世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
修正のご連絡を頂くたび、大変ありがたく思っております。
また、感想もありがとうございます。
今後の活動の励みにさせていただきます!
「妹さんが悪魔に人質にされた⁉」
「あぁ……さっき、授業中にいきなり周りが真っ暗になって、昨日の夜会った悪魔にそっくりの奴が現れて、病院にいる妹の命が惜しければすぐに病院へ来いって言われたんだ……!」
「なんてことを……!」
天羽璃奈は廊下を猛スピードで疾走しながら並走する十六夜蓮から状況を聞いていた。
教室から覗く学友たちの視線をガン無視し、ただ彼の話を聞くことに集中する。
話の中で分かったことだが、彼の妹は昔から身体が弱く、最近も入院が続いていたそうだ。
「病院に電話は?」
「もちろんしたさ! 担当のナースさんに聞いたら部屋にいないって言うんだ! 総出で探してくれているみたいだけど、悪魔の野郎が攫ったに違いない……!」
「そう……」
状況は最悪だった。
十六夜蓮は焦燥と怒りで顔を歪ませ、悪鬼のような表情で歯を食いしばっている。
一方、天羽は義憤にかられながらも冷静に思考回路を働かせていた。
(卑劣な手段が好きな悪魔とはいえ、わざわざ力が弱まる昼間に、聖痕持ちとはいえ素人同然の男子生徒をおびき出すために妹を誘拐するなんて変ね……)
エクソシストとして訓練されてきた彼女の思考と直感が今回の一件に違和感を覚える。
(罠? だとしても中級の悪魔がやるにしては事態が大きくなりすぎている。こんなことをすれば、機関が黙っていないことくらい分かるはずなのに……)
チラリと一緒に猛スピードで階段を駆け下りている少年を見る。
(やっぱり彼が特別なのね。そして、悪魔側もそれに気が付いた……これは下手をしたら、上級が待ち構えている可能性もあるわね)
悪魔はその魔力量、戦闘能力、知能を総合的に加味した上で3つの部類にカテゴライズされている。
初級悪魔は天羽にとっては弾丸一発で終わる雑魚。
中級悪魔はさらにその中でも実力がピンキリだが、いずれも倒せない相手ではない。
上級悪魔は――最悪なことに、戦ったことがない相手だ。そして天羽は彼女を鍛え上げた師より口酸っぱく言われ続けてきた。
『決して上級悪魔と戦うな。勝てるとも思うな』と。
天羽璃奈は自分の実力を過小評価も過大評価もしていない。故に、師の言葉が事実であることを疑う余地もなく受け入れていた。
上級悪魔には今の彼女では勝てない。絶対に。
だが、天羽璃奈の中に助けに行かないという選択肢はなかった。
一考の余地すらなく、彼女は自分の力が及ばない強敵がいるかもしれない死地へ飛び込んでいく。
その姿勢を勇敢と捉えるか、蛮勇と捉えるかは人によって分かれるだろうが、彼女の同業のエクソシストたちが見れば口を揃えてこう言うだろう。
“異常者”と。
「はぁ、はぁ……タクシーを呼ぼう! 走っていたら時間が足りない!」
全速力で学校の校門前まで来たところで冷静さを少し取り戻したのか。
十六夜蓮は携帯を取り出しながら急いでネットで検索をし始めた。
「いいえ、それでは移動時間を特定されて悪魔の思う壺よ。もっと早い移動手段で行きましょう」
「はっ?」
自動車よりも早い移動手段があるのか。
天羽は答える時間も勿体ないと即座に行動に移り、困惑する十六夜蓮を抱き上げた。
お姫様抱っこで。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ――⁉」
「ちょ、ちょっと! 耳元で大声出さないで欲しいな……」
「あ、わ、悪い……じゃなくて! この格好はなんだよ⁉」
「ごめんね。説明は後でするから。取り敢えず――
「いや、飛ぶって……ドわあぁぁぁぁぁァァァァァァ⁉」
そして、天羽璃奈は文字通り飛んだ。
尋常ならざる脚力で上空に飛び上がったのだ。だが、一時浮かび上がっただけで重力の楔から完全に解き放たれたわけではない。
2人は重力に引かれた落下していくが、天羽は優美な動きで学校から離れた地面に着地すると、情けない悲鳴を上げる十六夜蓮を軽々と持ち上げた状態でまた空へ飛び上がった。
「こ、これは……!」
「ごめんね。怖いだろうけど、ちょっとの間我慢して。この方が早く病院につくから」
天羽の身体はひらりと数軒の住宅を一息に飛び越え、電柱に着地し、重力を無視したような挙動で再び飛び上がる。
確かにこれなら車よりもずっと早く着くだろう。
「だけどこれ、いいのか? その、人の目とか……」
「認知阻害の秘術を使っているから大丈夫だよ。平日のこの時間に上を見る人もあまりいないと思うから」
この常軌を逸した身体能力。そして謎めいた術。
昨夜、その力を実際に見たばかりではあるが、十六夜蓮は改めてこの可憐な少女が人外の力を行使する神の僕――エクソシストであることを再認識した。
「もっと飛ばすから、しっかりと掴まっていて」
「……了解!」
妹を救うために全力を尽くしてくれているのだ。是非もない。
十六夜蓮は思いっきり彼女に抱き着いた。
……全身で感じる柔らかい身体や、いい匂いのことは全力で考えないようにして。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
十六夜
日が昇る少し前には目を覚まし、ベッドの上で上体を起こす。
そして自分の身体をペタペタと触る。
次に周りの景色を見てみる。外の景色から冬が近づいていることが何となく分かる。
最後にチクタクと時を刻む時計の音を聞く。
触覚、視覚、聴覚の全てに問題がないことを確認した彼女は、ようやっと張りつめていた緊張を解き、震える吐息を吐き出した。
生きている。私はまだ、生きている……。
臆病な彼女の心は確かに生存を喜んでいた。また朝を迎えられたことを喜んでいた。しかし、同時に雪のように積もり続ける罪悪感にも苛まれていた。
彼女の生は、愛するあの人を苦しめることにも繋がるから。
だからこそ、朝起きた彼女の所感はこの一言に尽きる。
「あぁ、私は今朝も目覚めてしまった――」と。
目が覚めてからはいつもの日常だ。
検査、ご飯、検査の繰り返し。いつもの先生と、看護師さんたち。
暇な時間は本を読んで、調子がよければ病院内を散歩する。
何の代わり映えしない日常。
十六夜唯は今日も無為な一日を送る――と思われた夕方。
「よう、元気か?」
ふらりと兄である十六夜蓮が現れた。
唯は驚いた。忙しい彼は今日もバイトだと思っていたから。
「兄さん。今日はバイトじゃなかったんですか?」
「この後行く予定。病院の近くだったから、寄ったんだ」
軽い調子で答える兄。
だが、唯は直感でそれが嘘だと見破った。彼のバイト先は近くになんかないだろう。
彼はただ、妹の身を案じてわざわざここまで足を運んだのだ。
とても忙しい身の上だというのに。
彼の気遣いがくすぐったくて、だけど同時にズキズキと胸が痛んで、唯は思わず素っ気ない態度を取ってしまう。
「そうでしたか。事前に連絡くれればよかったのに」
「そしたらお前、来なくていいって言うだろ?」
「むっ」
兄の指摘は実に的を射ていた。
確かにそんな連絡が来ても唯はただ一言「来なくていい」と連絡していただろう。
彼が自分なんかの為に時間を割いてくれることが申し訳ないから。
「だから、文句を言われる前に来たんだよ。……ほれ、着替えと漫画だ。お菓子も買ってきたけど、少しずつ食べるんだぞ?」
「……子ども扱いしないでください。そんな一気に食べないです」
「どうだか。先生に聞いたぞ。ゴミ箱に大量のお菓子袋が詰まっているってな」
「うっ」
「別に先生も可愛いもんだと言っていたし、大丈夫だとは思うが、お菓子ばっかり食べていたら太るぞ?」
「太りません! これでもちゃんと運動する時間もあるんですから」
「だったらいいがな。……調子はどうだ?」
さり気なさを装いながらも彼女を案じる口調。
やっぱり内心くすぐったくなりながら、唯は視線を合わせずに答える。
「普通ですよ。特に変わりなく、暇な日常を過ごしています」
言ってから、すぐに唯はしまったと口を塞いだ。
これでは、構ってほしいと言っているようなものだ。
自分なんかの為に忙しくしている彼の時間を奪おうとしているのと同義だ。
唯は顔を青くするが、彼女の兄は妹の発言を気にする様子も見せずに袋から取り出した漫画を手渡した。
「そうかそうか。良かった。まぁ、暇ばかりはどうしようもないからな……ほれ、お前が読んでいたシリーズ、最新刊が出たから持ってきたぞ」
「……ありがとうございます」
大事に読もうと決意し、唯はそっと兄から手渡された本を胸に抱いた。
胸が温かくなる。と同時に、冷たい気持ちが湧き上がる。
『お前みたいな役立たずが彼の時間を奪っていいのか?』
十六夜唯と十六夜蓮の間に血の繋がりはない。蓮は父の連れ子であり、唯は父の再婚相手である母の連れ子だったから。そして、両親が2人とも不幸な事故で亡くなってしまった今、蓮と唯は唯一の家族となった。
両親が残してくれた多少の遺産はあるものの、そのお金の殆どは唯の治療費と入院費にあてられている。とはいえ、それでも普通に過ごすくらいであれば十分な額はあるだろうに、兄である蓮は将来自分と唯が大学に進むための費用を作るために日夜バイトに勤しんでいた。
彼はとても立派な人だと、身内ながらに思う。
唯のようなごくつぶしにも嫌な顔一つせずに付き合ってくれ、家計のためにと遊びたい盛りだろうに放課後と休日をバイトに捧げている。
自分には出来過ぎた兄であり――そして、その事実が余計に唯を苦しめる。
せめて彼が少しでもだらしない人であれば。
自分に我儘な人であってくれたら。
唯のことなんか気にも留めない人でいてくれたら。
異性として、魅力的な人でなければ――
唯はこんな想いを抱くことはなかったというのに。
「唯?」
兄が――世界で一番愛しい人が自分の名を呼んでくれる。
唯は幸せで、嬉しくて、苦しくて
「……お土産は他にないんですか?」
そっぽを向きながら、照れ隠しにそんなことを言ってしまうのだった。
これが十六夜唯の日常。
満ち足りた生活ではないかもしれない。恵まれた人生ではないのかもしれない。
だが、彼女はこの静かな日常を愛していた。
神の気まぐれで生かされているようなこの命が消えてしまうその日まで、こんな日常が続いていくものだと思っていた。
だからこそ、彼女は愚痴のようにこぼす。
奇しくも、兄と同じように。
「日常が終わるなら、事前に教えて欲しかった――」と。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
学校を文字通り飛び出して約5分後。
2人は十六夜蓮の妹が入院している病院に到着していた。
車であれば坂道や複雑な市内を通る必要があり、少なくとも15分以上は掛かる道を3分の1の時間まで短縮できたわけだ。
天羽の考えでは短縮できた時間を有効活用すべく、すぐにでも病院の悪魔に対して奇襲を仕掛けるつもりだった。
が、現場に到着した彼女はすぐに脳内で考えていた作戦を変更せざるを得ないことを悟る。
「なぁ、天羽。これって……」
「悪魔が張った結界ね。それも、かなりレベルが高いわ」
病院の裏側にある山に着陸し、天羽の両腕から降りた十六夜蓮は病院を見上げながら恐る恐る彼女に尋ねる。昨夜、悪魔の世界を知った彼の目には異質な世界が映っていた。
病院を囲うように展開された巨大で邪悪な紫色の膜。中にあるものを閉じ込めるように展開されているそれからは明確な悪意を感じる。
「中にいる人は大丈夫なのか……?」
「内側を異界化するタイプの結界だから中にいる人に直接危害が及ぶことはないと思うわ。……代わりに、中にいる悪魔たちの力は大幅に強化されているけどね」
エクソシストとしての冷徹な表情に切り替わった天羽は淡々と事実を口にする。
“逢魔が時”という言葉の通り、悪魔たちの主な活動時間は夜だ。夜の帳が下りた後でなければ彼らの力は本領が発揮されない。
昼間に活動する悪魔など極少数であり、こうして手の込んだ結界でも張らなければすぐに退治されてしまうことになる。
天羽からすれば病院内の人々と悪魔が隔離されているため、逆に戦いやすいまである。
だが、同時にここまで大掛かりな仕掛けを用意していることに対して警戒心も高まっていく。
「作戦を立てましょう」
「あ、あぁ……そうだな」
学園のマドンナとして穏やかに微笑む姿を遠目に見ていた十六夜蓮は、凛々しく鋭い雰囲気の天羽璃奈に戸惑いながらも頷く。
彼が最優先で考えるべきは、あの中に囚われている大事な妹なのだから。
「まず、大前提として悪魔を祓うのは私の役目よ。貴方はここで待機していて」
「なッ――ここまで来ておいて何もせずに待ってろって言うのか⁉」
「そうよ。……妹さんを助けたいっていう気持ちは良く分かるけれど、貴方は昨日までこの世界のことを知らなかった素人よ。悪魔を前にして出来ることなんて何もないわ。かと言って、私の手が届かない場所にいても悪魔の餌食になるだけ。だから、ここに連れてきたの」
「ッ!」
冷たく突き放すような言葉に蓮は唇を噛む。悔しいが、それは事実だった。昨夜は良く分からない力で一時は難を逃れたものの、天羽が駆けつけてくれなければ蓮は悪魔に殺されていただろう。
だが――だからといって、十六夜蓮が諦める理由にはならない。
「……確かに天羽が言うことは正しいんだろうさ。俺は昨日まで悪魔なんて知らなかったし、殺し合いなんてしたことない」
「だから――」
「でも! こんなところで天羽に全部押し付けて一人で待ってることなんて出来ない! 俺にも出来ることがある! だから一緒に連れて行ってくれ!」
「出来ること? 貴方に一体何が――」
「俺を人質にすればいい」
「えっ」
爛々と輝く瞳で、十六夜蓮はとんでもないことを口にした。
「ご、ごめん。それは一体どういう意味……?」
今にも病院に突入しそうだった彼を押しとどめるべく、敢えて冷たい仮面を被っていた天羽だが、まさかの発言に動揺していつもの素面に戻ってしまう。
十六夜蓮は真剣な瞳で自身の作戦を説明する。
「悪魔たちの目的は俺なんだろう? で、俺を誘き出すために人質を取った。……だったら、こっちも
「妹さんを奪還して悪魔を殲滅する、ってこと?」
「そういうこと」
天羽は額に手を当てて「はぁ~」と大きな溜息をついた。
「無茶苦茶な作戦を考えるね……」
「先に人質を取ったアイツらが悪い。……俺は何でもするぞ。唯を無事に取り戻すためならな」
自身の命を道具にしようとする十六夜蓮の瞳は真剣そのものだ。
天羽は確信した。彼は妹の為ならば本当に躊躇なくその命を使うということを。
「……病院内は危険、といっても手遅れね」
「あぁ。連れて行ってくれないなら俺は一人で突撃する」
「だったら一緒に行動した方がいいというわけね。……はぁ、優斗君が言っていた通りの人なんだね、君」
「はい?」
「いえ、何でもないわ」
不意に、最愛の人が言っていたクラスメートへの評価を思い出し、天羽は苦笑した。彼の人を見る目は確からしい。
「そこまで言うなら仕方ないね。一緒に突入しよう。ただし、絶対に私の傍から離れないこと! 離れた瞬間、貴方は死ぬことになるわ」
その言葉には命のやり取りを経験してきた者に特有の重さがあった。
十六夜蓮はゴクリと唾を呑み込み、頷く。
「分かった。アンタを信じて任せる。……こんなことに巻き込んですまないが、どうか妹を助けてくれ……!」
地面に額を擦りつけるような勢いで頭を下げる十六夜蓮。
「そ、そんな大きく頭を下げないで。私はエクソシストとして当たり前のことをしているだけだから」
「でも――」
「でも、も何もないの。……あと、私だけじゃなくて十六夜君にも頑張ってもらわなきゃいけないからね。私たちはこれから戦友になるんだから、堅苦しいのは無しで行きましょう」
「天羽――ありがとうッ!!」
「おっと、アハハ……お礼は妹さんを救出してからにしようか」
「あ、あぁ……」
バッと感極まった様子の十六夜蓮が彼女の右手を両手で握ってくるが、天羽は特に顔を赤くする――こともなく、柔らかく微笑みながらもするりと彼の手からすり抜けた。
冷静な彼女の態度に面食らった蓮だが、すぐに彼女の言う通りだと思い、気を引き締め直した。
あまりにも親切な天羽璃奈の優しさに感動していたが、まだ妹を救えてはいないのだから。
彼が冷静になったのを確認した天羽は病院を見上げながら尋ねる。
「妹さんの病室は?」
「この病棟3階の303号室だ」
「了解」
救出対象の場所を把握した天羽は両手を虚空に突き出した。
「祓魔器展開――『
小さく呟くと同時、翡翠色の光が十字に彼女の両手を包み込み――やがてそれは武器へと変化した。
美しい十字架の彫刻が施された銀の二丁拳銃だ。
形は通常のオートマチックだが、銃身がやや長い。
銃の先端には銃剣が取り付けられており、芸術的でありながら凄まじい殺気を放っている。
昨夜も見た彼女の独特な武装だ。
天羽璃奈曰く、これは聖痕に選ばれた人間に付与されるエクソシスト用の武器である“祓器”とのこと。
うろ覚えの知識ではあるが、どうやらこの世界では太古より天使と悪魔が絶えず殺し合っており、戦争のたびにエクソシストが生まれては死んでいったらしい。
天羽が持っている武器も以前にどこかのエクソシストが使っていたものを継承したものであり、彼女が望んだものではないそうだ。
十六夜蓮も継承した武器を取り出せるはずとのことだが……現状、それらしいものが出現してくれる気配はない。
これから戦いになる可能性が高いのだから何か武器が欲しいところだが、昨日悪魔について知ったばかりの蓮に展開は難しいのではないかというのが天羽の見解だ。
「――さて、それじゃあ次に十六夜君に認知阻害と防御の聖言を使っておくね」
「聖言?」
「悪魔に対抗するためのエクソシストの術……まぁ、簡単に言うと魔術みたいなものかな」
詳細を説明している時間はない為、ざっくりと術の概要を話した天羽は蓮にその場を動かないよう指示し、目を閉じてから敬虔なる信徒を思わせる表情で朗々と言霊を紡ぎ始めた。
"我が主よ、高き天に君臨するお方、
この不浄なる闇の中で、
御使いの翼を授けたまい、
この姿を悪魔の目から隠し給え。
汝の御心により、汝の光を聖なる影として隠し給え”
呪文が終わると同時、蓮の身体を薄い銀色の膜が覆った。
「これは……」
「悪魔から身を隠すための術よ。悪魔に触れたり、攻撃しない限りは認知されないと思うわ。あとはちょっとした防御耐性も付いているけど、気休め程度だからあまり期待しないでね」
「いや、ありがたいよ。助かる」
蓮は身体に纏わりつく未知の感覚に困惑しながらも礼を述べた。拳一つでも中に突入しようとしていた蓮だが、悪魔から見つかりにくくなるのであればそれに越したことはない。
見つかった時は人質として天羽に銃を向けてもらえばいいのだから、突入前の仕掛けとしては上々だろう。
さらに――
「それから十六夜君。これを持っておいて」
「……短剣?」
十六夜蓮が天羽から手渡されたのは銀色に輝く短剣であった。
「元は儀式用の短剣で、悪霊から身を守る力があるわ。もちろん武器としても使えるけど、高純度の霊力が宿っているから抜いた瞬間に貴方に掛けた姿隠しの聖言は解けてしまうの。扱いには注意してね」
「あぁ、分かった。ありがとう」
明らかに高そうな意匠の短剣をポンと貸し出してくれた天羽の優しさに感謝しながら十六夜蓮は受け取った短剣をズボンのベルトに引っ掛けた。
「それから、これも付けておいて」
「これは……イヤリング?」
「霊力で動く通信機よ。あの結界内で電子機器は使えないと思うから、連絡用にね」
「至りつくせりだな。ありがとう天羽」
「礼には及ばないわ」
「……ところで、これってどうやって付けるんだ……?」
「穴を開ける必要はないわ。耳たぶにクリップできるタイプだから、付けて、おい……て」
「天羽?」
突如言葉に詰まった天羽を胡乱な表情で見つめる十六夜蓮。
彼女は慣れない手つきで耳にイヤリングを付けようとする彼の姿を見て、不意に幸せだった彼との日々を思い出してしまった。
何気ないデートの日。彼は天羽が付けていたイヤリングを見て、とても似合っていると言ってくれた。飛び上がりそうなくらいに嬉しくて、はしゃぐ心境のまま天羽は言ったのだった。
『ねぇ……優斗君もイヤリング付けてよ』
その後、自分には似合わないと抵抗する彼の腕を引っ張って洒落た雑貨屋に入り、彼に似合いそうな――自分とお揃いの――イヤリングを買って手渡した。
恥ずかしそうにしながらも彼は慣れない手つきで耳にイヤリングを付けて――
「天羽!」
「あっ……ごめんなさい。ちょっと考え事してたの」
「そ、そうか。その……大丈夫か?」
「うん。大丈夫。もう、大丈夫」
それは自分に言い聞かせるような口調であった。妹の命が掛かった作戦前ということもあって十六夜蓮の怪訝な視線が強くなるが、天羽は先程の動揺が嘘のように鋭い視線で二丁拳銃の調子を確認している。
その鋭い横顔を見た十六夜蓮は彼女が先程見せた動揺を気のせいかと流し、邪悪な気配に支配された病院を睨みつけた。
「……待ってろよ唯。絶対助け出すからな」
血は繋がっていないが、確かに自分の大事な家族である生意気な妹の姿を脳裏に思い描き、十六夜蓮は呟く。
そこに込められた焦燥、怒り、決意を感じ取った天羽は今度こそ完全に頭を切り替え、二丁拳銃を構えて宣言した。
「――さて、それじゃあ行こうか。悪魔退治の時間だ」
「あぁ」
二人は静かに立ち上がり、戦場と化す病院へと足を向けた。
だが、その場に似つかわしくない"虫"が一匹、紛れ込んでいることには――まだ気づいていなかった。