世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
第二章の最終話となります。
後書きにご報告がありますので、最後までご覧いただけますと幸いです。
女性を三人もとっかえひっかえし、ずっとフォークダンス会場に居残り続ける僕の評価がどうなっているのか――それは、周りの冷たい目が言外に語っている気もしたが、今はそんな目を気にしている余裕もなかった。
「一曲、踊ってもらえるかな?」
「もちろん」
言葉と同時に差し出された手。
迷うことなくその手を取り、僕たちは、三曲目が掛かり始めた輪の中心へと足を踏み出した。
ラストの曲は、静かで――それでいて壮大だった。
まるでこの一日すべてを包み込むような音の流れ。
クライマックスにふさわしい、淡く切ない旋律が運動場を満たしていく。
璃奈の動きは、完璧だった。
僕と息を合わせるのではなく、最初から合わせる前提で構成されたような、しなやかで優雅なステップ。
緩急のある旋律に合わせて、指先ひとつで空気を導いていくような存在感。
唯ちゃんのダンスは苛烈だった。炎のように激しくて、足元が燃えるほど感情に満ちていた。
霧島先輩の動きは実直で、律儀なまでに僕に歩幅を合わせようとしてくれていた。
でも――璃奈とのダンスは、どこか違う。
彼女は、優しく、力強く、美しく。
完璧な動きの中に、ふとした瞬間、切なさのようなものを宿していた。
「……璃奈」
気づけば、僕は自分から口を開いていた。
目の前で微笑みながら踊る彼女の瞳が、まっすぐ僕を捉えていた。
「ごめんね」
その言葉に、璃奈はほんの少し首をかしげて、ゆるやかな声で応じる。
「……それは、何に対する謝罪かな?」
僕は彼女の眼を見つめたまま、噛みしめるように言葉を選ぶ。
「霧島先輩とのこと、吸血鬼になっちゃったこと、心臓のこと……唯ちゃんの発言も。……諸々、全部」
決して浮気なんかじゃない。
でも彼女に何も説明せずに、勝手に多くの選択をしたのは、僕の側の罪だ。
そしてそれは、彼女を傷つけるに値するものだったかもしれない。
璃奈は、しばらく何も言わずに僕の瞳を見つめていた。
そして――軽く微笑んだ。
「……私ね、優斗君がポップコーン屋さんで働いてる間に、霧島先輩とお話ししたの」
「えっ」
驚いてみせたが、実際、薄々気づいてはいた。
唯ちゃんや霧島先輩と踊る間、彼女が黙って許していたとは思えない。
――あの天羽璃奈が、話し合いもせずに二人を受け入れるはずがないのだ。
「色々な話を聞いたよ。彼女の過去と、それから優斗君との間で何があったのか」
穏やかな言葉だったが、その奥にある感情の濃度は深かった。
璃奈の声は静かに耳へ届く。
「そっか……璃奈、霧島先輩は――」
「うん。話を聞いたから分かっているよ。霧島先輩、今までずっと苦しい思いをしてきたんだね……一人ぼっちで、どこにも居場所がなくて、ようやく見つけた居場所も失って――」
璃奈の表情は柔らかかった。けれどその瞳には、確かな痛みが宿っていた。
全く同じ境遇ではなくとも、彼女もまた、血の繋がった家族を失った身だ。
霧島先輩の孤独や苦悩に、共感するものがあったのだろう。
彼女の横顔を見ていると、胸がじんと熱を持つ。
「もちろん、先輩がやろうとしていたことは決して許されることはないけれど……でも、仮に優斗君を失ったら、私はあの人と同じことをすると思う」
「僕も同じだよ」
「えっ」
驚いたように目を丸くする璃奈。
けれどすぐに、その瞳には穏やかな理解が灯る。
「璃奈がいなくなったら、多分、同じことをすると思う」
「……フフッ、似た者同士だね」
照れくさそうに笑いながら、璃奈がくるりと旋回する。
ふわりとスカートの裾が舞い上がり、キャンプファイヤーの炎が彼女の髪にきらめきを映す。
その姿は、この夜に咲く一輪の舞姫のようで――僕は思わず、見惚れたまま彼女の手をしっかりと支えた。
旋回の勢いが収まり、彼女はそっと僕に視線を重ねて――不意に俯いた。
「……眼、赤いね」
小さく零したその言葉が、夜の風に混ざって胸へ落ちる。
真っ赤に染まった僕の瞳。吸血鬼の眷属となった証。
僕は踊る手をぎゅっと強く握った。
「うん……この眼は、怖い?」
「怖くないよ」
璃奈は即答した。
でもその答えの裏に、小さな揺れがあることにも気づいていた。
「だけど、優斗君らしくないなって思ったの」
「僕らしくない……?」
「優斗君は、温かいあの目がよく似合っていたから」
「……ただの日本人らしい黒目だったと思うけどね」
苦笑を浮かべながら答えたが、璃奈的には以前の瞳の方が好みだったらしい。
男の子的にはこの赤目の方が断然いいと思うのだが、そこらへんは感性の違いというやつだろうか。
「その眼はもう、元には戻らないの……?」
「……多分ね。あぁ、でも普段は“悪魔の屁理屈”で誤魔化しておくから、前の黒目に見えると思うよ」
「でも、それは誤魔化してるだけでしょ……?」
璃奈の声が、かすかに震えていた。
「そうだけど……でも、これは仕方のないことなんだ」
懇願するような眼差しを向けられても、僕にはもう変えられない。
その現実を受け入れるしかないから、僕はただそう答えるしかなかった。
璃奈は、泣き出しそうな顔で小さく首をうなだれた。
「そっか……優斗君はもう、人間には戻れないんだね」
「……ごめん」
「優斗君が謝ることじゃないよ。……霧島先輩から話を聞いて、もう成り行きは理解してるから」
璃奈は小さく息を吐くように言った。
「先輩、言ってたよ。『すべては私の責任だ。私の咎だ』って」
「……先輩らしいな」
生真面目な表情が脳裏に浮かんで、僕は静かに呟いた。
「優斗君は……吸血鬼になったことに、何か抵抗ってある?」
「それが、意外にないんだよね。身体は軽いし、霧になれるし、傷もすぐ治るし……日光とニンニクが苦手になるらしいけど、死ぬほどじゃないみたいだし。今のところは、むしろいいこと尽くめって感じかな」
「……そうなんだ」
小さく目を伏せる璃奈。
実際、吸血鬼化によって得た恩恵は大きい。
僕自身、“人間であること”にこだわりが強い性質でもなかったし、一夜にして塗り替えられた種族特性にも、特別な違和感はなかった。
「優斗君が特に問題に感じてないなら……私が心配することじゃなかったのかな」
「いや、心配してくれてありがとう。嬉しいよ」
笑顔で感謝を伝えれば、璃奈はそっと微笑んでくれた。
良かった。彼女は全てを聞いたうえで今回のことを受け入れてくれたみたいだ。
本当に、良かった。
「今回のことは、霧島先輩から真摯に説明と謝罪を受けてやむを得ない事情があったことは理解したし、優斗君が特に問題に思っていないなら、特に問題はないかな。……心臓の件は今でもちょっと根に持っているけどね」
「い、いやそれは――」
「分かっているよ。あそこで先輩に消滅されたら大きな戦力ダウンになっていたし、仕方がないことだったんだよね」
「う、うん……」
「あの後、私の心臓も受け取ってもらえたし、特に不満はないよ」
璃奈は余裕のある表情で笑みを浮かべる。
何と物分かりが良い彼女だろうか。
僕は、このまま美しいエンドロールを迎えられることを確信して――
「―――なんて、言うわけがないよね?」
美しい声が低く響く。
発せられた言葉が理解できず彼女を見ると、璃奈は笑っていた。
「り、璃奈……?」
凍てついた瞳で、艶やかな笑みを浮かべていた。
「いや、許すわけがないよね。許されるわけがないよね?」
彼女は当然の事実を確認するように、小首を傾げながら呆けている僕の脳に直接叩き込むように語気を落とす。
一語一語が、冷たい針のように刺さる。
「吸血鬼風情が、優斗君のことを眷属にした? ――なに、勝手なことしてるの?」
ドスの効いた低い声が響く。
だが、彼女は笑っていて――そのギャップに頭が狂いそうになる。
「しかも、自分の心臓を優斗君に渡した? ――……ふざけないで」
思い上がった女を見下すように、冷酷に告げる。
次の瞬間、彼女は僕の手をグイッと強く引いた。
その力に逆らえず、僕はバランスを崩して脚を縺れさせる。
気づけば――唇が触れそうな距離まで、彼女に引き寄せられていた。
炎のゆらめきが、彼女の瞳に赤く反射する。
そしてその瞳が、獲物を逃がさない支配者のように、僕を捉えていた。
璃奈は、静かに口を開いた。
「許さないよ。絶対に、許さない」
――
酷く残酷な言葉を放った。
「……」
何とも間抜けなことに、僕は何も言うことが出来なかった。
圧倒されていた――だけではない。
すっかり忘れていた自分の馬鹿さ加減に嫌気が差して、自己嫌悪に蝕まれていたのだ。
そう。忘れていた。忘れてしまっていたのだ。
彼女が、僕のせいで、どうなってしまったのかを。
死王女との戦いを終え、病院のベッドの上で彼女と交わした会話を思い出す。
『逃がさないよ。絶対に、絶対に、君を逃さない……!』
天羽璃奈は、既に狂ってしまっている。
表面上、そうは見えなくとも。
彼女がどれほど社交的に振舞っていようとも、その事実は変わらない。変えることが出来ない。
……もしかすれば、僕以外のことにも興味を持ってくれるようになってくれるかもしれないという儚い希望を抱いていた。
だが、それは過去形だ。
彼女は何も変わっていない。
何も変わらないまま――ただ、己の異常性を悟らせないように振舞っていただけなのだ。
「璃、奈……」
何かを言わなければならない。
そう思い、掠れた声で彼女の名を呼ぶが――
「あぁ、ごめんね、優斗君。今すぐに何とか優斗君の状況を改善してあげたいんだけど……今の私じゃ、大きな変化を齎すことは出来そうにないの……」
心底申し訳なさそうに璃奈は謝罪する。
僕を吸血鬼から解放させられないことを。
「優斗君が手に入れた吸血鬼の力も、有用なものではあるし――解決方法が見つかるまでは利用するに越したことはないよね。排除するには、厄介な相手だし」
まるで道具を扱うかのような淡々とした言いぶり。
冷徹に、冷酷に、冷静に。
璃奈は霧島レイと笑顔で接している理由を説明する。
「それに、あの人のお陰で優斗君に私の心臓を渡せたわけだし……その点だけは感謝してあげてもいいかな?」
礼を述べる言葉のはずなのに、そこには尊重も敬意もなかった。
霧島先輩への評価は、ただ“その一瞬だけの役割”として過ぎ去っている。
彼女の瞳は、霧島レイを映してなどいなかった。
いや。
霧島レイだけではない。
彼女の瞳は、誰のことも映していなかった。
十六夜蓮も、十六夜唯も、メフィラも映っていない。
それらはただの“現象”に過ぎず――利用価値があるか。排除すべき脅威か。それ以外の意味は、存在しない。
璃奈の瞳に、本当に映っているもの。
それは――僕だけだった。
僕以外のすべては、世界から剥がれ落ちた紙のように、彼女の認識から切り捨てられている。
「だけど、それは今だけの話」
璃奈は微笑んだ。
その笑みは、薄氷のように繊細で、それでいて――足元に裂け目を生み出すほどの恐ろしさを孕んでいた。
「いずれ、吸血鬼の楔から解き放つ方法を、私が見つけてあげる」
囁く声は祈りのように穏やかで、慈しみに満ちていた。
だが、それは祈りではなかった。
選択ではなく、決定。
願いではなく、約束。
「死王女を打倒できるくらいの力を、身につけてみせる」
璃奈の瞳が、炎に照らされて一度、ふわりと輝いた。
その紫の光は、神秘的で――どこか、純粋な強さを帯びていた。
だけど、その輝きはすぐに濁っていく。
いや――これは、
これは、
一線を越えた者だけが放つ、地獄のような光。
狂気と執着と破滅が結晶化したような、冷たく強烈な確信。
「そしていつの日か――メフィラを殺して、優斗君の心臓を取り返して見せる」
その声に、揺らぎはなかった。
静かで、確かな殺意。
冗談でも、激情でもない。
ただ、純粋に“そうなる”という未来の報告。
焔が風に揺れて、周囲の影が乱れる。
その中で、璃奈はゆっくりと踊る。
腕を滑らかに伸ばし、足を揃えて回る。
舞姫のような所作。
「だから、待っていてね、優斗君」
彼女はくるりと旋回し、ふわりと髪が舞った。
炎の赤が瞳に映り、その紫は深淵のように染まっていく。
「私は、必ず、やり遂げるから――」
言葉がダンスホールに溶けていく。
炎が燃え上がり、暗闇と混じり合う彼女を一際美しく彩った。
「……」
僕は、またしても言葉を失っていた。
間抜けなほどに何も言えず、ただ立ち尽くすばかりだった。
今回も、なんとか事態を収拾した――そんな慢心が胸の奥にあった。
失敗と窮地の連続だったというのに、結果だけを見て安堵しようとしていたのだ。
実際には薄氷を踏むような選択ばかりだった。ギャンブルじみた決断を繰り返し、今を乗り切ることだけを優先して――そしてその報いが、こうして未来にじわじわと返ってきている。
何度も繰り返していることなのに、きちんと学習出来ていない自分の馬鹿さ加減に心底腹が立つ。
……だが、ただ自虐していても、何も変わらない。
彼女が誓いを立てたのなら。
誰にも揺るがせない決意を胸に刻んだのなら――僕もまた、自分自身に誓うべきだろう。
彼女と再び恋人になれた、あの夜のように。
「……それなら、僕も誓おう」
璃奈の瞳を、真っすぐに見つめる。
炎の光に照らされた彼女の瞳は、紫ではなく、今や深紅に近い色をしている気さえした。
「僕は――君を、幸せにしてみせるよ」
その一言が落ちた瞬間、璃奈の瞳が大きく見開かれた。
呼吸を忘れたような表情で、彼女は僕を見つめ――
瞳に、静かに雫が溜まりはじめた。
「……優斗君!」
張りつめていた感情が崩れる音が聞こえた気がした。
璃奈は感極まったように僕へと飛び込んできた。
細い身体を抱きしめると、熱を持った涙が肩に落ちた。
この誓いに込めたすべての意味を、彼女はきっと理解していない。
いや――理解できないように、僕が選んだのかもしれない。
彼女が切り捨てようとしているもの。
人間であること。
その曖昧で、脆くて、それでも確かに尊いもの。
僕は、守りたいと思った。
彼女がそれを手放してしまわないように。
何もかもを冷徹に選び取るようになってしまわないように。
僕に抱き着く彼女の背中を撫でながら、僕は決意と共に顔を上げた。
「まずは、手始めに――」
ダンスホールには、まだまだ青春を終わりたくない生徒たちによる「アンコール!」の声が響いていた。
あまりにも「アンコール」の声が多いからか――或いは、こうなることを想定していたからなのか、暫くしてから予定になかった四曲目が、ゆっくりと流れ始めた。
歓喜の声が上がる。
こうなっては無礼講とばかりに、先程まで静観していた生徒たちもダンスホールに入って来る。
再び踊り出す生徒たちの楽しそうな声が、夜の校庭を満たしていた。
僕は彼女へと手を差し出す。
「――もう一曲、踊って頂けませんか?」
璃奈は少しだけ肩を震わせて笑みを浮かべる。
涙がまだ残る目元で、それでも心からの笑顔を見せてくれた。
「……喜んで」
彼女の手が、僕の手と重なった。
指先が触れた瞬間、炎が僕たちを照らした。
月光の下。
焔が背中を温める。
夜風が制服の裾を揺らす。
今しかない青春。
今しか踊れない時間。
その一瞬を惜しむように、僕たちは踊り始めた。
曲の終わりまで、ただ静かに、真っ直ぐに――。
長く続いた第二章も、ようやく完結を迎えることができました。
ここまでお読みいただいた読者の皆様に、心より御礼申し上げます。
個人的には反省点も多くある章ではありましたが、まずは無事に書き上げることができたことに、ひとまず安堵しております。
いつも誤字をご指摘くださる皆様、評価を頂いた皆様、感想や「ここ好き」を届けてくださる皆様にも、改めて深く感謝いたします。
さて、本作につきましては――このたび、オーバーラップ文庫様より書籍化が決定いたしました。
ここまで応援してくださった読者の皆様のお力添えがあってこそのご報告です。本当にありがとうございます。
詳細につきましては、今後の活動報告にて改めてお知らせさせていただきます。
取り急ぎ、第二章完結のご挨拶と書籍化のご報告まで。
まだまだ物語は続いてまいりますので、今後ともお楽しみいただければ幸いです。