世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
霧島姉御の無双回です。
何もする気力が起きない僕は、霧島先輩の銀色の霧に包まれた状態で彼女の家にまで運び込まれ、そのままなし崩し的に同じ布団で眠ることになった。
頭の中はぐちゃぐちゃで、一睡もできないだろうと思っていた。
けれど、身体は現金なもので――怒涛の展開に疲労が限界だった僕は、布団に入ってすぐに眠りに落ちた。
そして、翌朝。
「おはよう」
耳元で、柔らかい声がした。
目を開けると、すぐ近くに霧島先輩の顔があった。
「お、おはようございます……」
いつの間にか、抱きしめられて眠っていた。
いや、正確には――僕も、きっちり抱きしめ返していた。
もう一度言う。
抱きしめられて、眠っていた。
そして、抱きしめ返していた。
「ッ! す、すいません! すぐ出ます!」
「あっ、おい……」
まさか抱きしめ合って寝ていたとは思わず、急にやましい気持ちになり、いそいそと離れる。
霧島先輩は残念そうな表情を浮かべていたが、流石にいつまでもこうしているわけにはいかない。
しかし、昨夜は使い物にならない状態だったとはいえ、まさかこちらからも抱きしめ返して眠っていたとは……よっぽど人肌恋しかったんだな。
あるいは、霧島先輩の包み込むような――なんでも受け入れてくれそうな包容力に、無意識のうちに絆されたのかもしれない。
「ん? どうした、私の顔をじっと見て」
「いえ、何でもないです……」
布団から抜け出した僕をニコニコと見つめる霧島先輩の顔は優しい。
まさか、この人にこんなに包容力を感じることになるとは思わなかったな――。
いや、原作知識や過去の記憶を覗いた時から、頼りになるお姉さんであることは知っていたつもりだったのだが……。
「調子はどうだ? 元気になったか?」
「あっ、はい。お陰様で、かなりスッキリしました」
混乱と衝撃で碌に考えが働かず、公園のベンチから動けずにいた昨夜とは異なり、今は身体も頭もかなりスッキリしていた。
何も考えずに眠ることで感情諸々、整理整頓されたらしい。
とは言っても、この世界の璃奈のことを考えるだけで再び沈んだ気持ちになって来るのだが――
「それは良かった! んじゃあ、取り敢えず、風呂入るか?」
「えっ?」
「昨日はそのまま眠っちゃったからな。別に変な匂いはしないけど、入っておいた方がスッキリするだろ?」
「あぁ……」
言われてから気がついたが、確かに僕も霧島先輩も外出着のまま眠ってしまっていた。
さすがにコートは脱いでいたが、それでも寝間着以外で先輩の布団に入ってしまったことに違いはない。
「す、すみません! 気がつかなくて……」
「なに謝ってんだよ。余裕がない時に風呂なんか入れるわけないだろ? ひとまず寝る! 飯食う! んで、風呂に入ればいいんだよ」
「いや、でも……」
「私のことは気にすんな。別にユウトの匂いは嫌いじゃないよ。むしろ、もっとマーキングしてもいいんだぜ?」
ニヤリ、と妖しい笑みを浮かべながら揶揄ってくる霧島先輩。
昨夜に続き、大型犬っぽい言い回しだが――これが気を遣ってくれていることは、バカな僕でもわかる。
僕は、深々と頭を下げた。
「本当に――ありがとうございます。霧島先輩」
「おう! だが、お礼はまだ早いぞ。お前には、私の家の接待フルコースを味わってもらう予定だからな。そら、ひとまずは風呂だ。えっと、タオルは……」
「お風呂はありがたいんですが、家主は先輩ですし、ここは先輩が先に――」
「お前はお客さんなんだから、気にすんなって。私は私で布団洗濯したり、朝飯準備したりで忙しいから、先に入ってな。……あっ、どうしても気が咎めるならいい手があったな」
「というと?」
「一緒に入ればいいんだよ」
霧島先輩は笑いながら――でも、あながち冗談でもなさそうな顔でそんな提案をしてきた。
「いや、それはさすがに……」
元の世界の璃奈に殺されるだろうな。
いや、なんなら、この世界の璃奈も亡霊として蘇って、殺しにくるに違いない。
――たとえ亡霊でも、蘇ってくれるなら嬉しいな。そんなことを思ってる僕は、やっぱり手遅れなのかもしれない。
「ハハハ! 冗談だよ! いいから入ってこい! お前が起きる少し前にお湯は張っておいたから」
「さ、さすがですね……」
なんというか、かなり手回しがいい。
この人、こんなに家庭的な人だったんだな。
知らなかった……。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……先にお風呂いただきますね?」
「おう! 後で覗きに行くから待ってろ!」
「自然な流れでセクハラ発言するのやめてください」
「ハハハ! ダメだったか!」
豪快に笑う、セクハラ親父みたいな、銀髪・赤目・巨乳の美女。
大変親切にしてもらっておいてなんだが、元の世界に帰った時、霧島先輩といつも通り接することができるのか……イメージが変わりすぎて、あまり自信がなかった。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
「ふぅー、極楽、極楽……」
霧島先輩のご厚意で先にお風呂に入らせてもらえることになった僕は、きっちり身体を洗ってから湯舟に肩までつかっていた。
身体の芯からポカポカと温まり、一気に疲れが取れていく。
一度眠ったお陰でかなり疲れや悩みは軽減されていたが、このお風呂によって真の意味で綺麗に整頓された感じがある。
風呂は命の洗濯――とはよく言ったものだ。
単純な話だが、後はお腹いっぱいご飯を食べれば元気に活動を再開できそうだった。
「霧島先輩の言うことは正しかったんだな……」
豪快な彼女が口にしていた『取り敢えず寝る! 飯食う! んでもって、風呂入ればいいんだよ』という言葉。
そんなことで吹き飛ぶ悩みじゃない――と、昨日の僕は思っていた。
でも、実際は脳みそがまともに働いていなかっただけで、身体も心もメンテナンス不足だったらしい。
人間も機械と同じだ。
睡眠でデータを整理し、風呂で芯まで温めて、ようやく再起動できる。
今の僕は、心身ともにフル充電された状態だ。
もう一度立ち向かう勇気が、ちゃんと湧いてきた。
……もちろん、本物の璃奈が本当に亡くなっていたら、何をしても立ち上がれなかっただろう。
でも今は、まだ希望がある。
だから、動ける。
「鏡の世界、か」
湯に身を沈めながら、天井を見上げてぼんやりと呟く。
問題は山積みだ。
脱出方法の分からない異世界。
何故か自殺している、この世界の璃奈。
そして、彼女が残した遺書のような小さな紙切れ。
反転や屈折だけでは説明のつかない現象が、いくつも起きている。
これを根元から紐解くには、相当な覚悟と手間が必要だろう。
でも――やらないという選択肢は、ない。
元の世界に帰って、璃奈の無事をこの目で確かめるためにも。
こんなふざけた鏡の世界、さっさと攻略してやる。
「あっ、そういえば」
鏡と言えば、だ。
さっきも髪、顔、身体を洗う時に見ていたが、何も起きなかったな――。
一度お風呂から上がり、曇っている鏡を少し拭いてから覗き込んでみる。
そこには、濡れた髪を後ろに撫でつけてオールバックにした、いつも通りの僕が映っているだけだった。
だが、いつも通りとは言っても、僕の容姿は数か月前から少し変貌していた。
吸血鬼化の影響である。
不老不死の象徴とも言われる吸血鬼は、常時超回復とステータスアップの効果を発揮しているらしく、僕のポテンシャルを勝手に最大限引き出してくれている。
肌艶は良くなり、顔つきも引き締まってきた。
もともと変な顔だったわけじゃないけど、骨格に沿ってシュッと整ってきた。
要するに――イケメンになってきた、というわけだ。
喜ばしい話ではある。
でも、周囲が飛び抜けた美形ばかりなので、別に目立つわけでもない。
むしろ、学校の先生や同級生から整形を疑われて、地味に苦労している。
でうまく誤魔化したけど、結局のところ、得した気分にはなれない。
ちなみに、顔だけじゃなく身体も同様に強化されていて、僕の肉体は今やバキバキの状態だ。
筋トレを一切していないのにこの仕上がり。
もしそれがバレたら、全トレーニーとプロテインから激怒されるに違いない。
今はまだ成長期で、肉体も変化し続けている。
でも、僕が自分の“全盛期”を自覚した瞬間に、成長は鈍化する――と霧島先輩は言っていた。
つまり、いずれは人間の枠を明確に外れる時が来る。
それは恐ろしい未来にも思えるけれど……今考えても仕方がない。
こういう能力の恐ろしさは、歳を取って来た時に――周りの時間軸から取り残されてきたときに初めてわかるものだろうから。
……っていうかこの設定、明らかに化〇語のパクリだよな。
鏡の世界もなんか見覚えある話だし、この作品の作者には独創性が――
閑話休題。
なにはともあれ、鏡には僕の姿が映り続けている。
試しに触れてみたが、もちろん反応はない。
やっぱり、メフィラを捕まえて強引に出口を開かせるか、この世界のどこかにいるであろう元凶をどうにかしないことには帰れなさそうだ。
「……上がるか」
もう十分に身体は温まった。
あまり長風呂をしていたら霧島先輩に迷惑がかかるし、そろそろ上がろう。
風呂から出て、用意してもらったバスタオルで身体を拭いたあと、霧島先輩の部屋着のひとつだというジャージを着る。
サイズは彼女と身長差がほとんどなく、骨格もしっかりしているせいか、特に違和感はなかった。
……なんか、めっちゃいい匂いがする。
シャンプーも女性用のものしか置いていなかったので、僕は今、霧島先輩の匂いを全身に纏っている状態だ。
今この瞬間に璃奈に会ったら、確実に殺されるだろうな――。
ちなみに、昨日から着ていた僕の服は、彼女が自分の服と一緒に洗濯してくれている。
乾燥機付きのドラム式洗濯機で洗っているらしく、すぐに綺麗になるとのことだ。
つくづく、至れり尽くせりというか、尽くされすぎているというか……もうどうやってお礼をすればいいのか分からない。
また機会を見て、欲しいものがないか聞いてみよう。
「お、上がったか!」
「お先にいただきました。ありがとうございます」
「身体、温まったか?」
「はい。おかげさまで。いいお湯でした」
「それは何よりだ。今、朝飯作ってんだけど、その間に私も風呂入ってくるわ」
霧島先輩はキッチンに立っていた。
コンロの上には鍋が二つ並んでいる。
恐らく、味噌汁と……お米だろうか?
どうやら、霧島先輩は土鍋でお米を炊く人だったらしい。
これも知らなかったな……。
「はい。なにか、手伝えることはありませんか?」
「いやいや、何度も言うが、お前はお客さんなんだからゆっくりしていてくれ。そこにテレビもあるから、寛ぎながら待ってな」
「分かりました。何か手が必要だったら、いつでも言ってください」
「あいよ~」
気さくに手を振りながら、霧島先輩はタオルと着替えを手に浴室へ向かった。
「さて……」
特に手伝えることはないと言われてしまった以上、僕にできることはない。
勝手に人の家のものを触るわけにもいかないし、言われた通り、大人しくテレビでも見ながら待っているとしよう。
リモコンのボタンを押し、床に腰を下ろす。
テレビでは、当然のようにクリスマス特集ばかりが流れていた。
「そうか……クリスマスか……」
結局、この世界に迷い込んでから一夜が明けてしまい、クリスマスまでに元の世界に帰るという目標は叶えられなかった。
璃奈、心配しているだろうな――。
「いや、待てよ? 本当にそうか……?」
悲嘆に暮れている中、不意に思い出したことがある。
原作のことだ。
確か、記憶は朧げではあるが、原作において十六夜蓮はこの鏡の世界に迷い込み、攻略までに数日を過ごしていたはずだ。
各ヒロインごとに一日かけてのデートコーナーがあったので、まず間違いない――と思う。
そうして世界を攻略した後、十六夜蓮は元の世界に戻った。
元の――元旦へ。
つまり、鏡の世界で体験した数日は、時間軸のズレなのかはよく分からないが、たった数時間に短縮されていた。
正しく、“正夢”のような形で処理され、外伝は幕を閉じていた記憶がある。
仮に同じ法則が適用されているのであれば、この世界も数日経過しようが、元の世界の時間は進んでいないことになる。
それは僥倖だ。
正確なリミットは分からないが、それでも数日中に攻略できれば、向こうの世界にクリスマス前に帰れる可能性が非常に高い。
「よし。俄然、やる気が出てきたな……ん?」
クリスマス特集を眺めながら一人やる気を出していると、不意にキッチンの方から「ジュボッ、ジュジュジュッ!」という異様な音が聞こえた気がした。
立ち上がって見に行くと、お米を炊いている土鍋から吹きこぼれたお湯が、コンロの火と化学反応を起こしているようだった。
「んー、流石に止めた方がいいかな?」
最悪、ここからさらに引火する可能性もあるのだから、調理中とはいえ一度止めた方がいいだろう。
というか先輩、料理中にお風呂はまずいと思いますよ。
まぁ、僕のせいで二人分の料理を作ることになり、なおかつお風呂も先にいただいた身の上として、強く言えることなど一つもないのだが……。
僕は火を少しだけ緩めようとしてコンロに手を伸ばす――その前に、先輩がお米の炊き加減について厳格な基準を持っていたらいけないと思い、念のために声をかけておくことにした。
「霧島先輩!」
「♪~♪♪~~♪……ん? どしたー?」
ご機嫌に鼻歌を歌っていた霧島先輩の声が浴場から響く。
僕は少し大きめの声で要件を伝えた。
「お米を炊いている土鍋が吹きこぼれしているので、少しだけ火力を弱めてもいいですかー?」
「んぇ⁉ マジか!」
「えぇ、マジーーん?」
次の瞬間、何かが僕の目の前を通り過ぎて行った。
その何かは、キラキラと眩しい銀色の粒子を軌跡として残していて――。
「ふぅー、危ない、危ない。危うく火が消えるところだったぜ」
キッチンから呑気な声が聞こえる。
一度浴室に視線をやってからキッチンに移動し、そーっと覗き込むと。
「人数増えたから水分も増やしたけど、多すぎたんだな~反省、反省」
「――――」
恐らく、霧化して浴室から移動したのだろう。自分の手で火を弱めた霧島先輩は、安堵したように頷いていた。
全裸で。
「ドわあああああああ⁉ なにやってんすか⁉」
「ん? いや、流石に火が消えたらまずいかなって思って」
「その恰好の方がまずいですって!」
「まずいとはなんだ! 見ろよ、このプロポーション! 男からして滅茶苦茶美味そうじゃないのか!」
ドーンと腰に手を当てて仁王立ちをする霧島先輩。
確かに彼女は恐ろしいまでのボンッ、キュッ、ボン――爆発的なスタイルを持つ女性だ。
これも吸血鬼の力によるものか、生まれついてのものかは分からないが、どちらにせよ、どこに出しても恥ずかしくない――どころか、一瞬で衆目の目を搔っ攫うに違いない。
実際、僕の目も極めて魅力的な彼女の身体に奪われていて――すぐに両手で目を塞いだ。
「そういう問題じゃありません! 火を弱めたいなら僕に言ってくださいよ⁉ それくらい喜んでやりますから!」
「え~、でもお客さんにそういうの任せるのは悪いしなぁ~」
「その恰好で出てくる方が悪いですよッ! っていうか、いつまで全裸で仁王立ちしてるんすか⁉」
「急いでいたんだから、服を着る余裕なんてあるわけないだろ~」
「じゃあ、今から服着てください!」
「はいはい……いや、やっぱもうちょっと湯舟に浸かってくるわ」
「なら早く行ってください!」
「おう! もうちょい風呂楽しんでくるわ! ユウトのエキスが染み込んでいるしな!」
「……ノーコメントだ! セクハラ魔め!」
「ハハハハハ――!」
楽しそうに笑いながら、軽やかな足取りで霧島先輩は浴室へ戻って行った。
なんというか、とんでもなくフリーダムな人だな……。
元の彼女からは想像もできない。
……いや、でもちょっと待てよ。反転しているとはいえ、それはあくまでも表面の性格だけであって、根っこは変わりないはずだ。
桜の木のように――葉の色が緑からピンクになることはっても、幹の部分は変わらない。表面上、派手な部分が変わっているだけで、表からは見えない土台に変化はないはずなのだ。
ということはつまり……元の世界の霧島先輩も、露出狂のセクハラ魔だったということか――?
………………
…………
……
「ふぅー、いい湯だった。うし! 朝飯にすっか! ん? どうした? 頭を抱えて。また悩み事かー?」
「……霧島先輩」
「んにゃ?」
「僕以外の人にそんな奔放なことしたら、絶対にダメですからね!」
僕は色々考えた結果、芽生えてきた使命感を胸に、叫ぶように伝えた。
これはまずい。
あまりにも倫理観というか、羞恥心がガバガバすぎる。
彼女自身の為にも、これは改善してもらわねばなるまい。
元の世界に帰ったら、あちらの霧島先輩にもそう伝えないと……!
「おう、安心しな」
けらけらと笑いながら、霧島先輩は濡れた銀髪をゆるやかにかき上げた。
水分を含んだ髪は、月光のように艶やかで、肌に貼りつく雫が彼女の輪郭をなぞる。
その仕草は、無意識なのか確信犯なのか――どちらにせよ、目が離せなかった。
「――お前以外の奴に、こんなことしねーよ」
髪の隙間から覗いた紅い瞳は、血のように深く、熱を孕んでいた。
女性用シャンプーの甘い香りが、空気を撫でるように漂う。
肌に残る水滴が、彼女の色香を際立たせる。
水も滴るいい女、というべきか。
――その時の彼女は、異様に妖艶に見えた。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
「腹減ったー! さっさと食おうぜ! いただきます!」
「い、いただきます」
先ほどまで妖艶な色気を纏っていた霧島先輩は、まるでスイッチを切り替えたかのように元の快活な姿へ戻っていた。
作ってくれた朝ご飯を前に、両手を合わせると、勢いよくガツガツと食べ始める。
その緩急の激しさにすっかり振り回されながらも、僕も手を合わせて箸を取った。
朝食のメニューは土鍋で炊いた白米に、豚汁、卵焼き、鮭の塩焼き、ほうれん草のおひたしという、和食の王道。
見た目も香りも、どこか懐かしくて優しい。
「あっ、美味しい……」
一口食べて、思わず声が漏れた。
ふっくらと炊き上がった白米は甘みがあり、根菜たっぷりの豚汁がじんわりと身体を温めてくれる。
卵焼きはほどよい甘さで、鮭の塩気とほうれん草の出汁が絶妙に調和していた。
「それは良かった。おかわりもあるから、遠慮なくドンドン食えよ!」
「ありがとうございます」
そういえば、昨日の昼から何も食べていなかった。
空腹を自覚する間もなかったが、食べ始めてようやく胃の空っぽさに気づく。
気づいてしまえば、もう止まらない。
無心で箸を動かし、栄養を身体に送り込むこと数十分。
白米のおかわりも挟みつつ、僕は霧島先輩の朝食を完食した。
「――ごちそうさまでした。本当に、滅茶苦茶美味しかったです」
「どーいたしまして! 美味しそうに食ってくれたから、私も作った甲斐があったってもんだ!」
霧島先輩は満足げに笑い、食後のお茶まで淹れてくれた。
昨夜の嵐のような時間が嘘のように、心も身体も穏やかさを取り戻していく。
これはあれだな。後で皿洗いだけでもさせてくれと頼みこまなきゃいけないな……。
「先輩」
「んー?」
湯気の立つ湯呑みをふー、ふーと冷ましながら、霧島先輩はチビチビとお茶を飲んでいた。
その姿は、さっきまでの奔放さが嘘のように静かで、どこか柔らかい。
僕は姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「昨日から今日まで、本当にありがとうございました。先輩のお陰で、どうにか持ち直すことが出来ました」
「それは何よりだ! ……本当に、もう大丈夫なんだな?」
心配そうな眼で見つめてくる霧島先輩。
僕はハッキリと頷いた。
「はい。完全復活です。今なら、誰が来ても負ける気がしません」
「スゲーな! おい!」
「……すいません。ちょっと調子乗りました。多分、勝てない人の方が多いです」
「ハハハ! ま、男の子なんだから、ちょっと調子に乗ってるくらいの方が可愛いってもんよ!」
豪快に笑いながら、どうしようもない僕のことをさらりと肯定してくれる霧島先輩。
なんというか、包容力がありすぎてヤバい。
このままだと、本当にこの人の弟になってしまいそうだ。
「ありがとうございます先輩。一生ついていきます……!」
「おう、そうしな。お茶のおかわりいるか~?」
「あっ、はい。いただきます」
二人でのんびりと熱いお茶を啜る。
さて、このままこうして霧島先輩の家でどうやったら弟にしてもらえるかを思案しながら茶をしばきたいところではあるのだが――生憎と、そういうわけにもいかない。
僕は湯呑をテーブルの上に置いた。
「霧島先輩。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが、いいですか?」
「ん? おー、いいよ。なんでも聞きな~」
気さくな態度で応じてくれる霧島先輩に、僕はずっと胸に引っかかっていた疑問をぶつけた。
「霧島先輩は、天羽璃奈が自殺したことを御存じですか?」
「そりゃあ、もちろん知ってるよ。私も悲しかったが、お前はもっと辛かったろう……?」
太陽のように晴れやかだった表情が、ふっと曇る。
労わるような言葉を掛けてくれる先輩の配慮はありがたいが、今はそれよりも確かめたいことがある。
「それは、何日前のことですか?」
「天羽が亡くなった日か? 確か、一週間前だったかな……?」
一週間前、か。
口の中で小さく呟くと、霧島先輩は怪訝そうな顔をした。
「もしかしてお前、天羽が死んだことを知らなかったのか? 前に会った時はそんなことなかったはずなんだが……」
ん? 前に会った時?
「ちょっと待ってください。僕がこの世界に来たのは昨夜のことです。数日前って、何日くらい前のことですか……?」
「そうだなぁ……確か、四日くらい前だったかな? 偶然ユウトに会ってさ。きっと落ち込んでいるんだろうと思って心配していたんだが、『気を遣わないでくさだい。霧島先輩にはいつも太陽みたいに明るく笑っていて欲しいんです。いつものように元気な先輩でいてくれれば、僕は何があっても元気にやっていけますから』って言っててさ」
……なんだ、その歯の浮くような台詞は。
「そんなことを言われたら、変に心配し続けるのも逆に失礼かと思ってさ。その後も少し話をしていたんだが、気が付けばいつも通りの距離感で接するようになってたっけなぁ」
彼女にとっては、四日前に出会った“僕”が、ずっと接してきた“ユウト”なのだろう。
けれど、本体とも言える僕は――その話に、凄まじい違和感を覚えていた。
確かに、僕だって変に気を遣われ続けるのは逆に疲れてしまうから、出来れば普段通りにして欲しいとは思う。
だけど、璃奈が自殺した直後に、そんな振る舞いができるものだろうか?
この世界の“僕”がどう反転しているのか。
まるで想像がつかない。
「やはり、鍵を握るのは“僕”か……」
一旦考えをまとめた僕は、お茶を飲み干してから湯呑をテーブルの上に置いた。
すぐにでもこの世界の“僕”を探し出して、色々聞き出したいところだが――その前に、やっておきたいことがある。
幸いにも時間はまだあると分かったのだし、もう少し情報収集に時間を充てるとしよう。
「お茶のおかわりいるかー?」
「いえ、もう大丈夫です。ありがとうございます」
「あいよ。……その顔を見るに、次にやることは決まった感じか?」
「はい」
「そっか。うし、じゃあ行く準備すっか!」
「えっ」
勢いよく立ち上がった先輩を、僕は唖然と見上げた。
「ん? なんだよその顔は。行くんだろ? どこに行くのかは知らねーが、女には準備ってもんがあるんだ。ちょっと待ってな」
「い、いやいやいや! 先輩、一緒について来てくれるんですか……?」
後から思えば――僕の気持ちは、“ついて来るんですか”ではなく、“ついて来てくれるんですか”にこそ現れていた。
「当たり前だろ。こうなったら最後まで面倒見させろ」
至極当然といった顔で、霧島先輩はそう言った。
冗談ではない。
――お人好しにも程があるだろう。
何度でも言うが、僕はこの世界の地藤優斗ではない。
この霧島先輩が接してきた後輩ではないのだ。
ここまで面倒を見てくれただけでも大恩だというのに、この人はさらに僕へ返しきれないほどの恩を着せてくるつもりなのか――。
「先輩」
「なんだ?」
「僕、貴女に返せるものなんてないですよ……? 本当にいいんですか……?」
「おいおい、別に私は見返りを求めるわけじゃねーよ。それに――」
呆れたように肩をすくめながら、
「――私はクリスマスに暇してる女だぞ? 男とデートくらいさせろ」
霧島先輩はニヤリと、不敵な笑みを浮かべてそう言った。
「……全く。先輩には、敵わないですね……」
「ハハハ! 私に勝とうなんて百年はえーよ!」
楽しそうに笑いながら、霧島先輩は首をコキッと鳴らした。
「――で、次の目的地はどこだ?」
「せっかくのクリスマスですし――」
僕は霧島先輩を真っ直ぐに見つめた。
「――クリスマスパーティーに行きましょう」
せっかく招待されているのだし、正々堂々、乗り込むとしよう。