世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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ハッピーメリークリスマス!
この話をクリスマス当日に投稿できて、とても嬉しく思います。
ぜひ楽しんでいただければ幸いです

※前日に64話を投稿していますので、今回は連日の更新になります。
 まだ前話をご覧になっていない方は、ぜひそちらからお読みください。



第65話:メリークリスマスを君と

 

「ん……あれ?」

 

 地藤がゆっくりと目を開けたとき、そこはホテルの屋上ではなかった。

 視界に広がったのは、見覚えのある天井と、馴染み深い家具が並ぶ部屋。

 ここは確か――

 

「璃奈の部屋……?」

 

 そう呟いた瞬間、地藤は気づいた。

 隣にいるはずの彼女の気配がない。

 

「璃奈……? 璃奈! どこにいるんだ、璃奈!」

 

 半ば取り乱しながら呼びかけた、そのとき。

 

「きゃっ!」

 

 部屋の鏡が突然まばゆい光を放ち、

 可愛らしい悲鳴とともに、鏡の中から璃奈が飛び出してきた。

 

「璃奈! 大丈夫……?」

「うん、なんとか……」

 

 尻もちをついていたものの、外傷はない。

 どうやら、時間差でこちらの世界に戻されただけらしい。

 璃奈の無事を確認した地藤は、胸の奥から大きく息を吐き出した。

 

「よかった……あ、れ……?」

「優斗君……?」

 

 安堵が一気に押し寄せ、地藤の身体がふらりと揺れた。

 璃奈が慌てて腕を伸ばし、彼をしっかりと支える。

 

「あ、あぁ……ごめん。ちょっと、流石に疲れちゃって……」

 

 “原種の吸血鬼”になったせいか、肉体の疲労はほとんど感じないが、精神の方は限界まで擦り減っていたようだ。

 地藤の顔色は悪い。

 

「ちょっとリビングに行こうか。紅茶入れるね。あっ、スープもあるから温め直すね!」

「ご、ごめん……」

「気にしないで。ようやくクリスマスらしいことが出来そうで、私も嬉しいの」

 

 にこりと微笑む璃奈の顔には、気遣いよりも純粋な喜びが浮かんでいた。

 その表情を見るだけで、地藤は胸の奥がじんわりと温かくなる。

 つくづく、自分は恵まれている――そう思いながら、彼は璃奈の手を借りてリビングへと向かった。

 暖房を入れ、ふかふかのソファに身を沈める。

 このまま眠ってしまいそうなほど心地よいが、さすがに今は寝るわけにはいかないことくらい、鈍感な彼でも理解していた。

 

 ちらりと時計を見る。

 あと一時間ほどでイヴが終わり、クリスマスが訪れようとしていた。

 

「はい、紅茶が出来たよ」

「あぁ、ありがとう」

 

 ぼんやりと時計を眺めていた地藤の前に、可愛らしいカップが差し出される。

 反射的に受け取った彼に微笑みかけながら、お揃いのカップを持った璃奈が、自然な動きで隣に腰を下ろした。

 

 暫し、穏やかな沈黙が流れた。

 地藤はお喋りな性格ではあるが、家では意外と静かに過ごすことが多い。

 それは決して話すのが面倒だからではなく、璃奈の前では自然と肩の力が抜け、言葉を必要としなくなるからだ。

 璃奈もまた、彼が自分にだけ見せる素の表情を感じ取り――その沈黙を、幸福と共に受け入れていた。

 温かい紅茶を口に運び、時計の針が刻む音を聞きながら、ふたりは寄り添うようにして心地よい静寂に浸る。

 やがて紅茶を飲み終え、手持ち無沙汰になった璃奈は、何気ない仕草で地藤の髪に触れた。

 地藤が璃奈のさらりとした黒髪を愛おしむように撫でることはよくあるが、その逆もまた然りだった。

 璃奈は、ただ落ち着くという理由で、よく彼の髪に触れていた。

 

 しかしその指先が、銀色に染まった毛先に触れた瞬間――璃奈は小さく顔を顰めた。

 

「璃奈……?」

 

 居心地のいい沈黙に、細い罅が入る。

 どこか浮かない表情を見せる恋人が気になり、地藤はそっと声を掛けた。

 

「……」

 

 璃奈は地藤の毛先を指でつまみ、色を落とそうとするように軽く擦ったり、ふわりと宙に泳がせたり――端的に言えば、彼の髪を弄んでいた。

 疲れているのか、少しとろんとした紫の瞳が、自分の指先で揺れる銀色の行方を追っている。

 その仕草は、どこか猫のようだった。

 

「ねぇ、璃奈ってば」

 

 様子がおかしいと感じた地藤は、紅茶をテーブルに置き、彼女の肩に手を添えて覗き込む。

 真紅の瞳と、紫の瞳が静かに交わった。

 

「……眼」

「眼?」

「また、赤くなっちゃったね……」

「ッ!」

 

 その一言で、地藤はようやく理解した。

 璃奈が何を見て、何を感じ、何を言おうとしていたのかを。

 彼はソファの上で姿勢を正し、彼女と向かい合う。

 

「璃奈、その……霧島先輩のことは」

「分かってるよ。仕方がなかった、ことだもんね」

 

 本当は“仕方がない”なんて思っていない――その表情が、何より雄弁に物語っていた。

 地藤は咄嗟に、彼女の手を強く握った。

 

「優斗君……?」

「璃奈、ごめんね」

「ごめんって……何が?」

「また、心配させちゃったこと。帰るの、遅くなったこと。それから――()()()()()、なんて言わせちゃったこと」

 

 彼は誠心誠意、心から彼女に謝った。

 天羽璃奈は非常に頭のいい女性だ。

 だからこそ、鏡の霧島レイがいなければ地藤が生き返ることはなかったと理解している。

 その事実を飲み込み、荒れ狂う心を必死に押しとどめて、「仕方がない」という言葉を絞り出したのだ。

 

 ――本当は、「仕方がない」なんて、あるはずがない。

 

 自分の好きな人が、ある意味では恋敵とも言える存在と命を分け合い、その名残を身体に宿したまま戻ってきたのだ。

 その胸中がどれほど複雑か、想像に難くない。

 それでも地藤優斗は、彼女に謝ることしかできなかった。

 なぜなら、彼もまたよく分かっていたからだ。

 

 鏡の霧島レイがいなければ、こうして璃奈と再び言葉を交わせることはなかったことを。

 そして、自分が彼女に対して深い感謝を抱いていることを。

 

 地藤優斗と天羽璃奈は、互いの心境をほぼ正確に理解している。

 だからこそ、二人の表情には同じような複雑さが宿っていた。

 

「うぅん……謝るなら、私だってそうだよ。もっと、早く優斗君のところへ駆けつけるべきだった。それに――」

「それに?」

「いや、何でもない。とにかく、優斗君の謝罪は受け取ったよ。こうしてちゃんと……再会できたわけだし、悲しい話は止めようよ? だって、クリスマスだよ? ……あれ、こっちの世界ではまだなんだ……」

 

 無理に明るさを装うように、璃奈はおどけた笑みを浮かべた。

 その健気さが胸に刺さり、優斗はそっと彼女を抱き寄せる。

 

「ゆ、優斗君……?」

「ごめん。暫く、このままでいさせて」

「……うん。いいよ」

 

 璃奈は静かに腕を回し、優斗の背中を抱きしめ返した。

 再び、柔らかな沈黙が降りる。

 温かな空気に包まれながら、優斗はふと顔を上げ、視線が時計へと吸い寄せられた。

 

「……璃奈」

「んー?」

 

 優斗の胸の中で表情を緩めていた璃奈が、気の抜けた返事をする。

 この心地よい時間が終わってしまうのを承知の上で、優斗はそっと彼女を離し、その瞳をまっすぐに覗き込んだ。

 そして、ほんの少しだけ弾む声で告げる。

 

「クリスマスパーティーをしよう!」

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 地藤優斗は鏡の世界でおよそ二日を過ごしたわけだが――こちらの世界では、わずか8時間ほどしか経っていなかったらしい。

 現在の時刻は、12月24日23:30。

 つまり、あと30分でクリスマス当日がやって来る。

 

「璃奈! チキン温め終わったよ!」

「ありがとう! それじゃあ、盛り付けをお願い!」

「了解!」

 

 あと10分で、クリスマス。

 イヴを2人で過ごし損ねた2人は、その余白を埋めるべく、せめてクリスマスパーティーをクリスマス当日になった瞬間に始めてやろう――なんて、よく分からない意地と熱意をもって、高速でパーティーの準備を始めていた。

 

 璃奈はスープを温め直し、他の料理にも火を通し直し、味付けの再確認を担当。

 地藤はオーブンを使えば出来る作業(チキンの再加熱)や、食器や飾り付けの再確認を担当。

 

 かくして、年末のホテルもかくやといった具合のブラックな職場で2人は必死になって働いていた。

 死ぬほど疲れているんだから、今日はもう休んで、明日に改めてやればいいのでは? 

 ――なんて常識的なツッコミは2人には通じない。

 

 何故なら、2人とも疲れていて――逆にハイテンションだったので。

 真に恐るべきは、まともな判断能力を失った人間であると言うことを、この2人は全身で体現していた。

 

「スープできたよ!」

「よし! 入れていこう!」

 

 温め直したスープを次々と注ぎ込み、チキンを盛り付け、その他の料理も所狭しとテーブルに並べていく。

 

「璃奈、座って!」

「うんっ」

 

 一体何と争っているのか。

 英国辺りで放送されていそうな料理人対決バトルのような様相を呈しながら、ギリギリで全ての作業を終えた2人はお行儀よく席に着いた。

 

 残り、3分。

 

 「間に合ったね~」なんて笑い合いながら2人はニッコニコで顔を合わせ――首を傾げた。

 何かが、足りない。

 

「の、飲み物! 飲み物入れよう!」

「そ、そうだね!」

 

 ぎこちなく2人同時に立ち上がり、冷蔵蔵へと直行する。

 2人も未成年なので、お酒は論外として――何となく大人な雰囲気が出そうなグレープジュースをチョイスし、テーブルに帰還。

 璃奈の両親が使っていた豪勢なワイングラスに注ぎこみ、再び席についた。

 

 残り、1分。

 

 図らずも、時間が余ってしまった。

 地藤はグレープジュースと時計を交互に眺めながら、悩まし気に腕を組んだ。

 

(こうなったら、僕の一発芸で間を埋めるしかないか……)

 

 渾身の激寒ギャグで、逆に璃奈に過剰な気遣いをさせる――そんな地獄絵図が生まれる寸前。

 

「……あのね、優斗君」

 

 ワイングラスに注がれたグレープジュースを見つめながら、璃奈が控えめに口を開いた。

 

「うん?」

「……私ね、クリスマスを誰かと一緒に過ごすの、凄く久しぶりなの」

 

 どこか恥ずかしそうに、たどたどしい声で続ける。

 

「もちろん、お父さんが生きていた時はパーティーをやっていたけれど……お父さんが亡くなってからは、やらなくなっちゃったから」

 

 彼女の母親、天羽玲子は璃奈の父を深く愛しており――その反動で狂ってしまった人物だ。

 娘に虐待同然の過酷な訓練を強いていた彼女が、クリスマスだからと娘の為に料理を用意し、パーティーを開いてくれる様子は想像できない。

 

「だからね、本当に優斗君と一緒にクリスマスを祝えるのが嬉しいの」

 

 紫の瞳に喜びの色を滲ませ、璃奈は噛みしめるように言った。

 

 残り、30秒。

 

 優斗は息を吸い込み、真っ直ぐに璃奈を見つめながら口を開いた。

 僕も――

 

「――僕もお父さんとお母さんが死んじゃって、おじいちゃんが入院してからは、誰かとクリスマスを過ごす機会なんてなかったな」

「私たち、一緒だね」

「うん。一緒だ」

 

 互いに微笑みあう。

 璃奈は頬を赤く染めて、はにかむような笑みを浮かべた。

 

「一緒なの、嬉しい」

「僕もだ。――きっと、僕たちには他にも一緒なところがあるはずだよ」

「本当? だとしたら、もっと嬉しいな」

「2人なら、嬉しいことは、これからたくさんあるよ。それに――」

 

 残り、10秒。

 

「――ちょうど、今から始まるところだ」

 

 地藤はグラスを持ち上げた。

 

 残り、5秒。

 残り、4秒。

 残り、3秒。

 残り、2秒。

 残り、1秒。

 

 残り、0秒。

 

 時計が鳴る。

 聖夜が、この世界にも訪れた。

 

「メリークリスマス、璃奈」

 

 璃奈もまたグラスを持ち上げた。

 

「メリークリスマス、優斗君」

 

 グラスとグラスが接触し、涼やかな音が響き渡った。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 始まった二人きりのクリスマスパーティーは、数か月前から気合を入れて準備されていたこともあり、実に充実していた。

 なにせ、企画者はあの天羽璃奈である。

 万能の才覚を持ち、どんなことでもそつなくこなす彼女が、これでもかというほど念入りに準備を重ねてきたのだ。

 抜かりなど、あるはずがない。

 

 まずは、料理である。

 

 わざわざ取り寄せ、璃奈の手で丁寧に焼き上げられた七面鳥のロースト。

 皮は香ばしく、ナイフを入れれば肉汁がじゅわりと溢れ出す。

 胡椒をたっぷりまぶしたポテトサラダは、クリスマスカラーのパプリカが散らされ、見た目にも華やかだ。

 野菜の旨味がぎゅっと詰まったコンソメスープは、湯気とともに優しい香りを漂わせている。

 

 温め直したとはいえ、どれもこれも絶品である。

 地藤は夢中になって料理に食らいつき、気づけば皿の上はほとんど空になっていた。

 

 食事を終えれば、次はゲームだ。

 

 ゲームといっても、二人で楽しめるボードゲームだ。

 先にお風呂へ入る権利や、ダサいポーズで写真を撮る罰ゲームなどを巡り、熾烈な頭脳戦が繰り広げられる。

 もともと、こうしたゲームではルールの隙を突いて勝ちを拾うのが地藤の常套手段だった。

 “悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”の使い手としての面目躍如である。(※別に誇れることではない)

 

 だが、相手は天羽璃奈である。  

 同じ手が何度も通じるはずがない。

 

 そもそも、璃奈が用意したゲームのラインナップからして、地藤の得意分野を封じるように構成されていた。

 結果、地藤はまさかの三連敗。

 未だかつてない屈辱に震えるものの、手を叩いて楽しそうに笑う璃奈の姿を見れば――「まぁ、いいか」と自然に思えてしまう。

 その後は、やけにキメ顔の“観光地ではしゃいでいそうなポーズ”で写真を撮らされたり、

 なぜか制服を着せられ、鞄を手に「海外旅行に行くカップル」という設定で撮影されたりと、

 コスプレめいた展開に地藤はややげんなりしたが、璃奈が終始楽しそうだったので万事OKとした。

 

 ゲームが終われば、次はいよいよ――プレゼント交換だ。

 

「優斗君、まだ――?」

「まだ! もうちょい、もうちょい待って……!」

 

 クリスマスツリーを正面に、地藤に背を向けた璃奈が問いかける。

 地藤は焦った声で「まだ振り返らないで」と告げた。

 ガサゴソと作業する彼の手元には、見るも無惨に潰れた小さな箱がある。

 このプレゼントは、如月メフィラに連れ去られる直前、デパートで購入したものだ。

 その後の過酷な冒険の最中も、地藤のポケットの中で奇跡的にどうにか“無事”だった。

 

(……いや、本当は無事じゃなかったんだけど)

 

 実際には、“原種の吸血鬼”の超速再生に巻き込まれ、服の一部――つまり地藤優斗の一部と認識されて一緒に再生されていた、というのが真相である。

 ともあれ、プレゼントそのものが無事だったのは幸いだ。

 問題は――箱があまりにもぐちゃぐちゃになっていたことだった。

 璃奈に渡そうとポケットから取り出した瞬間、地藤は青ざめ、ムンクの叫びのような顔になった。

 「ごめん璃奈! 後ろ向いてて!」と必死に頼み込み、どうにかしようと奮闘している――それが今の状況である。

 

 ぐちゃぐちゃの箱を前に頭を抱えていた地藤だが、背に腹は代えられないと観念し、

 こっそりと“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”を使って箱の歪みを修正した。

 

 綺麗に整った箱を見て、ようやく息をつき、汗を拭いながら璃奈に声を掛ける。

 

「ごめん、お待たせ璃奈、もういいよ!」

「はーい」

 

 振り返った璃奈は、呆れたような笑みを浮かべていた。

 

「私は別に、気にしないのに……」

「こういうのは、僕の気持ちの問題なの」

「優斗君、偶にすごくこだわりが強くなるよね」

「あぁ……ごめん」

「いや、責めてるわけじゃないの。寧ろ、嬉しくて」

 

 璃奈は微笑みながら、一歩踏み出す。

 

「私へのプレゼントにここまで気を遣ってくれるなんて、彼女冥利につきるよ」

「そう言ってくれると助かるよ」

「さて、私の彼氏さんは綺麗に包んだ袋で何をプレゼントしてくれるかな?」

 

 腰に手を当て、挑戦的な目を向けてくる璃奈。

 地藤は――その場に片膝をついた。

 

「ゆ、優斗君……?」

 

 予想外の動きに、璃奈の瞳が揺れる。

 地藤は騎士のように片膝をつきながら、恭しく両手で小さな箱を璃奈に差し出した。

 そして、コッソリ修復した箱の蓋をゆっくりと開いた。

 

「こ、れは――」

「カップルリング、だよ」

 

 小さな白い箱の中に詰められていたのは、2つのリングだった。そのうちの1つを手に取り、地藤は下から璃奈を見上げる。

 

「璃奈、手を出して」

「……」

 

 璃奈は何かに導かれるように、そっと白い左手――ではなく、慌てて右手側を差し出した。

 これは婚約指輪ではない。あくまでもカップルリングである。よって、右手に着けるのが一般的だ。

 差し出された白い指先に触れながら、地藤はそっとリングを取り出し――

 璃奈の右手の薬指へ、静かに、丁寧に嵌めた。

 

「今できる精いっぱいで選んだんだけど……どうかな?」

「――――」

 

 璃奈は、薬指にはめられた指輪をそっと天井へ翳した。 

 銀色のリング。

 細やかな刻印が光を受けてきらめき、その繊細な模様はまるで雪の結晶のように美しい。

 その模様の中に小さな羽の意匠が添えられているのを見て――彼がこれを選んだ理由が、すぐに胸へ落ちた。

 

 彼の想いが。

 そして、その想いが“形”になって自分の指に触れていることが。

 あまりにも嬉しくて、幸せで――胸がいっぱいになった。

 

「り、璃奈⁉」

 

 気づけば、天羽璃奈は泣いていた。

 紫の瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ち、幼い子どものように止まらない。

 慌てて袖で涙を拭いながら、震える息のまま言葉を紡ぐ。

 

「ごめん……嬉しいの。嬉しすぎて、泣いちゃっただけなの」

 

 その声には確かな喜びが滲んでいて、地藤は胸を撫でおろした。

 涙を拭った璃奈は顔を上げ、ぱっと花が咲くような笑顔を見せる。

 

「――ありがとう! こんなに嬉しいクリスマスプレゼント、初めて!」

 

 その笑顔は、まるで光そのものだった。

 思わず見惚れた優斗は、照れ隠しのように頬をかきながら答える。

 

「うん。喜んでもらえたなら良かった。選んだ甲斐があったってもんだよ」

 

 必死に悩み抜いた時間が、すべて報われた気がした。

 

 普段は何も思わない地藤だが、この時ばかりはこのプレゼント選びに(曲がりなりにも)協力してくれた如月メフィラへ、心の中でそっと感謝を送った。

 しばらく指輪を見つめていた璃奈は、ふと意識を取り戻したように瞬きをし、地藤の手元の箱へ視線を向ける。

 

「優斗君の指輪……私が嵌めていい?」

「うん。いいよ。お願い」

 

 地藤は残った指輪の入った箱を璃奈へ手渡し、右手を差し出した。

 璃奈は丁寧な手つきで指輪を取り出し――そして、何かを思い出したように小さく笑う。

 次の瞬間、茶目っ気を含んだ表情のまま、地藤の真似をするようにそっと片膝をついた。

 

「ちょ、ちょっと璃奈……」

「ほら、右手を出して」

「いや、でもこれって普通は男性側の役目じゃない……?」

「男女平等社会でしょ? 私にもやらせてよ」

「こういう時に使う言葉じゃない気がするけどなぁ……」

 

 気乗りしない地藤だったが、やる気満々の璃奈に水を差すのも気が引けて、一度引っ込めた右手を素直に差し出した。

 璃奈はその手をそっと包み込み、まるで本物の騎士のように堂々とした所作で――地藤の右手の薬指に指輪を嵌めた。

 もともと可愛らしさを持ちながら、どこか凛とした雰囲気を纏う璃奈である。

 片膝をつき、神妙な顔つきで指輪を捧げるその姿は、息を呑むほど絵になっていた。

 胸の奥がくすぐったくなるような鼓動を感じながら、地藤は右手を天井へ翳す。

 銀色の指輪が光を受け、きらりと輝いた。

 

「ありがとう、璃奈」

「こちらこそ……ありがとう」

 

 指輪を嵌めた右手を大切そうに胸元へ抱き寄せながら、

 先ほどまでの騎士然とした表情とは打って変わって、柔らかく微笑む璃奈。

 多彩で、様々な顔を持つ璃奈らしい、ぐらっとくるようなギャップがあった。

 

「あっ、そうだ! 私からもプレゼントがあるの。渡していいかな……?」

「もちろん! めっちゃ欲しい!」

「ふふふ、ちょっと待っててね」

 

 璃奈は軽やかにリビングを後にし、パタパタと階段を上がって自室へ向かった。

 プレゼントの気配がないと思っていたが、しっかり隠していたらしい。

 

「ふぅ……喜んでもらえて良かったな」

 

 ふかふかのソファに身を沈めながら、地藤は先ほどの璃奈の笑顔を思い返す。

 そして、自分の指に嵌められたリングを眺めては、ニマニマと頬を緩めた。

 はたから見れば、かなり不気味な光景である。

 だが、もし指摘されたとしても、彼は胸を張って言うだろう。

 ――クリスマスなんだから大目に見ろよ。クリスマス最高、と。

 

「ごめん、お待たせ!」

「全然待ってないよ」

 

 階段を駆け下りてきた璃奈に、地藤はソファからぬるりと立ち上がり、妙にカッコつけた返事をする。

 テンションが上がりすぎて若干おかしくなっている恋人を見て、璃奈はくすりと笑い、後ろ手に隠していた包みを差し出した。

 

「はい! これが私からのプレゼント! 受け取って欲しいな」

「ありがとう! 受け取らせてもらうよ。これは何かな……?」

「開けてみて! そうしたら分かるから」

 

 促されるまま、地藤は何やら高級そうな箱を開いた。

 中には、繊細な装飾が施された小瓶が収められている。

 

「これは……?」

 

 首を傾げる地藤に、璃奈はニコニコと笑うばかりで答えようとしない。

 どうやら、さらに瓶の蓋を開けてみろということらしい。

 

 香水かな――?

 

 そんな予想を胸に、地藤は小瓶の蓋をそっと開け、香りを確かめようと鼻を近づけ――

 その意識を彼方に飛ばした。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

「ん……あれ?」

 

 地藤優斗が目を開いた時、そこはリビングではなく、見覚えが全くない部屋の中だった。ここは――

 

「うちの屋敷にある隠し部屋だよ」

「りな……?」

 

 扉を開けて入ってきた璃奈は、にこにこと無邪気に笑っていた。

 優斗は困惑しながら身体を起こそうとし――ベッドから転がり落ち、()()()()()()()()

 

「だ、大丈夫……?」

「痛てて……だ、大丈夫――いや、()()()()()()()()

 

 冷たく黒い鉄格子を掴みながら、優斗は徐々に意識を取り戻していく。

 ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。

 部屋自体は広い。

 ソファがあり、ベッドがあり、机もテレビもある。

 装飾品はどれも上質で、天羽邸らしい格式が漂っていた。

 

 問題は、だ。

 

 四方を取り囲む鉄格子は、人間が通り抜けられないほど狭い間隔で組まれ、

 明らかに“誰かを閉じ込めるため”に設計されている。

 その程度であれば、問題にはならない。――いや、天羽璃奈にここに閉じ込められたということ自体が既に大問題ではあるが――そこには一旦、目を瞑るとしよう。

 

 次なる問題は、だ。

 

「霧になれない……⁉」

 

 地藤優斗は吸血鬼である。

 よって、この程度の隙間であれば、霧になれば即座に抜けられるはずだった。

 しかし、肝心の霧化が発動しない。

 既に何度も使用している便利な能力の為、地藤が発動手順を誤るはずがない。

 ということは、つまり――

 

「……霧島レイに吸血鬼にされたって知ってから、私、色々と調べたの」

 

 紫の瞳に狂気の光を宿しながら、璃奈がゆっくりと檻へ歩み寄ってくる。

 

「吸血鬼ってね、意外と苦手なものが多いんだよ。ニンニク、日光、十字架、銀……それらの要素は、純粋な吸血鬼になればなるほど、その身を蝕んでいくんだって」

「……璃奈、ちょっと一回話し合おう」

「話し合う? うん。いいよ。何を話そうか」

「話はまず、ここを出てからだ」

「ダメだよ」

 

 冷たく、鋭い声だった。

 紫の瞳がギラリと光を放つ。

 

「優斗君は、()()()()()()()()。絶対に、出さないよ」

「……なぜ?」

「危ないからに決まってるじゃないッ!」

 

 艶やかな黒髪を振り乱し、璃奈は叫んだ。

 その迫力に押され、地藤は思わず後退しそうになる。

 だが、必死に踏みとどまり、檻を掴んで外側の璃奈へと身を寄せた。

 

「危ないからって、こんなことをして何になるんだ⁉ 僕は不死身の吸血鬼だぜ? もう死ぬことはないよ」

「――じゃあ、イヴに鏡の世界へ連れ去られたのは誰?」

「うっ……」

 

 痛烈な一撃に、地藤は思わず顔を歪めた。

 璃奈はその反応に満足したように微笑み、檻を掴む優斗の手を、上からそっと重ねて握り込む。

 

「ここにいれば安全だよ。誰も優斗君を傷つけられない。だって、私が守るもの」

「……それじゃあ、僕の自由はどこに行くんだ?」

「自由、ね」

 

 璃奈は唇をわずかに吊り上げ、普段は見せない皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「それは幻想だよ、優斗君。自由なんて、誰にもないの。みんな役割に縛られて、誰かの尻拭いをさせられる。優斗君だって分かっているでしょう? 外の世界には悪魔がいて――いつだって優斗君を狙っている」

 

 だから、と。

 

「私が優斗君を守る。この家にいてくれれば、悪魔たちに惑わされることもなくなる。本当の意味で――自由になれるの。もっと、一緒にいられるよ」

 

 天羽璃奈は心の底から嬉しそうに微笑み、まるで素晴らしい提案をしているかのように言い切った。

 その瞳は宝石のように輝き、地藤はその光を見つめながら――恥じ入るように視線を落とした。

 分かってしまったのだ。

 また自分が、彼女を追い詰めてしまったことを。

 

「……ごめんね、璃奈」

「? どうして謝るの?」

「せっかく僕のために用意してくれた箱だけれど――壊すことになる」

 

 地藤は静かに息を吸い込み、全身の魔力を活性化させた。

 霧化は封じられているようだが――今の彼は紛れもなく“原種の吸血鬼”だ。

 本気で魔力を行使すれば、この程度の檻、どうということはない。

 おまけに、“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”もあるのだ。

 脱出できないはずがない――と、地藤は思い込んでいた。

 

「あ、れ……?」

 

 身体の奥底から湧き上がるはずだった魔力が、まるで尻切れトンボのようにふっと立ち消えた。

 ならばと“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”を発動させようとするが――それもまた、沈黙したまま動かない。

 

「無駄だよ」

 

 璃奈は真っ直ぐに優斗を見つめ、静かに断言した。

 

「優斗君は、絶対にここから出ることはできない」

「……璃奈、一体何をしたんだ――?」

 

 自分の手札がすべて封じられたことを悟り、地藤は恐る恐る問いかける。

 璃奈は蠱惑的な笑みを浮かべ、軽やかに答えた。

 

「ちょっとした、賭けをしただけ」

「賭け……?」

 

 怪訝な表情を浮かべた地藤は、そのときようやく気づいた。

 璃奈の瞳の一部が、黄金色に染まっていることに。

 

「ま、まさか――」

 

 唇を震わせながら、地藤は問う。

 どうか、自分の推測が外れていてほしいと祈りながら。

 

「――悪魔と契約したのか……?」

 

 璃奈は答えなかった。

 ただ、その笑みを深く、深く――蠱惑的に歪めた。

 

「璃奈――!」

「ねぇ、優斗君」

 

 激情に任せて言葉を続けようとした優斗を、璃奈の静かな声が制した。

 彼女は檻の隙間から優斗の手に自分の手を絡め、

 紫と金が混ざり合うエキゾチックな瞳で、ぞくりとするほど艶やかに覗き込む。

 

「私ね、ずっと怖かったんだよ。優斗君が出かけたきり帰ってこなかった時も、鏡の大公と話していた時も、何度も殺されかけていた時も、鏡の霧島レイと融合していた時も……また死にかけた時も――ずっと、ずっと怖かったの」

 

 言葉を紡ぐたび、瞳に宿る狂気の光が強まっていく。

 

「もう二度と優斗君に会えないかもしれないって思うと、本当に怖かった。だって、これからなんだよ? 私たちは」

 

 璃奈は檻越しに地藤の頬へそっと触れ、囁くように言った。

 

「――世界より、私を選んでくれたんだよね?」

「ッ!」

 

 地藤の瞳が大きく見開かれる。

 脳が高速で回転し、記憶を必死に辿る。

 そして――理解した。

 天羽璃奈が、何を、どの言葉を、どの瞬間を聞いてしまったのかを。

 

「璃奈、まさか――」

「うん。ずっと聞いていたよ。鏡のメフィラが、携帯越しに全部聞かせてくれたの」

 

 ――あの女ァ!

 余計なことをしやがって……!

 脳内で淑女然としたメフィラに罵声を浴びせる地藤。

 頭の中の彼女は、相変わらず涼しい顔でお辞儀をしていた。

 

「えっと、ね、璃奈。あの話には色々と訳があって――」

「うん、分かってるよ。優斗君が私に言えない秘密をたくさん抱えてることくらい。だって私、理解できないことが多かったもん」

 

 頬をぷくりと膨らませ、拗ねたように見えるその表情。

 一見すればただの可愛い少女だが――

 実際には、恋人を檻に閉じ込めようとしている張本人である。

 

「だけど、いいの。大事なのは――優斗君の“本音”を知れたことだから。私には、優斗君が私を必要としてくれた事実だけがあればいいの」

 

 愛おしいものを撫でるように、璃奈の指が地藤の頬を滑る。

 

「優斗君の想いを知ったからには、私も応えたいと思ったの。私たち、本当の意味で両想いだもの。だから……うん――()()()()、よね?」

 

 “外の世界は危険だから閉じ込めるのは仕方がない”。

 璃奈は、そう言い切った。

 地藤は絶句し、本能的に一歩後ずさる。

 その動きを感じ取った璃奈は――

 

「逃げないで」

 

 鋭く、縋るような声で言った。

 

「……ううん。違うね」

 

 璃奈は小さく首を振り、静かに思考を修正する。

 地藤にその気がなくても、彼には悪い虫が寄ってくる。

 優しい彼は、きっとふらふらとついて行ってしまう。

 そして――璃奈から離れていってしまう。

 

 逃げて行ってしまう。

 

 そんな未来があるくらいなら。

 

「逃がさないよ」

 

 低く、決定的な声だった。

 

「絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に――君を逃さない……!」

 

 紫の瞳に宿る黄金の光が、さらに強く燃え上がる。

 狂気に包まれた笑顔で、しかし誰よりも幸せそうに――

 天羽璃奈は微笑んだ。

 

「だって優斗君は、私のものなんだから」

 

 その声は甘く、優しく、そして――逃れようのない呪いのように美しかった。

 




というわけで、作者から地藤君へのクリスマスプレゼントでした。
次回、第三章最終回のエピローグとなります。
12月27日 22:00更新予定です。あと少し、お付き合いください。
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