世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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大変長らくお待たせいたしました。
第二章もいよいよクライマックスです。


第40話:最終決戦

 十六夜唯。

 死王女をその身に宿したこの世界でも最強格の少女。

 別空間にて万を超える亡者に歓迎を受けていた少女が今、無傷で迷宮の広間に合流した。

 

「唯ちゃん!」

 

 この少女がここまで頼もしく見えるなんて――! 

 地藤は思わず喜色に満ちた声を上げた。

 

「フン。だらしなく顔を緩めて……勘違いしてもらっては困るので先に言っておきますが、私は飽くまでも気に食わない大公をぶち殺すために来ただけであって――」

「ッ! 唯ちゃん! 後ろだ!」

 

 いつも通り、ツンデレ全開で言い訳を述べる唯を生暖かい目で見守っていた地藤だったが、彼女の背後に迫っていた影を見て、急ぎ警告の声を発した。

 

「見えていますよ」

 

 振り返りもせず、唯は右手をかざすだけで拳を受け止めた。

 鉄塊のような質量を誇るその一撃を、わずかに靴音が鳴っただけで受け止めたのだ。

 

「……元から気に食わない男ではありましたが、随分と格好がつかなくなりましたね。血の大公」

『オオオオオ――!』

「ところで、あなた――」

 

 赤い瞳には獰猛な輝きが宿る。

 彼女が見ているのは、大公が傍に置いている繭の中に包まれた――少年の姿。

 

「――私の兄に、何をしているのです?」

 

 彼女の全身から強大な魔力が発せられる。

 本能で格の差を悟ったのか、思わず空中で後退る大公だが、それよりも早く、彼女の指先は不遜な悪魔を指さしていた。

 

死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 空気が凍るような魔力の放出とともに、黒の一閃が奔った。

 逃げる間もなく、魔術は大公を真正面から打ち抜いた。

 巨大な体が宙を舞い、虫けらのように吹き飛ぶ。

 

 唯はもう、大公を見てもいなかった。

 落ちていた繭へと静かに手を伸ばし、兄をその腕でゆっくりと下ろす。

 

「大丈夫ですか? 兄さん」

「……」

 

 心配そうに尋ねるが、瞳をつぶったままの彼は答えない。

 しかし、その胸がゆっくりと上下しているのを見た唯は、安心したように微笑んだ。

 

「この状況で寝ているとは、相変わらず図太い人ですね……もう少し、空気を読んでくれるようになると、ありがたいのですが」

 

 呆れたように言いながら、唯は兄の周りに強力な結界を張ってから立ち上がった。

 

「さて、と。それでは――さっさと終わらせますか」

 

 これより始まるのは、戦いなどではない。

 一方的な虐殺だ。

 兄に向けていたものとは全く異なる、氷のように冷徹な目で唯は吹き飛ばした大公を睨みつけた。

 

死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 触れるもの全てを死滅させる、死王女の権能が迸る。

 放たれた死の魔術が、瓦礫の山から立ち上がろうとしていた大公に直撃した。

 堪らず吹き飛ばされ、大公は再び瓦礫の山に沈む。

 これで決着はついた。

 

 終わらせるべき者を終わらせた唯は何の感慨もなく地藤の方へ振り向いてドヤ顔を披露し――

 

『オオオオオ――!』

「むっ?」

 

 背後から聞こえてきた雄叫び声に首を傾げた。

 今の一撃は間違いなく直撃だったはずだ。しかし、何故か大公は死んでいない。

 それどころか、益々力を増しているような――

 

「ッ! 唯ちゃん!」

 

 次の瞬間、瓦礫の山を消し飛ばし、大公は地面を蹴って跳躍した。

 これまでも十分に速かったが、それをさらに上回るような速度。

 

「小癪な――!」

 

 十六夜唯は歯噛みをしつつ、咄嗟に盾を展開した。

 璃奈では傷一つ付けられなかった強固な防御術式が展開される。

 だが――

 

「きゃあ――⁉」

 

 パリン、と硝子が割れたような涼やかな音と共に、彼女が展開した盾は呆気なく、大公の蹴りによって粉砕された。

 圧倒的な力こそ有しているものの、十六夜唯は格闘戦の心得などないただの少女だ。

 本能的に腕を掲げてガードこそしたものの、蹴りの衝撃を完全に殺すことは出来ないまま吹き飛ばされた。

 

「馬鹿な――⁉」

 

 地藤優斗の顔に、明確に焦りが生じていた。

 全盛期から遥かに力が劣っているとはいえ、あの四騎士が一角、死王女の力を宿している少女が呆気なく吹き飛ばされるなど、想定外にも程がある。

 

「唯ちゃん!」

 

 地藤は慌てて吹き飛ばされた唯の元まで駆け寄った。

 

「やってくれましたね……!」

 

 この程度で死王女を宿した少女がくたばるはずもなく、十六夜唯は怒り心頭の様子で瓦礫の山を吹き飛ばして現れた。

 当然のように無傷だ。

 ただ、大いにプライドが傷つけられたらしい。

 青筋を立てながら、獣のような呻き声を上げている大公を睨みつけている。

 地藤は油断なく大公の動向を見ながら、彼女に尋ねた。

 

「唯ちゃん。さっきは油断していたの?」

「……私を馬鹿にしているんですか?」

 

 不機嫌そうな返答。地藤は慌てて首を横に振った。

 

「いいや、違う。()()()()()()()

 

 軽々と唯を吹き飛ばした大公を見ながら、懸念事項を口にする。

 

「大公が四騎士の本気をも凌駕する力を持っているなら、色々と考え直さないといけないからね」

「……少なくとも、油断はしていませんでした。ただ――」

 

 唯は己の掌を見つめた。

 

「どうにも、調子がよくありません。先程、別空間でメフィラの能力による妨害を受けていましたが、それを引きずっているようです」

「あのクソ悪魔、余計なことを……」

 

 相変わらず、碌なことをしない悪魔の鑑のような女の顔が脳裏に浮かび、思わずため息が漏れる。

 

「それに、大公ですが……私の勘違いでなければ、急に力が増した印象を受けました。もしかしたら、私を閉じ込めていた空間のリソースをそのまま自分に還元しているのかもしれません」

「なるほど。だから、唯ちゃんに掛けられていた“悪魔の屁理屈”による嫌がらせも引き継がれている――ってところか」

 

 十六夜唯は悔しそうに頷いた。

 

 さて、どうするべきか。

 死王女&唯は間違いなく強力な援軍だが、メフィラに仕掛けられた弱体化の影響から抜け切れていない。

 それは、死の魔術で大公を仕留めきれていないことからも明らかだ。

 

 であれば――

 

「総攻撃、しかないか」

 

 幸いにも璃奈の一撃と、十六夜唯の登場で厄介な嵐は消し飛ばされた。

 今の大公になら、肉弾戦を挑めるはずだ。

 

「ここは、皆で力を合わせて――」

『オオオオオオオオオ――』

「ッ! しつこい奴だな!」

 

 雄叫び声が響き渡り、唯と相談をしていた地藤は顔を上げた。

 大きく頭上に跳躍した巨体。

 質量と赤黒い魔力を身に纏いながら、大公がこちらへ落下してきていた。

 有り余るパワーで二人を押し潰すつもりだろう。

 させてなるものか――と唯が人差し指を掲げ、地藤が剣を振りかぶる。

 

「私の主に手出しはさせん――!」

 

 突如、銀色の霧が横殴りに大公へ衝突した。

 空中で絡み合った両者はそのまま地上へ落下し、近接戦へと移行する。

 

「霧島先輩!」

 

 思わず喜色の声を上げた地藤とは裏腹に、唯は怪訝な表情で首を傾げた。

 

「“主”? すいません、先輩。主ってどういう意味――」

「ナイスです! 霧島先輩! その調子でお願いします!」

「ちょっと、聞いていますか? あの銀色の先輩の言う“主”ってどういう経緯で――」

 

 銀霧となった霧島レイは、全身から魔力を放出しながら果敢に大公に立ち向かっていく。近接戦であればこの中で最も戦闘能力が高いのは彼女だ。

 確かな技量で振るわれる剣が大公を押し込んでいく。

 大公が理性を失っていることも彼女にとっては有利に働いたのだろう。

 理にかなった素早い動きで翻弄するレイに対し、本能で暴れるだけの大公はやりづらそうに顔を顰めている。

 

 ――が、もとより隔絶したパワーの差がある二人だ。

 

 敏捷性を武器に駆け回るレイを鬱陶しく思った大公は、怒りの声と共に大きく魔力を解放した。

 思わず動きを止められるレイ。

 その隙を見逃さず、大公は全力で彼女を殴り飛ばした。

 

「先輩!」

 

 回避が間に合わず、吹き飛ばされていくレイ。

 厄介な少女が消えて大公に余裕が生まれる。

 

 赤黒い魔力が収束していく。

 思い切り力を貯め込んだ大公は、先ほどと同じように魔力の嵐を引き起こそうとして――

 

「唯ちゃん! あれを止めて!」

「……あとで、きっちり聞かせてもらいますからね?」

 

 不満そうに人差し指を突き出す十六夜唯。

 

死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 再び放たれた死の魔術が命中し、大公の嵐は発動する前に霧散した。

 弱体化していようとも流石は死王女と言うべきか。

 その力は健在のようだ。

 

「流石は唯ちゃん!」

「ふふん。この程度で驚かれては困りますね。私の本気はこんなものでは――」

「ッ! 唯ちゃん! ごめん――!」

「えっ、きゃあ――⁉」

 

 地藤は、大公が死の魔術を受けながらも即座に立ち上がったのを確認すると、即座に黒霧へと変じ、十六夜唯を腕の中に抱きかかえてその場から離脱した。

 直後、二人が立っていた場所に、血の斬撃が叩きつけられる。地面には巨大な爪痕が残り、空間すら歪んだ。

 

「……まずいな。さっきより火力が上がってる」

「ちょ、ちょっと! いきなり何するんですか⁉ この霧、何なんですか⁉ それに目が……赤いし……先輩、大丈夫なんですか⁉」

 

 地藤が霧化を解き、実体に戻る。顔には冷や汗が浮かび、大公の強化された一撃に思わず眉をひそめる。

 一方、姫抱っこの姿勢のままの唯は、頬を真っ赤に染め、驚きと困惑と心配と――全部乗せの百面相を展開中だった。

 騒がしいにも程がある、と内心で苦笑しつつ、地藤はひと言だけ返す。

 

「ごめん。説明はあとで」

「……もう、あなたは本当に、いつも忙しない方ですね」

「人気者だからね」

「……笑えません」

「冗談じゃないんだけど――ねっ」

 

 軽口を交わしながら、地藤は再び黒霧と化して空へと舞い上がる。

 本能で唯の危険性を察したのか、大公は執拗に彼女を狙い、追いすがってくる。

 

「しつこい男は嫌われますよ? ――死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 唯が霧の中から魔術を放つ。

 地藤が高速で移動を担い、唯が狙撃と魔力制御に集中――まさに連携の理想形だった。

 

「そらそら! いくら強化されたからって、私の魔術を十発以上受けて無事でいられると思わないことですねッ!」

 

 連続で放たれる死の魔術。唯は上機嫌に笑いながら、降り注ぐように魔術を打ち込んでいく。

 不機嫌そうな唸り声を上げる大公。魔術の波状攻撃に対し、まるで反撃の糸口が掴めない。

 

『オオオオオオ――!』

 

 業を煮やした大公は、戦力の再配置に踏み切る。

 その咆哮に呼応し、数百――数千、いや、数万の亡者たちが次々と空間に召喚されていく。

 

『こ、これは……⁉』

「……チッ。あの空間から、亡者ごと繋ぎ直したようですね。私を閉じ込めていた場所――廃棄して、こっちに全部回した」

 

 舌打ちしながら状況を分析する唯。

 地藤は黒霧の中で顔を顰めた。

 

『唯ちゃん! こいつらを何とかして!』

「なんとも大雑把なお願いですね……ただ、鬱陶しいことに違いはありません。露払いくらいはして差し上げましょう」

 

 霧の中で唯は軽く腕を振るう。

 その瞬間、飛び回る黒霧の周りに黒剣が出現した。

  “死”の権能が付与された無数の剣群。

 

死王女の乱舞(モル・ヴェラ)

 

 女王の命を受け、剣群たちが解き放たれる。

 竜、巨人、地上の亡者たち。

 剣を主の命令通り、次々と不遜なる亡者たちを射抜いていく。

 急所を貫かなくとも、剣が触れただけで“死”の権能が発動し、対象を消滅させていく。

 流石は死王女の権能である。

 

 だが――

 

『流石に数が多すぎるか……!』

 

 如何に死王女の力が強力と言えども、地上を埋め尽くす軍勢の数は尋常ではない。

 さらに、地藤たちの強みであった空中にも先程の竜たちが数えるのも億劫になるほど飛び回っており、どちらの陣営に制空権があるかは一目瞭然であった。

 

「キリがありませんね……先輩! 私は大公を倒してきます! その間、兄さんを保護しておいてください!」

「ちょっと唯ちゃん! ここは一緒に戦わないと――」

「任せましたからね! お願いしますよ!」

 

 好き勝手に要求を押し付け、唯は黒霧の中から飛び出し、宙を飛翔して大公へと突進していった。

 

「全く! 相変わらず猪突猛進だな……!」

 

 地藤は毒づきながら、しかし唯の指示した作戦が理にかなっていることを理解しているが故に、黒霧のまま飛翔する。

 例え弱体化していようとも、この中で最も戦闘能力が高いのは唯だ。

 大公の相手は彼女一人に任せて、最も大公に回収されてはまずい十六夜蓮を保護することが地藤の仕事だろう。

 

 地藤は黒霧の姿で飛翔しながら、亡者が一際密集する一角へ目を凝らす。

 その隙間に、微かに赤い結界が揺れているのを見つけた。

 

「そこか――!」

 

 そのまま突進。一気に霧が裂け、爆風のように亡者たちが吹き飛ぶ。

 中にいたのは――意識を失った十六夜蓮。

 死王女の結界に守られ、傷はない。だが、いつ破られてもおかしくない状況だった。

 

「クソっ! 数ばかり増えやがって……!」

 

 地上に降り立ち、蓮を抱えて飛び立とうとする地藤。

 だが、四方を囲む亡者の壁に阻まれ、動きが封じられる。

 腕が伸びる。

 振り下ろされた剣が首を跳ね、逆手に構えた刃が後方の敵を貫く。

 

「キリがないな……!」

 

 連戦で疲弊した身体に、無数の亡者が容赦なく襲いかかる。

 唯と大公の方へ視線を向けるが、彼女もまた群れに包囲されている。

 

 このままではジリ貧だ。

 チラリと視線を向けるが、十六夜蓮が目を覚ましそうな気配はない。

 

(クソ! こんな時にこそ主人公の力が必要だってのに……!)

 

 脳裏に浮かぶのは、原作の光景。

 輝けるあの立ち姿。

 地藤は、今でも十六夜蓮こそが最強のエクソシストであると信じていた。

 清廉潔白で、勇敢で、誰よりも強い心を持つ少年。

 

 彼であれば天羽璃奈を託せると思って――間違いを犯した。

 今でもあの瞬間を思い出すと、己の馬鹿さ加減に腹が立つが……それでも、地藤は断言できる。

 あの選択をしたのは、他ならぬ“十六夜蓮”が主人公だったからだ、と。

 

 それくらいに、地藤はこの少年のことを尊敬していた。

 信じていた。

 

 だからこそ――

 

「……蓮君!」

 

 結界に罅が走る音。

 咄嗟に投げた剣が亡者の頭を撃ち抜き、続けざまに群れへ突進してなぎ払う。

 

 ――この状況は、看過できない。

 

 亡者の群れを蹴散らしながら、乱暴にその名を呼ぶ。

 

「……蓮!」

 

 群れが一斉に押し寄せる。

 地藤は黒霧を展開し、波のような猛攻を一時的に押し戻す。

 

「……十六夜……蓮ッ!」

 

 吠える。

 己の武器である剣を構え、地藤はさらに息を吸い込んで――

 

「お前、いつまで寝てんだッ!」

 

 この世界の主人公に喝を入れた。

 波の先頭に剣を投げ爆破、剣を再召喚して突進。

 亡者の群れを斬り裂きながら、必死に蓮を守る壁となる。

 

「起きて、戦ってくれよッ!」

 

 それでも数は減らず、防ぎきれない敵が結界へと迫る。

 地藤は剣を投げて再び爆破させ、強引に食い止めた――

 だがその瞬間、背後から刃が突き刺さる。

 

「ッ……分かってるさ。君の力が目覚めてないのも、きっと僕のせいだ……! でも、それでも――」

 

 殴打、斬撃、蹴り。

 視界が滲む中、それでも彼は叫び続ける。

 

 状況は絶望的だ。既に、地藤だけの力ではどうにもひっくり返せそうにない。

 だが――

 こんなどうしようもない状況下でも立ち上がっていたのが、地藤のヒーローだったはず。

 

 だから、地藤は精いっぱい声を張り上げる。

 助けを求めるのには慣れている。

 せめて、声は届いて欲しいと願って、ヒーローの名を呼ぶ。

 

「君の力が必要なんだよッ! だから――」

 

 ピクリ、と手が動く。

 閉じられていた瞼がゆっくりと持ち上げられる。

 

「立ってくれ! 十六夜蓮! じゃなきゃ――」

 

 もうここまできたら、ヤケクソだ。

 地藤は大声で、稀代のシスコンに向かって宣告した。

 

「お前の妹、取っちゃうからなッ!」

 

 殺到した亡者たちが地藤の髪を引っ張る。

 その瞳を抉ろうと手を伸ばす。

 既に満身創痍の彼を、バラバラに引き裂こうとする。

 

 

 

 

 

「――それは、困るな」

 

 

 

 

 

 刹那、蒼が爆ぜた。

 赤黒に染まった戦場に、一条の蒼雷が垂直に立ち昇る。

 死王女の結界を内側から破り、亡者の群れを一掃する、爆発的な霊力の柱。

 まるで、天と地を貫く祝福の光。

 その中心にいたのは――少年だった。

 

 瞳は、澄み渡った蒼穹のよう。

 

 執着を持ち、やがてそれが叶わぬ願いであると知って絶望し――発破をかけられて立ち上がる。

 少年の人間らしい心の起伏に反応し、遂にそれは目覚めた。

 

 十六夜蓮は導かれるように手を前に突き出し、己の中に眠る剣を呼んだ。

 

巨いなる銀の剣(クラレント・ソレス)

 

 その名が呼ばれた瞬間、青い霊力がより一層輝きを増す。

 輝きが収束した時、そこには巨大な剣があった。

 全長は十六夜蓮の身長程もあり、まさしく巨剣という他ない。

 細かな紋章が刻まれた巨大な刀身に、横に伸びた鍔。

 全体で見ると、巨大な十字架のように見える巨剣を肩に担ぎ、英雄はその輝かしい魂を誇示するように、そこに佇んでいた。

 

『オオオオオオオオオ――』

 

 本能で危険を察した大公が咆哮し、狂ったように突進する。

 

「兄さんッ!」

 

 唯の悲鳴に応えるように、蓮はゆっくりと微笑んだ。

 どこまでも静かで、優しく――そして、絶対的な自信に満ちていた。

 

 蓮は両手で柄を握りしめ、銀の剣を高く振りかぶる。 

 振り下ろされた瞬間、空が引き裂かれた。

 蒼い光が疾駆し、地を這うように斬撃が飛ぶ。

 

 ――そして、大公を穿った。

 

『ガァ……アアアアッ……⁉』

 

 悲鳴にも似た声が戦場に響く。

 だが、苦しみは一時のものだった。

 

 灼熱のように渦巻いていた赤黒い魔力が、次第に鎮まり始める。

 暴走していた大公の理性が、静かに沈殿するように戻っていく。

 

「こ……これは、何だ……」

 

 暴風そのものと化していた本能が鎮まり――沈黙していた“理性”が回帰する。

 思考回路を取り戻した大公は困惑した表情で己の身体を見下ろした。

 圧倒的な力は健在だが、理性だけが元に戻っている。

 

「お久しぶりですね、大公。ようやくお目覚めですか」

「小僧、貴様……何をした⁉」

「僕が何かをしたわけではありません。これは――彼の仕業です」

 

 地藤が視線を向けた先では、十六夜蓮が「なにこの剣⁉」と急に出現した巨大な剣を驚いた目で見つめている。

 あれは使い手本人ですら理解しきれていない、世界で最も厄介な“神の剣”。

 狂気を制し、魔を正す――“慈悲”の象徴。

 地藤は、これまで何度も原作で見た最強の剣がついに現実に目覚めたことを知り、安堵の笑みを浮かべていた。

 

「――礼を言いますよ、大公。貴方のお陰で、世界は救われそうだ」

 

 それは、最大級の皮肉と、最上級の“煽り”だった。

 あの剣――異常そのものの代物。

 その力を、目覚めさせたきっかけが、自分だと……?

 

 大公の顔は、怒りで真っ赤に染まる。

 

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 怒りに身を任せ、大公はその腕を振るった。

 地藤に迫りくる血の斬撃。

 ご丁寧に霧化を解除する魔術が組み込まれたその一撃を、しかし地藤は躱そうとはしなかった。

 何故なら、十六夜蓮渾身の一撃によって切り開かれた道から、こちらへ疾走する二つの影が見えていたから。

 

「優斗君に――」

「――何をする」

 

 翡翠色の閃光が迸り、銀色の風が吹いた。

 銃撃と、斬撃。

 二つの力が血の斬撃を消し飛ばした。

 

「璃奈! 体調はもう大丈夫なの?」

「うん。時間を貰えたから、すっかり回復できたよ」

 

 晴れやかな表情で銃を構える璃奈。

 

「霧島先輩も、無事なようで何よりです」

「私は死なないさ。お前に心臓を預けているからな」

「……私も預けているんだけどね」

 

 レイが美しい微笑を浮かべれば、対抗するように横から割って入って来る怖い顔の璃奈。

 二人から湿度が高い視線を向けられ、地藤は乾いた笑い声をあげた。

 まぁ、何はともあれ、こうして無事に合流できたことは何よりだ。

 彼女たちが言う通り、心臓は地藤が持っているので璃奈たちが死ぬことはもうないのだが、それでも無事な姿を見れば安心できるというもの。

 地藤は安堵した笑みを浮かべて――

 

「ところで優斗君、さっきの妹を取る発言――なに?」

「それは私も気になったな。アレは一体何なのだ?」

「いや、それはその――」

 

 かと思えば、急に仲良くなったように手を組んで二人揃って絶対零度の視線を向けてくる。

 地藤は汗を掻きながら必死に弁明を考えて明後日の方向を見る。

 

「大変そうだな、地藤」

 

 騒がしい三人に、呆れたような声が掛けられた。

 救世主の存在を感知し、地藤はこれ幸いと振り返る。

 思わずにやけそうになる自分を律しながら、地藤は不機嫌そうな表情を作った。

 

「……他人事だからって、呑気なもんだね。蓮君」

「そりゃあ、他人事だからな。それから、さっき呼び捨てにしてただろ? 無理しなくていいぜ。俺も優斗って呼ぶからさ」

「そ、そう? じゃあ、遠慮なく……蓮」

 

 青い霊力を身に纏い、大剣を担ぐ彼の姿は自信に満ちていて、精悍そのものだ。

 正に、地藤が知っている“英雄”の姿。

 原作ガチ勢の地藤は感動で泣きそうになっていた。

 おまけに名前まで呼ばせてもらえるという。感涙ものだった。

 ――美女二人の怪訝な視線が突き刺さっていたので、余計なリアクションを取ることができず、胡散臭い笑顔を固定することしかできなかったが。

 

「ちょっと兄さん! これは一体どういうことなんですか――⁉」

 

 そんな兄の急な変化についていけていない妹の怒号が響き渡る。

 のしのしと怒り心頭の足取りで飛んできた唯は、変貌した兄に向って牙を剥いた。

 

「おぉ! 唯!」

「おぉ、唯――じゃないんですよ! 何ですか! この馬鹿デカい剣は! 急に霊力も放出し始めていますし、一体何があったというんです⁉」

「えっと、まぁ……色々、かな」

 

 チラリ、と蓮の視線が天羽璃奈と地藤優斗に向けられる。

 璃奈は地藤を見つめていたのでその視線には気が付かず、地藤はその視線を静かに受け止めて――唯は不機嫌そうに顔を歪めた。

 

「まぁ、何はともあれ、こんなデカい剣も来てくれたことだし、ここからは俺も戦うよ」

「ッ! 兄さんが戦う必要なんてありません! あんな雑魚、私一人で――」

「唯」

 

 静かに妹を呼ぶ声。

 青い瞳の中で強靭な意志が渦巻く。

 十六夜蓮は決意を胸に懇願するように言った。

 

「俺にも、お前を守らせてくれ」

「っ……」

 

 ズルい。

 唯は唇を噛み締めながら俯いた。

 ずっと兄を守っていくつもりだった。これまで守られてきた恩返しをしたくて、手に入れた力で彼のことを守りたいと思っていたのだ。

 だが、彼は唯のことを“守りたい”と言ってくれている。

 こんなにも強大な力を手に入れた妹を――悪魔と共に生きることを決意した妹を守りたいと願ってくれている。

 

 唯は気恥ずかしくて――でもそれ以上に嬉しくて、そっぽを向きながら小さな声で答えた。

 

「……私がフォローに回ります。手に入れたばかりの力を振り回して調子に乗ってもいけませんから」

 

 他ならぬ自分がそうだったくせに、都合の悪い事実は棚の上に上げて唯は腕を組んで断言する。

 蓮は苦笑しながら頷いた。

 

「分かった。必ず役に立つから、一緒に戦わせてくれ」

「はぁ……結局、こうなるんですね。やっぱり兄さんは――」

 

 自分と敵対する勢力であるエクソシストの力に目覚めた兄をどこか寂しそうな目で見つめつつ、唯は溜息をつきながらも彼のフォローに回ることを決意した。

 例え、手にしている力が違うとしても、二人が兄妹である事実に変わりはないのだから。

 

(よかった、よかった。二人の仲が変に拗れるようなことはなかったか……)

 

 懸念していた二人の関係に亀裂が生じていないことを確認した地藤は、胸の中でそっと息を撫で下ろしていた。

 この調子なら、心配をする必要はないだろう。

 

(ん……?)

 

 そんなことを考えながら後方腕組み顔をしていた地藤が、不意に視線を感じてそちらに目を向ける。

 兄と共に戦うことを決意した十六夜唯だった。

 いつも確たる自分を持っている彼女だが、何故かもじもじと落ち着きがない。

 しかも、何やら頬が赤い。

 

「……と、ところで先輩。妹を取る、というのはどういう意図で――」

「さて、ようやく皆揃ったことだし、そろそろ作戦会議といこうか」

 

 厄介ごとの気配を察知した地藤は手を叩いて無理やり全員の視線を集める。

 唯は顔を真っ赤にして頬を膨らませた。

 

「ちょっと! 私だけ扱い違い過ぎません⁉」

「唯ちゃん、今はほら、緊急事態だから――」

「逃げるつもりでしょ⁉ 絶対に逃がしませんからね! 以前から思っていたのですが、そのふざけた言動をそろそろ叩き直して――」

「ま、まぁ、唯。落ち着けって。今が正念場なことは間違いないんだからさ」

「むぅ」

 

 兄に窘められ、唯は渋々といった様子で矛を収めた。

 しかし、その瞳は地藤を強く睨みつけて離さない。

 その目が暗に言っていた。

 

『全部終わったら、覚えていてくださいね』と。

 

 地藤は涼しい顔で全てを――未来の自分に向かって受け流した。

 凄まじい勢いで未来に対して負債が積み上がっているような気もするが、恐らく気のせいだろう。

 仮に本当だとしても、未来の地藤が何とかしてくれるはずだ。

 多分。

 

「それじゃあ、そろそろ話し合おうか。目の前にいる脅威に対しての戦い方を」

「脅威? ――あれがですか?」

 

 鼻でせせら笑う唯の視線の先には、亡者の大軍を従えた大公の姿がある。

 

「確かに、もう脅威ではないかもね」

「――言ってくれるな、小僧」

 

 怒りに満ちた低い唸り声が場を満たす。

 血の大公はその巨体を震わせ、瞳を爛々と輝かせながら人間たちを睨みつけていた。

 顔は怒りで真紅に染まり、肩がびくりと震えている。

 

 彼にとって人間など、せいぜい餌。下等な家畜に過ぎない。

 そんな存在たちに包囲され、追い詰められている――その事実が、屈辱以外の何物でもなかった。

 

「でも……否定できますか? 今、あなたはこちらに仕掛けてこない。まるで僕たちを、恐れているみたいですね」

 

 挑発するように告げた地藤の言葉に、大公の顔が激しく歪んだ。

 

「恐れる? この俺がッ? 貴様ら如き虫けらを、恐れるだと!? 戯言はそこまでにしておけ、小賢しいッ!」

 

 プライドを踏みにじられた大公が吠える。

 怒りに任せて周囲の魔力が沸騰する。

 相手はたった五人。死王女の気配もあるにはせよ、彼からすればどれも若造に過ぎない。

 たったそれだけの手勢に、なぜ自分が怯えてなどいなければならぬのか!

 

「何故、仕掛けないのかと貴様は問うたな――理由は単純だッ!」

 

 大公は両腕を大きく広げ、咆哮のように高らかに叫ぶ。

 

「貴様らが無駄話に興じている間に、然るべき準備を整えていたまでのこと! ――そら、天を見よ‼」

 

 反射的に、全員が空へと視線を向ける。

 赤い星が浮かんでいたはずの宙――そこに、いつの間にか『地面』があった。

 漆黒の空に、逆さまに貼り付けられたもう一つの大地。

 それはまるで別空間を上下反転させて合成したような、歪で不快な構造だった。

 この迷宮は、もはや“空間”ですらない。“箱”と成り果てていた。

 上も下もない。外への道もない。

 ただ血の大公が作り出した、大地と亡者に埋め尽くされた終焉の檻。

 

「死王女への呪詛も未だ健在! さあ見せてみろ――この戦力差を、貴様ら如きが覆せるものかッ!」

 

 上の“地面”から、次々と亡者の軍勢が降り注いでくる。

 その数は目に見えて増え続け、際限がない。

 否、これはもはや“軍勢”ですらない。“雨”だ。魂と肉が腐り果てた、災厄の雨。

 大公は嗤う。

 一騎当千の実力者が何人いようと、数の暴力には抗えない。

 

 勝利は、もう揺るがない。

 

 

「――なんてことを言ってるけど、皆、どう思う?」

 

 軽い調子で振り返った地藤の問いに、背後の仲間たちが目を合わせる。

 

 天羽璃奈、霧島レイ、十六夜唯、十六夜蓮。

 

 誰の顔にも、不安の色は浮かんでいない。

 むしろ、その瞳は確信に満ちていた。

 地藤はふっと唇をつり上げ、不敵に笑った。

 

「覆して見せますよ、大公」

 

 そして、最終決戦が始まった。

 

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 思えば――

 

 ここまで、長い道のりだった。

 

 霧島レイに襲撃されたことを皮切りに始まったこの事件は、気が付けば迷宮での死闘へと切り替わっていて、地藤自身も散々な目に遭ってきた。

 だが、それでも全てを乗り越えてこられた。

 当初思い描いていたよりもずっと泥臭く、血だらけで、困難に満ちた道のりだったが、知恵を絞り、勇気を出してここまで来られたのだ。

 

 そして――誰一人欠けることなく、この場に立っている。

 

「それじゃあ、始めよう」

 

 静かに放たれた地藤の言葉が、戦端を開いた。

 

 

 天羽璃奈が、祓魔器を掲げる。

 

「十銀銃――解放」

 

 二度目の顕現。その意志は、もう揺るがない。

 彼女の手に銀の双剣が握られ、輝く鎧と六輪の光がその背を包みこむ。

 

輝翼の聖陣(シルバー・ラウンズ)!」

 

 光翼を広げ、戦乙女が顕現する。

 凛然たるその姿は、まさしく神罰の化身。

 魔を討ち払うために降り立った、覚悟の顕現だった。

 

 

 

「斬霞刀――解放」

 

 霧島レイの刀が煌めきを放ち、無骨な銀に装飾が加えられる。

 身を包むのは軍服を思わせる礼装。その左肩には紅のマントが揺れていた。

 

「霧の太刀・無刃」

 

 忠義を体現する剣士が、霧の如き気配とともに立ち上がる。

 この迷宮と、過去に終止符を打つため。

 主の誓いのもとに――彼女は、刃を抜いた。

 

 

「……モルヴェリアさん」

『分かっておる。――このような舞台が整っているのだし、久々に格の違いを見せつけてやるかの』

 

 十六夜唯が、静かに目を閉じる。

 内なる死王女が、それに応えた。

 次の瞬間――世界が震えた。

 

 金と漆黒を基調とした華やかな衣装が唯を包み、その身を“砲台”と化す。

 

死王女の煌衣装(モル・リヴェラ)

 

 舞踏会の姫のようなその姿の下、膨大な魔力が大気を振動させていた。

 普段なら隠していた“殲滅”の姿――だが、もう隠す必要はない。

 兄はすぐ隣にいる。

 彼女はすべてを放ち、王女の名のもとに戦場を貫く。

 

 

「……俺も、負けてらんないな」

 

 十六夜蓮が、手にした銀の巨剣をゆっくりと掲げた。

 

巨いなる銀の剣(クラレント・ソレス)

 

 蒼の紋様が浮かび上がる。揺らぎなく霊力が注がれ、光が刃を包み込む。

 覚醒したばかりのエクソシスト。

 されど、その力は底知れない。

 祈りと、想いと、命の熱を宿した一撃が、今にも放たれようとしていた。

 

 

悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)、発動」

 

 最後に地藤が静かに呟いた。

 霧島レイの解放に便乗し、地藤の中の霊力がうねり始める。

 黒霧が彼の身体を包みこみ、赤い双眸が淡く光る。

 

 

 空気が変わった。

 霊圧が空間を満たし、大気が鳴る。

 剣と霧と光と詭弁。

 圧倒的な意志と力に満ちた、八つの瞳が揃う。

 

 思わず気圧された自分がいることに大公は気が付いて――すぐにそれを否定するように首を横に振った。

 

 人間程度に恐れをなすなどあり得ない。

 そんなことは、あってはならない――‼

 

「我が軍勢よ――蹂躙の刻だッ!」

 

 血の大公が咆哮した瞬間、黒霧の空が震えた。

 血の魔術が奔流のように広がり、魔族の腐血に満ちた気配が戦場を包む。

 亡者たちは歓喜する。

 その叫びは狂気と飢えに染まり、地響きすら喰らい尽くす戦慄の咆哮と化す。

 血を欲し、命を貪り、悲鳴を求めて――堰を切った悪夢が、雪崩のごとく進軍を開始した。

 

 そんな混濁の空気の中。

 一歩、前に出る影があった。

 

 地藤優斗。

 彼は動じない。目の前に広がる敵の数、十万――それでも、一切の恐怖も誇張もなく。

 ただ静かに、剣を抜く。

 

「……みんな、準備はいい?」

 

 先頭に立ち、背後に控える仲間たちに問い掛ける。

 応えるように、無言のまま頷く四人。

 その気配には一滴の迷いもない。

 地藤はふっと口元を引き締めた。

 

 そして、正面――怒りに燃える大公の方向へと顔を上げる。

 

「じゃあ――始めようか」

 

 澄んだ声が、戦場を貫く。

 その刹那、重く構えた剣をまっすぐ敵陣へ突きつけた。

 

「開幕だ! この迷宮を踏破しろッ!」

「「「了解――‼」」」

 

 号令は下された。

 一斉に動き出す五人の少年少女。

 

「来いッ――‼」

 

 大公もまた号令を下した。

 掛け値なしの全力で、亡者の軍勢をぶつける。

 

「全員踏み潰してくれるッ!」

 

 進軍を開始した亡者たちの軍勢。

 その数――約十万。

 地上だけでは飽き足らず、宙に召喚された亡者たちが降って来る。

 単なる歩兵だけではない。

 竜がいた。巨人がいた。キメラのような化け物がいた。

 地を埋め、空を覆い、まるで世界そのものを喰らおうとする悪夢の奔流。

 

 十万 対 

 

 戦力差は歴然。

 少年少女の運命は決まっている。

 たかだか五人に何が出来るというのだ。

 蟻が象と戦うようなものだ。

 一瞬で踏み潰されて終わり。

 あまりにも矮小すぎて、踏み潰したことにも気が付かないだろう。

 

「――無礼者」

 

 静かに響いたその声は、戦場を断ち切る刃のようだった。

 次の瞬間――先陣の亡者、数千が音もなく消し飛ぶ。

 爆裂も断撃もない。ただ“存在が失われた”としか形容できない一撃。

 宙を舞うのは、死の女王。

 十六夜唯。

 その身に死王女を宿した彼女は、冷ややかな眼差しで敵軍を見下ろしていた。

 

「身の程を弁えなさい。それすらも出来ないというのなら――」

 

 死王女は再び指を掲げる。

 

「――“死”をもって、首を垂れなさい」

 

 成すすべもなく蹂躙されていく亡者の軍勢。

 彼らの進行を食い止めているのは、死王女一人ではない。

 

「おらァッ――!」

 

 叫びと同時に振るわれた銀の巨剣が、青白い弧を描いて空を裂く。

 その斬撃が大気を切り裂き、亡者たちを巻き込みながら一気に薙ぎ払った。

 十六夜蓮。

 かつて守られるだけだった少年は、今、己の手で戦場に立つ。

 

「行ける……! 俺だって、やれるッ!」

 

 剣が通るたびに亡者の群れが霧散し、その魂が蒼き波紋となって空に昇っていく。

 その光景が、蓮にとってどこまでも鮮烈だった。

 恐怖がなかったわけじゃない。けれど、それよりも――ようやく“隣”に立てることが、ただ嬉しかった。

 誰かの背中を追うだけじゃない。

 

 今、俺は――この戦いの中にいる……!

 

「兄さん! 前に出過ぎないでくださいよッ!」

「分かってる! お前も無理するなよ!」

「子ども扱いしないでください! 兄さんの剣も大したものですが、私の方が力は上――」

 

 超火力を放つ兄妹の一閃が、戦場の渦を切り裂いていく。

 

 だが、亡者の波はそれでも尽きない。

 宙から竜が舞い、地から巨人が咆哮する。

 

 故に――

 

 光もまた尽きることはない。

 

「優斗君の邪魔はさせない――!」

 

 天羽璃奈が駆ける。

 広がる光翼。両腕に携える双剣が一閃すると、大気が巻き上がり、瞬く間に竜巻が発生する。

 巻き込まれた亡者たちが数百体、竜巻の中で翻弄され――一瞬後にはすべて切り刻まれて塵となった。

 

 その眼差しは鋭く、だが決して硬くない。

 戦乙女の鎧に包まれた少女の中に宿るのは、“守りたい”という揺るぎない祈り。

 

「ここは、誰にも渡さない……!」

 

 旋回する翼が敵をなぎ払い、双剣が風と光を纏って煌く。

 背後に浮かぶ球体が、自律射撃のように空中の亡者をピンポイントで撃ち抜く。

 竜の眉間、巨人の喉元。

 

 中近距離を制圧し、彼女は戦場を支配する。

 

「主の道を空けてもらおう」

 

 そのすぐ横を並ぶように、もう一つの銀影が駆け抜けた。

 霧島レイ――戦場に舞い戻った霧の剣士。

 

 その身に纏った銀霧は、今や完全なる攻撃形態だ。

 足元に霧が走り、立ちふさがる亡者が視界から一瞬でも消えた瞬間――すべてが断ち切られていた。

 その剣筋に、無駄など一切ない。

 一太刀、また一太刀。

 ただ“進む”ために、レイは敵を切り裂く。

 主を守る――その想いは変わらない。

 だが今は、主が進む道を、共に拓くために。

 

「切り開くッ!」

 

 刀が銀光を描いた瞬間、直線上にいた亡者たちが数百メートル単位で真っ二つに裂かれた。

 霧すらも斬り裂くような、空間ごと断ち切る一閃。

 

「……見ていてくれ、ユウ」

 

 誰にも聞こえない囁き声が漏れる。

 霧島レイは、晴れやかな表情で、天国にいる弟に向かって言った。

 

「私は、この先を行くよ」

 

 もう後ろばかり見てはいられない。

 いなくなった弟が、迷わず歩けるように。

 その“道”を、先に照らす者として――

 

 霧の剣士は、静かに次の一太刀を振るった。

 

 

「……馬鹿な……」

 

 血の大公がうめく。

 十万の軍勢が――崩れていく。まるで紙の兵隊のように。

 しかもその要因が、たったの――五人。

 

 死の魔術が薙ぎ払われるだけで消し飛んでいく軍勢。

 青い斬撃は地面ごと捲らん勢いで亡者たちを切り裂き、

 輝ける翼を持つ少女は圧倒的な支配力を見せつけ、

 銀色の少女は目にも止まらぬ速度で軍勢の総力を削いでいく。

 

「こんな馬鹿な……馬鹿なことが、あって堪るかァッ‼」

 

 吠えるような絶叫が、空間を震わせる。

 かつては違った。

 彼らを蹂躙するのは容易だった。

 

 十六夜蓮の血を吸い、暴走した血の大公はまさに“絶対”だった。

 力で捻じ伏せ、恐怖で屈服させる――それが、大公の戦い方だった。

 

 だが。

 亡者たちは通じなかった。

 数万、いや、十万を超える軍勢を放ち、空も地上も埋め尽くしたというのに、足止めさえ叶わなかった。

 

 蓋を開ければ――彼らが苦戦していたのは、“理性を喪った大公”という異常な存在であって、自身の軍勢など敵ではなかったのだ。

 まるで、裸で王座に座っていたことを突きつけられたかのような――滑稽で、無様な現実だった。

 

 今、目の前にいるのは――

 

 固定砲台と化し、大出力の死の魔術を連発する十六夜唯。

 人ならざる霊力で地を断ち、大剣を振るう十六夜蓮。

 眩い光翼と双剣で突撃する天羽璃奈。

 霧を切り裂くような剣閃の霧島レイ。

 そして、彼らを統率し、誰よりも淡々と戦場を動かす――地藤優斗。

 

 かつては雑兵の群れに見えた者たち。

 それが今は、まるで巨大な意志を持つ一つの“怪物”のように、目前に迫ってくる。

 

 恐怖という言葉では収まらなかった。

 己の“絶対”が、音を立てて崩れていく。

 

「こんな、馬鹿なことが……」

 

 大地を踏みしめる脚が、わずかに後ずさる。

 己でも気づかぬ無意識の行動。

 それが何よりも、彼の心境を表していて――その時であった。

 

「――お困りのようだね。手を貸してあげようか?」

 

 艶やかな声が虚空に響き渡る。

 思わず顔を上げた大公の目に映ったのは、崩れかけた柱に悠然と腰掛ける、あの女の姿だった。

 

「メフィラ様――!」

 

 救いの神を見つけたように、大公の顔に笑みが浮かぶ。

 そうだ。自分には、彼女がいた。

 悪魔王の娘にして、四騎士にも匹敵する力を持つ究極のジョーカー。

 

「ちょうどあなたをお探ししていたのです!」

「へえ、そうなんだ」

 

 感情のない返事を聞き逃し、大公は勢いづいたまま喋り続ける。

 

「見てください! あの不届きな者どもを! 人間の分際で我らに逆らい、牙を剥いてくる愚か者です!」

「ふーん。それで?」

「本来なら私の力だけで蹂躙できたのですが……あいにく魔力を少々使いすぎてしまいましてね。今は少々、動くのが難しい状況でして……」

「それは、それは」

「そうなのですとも!」

 

 勝手に同意を得たつもりで、大仰に腕を広げる。

 

「ですが! あの者たちを屠った暁には、私は現世を掌握し、やがて魔界へと勢力を広げるつもりです。そして最終的には、魔界の玉座すら――お分かりですよね? ふふ、当然ながら」

「……まーね」

 

 どこまでも軽薄な声。

 それでも、大公はもはや聞こえていない。

 

「ですから、メフィラ様……! どうか、今だけはお力をお貸しくださいませ! あなたの加勢さえあれば、我らは――いや、私は必ずや勝利を掴めるのです!」

 

 両膝を折る勢いで懇願する大公。

 その姿を、メフィラは静かに眺め、頬杖をついたまま微笑んだ。

 

「……やれやれ」

 

 メフィラは膝の上に肘を置き、頬に手を当てながら美しい笑みを浮かべた。

 右手を持ち上げ、ゆっくりと親指と中指を摺合せる。

 その動作を知っている。

 彼女が権能を発動させるときの動作。

 

「フ――フハハハハハ! 勝った! 運命は、この俺の味方をしたのだァ!」

 

 大公は己の勝ちを確認し、高笑いを上げる。

 やはり、最後に勝つのは自分だ。

 まずはこの局面を乗り越え、そして次に魔界へ戻って四騎士を皆殺しにする。

 そして最後には悪魔王をも打倒し、己が魔界の頂点に君臨するのだ。

 

「元気なことだねぇ」

 

 メフィラは微笑みながらその指を鳴らした。

 

 パチンッ!

 

 “悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――発動。

 

『誇り高い血の大公が、人間たちを前に敗走するなんてあるわけないじゃないか。彼は()()()()()()()。悪魔としてね』

「……え?」

 

 瞬間、大公の表情が凍りついた。

 身体が、動かない。

 足が、勝手に踏みとどまっている。

 ――逃げる、という選択肢を、身体そのものが拒絶していた。

 おかしい、おかしい。

 こんなはずでは――

 

「メフィラ様、これは、一体……」

「言葉の通りだよ。君は誇り高いから、最後まで戦うんだろう? まさか僕の言葉が聞けない、なんて言わないよね。――僕の愛しの契約者様に言っていたじゃないか。僕の呪言は効く、と」

 

 ニヤリと笑うメフィラの言葉を聞き、地藤優斗に送った言葉が脳裏に蘇る。

 

『馬鹿め! メフィラ様ならいざ知らず、貴様のような小物の呪言が効くものか!』

 

 確かにそう言った。

 だからメフィラの悪魔の屁理屈は大公にも効き目が――いや、そういう話ではない。

 問題は、彼女が大公の望みを叶えてくれなかったということだ。

 

 ――まるで大公を見捨てるように、この場に留める選択をしたことだ。

 

 彼は、裏切られたのだ。

 いや、メフィラからすればその言葉は正しくないのかもしれない。

 

 最初から彼女は、大公のことなんて欠片も見ていなかったのだから。

 

「メフィラァァァァァアアアアアアアアアアア――‼」

 

 ありったけの憎悪が籠められた声を、微風のように受け流して、メフィラは肩を竦めた。

 

()()()()()()()。だけど、悪魔がそれじゃあ、ダメでしょう。やっぱり――」

 

 邪悪に微笑む悪魔の貴種。

 

「――悪魔なら、最後まで嗤っていなきゃ」

 

 胸の内に秘めていた己の矜持ともいえる言葉を口にし、メフィラは興味を失くしたように大公から視線を外した。

 彼女が見つめるのはもちろん、ただ一人のみ。

 

「さぁ、幕引きの時だ。我が愛しの契約者様」

 

 うっとりと見つめる彼女の視線の先で、一人の少年が疾走する。

 黒色の霧を身に纏い、仲間たちが切り開いた道を突き進む。

 退路を断たれた血の大公は、憤怒で顔を染め上げながら、迫りくる少年を睨みつける。

 

「地藤優斗ォォォォォォ!」

「夢は終わりだ! 僕たちは現実に帰らせてもらうぞ! 大公!」

「ふざけるなッ!」

 

 投擲された剣を腕で弾く。

 宙を舞う剣が爆発を起こすが、既に見慣れた技だ。

 大公にとっては痛くも痒くもない。

 だが、彼の顔はさらなる怒りで歪む。そんな猪口才な技が彼に効くと思われていることも腹立たしかったのだ。

 

「貴様らに、この俺が負けるものか――!」

 

 血の大公。

 上級悪魔であり、広大な領土と凄まじい戦力を持った貴種。

 いずれは四騎士まで上り詰め、そして最後には悪魔の頂点に君臨することも不可能ではない男。

 そんな男が、こんなところで終わるはずがない。

 終わっていいはずがないのだ。

 

「いいや、()()()()()()()()

 

 疾走する黒い影――地藤優斗。

 黒霧を纏い、凪のような冷静さを湛えながら、まっすぐに血の大公を目指して駆ける。

 まるで獲物を追い詰める狼のように、切り開かれた道を一切の迷いなく突き進む。

 

「勝てるチャンスがあったというのに、己の遊興にうつつを抜かして台無しにし、自分の優位性を疑うこともしなかった」

 

 それは冷酷な断罪だった。

 本来、詰んでいたのは自分たちだった。だが、愚かにもその決定打を逸したのは――敵の傲慢。

 

 遊び心に溺れ、慢心し、自分だけは負けないと信じて疑わなかった。

 その愚かさが、全てを崩した。

 

「貴方は、人間を()()()()()。――夢の代償を払ってもらいますよ、血の大公」

 

 最初から最後まで、この戦いは“自業自得”の連鎖だった。

 この悪夢の迷宮は、ここで終わる。

 そして、悪魔たちの頂点に立つという大公の夢も――潰える。

 

「ふ、ふざけるなッ!」

 

 認められるはずがなかった。

 

「矮小な人間風情がァァァ――!」

 

 怒声とともに、地面を軋ませるように大公の魔力が膨張する。

 だが、その叫びはもはや届かない。

 地藤は駆けながら、剣を掲げる。

 

「その程度の剣でこの俺を殺せると思うなッ!」

「別に――思っていませんよ」

 

 そう言って、地藤はその剣を投擲した。

 唸るように空を裂き、大公へと向かう一閃。

 彼は不敵に笑い、それを手で弾く――

 が、その瞬間――炸裂。

 

 先刻と同じ。何度も見せられた手口。

 立ち昇る白煙を鬱陶しそうに振り払った大公は――見た。

 

 “悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――発動。

 

『霧島レイは地藤優斗に己の所有権の全てを委ねている。故に――彼女の祓魔器もまた、彼の手の中にある』

 

 静かに告げられた詭弁が、世界の理を捻じ曲げる。

 黒く纏わりついていた霧が、ふわりと色を変える。

 漆黒から、清冽な銀へ。

 まるで許しを得たかのように、清められた霧が彼の腕へと収束し――

 

 そして、銀色の刀が地藤の手に現れた。

 

『斬霞刀』

 

 迷いと悔いを抱え、過去を背負ってきた少女が振るい続けた剣。

 だが今は、彼女の意思ごと、その刃は地藤の手に託されていた。

 

「――ば、かな……」

 

 大公が呆然と呟く。

 己が翻弄していたあの少女の剣。

 その剣が今、自らに向けて振り下ろされようとしている。

 

 因果が、巡った。

 

「これで――終わりにしましょう」

 

 その言葉とともに、銀の刀が閃いた。

 瞬間、大公の心核――狂気の血と魔力が凝縮された部位に、刃が突き刺さる。

 終わりは、呆気なかった。

 鋼鉄を裂くような音も、爆発音も響かない。

 ただ肉を貫く音だけが小さく響いて――

 

 血の大公の叫びが、宙を割って響く。

 だが、その声音に宿ったものは怒りではなかった。

 ――それは恐怖。

 誰よりも人間を蔑みながら、歪んだ不死の命を操りながら、最後の瞬間に縋ったのは“命”の重みだった。

 

「……ッ……あ……」

 

 その断末魔すら届かぬまま――

 銀色の斬撃が残した残響だけを空に残して、大公の姿は音もなく崩れ落ちた。

 もはや、その骸に宿る魔はない。

 

 大迷宮の主、悪しき夢の主――

 血の大公は、ここに完全に終焉を迎えた。

 

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