの人の顔。
天羽はすぐにいけないと頭を振った。
(私は……振られたんだから……)
彼に振られてから既に一週間が経過した。
だが、未だに彼女の心は立ち直ることが出来ていない。
それどころか、自分が失ったものの大きさに気が付いて、傷口はじくじくと広がっていく一方だ。
(私は……負けたんだ)
思い出すのは数日前、校舎裏で目撃したあの光景。
天羽の最愛の人と、彼に寄り添うようにして立っていた謎の美少女。
後日、友人の力を借りて美少女の正体が一つ上の先輩である如月メフィラであることまでは突き止めたが、気まぐれに登校してくる不良生徒らしく、詳細な情報は手に入らなかった。
もちろん、2人の関係性についても不明だ。
2人が天羽と地藤が付き合っている時から関係があったとすれば、地藤が天羽に別れを切り出した理由も分かる。……あくまでも分かるだけで納得なんて出来ないが。
(……でも、それって本当に……?)
しかし、気になるのは地藤の反応だ。
泣きそうになりながら絞り出した天羽の問いに対し、彼は酷く動揺しながら咄嗟に如月メフィラとの関係を否定した。
その後、再度突き放されたものの、天羽の心にはあの時の彼の反応が焼き付いている。
地藤優斗は嘘が下手な人間だ。本人は得意だと言っていたが、本当に下手くそだ。天羽は自分のことを冷酷だと勘違いしている彼が妙に可愛くて指摘したことはないが、嘘をついた時にはすぐに見抜くことが出来る。
だからこそ、天羽は分からないのだ。
表面上の理由で天羽を遠ざける理由が。
あの女性を――優斗自身も疎ましく思っていそうな、如月メフィラとの関係に踏み込まないように天羽を突き放すのかが。
せめて話をさせてほしい。
彼が抱えている本心を教えて欲しい。
でなければ、とてもではないが諦めることなんて出来ない。
(こうなったら、無理やりにでも――)
狂い始めた天羽の思考回路が危ない方向へ舵を切り始める。しかし幸いにもというべきか。彼女の思考は強制的に中断させられることになる。
「天羽璃奈ッ!」
教室に飛び込んできた一人の男によって。
「十六夜蓮……君?」
先程まで考えていた(中盤以降は殆ど元彼のことだが……)イレギュラーに大声で名前を呼ばれ、天羽は困惑しながらもギリギリ君付けをすることに成功する。だが、彼からすればそんなことはどうでもいいのだろう。
息を切らしながらずんずんと教室に入って来る。天羽の目の前までやって来る。授業中だというのに周りの目を気にする様子は一切見られない。
そして、彼は大きな声で要件を告げた。
「俺と一緒に来てくれ――!」
祈るような眼と、懇願するような声。
その眼を見た瞬間、自分の恋の行方であれこれと悩んでいた天羽の思考回路は完全に切り替わった。
クラスメートたちの誤解を解くのに凄まじい時間と労力が掛かることを予感しながら、迷う素振りすら見せずに彼女は即答した。
「分かったわ。とりあえず、走りながら話を聞かせて」
救いの声に差し伸べる手を。
彼女は、助けを求める声を無視することをしない。
目に見える全てを救う。
あの日、魂にそう誓ったのだから――