世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第57話:推測に違和感がある件について

 

 十六夜蓮には、才能がある。

 

 口癖のように友人が言っていた言葉を、蓮は今でもよく覚えている。

 どうやら彼には、常軌を逸した資質が備わっていて、エクソシストになるために生まれてきた――そう断言できるほどのものらしい。

 

 だが、蓮自身にはそんな実感はまるでなかった。

 

 十七歳の誕生日の夜、悪魔に襲われて能力が覚醒し、天羽璃奈と出会い、妹を攫われ、助けられ、また別の事件に巻き込まれて――気づけば、ずるずると状況に流されるまま、今に至る。

 

 血の大公との戦いでは、地藤に発破をかけられて祓器の具現化には成功したものの、エクソシストとしての訓練はほとんど積めておらず、実戦経験も皆無に等しい。

 彼には、己の性能を実感する機会が絶望的に欠けていた。

 そして、そんな彼の二度目の実戦相手にしては――彼女は、あまりにも酷だった。

 

「ほらほら、ちゃんと避けないと死んじゃうよー?」

 

 ケラケラと笑いながら、ゾッとするほど整った顔立ちの少女が掌を翳す。

 次の瞬間、邪悪な紫色の魔弾が空を裂いた。

 マシンガンのように容赦なく降り注ぐ魔弾に、蓮はただ逃げ回ることしかできない。

 彼の武器は巨剣。見た目ほどの重さはないが、取り回しが良いとは言い難い。

 ましてや、銃弾を捌くなど到底不可能だ。

 

 ――もっとも、訓練を受けていない蓮にとっては、どんな剣を渡されたところで、銃弾を切り落とす芸当などできるはずもないのだが。

 

(クソ……このままじゃ、玩具にされて終わる……!)

 

 焦りが胸を突き刺す。

 歯噛みしながら、蓮は逃げの一手を選ぶしかなかった。

 強化された身体でプールサイドを駆け抜け、魔弾を避け続ける。

 何とかメフィラに接近しようとするが、彼の意図を察した彼女は弾幕を厚くし、接近を阻む。

 蓮はやむなく巨剣を盾代わりにして弾丸を受け止め、再び逃げる――その繰り返しだった。

 このままじわじわと体力を削られれば、敗北は必至。

 戦闘慣れしていて、頭の回転も速そうなメフィラの目を掻い潜るのは、至難の業だった。

 

(せめて、一撃……一撃だけでも浴びせられれば!)

 

 蓮の一撃は、圧倒的な霊力量を誇る。

 メフィラが展開した本気の結界に、たった一撃で罅を入れるほどの威力。

 しかも先ほどは、ホテルの住人を気にして本気を出せなかったので、まだ底は見せていない。

 

 だからこそ、その一撃さえ決まれば、形勢を逆転できる――蓮はそう信じていた。

 だが、メフィラもそれを理解しているのだろう。

 彼に隙を与える気配は、微塵もない。

 

(何とかして、隙を生み出さねーと……)

 

 打開策を探る蓮。

 だが、彼が相手をしているのは、アイデアが思いつくまで待ってくれるような優しい敵ではなかった。

 

「ほらほら、逃げ回るにも動き方が単調だと、すぐに読まれてしまうよ?」

「ッ!」

 

 ジグザグに逃げていたつもりだったが、無意識のうちに動きがパターン化していたのだろう。

 メフィラはあっさりとその動きを読み、魔弾を放った。

 直撃を避けるために身体を捻ったが、脇腹を掠めた魔弾がズキズキと痛む。

 骨は折れていないようだが、打撲は免れない。

 

「初心者相手に手加減しようって気はないのかよ!」

「あははは! 僕は理不尽さを好む悪魔だぜ? そんな気、起きるわけがないだろ」

 

 残虐な笑みを浮かべながら、メフィラは指揮者のように右腕を振るう。

 紫色の魔力が渦を巻き、刃のように射出された。

 蓮は咄嗟に巨剣を盾として構える。

 だが、痛めた脇腹が悲鳴を上げ、踏ん張りが効かずに再び吹き飛ばされた。

 ゴロゴロと転がり、窓にぶつかって止まる。

 壁際まで追い込まれた。

 

 いよいよ、詰みだ。

 

「やれやれ、こんなものかい? 期待はずれにも程があるね。もっと人間らしい生き汚さを見せてくれよ」

 

 ――我が愛しの契約者様のように。

 

 言葉には出さず、胸中でメフィラは思う。

 彼であれば、どう対処しただろう。

 この状況から、どんな奇想天外な発想で切り抜けてくれるのだろうか。

 その姿を思い浮かべて、メフィラは楽し気な笑みを浮かべ――次の瞬間、青白い斬撃が彼女の視界を裂いた。

 目を見開き、右手の指を軽く鳴らす。

 パチン、という乾いた音と共に、斬撃は霧散した。

 

「はぁ、はぁ……まだ勝負は終わってないぞ」

「ふむ。確かに、少し君への敬意が足りなかったかな。失礼なことをしたね。お詫びに――」

 

 メフィラは右手を虚空に翳す。

 魔弾ではない。

 そこに現れたのは、一本の細剣。

 美しく、優雅で、まるで舞踏会の騎士が携えるような剣だった。

 

「――君の土俵で戦ってあげよう」

 

 右手に剣を構え、左手は腰の後ろへ。

 背筋を伸ばし、決闘を前にした騎士のように構える。

 その姿は、悪魔であることを忘れさせるほどに優美だった。

 

「さぁ、掛かってきなさい。相手をしてあげよう。初心者君」

「ッ! 馬鹿にしやがって……!」

 

 蓮は怒りに燃え、巨剣を握りしめる。

 エクソシストとしての経験は浅いが、それでもプライドはある。

 悪魔に煽られて黙っているわけにはいかない。

 

「オオオオオオオオ――!」

 

 蓮は果敢に斬りかかる。

 訓練こそ不足しているが、元々運動神経は抜群だ。

 さらに巨剣を召喚している間は、霊力が全身を巡り、筋力と耐久力が強化されている。

 自分の身長ほどもある剣を、軽々と振るえるほどの怪力。

 こんな細剣など、叩き折れるはずだった。

 

 だが――両腕で渾身の力を込めて振るっても、メフィラは左手を腰の後ろに回したまま、右手に握った剣一本で軽々と受け流す。

 

(なんでだ! なんで一太刀も浴びせられないんだ……!)

 

 蓮の一撃が床を裂く。

 衝撃で罅が走る。

 だが、メフィラは薄ら笑いを浮かべたまま、細剣で嵐のような連撃をすべて受け止めていく。

 

「僕に近接戦が出来ないとでも思ったのかい?」

 

 飄々とした声が、耳元に囁く。

 

「お生憎様。こう見えても、武闘派でね。何でもできるんだよ」

 

 技術の差は、圧倒的だった。

 蓮がそれに気づいた時には、すでに体力の限界が訪れていた。

 メフィラは、あっさりと巨剣を弾き飛ばす。

 

「チェックメイト、かな」

 

 十字架の剣が宙を舞い、プールの床に突き刺さる。

 膝をついた蓮の首元に、細剣の切っ先が静かに突きつけられる。

 

「く、そ……」

 

 蓮は唇を噛み、視線を落とす。

 その心は、すでに折れかけていた。

 元の世界の蓮であれば、ここから奇跡の覚醒を果たし、メフィラを返り討ちにしていたかもしれない。

 だが、この鏡の世界の蓮には、常軌を逸した克己心も、精神の強さもない。

 彼は、反転と屈折の果てに、“普通”になってしまったただの少年なのだから。

 

「ふむ」

 

 剣を振り下ろすかと思いきや、メフィラは思案するように小さく息を吐き、切っ先を下ろした。

 不安と安堵が入り混じった視線を向けてくる蓮に、ウインクをひとつ。

 

「このまま幕を引いてもいいのだけれど、それだと些か詰まらないね」

 

 元の世界の君に語ると手痛いしっぺ返しをくらいそうだし――という本音は敢えて口にせず、メフィラは切り出した。

 

()()をしようか」

「昔話……?」

 

 怪訝な表情をする蓮にくるりと背を向け、剣を杖のように床へ突き、カツ、カツと乾いた音を響かせながら、ゆっくりと歩き出す。

 

「そう。昔話。遠い、遠い昔の話さ」

 

 怪訝な表情を浮かべる蓮に背を向けたまま、メフィラは語り始めた。

 

「むかし、むかーし、あるところに神様がいました。神様はとても寂しがり屋で、独りぼっちに耐えられなかったので、似たような姿のお友達を創りました。神様は初めて出来たお友達のことが大好きで、お友達を喜ばすことに喜びを見出し、お友達が大好きな林檎を左の掌に生み出しては、無償で与えていました」

 

 パチン、とメフィラが左手を鳴らす。

 その左手には、いつの間にか真っ赤な林檎が生まれていた。

 

「お友達も林檎をくれる神様のことが大好きで、2人は大の仲良しになりました。ただ、お友達には不満がありました。神様は優しいですが、食べ過ぎは良くないというのです」

 

 林檎を宙に放り、なんなくキャッチする。

 

「もっと、もっと、もっと林檎を食べたかったお友達は良いことを思いつきました。神様の力を手に入れれば、幾らでも林檎を食べられる、と」

 

 再び放った林檎をキャッチし、今度は指先で潰す。

 果汁が滴ることなく、林檎は煙のように消えた。

 

「お友達は仲が良かった神様の目を不意打ちで潰し、喉を潰し、耳を潰してから、その身体を木に縛り付けました」

 

 蓮の背筋が凍る。

 メフィラは、淡々と語り続ける。

 

「そして林檎を生み出す左腕以外を斬り落として、林檎を生み出す左手を棒で叩いて、気の向くままに林檎を吐き出させて、たくさんたくさん、食べました」

 

 カツン、と剣の切っ先が床を打つ。

 それは、物語の終わりを告げる鐘のようだった。

 

「おしまい」

 

 蓮は思わずガックリと転びそうになった。

 

「……なんだよ、その胸糞悪いオチは。そのお友達に罰は下らなかったのか?」

「下らなかったよ。だって、罰を下す神様は、五感を潰されて、無力化されちゃったからね」

「……」

 

 強欲なお友達と、お友達の本性を見抜けず、惨たらしく全てを奪われた神様。

 モヤモヤする結末といい、まるで寓話のようだと蓮は思った。

 

「ただ、こういう説もある。罰はとっくに下されていて――お友達は、今もなお苦しみ続けている」

 

 唐突に告げられた言葉に、蓮は言葉を失う。

 メフィラは、まるで芝居の幕引きを楽しむ役者のように、ゆっくりと振り返ると、唇をニィと吊り上げた。

 その笑みは、悪魔そのものだった。

 

「どうだい、少しはスカッとしたかい? ()()()さん」

「はぁ?」

 

 思いも寄らぬ呼びかけに、蓮は呆けた声を漏らす。

 メフィラは愉快そうに肩を竦め、手にした剣をステッキのようにクルクルと回しながら、軽やかに語り始めた。

 

「この昔話に登場する“お友達”――あれはね、君たちのことだよ。君たち、()()()()()()

「な、にを……」

 

 蓮の顔から血の気が引いていく。

 その動揺を楽しむように、メフィラはさらに言葉を重ねた。

 

「実はこの話には続きがあるんだ。神様に酷いことをしたお友達の中には、ある日、嫌なものが生まれた。それは、罪悪感とか、恐怖とか、後悔とか――そういう“都合の悪い感情”の塊だった。お友達はそれを“悪”と名付け、気味が悪いそれを自分の内側から切り離すことにした。そうして生まれたのが、僕たち“()()”というわけさ」

「……突拍子もない話だな」

 

 蓮は眉をひそめる。

 メフィラは楽しげに首を傾げた。

 

「そうかな? おかしいとは思わないかい?どうして悪魔は“悪”として振る舞うんだい?人間が善で、悪魔が悪――そんな分かりやすい構図が、最初から用意されているなんて、都合が良すぎると思わない?」

「……それが、性だからだろう?」

「その“性”がどこから生まれたのか、という話をしているんだよ」

 

 メフィラの黄金の瞳が、真っ直ぐに蓮を射抜く。

 

「これは神話だ。何百年、何千年も前から語り継がれてきた、一つの物語なのさ」

「嘘つけ! こんなの、出鱈目な御伽噺だ……!」

「神話を否定するかい? それも構わないけれど――皮肉なことに、君自身がこの話を証明する存在なんだと言ったら、驚くかな?」

「なに……?」

 

 メフィラは、にやりと邪悪に微笑んだ。

 

「お友達の直系の血筋が、君なのさ。君は、神殺しを為した罪人の末裔――その血を引く者だ」

「……嘘だ」

「嘘じゃないさ。その証拠に、君の力は常軌を逸しているだろう?自覚はないだろうけれど、君も、君の祓器も、()()()()()()

 

 そう言って、メフィラは指を鳴らした。

 次の瞬間、床に突き刺さっていた蓮の巨剣がクルクルと回転しながら宙を舞い、彼女のもとへと飛来する。

 柄を掴み取ったメフィラは、興味深そうに剣を眺めた。

 その瞳は、まるで古代の遺物を観察する学者のように、好奇心と畏敬に満ちていた。

 

「エクソシストたちは、悪魔を殺すための術を持っているけれど――君の力は違う。それだけに留まらない。君の力は、もっと根源的なものだ。神様すら殺せる力を、秘めているんだ」

 

 祓器は悪魔を滅するための武器。

 当然、剣を握ったメフィラの左手は、じわじわと爛れていく。

 皮膚が焼け、肉が裂け、骨の奥まで蝕まれていくというのに、彼女は痛みを意にも介さない。

 ただ、黄金の瞳で巨剣を見つめ続け――やがて、飽いたようにその剣を蓮の足元へと放り捨てた。

 

「さて、昔話はここまでだ。そろそろ続きをしようか。お友達君?」

「……違う。俺は信じないぞ、そんな出鱈目な話……!」

 

 蓮は震える声で否定する。

 だが、メフィラは肩をすくめ、悪びれる様子もなく言い放った。

 

「信じたくないなら、それでも構わない。僕は好き勝手に喋るだけさ。口を閉じさせたいなら――力づくでどうぞ」

「ッ!」

 

 蓮は剣の柄を握り締め、ゆっくりと立ち上がる。

 その目に宿るのは、怒りでも恐怖でもない。

 ただ、揺るぎない決意だった。

 メフィラは目を細め、その姿を見つめる。

 唇の端が、愉悦に歪む。

 

「フフフ……いいね。ようやく楽しくなってきた」

 

 蓮は剣を構え、深く息を吸い込む。

 霊力が奔流のように巨剣へと注がれ、空間が軋む。

 メフィラが展開していた結界に、ピシリと音を立てて亀裂が走った。

 

「さあ、力を示してごらん。そして、その醜悪さを――僕に見せてくれ」

 

 己をも殺しかねない力を前にして、しかし悪魔は笑う。

 両腕を広げ、その破滅の気配を、まるで祝福するかのように迎え入れる。

 

「――原初の血を引く、神殺しの子よ」

 

 蓮は、血を吐くような絶叫を上げる。

 そして、全霊を込めて――その剣を振り下ろした。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「なぁ、アンタ」

「なんでしょうか」

 

 かつて豪華絢爛に輝いていたホテル十五階の宴会場は、今や嵐が通り過ぎた後のように荒れ果てていた。

 ひっくり返ったテーブル、切り裂かれた扉、壁や床に刻まれた巨大な爪痕。

 その惨状を生み出した元凶の一人――霧島レイは、肩を愛刀でポンポンと叩きながら、胡乱な視線をもう一人の元凶へと向ける。

 

「真面目に戦う気、ないだろ?」

 

 もう一人の元凶――鏡のメフィラは、一糸乱れぬ清楚な姿のまま、優雅に小首を傾げた。

 

「どういう意味でしょうか? (わたくし)は先程から真剣にお相手をさせていただいております」

「真剣、ねぇ……」

 

 メフィラの弁明を受けても、レイの疑念は揺らがない。

 刀の切っ先で彼女を指しながら、苛立ちを滲ませる。

 

「なら、たまにはそっちから仕掛けてきたらどうなんだ? さっきからあたしが攻めてばっかじゃねぇか」

(わたくし)、少々シャイなもので。自分から手を上げるのは不得手なのです」

「ハッ! あたしの攻撃を完璧に捌いておいて、よく言うぜ」

 

 霧島レイは手加減など一切なく、エクソシストとしての技術と吸血鬼としての身体能力を巧みに融合させ、容赦なくメフィラへと襲いかかっていた。

 近接戦のプロフェッショナルである彼女は、刀が届く間合いにさえ潜り込めば、地藤も天羽も引き離すほどの実力を発揮する。

 己の腕にそれ相応の自信を持っていたレイだったが、目の前の淑女然とした悪魔は、その猛攻をすべて捌いてみせた。

 しかも――

 

悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)ってやつ、使わないんだな」

 

 彼女の代名詞ともいえる能力を、一切使わずに。

 鏡のメフィラは静かに目を伏せた。

 

(わたくし)、屁理屈を好みません」

「自分の能力を真っ向から否定するようなこと言ってやるなよ……」

 

 敵ながら、思わずツッコミを入れてしまうレイ。

 その肩を竦めながら、深いため息をついた。

 

「ったく、さっさとあたしを倒すって言ってたくせに、考えが変わったのか?」

「霧島様に苦戦しているだけでございます」

「いけしゃあしゃあと……アンタ、下手したらあっちの世界のメフィラより厄介かもしれねぇな」

「失礼なことを仰らないでください。(わたくし)は、アレよりはマシな自覚があります」

「どうだか」

 

 キッと睨みつけてくる鏡のメフィラの視線を、レイは軽く受け流す。

 そして、ふと呟いた。

 

「それにしても、あたしの攻撃がほとんど通じないとはねぇ。ちょっと凹むぜ。流石は悪魔王の娘……いや、流石は()()()()と言うべきかな?」

 

 ピクリ、と鏡のメフィラの眉がわずかに吊り上がる。

 そして、感心したように、静かに言った。

 

「よくご存じですね」

「そりゃあ、こう見えても教会所属のエクソシストだからな。悪魔界の事情はそれなりに把握してるつもりだ。とはいえ、細かいところまでは知らねぇからさ。いい機会だし、教えてくれねぇか?」

 

 レイは己の知識に基づいて問いかける。

 その視線は、軽い好奇心と、ほんの少しの警戒を含んでいた。

 

「アンタ、どうして()()()()()()()()()?」

「大した事情はありません。単なる実力不足――という言い訳では、納得していただけませんよね」

「当たり前だろ」

 

 これほどの力を持つ化け物が、どうして四騎士の座を軽々と捨てたのか。

 レイには、到底理解できなかった。

 睨むような視線を向けると、鏡のメフィラは静かに目を伏せ、粛々と語り始める。

 

「この世界には“役割”があります。誰もが、その役割に従うつもりはなくとも、結局はその通りに生き、その通りに死んでいく。四騎士もまた然り。彼らは魔界の頂点として君臨し、権力を振り翳す。そして――やがては、滅ぼされる役割にあるのです」

 

 その言葉は、悪魔とは思えぬほど達観していた。

 レイは思わず驚いた表情を浮かべる。

 メフィラは黄金の瞳で彼女を見つめ、美しいアルトの声で問いかけた。

 

「漫画は、お好きですか?」

「お、おう。急になんだよ。好きだけどさ」

(わたくし)も好きです。特に、少年ジ〇ンプがお気に入りです」

「へぇ……」

 

 レイは心底興味なさそうな相槌を打つ。

 だが、メフィラは気にする様子もなく、話を続けた。

 

「そういった漫画には、四天王と呼ばれる存在がよく登場しますよね? ラスボスの手前に立ちはだかる、中ボスのような立ち位置で」

「まぁ、ものによっちゃあ、出てくるな」

 

 これまで読んできた作品を思い返しながら、レイは頷く。

 メフィラは、そこで言った。

 

「それです」

「……なにが?」

「四騎士とは、四天王なのです」

「はぁ?」

 

 ギュッと胸の前で両手を握りしめ、麗しの悪魔姫は力説する。

 

「四騎士は――絶対に、“かませ犬”、なのです!」

「い、やぁ……どう、だろうなぁ……」

 

 いつも朗らかに笑い、緊迫した状況下でも不敵な態度を崩さない霧島レイ。

 そんな彼女が、初めて曖昧な表情で頬を引き攣らせた。

 魔界に君臨する四騎士たち。

 その尋常ならざる力を知っているレイにとって、彼らを軽々しく「噛ませ犬」などと呼ぶことは、到底できない。

 

 しかし、あくまでメタ的な視点で考えるならば――鏡のメフィラの説には、妙に納得できる部分もあった。

 本人が元・四騎士という肩書きを持っていることも相まって、言葉に謎の説得力が宿ってしまう。

 上手く反論できずに黙り込むレイに向かって、鏡のメフィラは静かに語りかけた。

 

「そんな地位に固執するなんて、馬鹿らしいではありませんか。いずれ主人公に見せ場を与えて退場する運命にある“かませ犬”など、なる気はさらさらございません」

「……じゃあ、アンタはそんな理由で四騎士の地位を手放したのか?」

「それが全てというわけではありませんが、概ねその通りです。(わたくし)は、“かませ犬”が嫌いなので」

「へ、へぇ……」

 

 レイはようやく悟った。

 この女、相当な変人だ。

 

「四騎士を辞めた理由は理解……は出来なくとも、なんとなく納得は出来たぜ。だが、今、アタシと本気で戦わない理由は何なんだ? まさか、アタシのことも“かませ犬”だなんて言うんじゃねぇだろうな?」

「まさか。(わたくし)は貴女のことを高く評価しております」

「そりゃあ、どうも」

「貴女が主人公でもいいくらいだと思っております」

「それは言い過ぎだろ」

 

 (一応)主人公を務めている地藤優斗が泣いてしまう。

 

「少なくとも、主人公側であることは間違いないでしょう」

「……どうだろうな。こと、この世界に限っては、悪役かもしれねぇぞ?」

「お戯れを。貴女は正しいことをしている。この世界の住人としては正しくなくとも、物語の人物として、そして“正しさ”を求める者として――間違いのない選択をしておられます」

 

 メフィラの言葉には、皮肉も嘲りもなかった。

 ただ、物語を俯瞰する者としての冷静な分析があった。

 

「であれば、それに便乗するのが“正しい物語の進め方”というもの。こうして時間稼ぎをするのならともかく、貴女を傷つけることに意味などありません。どうせ、わけのわからない補正が入って打倒されるに決まっているのですから」

「……なんつーか、賢いのかそうじゃないのか、よく分かんねー奴だな……」

 

 実力的には間違いなく上回っているというのに、そんなメタ的なことばかり気にして仕掛けてこない悪魔など、レイにとっては初めての経験だった。

 どう反応すればいいのか、正直困る。

 だが、一方で鏡のメフィラのスタンスには、一定の理解もあった。

 とくに、霧島レイを相手にしている以上、その警戒心(?)が無駄になることはないだろう。

 

 なにせ、霧島レイは“原種の吸血鬼”なのだから。

 

 未だに能力の底が見えず、条件次第では“契約”すら無効にする未知数の存在。

 元四騎士と言えども、気軽に手を出せる存在ではなかった。

 

「それで? あたしとチマチマ時間稼ぎして、アンタは何が目的なんだ?」

「目的など、最初から決まっております。先程も申し上げた通り――(わたくし)は、愛しの契約者様の味方をしたいだけです」

 

 そう言って、鏡のメフィラは黄金に輝く瞳で、ここではない“どこか”を見つめた。

 

「……アンタには、何が見えているんだ?」

「大したものは見えておりません。未来視を持っているわけではありませんから。ただの()()です」

 

 その並外れた頭脳から導き出される推測は、もはや未来予知の域にある。

 だが、鏡のメフィラはそのことを口にはせず、ほんの少しだけ目を伏せて――静かに告げた。

 

「ちょうど今、推測通り“お姫様”が到着いたしました。(わたくし)は、彼女をお迎えに上がろうと思います」

「あぁ? 何の話だ?」

「それでは、(わたくし)はこれにて失礼いたします」

 

 極めてマイペースな鏡のメフィラは、黄金の瞳で銀色の吸血鬼を静かに見つめた。

 その瞳には、どこか惜別の色が滲んでいた。

 

「貴女様に限って、わざわざ忠告することではないかと存じますが――念の為に、ひとつだけ。どうか、最期まで己が意思を貫かれますよう。さすれば、貴女は幸福な結末を迎えるでしょう」

「おい、それってどういう――」

「お先に失礼いたします。どうぞ、ご機嫌よう」

「あっ! オイこら待て!」

 

 レイの制止も虚しく、鏡のメフィラは貴族の令嬢のように優雅な一礼を残し、蒼銀の霧となってその場から立ち消えた。

 

「――ったく、これだから悪魔連中は……」

 

 レイは美しい銀髪をガシガシと掻き、深いため息をつく。

 

「……最期まで己の意思を貫く、か。当たり前だろ。あたしはずっと、そうやって生きてきたんだ」

 

 何もかもを失い続けてきた人生の中で、誇れるものがあるとすれば、それだけだった。

 霧島レイは迷わない。

 守るべきものは、いつだってはっきりしている。

 

「さて、と。敵も居なくなったし、遠慮なくユウトを手伝いに行くか!」 

 

 すぐに思考を切り替え、ぱっと明るい顔になって駆け出す。

 その背には、いつも通りの快活さがあった。

 

 ちなみに、同じく戦闘中と思われるメフィラの援護に行こう――なんて考えは、レイの脳裏をかすりもしなかった。

 心配するだけ時間の無駄だと、本能的に理解していたからだ。

 

 わざわざ“推測”するまでもなく、それは明らかなことだった。

 

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