世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

お待たせいたしました。
第四章、開幕になります!


第四章
第67話:家の中は大変快適な件


 

 今更、敢えて言うことではないけれど、天羽邸は広くて快適だ。

 

 家の作り自体は伝統ある洋館といった感じだけれど、最新機種の導入に躊躇いがなく、あちらこちらにお高そうなエアコンや自動掃除機、空気清浄機があって、温度も湿度も完璧に保たれている。

 もちろん、巨大なテレビもある。(馬鹿みたいにデカいスピーカーもある!)

 ドラマや映画もサブスクで常備されていて、据え置きのゲーム機もある。

 

 ふかふかのソファーに彼女と二人で座って、ドラマや映画を見るのは至高の時間だ。

 

 匂いもすごくいい。

 ラベンダー系のアロマを焚いているのだろうか。

 とても高級感があって、落ち着く香りだ。

 隣の部屋にあるお風呂もトイレも綺麗で、最新鋭の設備が整えられている。

 前にも使った表現を使い回すのはあまり褒められたことではないのかもしれないけれど、やはり僕としてはこう表現したい。

 “伝統ある高級ホテルのようだ”――と。

 

 そんな快適な空間でも、数日居れば飽きるだろうと思っていたが、全然そんなことはない。

 むしろ、いつまでもここで暮らしていたいと、そう思わせられる落ち着いた雰囲気があった。

 素晴らしいのは設備だけではない。

 朝、昼、晩と天羽璃奈お手製の究極的に美味しい食事が提供され、さらに3時にはティータイムがやって来て、美味しいお菓子と紅茶に舌鼓を打つ。

 人はよく、死んだ後に天国に行けるかどうかを気に掛けているが、まだ生きている僕から言わせてもらえれば、この場所こそが“天国”だ。

 間違いなく、これ以上の場所はないと断言できる。

 

 なんて贅沢なんだろうか。

 僕は宇宙一の幸せ者だ。

 これ以上を望むなんて、身の丈を知らない愚か者だけだろう。

 だけど一つだけ。

 たった一つだけ、文句を言うことを許してもらえるというのであれば、言わせていただきたい。

 

 

 この部屋をぐるりと囲む、()()()だけはどうにかしてもらえないだろうか?

 

 

 

「ダメだよ」

 

 優しい声が響く。

 この檻の中に閉じ込められてから、一週間以上が経過した。

 つまり僕は、クリスマスからこの檻に入居し、無事に新年を迎えたということになる。

 

 新年あけましておめでとうございます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします――。

 

 最初のうちは混乱も相まって猛烈な勢いで「ここから出してくれッ!」と懇願していた僕だが、天羽が全く揺らがないのを見て考えを改め、穏やかに交渉する方向に舵を切った。

 僕のささやかなお願いを聞いた天羽璃奈は、美しい笑みを浮かべたまま首を横に振った。

 

「言ったでしょ? ここからは出さないって」

「で、でも、あの黒い檻、すごく見栄えが悪くない? ない方がありがたいかな~、なんて」

「ダメだよ」

 

 璃奈は聞き分けの悪い子供に言うことを聞かせる親のような表情で、僕の唇にそっと人差し指を押し当てた。

 

「あれは、優斗君に近づく悪い奴らから優斗君を守るための“盾”なの。絶対に外すわけにはいかない」

「盾、ね……」

 

 僕はチラリと黒い檻に目をやった。

 

 さすがに、以前からこんな檻が天羽邸の部屋にあったとは思えない。――いや、璃奈の両親に特殊な性癖があり、以前からそういう用途のために準備していたというのであれば申し訳ないのだが――とにかく、これはつい最近までなかったものと考えていいだろう。

 

 璃奈が“盾”と評したことからも、あの黒い檻が僕の力を封じ込めるための元凶と考えて間違いはなさそうだ。

 

 僕は璃奈に困ったような顔で微笑みかけながら、こっそりと身体の内側へ力を込めた。

 イメージするのは、霧になった自分だ。

 吸血鬼になった僕には、霧となって物体をすり抜け、空中を移動できるという夢のような力が備わっている。

 簡単にイメージするだけで発動していた、使い勝手のいい能力のはずなのだが――

 やはり、何も起きない。起きる気配すら見せない。

 もちろん、僕の十八番である“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”も発動しない。

 全く。こういう時こそ役に立ってもらわなければならないというのに、何をしているのやら――

 

「良かった」

 

 ドクン、と、ここにはないはずの心臓が跳ねた気がした。

 

「良かったって……何が?」

「優斗君の眼と髪が、元に戻ってくれたこと」

 

 璃奈は手鏡を差し出してくれた。

 僕は鏡を覗き込む。彼女の言う通り、原種の吸血鬼になっていた影響で赤く染まっていた眼は黒に戻り、

 銀髪が混じっていた髪も、いつもの黒髪へと戻っていた。

 

「あとは、“ここ”だけだね」

 

 璃奈はソファーの上で僕にしな垂れ掛かり、そのまま胸元へ顔を埋めるように耳を当てた。

 そこには、本来なら鼓動を刻んでいるはずの心臓が――なかった。

 ここまで人間に戻っていながら、心臓だけは相変わらず、あの悪趣味な悪魔の手の中にあるらしい。

 

「待っててね」

 

 璃奈は囁くように言った。

 

「私が、必ずアイツから取り返してみせるから」

 

 その声には、固い決意と――暗い憎悪が滲んでいた。

 璃奈がメフィラを嫌っているのは前々から知っていたが、その度合いは想像以上に深いらしい。

 

「……ねぇ、璃奈。話があるんだ」

「うん。私もあるよ。たくさん話をしようね。時間なら、いっぱいあるから。あっ、でもごめんね」

 

 璃奈は猫のように僕の腕の中から抜け出し、申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「これから、外の世界に行かなくちゃいけないの」

 

 ナチュラルに家の外を〈外の世界〉と呼ぶ璃奈の今日の格好は、制服だった。

 今日の日付は恐らく1月5日。

 学校が始まるのだろう。

 

「えっと、できれば僕も学校に行きたいな~、なんて――」

「ダメだよ」

 

 璃奈は一切譲る気のない、鋭い声で言い切った。

 

「学校には、死王女の憑依体や霧島レイがいるんだよ。危険な場所なんだ。優斗君は、ここで待っていて」

「いや、でも、姿を見せないと流石に不信に思われないかな? 僕って一応は吸血鬼だから、体調不良なんて言い訳も通じないし――」

「大丈夫。そこは私に任せておいて」

 

 いつもなら頼もしいはずの璃奈の自信に満ちた声。

 けれど今は、不穏な予感しかしなかった。

 

「あ、あの……具体的にどうするつもりなのかな?」

「優斗君を社会的に“しばらく消す”ことにしたの」

「……はい?」

 

 意味が理解できず、思わず首を傾げた。

 

「優斗君が急に学校に来なくなったら、周りが騒ぐでしょ? だから、一時的に“海外に滞在していることにする”の。留学でも、親戚の家でもいい。証拠は私が用意するから。これで、誰も追ってこないと思う」

「――――」

 

 璃奈はいつもの柔らかな表情のまま、淡々と説明する。

 僕の所在地を偽装し、友人たちにバレないようにするのだと、大真面目に語っている。

 そういえば、璃奈とゲームで負けた罰ゲームで色々と写真を撮られたが……

 もしかしたら、海外にいるように見せるための素材として準備していたのかもしれない。

 僕は何も言えなかった。

 璃奈は、本気だ。

 いや、この檻を見た瞬間から分かっていたけれど――

 彼女は本気で、僕と友人たちの関係を断とうとしている。

 用意周到に。万が一がないように。

 僕のことを、この社会から“隔離”しようとしている。

 

「さ、流石にそれは困るよ! だってほら、高校は卒業しないと僕、中卒になっちゃうし、社会的な痕跡を消しちゃったらパスポートも取れなくなって、一緒に海外旅行にも行けなくなっちゃうよ⁉ それにほら! 税金だって払えなくなるし――」

 

 最後の方は自分でも何を言っているのか分からなかったが、とにかく必死だった。

 今の璃奈は明らかに正気を失っている。

 僕が止めなければ――本当に、彼女を止められる人がいなくなってしまう。

 

「必要ないでしょ」

 

 僕の必死の主張は、冷たい声で切り捨てられた。

 

「中卒で何か問題ある? 私が優斗君の全部を支えるんだから、学歴なんていらないよね?パスポートもいらないよ。エクソシストの裏ルートで、海外なんていくらでも行けるから。税金は私が山ほど払っているから、優斗君は払わなくていいよ。他に、なにかある?」

「いや、えっと……」

「あるなら言ってね。私、優斗君と喧嘩なんてしたくないの。だって優斗君、口喧嘩強いでしょ?私、きっと泣いちゃってみっともないところ見せちゃう。そんなの嫌なの。私はただ、優斗君と穏やかに、楽しく暮らしたいだけなの。そのために、不確定要素は全部潰しておかなくちゃ。ごめんね?知っていると思うけど、私、完璧主義者だから。自分でも嫌になるくらいに」

 

 淡々と、璃奈は言葉を紡ぐ。

 穏やかな表情のまま、機械のように正確な発音で、美しい声で。

 僕は、知らず知らずのうちに後ずさっていた。

 

「にげないで」

 

 僕の挙動を察した璃奈の鋭い声が飛ぶ。

 反射的に、僕は動きを止めていた。

 

「ごめんね? 私、君に逃げられるのがトラウマになっているみたい。どうしても我慢できないみたい」

「璃奈……い、痛い……」

「あっ、ご、ごめん!」 

 

 璃奈は深淵の底のような瞳に、ほんの少しだけ正気を取り戻し、慌てて僕から離れた。

 僕は少しだけ右腕を摩る。

 後退ろうとした僕を掴んでいた腕は、璃奈の力で強く締め付けられ、じんと痺れていた。

 怪我をしたり痣ができるほどではないが、無意識に霊力が沸き上がり身体能力が強化される璃奈の腕力は、やはり相当なものだ。

 慌てて離れた璃奈は青ざめていたが、すぐに凛とした面持ちを取り戻した。

 

「痛い思いをさせてごめん……だけど、優斗君が逃げようとするなら、私は、これからも()()()()()()()()()()()

「っ」

 

 僕は驚きで目を見開いた。

 璃奈が僕を積極的に攻撃しようとしたことは――もちろん、一度もない。

 喧嘩になったことはないので断言はできないが、それでも彼女が僕に暴力を振るうなんて、絶対にあり得ないと思っていた。

 だが、そんな天羽璃奈が宣言したのだ。

 

 僕が逃げようとするのであれば――()()()()()()()()()()()()()、と。

 それは、僕の知る天羽璃奈から逸脱していた。

 いや、確かに原作では風呂場で裸を見られて激怒し、二丁拳銃を乱射するなんていうお茶目な事件もあったが(死王女降臨のきっかけになったあの事件だ)、

 それでも最後には冷静になって、悪いのは主人公の方なのに、璃奈が謝っていた。

 

 そんな彼女が、暴力を肯定するという。

 自分から、振るうこともやむを得ないのだという。

 

 僕は、背筋に冷や汗が流れるのを感じた。

 僕と付き合っていることから既に明らかな事実ではあるが――

 彼女は、本当に僕が原作で見た天羽璃奈とは異なるのだ。

 

 この世界の、天羽璃奈。

 温厚で、優しくて、博愛主義で、献身的で、賢くて、凛としていて――

 目的のためなら手段を辞さず、暴力すら肯定する少女。

 

 僕が、変えてしまった少女。

 

「……腕のことはごめん。痣になっていたら教えてね。治療するから」

「璃奈……」

「それじゃあ、一旦私は外の世界に行ってくるね。頑張って夜までには戻るようにするから」

「璃奈ッ!」

「動かないで」

 

 璃奈の声が二重に響いたように聞こえた次の瞬間、

 僕の身体はソファーに縫い留められたように固まり、指一本動かすこともできなくなっていた。

 

 これは――エクソシストの秘術、聖言か……!

 

「待たせちゃうことになってごめんだけど、ゆっくり寛いでいてね。テレビ、好きに見ていいから。お腹が空いたら冷蔵庫から好きなものを取り出して食べてね」

 

 優雅な動作で檻の扉を開き外に出た璃奈は、動けない僕を見つめながらゆっくりとその扉を閉めた。

 その瞬間、自由を取り戻す僕の身体。

 僕はソファーから転がり落ちるように立ち上がり、檻へと詰め寄って――ガシンッ!と黒い檻を両手で掴んだ。

 璃奈の顔と僕の顔が、檻越しに至近距離で突き合わされる。

 

「璃奈」

 

 僕は静かに問い掛けた。

 

「いつまでこんなことをするつもりなんだ……?」

「そんなの、決まっているでしょ」

 

 璃奈はさらに顔を近づけ、妖しい笑みを浮かべながら、互いの呼吸が交じり合う距離で囁いた。

 

「――永遠に、だよ」

 

 神秘的な紫の瞳の中心が、黄金に輝く。

 

 彼女は堕ちていた。

 エクソシストの誇りを捨て去り、悪魔と手を結び――

 そして、僕と永遠に一緒にいることを選んでしまった。

 この閉じた世界で、魂が擦り切れるまで一緒にいることを。

 

「それじゃあ、また後でね。優斗君」

 

 璃奈は満足げに微笑みながら、部屋を立ち去っていった。

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 璃奈の足音が遠のいたのを確認した僕は、弾けるように檻の扉から離れ、行動を開始した。

 眼を皿のようにして部屋の中を歩き回り、ありとあらゆるものを観察していく。

 テレビ、ソファー、冷蔵庫、テーブル、椅子、ペンと紙。

 隣の部屋に行くと、綺麗なトイレがある。さらにその隣には綺麗なお風呂があった。

 怪しいものは何もない。せいぜい、補充品が置かれているくらいだ。

 僕はお風呂の縁に立ち、上の方にある窓を開けてみた。すると、そこには自由な空が広がって――はおらず、隣の部屋にあったのと同じ黒い檻が数本立ち並んでいた。

 

「……」

 

 トイレに戻り、同じように上の方の窓を開けてみる。

 そこにも、同じように黒い檻が並んでいた。

 

「……やっぱり、そういうことか」

 

 僕は納得したように頷いた。

 やはり、あの黒い檻は人工的に建てられたものではない。

 人工的に建てたのであれば相当な大工事(屋根を切り取り、クレーン車を突っ込んで作業するレベルのもの)が必要になるが、そんな気配は一切なかった。

 それに、仮に部屋の中だけ改造したのであればともかく、隣接しているトイレやお風呂の窓にまで鉄格子が用意されているとなると、流石にやりすぎだ。

 となれば、この黒い檻自体が何かしらの魔術的な要素によって召喚されたものと推察できる。

 つまり――

 

「お前が、璃奈の契約内容なわけだな」

 

 部屋に戻った僕は苛立ちを込めながら黒い檻を拳でコンコンと叩いた。

 璃奈がどんな悪魔と契約を結んだのかは分からないが――これが、悪魔との契約の対価で受け取ったものと考えて間違いないだろう。

 しかし、“原種の吸血鬼”と“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”を封じ込めるだなんて、どんな悪魔と契約を交わしたんだ……?

 

「メフィラか? やっぱりアイツか。アイツが今回も余計なことをしやがったのか……⁉」

 

 いっつもいっつも余計なことしかしない悪魔のムカつくにやけ顔が脳裏に浮かぶ。

 一人で勝手に激昂し、脳内で奴をボコボコにしていた僕だが――すぐに冷静になった。

 よくよく考えれば、メフィラにはこんなことをするメリットは欠片もない。

 享楽主義に見えて、その実メリットのある行動しかしない徹底的な合理主義者がメフィラだ。

 その行動には必ず意味があり、そしてその先に奴の利益がある。

 そういった視点から考えた時、この状況は奴にとって利益があるようには思えなかった。

 自意識過剰ではなく、メフィラは僕に利用価値を見出している。これからも僕が原作知識を使って状況をかき乱すことを期待しているはずだ。

 だが、その僕を檻に閉じ込め、さらに“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”を封じてまで無力化することを奴が選ぶとは思えない。

 僕が奴のプランを妨害する可能性があるからこうして無力化した、という可能性もあるが――何となく、それはないように思えた。

 

 何故なら、この状況は璃奈にとって都合が良すぎるからだ。

 まるで、悪魔が璃奈の願いを叶えたかのように。

 

 これは恐らく勘違いではなく、メフィラは璃奈のことがそこまで好きではなかったはずだ。興味がない、と評した方がいいかもしれない。

 実際に、僕の心臓の代わりに璃奈が自分の心臓を差し出そうとしたこともあったが、メフィラは欠片も興味を示していなかった。

 その事実から考えるに、やはり今回の件はメフィラが関与しているとは考えづらい。

 しかし、そうなるともっとややこしいのは――じゃあ、誰がこんなことをしたのか、だ。

 

 “原種の吸血鬼”の方は僕がまだ十分に使いこなせていないだろうから、こうして封じ込められることも仕方がないとして――“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”の方は、仮にも元四騎士であるメフィラの権能だ。それをいとも簡単に無力化するなんて……些か信じ難い。

 認めるのも癪だが、僕はメフィラの悪魔としての能力の高さは認めているのだ。

 彼女がどれほど強力な悪魔であるかは、嫌というほど知っている。

 だが、その彼女の力をこんな黒い檻一つで封じ込めてしまうなんて――どこのどいつの仕業だ?

 

「まさか、紅の戦君バナルハルトの嫌がらせか……? いや、ないか」

 

 一瞬、頭をよぎったのは『十六夜エクソシスト』における大ボスの一人、現役の四騎士である彼のことだ。

 メフィラと仲が悪い――というか、メフィラに対して拗らせているあの悪魔であれば、僕とメフィラの仲が良いと()()()()()(ここ重要)余計な茶々を入れてくる可能性は十分にある。

 だが問題は、それが“可能なのかどうか”だ。

 紅の戦君バナルハルトは死王女モルヴェリアと並ぶ最強格の悪魔ではあるが、こういう小技が得意だった記憶はない。

 さらに言うと、恐らく璃奈が悪魔と契約を結んだのは、鏡の世界からこちらへ帰還する“その狭間”だ。

 僕と璃奈はメフィラによってあちらの世界から帰されたはずだが、なぜか璃奈とは帰還のタイミングが少しだけズレていたのを覚えている。

 恐らくだが、僅か数秒にも満たないその時間に、璃奈に干渉してきたのだろう。

 そんなことができるのは四騎士くらいのものだが、紅の戦君バナルハルトではないと思う。

 

 となれば、残るは他の四騎士たちだが――まぁ、多分、性格上ないだろう。

 

 四騎士の中に容疑者がいないとなると、いよいよ候補はいない。

 “原種の吸血鬼”と“悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)”を容易く封じられるほど強く、僅かな時間を狙いすまして璃奈に干渉し、高潔なエクソシストである彼女と契約を結び、なおかつこの状況で得をしそうな奴なんて、どこにも――

 

「あっ」

 

 まるで稲妻が脳天に直撃したようだった。

 突如として、僕の頭に“ある存在”が浮かび上がる。

 そういえば、いた。

 この状況にピッタリと当てはまる存在が、いた。

 

 その容疑者に気づいた瞬間、僕の全身に一気に鳥肌が立った。

 なぜ? どうして? なんで今、干渉してくる?

 

 あの王が、なぜ――。

 

 理由は分からない。考えたところで、僕みたいな小物には分かりっこないだろう。

 相手は悪魔だ。

 それも、推測が正しければ――悪魔の王だ。

 気まぐれで、残忍で、狡猾で、それでいて非常に賢く、強大で、強靭で、油断ならない相手。

 僕程度が測れるような存在ではない。

 

「璃奈……」

 

 僕は震える声で呟いた。

 

「アイツと……何を契約した……?」

 

 契約には対価がつきものだ。

 璃奈が悪魔の王と契約したのであれば――何かを捧げたに違いない。

 あるいは、これから捧げることになるのか。

 

 僕は身体の震えが止まらなかった。

 

 何とかしなければならないという使命感と、恐怖感が同時にせり上がってくる。

 この場所は天国のような場所だけれど――璃奈の犠牲の上に成り立っているのだ。

 

 そんなことは許容できない。

 地藤優斗は、そんなこと許せない。

 

 仮に璃奈がそれでいいのだと言っても、僕自身は全く納得なんてできない。

 だけど、今の僕は力も、文明の利器も取り上げられてしまった状態だ。

 元がただの人間である僕には、ここから脱出する術はない。

 電話もなく、携帯もないこの部屋からでは、外部に助けを乞うこともできない。

 焦りだけが募っていく。

 せめて、璃奈が帰ってきた時に真正面からしっかりと話し合うしか道はないだろう。

 そう決意してソファーに腰を下ろした――その瞬間だった。

 

 

 

 

 

 ピンポーン

 

 

 

 

 

 天羽邸の静寂を破るように、甲高いチャイムの音が響いた。

 

 その音が、僕の新たな物語の幕開けを告げるものになるとは――

 この時の僕には、想像すらできなかった。

 

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