世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第71話:次の一手

 

 天羽璃奈は、相変わらず退屈な学校の中で溜息をついた。

 

 これまでの彼女は優等生だったので、出席日数は十分に足りている。

 そのため、数日休んだところで問題はないのだが――彼女の勘がそれを強く拒絶した。

 

 彼女の鋭い直感は、時折未来予知に近い精度を発揮する。

 発動のタイミングも内容も曖昧なのが難点だが、それでもこの勘が彼女を裏切ったことは一度もない。

 だからこそ、璃奈は渋々ながら学校へ登校していた。

 

 いつもより神経を尖らせ、すでに剥がれかけている優等生の仮面を無理やり貼り直し、無難に時間をやり過ごす。

 退屈ではあるが、幸いにも彼女には新しく生み出した素敵な暇つぶしがあった。

 

 璃奈はそっと携帯を取り出し、アプリを立ち上げる。

 

 少し荒い映像の中には、彼が映っていた。

 彼女が檻の中で守っている――最愛の人が。

 璃奈はうっとりと微笑んだ。

 

 今日も彼はゲームに熱中しているらしい。コントローラーを置いて頭を抱えたかと思えば、また懲りずに挑戦している。

 帰ったら何のゲームをしていたのか聞いてみよう。

 一緒にプレイできるゲームならいいな――そんなことを思いながら、バレないように画面を見つめていると、あっという間に午前の授業は終わった。

 

 最強のライフハックを手に入れた璃奈は、胸の奥に小さな幸福を抱えたまま食堂へ向かう。

 その道中、警戒しながら周囲の気配を探ってみるが、昨日声を掛けてきた十六夜唯の気配は感じられなかった。

 先日の言葉がよほど堪えたのだろう。あの子らしい反応だ、と璃奈は内心で肩をすくめた。

 なにはともあれ、これで平穏が訪れた――と思ったところで、不意に璃奈は気配を感じ取った。

 

 十六夜唯のものではない。

 同じ苗字を持つ、彼女の兄。

 

 十六夜蓮の気配である。

 

「……」

 

 璃奈は敢えて気が付いていないフリをしながら歩みを進める。

 

 最初は偶然かと思ったが、明らかに璃奈の後ろを付いて来ている。

 同じ目的地だから、ではない。

 璃奈が立ち止まったら彼も立ち止まるのだ。

 

 間違いない。尾行されている。

 

 璃奈は内心で溜息をついた。学校に行けば誰かに尾行される。

 いよいよ本格的に引きこもりたい意欲が芽生えてくる。

 

 しかし、どうして十六夜蓮が急にそんなことをし始めたのか。

 璃奈は小首を傾げた。

 

 一瞬、彼女の脳裏を血の迷宮で告白された瞬間のことが過るが――すぐに消えた。

 微妙に人の機微に疎い璃奈ではあるが、それでもあの日以来、十六夜蓮の自分を見る目が変わったことには気が付いていた。

 彼の瞳からは、以前の熱が失われていた。

 青い瞳は蒼穹の空のように澄み切っている。

 全てに平等に、美しく輝いている。

 特定の誰かのことを思って輝いてはいないのだ。

 そのことを惜しむわけでもなく、璃奈は淡々と「彼は割り切ったんだな」と納得したのだった。

 

 その経緯を踏まえると、やはり十六夜蓮が再度璃奈に熱を上げだしたとは考えにくい。

 

 となれば、原因は妹の方だろう。

 昨日、璃奈は十六夜唯に嘘をつき、強い言葉で追い払った。

 あの素直で感情が顔に出やすい少女のことだ。きっと、家でも上手く表情をコントロールできなかったに違いない。

 普段とは違う落ち込んだ様子をあのシスコンが見れば、理由を探りたくなるのも必然。

 

 かくして、原因と思われる璃奈を遠巻きに監視し始めた――そんなところだと彼女は踏んでいた。

 もちろん、これは推測にすぎない。

 真意は本人に聞かなければ分からないが、蓮が直接接触してくる気配はない。

 ただ、距離を置いたまま様子を伺っているだけだ。

 

 鬱陶しいが、璃奈は自分が打って出るつもりはなかった。

 

 あの兄妹を敵に回すのは得策ではない。

 死王女は言うまでもなく、十六夜蓮もまた侮れない。

 むしろ潜在能力という意味では、あの少年が一番危険だと璃奈は感じていた。

 とはいえ、向こうが動かないならこちらも動く必要はない。

 気配に気づかないふりをしながら、璃奈は淡々と時間を過ごした。

 

 やがて放課後を迎える。

 いつものように早々に教室を後にし、彼の待つ家へ帰ろうとしたその時――

 

「天羽璃奈さん」

 

 ――背後から声を掛けられた。

 璃奈は露骨に顔を歪めた。

 尾行だけではなく、気を抜くと背後から声を掛けられることが増えている。うんざりだ。

 

 渋々振り返ると、金髪碧眼の少年がそこに立っていた。

 

 光を受けて淡く輝く金髪は、まるで陽光をそのまま編み込んだかのように柔らかく揺れ、

 深い湖の底を思わせる碧眼は、微笑んでいるのにどこか冷たく、底知れない静けさを湛えている。

 聖西学園の制服を完璧に着こなしたその姿は、まるで絵画から抜け出してきた天使のようだった。

 廊下にいた女子生徒たちが息を呑み、次の瞬間には黄色い歓声が上がる。

 だが、少年はそれらを気にも留めず、ただ静かに璃奈を見つめていた。

 

「少しお時間よろしいですか?」

 

 よろしくない――そう返すつもりだった璃奈は、次の瞬間、息を呑んだ。

 

「ちょっと、こみいった話がありまして」

 

 少年は右手を素早く動かし、宙に軽く十字を切った。

 教会のエクソシストが使うハンドサインである。

 璃奈は即座に彼の正体を悟った。

 不意に、霧島レイの言葉が脳裏に浮かぶ。

 

『実は、教会から新しいエクソシストが来るらしくてな――』

 

(この人が、例のエクソシストなんだ)

 

 エクソシストともなれば、さすがに無下にはできない。

 それが“教会”から派遣された者なら、なおさらだ。

 璃奈には隠し通さなければならない秘密が多すぎる。

 疑念を持たれたり、敵対するわけにはいかない。

 

「……分かりました。場所を変えましょう」

「喜んで」

 

 この誘いを断って得することなどない。

 璃奈は心の中でそっと溜息をつき、頷いた。

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 何をしても様になる人間というのは確かに存在する。

 このユリウスという少年は、まさにその最たる例だった。

 決して高級品とは言えない喫茶店の紅茶のカップでさえ、彼が手にすると宮廷で供される磁器のような品格を帯びる。

 ゆっくりと口元へ運ぶ仕草の一つひとつが洗練され、無駄がなく、自然と視線を奪われてしまう。

 完璧に整った容姿がその所作に拍車をかけ、見ているだけで思わず溜息が漏れそうになるほどだ。

 

 ユリウスは紅茶のカップを指先で軽く揺らし、どこか芝居がかった優雅な口調で言葉を紡いだ。

 

「いやー、こうして学校の帰り道に美しい女性とお茶ができるなんて、夢が叶った気分です。ずっと憧れていたんですよ。日本のマンガのようなシチュエーションに」

「……そうですか」

 

 同じく、何をしても様になる――どころか、何でもそつなくこなしてしまう万能の少女・天羽璃奈は、微動だにしない表情で返した。

 学校では話せない内容で、かといってこの得体の知れない男を自宅に招く気にもなれず、彼女は適当に選んだ駅前の喫茶店で謎の美少年と向き合うことになった。

 人気店だけあって、同じ学校の生徒たちがちらほらと席に座っている。

 彼女たちは顔を寄せ合い、人間離れした美貌を持つ男女の組み合わせに、興奮した視線を惜しげもなく向けていた。

 

 その事実に優越感を覚えることもなく、璃奈は内心で静かに溜息をつく。

 

(せっかくなら、優斗君と一緒に来たかったな……)

 

 胸の奥に小さな苛立ちが生まれるが、表情には一切出さず、璃奈は紅茶を静かに口へ運んだ。

 向かいの席では、ユリウスがチョコレートケーキを頬張り、幸せそうに目を細めている。

 

「ん~、美味しい。Ms.天羽は食べないのですか?」

「結構です。夕飯が入らなくなりますので」

「なるほど。僕はつい、美味しそうなケーキに目が眩んでしまって……気をつけないといけませんね」

 

 照れたように笑うと、店の一角でキャッと黄色い歓声が上がった。

 璃奈は冷めた目でその顔を眺めながら、口を開いた。

 

「――それで? ご用件は何でしょうか」

「冷たいですね、Ms.天羽。もっと会話を楽しみましょうよ」

「生憎と、口下手なもので」

 

 璃奈は苛立ちを隠そうともせず、視線で“さっさと話せ”と圧をかける。

 これ以上引き延ばせば危険だと悟ったのか、ユリウスはフォークを置き、真剣な表情に切り替えた。

 

「実は、あなたにお願いがあって来たのです。天羽家の当主、天羽璃奈さん」

「お願い、ですか」

 

 教会からの“お願い”。

 ろくな話ではないと直感し、璃奈は紅茶のカップをそっと置いた。

 人差し指でテーブルを二度、軽く叩く。

 瞬間、二人の周囲に透明な結界が張られた。

 

「防音に認知阻害……見事な手際です。やはり、あなたは優秀なエクソシストのようだ」

「お世辞は不要です。時間がありませんので、手短にお願いします」

 

 雑談に一切興味を示さない璃奈の態度は変わらない。

 ユリウスは柔らかな微笑みを崩さぬまま、胸に手を当てた。

 

「改めまして、私は“教会”から派遣されてきたエクソシスト、ユリウス・ヴァン・アーデルハイトと申します。以後、お見知りおきを」

「天羽璃奈と申します。よろしくお願いいたします」

 

 貴族のように優雅な礼を取るユリウスに対し、璃奈は淡々とした口調で応じた。

 二人の間に温度差はあるが、ユリウスはそれを気にする様子もなく話を続ける。

 

「本来、“教会”のエクソシストと地域に根付いた土着のエクソシストは交流を持たないのが常ですが……今回はトップからの指示によるものです。その点、あらかじめご了承ください」

 

 璃奈は静かに頷いた。

 “教会”と土着のエクソシストの関係は、昔から微妙な均衡の上に成り立っている。

 巨大組織として世界を統べる“教会”と、土地を守り抜いたことで認められた土着のエクソシスト。

 成り立ちの違いから主義主張が噛み合わず、結果として両者の間には暗黙の不可侵条約のようなものが存在していた。

 璃奈と霧島レイの接触が少ないのも、その影響が大きい。

 

 ――もっとも、この二人の間にある確執は、そんな条約など関係ないほど根深いのだが。

 

「さて、そんな我々“教会”から派遣されているエクソシストは私だけではなく、もう一名この地に降り立っています。ご存じかとは思いますが、霧島レイ嬢です」

 

 その名を聞いた璃奈の眉が動き掛けるが、完璧な表情管理で璃奈は無表情を貫く。

 どんなに些細なことであれ、このエクソシスト相手に余計な情報を渡したくはなかった。

 

「その霧島レイ嬢から報告を受けていますが、この地には“血の大公”が降り立ったそうですね」

「えぇ。そんなこともありましたね。アレには、随分と手こずらされました」

 

 璃奈は淡々と事実だけを述べた。

 もちろん、霧島レイが“血の大公”の召喚に加担していたことも、地藤優斗が彼女の眷属になってしまったことも一切口にしない。

 それは霧島レイとの取り決めであり――何より、地藤優斗の為である。

 

「その件についても聞いております。あなたと、それから十六夜蓮さん……でしたか? お二人の協力もあって、“血の大公”を討伐されたのですよね?」

「えぇ。そうです」

 

 璃奈は真顔で堂々と頷いた。

 実際には、そこに地藤優斗と死王女という超重要人物が混ざっているのだが、もちろん言うつもりはない。

 

「素晴らしい快挙を成し遂げられましたね。あなたが“教会”の人間であれば、昇進間違いなしだったでしょう」

「そうですか」

 

 興奮気味に語るユリウスに対し、璃奈は興味の欠片もなさそうに相槌を打つ。

 

「おや、あまり嬉しそうではありませんね。百年ぶりの快挙だというのに」

「数か月前の話ですから。それに、私からすれば降りかかる火の粉を払っただけです。“教会”の意向がどうあれ、この土地のエクソシストとして当然のことをしたまでです」

「なるほど。誠実で、謙虚でいらっしゃる。やはり素晴らしいエクソシストでいらっしゃるのですね」

 

 ニコリと魅力的な笑みを浮かべたユリウスだったが、不意にその表情が曇った。

 

「皆さんが偉業を成し遂げた……もしそこで話が終わっていれば良かったのですが、残念ながらそうもいかない事態になっていまして。そろそろ本題に入らせていただきましょうか」

 

 ユリウスは姿勢を正し、真っ直ぐに璃奈を見据えた。

 

「Ms.天羽。“門”をご存じですか?」

「悪魔が魔界から通って来る時に使うという、あの“門”のことですか?」

「はい。その門です。力ある悪魔が創り出し、そこを起点として現世へ侵攻してくるわけですが……どうにもここ数日、過去に例がないほど巨大な“門”が制作されているという報告が届いています。当然、そんなものが完成してしまえば、とんでもない悪魔が現世に降臨することになる」

「とんでもない悪魔……例えば?」

()()()、とか」

 

 璃奈の背筋が凍りついた。

 四騎士――その名は、彼女の中に深い恐怖として刻まれている。

 これまで戦ってきた大公たちよりも遥かに強く、魔界最強格に位置する存在。

 直接戦った死王女でさえ本調子ではなかったことを思えば、璃奈はまだ“本物の四騎士”と相対したことがないということになる。

 

(優斗君は大丈夫……だって、私は悪魔王と契約したんだから……)

 

 唯一、四騎士を上回れる存在がいるとすれば、それは魔界の頂点に立つ男――悪魔王のみ。

 四騎士襲来の可能性を聞き、真っ先に地藤優斗を案じた璃奈だったが、契約した存在を思い出すことで何とか心を落ち着けた。

 

「恐らくですが、“血の大公”の降臨によって、この一帯の空間に歪みが生じたのでしょう。悪魔たちはその隙を逃さず、巨大な“門”の製造に着手した――我々はそう睨んでいます」

「……」

 

 想定よりも深刻な状況を聞き、璃奈もまた背筋を正した。

 これは、聞き流していい話ではないと判断したのだ。

 

「当然、我々としては黙って見過ごすわけにはいきません。早急に破壊を実施したいのですが――」

「悪魔たちも守りを固めている、と」

「仰る通りです」

 

 巨大な“門”を創り出すとなれば、エクソシストに気付かれるのは時間の問題だ。

 放っておけば破壊される重要物をそのまま放置しておくはずがない。

 

「現在、作成中の“門”を守るべく、悪魔の軍勢が集結しているという情報が入っています。当然ながら、“門”の破壊は容易なことではないでしょう。我々“教会”も急ぎ人員を搔き集めていますが、精鋭たちを全員集結させられるほど余裕があるわけではありません。そこで――」

「私に協力要請を実施された、というわけですね」

「はい」

 

 真摯な表情で頷くユリウス。

 璃奈は顎に手を当て、考えを巡らせる。

 エクソシストとして、“門”の危険性は十分に知っている。

 放置しておけば現世は無事では済まないだろう。

 特に、四騎士が召喚されようものなら――想像するのもおぞましいことになる。

 

 きっと、無辜の民が何千人、何万人、いや、何億人亡くなるのか想像もつかない。

 ――が、璃奈はその点についてはあまり考慮していなかった。

 

 天羽璃奈にとっての問題は、地藤優斗だけである。

 彼は、大丈夫だ……と彼女は考えている。

 契約した悪魔王の加護に守られているからだ。

 だが、璃奈は間違いなく死ぬだろう。

 四騎士と真正面からぶつかって勝てるとは露ほども思っていない。

 

 璃奈が死ねば――優斗は悲しむだろう。

 それに、“契約”違反として、地藤を守護しているあの檻も消失してしまうかもしれない。

 そうなったら四騎士から彼を守るものはなくなる。

 

(いや、私も優斗君と一緒にあの檻の中に入れば安全かな? そうなれば外界からの攻撃は一切受け付けないはず)

 

 悪魔王も言っていた。

 

『戦いたくないのであれば剣を置き、家の扉を閉めることだ。不吉の嵐は、家の扉を開けぬ臆病者には訪れない』

 

 恐らく、あの黒い檻は璃奈と地藤の命を守ってくれるだろう。

 エクソシストだろうと、悪魔だろうと、四騎士だろうと関係なく、契約に従って彼女たちを守り続けてくれるはずだ。

 

 だが。

 

 一方で、その力を妄信するのは危険だということも、璃奈は理解していた。

 魔界の頂点に君臨し、並のエクソシストなど歯牙にもかけない絶対的強者――四騎士。

 その出鱈目な力に人類は幾度となく屈しそうになってきたが、それでもまだ敗北したわけではない。

 

 璃奈が力不足なだけで、エクソシストの中には存在しているのだ。

 ――四騎士と真正面から渡り合える、もはや“人間”と呼ぶのもおこがましい怪物たちが。

 

 その証拠に、死王女は病院で十六夜唯の身体に憑依するまで、瀕死の状態が続いていた。

 それは、とあるエクソシストによって重傷を負わされたからに他ならない。

 四騎士にすら致命傷を与える上位エクソシストたちの力。

 その刃が悪魔王に届かないと、どうして断言できるだろう。

 

 世界最大のエクソシスト組織であり、巨大な地盤を持つ“教会”。

 その上位に君臨する人外のエクソシストたち。

 

 彼らが璃奈の“契約”を知れば、問答無用で滅ぼしに来るだろう。

 四騎士に傷を負わせたエクソシストを引き連れ、容赦なく襲撃してくるはずだ。

 檻の中に籠るしかできない璃奈では、ただ檻の強度を祈りながら優斗を抱きしめることしかできない。

 

 結局のところ、璃奈が最も恐れているのは悪魔ではなく――“教会”のエクソシストたちなのである。

 

 話を戻すが、そうした状況を踏まえれば、“教会”に不信感を抱かれるような行動は避けるべきだ。

 ましてや今回は“四騎士”が召喚される可能性がある。

 悪魔王の力は強大だが、四騎士との力関係がどうなのか、璃奈は知らない。

 相性の問題もあるだろうし、そもそも召喚させないに越したことはない。

 

「ご協力いただけますか? 天羽璃奈さん」

 

 ユリウスの声が、思考の深みから璃奈を引き戻した。

 璃奈は顔を上げ、静かに頷く。

 

「分かりました。微力ながら、お手伝いさせていただきます」

「それは良かった」

 

 金髪碧眼の美少年は嬉しそうに微笑んだ。

 その胸元で揺れる銀色の十字架が、店内の灯りを受けてひどく冷たい光を放った。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 ふと気配を感じて顔を上げると、窓に例の褐色少女が、前回と同じようにべったりと張り付いていた。

 

「思っていたよりも早かったな……」

 

 メモ帳とペンを取り出そうとして、僕は一度だけ視線を檻の外へ向ける。

 天井の隅に取り付けられた監視カメラが、赤い点を点滅させながらこちらをじっと見つめていた。

 鬱陶しいやつだ。

 せめてあの点が赤じゃなくて、璃奈の瞳と同じ紫色だったら許せたかもしれない――なんて、どうでもいいことが頭をよぎる。

 だが、そんな呑気なことを考えている場合ではなかった。

 視線を監視カメラから外し、窓の外へ戻す。

 少女はすでにメモ帳を窓に押し付けていた。

 

【十六夜蓮にお前の状況を伝えたぞ。凄いだろ? 感謝して土下座しろ】

 

 悪いな、お嬢さん。

 生憎と、土下座はできないんだ。

 

 代わりに、僕は大きく伸びをしてから――ぐっと身体を折り曲げ、頭を深く下げた。

 監視カメラから見れば、ただ身体が凝った僕がストレッチをしているようにしか見えないだろう。

 だが、少女から見れば、深々と頭を下げているように見える……はずだ。そうであってほしい。

 身体を戻し、再び窓の外を見る。

 褐色の少女は、どこか不機嫌そうな顔でメモに何かを書き殴り、勢いよく窓に押し付けた。

 

【それで土下座のつもりか?】

 

 土下座はもういいだろ。

 

 僕は溜息をつきながら、視線だけで「監視カメラを見ろ」と促す。

 だが、言葉が伝わらないというのは本当に不便だ。

 少女は最初、僕のジェスチャーが理解できず、首を傾げるばかり。

 しまいには、僕の動きをそのまま真似し始めた。

 二人で同じ方向に視線を動かすだけの、謎の時間が流れていく。

 やがて飽きたらしい少女は、メモに走り書きをして、勢いよく窓に叩きつけた。

 

【何がしたいんだお前】

 

 参ったな。

 やはり、こちらの意図はまるで伝わっていない。

 声は届かず、文字を書いて伝える手段も封じられている今、僕が使えるコミュニケーション手段はほとんど残っていなかった。

 檻の中を見回しても、役に立ちそうなものは一つもない。

 璃奈の危機管理能力には心底感心するが、こういう時ばかりは恨めしくもなる。

 せめて、あの監視カメラさえなければ――

 

 いや……待てよ。

 胸の奥で小さな電流が走る。

 僕はゆっくりと立ち上がり、檻の前まで歩み寄った。

 そして、天井の隅で赤い点を点滅させている監視カメラを見据え、ゆっくりと口を開いた。

 

「璃奈、退屈だよ」

 

 もちろん、返事が返ってくるはずもない。

 このカメラには音声機能がないのだから。

 それでも、僕は肩を落とし、わざとらしく落胆したように見せかけながら檻に背を預けた。

 そして、ほんの一瞬だけ視線を横へ滑らせ、窓の外の少女へと送る。

 

 ――気づけ。

 ――この“芝居”の意味を。

 

 その願いが届いたのか。

 僕の指と視線の先を追った少女は天井に取り付けられた監視カメラを凝視し、目を丸くしている。

 それから急いでメモ帳に何かを書き込むと、窓に押し付けた。

 

【お前の女、ヤベェな】

 

 僕は深く溜息をつき、フルフルと首を振った。

 まあ……ニュアンスだけは伝わっているだろう。

 ちらりと監視カメラに視線を送り、すぐに逸らして窓へ戻す。

 少女はすでに次のメモを書き終え、窓に押し付けていた。

 

【お前が役に立たないのは分かった。十六夜蓮に期待してろ。アイツはできる奴だ】

 

 ほう。

 我らが主人公の良さを見抜くとは、なかなか見る目があるじゃないか、謎の少女。

 続けざまに、別のメモが叩きつけられる。

 

【ケーキうまかった】

 

 僕は思わずズルっと檻の上で背中を滑らせて尻もちをついた。

 何の話⁉ 日記じゃねぇんだぞ!

 

 僕はお尻を摩り、檻を掴みながらゆっくりと立ち上がる。

 なかなか怪しい動作だったが――まぁ、璃奈から見ればただの間抜けな彼氏にしか見えないだろう。大丈夫なはずだ。多分。

 窓の外に恨みがましい視線を送ると、少女はまた新しいメモを押し付けた。

 

【他の奴には接触したくない。だから、アイツが何とかしてくれることを祈ってろ】

 

 接触“できない”ではなく、接触“したくない”。

 相変わらず正体が掴めない少女だが、このあたりに何かヒントがあるのかもしれない。

 原作にいなかったと断言したけれど……考え直した方がいいかもしれないな。

 僕が忘れているだけで、本当は重要人物だった可能性もある。

 さらに、少女は淡々と書き足す。

 

【お前はさっさとそこから出て来い。じゃなきゃ、殺す】

 

 急に物騒だな、おい。

 だが、黄金の瞳は乾いたまま、冗談の気配は一切ない。

 出てこないなら殺す――それが彼女のスタンスらしい。

 まあ、ある意味では分かりやすい。

 

 あのニヤニヤ笑って真意を明かさず、最後に美味しいところを全部掻っ攫っていく意地悪な悪魔より、よほど方針が明確だ。

 

【それから、お前は役立たずだが、一応伝えておく】

 

 少女は窓に張り付いたまま、またメモを書き殴る。

 

【教会が動き出した。多分、ヤバいことが起きる】

 

 “教会”。

 ヤバいこと。

 そして、この時期。

 頬を冷や汗が伝う。

 まずい。覚えがありすぎる。

 

【その中でのんびりしてる暇はないぞ。うかうかしてたら世界が終わる】

「……」

 

 少女の言葉が虚勢ではないことは、僕が一番よく知っている。

 ここでじっとしていれば、世界は終わる。

 どうしようもない災厄が訪れ、僕たちは何もできないまま負ける。

 全ての力を封じられて閉じ込められている――ことなんて、言い訳にもならない。

 これは絶対に防がなければならないのことなのだ。

 

 僕が、やらなくちゃいけないことなんだ。

 

【少しはマシな目になったか】

 

 冷たく乾いた黄金の瞳が、少しだけ優しく細められた気がした。

 

【せいぜい気張れ。私はケーキを食いながら待ってる】

 

 いや、アンタも働けよ。

 ――と叫びたいところだが、そんな不審な真似はできないし、何より現状は僕の方が働いていないので、肩を竦めるしかなかった。

 

 最後のメモが押し付けられる。

 

【お前に世界の命運が掛かっているなんて信じたくないが、仕方がない。期待しているぞ、地藤優斗。また来る】

 

 そう書き残し、少女は窓から軽やかに飛び降り、視界から消えた。

 僕は長い溜息をつき、監視カメラへ視線を向ける。

 あの少女に意思を伝えるため、随分とオーバーリアクションをしてしまったが……璃奈から見れば、ただ檻の中で情緒不安定に動き回る彼氏に見えていたのではないだろうか。

 恐ろしく不安になってくる。

 だが、考えたところでどうにもならない。

 

 深く息を吐き、僕はコントローラーを手に取った。

 

 ――世界の命運がどうであれ、今の僕にできることは一つだけだ。

 落ち着いて、次の一手を考えること。

 

「取り敢えず、ゲームしよ」

 

 そして、僕は次の一手を繰り出すべく、コントローラーのボタンを押した。

 

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