世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第41話:文化祭の終わりに

 

 崩れ落ちる大公の身体は、赤黒い霧となって虚空に溶けていき――最後の最後、音もなく塵と化した。

 

 その瞬間、彼の魔力によって召喚されていた亡者たちもまた、次々と消滅する。

 うねるように満ちていた気配が、引く波のように――跡形もなく消えていった。

 

 残されたのは、主を失った迷宮。

 そして、全てを乗り越えた少年少女たちの姿だけ。

 

 決着をつけた地藤優斗は、一歩息を吐き出し、全身の力を緩めた。

 ――その瞬間だった。

 

 地鳴りのような轟音とともに、迷宮全体が揺れ始める。

 

「な、なんだ――⁉」

 

 その動揺をさえぎるように、耳元に艶やかな声が囁いた。

 

「大公がいなくなって、空間が元の形を保てなくなってきたんだろうね」

 

 地藤は耳を押さえながら振り向く。

 最後の最後でこちら側に寝返ったとはいえ、途中まで思いっきり大公の手を貸していたクソ悪魔――如月メフィラが何食わぬ顔でそこにいた。

 

「メフィラ! お前……!」

「言いたいことは色々あるだろうけど、今はここから脱出するのが先決なんじゃないかな?」

「……抜け道があるのか?」

「もちろん。この僕を誰だと思っているのさ」

 

 肩をすくめ、どこか芝居がかった笑みを浮かべてメフィラは答えた。

 地藤の眉が険しくなる。

 

「――どうにかはできるが、また対価がいるとか言い出すんだろ?」

「いいや。今回()僕が迷惑を掛けてしまったことだし――」

「今回“”な」

「前回は姉上が元凶だったと思うんだけどなあ」

「……あれ? そうだっけ?」

「……君が僕をどう思ってるのか、よく分かったよ」

 

 珍しくメフィラが呆れたような表情を見せる。

 黒幕扱いされることにすっかり慣れてしまった自覚はあるのか、諦めのような吐息をついた。

 ――だが、地藤からすれば“日頃の行い”でしかない。

 

「まぁ、いいさ。とにかく、今回はいいものを見せてもらった。それを対価ってことにして――君たちをここから出してあげよう」

 

 ぐだりかけていた空気を修正しつつ、メフィラは軽やかな声で脱出を確約する。

 そう言うが早いか、彼女は右手をゆるやかに掲げた。

 視線をめぐらせ、周囲の様子を確かめながら問いかける。

 

「さぁ、みんな。ここから出る準備はいいかな? 何かやり残したことや、言い残したことはない?」

「そんなこと、あるわけないだろ。いいから早くやってくれ」

「やれやれ、せっかちなことだ」

 

 能力の発動を催促する契約者に嘆息しながら、メフィラは中指と親指を擦り合わせて――

 

「――あっ、そういえば。あの妹を取っちゃう発言の真意はなんだったのかなぁ?」

「ッ! お前……!」

 

 即座に走る3本の視線。

 天羽璃奈、霧島レイ、十六夜唯の鋭い視線が突き刺さるのを感じる。

 

 問いかけた当人――メフィラの顔には、悪魔らしい実に意地の悪い笑みが浮かんでいた。

 完全に確信犯である。

 

「あははは! いやぁ、本当に見ていて飽きないね、君は」

「おい! 空間の崩壊具合がヤバいぞ! 早く出してくれ!」

「話を逸らすのもうまい。うん。僕が断言するよ。君は――悪魔に向いている」

 

 そんな嫌な断言は欲しくない。

 嫌そうな顔をした地藤を見たメフィラはまた笑って――

 

「さて、君の言う通り、この空間も危ないね。そろそろお暇しようか」

 

 その右手を鳴らした。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

「ん……ここは……屋上、か?」

 

 メフィラが指を鳴らした瞬間、全身を覆った眩い光に思わず目を閉じていた地藤は、ゆっくりとまぶたを開けながら辺りを見渡した。

 そこにはもう、赤黒く染まった空も、どこまでも不気味な壁もなかった。

 目に映るのは、見慣れた青空、いつものコンクリートの床、そして金網フェンス。

 迷宮に放り込まれる直前まで、自分たちがいた学校の屋上――現実の場所だった。

 

 見れば、直前まで屋上にはいなかった蓮と唯もここにいる。

 恐らく、ちゃんと元の場所に戻すのを面倒くさがったメフィラが全員纏めてここに戻したのだろう。

 

「メフィラ……あれ、いない」

 

 辺りを見渡すが、あのいけ好かない麗人の姿が見当たらない。

 自分の仕事は終えたからと、さっさと退散したらしい。

 相変わらず、自由気ままな奴である。

 

「まぁ、いいや。なにはともあれ、こうして無事に帰って来れたわけだし」

 

 時計を見れば、屋上にいた時間からそこまで進んでいないように見える。

 どうやら、現実世界とは時間の進み方が違う空間だったようだ。

 地藤は大きく伸びをした。

 

「さて、まだ時間も残っていることだし、みんなで目一杯、文化祭を楽しもうじゃないかッ!」

「――そんな勢いだけで誤魔化せるわけ、ないよね?」

 

 背後から響く冷たい声。

 地藤は大きく振り上げていた両腕をスッと下ろし、遠い目をした。

 

「デスヨネー」

 

 ゆっくりと振り向く。

 そこには、両腕を組んで君臨する氷の女王――A.K.A.天羽璃奈がいた。

 

「それで? もちろんちゃんと説明してくれるんだよね? この人と――」

 

 璃奈の白い指が霧島レイを指さす。

 

「私か? 私は主の剣だが」

「……次いでに、この子のことを」

「なんで私が次いで扱いなんですか⁉ どう考えたって私がメインヒロ――主役でしょうがッ!」

 

 霧島レイの発言を華麗にスルーし、適当に指さされた唯が顔を真っ赤に染めながら憤慨する。

 地藤は天を仰いだ。

 先程の戦いで疲弊しきっているというのに、この仕打ちはあんまりではないだろうか?

 

(クソっ! どこのどいつがこんな面倒なことを押し付けやがったんだ……!)

 

 もちろん、過去の地藤優斗である。

 自業自得。

 因果は巡る。

 大公がそうだったのだから、地藤とて例外ではない。

 

「……はぁ、分かったよ。ちょっと長い話になるけど、いいかな?」

 

 頷く璃奈と唯、そして蓮。

 念のため、霧島レイにも視線を合わせるが、彼女は地藤の方を向いてただ頷いた。

 

 すべてを説明するために、地藤が口を開きかけた――そのとき。

 

「――ああ! ここにいたのか!」

 

 屋上に大きな声が響き渡った。

 一斉に視線が屋上入口へ向けられる。

 現れたのは、地藤のクラスメート、今崎亮。

 文化祭への情熱が人一倍強い彼は、安心した表情でズカズカと歩み寄ってきた。

 

「地藤、シフト忘れてたのか⁉ 早く来てくれよ! お客さん急に増えててさ、マジで手が足りないんだって!」

「……あっ、完全に忘れてた」

 

 ――そう、地藤たちのクラスは文化祭でポップコーン屋を出店していた。

 覇気と圧迫感が過剰すぎる、もはや騒音の塊のような暑苦しい屋台を。

 本音を言えば「忘れていた」のではなく、「忘れていたかった」が正しい。

 

「忘れてた⁉ ……まあいい、今はそれどころじゃない! 猫の手も借りたいんだ、早く来てくれ!」

 

 今崎は怒鳴る余裕もないらしく、地藤の手を掴んで強引に引っ張っていく。

 

「ちょっ、待って! 今、大事な話が――!」

「ああ⁉ 話なんて後でいいだろ! 今はクラスのために動けっての!」

「いやでも、その話を後回しにしたら色々とまずいというか……!」

 

 地藤は、強引に引っ張られながら、恐る恐る振り返って仲間たちの様子をうかがう。

 

「……あれ?」

 

 意外なことに、璃奈もレイも唯も、怒った様子は見せていなかった。

 

 そうだ――彼女たちは社交性も常識も備えた大人びた女性たちだ。

 一般人の前で癇癪を起こしたりはしない。

 その冷静さに内心で感謝しつつ、地藤はされるがまま歩いていく。

 

「ごめん! 話はまた後で!」

 

 喜びが声に漏れ出ないよう気をつけつつ、できる限り真面目な声と顔で謝意を演出する。

 

(……僕もまだツイてるな! いける、これはいけるぞ……!)

 

 この土壇場にきて、なんとか誤魔化せないかと画策する根性の浅ましさ。

 もしここにメフィラがいれば「そういうとこじゃないかな?」とでも言いそうだが――あいにく彼女はもういない。

 部活を早退する理由が“できてしまった”部員のように、地藤はその場を後にしようとして――

 

「――覚えておいてね」

 

 氷のように冷たい囁きが背後から届いた。

 胸の奥の、そこにないはずの心臓がキュッと縮む。

 すれ違いざま、璃奈が放ったその一言。

 恐る恐る振り返ると、納得のいっていない表情の三人が、無言でこちらを見送っていた。

 

 ――この事態は何ひとつ解決しておらず。

 

 ただ、判決が一時保留になっただけなのだと悟った地藤は、重い肩を落としたまま、労働という名の現実に引きずられていくのだった。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 中庭で繁盛していた僕のクラスのポップコーン屋さんだが、相変わらず繁盛し続けていた。

 

 映画研究会の自主制作映画が近くで上映されているらしく、どうやらそれが集客ブーストに一役買っているらしい。

 キャラメルの甘い香りが校舎の廊下にまで漂い、吸い寄せられるように人々がポップコーン屋の前に列をなしていた。

 

「……すごいことになってるな」

 

 ――で、僕はそのポップコーン屋に連行され、知らぬ間にエプロンを着けさせられ、額にはなぜか鉢巻を巻かされていた。

 列の長さだけなら、もはや下手な映画館を凌駕している。

 

「いやあ、これだけ人が来てくれるなんて! 出店冥利に尽きるってもんだろ!」

 

 隣でテンションの高すぎる今崎亮が笑顔全開で叫ぶ。彼の文化祭への本気度は、もはや宗教の域に達していた。

 

「さあ、みんな! 魂を込めて声出していこうぜーッ!」

「「「おぉーーーッ!」」」

「……あれ? ここ、ポップコーン屋だよね?」 

 

 戦場みたいなテンションに、思わず小さく突っ込んだが、誰も聞いちゃいなかった。

 完全に狂気の屋台である。焼きトウモロコシ屋の陽気なテンションを5倍濃縮したような空気だ。

 

「サボってた分、がっつり働いてもらうからな、地藤!」

「いや、サボってたっていうか、僕は文字通り世界の危機と戦ってたんですが……はい、了解です」

 

 言っても伝わらないので諦めた。

 黙々と注文を受け、ポップコーンを作っていく。

 そんな忙しい業務の中――

 

「キャラメル味を一つください。――あっ、それから()()()()()()()

 

 不意に聞き覚えのある声が聞こえて、顔を上げた。

 そこには、ニヤリと悪魔のような顔で笑う唯ちゃんがいた。

 

「……なにしてるの?」

「見ての通り、ポップコーン屋さんに並んでいるだけですよ。ほら、さっさと作ってください。それから――」

 

 代金をトレーの上に置きながら、心底楽しそうに彼女は言った。

 

「――渾身のスマイルもお願いしますね。じゃなきゃ、クレーム入れますよ?」

 

 ……これ、カスハラで訴えたら勝てるのでは?

 一瞬そんな考えが脳裏をよぎったが、訴訟どころか裁判所ごと吹き飛ばされそうなので、僕は無言でスマイルをお届けすることにした。

 

「……」ニコリ

「ぶっ! 先輩、笑顔ヘッタですね~! 写真撮っておこっと」

「……そういうお店ではないので、撮影はご遠慮ください。次のお客様、どうぞ」

「ブ~~」

 

 唇を尖らせながらポップコーンの受け取り口へと移動していく唯ちゃんを、僕は疲れた目で見送った。

 別に体力を使っているわけでもないのに、不思議と心が消耗していく。

 

「えっと、それじゃあ……塩味を一つください。先輩はどうしますか?」

「私も同じもので」

 

 またしても聞き覚えのある声が重なった。

 思わず顔を上げると――

 

「やっほー、優斗君」

「しっかり働いているようだな」

 

 片手を挙げてにこやかに微笑む璃奈と、穏やかな目で頷く霧島先輩の姿があった。

 迂闊だった。唯ちゃんが来ているなら、この二人も一緒にいて当然だった。

 

「璃奈、先輩まで……何してるんですか?」

「ちょっとお腹が空いてね。たまたま近くにお店があったから」

「私も同じ理由だ」

 

 絶対に嘘だ。僕を揶揄いに来たとしか思えない。

 

「ちょっと勘弁してよ……僕、知り合いに働いてるところ見られるの、滅茶苦茶恥ずかしいタイプなんだから」

「うん、知ってるよ。だから来たの」

「……え?」

 

 璃奈にしては珍しい、“嫌がらせに来ました”という全力の宣言。

 その言葉の真意を測るように彼女の顔を見つめると――たしかに、笑顔は浮かべている。とても綺麗な、いつもの笑顔を。

 だが、目がまったく笑っていなかった。

 

 ……どうやら、お怒りモードは継続中らしい。

 

「え、えーと……その……」

「注文はもうしたよ。お金もここに置いてあるから、よろしくね?」

「……はい」

 

 このシフトが終わった後の未来が怖い。

 僕は無言でトレーに置かれていた代金を回収し、意を決して背後に振り向く。

 ……顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったが、先ほどから今崎がこちらを睨んでいるので、逃げ道はない。

 僕は息を吸い込み――

 

「キャラメルポップコーン一丁ォ!」

「「「キャラメルポップコーン一丁ォ!」」」

「それから、塩ポップコーン二丁ォ!」

「「「塩ポップコーン二丁ォ!」」」

 

 叫ぶたびに、厨房側から返ってくる怒涛の復唱。

 もはや何の店なのか分からない。

 

「あはは! 相変わらず面白いお店だね~」

「……ラーメン屋か?」

 

 楽しそうに笑う唯と、冷静にツッコミを入れる霧島先輩。

 僕は半ば罰ゲームのようになっているこの店のテンションに、ガックリと肩を落とした。

 

 そんなふうに、ひとしきり揶揄われたあと。

 璃奈たちは満足げにポップコーンを受け取って、校舎の中へと戻っていった。

 そして、そのあとにも――僕の“仕事”は、まだ終わらなかった。

 

 全力で注文を叫びながらポップコーンを作り続けるこの作業を“仕事”と呼んでいいのかは疑問だが、それでも僕は今崎に見直されるほどには真面目に、ひたすら働いていた。   

 

 そして、叫び続けることにも次第に抵抗が薄れ、感覚が完全に麻痺しかけていたそのとき―― 

 

「――注文、いいかな?」

「は~い、どうぞ~」

 

 代金を釣り銭ケースに仕舞っていた僕は、やや雑に声だけで応じる。

 

「キャラメルポップコーンをひとつ。それから……とびきりのスマイルを」

「……ん?」

 

 艶のある低音のアルトボイス。

 忙しく手を動かしていた僕は顔を上げ――うんざりしたような表情を浮かべた。 

 

「メフィラ……お前まで、何してんだよ」

「こんな面白そうなイベント、見逃すわけにはいかないじゃないか」

 

 飄々とした表情で佇むメフィラ。

 あっさりと姿を消したので、また一波乱あるまで大人しくしているのかと思っていたが……やはり動向が読めない女だ。

 

「ほら、オーダーしたんだから、とびっきりのスマイルを頼むよ」

「……」

 

 僕は無言で中指を立てた。

 

「やれやれ、随分と嫌われてしまったようだね」

「寧ろ、1㎜でも好かれる要素があったと思っているお前に驚きだよ」

「こんなに律儀で真面目な悪魔は早々いるもんじゃない。もっと感謝すべきだと思うけどね?」

「裏切り者がよく言うよ」

「獅子身中の虫、という諺を知らないかい? 僕は敢えて大公の元に潜入していただけさ」

「……どうだかな。後から何とでも言えるしな」

 

 最後の土壇場で大公を裏切ったメフィラ。

 あまりにも堂々とした態度を前にしていると、彼女の言葉にどこか真実味すら感じてしまう。

 とはいえ、この悪魔の“本心”など、僕に理解できるはずもなかった。

 

「だけど、結果として君は力を得たじゃないか。“原種”の眷属になるなんて、そうそうあることじゃない」

「これ以上、その件について恩着せがましく話すつもりなら、お前をポップコーンにしてやるぞ」

「斬新な脅し文句だねェ」

 

 くつくつと喉を鳴らして笑うメフィラは相変わらず余裕綽々で、隙が全く見当たらない。

 僕は心の底から疲れたように溜息をついた。

 

「今回の件、お前がどこからどこまで裏で糸を引いていたのか知らないけどさ、思い通りになって満足しているなら、このまま大人しく帰ってくれ」

「そう投げやりになるなよ。契約者同士、もっと親交を深めようじゃないか」

「お断りだ。……何を企んでいるのか知らないが、そう簡単に思い通りになるとは思わないことだな」

「もちろん分かっているとも。――全ては君次第さ」

 

 そう告げて、メフィラは意味ありげな微笑を浮かべ、ポップコーンをひとつ口に放り込んだ。

 そして、甘いキャラメルの付いた指先を、艶めかしく舐めとる。

 

「さて、それじゃあそろそろ行くよ。今回の件“も”見事だった。――次も期待しているよ」

 

 一方的に言葉を言い残し、メフィラはポップコーンを手に立ち去って行った。

 

「……次、ね」

 

 僕は小さくつぶやき、脳裏の引き出しを開く。

 原作の情報。物語の流れ。

 次に現れるはずの――より恐ろしい存在。

 

「すいませーん、注文いいですか?」

「……はい、どうぞ」

 

 僕は頭の中に浮かびかけた恐怖をいったん棚に上げ、

 新しいお客に向けて、笑顔を作った。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

「お待たせ」

 

 皆にからかわれつつも、なんだかんだ最後まで任務――いや、シフト業務をやりきった僕は、ようやく屋上に戻り、待っていてくれた皆と再び合流した。

 

「遅いですよ! 先輩!」

「ごめん、ごめん。遅刻した分、追加で働かされてさ……って、唯ちゃん、滅茶苦茶楽しんでるじゃん」

 

 ポーズとして怒って見せている唯ちゃんはともかくとして――驚いたことに、思っていたほどギスギスした空気はなかった。

 むしろ、ほんの少し前まで地獄のような空気だったはずなのに、そこにはただ、心地よい疲れと微かな笑い声だけが漂っていた。

 

 どうやら僕がポップコーンと格闘していた間、彼女たちもなんやかんやで文化祭を楽しんでいたらしい。

 もはや“話し合い”といった緊迫感は霧散し、なし崩し的に――それこそ自然な流れのように、僕たちは連れ立って文化祭を巡ることになった。

 

 日が傾き始めた学園の中を歩きながら、僕らはあちこちの出店を回っていった。

 焼きそば、たこ焼き、チュロスにかき氷。食べるたびに「もう無理」と言いながら、誰かが何かを見つけてはまた並び直す、そんな無限ループ。

 

 心底どうでもいい話で笑い合いながら、学園の渡り廊下を歩く

 そして――

 

「二組のお化け屋敷へようこそ!」

 

 僕は嫌で嫌でしょうがなかったのだが、唯ちゃんに押し切られ、噂のお化け屋敷に足を踏み入れることとなった。

 死王女とかいう悪魔の中でもトップクラスの存在が監修したそのお化け屋敷は――本当に洒落にならないクオリティだった。

 視界を遮る構造と、的確に人が油断したタイミングに差し込まれるお化けたち。BGMも恐ろしく、正直な話、ちょっと本気で泣きそうになった。

 

 僕たちは文字通り、命を賭ける気持ちでそのお化け屋敷を駆け抜け――

 出てきた時には、みんなで地面にしゃがみ込んで、腹を抱えて笑った。

 

 皆、心の底から楽しそうだった。

 全員が全員、あの戦場の余韻を少しも見せずに。

 あれほど危険と絶望の中で肩を並べて戦ったはずの悪魔と吸血鬼とエクソシストが、今はただの生徒として、ポップコーンと笑い声に包まれながら肩を寄せ合って歩いている。

 

 その光景は、誰がどう見ても――青春だった。

 

 そして、そんな一日の締めくくりに待っていたのは。

 ――フォークダンス。

 

 運動場の中央には、木を組んで作られた巨大な支柱と、それを囲うように燃え上がる炎。

 パチパチと音を立てて弾ける焔が、夜の空気を赤く染めていた。

 冷たい秋風と、遠くのざわめき。

 いつの間にか出店は閉まり、生徒たちの流れも自然と火の周りへと集まっていく。

 聖西学園の文化祭では、最後にこのキャンプファイヤーを囲んでフォークダンスを踊るのが恒例行事だ。

 

 僕は去年、ひとりで見ていた景色だが――今は、違う。

 

「おぉ……これが、噂のフォークダンスですか」

 

 唯ちゃんがぽつりと呟くように感嘆の声をもらした。

 ずっと病室で過ごしていた彼女にとっては、こんな光景さえ、きっと特別なものなのだろう。

 その横顔は、焔に照らされてどこか神々しくさえ見えた。

 

「綺麗ですね……」

 

 その言葉に、僕はうなずく。

 煌めく焔、ゆらめく影。

 散々遊び尽くして、心の底から楽しいと思ったその一日の終わりに――こうして火が燃えている。

 儚いけれど、確かにそこに在る炎。

 それはまるで、いつか終わる青春そのものだった。

 

「ほら先輩! 行きますよ!」

 

 ボーッと炎を眺めていた僕に掛けられた元気な声。

 気が付けば、彼女は僕の手を掴んでグイグイと前に引っ張っていた。

 

「ちょ、ちょっと唯ちゃん⁉ 悪いけど、フォークダンスは璃奈と――」

「分かっていますよ。ちゃんと、天羽先輩とも話し合っていますから」

「えっ」

 

 後ろを振り向くと、璃奈が複雑そうな表情ながらも微かな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 唯ちゃんの言う通り、既に彼女たちの間で話し合って決まったことらしい。

 

「可愛い後輩からのお願い、無下にするほどデリカシーがない人ではないと思っているのですが……先輩は私の期待を裏切ったりはしませんよね?」

「……君の期待を裏切ると、後が怖そうだよ。唯ちゃん」

 

 差し出された彼女の手を取る。

 僕は嬉しそうな唯ちゃんと一緒にダンスの輪の中に入って行った。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 唯ちゃんのダンスは、まるで火の精霊が舞っているかのようだった。

 苛烈で華やかで、情熱を真正面から叩きつけるような強さがあるのに、その指先やステップの合間に――僕への配慮が宿っていた。優しさというよりも、信頼に近い。それは彼女らしく、不器用で、それでいてとても繊細な気配りだった。

 

「先輩、意外とダンスお上手じゃないですか」

「そりゃあ、王女様と踊るのに下手なわけにはいかないからね」

 

 地を払うようなターンも、裾をさばく手つきも、彼女はまるで踊りの申し子のように自然だった。

 死王女を宿してから、唯ちゃんの身体能力は驚くほど向上したと聞いている。それは動きの滑らかさ、筋肉の反応、重心の置き方――あらゆる細部に宿っていて、正直、僕はついていくのに必死だった。

 

 けれど、僕だってこの日のために、密かに特訓を積んでいた。璃奈と踊るために、恥ずかしくないように。努力がまったく無駄だったわけではない、と思いたい。

 

「殊勝なことですね。褒めて差し上げましょう」

「光栄です」

 

 唯ちゃんが僕の右腕に触れたまま、その腕を高く掲げてくるりと旋回した。

 フォークダンスとしてはかなり派手な動きだが、彼女がやるとそれはまるで演目の一部のように自然で、観客の視線すらも演出に巻き込んでしまう。

 

 一曲目は、例年“華やかな曲”を充てがうのが慣例だ。

 緩やかで牧歌的なイメージとはかけ離れたアップテンポな旋律が、運動場いっぱいに広がる。

 唯ちゃんのステップに合わせて僕も足を運び、手を取り、軸を回す。

 彼女と踊っていると、ただでさえ呼吸が浅くなるのに、リズムまで早くなるんだから、心臓が持たない。

 

「……先輩」

 

 低く、やわらかく――それでいて、どこかためらうような声だった。

 

「なに?」

 

 彼女の瞳が、キャンプファイヤーの火を映して揺れている。

 紅玉のようなその色は、今夜いちばん眩しく見えた。

 

「“お前の妹、取っちゃうからな”というあの発言の真意についてですが――」

「あー、それね……」

 

 言葉を濁したいわけじゃない。

 でも、実際、あれには深い意味なんてなかった。危機的な状況の中、全然目を覚まさない主人公に業を煮やしてぶっ放した発言だったのだから。

 精々、十六夜蓮に何らかの刺激を与えられたらいいなと思っていたくらいで……だからこそ、何かを期待しているような目をしている唯ちゃんを見ると申し訳なさが浮かんでくる。

 

 嘘をつくわけにもいかないので、僕は踊りながら素直に頭を下げた。

 

「……ごめん。あれ、勢いで喋ってたからあんまり深く考えてなかった」

「……ふん。まぁ、先輩のことですから、どうせそんなことだろうと思っていましたよ」

 

 淡々とした声。

 だけど、その目の奥で、ほんの一瞬だけ揺れがあった気がした。

 

「では、この話は終わりにしましょう。もとより期待していませんでしたし」

 

 そう言って、彼女はすぐに表情を切り替える。

 けれど、そのすぐあとに続いた言葉は――あまりに率直すぎて、僕は動けなくなった。

 

「ありがとうございました」

 

 素直じゃなくて、意地っ張りで、プライドが高い少女の口から放たれた、何の捻りもない感謝の言葉。

 思わず目を見開いた僕に、唯ちゃんは微かに頬を赤くしながら言葉を重ねる。

 

「私のお願い通り、兄さんを守ってくれたこと、こうして踊ってくれていること、それから――私に助けを求めてくれたことへのお礼です」

「助けを求めたことへのお礼……?」

 

 思わず首を捻ると、唯ちゃんはそっぽを向きながら答えた。

 

「……嬉しかったんです。先輩みたいに天の邪鬼で、人間嫌いで、自分ひとりで全部なんとかできるって思ってそうなおバカさんが――私に助けを求めてくれたってことが」

「あれ、僕、感謝されているんだよね……?」

 

 しれっと結構な罵倒が並んでいた気がして顔を引き攣らせる。

 えっ、僕ってそんな風に思われてたの……?

 

「~~~~! もうっ! そういうところがダメなんですよッ!」

「痛っ⁉」

 

 突然足を思いっきり踏まれて思わず悶絶する。

 膝をつきそうになるが、唯ちゃんの腕に引っ張られて倒れることもできず、僕はじんじんと痛む足を動かしながら、何事もなかったかのように踊り続けることを強要される。

 

「ゆ、唯ちゃん……これは流石にちょっと……」

「ふん。いい気味です。おバカな先輩にはちょうどいいお灸になったんじゃないですか?」

「今時、暴力系ヒロインなんて流行らないよ……? コンプラって知ってる……?」

「この私を誰だと思ってるんです? 時代がなんと言おうと、私は私の美学で歩くのです。誰が否定しようと、私には関係ありません」

 

 堂々とした態度。真っ赤な瞳が、夜の火を飲み込んだみたいにきらきらと瞬いている。

 

「だから、先輩もあれやこれやと悩まないことです。しんどくなったら、どうしようもなくなったら、この私の名を呼べばいいのです」

 

 炎が空に伸び上がる。

 唯ちゃんの輪郭が、その赤に浮かび上がって――まるで真紅の王女のようだった。

 

「――気が向いたら、助けてあげないこともありませんから」

 

 そんなことを言って、彼女はフッと笑った。

 僕は知っている。

 彼女はきっと、いつだって気が向いてくれることを。

 今回だって結構頼りっぱなしだった気もするし、無礼を働いた気もするが、王女様は寛容らしい。

 いや、それよりも器が大きいと表現した方が正しいか。

 

 僕は自然と、言葉を返していた。

 

「ありがとう、唯ちゃん」

「どういたしまして」

「――あぁ、それから……唯ちゃんも苦しくなったら僕の名を呼べばいいよ。気が向いたら助けてあげる」

「生意気ですよっ」

 

 唯ちゃんは軽く笑いながら僕の足を踏みつけようとしてくる。

 

「唯ちゃんこそ」

 

 その動きを読んでいた僕はすっと足を動かし、彼女の攻撃を躱した。

 唯ちゃんの足が地面に叩きつけられたそのタイミングで、ちょうど一曲目の演奏が終わった。

 

「時間ですか……」

 

 唯ちゃんは、無表情を装っていた。

 けれど、その瞳の奥にほんのわずかな名残惜しさが滲んでいるのが、僕には見えた。

 やがて、彼女は僕の手を静かに離す。

 

「なかなかいい時間でしたよ」

「こちらこそ」

 

 二人で自然と頭を下げ合う。

 顔を上げた唯ちゃんは、満足そうな微笑を浮かべていた。

 

「私は兄さんと踊ってきますので。では――」

 

 言葉通り、唯ちゃんはひらりと踵を返し、大好きな兄のもとへと歩いていった。

 その背中は騒がしくて、気高くて――可憐だった。

 炎に照らされた揺れる髪を見送るうち、僕の口元にも、知らず笑みが浮かんでいた。

 

 

 そのときだった。

 

「――ユウト」

 

 凛とした、けれどどこか柔らかな声。

 この数日で聞き慣れたその声音に、僕は振り向いた。

 

「先輩」

 

 そこに立っていたのは、霧島レイ。

 僕の“主”であり、“剣”でもある存在だ。

 

 整えられた制服の裾が夜風に靡いている。

 その姿はまるで、戦場から舞踏会に舞い降りてきた騎士のようだった。

 レイ先輩は静かに右手を差し出し、小さく首を傾げて微笑んだ。

 

「一曲、付き合ってくれないか?」

 

 少しだけ視線を横に流すと――璃奈が、腕を組んでこちらをじとりと見ていた。

 しかし、彼女はそのまま、小さくうなずいてみせた。

 ……ありがとう。

 

「……えぇ、踊りましょうか」

 

 僕は微笑み、先輩の手を取る。

 そして、ゆっくりと二曲目の始まる輪の中へと歩いていった。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 霧島レイの踊りは、まさに彼女そのものだった。

 

 実直で、無駄がなく、それでいて――凛とした美しさがあった。

 その動きの端々に、鍛えられた剣士としてのしなやかさと制御が滲んでいる。

 型に忠実でありながらも、僅かに崩したラインで僕に合わせてくれているのが分かる。

 思わず見上げると、赤く染まった彼女の瞳が僕を見ていた。

 

 少しだけ、真面目すぎるほど真っ直ぐに。

 そして、彼女は静かに瞼を伏せ――一言。

 

「……すまない」

「先輩は、いつも謝ってばかりですね。……それで、今回は何に対する謝罪ですか?」

 

 苦笑まじりに返す僕の言葉に、彼女はほんの少しだけ顔を歪めて言った。

 

「……お前を、勝手に私の眷属にしてしまったことだ」

 

 その声には、はっきりとした罪悪感が滲んでいた。

 

「あの時の私は、自分のことで手一杯で……お前の意思も、心も、何一つ確認せずに。眷属にするという重大な選択を押しつけてしまった。それを忘れたふりをしていた……。これで“剣”を名乗るなど、笑える話だな」

 

 自嘲するように唇を歪めながら、それでも僕から目を逸らさずに言い切る姿は、いつか戦場で見た彼女の剣閃にも似ていた。

 ――たしかに、僕は吸血鬼になった。

 

 混乱の渦中で、全てが勢いに流されるように変わってしまった。

 自分の意志で決めたことではなかった。それは事実だ。

 でも。

 

「……確かにそのときは驚きましたけど、でも今は、そこまで悪いものだとも思ってませんよ」

 

 僕は肩をすくめて笑ってみせた。

 

「霧になれるし、傷もすぐに治る。何より、こうして踊れますし」

「……だが、それは、“人としての生”を失ったということではないのか?」

「あっ、それは今更なので本当に気にしなくて大丈夫です」

 

 主に何とかメフィラのせいで。

 少し間を置いて、レイ先輩がまた声を落とす。

 

「だが、不便もあるだろう? たとえば――その、赤い目とか……」

「たしかに前とは色が変わりましたが、カッコいいので気にしてません」

「え、えぇ……?」

「むしろキャラ立ちって大事ですから。赤目とか最高じゃないですか」

 

 困惑しながらも苦笑を漏らすレイ先輩に、僕は冗談まじりに肩を揺らす。

 男の子なんて、そんなものだ。

 誰だって一度は、“赤い目に秘められた力”に憧れたことがあるはずだ。

 写○眼とか、ギ○スとか。

 異論は認めない。

 

「だ、だが! 周りの目とかあるだろう⁉」

「あぁ……まぁ、“悪魔の屁理屈”を使えばどうとでもなるので、大丈夫ですよ」

 

 適当に屁理屈をつければ黒目のままだと偽ることは難しくないだろう。

 えっ? 今日? 文化祭だから適当にカラコン買ったって言ったら皆信じていたよ。

 

「だから、先輩が気に病む必要はありません。あれは、いわば事故でしたから」

「……お前は、本当に優しい男だな」

 

 どこか遠くを見るように言う先輩の声は、ひどく静かだった。

 その言葉を、“優しい”という言葉をどう受け取ればいいのか分からない。

 僕はただ、心底どうでもいいと思っていたことをそのまま伝えただけだ。

 

「別に、優しいわけじゃありません。気にしてないことで謝られても、こっちが気まずいだけですよ」

 

 なのに。

 霧島先輩は――まるで、何か温かく大切なものでも眺めているような顔で僕を見ていた。

 どうしてそういう顔をされるのか、僕には分からなかった。

 

「分かった。お前がそう言うのであれば……私がとやかく言っても仕方ない。だが、それでもこれだけは言わせてほしい、ユウト」

 

 赤く煌めく瞳がまっすぐに僕を見据える。

 迷いも逡巡もない。その真剣さに、僕は背筋を正した。

 

「ありがとう。……私は、お前のおかげで救われた」

 

 滅多に笑わないはずの彼女が――ふっと、息を吐くように微笑んだ。

 凛とした横顔に浮かんだその微笑は、炎の光を受けて柔らかく揺れて。

 僕は、屁理屈を返すのも、言い逃れるのもやめた。

 

「どういたしまして」

 

 短く、ただそれだけを返して、僕は彼女の手を取り――優しく旋回させた。

 レイ先輩の銀の髪が、夜風にふわりと舞った。

 

「……お前に救われたこの恩、返しきれるとは到底思っていない」

 

 ゆらめく炎の光が、彼女の表情を半分だけ照らし出す。

 その横顔には、ほんのわずかに影が差していた。

 

「それでも、私は“剣”として誓おう。お前の障害となるすべてを、この手で討ち払うと」

「……もう十分すぎるほど返してもらったと思いますけどね」

 

 僕が少し肩をすくめてそう言うと、彼女はかすかに微笑みながら、静かに首を横に振った。

 

「いいや。まだだ。まだこんなものじゃない」

 

 その声は、強がりにも、懺悔にも聞こえなかった。

 ただ、未来を見据えようとする人間の声だった。

 

「……お前はきっと、私などでは想像もつかないところまで上っていくのだろう」

 

 炎を映した赤い瞳が、僕を真っ直ぐに見据える。

 噛みしめるように、彼女は続けた。

 

「だから――その道を切り開く剣として、私を傍に置いて欲しい。それが、私の()()()になるのだから」

 

 ――居場所。

 それは、彼女がずっと探していたものだ。

 誰かのために生きたい、自分を必要として欲しいと願いながらも、信頼する相手も、身を預けられる温もりも知らずに生きてきた彼女。

 

 孤独という鞘に収まったままのその剣が、ようやく抜かれる場所を見つけたのだ。

 だからこそ、彼女はもう一度だけ、迷いのない声で告げる。

 

「――感謝する。そして、今一度誓おう。お前を主とし、私はこの剣を振るう」

 

 言葉は静かだったが、その響きは確かに夜空を貫いた。

 誓いというものは、声の大きさではなく、心の重さで伝わるのだと思う。

 

 曲が静かに終わった。

 銀の髪がひるがえる。

 

 炎に照らされながら、彼女は静かに――けれど、確かな歩幅で立ち去っていった。

 その背中が、しんと夜に溶けていくまで、僕はただ見送っていた。

 

「優斗君」

 

 凛と澄んだ声が僕を現実に引き戻す。

 振り返ると、そこにいたのは――

 

「璃奈」

 

 灯りに照らされて佇む天羽璃奈。

 僕の恋人が、優しく微笑んで立っていた。

 

 




次回「エピローグ」で第二章は終了となります。
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