世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第55話:提案に違和感がある件について

 

『どんな名前で予約してんだ⁉』

 

 エントランスの様子を霧になって見守っていた僕は、思わず空中でズッコケた。

 足は消えているはずなのに、なぜか膝から崩れ落ちるような感覚だけはしっかり残っていた。

 勝手に籍を入れられている事実に驚きを隠せないと同時に、やりたい放題の悪魔に対して頭痛がしてくる。

 

 確かに「部屋の場所はすぐに特定されるだろうね」なんてことを言っていた時は不思議に思ったが、今なら分かる。

 ただの悪ふざけだったのだ。

 

 僕は諦めの溜息をつきながら、彼らから離れた場所で実体化する。

 そして、メフィラから渡されたこの世界の簡易携帯を取り出し、メッセージを打ち込んだ。

 

『一同エントランスに到着。部屋は割れた。作戦決行』

 

 数秒後、「了解♡」とだけ返ってきた。

 僕は携帯を閉じかけて――ふと、どうしても気になってしまったことが頭をよぎる。

 追記でメッセージを打ち込んだ。

 

『地藤メフィラってなに?』

 

 すぐに返信が返ってきた。

 

『僕の名前だけど?』

『嘘つけ』

『僕は奥ゆかしい淑女だから、ちゃんと夫の苗字に合わせるよ』

『お前の夫になった覚えはないし、勝手に人の苗字を使うんじゃない!』

『ふむ。なら、君がこちらの苗字を使うかい? 如月優斗。いい響きじゃないか』

『なんで結婚前提で会話が進んでるんだ。お前とは結婚しないし、もう一つ言うと僕の苗字は天羽だ! 天羽優斗、いい響きじゃないか』

『結婚もしていない相手の苗字を名乗るのはどうかと思うよ』

『……お前が言うなッ!』

 

 一人で携帯をポチポチしながら、僕は思わず声を上げてしまった。

 誰もいないはずの廊下に、僕のツッコミが虚しく響く。

 いけない、いけない。

 これから戦いが始まるっていうのに、携帯で延々とメッセージを打ち続けているなんて、絵面が悪すぎる。

 

 僕はまだ言いたいことが山ほどあるのをグッと堪えて、携帯をポケットに仕舞った。

 

 さて――鏡の僕たちも、どうやら移動を開始したようだ。

 ならば、僕もおもてなしの準備を始めないとね。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 ふざけた名前のおかげで、早々に3人の宿泊場所を特定できてしまった鏡の面々は、何とも言えない表情を浮かべていた。

 その先頭に立つ鏡の地藤は、無言のまま名簿を閉じ、移動の準備を始めようとしていた。

 だがその瞬間、エントランスに突如『ピンポンパンポーン』という無駄にいい声の館内放送が響き渡る。

 

『メリークリスマス! 当ホテルへようこそいらっしゃいました、お客様』

「……メフィラか」

 

 鏡の地藤が呟くと、すぐに艶やかなアルトボイスがスピーカー越しに応じた。

 

『やぁ、鏡の主様。ご推察通り、地藤メフィラだよ』

 

 悪辣な悪魔は楽し気な声で来訪者たちを歓迎する。

 

『まずは、ここまで遠路はるばるご苦労様と言っておこうかな? いきなり宿泊客がいるホテルに斬撃を放ったサプライズプレゼントには驚いたけれどね』

「なに?」

 

 十六夜蓮が驚いたように鏡の地藤とメフィラを振り返る。

 しかし2人は動揺の色を見せることなく、落ち着いた表情でスピーカーと、彼らを監視しているであろうカメラを見つめていた。

 

「ホテルの宿泊客を巻き込む意図なんて欠片もなかったよ。こちらもメフィラが密かに“悪魔の屁理屈”を使っていたし、そもそもあの斬撃で結界が破壊できないことは織り込み済みだった」

『どうだかねぇ。僕には、宿泊客なんかお構いなしで攻撃を仕掛けてきた倫理観のない破綻者に見えたけれどね』

「倫理観がない破綻者? お前に言われると照れるな」

 

 鏡の地藤は皮肉気に唇を持ち上げて笑ってみせる。

 訝しげな目を向けてくる十六夜蓮を敢えて視界に入れず、彼は声だけが響く悪魔に問いかけた。

 

「それで? こうして急に声をかけてきた理由はなんだ? 考えなしに書いたふざけた名前で居場所がバレて、焦ったのか?」

『まさか。こうしてホテルの住人を全員避難させた今、僕にとって居場所なんて些細なことだよ。後は、どちらかが倒れるまで戦うのみ――だろう?』

「是非もないな」

『とはいえ、建物をすべて破壊して僕たちの居場所を割り出す――なんて非効率的な真似は面倒だし、ちまちまと戦うのもまどろっこしいだろう? そこで、僕から提案だ』

 

 鏡の地藤は顔を顰めた。

 メフィラの“提案”など、碌なものではない。

 だが、今回のメフィラはいつもと少し様子が違った。

 先程よりも落ち着いたトーンで彼女は語る。

 

『僕はこれから、このホテルの3つの部屋を指定する。ちゃんとエントランスの全体図にも書かれている正式な部屋をね。そして、その部屋には君たちが目的としている人物が一人ずつ待機している。後は分かるだろう? その部屋にいる人物と戦い、勝利することで次の部屋に進めるというわけさ』

 

 鏡の地藤は少し考え込む。

 メフィラの提案は、真正面からぶつかり合うのではなく、各所で一対一の戦闘を行うというものだった。

 確かに、あちら側からすれば理にかなった提案だ。

 戦力を分散させることで、十六夜蓮の爆発力を抑えられる。

 だが――

 

「僕たちがわざわざその要求を呑むとでも? 現状、全くメリットがないじゃないか」

 

 鏡の地藤は冷静に言い放つ。

 今の戦力図では、鏡側の方が優勢だ。

 戦力を分散できた方が迎撃側にとって有利だが、攻撃側にとってはわざわざ罠に飛び込むようなものだ。

 だが、メフィラはすぐに反論する。

 

『いやいや、これは双方ともにメリットがある提案だと思うよ? だってこちらには()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……なるほど」

 

 鏡の地藤は目を細める。

 霧島レイがあちら側についていることは分かっていたが、ここまで明確に“戦力”として数えられるほど傾倒しているとは思っていなかった。

 確かに、彼女がいるのであれば戦力図は拮抗する――どころか、鏡側がやや不利になる可能性すらある。

 十六夜蓮の潜在能力は未知数だが、霧島レイはエクソシストとして、吸血鬼として、長年戦い続けてきた実力者だ。

 経験値の差は、蓮の爆発力を凌駕する場面もあるだろう。

 さらに、メフィラもあちらの方が“性格が悪い”分だけ、悪魔の屁理屈をより巧みに使いこなせる。

 現状で不利なのは――鏡側だ。

 

『僕はフェアな勝負が好きだ。姑息な真似は好まない』

 

((((嘘つけ……))))

 

 全員の心が一つになる。

 だが、そんなことは露ほども気にしていない“性格が悪い方の”メフィラは、楽しげに言葉を続ける。

 

『だから、バトルロワイアルではなく、一対一のトーナメント方式で決着をつけようじゃないか。……僕も、一対一で決着をつけたい相手がいることだしね』

 

 顔は見えないが、その挑発が鏡のメフィラに向けられているのは明らかだった。

 

「……」

 

 鏡の地藤は再び顎に手を添え、しばらく沈黙する。

 彼の目は鋭く、スピーカーの向こうにいるメフィラの真意を探るように細められていた。

 やがて、ゆっくりと顔を上げると、姿の見えない悪魔に向かって問いかける。

 

「……お前が部屋と、そこにいる人物を指定するんだな?」

『その通り』

「どこかの部屋が実は空室で、どこかの部屋が2人掛かりで襲い掛かって来るなんて反則はしないだろうな?」

『さっき言ったばかりじゃないか。僕は姑息な真似が嫌いだって。もちろん、そこは僕の発言を厳守するよ。小細工はいっさいなしだ。ちゃんと指定した部屋に指定した人物を待機させるよ』

 

 鏡の地藤は黙ったまま、しばらく思案する。

 メフィラの言葉をそのまま信じるほど、彼は甘くない。

 だが、提案そのものは悪くない。

 むしろ、向こうが先に待機場所を指定してくれるというのであれば、鏡側にとって有利な選択肢も見えてくる。

 特定の相手に対して、優位に立てる者を送り込めばいい。

 それに、全員でぶつかり合えば、河川敷でのメフィラVSメフィラのように世界のテクスチャが剥がれて“観測者”の眼が露出する危険性もある。

 諸々の条件を顧みると、ここで乗っておくのは悪いことではないのかもしれない。

 

「分かった。確かに全員でぶつかっても、この美しいホテルを粉々にするだけだろうから、しっかりと場所を決めて、正々堂々戦おうじゃないか」

『よく言った。それでこそだよ』

 

 満足気なメフィラの声が響く。

 相変わらず交渉がうまい奴だと、霊体化している地藤は舌を巻いていた。

 

『さて、それじゃあ、待機している場所と人をそれぞれ伝えるよ。一回しか言わないつもりだから、ちゃんと聞いてね』

 

 一瞬、空気が張り詰める。

 誰もが耳を澄ませ、次の言葉を待った。

 

『一階のプールに地藤優斗、最上階のスウィートルームに霧島レイ、そして十五階の宴会場に僕が()()()()()()()。そちらは誰でも好きな人物が来るといい。僕たちはどんな人の挑戦でも受け入れるよ。あぁ、ただしそちらも一つの部屋に一人しか来ちゃダメだからね。これは契約だ』

 

 〈契約〉を持ち出した以上、メフィラの言葉は覆しようのない真実となる。

 鏡の地藤たちは彼女の言葉を忘れぬよう、しっかりと脳裏に刻み込んだ。

 

『何か質問は?』

「ないよ」

 

 これ以上、この悪魔と話すことはない。

 鏡の地藤はすぐに戦力の組み合わせを頭の中で組み立て始めた。

 誰をどこに送るか。

 誰が誰と戦えば、最も効率よく勝利を掴めるか。

 頭を回す。

 

『結構』

 

 獲物が餌に食いついたことを確認したメフィラは、館内放送室で一人ほくそ笑んだ。

 その笑みは、慈悲も誠意も持たない。

 ただ純粋に、悪意と愉悦だけで形作られたものだった。

 

『さて、それじゃあ時間もないことだし始めようか』

 

 指先でマイクの縁をなぞりながら、彼女は宣言する。

 

『ゲーム開始だ』

 

 楽しげな悪魔の声が、館内に響き渡った。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 鏡の地藤たちは、しばし言葉を交わし、戦力と相性を冷静に分析した末に、互いの役割を決定し、それぞれの指定された場所へと迷いなく向かっていった。

 そこに因縁や感情の介入は一切ない。

 この戦いにおいて優先されるべきは、過去の因果ではなく、現在の効率であり、未来の勝利である。

 

 そんなわけで、メフィラ、十六夜蓮と別れた鏡の地藤は、迷いなく最上階のスウィートルームを目指して一直線に歩を進めていた。

 その足取りには一切の揺らぎがなく、むしろ勝利を確信している者特有の静かな自信が滲んでいる。

 

 それも当然の話で――契約により、霧島レイの『心臓』を預かっている以上、彼の勝ちはほぼ確定している状況だ。

 不死に近い吸血鬼であろうと、心臓を潰されれば復活には相応の時間を要する。

 その間に無力化してしまえば、百戦錬磨の霧島レイであっても、鏡の地藤の前では無力に等しい。

 

 さらに言えば――

 

『地藤優斗に従い、なおかつ、彼と彼の仲間である天羽璃奈、十六夜蓮、十六夜唯に一切危害を加えない』

 

 ――という契約も生きている以上、敗北する可能性は限りなくゼロに近いと言ってもいい。

 

 一つだけ懸念事項があるとすれば、彼女が“原種”の吸血鬼であるという点だ。

 条件さえ揃えば契約を超越することができる彼女の潜在能力は計り知れない。

 だが、地藤優斗は霧島レイの“眷属”であり、彼女にとって絶対的な恩人でもある。

 その心理的なアドバンテージがあれば、たとえ彼女が“原種”の力を前面に押し出してきたとしても、一定の手心を加えてもらえる可能性が高い。

 

 迅速に勝負をつけ、他のメンバーのフォローに回る――その一点を意識しながら、彼はホテルの廊下を疾走していた。

 

 だが、スウィートルームの扉が視界に入った瞬間、彼はふと足を止める。

 

 ……待て。

 

 何かがおかしい。

 鏡の地藤は、足元の絨毯の模様すら見落とさないほどの集中力で、状況を再構築する。

 霧島レイは、契約によって地藤優斗と鏡の十六夜蓮に手出しできない。

 ならば、彼女を鏡の地藤にぶつけるのは、敵側にとって最も不利な選択のはずだ。

 それなのに、なぜわざわざ配置を事前に知らせるような真似をしたのか。

 地藤優斗と如月メフィラ――あの2人が、霧島レイの立ち位置を戦力と急所の両面で捉えていないはずがない。

 彼らが見落とすほど、霧島レイは単純な駒ではない。

 むしろ、扱いを誤れば戦局が崩壊するほどの危うい存在だ。

 仮にそこまで分かっていたとしたら、これは罠――

 

「やぁ」

 

 スウィートルームの扉を目前に、鏡の地藤が足を止めたその瞬間。

 廊下の静寂を破るように、軽やかな声が背後から響いた。

 振り返ると、そこには穏やかな笑みを浮かべた地藤優斗が立っていた。

 

「……君は確か、一階のプールに居るんじゃなかったか?」

 

 静かに尋ねる鏡の地藤。

 オリジナルの地藤優斗はその問いに、どこまでも柔らかく、そして不敵に答えた。

 

「うん。そうだよ。さっきまでは一階のプールで()()していた」

 

 “待機”という言葉を、わざとらしく強調する。

 鏡の地藤は、その瞬間にすべてを悟った。

 メフィラの策略。

 言葉の罠。

 そして、自分がまんまと誘導されたことを。

 

「なるほどな……待機しているとは言ったが、僕たちが到着するまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「その通り。そっちが勝手に、部屋から僕たちが動かないものだと勘違いしただけだよ。僕たちにだって移動する権利と、相手を選ぶ権利くらいはある」

「よく言う。最初からこれが狙いだったんだろう? 僕と霧島先輩を戦わせないことが」

 

 地藤優斗は答えず、ただ肩を竦めた。

 その沈黙が、何より雄弁だった。

 鏡の地藤は深く息を吐いた。

 

「全く……まんまとメフィラの策にしてやられたわけだ」

「僕にしては間抜けじゃないか。アイツが話す言葉は、全部無視するのが最適解だというのに」

「生憎と、こっちのメフィラは性格が良いんでな。そういう警戒をしたことがないんだ」

ふざけたクソ野郎だ

「急にどうした?」

 

 殺意を漲らせながら怨念を吐く地藤。

 端的に言えば、恵まれた待遇を享受している自分への嫉妬だった。

 相変わらずの地藤に溜息をつきながら、鏡の地藤は空気を切り替えるように尋ねる。

 

「霧島先輩はどこに行ったんだ?」

「答える必要あるかい?」

「冷たいじゃないか。教えてくれたっていいだろ? どうやって懐柔したのか気になってるんだ」

「懐柔した、か。随分と嫌な言い方をするね。君、本当に僕かい?」

「鏡から目を逸らすなよ。何度も言うように、僕は君だ」

 

 二人の地藤優斗は真っ向から睨みあう。

 

「……まぁ、いいさ。霧島先輩でないのは残念だけれど、これはこれで都合がいいか。大将の首を取れば戦は鎮まるものだからね」

 

 肩を竦め、思考を切り替えた鏡の地藤は剣を取り出した。

 

「よく言うよ。ただ、僕にとってもこれは都合が良くてね。……君には、色々と聞きたいことがある」

 

 それに呼応するように地藤優斗もまた剣を取り出し、構える。

 鏡合わせの2人が睨み合う。

 

 言葉は不要。

 合図も不要。

 

 次の瞬間。

 

 同じ顔をした2人は廊下を蹴って――互いに振り上げた剣を振り下ろした。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

「……なんでアンタがここにいるんだ?」

 

 一階のプールにたどり着いた十六夜蓮は、足を止めたまま困惑したように呟いた。

 その視線の先――監視員用の高台に、まるで舞台の主役のように優雅に腰かけていたのは、如月メフィラだった。

 水面に映る彼女の姿は揺らぎながらも鮮明で、まるでこの空間そのものが彼女の領域であるかのような錯覚すら覚える。

 

「期待通りのリアクション、ありがとう。待っていたよ――十六夜蓮君」

 

 メフィラは、蓮の驚きと戸惑いを愉しむように、口元を緩めて微笑んだ。

 蓮は眉をひそめながら、言葉を絞り出す。

 

「お前は、スウィートルームに待機していたはずじゃ――」

()()()()()()()()。最初のうちはね」

 

 思わせぶりな口調で語るメフィラの声は、どこか艶やかで、どこか冷たい。

 十六夜蓮は、彼女の言葉の裏にある意図をすぐに察した。

 

「……俺たちを騙したのか」

「被害者ぶるのは止めてくれよ。そっちが勝手に勘違いしただけだ」

 

 ケラケラと笑うメフィラの表情には、罪悪感のようなものは微塵も見当たらない。

 蓮は呆れたように深く息を吐いた。

 

「お前、本当に俺が知るメフィラとは違うんだな」

「そりゃあ、違うとも。君が知っているのは、オリジナルであるこの僕を反転させ、歪めた存在だからね。まぁ、もっとも――」

 

 根っこのところは、変わっていないんだろうけれども。

 その言葉は、蓮に聞かせることなく、メフィラの口の中で静かに溶けた。

 彼女は唇を吊り上げ、邪悪な笑みを浮かべる。

 

「さて、ここに来た以上は僕と戦ってもらうよ。異論はないね」

「あるに決まってんだろ。……だけど、撤退を許してくれるわけじゃなさそうだな」

「よく分かっているじゃないか。ここは既に戦場だ。背を向ければ当然、銃弾が飛んでくる」

 

 メフィラは人差し指と親指を立てた右手で蓮を狙い、片目を瞑って「バーン!」と銃を撃つような仕草を見せた。

 ふざけた動作だが、蓮には分かっていた。

 彼女がその気になれば、本物の銃弾に匹敵するものが飛んでくることを。

 

「……始める前に聞かせてくれ。お前たちは、本当に俺たちの世界を滅ぼすつもりなのか……?」

 

 十六夜蓮の声は、静かでありながら、内に燃える怒りと疑念を孕んでいた。

 暗闇の中、ライトアップされた水面に照らされたメフィラは、手の甲の上に頬を乗せながら、まるで退屈な雑談でもしているかのような軽い口調で答えた。

 

「ふむ。まぁ、結果的に言えばそういうことになるのかもしれないねぇ」

 

 その言葉に、蓮は顔を顰める。

 

「鏡の世界だかなんだか知らないが、そんな身勝手なことを許すわけにはいかねぇな……!」

 

 気炎を吐くように言い放ち、蓮は一歩踏み出してメフィラを睨みつけた。

 その瞳には、怒りと決意が宿っていた。

 だが、メフィラはその視線を受け止めながら、面白そうに頬を釣り上げる。

 

「ふーん? なるほど。随分と大胆な口実を作ったものだ。僕たちが鏡の世界の住人とはね」

「……なんだよ、その眼は」

「別にぃ~」

 

 その瞬間、メフィラは鏡の地藤の思惑を一瞬で察していた。

 だが、彼女はあえて蓮の誤解を解こうとはしなかった。

 わざわざ説明するのは面倒だったし――何より、このままの方が面白そうだったから。

 彼女にとって、真実は武器であり、玩具でもある。

 必要な時にだけ使えばいい。

 それ以外は、黙って眺めていればいい。

 

「さて、無駄話はこれくらいにして、そろそろ始めようか。やっぱり、フィナーレは特等席で眺めたいからね」

「随分と余裕そうじゃねーか。まるで俺が前菜みたいだな」

そうだと言ってるんだ

「ッ!」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、メフィラから強烈な魔力の奔流が放たれた。

 空気が一瞬で重くなり、十六夜蓮は咄嗟に巨剣を展開して構えた。

 肌がひりつくような圧力。

 視界が歪むほどの魔力。

 そして、彼を見下ろす魔の瞳――人間を虫けらのように見下す、圧倒的な存在感。

 どれほどおチャラけて見せようとも、彼女の本性が強大な悪魔であることは、隠しようがない。

 思わず、無意識のうちに一歩、後退る。

 

 ――その瞬間。

 

「こら」

 

 囁くような声が、耳元に届いた。

 

「下がるんじゃない。下がれば死ぬだけだよ? どうせ死ぬのであれば、前向きに死んだらどうだい? 少なくとも、彼ならそうしていたと思うよ」

「……」

 

 その言葉に、蓮は思わず息を呑んだ。

 冷や汗が頬を伝い、背筋を冷たいものが走る。

 だが、彼は逃げなかった。

 ほんの数秒、考え込んだ末に――慎重に、一歩を踏み出した。

 

「いい子だ。うん。やはり男子たるもの、前を見ないとね。後は、なりふり構わずその剣を翳して果敢に立ち向かうことだ。力の差は歴然だけれど――もしかすると、ワンチャンあるかもしれないよ? 窮鼠猫を噛むとも言うからね」

 

 世界最強格の姉を退けた愛しの契約者のことを脳裏に思い描きながら、メフィラは十六夜蓮に流し目を送る。

 己が圧倒的な格上であることを示唆するコメントだが、蓮は否定する気はなかった。

 自分が挑戦者で、メフィラが格上であることは認識している。

 認識したうえで、彼は剣を構えるのだ。

 

「……実は、前から君の力には興味があってね」

 

 メフィラの声が、ふと低くなる。

 その瞳に宿る光が、蓮を値踏みするように鋭く細まる。

 

 今の彼女にとって最優先事項は、困ったような顔をしながら彼女以上にえげつないことをやってのける、ビックリ玉手箱のようなあの少年――地藤優斗だ。

 だが、それはそれとして。

 学園に潜入していた当初の目的である十六夜蓮のことも忘れてはいない。

 

「ちょうどいい機会だから、見せてもらうよ。君の――」

 

 その言葉と同時に、メフィラはひらりと監視台から飛び降りた。

 重力を感じさせない優雅な動作でプールの床に降り立った彼女は、黄金の瞳で巨剣を構える蓮を見据える。

 

「――神殺しの力を」

 

 悪魔は冷酷に笑いながら、その指を鳴らした。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「……なるほど。これはしてやられた、ということですか」

 

 広々とした宴会場に足を踏み入れた鏡のメフィラは、静かに呟いた。

 その声には驚きよりも、むしろ感心の色が濃かった。

 数十人は収容できるであろう広大な空間を、たった一人で占拠していた少女が、壇上から軽やかに飛び降りる。

 銀色のポニーテールが尻尾のように跳ね、着地と同時に彼女はニッと活発な笑みを浮かべた。

 

「おうよ! お前らはまんまとユウトの作戦に引っ掛かったってわけだ!」

 

 霧島レイの声は、朗らかで、どこか痛快だった。

 鏡のメフィラは、彼女の言葉に目を細めながら、静かに頷く。

 

「対戦相手をこちらに選ばせるように見せかけて、逆に自分たちが選ぶための駆け引き……なるほど、やはり異なる世界の愛しの契約者様は敵に回したい方ではありませんね」

「全くだな!」

 

 レイは大口を開けて、豪快に笑った。

 その笑いは、挑発でも侮辱でもなく、ただ純粋に“してやったり”の愉快さに満ちていた。

 

「アタシは、鏡のユウトと鏡の十六夜蓮には絶対に勝てない契約になってるからな。悪いが、お嬢さんが最適な相手ってことだ。悪く思わないでくれよ」

 

 霧島レイは豪快に笑いながら、悪びれもせずそう告げた。

 だが、鏡のメフィラはその言葉に眉ひとつ動かさず、静かに応じる。

 

「悪いなんて思いませんとも。そちらの思惑を見抜けなかったこちらの落ち度ですから。……強いて言えば、異なる世界の私との決着が先延ばしになるのは些か残念ですが、そう憂うことでもありません」

 

 その声音は淡々としていたが、言葉の端々には揺るぎない意志が滲んでいた。

 鏡のメフィラは、レイの笑いに動じることなく、真っすぐにその瞳を見据える。

 

「貴女を早々に倒してしまえばいいだけのことですから」

「へぇ?」

 

 霧島レイは血のように赤い瞳を細めた。

 その目には、好戦的な光が宿っている。

 

「言ってくれるじゃねーか。大人しそうななりをして、実は好戦的ってか? その感じじゃあ、あっちの世界のメフィラとあんまり変わりねーぞ。それとも――その負けず嫌いがお前らの根幹なのか?」

「ご想像にお任せいたします」

 

 鏡のメフィラは、表情を崩すことなく粛々と答えた。

 その反応に、レイは直感的に「やりづらいな」と思った。

 あちらの世界のメフィラは露悪的で、碌でもない悪魔だったが、それでも感情表現は豊かで、まだ読みやすいところがあった。

 しかし、鏡のメフィラは淑女然とした仮面を被り、ポーカーフェイスを貫いている。

 その腹の底が、まるで霧の中のように掴めない。

 

「……まぁいいさ。どっちにしろ、ぶっ飛ばしちまえば変わりがねぇ話だ」

 

 レイは刀を首の後ろに回し、両肩と両手でぶら下げるように行儀悪く構えながら、ミステリアスな少女を見据えた。

 

「始める前に最後の質問、いいか?」

「どうぞ」

「アンタ……()()()()()?」

 

 その問いが空気を震わせた瞬間、鏡のメフィラの表情に、初めてわずかな変化が現れた。

 美しく整った唇が、ほんの僅かに弧を描く。

 それは、微笑とも、哀しみともつかない曖昧な感情の形だった。

 

「そんなこと、決まっているではありませんか。私はただ一人――」

 

 言葉の続きを、彼女はゆっくりと、しかし確かに紡いだ。

 

「――我が愛しの契約者様の味方ですとも」

 

 その声音には、揺るぎない忠誠と、どこか誇らしげな響きがあった。

 何を今さら、と言わんばかりの断言。

 鏡のメフィラにとって、その答えは疑う余地すらないものだった。

 

「そうかい」

 

 霧島レイは短くそう返しながら、ふと自分自身に疑問を覚えた。

 なぜ、答えが分かりきっている問いを、わざわざ口にしたのか。

 何を確かめたかったのか。

 だが、答えは出ない。

 それでも、彼女は「まぁ、いっか」と思考を切り替え、首の後ろに回していた刀の鞘と柄をしっかりと握り直した。

 もはや、言葉を交わす必要はない。

 互いに尋ねることは尽きた。

 後は――為すべきことを、為すだけだ。

 

「さぁ、剣を抜きな。エクソシストとして、きっちり祓ってやるよ」

 

 霧島レイの声は低く、獣の唸りのように響いた。

 その瞳は血の色に染まり、獲物を見据える狩人の光を宿している。

 

「生憎と、剣は持っておりません。私はこのままで結構ですので、どうぞご自由に」

 

 鏡のメフィラは白いワンピースの裾を整えながら、静かに答えた。

 その姿は、まるで舞踏会に招かれた令嬢のように優雅で、戦場に立つ者とは思えないほどの落ち着きを纏っていた。

 

「余裕綽々だな。私なんか相手にならないってか?」

「そう申し上げたつもりです」

 

 その言葉に、レイは犬歯を剝き出しにして笑った。

 その笑みは、戦いを前にした獣のそれだった。

 ゾッとするような気配が空間を満たし、空気が張り詰めていく。

 2人の美女が睨み合う。

 

「いいねぇ……それでこそ狩り甲斐があるってもんだ!」

 

 レイは刀を抜いた。

 銀の刃が空気を裂き、彼女の本性――“狩人”としての渇望が露わになる。

 

「いくぞ! 悪魔!」

 

 その叫びと同時に、鏡のメフィラは白い袖を掴み、上品に一礼した。

 その所作は、まるで舞踏の開幕を告げる貴族の儀礼のようだった。

 

「お手柔らかにお願いします。エクソシスト様」

「生憎と、お行儀がいいところ出身じゃないんでなァ! お手柔らかには――出来ねぇぞッ!」

 

 銀色の吸血鬼が疾走する。

 悪魔は掌を翳し、優雅にそれを迎え撃つ。

 

 人の理から外れた魔人たちの戦いが、今――幕を開けた。

 

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