世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

62 / 85
第62話:クリスマスプレゼント

 

「ユウト――!」

 

 鏡のメフィラとの戦闘後、地藤優斗の援護に向かうべくホテル中を駆けまわっていた霧島レイだったが、辿り着いたスウィートルームに彼はおらず、壮絶な破壊痕だけが残されていた。

 その後、寒気がするような魔力反応を頼りにホテル中を駆け回っていたが、ホテルの外に幾つもの魔力反応を感知したことで、彼女はようやく探し人の所在を掴むに至った。

 霧の状態で物理的にホテルをすり抜け、すぐに実体化して慌てて走り出す。

 

「ユウト、大丈夫か⁉」

 

 大丈夫ではないことは、彼の状態が明確に示していた。

 

 切断された四肢。

 飛び散った内臓。

 生気がない顔色。

 

 どう見ても瀕死だ。

 

 いつも明るい太陽みたいに輝いていたレイの顔が青褪める。

 レイは璃奈によって抱きかかえられている地藤に駆け寄り、そっとその頬に手を当てた。

 

「傷が、治らないのか……?」

 

 地藤優斗は霧島レイと同じく吸血鬼だ。どんな傷も容易く癒してきた彼女にとって、この惨状が一向に改善しないことは異様に思えた。

 

「今、治してやるからな!」

 

 鏡の霧島レイは急いで地藤優斗に近づき――

 

「触らないでッ!」

 

 刃のように鋭い目つきの天羽璃奈に拒絶され、伸ばしたその手を叩き落とされた。

 

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ⁉ いいから、ユウトを貸せ!」

「嫌だ……! もう、私から、優斗君を奪わないで!」

 

 縋り付くように優斗を抱きしめる璃奈は、既に正気を失いつつあった。

 虚ろな瞳を見たレイは、右手を振り上げ――パシンッ、と力強くその頬を打った。

 

「駄々こねてる場合か! ユウトを治すために貸せって言ってんだよ!」

 

 雷鳴のような一喝に、璃奈の瞳にわずかに正気が戻る。

 幼子のような表情でレイを見上げ、震える声で問う。

 

「……治せるの?」

「やってみなきゃ分からねぇが、やるしかねぇだろ!」

 

 璃奈が力を抜いた隙に優斗を受け取ったレイは、犬歯を伸ばし口を開く。

 

「……ごめんな。ちょっとチクッとするぞ」

 

 一言断りを入れてから、地藤優斗の首筋に噛みついた。

 痛みに震える地藤の身体を抱きしめながら、自分の血を送り込んでいく。

 主から、従者への血の供給。

 吸血鬼の中では最上級に尊いとされるその行為は、地藤優斗に不足していた血を補充し、原種の吸血鬼の従者として急速に身体を回復させる――はずだった。

 

「……ダメ、ですか」

 

 淡々とした声に失望を滲ませ、鏡のメフィラが呟く。

 彼女の言葉通り、霧島レイの輸血はわずかに傷の治りを早めているように見えたが、それ以上に死王女の呪いが強力で、完全な回復には至らなかった。

 

「クソッ!」

 

 レイは拳を地面に叩きつける。吸血鬼の膂力に亀裂が走り、石床が砕けた。

 

「一体、何がどうなってんだよ……⁉」

「死王女の力だよ」

 

 悲痛な声を漏らすレイの独り言に答えたのは、幾分かいつもの余裕を取り戻したオリジナルのメフィラだった。

 

「我が愛しの契約者様に化けていた鏡の大公が姉上の力を再現したみたいでね。流石に四騎士の全盛期の力には、吸血鬼の回復力も、僕の“悪魔の屁理屈”も抗しきれないらしい」

「……それじゃあ、ユウトは――」

「もうどうにもならないよ」

 

 投げやりともいえる冷たい声でメフィラは宣告する。

 レイは真紅の瞳を限界まで見開き、項垂れた。

 

「……私が、私がこのユウトの本当の主じゃないから、力が足りなかったのか……?」

 

 霧島レイは飽くまでも鏡の世界で生まれた虚像に過ぎない。

 本物ではないからこそ、地藤の命を救えないのではないか。

 そんな自己嫌悪が全身を駆け巡り、心臓を締め付ける。

 

「そうかもね」

 

 バッサリと切り捨てるような言葉にレイの表情が悲痛に歪む。

 そんな彼女を見下ろしながら、メフィラは「だけど」と口を開いた。

 

「まだ、どうにか出来る可能性は残っている――そうだろう? トナカイさん」

 

 メフィラが流し目を送ったのは、鏡のメフィラだった。

 2人の視線が交錯する。互いに同一存在でありながら、黄金の瞳が探り合うように動く。

 やがて、鏡のメフィラは、静かに頷いた。

 

「はい。オリジナルの私が言う通り、まだ可能性は残されております」

「それは何よりだ。その内容にも大よそ見当はついているけれど――教えてくれないか? 今回の件、どこまでが君の筋書きだい?」

「筋書きだなんてとんでもございません。私はただ、運命の流れに従っただけです」

「謙遜するなよ。僕相手に」

 

 凶悪な笑みを浮かべながら鏡の自分を睨みつけていたメフィラだったが、不意に何かに気が付いたようにその視線をホテルのエントランスに向けた。

 

「へぇ? もう破られたのか」

 

 黄金の瞳を細め、ポツリと呟くメフィラ。

 同時に、ホテルのエントランスから尋常ならざる魔力が溢れ出した。

 空気が震え、肌を刺すような冷気が走る。ゾッとするような“死”の気配が蔓延し、誰もが息を呑んだ。

 

「おい、破られたって何のことだ?」

「鏡の大公を閉じ込めていた僕の結界さ。すぐに攻めてくるよ」

「ッ! 相手にしてる暇なんかないってのに……!」

 

 瀕死の地藤優斗を庇いながら、死王女の力を持つ者と戦わなければならない。

 その絶望的な状況に歯噛みするレイ。

 一方、結界の破壊を感知したオリジナルのメフィラは、コキッ、と首を鳴らし、優雅に一歩を踏み出した。

 

「……行くのですか?」

「あぁ」

 

 鏡のメフィラが問いかけると、本体のメフィラは気負う様子もなく、飄々と頷いた。

 

「今回ばかりは僕が後れを取ったわけだし、大人しく足止め係を務めさせてもらうとするよ」

 

 後ろを振り返ったメフィラの黄金の瞳が、写し鏡そのものともいえる自身の姿を捉える。

 

「これも君の筋書き通りなんだろう?」

「どうでしょうか」

「謙遜するなよ。僕には分かる。君は、僕なんだから」

 

 再び交錯する2人の視線。

 互いにしか分からないコミュニケーションを終えた後、オリジナルのメフィラは背を向けて鏡の大公へ向かって歩き出した。

 

「後は任せたよ、鏡の僕。この世界に生まれた僕として、役目を全うしてくれ」

「オリジナルの私」

 

 立ち去ろうとするメフィラの背中に掛けられる声。

 億劫そうに振り向いたメフィラに、鏡のメフィラは静かに告げた。

 

「ご武運を」

「……自分に武運を祈られると言うのも、変な話だね」

 

 呆れたように肩を竦めながら――しかし、口元に僅かな微笑を浮かべて、如月メフィラは蒼銀の霧となって立ち消えた。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「さて、それではオリジナルの私が大公の足止めをしている間に、愛しの契約者様の救命活動を実施するといたしましょう」

 

 己の本体が霧となって立ち消え、鏡の大公の元へと向かったのを確認した鏡のメフィラは、何でもないことのように淡々と口にした。

 その言葉を耳にした璃奈の耳がピンと動く。

 彼女は虚ろな眼差しのまま、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……ゆうとくん、たすかるの……?」

 

 幼児のように舌足らずな言葉に対し、鏡のメフィラは頷いた。

 

「はい。助けられます。もっとも――」

 

 言葉を区切り、鏡の霧島レイに視線を向ける。

 

「――霧島レイ様のご協力が、必要不可欠ではございますが」

 

 鏡の如月メフィラと、天羽璃奈の視線が同時に吸血鬼の少女へと集中する。

 霧島レイはすぐに首を縦に振った。

 

「分かった。私に出来ることなら、何でも言ってくれ。……とは言っても、私に出来ることがあればだけどな」

 

 勢い込んできたものの、己の血で地藤優斗を救えなかったことを自嘲するように呟く鏡の霧島レイ。

 

「ご自分を卑下なさらないでください。貴女だからこそ、出来ることが――いえ、出来そうなことがあるのです」

「……出来そうなこと、じゃダメなんじゃないか?」

「いいえ。()()()()()()()()()ことが、大事なのです」

 

 妙な言い回しをしながら、鏡のメフィラは自分の胸に手を当てた。

 

「私の能力をお忘れですか?」

 

 鏡の霧島レイはハッと何かに気が付いたように表情を一変させ、納得したように頷いた。

 

「“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”か! その力があれば、納得のいく論理があれば、世界を騙せるってわけだ」

「そういうことでございます」

 

 悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)――世界を騙す詐術。

 極めて強力な能力ではあるが、万能というわけではない。

 現に、メフィラが直々に能力を行使したものの、『彼女では死王女に勝てない』という世界の法則を塗り替えるには至らず、地藤優斗は今も傷を癒せないまま瀕死の状態が続いている。

 しかし、世界を騙せるだけの“言い訳”さえあれば、この能力は法則を欺き、奇跡を引き寄せる可能性を秘めていた。

 

「よし、それじゃあ私は何をすればいいんだ? 何でも言ってくれ。ユウトを救う為なら、私は何だってやるぞ」

 

 迷いなど一欠けらもない堂々たる宣言を受け、鏡の如月メフィラは言った。

 

「では、貴女の命をください」

 

 死んでくれ、と端的に。

 

 瀕死の地藤優斗の眼が、微かに見開かれた。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

「霧島レイ様は、“契約”を超越する原種の吸血鬼であらせられます。その特性を持つのであれば、ありとあらゆるものを死滅させる死王女の力にも対抗できるはずです」

「……さっきの輸血じゃダメだったじゃないか」

「それは、霧島レイ様が原種としての力を使いこなせていないからです」

「悪かったな、出来損ないの吸血鬼で……」

「責めているわけではございません。そもそも、現在、世界に一人しか存在しない希少種の方ですから、力の使い方を教えてくれる者がいない以上、それは仕方のないことでございます」

 

 慰めるように言葉を重ねながら、鏡のメフィラは「状況をもう一度整理しましょう」と切り出した。

 

「現在、愛しの契約者様は貴女様と主従関係にあるにも関わらず、瀕死の状態です。さらに、貴女から血を分け与えたにも関わらず、死王女の呪いを解呪することは出来なかった。つまり、“原種の吸血鬼”の力が行使されていないということに他なりません」

「……だから、“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”で私の潜在能力を引き出すってことか?」

「それが出来れば一番良かったのですが、生憎と“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”は、分からないものを再現することは出来ません。霧島様にも、私の中にも確固たるイメージがない以上、それは不可能なのです。となれば、後はもっと強引な手段で解決を図る他ありません」

「というと?」

 

 鏡のメフィラは黄金の瞳でレイの真紅の瞳を見据え、淡々と最終手段を告げた。  

 

「――原種の吸血鬼の主が、従者のために命を捧げる。この理屈であれば、世界を欺くことが可能かと」

「……なるほど。それで、私の命が欲しいってことか」

「そうです」

 

 この世界に一人しか存在しない、契約を超越できる“原種の吸血鬼”が、その命を捧げる。

 その重みは、きっと地藤優斗を蝕む“死”の呪いすら超越してみせるだろう。

 己に与えられた役割を理解した鏡の霧島レイは、そっと目を閉じた。

 

「……」

 

 沈黙は僅か数秒。彼女はすぐに目を開き、あっさりと頷いた。

 

「うし、分かった。んじゃあ、私の命を使ってくれ」

「ッ!」

 

 そのあまりに潔い態度に驚愕の反応を示したのは、瀕死の地藤優斗だけだった。

 だが、口を開くことすら出来ない今の彼には、己の意思を伝える術はない。

 事態は彼を置き去りに、淡々と進行していく。

 

「だけどよ、私の心臓はあっちの地藤に――あっ、本当は鏡の大公なんだっけ? とにかく、アイツに握られているんだけど、その点は大丈夫なのか? 契約の関係かなんかで邪魔されそうな気がすんだけど……」

「その点については問題ございません」

 

 澄ました顔で鏡のメフィラは断言した。

 怪訝な顔をするレイの目の前で、己の掌を上に掲げる。

 

「私の方で回収しておきましたので」

 

 その上に、ドクン、ドクンと力強く鼓動する心臓が姿を現した。赤黒い輝きを放ちながら、確かに生きている証を刻むように。

 

「……お前、最初からこうなることを見越して――」

「それは買い被りというものです。私は鏡の大公を敵として見据え、手持ちの戦力となるものを片っ端から削いでいっただけでございます」

「それはちゃんと先を見越しているって言っていいんじゃないか……?」

 

 あまりにも用意周到な悪魔にドン引きしながら、不意にレイは彼女と戦っていた際の問答を思い出す。

 

「そうか、鏡の大公が敵ってことは、アンタは結局――」

「はい」

 

 鏡のメフィラはレイの言葉を引き継ぎ、黄金の瞳を瀕死の地藤優斗へと向けた。

 

「私は、いつだって愛しの契約者様の味方でございます」

 

 本物の地藤優斗がこの世界に存在しないと察知して以来、鏡のメフィラは徹頭徹尾、彼の味方であり続けていた。

 余計な場面で手助けをしなかったのは、この世界において鏡の大公が優位であると認めていたからに過ぎない。

 然るべき時が訪れるその瞬間まで、彼女は従順なふりをして従っていただけなのだ。

 

「……アンタ、やっぱり見た目によらず強かだな」

「恐縮でございます」

 

 粛々と優雅に礼を取る鏡のメフィラ。その仕草は悪魔らしい冷徹さと、舞台役者のような気品を併せ持っていた。

 レイは深く溜息を吐き、「それで」と話を本筋へ戻す。

 

「私は何をすればいいんだ? 心臓を取り出せばいいか?」

「いえ、霧島様にしていただくことはございません」

 

 さらりととんでもないことを口にするレイの提案を否定し、鏡のメフィラは右手を地面へと翳した。

 

「儀式の準備は私の方でいたしますので」

「儀式……?」

 

 妙な言い回しにレイは首を傾げた。しかし鏡のメフィラは説明をせず、ただ静かに指を鳴らす。

 パチン、と乾いた音が響いた瞬間、空気が震え、地面に黒い文字が浮かび上がった。

 それらは生き物のように蠢き、絡み合い、やがて円陣を描いていく。

 瞬く間に高度な魔法陣が地面に刻まれた。

 

「さぁ、天羽璃奈様。愛しの契約者様を霧島レイ様にお渡しください」

「……」

 

 璃奈は顔を顰めた。だが、この悪魔に縋る以外、彼を助ける術はないことは明白だった。震える手で優斗の身体をレイへと託す。レイが優しくその身体を抱き取ると、鏡のメフィラは静かに魔法陣の中央を指し示した。

 

「では、霧島レイ様。魔法陣の中心で愛しの契約者様を抱きしめていてください」

「分かった」

 

 素直に頷いたレイは地藤を抱き上げ、その身体の軽さに悲しげな表情を浮かべながら、魔法陣の中心に膝を立てて座り込んだ。彼女の腕の中で、優斗の命の灯火は今にも消えそうに揺れている。

 

(さて――ようやくですか)

 

 鏡のメフィラは内心で呟いた。

 ここまで辿り着くのに、あまりにも多くの手間を要した。

 全てが思い通りに進んだわけではない。幾度も計算が狂い、幾度も予期せぬ障害に阻まれた。

 それでも、今この瞬間、彼女の目の前に広がる光景は、彼女が――メフィラが望んでいた結末の一つである。

 

 役者は揃った。

 

 少女は震える手で愛しい者を抱き、少年は瀕死のまま彼女の腕に横たわる。

 吸血鬼は己の命を差し出す覚悟を固め、悪魔は舞台の支配者として立つ。

 

 舞台は整い、幕が上がる。 

 鏡のメフィラは両腕を広げた。

 

「鏡の世界の全ては、今、この瞬間のためにありました」

 

 黄金の瞳が静かに爛々と輝く。

 悪魔の中の悪魔は、美しすぎる微笑を浮かべながら、まるで観客に向けて宣言するかのように両腕を広げた。

 

「――では、始めましょう。聖夜における、再誕の儀式を」 

 

 そして、儀式は始まった。

 

 一人の少女を犠牲に。

 反論の言葉を紡ぐことすら出来ない少年を置き去りにして。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

『“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”――発動。全ての契約を超越する存在、“原種の吸血鬼”がその命を己の従者に捧げる。従者は原種の力を授かり、その階位を繰り上げることになる』

 

 美しいアルトの声が朗々と響き渡り、真実を告げる。

 言霊は雪降る夜空へと溶け込み、静かに世界へ馴染んでいった。

 

『階位が上がり、従者は原種の吸血鬼として覚醒するだろう。全てを超越し――死王女の呪いをも克服する。そして、唯一無二の存在へと進化する』

 

 地面に描かれた魔法陣がメフィラの魔力を受けて脈動し、光を増していく。

 その輝きに呼応するように、霧島レイの身体は徐々に解け始めた。足の先から銀色の粒子となり、静かに消えていく。

 

「う、ぐ……!」

 

 身体が崩れていく感覚に、レイは苦悶の表情を浮かべる。自分が足のつま先から消えていく――常人であれば気が狂いそうな感覚だ。

 だが、それも目の前の少年を救うためだと思えば、耐えることができた。

 

『“原種の吸血鬼”、霧島レイの命が捧げられていく。世界最大級の希少性が、地藤優斗へと継承される。これほどの存在を、借り物の死王女の力が害せるはずがない。地藤優斗は生き残る。そして、新生なる“原種の吸血鬼”となるのです』

 

 霧島レイの身体から零れ落ちる白銀の粒子は、瀕死の地藤優斗へと注ぎ込まれていく。

 銀色の光が彼の肉体を満たし、失われた四肢が再び形を取り戻す。

 反対に、レイの身体は残酷なまでに解けていく。

 だがその姿はどこか幻想的で――まるで空へ帰る雪が、白銀の輝きとなって舞い上がるようにも見えた。

 

「ゆうとくん……!」

 

 魔法陣の外で見守っていた璃奈は、歓喜の声を上げる。

 失われていた彼の両脚と両腕が、ゆっくりと再生されていく。

 何をしても癒えなかった傷が、塞がっていく。

 それは紛れもなく、“奇跡”の所業だった。

 

 このまま進めば、儀式は完成する。

 鏡の霧島レイの命を踏み台にして――地藤優斗は復活を果たすはずだ。

 魔法陣は脈動し、白銀の粒子が彼の肉体を満たしていく。

 空気は張り詰め、世界そのものが再誕の瞬間を待ち構えているかのようだった。

 誰もが息を呑み、ただ奇跡の成就を見届けようとしていた、その時――

 

「待てッ!」

 

 鋭い声が、場の空気を切り裂いた。

 荘厳な儀式の流れを断ち切るように、怒号が響き渡る。

 

「ゆうと、くん?」

 

 それは、内臓と喉が修復され、ようやく己の声を取り戻した地藤優斗の一喝だった。

 血に濡れた唇から絞り出された声は、弱々しさを微塵も感じさせない。

 彼の瞳は赤く燃え、儀式を進める鏡のメフィラを鋭く射抜いていた。

 

「メフィラ! さっさとこのふざけた儀式を止めろッ!」

 

 声は取り戻したものの、まだ身体の自由は効かない。

 地藤は顔だけを動かし、赤い瞳でメフィラを睨みつけながら、儀式の中止を求めた。

 

「残念ですが、まだ愛しの契約者様の中にある死王女の呪いは消え去っていません。このまま放置していれば、癌のように貴方様の身体を蝕むことになるでしょう」

「その時はその時でまた考えればいいだろ⁉ いいから儀式を止めろ!」

「優斗君……」

 

 激昂する地藤の声が響く。しかし鏡のメフィラは微動だにしない。

 彼女は静かに視線を逸らす。

 その先にあるのは――己の命を捧げ、銀色の粒子となって消えゆく霧島レイの姿だった。

 

「いかがいたしましょうか、霧島様」

「このまま続けてくれ」

「先輩ッ!」

 

 切羽詰まった声を上げる地藤に、レイは優しく微笑む。消えゆく右腕を何とか動かし、そっと彼の頬へ触れた。

 

「いいんだ。気にすんな。これは、私が望んでやっていることなんだから」

「ダメですよ! こんなの、絶対に間違ってる……!」

「おいおい、間違っちゃいないよ。お前が助かるにはこれしかないんだから、仕方がないだろ?」

「仕方がなくなんかないッ‼」

 

 未だ自由にならない右腕を必死に動かし、地藤は己の頬に触れている霧島レイの消えかけの右腕を掴んだ。

 

「僕には“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”があります! おまけにメフィラが2人もいるんですよ⁉ もう大丈夫ですから、自分から進んで犠牲になろうとしないでください!」

「だが、そのメフィラが2人ともこれしかないと言っているんだぞ? 本当は私が原種の吸血鬼としての力をコントロール出来ていれば良かったんだろうが、それが出来ていないからこれしかないんだ。そうだろう? メフィラ」

「仰る通りです。先程も申し上げたように、全盛期の死王女の力は極めて強力です。これ以外に貴方が生き残る方法はありません」

「ッ! でも――」

「なぁ、ユウト」

 

 なおも言い募ろうとする地藤の口を塞ぐように、レイは静かな声で彼に語り掛けた。

 

「お前が教えてくれたように、私は鏡の世界の人間なんだよな? いずれは消え去る世界の住人なんだろ? お前だってそれで納得してたじゃないか。なのに――どうして、そんなに私の命を案じてくれるんだ」

「……だって」

 

 地藤は震える声で言葉を紡ぐ。

 

「僕は、先輩にたくさんお世話になりました。この世界の璃奈が自殺していると知って、一人で震えていた時……どうすればいいか分からなかった時……貴女がいてくれて、どれだけ心強かったか……」

 

 なのに。

 

「なのに、僕は……あなたに、何も返せていない……!」

 

 地藤の胸を締め付けるのは、痛烈な悔恨だった。

 優しい人は幸せになるべきだ――彼は常々そう思っている。

 人に尽くしすぎる天羽璃奈も、人の世話を焼き続けながら、自分は何も受け取らずに犠牲になろうとしている霧島レイも。皆、本当はもっと幸せになるべきなのだ。そうでなければ救われない。納得がいかない。

 顔を歪め、赤い瞳を潤ませながら、地藤は必死に訴える。

 

「だから……どうか、僕に返させてください。あなたがくれた恩を、僕に返させてください……!」

「……なんだ、そんなことか」

 

 フッと大人びた笑みを浮かべながら、レイは最後の最後まで律儀だった少年の瞳を覗き込む。

 

「大丈夫だ。もう、十分に返してもらったよ」

「えっ……いや、でも僕は何も――」

「変なところで鈍い奴だなぁ。私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう言って、鏡の霧島レイは見惚れるような笑顔を浮かべた。

 その笑みは、雪の夜に咲いた一輪の花のように儚く、美しかった。

 

「言っただろ? “クリスマスに暇してる女”だって。楽しいデートだったぜ」

「霧島先輩……」

 

 地藤優斗が掴んでいた霧島レイの右腕が砕け、白銀の粒子となって舞い散る。

 聖なる光が雪と共に降り注ぎ、少年を祝福するようにその身を包み込んだ。

 

「お前はもう、迷子じゃない。一緒に歩いてくれる奴がいるんだろう? なら、先に進まなくちゃな」

 

 レイの赤い瞳が、儀式を見守る天羽璃奈へと向けられる。複雑な表情を浮かべる彼女の姿は、レイの記憶にある璃奈とはまるで異なっていた。思わず笑みが零れそうになるほどに。

 

「……最後まで、面倒見させろって言ってたじゃないですか。約束、守ってくれないんですか?」

 

 駄々を捏ねる子供のような言葉を口にする地藤。

 レイは堪えきれず、笑い声を上げた。

 

「ハハハ! 悪いな、それは無理になっちまった。代わりに、プレゼントをやるよ」

 

 辛うじて残っている左腕を動かし、彼女は己の祓魔器を召喚する。

 

「……私は遠い昔の記憶しかないけどさ、クリスマスには何かプレゼントを渡すものなんだろ? でも、私にはお前が欲しがるものが分からなかった」

 

 クリスマスの記憶がほとんどないレイは、どこか遠い目をしながら一瞬だけ空を仰ぎ見た。

 雪を降らせる雲の合間から顔を覗かせる月は、吸血鬼すら見惚れるほどの美しさを湛えていた。

 

「だから、私が渡したい物を渡すことにしたんだ」

 

 再び視線を地藤に戻した彼女の表情は、幸福なクリスマスを迎えた少女の顔そのものだった。

 召喚した愛刀を地藤に手渡す。反射的に彼がそれを受け取った瞬間、彼女の左腕は崩壊し、銀の光となって散った。

 

「メリークリスマス! ユウト。私からのクリスマスプレゼントだ」

 

 両腕を失ったレイは体重を前に掛け、崩れかけの胴体を地藤に密着させる。

 その額を彼の額に重ね、静かに囁いた。

 

「――私の全部を、やるよ」

 

 剣も、身体も、魂も。

 文字通り、霧島レイの全てを彼に捧げたいと、心の底からの想いで伝えた。

 

「受け取ってくれるな?」

 

 崩壊していく彼女の身体を、再生した地藤の腕が抱きしめる。

 彼は震える声で、しかし確かな意志を込めて答えた。

 

「……はい。ありがとうございます。霧島先輩」

 

 その言葉を聞いた瞬間、鏡の霧島レイの顔に安堵の笑みが浮かぶ。

 雪の夜に咲いた最後の微笑みは、静かに彼の胸へと溶けていった。

 

「よかった……」

 

 いよいよ胴体も崩壊し、彼女の全てが地藤優斗へと譲渡されようとしているその最中――鏡の霧島レイは幸福と共に、理解を得た。

 

(ユウも、こんな気持ちだったのかな……?)

 

 己の歩みが止まっても。

 自分のことを思い出し、先へ進んでくれる人がいる。

 その背中を見送りながら、静かに終わりを待つ。

 それは正しく、彼女の弟である霧島ユウと全く同じ最期で――彼と同じ道を辿れたことを、そしてその気持ちを理解できたことを、レイは嬉しく思った。

 

(あれ……でも、そういや私って偽物なんだっけ……?)

 

 この霧島レイは鏡の世界で生まれた虚像。

 地藤優斗も、如月メフィラもそう言っていた。

 であれば、それは事実なのだろう。

 

 彼女は偽物だ。

 

 彼女が過ごした日々は全てオリジナルの世界の記憶を反転させただけのもので、彼女の性格も、弟との思い出も、借り物に過ぎない。

 他人のドキュメンタリーを見て勝手に感動しているようなものだ。

 それは、彼女の内から零れ落ちたものではない。

 

(でも……)

 

 それでも、彼女は思う。

 

(どーでもいいなぁ……そんなの)

 

 偽物も、本物も、どうだっていい。

 彼女には、この想いが全てだ。

 身体を包むこの感情が、幸せが、そして地藤優斗へと受け継がれる意志が、全てなのだ。

 

 これが偽物なら――本物なんて、いらない。

 

(草原の、匂いがする……)

 

 冬の都会だというのに、不思議なことだ。

 けれど、霧島レイは薄れゆく意識の中で確かに見た。

 

 夏の草原を――その先で手を振る、幼い少年の姿を。

 霧島レイは泣きながら笑った。

 

 そして、後ろを振り返り、自分を見つめている地藤優斗に向かって、力の限り手を振った。

 

「じゃあな! ユウト」

「さようなら。霧島先輩」

 

 草原へ――その先の家へと駆けていく少女の背中を見送りながら、地藤優斗は静かにその眼を閉じた。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 儀式は大詰めを迎えていた。

 

 鏡のメフィラは己の全神経を注ぎ、魔力を繊細に操作し続ける。

 彼女から溢れる魔力は幾重もの層を成し、空間を震わせ、世界の理そのものを塗り替えていく。

 魔法陣は脈動し、砕け散った霧島レイから溢れ出した白銀の粒子が、夜空の雪と混じり合いながら周囲を満たす。それらは一つ一つが意思を持つように蠢き、やがて地藤優斗の身体へと収束していった。

 鏡のメフィラは両腕を広げ、荘厳なる声で詠唱を開始する。

 

再誕の時来たれり、再誕の時来たれり。

 古契を破却し、新理を紡ぎ、血脈と命脈を以て結び給え。

 汝、原初にして唯一なる吸血鬼。

 契約を凌駕し、死を蹂躙し、呪詛を超克する者。

 砕け散りし少女の魂魄よ、白銀の雪華となりて舞い降り、

 その献身を礎とし、従者は主を超え、主は従者を超え、

 境界を融解し、唯一無二の存在へと昇華せん。

 

 我、悪魔王の娘メフィラがここに見届ける。

 

 汝、地藤優斗――再び世界へと生れ落ちよ、生れ落ちよ、生れ落ちよ!

 

 もはや、“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”の領域を超えた、超常の儀式が繰り広げられていた

 呪文が響くたび、魔法陣は眩い光を放ち、空間そのものが震える。

 砕け散った霧島レイから溢れ出した白銀の粒子は奔流となり、地藤優斗の肉体へと注ぎ込まれていく。

 失われていた四肢が完全に再生し、血肉が蘇り、彼の全身を新たな力が満たしていった。

 

 その光景は、まるで二人の存在が一つに溶け合い、融合していくかのようだった。

 

 天羽璃奈はその様子を見守りながら、胸の奥で複雑な感情を抱く。

 羨望と嫉妬――自分では決して与えられないものを、霧島レイは優斗に与えたのだ。彼女の命を代償にして。

 

 やがて、美しく荘厳な銀色の光が静かに収まる。

 そこに残されていたのは、ただ一人――地藤優斗だった。

 

 魔法陣の中心で跪く彼の姿は、もはや以前のものではない。

 黒かった髪の毛先は霧島レイのものを受け継いだかのように美しい銀色へと変わり、その瞳はより赤みを増し、鋭い凄みを宿していた。

 その手には彼女から託された刀が握られ、地面に突き立てられている。かつては銀色に輝いていた刀身は、悪魔の契約者でありながらエクソシストの力を受け継ぐという前代未聞の矛盾を抱え、全身が黒く染まっていた。

 だが、決して破魔の力は失われていない。

 矛盾を抱えながらも全てを内包し、確かにそこに存在していた。

 

「優斗君!」

 

 その姿を目にした瞬間、璃奈は堪えきれずに駆け寄り、一目散に彼へ抱きついた。

 以前とは異なる姿であっても、確かに復活を遂げた地藤優斗がそこにいる――その事実が彼女を突き動かしたのだ。

 

「璃奈……」

 

 茫然としながらも、優斗は確かに恋人を抱き返す。

 ようやく本当の意味で再会を果たした二人は、強く抱きしめ合った。

 

「ごめん……また、心配掛けちゃったね」

「うん……でも、いいの。またちゃんと会えたから」

 

 涙を流しながら、それでも璃奈は微笑んで見せた。

 大きく変貌を遂げた地藤だったが、その笑みを見て、自身もまた以前と全く同じ笑みを浮かべた。変わってしまった姿の奥に、変わらぬ心があることを示すように――浮かべてみせた。

 このまま再会の感動に浸り、互いの温もりを確かめ合っていたいところではあるが――現実は残酷で、そういうわけにもいかない事情がある。

 戦いはまだ終わっていないのだ。

 

「お気分はいかがですか、愛しの契約者様」

 

 空気を読んでいた鏡のメフィラが、静かに歩み寄る。

 地藤は璃奈を抱きしめたまま、少し顔を顰めて答えた。

 

「……いい気分だよ。最悪なことにね」

 

 異なる世界の虚像とはいえ、己に親身になって助けてくれた頼れる先輩の命を踏み台にして復活を遂げたこと――その罪悪感は胸を締め付ける。

 だが同時に、全身を満たす溢れんばかりの魔力と生命力を否定することもできない。矛盾する感情が交錯し、彼は何とも言えない答えを返すしかなかった。

 しかし、すぐに彼女から受け取ったものを思い出す。

 その記憶が背を押し、地藤は軽く首を振って精悍な表情を浮かべた。

 

「再会を祝いたいところだけれど、早急に鏡の大公と決着をつけないと元の世界がまずそうだ」

「うん。私も事情は聞いたから、戦うよ。……ダメだって言っても、聞かないからね」

 

 璃奈は涙を拭い、紫色の瞳を力強く輝かせる。

 地藤優斗はこの目を知っている。一度こうなった天羽璃奈は――とても頑固なのだ。

 彼女はきっと、どれだけ彼が「危ない」と言って説得を重ねても、自分だけ帰ることはないだろう。

 地藤は少し考えてから、口を開いた。

 

「僕たちの世界は、まだクリスマス前だよね?」

 

 唐突な問いに、璃奈は首を傾げる。

 

「う、うん。まだクリスマス前だったよ。あっ、でもあと1、2時間でクリスマスになる、かな……?」

「そうか。じゃあ、さっさと片付けて帰らないと行けないね」

 

 地藤は不敵に笑いながら小首を傾げ、問いを重ねる。

 

「一緒に戦ってくれる? 璃奈」

 

 その言葉は、彼女にとって何よりの贈り物だった。

 璃奈は胸の奥から溢れる喜びを隠すことなく、輝くような笑みで頷いた。

 

「うん……! もちろんだよっ!」

 

 

「私にお声がけはいただけないのですか?」

 

 淡々と――しかし、その瞳にどこか拗ねたような色を映しながら鏡のメフィラが尋ねる。

 

「お前にも来てもらわないとどうにもならないだろうね。……一緒に来てくれる?」

「もちろんでございます」

 

 粛々と頷く鏡のメフィラ。

 地藤はホテルに視線を向ける。儀式で膨大な魔力が発生していたため気づけなかったが、ホテルには強力な結界が張られており、そこには多数の穴が穿たれ、激戦の様子が浮かび上がっていた。

メフィラは約束通り、鏡の大公の足止めをきっちりとこなしているらしい。

 

 地藤は深く息を吸い込み、胸の奥に宿る熱を確かめる。

 クリスマスの夜に託された新しい命と、霧島レイから受け取った刀の形をした祓魔器を、力強く握り締めた。

 銀色の髪先が月光を反射し、真紅の瞳は鋭く爛々と輝く。

 

「さて――悪い子から、プレゼントを没収しに行こうか」

 

 吸血鬼として――存在としての階位を上げた地藤優斗は、雪の夜を切り裂くような気迫を放ちながら、反撃の開始を告げた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。