世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第三章
第43話:クリスマスを楽しめる人は幸せ者な件


 

 霧島レイの襲撃事件が収束してから、気づけば一か月半が過ぎていた。

 季節は巡り、今は十二月。

 気温もすっかり冬の装い。マフラーとコートが標準装備になったあたりに、世界の冷却処理が着々と進んでいることを実感する。

 

 そして本日、十二月二十四日。

 説明不要のあの日――クリスマス・イヴである。

 

 赤と緑の梱包に包み、「クリスマススペシャル」と銘打つだけで通常品よりも遥に高い金額で店頭に並ぶ商品と、嬉々としてそれらを買い漁る消費者たち。

 チカチカと目に眩しい装飾が為された街中。

 手を繋ぎ、イチャコラと目に鬱陶しい絡みを見せつけてくるカップルの群れ。

 

 ハッキリ言おう。

 去年までの僕は、とにかくこの祭りが嫌いだった。

 

 いや、別に彼らが羨ましいと言っているわけではない。

 断じてそういうわけじゃない。

 

 ただ、毎度毎度大袈裟にクリスマスを祭り上げて、「楽しめない奴は人生損してる」みたいなムードを作り出していることにムカついていたのだ。

 

 人生を損しているかどうかはこちらが決めることであって、人に決められることではない。

 クリスマスを特別視せず、普段通りに過ごしている人たちだっているというのに、そういう人たちも巻き込んで無理やり自分たちの充実ぶりを見せつけてくるその性根の浅さと配慮の無さに腹が立っているんだ。

 

 断じてクリスマスという存在自体が嫌いなわけではないし、創設者のキリストさんにも恨みはない。

 

 僕が嫌いなのは、幸福マウントを取りたがる承認欲求ジャンキーだけだ。

 

 

 ――と、まあそんなことを言っていたのは過去の話で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クリスマス! 最高ォォォォ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒャッハー! クリスマス最高ォ! どんだけ価格が跳ね上がってても関係ねェ! 気分がいいから何でも買っちゃうもんね! 

 うわー、イルミネーションも綺麗だなぁ……あれを素直に美しいと受け入れられない人間が可哀そうで仕方がない。

 こんなに素晴らしいイベントを心から楽しめない人たちの心境が全く理解できない。

 

 赤と緑の梱包に包み、「クリスマススペシャル」と銘打つだけで通常品よりも遥に高い金額で店頭に並ぶ商品の数々――実に素晴らしい。

 クリスマスなんだ。お店だって儲ける権利があるし、経済を回すことは悪いことではない。

 

 チカチカと目に眩しい装飾が為された街中――実に結構。光るものはいい。なんか、最高だ。キリストさんだって喜んでいるに違いない。

 

 手を繋ぎ、イチャコラと目に鬱陶しい絡みを見せつけてくるカップルの群れ――いいじゃないか。こういうイベントは皆で楽しむべきものだ。僕だって、明日は可愛い彼女と一緒にイチャコラしながら街を歩く予定だから、君たちの気持ちはよく分かる。

 

 てなわけで、改めて宣言する。

 

 

 

 

 クリスマス……最高ォ!

 

 

 

 

 ……………………

 ………………

 …………

 ……。

 

 

 

 ……失礼。少しだけ浮かれていたみたいだ。

 

 ただでさえ低い好感度を、危うく底辺まで押し下げてしまうところだった。

 危ない、危ない。

 

 さて、正気も取り戻したところで――僕の状況を説明すると、今、僕は都心にあるデパートを訪れていた。

 しかも今日は、珍しく璃奈が隣にいない。

 たった一人、自由の身である。

 

 これは、最近にしては非常に珍しいことである。

 なにせ――文化祭での事件以降、璃奈は僕にべったりとくっついてくるようになっていたので。

 

 もともと一緒にいる時間は長かったが、今では“自由”と呼べるものが極端に減ってしまった。

 どこに行くにも一緒。誰に会う時も一緒。

 学校の授業や、睡眠・入浴などの本当に限られた瞬間を除いて、璃奈は常に僕の傍にいた。

 

 ……この状況を招いたのは僕の軽率な行動であったことは重々承知だが、流石に度を越えているというか、かなりまずい状況だと思う。

 

 何とか彼女には以前の社交性を取り戻して欲しいと願いながらそれとなくアクションは起こしてみるものの、全く耳を傾けてくれない。

 まぁ、こればかりは気長にやっていくしかないだろう。

 

 話を戻すが、そんなわけで絶対に僕を単独行動させたがらない璃奈は、クリスマスプレゼントも一緒に買いに行こうと言っていたが、流石に事前に中身が分かっているプレゼント交換など面白くない。

 そんな理由を盾に必死の説得を繰り広げた結果、ようやく久々の単独外出を勝ち取ったのだった。

 それにしても――

 

「プレゼント、どうするかな……」

 

 僕はため息をつきながら、店内を一人で歩き回る。

 

 別にクリスマスでなくても、璃奈にはよく理由をこじつけてプレゼントを渡している。

 でも、今回のは特別だ。

 聖夜というブランド付きイベント。気合の入り方も違う。

 だからこそ、慎重に店を回っているのだが――いまいち、ピンと来るものがない。

 

「ヤバいな……早く帰らないと璃奈が怖くなる……」

 

 門限という名のタイムリミットがある以上、悠長にしている暇はない。

 時計を見ながら戦々恐々としている僕だが、最近の璃奈は本当に怖いのだ。

 

 怒るわけではない。表面上はいつもと変わらない。

 でも、僕が勝手な行動を取ると、無言で冷ややかな視線を向けてくる。

 その圧は言葉の暴力以上に鋭く、体感温度が氷点下に下がるレベルだ。

 

 とくに――護衛という名目で霧島先輩が家に来た時や、「恩を返してください!」と図々しく唯ちゃんが押しかけてきた時は……本気でヤバかった。

 

「……おっと、まずい。寒気が……」

 

 暖房が効いた店内だというのに、背筋がぞくりと冷えた。

 思い出したくない記憶だ。今はそっと記憶の奥に仕舞っておこう。

 

 それよりも、早くプレゼントを選ばなければ。

 

「ピアス……は二番煎じだし、ネックレス……はもうお洒落なのをいっぱい持ってたし、時計……は中途半端なやつしか買えないなぁ……」

 

 女性向けの売り場を一人で黙々と歩き回るという、ちょっとした苦行に耐えながら色々と見て回る。

 幾つか良さげなものを見つけるが、これまで渡してきたプレゼントと重なるところがあったり、これまでにないものであっても桁が一つ違うというか……己の経済力のなさが嘆かわしい。

 

「うーん……」

 

 さて、これは困った。

 腕を組みながら頭を捻っていたその時だった。

 

「――お困りのようだね。手を貸してあげようか?」

 

 艶やかな低いアルトの声。

 お決まりの台詞と聞き覚えのある甘い声に一瞬で正体を悟り、渋面になる。

 僕はゆっくりと振り返った。

 

「……お前、なにしてんの?」

「我が愛しの契約者様がお困りのようだったから、参上しただけだよ」

 

 飄々と肩を竦める、見慣れない私服姿の美少女――もとい、最低最悪の悪魔である如月メフィラ。

 僕は心の底から憂鬱な気分になりながら溜息をついた。

 

「冷やかしながら帰ってくれ。僕は忙しいんだ」

「そう邪険にしないでくれよ。――女性としてアドバイスをしてあげるために出てきたんだからさ」

「いらないよ。お前に人の感性が理解できるとは思えない」

「失礼なことを言うじゃないか。それじゃあ、この格好を見ても僕の感性が優れていないというのかい?」

「……」

 

 メフィラは「ほら」とばかりに両腕を広げて見せた。

 

 紫色のシャツにグレーのチェック柄のジャケットコート。フロントはボタンで留められている。

 下は黒のミニスカートに黒いブーツ、白く長い靴下を合わせていて――脚の長さが際立つ。

 大人っぽさとボーイッシュな雰囲気を巧みに混ぜ合わせた、まさしく洒落たコーディネートだった。

 思わずため息をつく。

 悔しいけれど、確かにお洒落だ。

 

「……まぁ、洒落ているとは思うけど……お前、普段は何してるんだよ? ファッション雑誌でも読み漁ってんのか?」

「内緒」

 

 軽やかなウインクを一つ。

 気障な仕草のはずなのに、こいつがやると妙に様になるのが腹立たしい。

 悪魔業なんてやめて、宝塚歌劇団にでも入った方が似合う気がする。……まぁ、そうは問屋が許さないか。

 

「まあいいや。お前が洒落ているのは分かったけど、僕は自分の感性を信じてプレゼントを選ぶことにするよ。流石に恋人へのプレゼントを他人に――それも、お前に任せていたら、彼氏の面目丸潰れだ」

「ふーん、彼氏をやるのも楽じゃないんだねぇ」

「いいんだよ、別に。楽するためにやっていることじゃないんだから」

「じゃあ、何のためにやっているんだい?」

「何のためにって……普通に、楽しいからに決まっているだろ」

 

 楽するために恋人をやっている奴がいるとしたら、そいつはただの詐欺師だ。

 僕はただ、璃奈が喜んでいるところを見たくて、こうして彼氏としてプレゼントを選んでいる。

 

「へぇ、そういうものか」

「……なんか、あれだな。お前、やっぱり悪魔なんだな」

「なんだい、急に。改まって」

 

 ぱちりと目を瞬かせて、メフィラが不思議そうな顔をする。

 ……ダメだな。クリスマス・イヴということもあって、多少浮かれているらしい。

 よりにもよって、こいつ相手に口が軽くなっている。

 僕は黄金の瞳を避けるように視線をそらした。

 

「いや、何でもない。それより、マジで時間ないから、あっち行ってくれ。集中できない」

「心にもないことを言うもんじゃないよ。もうプレゼントは決めてあるんだろ?」

「は?」

「あれ、自覚なかったんだ。君、さっきからずっと視線がそこに吸い寄せられていたよ」

「……」

 

 メフィラが指さした先。

 そこには――確かに、璃奈にぴったりだと思える品が、静かに鎮座していた。

 この悪魔に教えられるのは正直腹立たしいけれど……認めざるを得ない。

 心のどこかで、僕はあれを“選びたい”と思っていたのかもしれない。

 

 だが――

 

「お値段が君の財布事情からして厳しいのかな?」

「……」

「どうやら図星のようだね。まぁ、先立つものがなければ、感性なんて役には立たないわけだし――力を貸してあげようじゃないか」

 

 メフィラはポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。

 

「こ、これは――」

 

 漆黒のカード。

 その艶やかな光沢と威圧的な存在感。

 富裕層にだけ許された、選ばれし者の証。

 

「ぶ、ブラックカード……だと……?」

「幾らでも使ってくれて構わないよ。最近は口座見てないから分からないけど、多分、戦闘機くらいなら買えるんじゃないかな?」

「ハハハ! そんなまさか――えっ、冗談だよね?

 

 メフィラは答えず、ただ怪しく微笑むだけ。

 戦闘機のくだりが本気かどうかは分からないが……この余裕のある態度から見て金持ちであることに間違いはなさそうだ。

 

 そうか――原作では一切描写がなかったが、コイツ、金持ちだったのか。

 いや、考えてみれば生まれは悪魔とはいえ、紛うことなき王族だ。

 スケールが異常だっただけで、“富裕層”という肩書き自体にはまったく違和感がない。

 

「って、金がどうとかそういう話じゃないんだよ! お前、この僕を金で釣るつもりか……! なんて小癪な……!」

「――とか言いつつ、右手が震えながらカードに向かって伸びてるけど?」

「おっと、しまった。つい反射的に……」

「反射的に出るなら、それが君の本音だよ」

 

 メフィラが珍しく呆れたような顔をする。

 こいつに呆れられるなんて、いよいよ僕も末期かもしれない。

 

「べ、別に、お金になんか興味ないんだから! これっぽっちも興味ないんだからね!」

「こんなに無様なツンデレがあるとは知らなかったよ。人間の業は深いねぇ」

 

 腕を組みながら感心したような視線を向けてくるメフィラ。

 やめてくれ。

 呆れられるより、遥かに心にダメージがくる。

 

「――で、どうするんだい? この間迷惑をかけたこともあるし、幾ら使ってもらっても構わないよ」

「……」

 

 正直言って、悪い話ではない。

 

 コイツに掛けられた迷惑から考えれば、お釣りが来るくらいだ。なんなら、一歩間違えば世界が滅んでいたかもしれないのだから、全額貰ってもおかしくな――って、落ち着け。ちょっと強欲になってるぞ、自分。

 

 ゴホンッ!

 

 ――ともかく、悪い話ではないのだが……それでも流石に、答えは決まっているだろう。

 

「悪いけど、このお金は受け取れない」

「へぇ? 理由を聞いても?」

「簡単な話だよ」

 

 僕は至極当たり前の事実を口にした。

 

「他人の金で彼女へのプレゼントを買う奴がどこにいるんだ」

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「ありがとうございました――‼」

 

 ホクホク顔の店員の挨拶に見送られながらデパートを出る。

 冷たい風が吹き抜け、慌ててコートの前を締めた。

 

「良かったのかい?」

「何が?」

「あれ、一番欲しいやつじゃなかったんだろう?」

「……今回は仕方ないよ」

 

 結局、自分の財布からお金を出すことを決めた僕は、狙っていた製品――よりも一段下の価格帯のものを選んで購入した。

 もちろん、悔しい気持ちはあるが――

 

「こういうのは、気持ちが大事だからさ」

「ふーん、そういうものか」

 

 ありきたりな話だが、しかし事実ではあると思う。学生の身の上である以上、どうしても予算に限りはあるわけだし、自分に出来る範囲で相手を喜ばせたいという思いが籠っていれば、きっと伝わるはずだ。

 

「ところでさ――」

 

 僕は璃奈へのプレゼントを片手に持ちながら横を見た。

 

「――お前、どこまでついてくる気なの?」

「冷たいこと言うなよ。ただでさえ、寒いのに」

「冷たくないだろ――って、くっつくな!」

 

 「寒い寒い」と言いながら腕を絡めてこようとするメフィラから、僕は全力で距離を取ろうとする。

 

「つれないなぁ」

「つれたらまずいだろ。目的が何か知らないけど、さっさと帰ってくれ」

「プレゼント選びを手伝った恩人に対して、その態度はちょっと酷くないかい?」

「決めたのも僕だし、払ったのも僕だよ? お前、何もしてないだろ」

「いやいや。君が自覚してなかった欲しいものを、自覚させてあげたのは僕だからね? 冷静に考えてごらん。君のうだうだ悩み続ける性格からして、僕が現れなかったら気づくのはもっと後だったと思うよ?」

「ぐぬぬ……」

 

 反論しづらい。

 自分の怠惰さは、誰よりも自分が分かっている。

 正直、業腹ではあるが、コイツが現れなければ、今頃まだ店内をさまよっていた可能性は高い。

 

「ほら、こんなに綺麗なイルミネーションが広がっているんだからさ、もうちょっとくらい楽しんでから帰ったらいいじゃないか。まだ時間はあるんだろう?」

「あっ……お、おい!」

 

 グイっと左腕を引っ張られる。メフィラは滅多に見せない物理的な強引さを発揮しながらイルミネーションが煌めく方へと僕を誘導していく。

 

「ちょ、ちょっと! 僕マジで帰らなきゃいけないんだって!」

「そう固いことを言うなよ。ほら、見てごらん。綺麗だねぇ」

 

 ズルズルと悪魔的な腕力で僕を引っ張って来たメフィラは、お洒落な街道を彩るイルミネーションを見て感嘆の声を上げる。

 コイツにイルミネーションを楽しむ感性があったことへの驚愕は一先ず置いておくとして――

 

「ちょっとメフィラ! しつこいぞ!」

「しつこい男は嫌われるって聞くけど、その逆は聞かないよね?」

「聞くよ! しつこい女だって嫌われるに決まってるだろ⁉」

「へぇ、そうなんだ。それは傷つくね」

「だったらもう少しそれらしい顔をしろ! あと、離せよッ!」

 

 必死に腕を振りほどこうとするが、見た目に反してメフィラの膂力は異常だった。

 何かの魔術で強化でもされているのか、全然逃げられない。

 

「ほら、このアクセサリーやカバンもイルミネーションに負けないくらい素敵だねぇ。ブランド品かな?」

「うわっ……ここ、世界的に有名な二台巨頭のファッションブランドじゃないか……」

 

 メフィラに引っ張られて辿り着いた某アパレルブランドのウィンドウには確かに綺麗な商品が並んでいた。

 間違っても僕の財力では手出しが出来ない品物だ。

 

「ねぇ、僕にもクリスマスプレゼント買ってよ」

「嫌だよ。だいたい、璃奈へのプレゼントで財布はすっからかんだ」

「甲斐性がないね」

「ここで甲斐性発揮するのは間違いだろ。……っていうか、お前ならここにある商品、全部買えるんじゃないか?」

「まぁ、買えるだろうね。だけど、そういう問題じゃないんだよ」

 

 メフィラは感情の読めない黄金の瞳でウィンドウを眺めながら、

 

「――自分の力で簡単に手に入るものに、価値なんてないだろう?」

「……」

 

 その声音に、冗談は含まれていなかった。

 感情の読めない黄金の瞳が、ただ静かに光を映していた。

 

 この悪魔が――心の底で欲しているもの。

 その正体を知っている僕は、何も言えなかった。

 不用意な言葉を、口にする気にはなれなかった。

 

「さて、そういうわけで……ウィンドウショッピングと洒落こもうか」

「何がどうなってそうなったんだ! 何度も言うけど、僕はもう帰るぞ!」

「ダメだよ。君は、僕と一緒にいるんだから」

「はぁ?」

 

 意味深な笑みが浮かぶ。

 嫌な予感が込み上げる。

 咄嗟に腕を全力で――掛け値なしの全力で振りほどこうとした。

 ……でも、それでも逃れられない。

 

 膨れ上がる不安。跳ね上がる予感。

 人目は気になるが、一瞬だけ霧化してでも逃げ出すしかない――!

 

「――おっと、それはダメだよ」

「ッ!」

 

 霧化が発動しない。

 メフィラは細めた瞳で僕を見つめ、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 ……霧封じ。大公が使っていた霧化無効の術式を、コイツも……!

 

「おい! マジで何のつもりだ――」

「本当は恩を着せて自主的に協力してほしかったんだけど……君があまりにも強情だからね。仕方なく、手を切り替えさせてもらうよ」

「な、何を……!」

「悪いね。我が愛しの契約者様――クリスマス前に、一仕事お願いするよ」

「ッ!」

 

 ――その瞬間だった。

 目の前にあった鏡が、まるで生き物のようにゆっくりと歪み始めた。

 鏡面には波紋のような揺らぎが生じ、内側から別世界の空気がじわじわと滲み出してくる。

 冷たい冬の空気とは異なる、柔らかで不穏な温度。色も匂いも違う。

 それは、この世界に属さない何か――境界の裂け目だった。

 

「こ、これは……⁉」

 

 浮かれた頭が一瞬で覚醒する。

 クリスマス。イルミネーション。プレゼント。

 そんな甘い言葉はすべて忘れ去り、脳が本能的に“戦闘態勢”へと切り替わっていく。

 

 鏡。

 冬。

 境界。

 

 バラバラだったはずの要素が、ぴたりと揃った。

 その交点に立った瞬間、僕の体は――鏡の中へと、引きずり込まれた。

 

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ⁉」

 

 視界がぐるりと反転する。

 重力が逆さになり、身体が宙に投げ出される。

 “落下”というより、“引き抜かれた”ような感覚。

 

 光がぐにゃりと曲がり、イルミネーションの輝きが遠ざかっていく。

 街のざわめきがしぼんでいき、時間そのものが巻き戻されているような錯覚。

 

 感覚は曖昧で、空気は奇妙に軽く、色彩はどこか現実離れしている。

 まるで水面を突き破って別の層へ落ちていくように、僕はここではないどこかへと引き込まれていった。

 

 その最中、耳に届いたのは、艶やかな悪魔の囁き。

 

「――さぁ、始めようか。楽しいイヴになりそうだ」

 

 鼓膜をくすぐるような柔らかい声だった。

 それでいて、背筋に冷たい刃を立てるような響きがあった。

 

 そして僕の新たな冒険が、静かに――けれど容赦なく、幕を開けた。

 

 

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