世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第61話:トナカイとサンタクロース

 

 降り注ぐ剣の雨。

 

 その一本、一本に強力な“死”の呪いが付与されている。

 冗談のようなその攻撃に対し、地藤優斗はすぐさま黒霧となり、床をすり抜けて下の階へと逃げ込んだ。

 だが、彼の動きを追うように、容赦なく死の剣が降り注ぐ。

 呪いだけではなく、圧倒的な破壊力をも兼ね備えた剣は、天井を突き破り、床や壁を粉砕しながらホテル最上階を穴だらけに変えていく。

 

「容赦ないな……!」

 

 黒霧状態のまま、剣群をすり抜けるように移動し続ける地藤。

 ジグザグに動くだけではなく、上下の階を行き来し、三次元的な軌道で攪乱を試みるが、相手は彼の知識と思考回路をベースに生まれた存在である。

 彼の思考回路はお見通しだった。

 

「ッ!」

 

 一本の剣が黒霧の身体を掠める。触れただけで全身に死の呪いが伝播し、地藤は強制的に黒霧を解除され、床を転がった。

 

(動きが読まれてる……⁉)

 

 驚愕に目を見開く。だが、立ち止まれば待つのは本当の“死”だ。

 降り注ぐ剣群が夜空を覆い尽くす。鋼の嵐が迫り来る中、地藤は咄嗟に十字剣を抜き放ち、その柄を側頭部へと押し当てた。

 ――スイッチを押し込む。

 瞬間、刃が伸縮し、脳髄を貫いた。

 閃光のような痛みが走り、視界が白く弾ける。次の瞬間、地藤優斗は()()()

 だらりと投げ出された身体に、無数の剣が突き刺さる。ハリネズミのように変わり果てた死体に、ノイズが走った。

 現実を捻じ曲げる悪魔の権能が発動する。

 突き刺さった剣が揺らぎ、血の匂いが掻き消え、死の光景がノイズに呑み込まれていく。

 ノイズが消えた次の瞬間、彼は無傷のまま立っていた。

 

「あ、危なかった……」

 

 “死”の剣に殺される前に自死すれば、全てを振り出しに戻せる。咄嗟の閃きで実行した作戦は成功した。だが、次も同じように上手くいく保証はない。

 真正面から攻撃を受ければ、リセットする前に本当に殺されるだろう。 

 

(こうなったら、仕方ないか……)

 

 地藤は再び黒霧となり、移動を開始した。

 向かう先は一つ――

 

「悪いけど、メフィラのところには行かせないよ」

「ッ!」

 

 進行方向に剣群が墓標のように突き刺さり、地藤の行く手を阻む。

 天を仰げば、背中に無数の剣群を待機させた鏡の大公が悠然と佇んでいた。

 

「この状況をひっくり返せるとすれば、メフィラだけ。その考えは正しいが、僕が読み取れないはずがないだろう?」

「……馬鹿言うな。僕がアイツに頼るわけがないだろ。ちょっとトイレ休憩に行こうとしただけだ」

「そうか。トイレならそこのを使うといい」

「嫌だよ。最中に串刺しにするつもりだろ?」

「まさか。――ビームを叩き込むだけだ」

「最悪だよ、お前」

「僕は君だよ」

「いいや、お前は僕じゃない」

「確かに僕は君ではないけれど、ベースになっているのは君の思考回路だ。つまり、これは君の考えなんだよ。最悪なのは君だ。QED」

「……クソッタレ!」

 

 自分がクソ野郎だと懇切丁寧に説明され、反論もできずに罵倒を吐く。

 そして――

 

 地藤は目の前に突き刺さっている“死”の剣を()()()()()、天に佇む鏡の大公へ向かって投擲した。

 

「ッ⁉」

 

 これは流石に予想外だったのか、鏡の大公は慌てて空中で身を捻り、剣を躱す。

 視線を戻した時には、地藤の姿は消えていた。

 

「触れるだけで死の呪いに蝕まれる剣を掴んでぶん投げるとは……流石はオリジナル。思考回路がぶっ飛んでいるな」

 

 感心したように呟きながら、鏡の大公はその眼を閉じた。

 

「さて――かくれんぼ、と洒落こもうか。最も、この世界で僕から逃げられる人なんて、いないんだけどね」

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 黒霧状態のまま闇雲に走り抜け、地藤はとある部屋に飛び込んで霧化を解除し、実体を取り戻した。

 思考回路を読まれるのであれば、何も考えなければいい。

 そんな理論に基づき、目を瞑って壁をすり抜けてきたので、恐らく居場所をすぐに悟られることはないだろう。――多分。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……クソっ」

 

 ベッドに背を預け、地藤は呪いに蝕まれた右手を見下ろした。皮膚は黒ずみ、指先は壊死して動かない。

 おまけに、その黒ずみは徐々に右腕から全身に回りつつあった。

 死王女の権能は紛れもなく本物だ。もし“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”を発動するより先に全身を消し飛ばされれば――地藤優斗は本当の“死”を迎えるだろう。

 

「こんだけ不死身の能力を上乗せしておいて、“死ぬ”なんて冗談じゃないぞ……!」

 

 動かない右手の代わりに左手で懐から十字剣の柄を取り出す。

 先端を自分の側頭部に押し当て、躊躇なくスイッチを押し込んだ。

 刃が飛び出し、脳天を貫く。

 

「ッ! はぁ、はぁ……」

 

 “悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”が発動し、強制的に死から蘇る。

 呪いが消えた右手を見て、地藤はようやく一息をついた。

 

「ったく……死王女は反則だろ、マジで……」

 

 ぼやきながら、素早く周囲を見渡す。

 まだ索敵されてはいないようだが、奴がホテルごと破壊しようとすれば終わりだ。そうしないのは、奴もメフィラの動向を警戒しているからだろう。

 死王女の力を一端でも行使できるとはいえ、奴は“大公”に過ぎない。元四騎士のメフィラの方が、きっと強いはずだ。

 

「いや、でも死王女ってメフィラの天敵だぞ……? アイツ、勝てるのか……?」

 

 余裕綽々なあの悪魔に“敗北”の二文字は似合わないが――死王女に限っては別だ。

 戦う前からあのメフィラが白旗を上げる相手。それが死王女である。

 その力の一端しか再現されていないとはいえ、メフィラでもどうにも出来ない可能性は非常に高い。

 

「けど、アイツ以外にどうにか出来る奴もいなそうだしなぁ……」

 

 とはいえ、やはり元四騎士の力はずば抜けている。

 何とかしてくれそうな可能性があるとすればメフィラだろう。

 業腹ではあるが、彼女と合流する為に一階のプールに辿り着きたいのだが――十中八九、大公の目が光っているに違いない。

 安易なルートを選べば、捕捉されて消し炭にされるのがオチだ。

 

「はぁ……なんとか、璃奈が来るまでに決着をつけないといけないのに」

 

 地藤は悩ましげに、重い吐息を吐いた。

 あの大公は、奇しくも今、地藤優斗という人間の奥底を映し出す鏡になっている。

 つまり――彼の恥ずかしいところや、情けないところが全部バレてしまうということだ。 

 

 ……正直、たまったもんじゃない。

 

(さっきの会話も、際どいことばっかり言っちゃったしなぁ……)

 

 怒りに任せて鏡の大公へぶつけた言葉の数々は、璃奈の前では絶対に口にできない本音ばかりだった。

 思い返すたびに背筋を冷たいものが這い上がり、羞恥心でベッドの上を転げ回りたくなる。

 

(携帯、壊しておいて良かったぁ……)

 

 仮に、先程の会話を全て璃奈に聞かれていたとしたら――

 

「んぎゃあああああああああああああああ――!」

 

 我慢できなくなった地藤は、見知らぬ部屋の見知らぬベッドの上をのたうち回る。

 彼の脳内では、自分で吐いた臭い台詞の数々が順繰りにリフレインされていた。

 

「やめて、やめてくれぇ……! 僕を、殺してくれぇ……!」

 

 そういう雰囲気になったり、璃奈が目の前に居ればそれなりに気取った台詞を口にできる地藤だが、普段はそういうわけでもない。

 彼はごく普通の(?)ちょっと捻くれた少年に過ぎないのだ。

 

「か、考えるのを止めよう。今はとにかく、生き残ることを考えないと……!」

 

 このまま考え続ければ正気を失う――そう悟った地藤は、強引に思考を切り替えた。

 余裕があるように見えるが、こんなのはただの現実逃避に過ぎない。

 このホテルには、彼を本当の意味で“殺せる”存在が、虎視眈々と命を狙っているのだ。

 

「しかし、どうやってメフィラと合流するかな……」

 

 途方に暮れたように頭を掻き、低く呟く。

 呟いた直後、ふと気が付いた。

 何も考えずに逃げ込んできたせいで、この場所がどこなのかまるで把握できていないことに。

 場所を知らなければ、一階のプールへ辿り着くこともできない。

 

 地藤はベッドから立ち上がり、窓辺へ向かった。

 今の自分の居場所を確認し、プールに近ければ黒霧状態で強行突破することも視野に入れながら、部屋の奥を横切る。

 その途中――鏡の前を通り過ぎようとした瞬間、異様な気配に足が止まった。

 

「あれ……?」

 

 横を向いていたはずの地藤の顔が、鏡の中で真正面からこちらを見据えていた。

 紅い瞳が闇に浮かび、不気味な光を宿している。

 首を傾げても、唇を歪めて変顔をしてみても、鏡の顔は一切動かない。

 真顔のまま、じっと地藤を凝視している。

 不自然な鏡の中の自分の背後に白い女の影を幻視して――ようやく、地藤は自分が致命的なミスをしたことに気が付いた。

 

 鏡の中の地藤優斗が、ニィ、と口角を吊り上げて笑う。

 

 

 

 

 

『みぃーつけ、た』

 

 

 

 

 耳元で囁かれたような声が、鏡の奥から響く。ぞわりと鳥肌が立ち、脳内に警報が鳴り響く。

 地藤は、反射的に全力でその場から転がった。

 直後、鏡の中から特大の死の線が放たれる。

 黒い閃光は壁を呆気なく貫通し、隣室との境を軽く消し飛ばした。

 

『君、僕が何の大公だったのか忘れたのかい? 油断大敵だよ』

 

 尊大な声が鏡の奥から響き渡る。

 

「……クソッタレ!」

 

 己の失態を嘆きながら、地藤はその場から逃げようと駆け出し――ドアの横にある鏡面が漆黒に染まるのを見た瞬間、足首が壊れるのも構わず、吸血鬼の身体能力を全力で駆使して後ろへ飛び退いた。

 黒い水面のように染まった鏡の奥から、見慣れた顔がゆっくりと浮かび上がる。

 再び姿を現した鏡の大公は、爽やかな笑みを浮かべながら片手を軽く挙げた。

 

『やぁ、意外と早く見つかったね。かくれんぼは僕の勝ちかな?』

「……鏡はなしにしないか?」

『鏡の大公にそれを言って、どうする――!』

 

 殺意に満ちた笑みを浮かべながら、鏡の大公が人差し指を翳す。攻撃の予備動作を見た瞬間、地藤は黒霧となって床を物理的にすり抜け、下の階へと逃れた。

 だが、それが一時しのぎに過ぎないことは彼が良く分かっている。

 次の瞬間、天井を突き破る轟音と共に、死の線が猛スピードで走り抜けた。縦横無尽にホテルを切り裂き、構造そのものを紙細工のように破壊していく。

 

「無茶苦茶だな……!」

 

 黒霧の姿で攻撃を辛うじて躱しながら廊下へ飛び出す。だが、がむしゃらに逃げようとした矢先、廊下に設置された鏡が視界に入り、反射的に急ブレーキを掛けた。

 

(“鏡”がある場所は避けないと……!)

 

 恐らく、大公は“鏡”がある場所であれば、相手の居場所を感知し、ワープすることが出来るのだろう。

 適当に逃げ回っていても、鏡の前を通ってしまえば全てが無駄になる。

 

 だが――

 

(鏡がない場所ってどこだよ⁉)

 

 黒霧となり、階層を行き来しながら地藤は内心で毒づく。

 逃げ惑ううちに、地藤はようやく気付いた。

 このホテルという建物は、“鏡”の巣窟だったのだ。

 部屋には必ず鏡台があり、浴室にも大きな鏡が備え付けられている。エレベーターの内部や側面にも鏡が張り付けられ、廊下の随所にも装飾のように鏡が並んでいる。

 どこへ走っても、必ず鏡が視界に入り込む。通過するたびに死の線が飛び出し、逃げ場を削り取っていく。

 この状況では、鏡の大公を撒くなど到底不可能に思えた。

 

(いや、鏡が邪魔なら――割ればいいんだッ!)

 

 ギリギリで飛んできた死の線を躱し、地藤は廊下に備え付けられている鏡に向かって十字剣を投擲した。

 パリンッ、と鋭い音を立てて鏡が砕け散り、破片が煌めきながら宙を舞う。

 

『残念。それは、悪手だったね』

 

 嘲笑が響いた直後、チン、とエレベーターの到着音。

 開いた扉の奥――そこに設置された鏡から、再び死の線が放たれた。

 地藤は床に手を突き、反射的にバク転をし、間一髪で線を躱す。

 だが――

 

『鏡の性質はもう一つある。忘れたのかい?』

 

 宙に散らばった鏡の欠片に直撃した死の線が直撃する。

 そして――

 

『光の()()さ。そら、避けないと死ぬよ?』

 

 無数の鏡片が光を跳ね返し、死の線は幾重にも分裂。四方八方から襲いかかり、地藤の逃げ場を完全に封じた。

 

「ッ!」

 

 黒霧化して直撃を避ける地藤。しかし、右肩と左脚を掠めた線が肉を吹き飛ばし、血が舞った。呻き声が漏れる。

 堪らず実体化し、状況をリセットすべく十字剣の柄を側頭部に押し当てる――

 

『ばぁ』

「ッ!」

 

 次の瞬間、宙に飛び散っていた小さな鏡の欠片から、異形の影が這い出すように姿を現した。

 ふざけた声を上げながら実体化した鏡の大公は地藤へと襲いかかり、鞭のようにしなる蹴撃を叩き込む。

 地藤は両腕をクロスさせて受け止めるが、既に削られた身体では踏ん張りが効かない。骨が軋み、次の瞬間――轟音と共に蹴り飛ばされた。

 人外の膂力に弾き飛ばされた地藤は、廊下の壁を粉砕しながら突進し、そのまま窓を突き破って外へ投げ出される。

 

 外は雪が降り始めていた。

 白い雪に赤い血飛沫が散り、宙に放り出された地藤の身体を月光が冷たく照らす。

 重力に引かれ、彼は雪と共に落下を始めた。

 追いかけるように、同じ顔をしたもう一人の少年――鏡の大公が飛び降りる。

 

 その手には、砕けた鏡片が握られていた。

 

『そら、プレゼントだ!』

 

 落下の最中、鏡の大公は片手で鏡を握り潰し、鋭利な破片を地藤へと投げつけた。

 黒霧となって物理的な攻撃をすり抜ける地藤。

 しかし次の瞬間、彼は自らが背筋を凍らせる罠に囚われたことを悟った。

 

『さようならだ、地藤優斗。聖夜の夜に、眠れ!』

 

 鏡の大公は人差し指を突きつける。

 黒霧状態の地藤と、その周囲に浮遊する鏡片を同時に。

 

死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 全てを滅ぼす死の線が放たれる。

 空中を疾走し直撃を避ける地藤。しかし、展開は既に読めていた。

 読めていながら、抗う術はなかったのだ。

 

 死の線が鏡片に直撃し――反射する。

 

 反射、反射、反射、反射、反射、反射、反射、反射

 

 四方八方を囲む死の線の檻。逃げ場のない光の牢獄が形成され、乱反射する線が地藤の身体を細切れに刻んでいく。

 肉を裂く音が夜空に響き、全身を死の線でなぞられた地藤は悲鳴を上げることすら許されず、黒霧を強制解除されて地面へ叩きつけられた。

 

 適当に逃げ回っていた地藤は知る由もないが、彼がいたのは十三階である。

 その高さから、全くの無抵抗で地面に叩きつけられて無事な人間など存在しない。

 衝撃と共に骨は粉砕され、臓腑は破裂し、血と臓器が地面にぶちまけられる。

 肉片が月光に濡れて光り、少年の身体は切り刻まれ、砕かれ、潰され――人の形を保つことすら許されぬ惨状へと変わり果てていた。

 

『……驚いたな。こんな状態になってもなお、生きようとする意志があるのか』

 

 四肢を切断され、幾重にも重傷を重ねられ、生物的に死んでいなければおかしい状態。それでも地藤優斗の身体は、生きようと必死に足掻いていた。

 再現された死王女の力によって効果が十分の一以下に抑え込まれた超回復能力を必死に稼働させ、さらに死王女の力によって無効化されつつある“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”を強引に発動させようとする。

 弱々しくも、必死に生きようとするその真紅の眼は、まだ死を受け入れてはいなかった。

 

『……やはり、殺すのは惜しいね。だけど、君から生まれ、君の考えを、君を知る者として、地藤優斗を生かしておくことの危険性はよく理解しているつもりだ』

 

 鏡の大公は静かに右腕を持ち上げ、その人差し指で地藤の眉間を狙う。

 

『さようなら、地藤優斗。この世界と天羽璃奈は、僕が守るよ』

 

 身勝手な誓いを口にする彼の指先に、“死”の呪いが凝縮されていく。

 これを喰らえば最後、悪魔の屁理屈も吸血鬼の不死性も意味を成さない。

 生きとし生ける者にとっての天敵――等しく平等に“死”を齎す力が、今まさに放たれようとしていた。

 

 その瞬間――。

 

「――僕の愛しの契約者に、何をする?」

 

 氷の刃のような声が闇を裂いた。ぞっとする寒気が背骨を駆け上がり、鏡の大公は即座に攻撃をキャンセルし、全力で防御の姿勢を取る。

 次の瞬間、信じられないほどの膂力を秘めた長い脚が彼の両腕に叩きつけられる。衝撃は鉄槌のように重く、踏ん張ることも出来ず、鏡の大公はボールのように弾き飛ばされた。

 

「やぁ、我が愛しの契約者様。元気そうで何より――って、軽口を叩いている場合でもなさそうだね」

 

 鏡の大公を蹴り飛ばし、空中でふわりと回転した後、優雅に着地したメフィラは、地面に転がる地藤優斗の惨状を見て表情を引き締めた。

 すぐに右手を彼へと翳し、低く唱える。

 

「“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――発動。地藤優斗の心臓はこの如月メフィラが保管している。心臓が生きているのだから、彼が死ぬはずがないだろう?」

 

 悪魔の権能が発動し、世界に詐欺を仕掛ける。

 だが――

 

『無駄だよ。君が何をしても、そいつはもう助からない』

 

 吹き飛ばされた状態から立ち上がった鏡の大公は、不敵な笑みを浮かべて挑発する。

 確かに、メフィラが直接“悪魔の屁理屈”を発動しても、地藤優斗の身体は一向に回復の兆しを見せなかった。

 貼り付けたような笑みがメフィラの顔から剥がれ落ちる。

 人形のように整った真顔で、彼女は静かに呟いた。

 

「姉上の力のコピーか」

『その通り。それも、全盛期の力さ』

 

 鏡の大公は自慢げに胸を張って言った。

 

『彼女の全盛期の恐ろしさは、貴女が一番よく知っているだろう? 彼女の力に掴まれれば最後、もう諦めるしかないんだよ。君のお気に入りの地藤優斗はもう、終わり――』

「君さ」

『うん?』

()()

 

 ゾッとするほど無機質な声。その直後、メフィラは指を鳴らした。

 

『えっ』

 

 次の瞬間、鏡の大公の身体は、彼が地藤にそうしたようにバラバラに切り刻まれ、地面へと散らばった。

 視線すら向けずに大公を一蹴したメフィラは、大事に保管している地藤優斗の心臓を取り出した。

 暇があれば眺めていた、元気な少年の心臓。

 その鼓動が――少しずつ、弱くなっていた。

 

「……」

 

 黄金の瞳を細め、メフィラは明確な怒りを露わにする。

 己のお気に入りが壊されようとしていることへの苛立ち。

 そして、もっと深く――言葉に出来ぬ何かが胸の奥からこみ上げてくる。

 

『やれやれ、やっぱり元とはいえ、四騎士はおっかないな』

 

 何食わぬ顔で復活した鏡の大公は、様子の違うメフィラを見て鼻を鳴らす。

 

『とはいえ、これだけ一人の男にお熱な状態なら、僕にも勝機があったりするかな?』

 

 メフィラの黄金の瞳が鏡の大公を射抜く。

 睨みつける――という表現では足りない。

 彼女の視線は、昆虫を見下ろすような、無機質で冷酷なもの。

 怒りを通り越した無関心さが生む、凍てつく眼差しだった。

 

 メフィラはそっと右手を伸ばし、身構える鏡の大公に向かって再び指を――

 

 

 

 ――鳴らす前に、腕を下ろした。

 

 首を傾げる鏡の大公。その直後、理由を知ることになる。

 

()()

 

 この世界の呪詛をありったけ詰め込んだような、低い声。

 瞬間、翡翠色の閃光が空気を裂き、鏡の大公を直撃した。轟音と共にその身体はホテルのエントランスへと吹き飛ばされ、壁を砕きながら転がる。

 吹き飛んでいく姿を見据えながら、今度こそメフィラが指を鳴らした。

 その瞬間、紫色の結界が展開し、エントランスに叩きつけられた大公の身体を包み込む。

 元四騎士、如月メフィラ渾身の結界である。

 死王女の力を持つ相手に突破されるのは時間の問題だが――僅かながらでも、時間稼ぎにはなるだろう。

 

「優斗君――!」

 

 鋭い声が夜を裂いた。

 鏡の大公を吹き飛ばした存在は、真っ白な翼を背負った天使と見紛う少女――天羽璃奈。

 部分的に祓器を覚醒させる高等技術で背中に翼を召喚し、超速でここまで到達した彼女は、天使のような容姿に似つかわしくない真っ青な顔で着陸する。

 すぐに邪魔な翼を収納し、地面に散らばる地藤優斗のもとへ駆け寄った。

 

 先に到着していた如月メフィラと、後から到着した天羽璃奈の視線が正面からぶつかる。

 普段であれば、メフィラが軽薄に揶揄い、璃奈が怒り狂って険悪な空気を生む二人だが――今日は違った。

 

「……」

「……」

 

 互いに真顔のまま視線だけで休戦を読み取り、すぐに互いへの興味を失くして、地面に散らばる地藤優斗へと駆け寄った。

 

 

「優斗、君……」

 

 自宅からここまで文字通り飛んできた彼女は、確かにその眼で見ていた。

 ホテルの上階から窓を突き破り、幾筋もの死の線に貫かれながら落下していく地藤の姿を。

 

「あああああああああああああああ――!」

 

 恐怖に怯える子供のような絶叫を上げ、怒りと憎悪に身を任せて下手人を撃ち落とした。

 そして――ようやく再会できた恋人の姿を目にして、ヒュッと短く息を呑む。

 

 世界を渡ってまで追いかけ、辿り着いた先にいた彼の姿は、あまりにも悲惨だった。

 璃奈の顔から血の気が引き、涙が溢れ落ちる。震える手で、身体の大部分を失い、死人のような顔で辛うじてか細い息をしている恋人の頬に触れる。

 

 死王女の力の発動を感知した瞬間から嫌な予感はしていた。

 だが、こうして彼に近付いたことで、璃奈は半ば本能的に悟ってしまった。

 

 濃密に漂う“死”の香り。

 そして――それが決して回避できないものであることを。

 

「……なにしてるの、早く治してよ」

 

 半ば分かっていながら、それでも聞かずにはいられなかった。

 視線を向けることもなく、震える声で言葉をぶつける璃奈。

 同じく地面に膝をついたメフィラは、静かに首を振った。

 

「姉上の全盛期の力で攻撃されたようだ。こればかりは、僕の力でもどうにも出来ない」

「ッ! 貴女、悪魔なんでしょ⁉ なんとかしなさいよ! 優斗君の心臓を持ってるくせにッ!」

 

 激昂した璃奈は、悪魔のような凶相でメフィラの胸倉を掴み、必死に要求を突きつける。

 

「……」

 

 メフィラは何も答えなかった。

 ただ冷たく乾いた目で璃奈を睥睨する。爬虫類のような瞳――獲物を丸呑みにする前の、無感情な凝視。そこには怒りも憐憫もなく、この世の全てに興味を失った虚無だけが宿っていた。

 

「……役立たず」

 

 その深淵のような瞳を見て、璃奈は悟る。

 これは、この悪魔であってもどうにも出来ないのだと。

 罵声を吐き捨て、乱暴に胸倉から手を離す。

 地藤に向き直った璃奈は決意を込めて宣言した。

 

「なら、私が助ける」

「無駄なことを」

「うるさいッ!」

 

 嘲笑う――というよりも、関心がなさそうに淡々と事実を口にしたメフィラに対し、璃奈は人を殺せそうな殺気を滲ませながら怒声を上げた。

 

「優斗君は死なない! 絶対に死なないんだから……!」

 

 彼女は息の細くなっていく地藤の胸に手を当て、治癒の秘術を発動させる。

 神秘的な翡翠色の輝きが瀕死の少年を包み込む。

 だが――

 

「なんで……なおらないの……?」

 

 璃奈は優秀なエクソシストであり、あらゆる事象に対して才能を持つ万能の存在だ。

 大抵の傷であれば一瞬で塞いでしまう彼女の秘術は、しかし今回に限って全く作用しなかった。

 

「……姉上の力は、全てを死滅させる“死”の力だ。正直、即死していないだけでも大したものだと思うよ。……今となっては、早く楽にしてあげた方が彼の為だと思うけれどね」

「ッ!」

 

 噛み締めた唇から真っ赤な血が滲む。

 メフィラの言葉は決して間違っていない。

 今の地藤は、吸血鬼の力と悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)による必死の抵抗によって辛うじて生き長らえている状態だ。

 しかし、死と生の狭間に居る本人にとっては地獄の苦しみでしかない。

 どんな時でも軽口を忘れない地藤は、口を開くことすら出来ず、無限に続くような苦痛の中で呻き続けていた。

 

「もう十分頑張っただろう。早く地獄の苦しみから解放してあげて――」

「黙れッ!」

 

 雷鳴のような一喝が響いた。

 璃奈は紫色の瞳を血走らせながら、メフィラを睨みつける。

 

「優斗君は死なない! 絶対に死ぬわけなんてないんだから!」

「……」

 

 言葉を発することすら億劫になったのか、メフィラは乾いた目で子供のように駄々をこねる璃奈を眺め――飽きたように視線を外した。

 悪魔の視線など意に介さず、璃奈はほとんど意味を為さない治癒の秘術を必死に続ける。

 

「そうだよ……死ぬわけない……死んじゃだめだよ、優斗君。だって私、ようやく分かったの。あなたの気持ちが。これからなんだから……ぜったい、死んじゃだめ……」

 

 必死に注ぎ込んだ霊力が片っ端から零れ落ちていく。

 その時、璃奈は気付いた。

 

「そうだ……身体が、足りないんだ……」

 

 それが根本的な問題ではない。だが錯乱した彼女は理解できない。

 現実から逃げるように、二丁拳銃を地面に投げ捨て、立ち上がって辺りに散らばる地藤の部位を必死に拾い集め始めた。

 

「うで……あしも……ひろわないと……!」

 

 血に濡れた腕を抱え、脚を掬い上げ、まるで壊れた人形を修復するかのように地面へ並べていく。

 震える手で部位をパズルのように組み合わせ、再び秘術を施す。

 だが繋がるはずもなく、ただ血が滲むだけだった。

 

「あれ……つかない……ちょっと、貴女、手伝ってよ……優斗君なおさないと……できないよ……」

 

 壊れたラジオのように意味を失った言葉を繰り返しながら、璃奈は必死に地藤を修復しようとする。

 その様を、メフィラは醒めた目で眺めていた。

 片膝を立て、腕を載せ、舞台で混乱する幼い少女を見下ろす観客のように。

 嘲笑すら浮かべず、ただ無関心に。死人のような瞳で、世界の全てに興味を失った冷たさを漂わせながら。

 

「こ、これ……こんなの、ダメだよ……えっ、こんなところで……なんで……優斗君、不死でしょ? なんで……」

 

 両手を返り血で真っ赤に染めながら、璃奈は大粒の涙を流す。

 どれほど気に食わなくとも。

 嫉妬で頭が狂いそうになっても。

 璃奈は、地藤優斗が悪魔と契約したことで“不死”を手に入れたその一点だけは心強く思っていた。

 

 何故なら、もう二度と彼を失うことはないだろうと思っていたから。

 だけど、これは違う。

 これは話が違う。

 こんなこと、許されていいはずがない。

 

 だって、璃奈と地藤はこれからのはずだった。

 二人の未来は、これから始まるはずだったのだ。

 

 意図せず彼の本音を知れた。

 彼が自分と同じ想いであることを知った。

 これからなのだ。

 

 これから、たくさん楽しいことが待っているはずなのだ。

 なのに、こんなのって――

 

「ゆうとくん……!」

 

 璃奈は涙に濡れた顔で、縋るように地藤の身体を抱きしめた。

 

「り……な……」

「ッ!」

 

 耳元で微かに響いた声。

 震える手で軽くなった胴体をそっと胸から離し、その顔を覗き込む。

 

「優斗君……?」

 

 四肢を失い、天敵の呪いに回復を阻まれた地藤優斗は、すでに瀕死の状態だった。

 それでも、久しぶりに彼女の顔を見られたことが嬉しくて――衰弱しきった喉の代わりに、真紅の瞳が璃奈を見つめ、柔らかく微笑んだ。

 

「ッ……」

 

 その笑みに胸を締め付けられ、璃奈はもう一度強く彼を抱きしめる。

 

「う、ぐ……」

 

 しかし、すぐに地藤は苦しげな呻き声を上げた。

 全身に致命傷を負った彼にとって、抱きしめられることすら拷問に等しい痛みだった。

 

「ご、ごめんね! 痛いよね……?」

 

 璃奈は涙を流しながら慌てて身体を引き離し、謝る。

 地藤は首を横に振ろうとしたが――力尽きて何もできなかった。

 次第にその身体は震え、呼吸は浅くなっていく。

 

「ゆうとくん……?」

 

 璃奈は悟った。

 この気配を知っている。

 誰かが居なくなる時の気配――“死”の気配だ。

 

「――――」

 

 本当に、ここで終わってしまうのか。

 璃奈は唖然と目を見開き、非情な現実に打ちひしがれる。

 

(あの時と同じだ……)

 

 自分は何も出来ないまま、大切な人が彼女を残して旅立とうとしている。

 涙を流し、駄々を捏ねながら、どうしようもない現実に絶望するしかなかった。

 すっかり軽くなってしまった地藤の身体を支えながら、その瞳を覗き込む。

 

 ――そして、気付いた。彼の瞳が悲しんでいることに。

 

 フッと、一瞬だけ璃奈に理性が戻る。

 悲しんでいるのは自分だけではない。

 彼だって――いや、彼こそ悲しいに決まっている。

 世界のために戦い、幾度も傷つき、ようやく再会できて――そして今、死を迎えようとしているのだ。

 悲しいに決まっている。

 

(……あの時と、同じにはさせない)

 

 璃奈は決意した。

 

 伝えたい想いは山ほどある。

 聞きたいことも、まだ二人でやりたいことも、数え切れないほど残っている。

 けれど――ここで泣いて縋り付いて、彼にこれ以上、悲しい顔をさせたくはなかった。

 そんな報われない最期は、絶対に嫌だと思った。

 だから。

 

「……安心して、優斗君」

 

 璃奈は彼の瞳を見つめながら、優しく囁いた。

 

「一人には、しないから」

 

 その言葉に、彼の瞳がわずかに揺らぐ。

 璃奈はそっと地藤を抱きしめ、そして――二丁拳銃の銃口を自らの側頭部へと押し当てた。

 人を傷つけないはずの武器。だが、彼女が残りの霊力を注ぎ込めば、その弾丸は全てを貫く凶器となる。

 今、引き金を引けば――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 不思議なことに、璃奈はこの最期を自然に受け入れていた。

 彼が一人で先に死ぬのも、彼を残して自分が死ぬのも、何かが違う。

 死ぬとすれば――

 

「一緒に、いこうね」

 

 ――二人で、一緒に。

 地藤は悲しげに眼を細めた。

 けれど、強く抱きしめている璃奈はその表情に気付かない。

 

 何とか彼女に思いとどまるように伝えたいが――彼にはもう言葉を紡ぐ力も残っていなかった。

 

(……いや、言い訳か)

 

 残された命が徐々に零れ落ちていくのを感じながら、地藤は不思議と穏やかな心境の中で悟った。

 

(僕は、嬉しいんだ。……天羽璃奈が誰のものにもならず、最期まで僕に付き添ってくれることが)

 

 とんでもないろくでなしだと、自嘲する。

 死の間際に悟ることがこれでは、救いがない。

 それでも――らしいな、とも思った。

 何ともまぁ、地藤優斗らしい。

 

(あぁ……)

 

 地藤は静かに目を閉じた。

 落ち着く甘い香りが全身を包み込む。

 冬の寒さの中、確かな温もりが寄り添ってくれている。

 近づいてくる終わりは怖いはずなのに――頭の中はぼんやりと霞み、麻酔に掛けられたように穏やかだった。

 

(悪くない、な……)

 

 好きな女の子の腕の中、聖夜の雪に降られながら一緒に最期を迎える。

 ろくでなしにしては、出来過ぎな最期だ。

 勿体ないくらいに、贅沢な最期だ。

 色々なことがあったけれど。

 こんな最期なら、悪くはないんじゃないか。

 

(あぁ……そうか……)

 

 地藤優斗は死の間際、悟った。

 

(僕はずっと、これが欲しかったんだ……)

 

 ずっと欲しかったものが手に入れられた。

 地藤は最高のクリスマスプレゼントに包まれながら意識を手放して――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メリークリスマス」

 

 

 

 

 

 よく知っているようで、どこか知らない声が耳に届き、地藤はわずかに目を見開いた。

 ざくり、と雪の積もる地面を踏みしめながら、一人の少女が優雅に歩み寄ってくる。

 

「ごきげんよう、皆さま」

 

 現れたのは、璃奈をここまで案内しながらも途中で置き去りにされた、鏡のメフィラだった。

 自らの写し身ともいえる存在を目にして、オリジナルのメフィラの瞳に理知的な輝きが戻る。

 冷え切った空気の中で、二人の悪魔が向かい合う。

 メフィラは高速で脳を回転させながら、己の虚像に問いを投げかけた。

 

「……この美味しいタイミングで姿を現したってことは、状況をひっくり返せるプレゼントを用意してきたんだろうね、サンタさん?」

「いえ、私はサンタさんではございません」

 

 鏡のメフィラは手で可愛らしい角の形をつくり、頭の上でひらひらと動かしながら答えた。

 

「どちらかというと、サンタクロースを引っ張って来ただけの、しがない()()()()でございます」

 

 ふざけた動作にオリジナルのメフィラの眼が細められるが――すぐに何かに気が付いたようにその表情がハッと切り替わった。

 彼女の黄金の瞳は、ホテルに向けられている。

 

「ご紹介しましょう」

 

 鏡のメフィラは主役の座を譲るように一歩横へ退き、舞台の役者を紹介するかのように、掌を上に向けて優美に差し出した。

 

「彼女が、()()()()()()()です」

 

 そこに現れたのは、ホテルから必死の形相で飛び出してきた銀髪のサンタクロース。

 

「優斗――!」

 

 鏡の霧島レイだった。

 

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