世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
人気のケーキ屋に集まった4人の男女。
十六夜蓮、十六夜唯、霧島レイ、ユリウス・ヴァン・アーデルハイト。
他に客がいないのをいいことに、店の奥の席を陣取る彼らは全員が同じ高校の制服を身にまとっており、ぱっと見は仲の良い友人グループにしか見えない。
だが、そこに漂う空気は仲良しとは程遠かった。
「……モンブランと、チョコレートケーキと……紅茶2つになります」
店員の格好をした赤髪・褐色肌の少女がお盆に乗せたケーキをぎこちない手つきで運び、蓮と唯の前に置く。
紅茶の種類はやはり覚えていないらしく、紹介は驚くほど雑だった。
注文した品が本当に合っているのかすら怪しいが――今の4人にとって、それはどうでもいい問題だった。
「じゃ、私はこれで――」
「「「「待(ちなさい)て」」」」
そそくさと逃げようとした少女を4つの声が呼び止める。
少女は肩をビクリと震わせ、ゆっくりと振り返った。
「一緒にケーキを食べましょうよ」
「貴女とはお話がしたくてしょうがないので」
「紅茶も持ってくるといい。――長い話になりそうだからな」
「……」
蓮は爽やかな笑顔で圧をかけ、
唯は強気な眼差しで射抜き、
レイは鋭い視線で睨みつけ、
ユリウスは柔和な笑みのまま何を考えているのか分からない。
赤髪の少女はしばらく固まった後、深く、深く、魂が抜けるような溜息をつき――
「ちょっと待ってろ」
観念したように、とぼとぼとカウンターへ戻っていった。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
少女がカウンターへ戻っていくのを確認すると、十六夜蓮はユリウスへ視線を向けた。
「――ところで霧島先輩、こちらの方は……?」
その問いかけで、レイはようやく思い出した。
ユリウスは“教会”から派遣されてきたエクソシストであり――十六夜蓮はともかく、十六夜唯にとっては天敵に等しい存在だということを。
胃がキリキリと痛む。
しかし、表情には出さず、レイは淡々と口を開いた。
「君たちも噂は聞いているかもしれないが、つい最近転校して来られたユリウス殿だ」
紹介されたユリウスは、優雅な所作で軽く頭を下げた。
「ユリウス・ヴァン・アーデルハイトと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「ご、ご丁寧にどうも。十六夜蓮と言います」
一般人とは思えない風格に、蓮は少し圧倒されながらも頭を下げた。
「ほう、貴方が十六夜蓮さんですか」
「俺のこと、知ってるんですか?」
「もちろんですよ。貴方は――」
そこでユリウスは一度言葉を切り、蓮の隣で子猫のように大人しく座っている少女へ視線を移した。
「――すいません。先に、そちらの美しいお嬢さんは、蓮さんの彼女さんでしょうか……?」
「いえ、妹です。ほら、唯。自己紹介を」
「十六夜唯と言います。どうぞよろしくお願いいたします」
兄に促され、唯はぺこりと頭を下げた。
「おや、妹君でしたか。これは失礼いたしました」
「お気になさらず。唯とは、外見上はあまり似ていないですからね」
「性格も似ていませんしね」
「こらっ、唯」
皮肉げに唇を吊り上げる唯を、蓮が軽く叱る。
そのやり取りを見て、ユリウスは“確かに兄妹だな”と内心で納得した。
「ちなみに、唯さんは“信仰”をお持ちですか?」
「信仰? 宗教ということですか? 特にないですが……」
「あぁ、いえ、そういう意味ではなくて……」
ユリウスは困ったように頬を掻き、助けを求めるようにレイへ視線を送った。
すぐにその意図を読み取ったレイは、静かに口を開く。
「その点は問題ありませんよ、ユリウス殿。彼女は“こちら側”のことをよく知っています。――我々、
そう言って、レイは唯へアイコンタクトを送った。
「ッ!」
唯の表情が一瞬だけ強張る。
しかしすぐに、何事もなかったかのように無表情へ戻った。
悟ったのだ。
ユリウスの正体を、そして――自分の正体を軽々しく明かしてはならないということを。
「なるほど。まぁ、身内にエクソシストがいるのであれば、自然とこちらの世界に巻き込まれてしまうのも必然と言えるかもしれませんね……では、彼女の前でも引き続き話はしていいということでよろしかったでしょうか?」
「はい。問題ありません」
「それは良かったです。では、遠慮なく――」
ユリウスは流れるような動作で、蓮の手を取った。
「……ん?」
「――お会いしたかったです。十六夜蓮さん」
「はい?」
蓮はぽかんと首を傾げた。
目の前では、エメラルドのような瞳を輝かせた奇跡的美貌の少年が、まるで宝物でも扱うように蓮の手を握っている。
「血の迷宮を攻略した際の報告書、読ませていただきました。土壇場で己の力を覚醒させ、万を超える死霊の軍勢を蹴散らし、血の大公を討伐した若き英雄――まさか、こんな形でお会いできるとは」
「は、はぁ……」
蓮は困惑しきっている。
その横で唯は「何が起きてるの?」と言いたげに目を瞬かせていた。
「ずっとお会いしてみたかったんです。突如奇跡を成し遂げた新たなる才能の芽吹きが、どのような殿方なのか、知りたくて」
ユリウスは蓮の全身を舐めるように視線で追い、うっとりとした表情で満足げに頷いた。
「――素晴らしい。予想以上ですよ、これは」
「……なにが?」
唯が首を傾げる。
蓮は、ねっとりとした視線を浴び続けたせいか、急に寒気がして首筋を押さえていた。
「えーと、ユリウス殿?」
レイが恐る恐る声を掛けると、ユリウスはハッと我に返り、慌てて手を離した。
「ゴホン! 失礼いたしました。同じエクソシストとして、感銘を受けていた方にお会いできたので、つい昂ってしまいまして……」
頬を赤く染め、恥ずかしそうに弁明するユリウス。
場の空気が微妙に固まりかけた、その時――
ドンッ。
テーブルの上に、巨大なホールケーキが置かれた。
「……お前ら、ケーキ食わないのか?」
紅茶までしっかり持参した赤髪褐色肌の少女が、小首を傾げながら堂々と席に着いた。
「食わないなら、私が食うぞ」
「「「「……」」」」
4人は顔を見合わせ、とりあえず美味しそうなケーキと紅茶に手を伸ばすことにした。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
「――それで、お前は何者なんだ」
食事もひと段落したところで、霧島レイは改めて赤髪褐色肌の、名も知らぬミステリアスな少女へ切り出した。
他の面々も同じ疑問を抱いていたのか、視線が一斉に少女へ向けられる。
ホールケーキを満喫していた少女はフォークを止めて顔を上げ、淡々と答えた。
「言えない」
「言えないって……」
「“契約”でそうなっているんだ。来るべきその瞬間まで、私は自分の名前を名乗れない」
「……」
“契約”という言葉の重さはここにいる全員が理解している。
少女の言葉が真実かどうか確かめる術はないが、契約を理由に名乗れないという背景を考えれば、これ以上踏み込むのは得策ではないと判断し、話題を変えることにした。
「それじゃあ、君の目的を教えてくれないかい?」
柔らかい口調で問いかけたのは唯一この少女と面識があり、このケーキ屋で会話を交わしたことのある十六夜蓮だった。
少女はちらりと蓮に視線を向け、紅茶を一口飲んでから答える。
「お前にはもう教えただろう」
「……本当に、あれだけが目的なのかい? 君にはその先の目的があって、そのために俺を利用しようとしているだけなんじゃないのか?」
「……」
鋭い指摘に、少女は言葉を失った。
「あの、兄さん。先程からこちらの女性にお会いされていたような口ぶりですが……何があったのですか?」
自分が知らないところで兄が他人と会って話していたことに不安になった唯が不安そうな表情で尋ねる。
蓮は皆がいるこの場で話してしまっていいものか迷ったが――逆に皆がいるこの場で話しておくべきだと判断し、赤髪褐色肌の少女に視線を向けながら口を開いた。
「……実は、前にもこの人と、このケーキ屋さんで会ったんだ。そして、ある話をされた」
「ある話……?」
「優斗に関することだ」
「「「ッ!」」」
十六夜唯、霧島レイ、ユリウス――三人の表情が一斉に変わった。
蓮は静かに告げる。
「この少女の話によれば……優斗は、天羽の屋敷に監禁されているらしい」
「……はぁ⁉」
最初に声を上げたのは唯だった。
「ちょっと、急に何を言うんですか兄さん。あの先輩は心の病に掛かってしまって自宅で療養中なんですよ? ……まぁ、その自宅が天羽先輩の家なのは置いておくとして、そんな状態の先輩に“監禁”なんて表現は失礼じゃないですか」
驚きと怒りが入り混じった表情で、唯は兄に食って掛かる。
「そうだ。どちらかといえば、天羽がユウトの看病をしていると言った方が適切ではないか? 私は心の病に詳しくはないが、当人たちにしか分からない距離感というものがあるはずだ。干渉し過ぎるのは良くないだろう」
天羽璃奈から同じ話を聞いていたレイも、唯に同調した。
彼女にとって地藤優斗は――会いたくて仕方がないのに、会ってはならない存在なのだ。
だからこそ、軽々しく“監禁”などと言われると反発したくなる。
二人の少女が食って掛かり、場の空気が少しひりついたその時――
「……檻の中に閉じ込められていて、助けを求めていてもか?」
黙々とホールケーキを片付けながら状況を俯瞰していた赤髪の少女が静かに、しかし鋭く口を開いた。
「それは一体、どういう意味ですか?」
唯は鋭い視線を少女に向けながら問い掛ける。
その瞳に黄金が少し入り混じったのを見た赤髪褐色肌の少女は一瞬ギョッとした表情を浮かべたものの、すぐに無表情に戻り、唯の問いに答えた。
「そのままの意味だ。私は、天羽璃奈の屋敷で見た。檻の中に閉じ込められて、外に助けを求めている地藤優斗を」
「……それは本当に、確かな情報なのか?」
嘘は許さない。そんな目で霧島レイが問いかける。
嘘であってくれ。そんな内なる願いを籠めながら。
「確かな情報だ。“契約”を結んだっていいぞ」
己の名を契約で縛られている赤髪褐色肌の少女は淡々と答えた。
その黄金の瞳に揺らぎはなく、声の響きは彼女の本心に偽りがないことを示している。
暫く少女の表情をじっと観察していた霧島レイだが、やがて静かに視線を逸らした。
「……名前も名乗れない相手のことを信用しきったわけではないが、そこまで言い切るのであれば事実である可能性は高いな。それに、私たちの眼で確かめに行けば、虚偽かどうかはすぐに分かる」
「その通りだ。お前らで見に行けばいい」
己の発言に自信を持っている少女はレイの発言に頷き、淡々と提案を口にする。
全員が見に行ったところで事実なのだから問題はない――どころか、それを確かめる為に全員で見に行くべきだ。
そこまで言い切られてしまうと、なかなか反論の言葉は出てこない。
レイは深いため息をついた。
「……では、名も知らぬ少女よ。貴女の発言を一旦真実だと仮定して話を進めようと思う。問題は、どうして貴女がそれを知っているのか。そして、どうして天羽はそんなことをしたのか、だ」
「一つ目は簡単に答えられる。私が屋敷の2階にまでよじ登って確認したからだ」
「それが問題なんじゃないんですか……? 普通に不法侵入ですよね……?」
強気な発言が多く、天然で世間一般からズレているところもあるが、根は真面目で常識人な唯が戸惑いながらツッコミを入れる。
「緊急事態だった。仕方がなかった」
少女はケーキを食べながら堂々と犯罪行為を正当化した。
「……Ms.天羽ほどのエクソシストともなれば、自宅には結界を張っているはずです。貴女はその結界を突破したということですか?」
これまで黙って見守っていたユリウスが穏やかな口調で少女に尋ねる。
少女はちらりとユリウスを見て、微かに眉をひそめた。
「一層だけなら突破できた。残りは無理だ。奴に気付かれる。だから、窓の外から地藤優斗を見つけても、救出はできなかった」
「なるほど。一層までは気付かれることなくすり抜けることができると。貴女はなかなか優秀な悪魔のようですね」
「そうだ。私は優秀だ」
少女は胸を張って言い切った。
「……貴女が天羽邸に侵入した経緯は一旦置いておくとして、次にどうして天羽がそんなことをしているのか、についてだが――」
「いや、それは問題じゃないだろ」
レイが話を進めようとした瞬間、少女があっさり否定した。
イチゴを手に取り――何故か周囲を警戒している。
「問題じゃないというのはどういう意味だ? 少なくとも、状況を考察する意味はあると思うのだが……」
「ない。だって、地藤優斗を助けて全部聞きだせばいい話だろ」
「……」
「真実を知りたいなら、やることは一つ。天羽璃奈の家に、全員で殴り込みを掛けるんだよ」
少女はイチゴをぱくりと口に放り込み、心なしか表情を緩ませながら断言した。
「いや、殴り込みって……そんな、何でもかんでも力で解決しようだなんて、どうかと思います。暴力はメッ!ですよ」
「……」
“暴力で解決する”――の代名詞みたいになってしまった妹から飛び出た発言に、自覚がないのか成長したのか判別がつかず、蓮は微妙な表情を浮かべた。
「じゃあ、話し合いをすればいい。あの天羽璃奈と。話し合いになれば、だけどな」
「それは一体どういう意味だ……?」
「お前ら、友人なのに気づいてないのか?」
少女は呆れたように溜息をつき、静かに言葉を続けた。
「アイツ、
「な、なんてことを言うんですか!」
義憤に駆られた唯が、勢いよく席を立った。
顔は真っ赤で、怒りと動揺が入り混じっている。
「天羽先輩が狂ってるだなんて、なんて失礼な! 天羽先輩が壊れているなんて、そんなことはありません! 天羽先輩! 天羽先輩、は……天羽先輩はぁ…………」
唯は天羽璃奈の顔を思い浮かべた。
自分を見つめる、あの冷たい目。
紫の光を宿した、底知れない冷酷さ。
「天羽、か……」
霧島レイもまた、天羽璃奈の姿を思い出していた。
血の迷宮で見た、あの“愛の化身”のような異様な姿。
地藤優斗に近づくだけで鬼のように変貌する、あの異常な執着。
「Ms.天羽、ですか……」
ユリウスはつい最近の会話を思い返す。
淡白というより冷酷に近い態度。
恋人以外はどうでもいい――そんな極端な価値観を隠そうともしない少女。
そして三人は、同時に同じ結論へ辿り着いた。
「「「まぁ……ある、なぁ……」」」
天羽璃奈。
多分、ある。
「やっぱり、そうなるかぁ……」
蓮は額を押さえ、深く首を振った。
悲しいような、やるせないような、複雑な感情が胸に渦巻く。
「ほら、あるだろ? そんな狂人を説得できる自信があるならいいが……ないなら、正攻法以外でいくしかないだろ」
少女の淡々とした言葉が、妙に重く響く。
レイは腕を組み、深く考え込んだ。
皆の見解が一致した通り、天羽璃奈は正常ではない。
少なくとも、精神のどこかに深刻な異常を抱えている可能性が高い。
そんな彼女と同じ家に住んでいる地藤優斗が、
今どんな状況に置かれているのか――考えれば考えるほど、赤髪少女の言葉が真実味を帯びていく。
「……私は、行くべきだと思う」
重たい沈黙を破ったのは、レイだった。
真っすぐに仲間たちを見つめ、その瞳には揺るぎない決意が宿っている。
「ただし、“殴り込み”というわけではなく、あくまでも対話重視で天羽邸に赴き、彼女としっかり話をするべきだと思う」
「話が通じなかった場合は……?」
「その時は、仕方がない。彼女自身のためにも、一度無力化を図らせてもらう」
きっぱりと言い切ったレイは、もう一度仲間たちを見渡した。
「無理にとは言わない。だが、付いて来てくれるのであれば、これほど心強いことはない。――どうか、私に手を貸してくれないだろうか? 頼む!」
レイはテーブルの上で深く頭を下げた。
艶やかな銀髪がさらりと流れる。
蓮はその姿を見て、そっと口を開いた。
「水臭いこと言わないでくださいよ。優斗は俺の友達です。頼まれなくても行きますよ。……っていうか、元は俺に依頼されたことでしたしね」
ミステリアスな少女へちらりと視線を向けながら、蓮は力強く答えた。
「まったく、あの先輩はいつでもどこでもトラブルに巻き込まれますねぇ……ま、気が乗りましたし、暇つぶしに私も同行しますよ」
ふん、とそっぽを向きながらも同行を表明する唯。
「2人とも……ありがとう」
「そんな、頭を下げないでくださいよ、霧島先輩」
「そうですよ。私たちは、先輩の様子を見に行くだけの暇人ですから」
レイは再び深々と頭を下げた。
蓮と唯は慌てて「気にしないでください」と声を掛ける。
「――おや、僕にはお誘いいただけないのですか?」
ユリウスが柔らかく微笑みながら口を挟んだ。
「ユリウス殿……来ていただけるのですか? 貴方が来ていただけるのであれば、間違いなく百人力ですが……」
レイは思わず身を乗り出した。
先ほど目の当たりにしたユリウスの実力を思えば、彼が加わるのは心強いどころではない。
「もとはと言えば、Ms.天羽の暴走が起因のようですし、“教会”のエクソシストとして、一度状況を確認しに行く必要があるかと思われます。同行に問題はありませんよ。それに――」
ユリウスは瞳に熱を宿し、わずかに頬を紅潮させながら言った。
「――地藤優斗さんに、直接会えるんですよね?」
レイは内心で頭を抱えた。「しまった。そういえば、コイツはそういう奴だった――」と
断っても勝手についてきそうな勢いだ。
先行きに不安はあるが、それでも彼の力は必要だと判断し、レイは頷いた。
「では、行こうか。皆で、天羽璃奈の屋敷へ」
「はい」
「分かりました」
「えぇ」
レイの言葉に、仲間たちは次々と賛同した。
その様子を見て、赤髪褐色肌の少女は深く頷き、グッと力強いガッツポーズをした。
「がんばってこい」
「「「「お前(貴女)も行くんだよッ‼」」」」
4人の声が重なった。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
思い立ったが吉日――その言葉通り、5人はその日のうちに行動を開始した。
赤髪褐色肌の少女のアルバイト先であるケーキ屋が閉まるのを待ち、「行きたくない」と駄々をこねる少女を半ば引きずるようにして、全員で天羽邸を目指すことになった。
夜遅くの訪問というのは、常識的に考えれば避けるべき時間帯だ。
だが、すでに事態は常識を軽々と飛び越えている。迅速に動く以外の選択肢はなかった。
5人はぽつぽつと雑談を交わしながら歩き、やがて天羽邸の前へと到着した。
「相変わらず、立派なお屋敷ですねぇ」
一度(優斗目的で)訪れたことのある唯は、二階建ての立派な洋館を見上げてしみじみと呟いた。
「あぁ。幾らするんだろうな」
苦労人ゆえに貧乏性が染みついている蓮は、到底価値の測れない豪邸を前に、庶民的な感想を漏らす。
「土着のエクソシストは地主でお金持ちの方が多いですからねぇ。天羽家は名家ですし、相当な資産をお持ちだと思いますよ」
「羨ましい限りだな。……さて、押すぞ」
お金の話をさらりと切り上げたレイが後ろの面々を振り返って確認する。
赤髪褐色肌の少女を除いた全員が頷いたのを見て、レイはそっとチャイムを押した。
乾いたインターフォンの音が夜に響く。
「……出てこないな」
数分待っても反応がない。
レイはもう一度インターフォンを押したが、やはり応答はなかった。
「何をもたもたしてるんだ。さっさと入って用事を済ませよう」
「日本の法律ではそれは許されていないんだ。取り敢えず、天羽に連絡してみるから少し待ってくれ」
勢いでここまで来てしまったため事前に連絡していなかったことを悔やみつつ、レイは慌てて携帯を取り出し天羽璃奈へ連絡を試みる。
だが――ここには、日本の常識どころか、人間界の常識すら理解していない少女がいた。
「じれったいな。私は先に行くぞ」
「ちょ、ちょっと!」
赤髪褐色肌の少女は、軽々と門を飛び越えた。
まるで勝手知ったる我が家と言わんばかりの堂々とした足取りで、敷地の奥へと進んでいく。
焦った唯が周囲を見回しながら声を掛けるが、少女は振り返って小首を傾げた。
「地藤優斗に会いたいんだろ? 来ないのか?」
「いや、でも……」
「お前にとって、地藤優斗はその程度の存在なのか?」
「――――」
挑発めいた言葉に、唯の眉がピクリと跳ね上がる。
蓮が「あっ、まずい」と止めようとしたが、もう遅かった。
「うっ……い、行きますよ! 行けばいいんでしょう⁉」
「あっ、おい唯!」
勢いに流されやすい唯は鼻息荒く門を飛び越え、どすどすと足音を立てながら少女の背中を追いかける。
当然、無鉄砲な妹を放っておけるはずもなく、蓮もまた門を飛び越えてその後を追った。
「こらっ! 待て、お前たち……!」
年長者であり、気質的にもリーダーであるレイが声を上げるが、やんちゃな少年少女たちは凄まじい速度で視界から消えていった。
「まったく、あいつら……」
レイは呆れたように深いため息をつき、隣にいるもう一人の常識人枠(と思われる)ユリウスへ視線を向けた。
「こうなっては仕方ありません。我々も行きましょう、ユリウス殿」
「……」
「ユリウス殿?」
「あ、あぁ、すいません。ただ、少し……見覚えのある気配を感じたもので……」
ユリウスはどこか困惑したような表情で天羽邸を見上げていた。
その瞳には、懐かしさとも警戒ともつかない微妙な色が宿っている。
だが、すぐに迷いを振り払うように首を振り、いつもの柔和な笑みを浮かべた。
「僕たちにはエクソシストとしてやってきたという免罪符もありますし、これに便乗してお邪魔しちゃいましょう」
「はい。……彼女たちには、これが終わってからきっちり言い聞かせておきます」
「ハハハ、ほどほどにしてあげてください」
不真面目な生徒を見つけた教育熱心な教師のような目をするレイを宥めながらユリウスは軽やかに門を飛び越え、敷地内へ侵入した。
レイもまた周囲の認識を逸らすために外側から結界を展開し、そのままユリウスの後に続いて敷地へ入る。
長い正面の廊下を左へ折れ、側面へ回り込むと――先行した3人が揃って上を見上げていた。
「あそこだ。あそこの窓から地藤優斗が見える」
赤髪褐色肌の少女が、二階の窓を指さして言った。
「そうですか。……えっ、素手でよじ登って張りついて見ていたんですか?」
「そうだ。こんな感じでな」
「あっ、ちょ、ちょっと!」
少女は壁の突起に手を掛けると、慣れた手つきでスイスイと登り始めた。
その動きはまるで野生動物のように軽快で、あっという間に窓の前へ到達すると、べったりと頬を張りつけて中を覗き込んだ。
「なんていうか……へばりつくって感じの覗き方ですね」
完全に不審者にしか見えない姿に、唯は引き気味の声を漏らす。
「あぁ。しかし、あの窓のサイズとこの壁のスペースだと覗き込めるのは彼女だけだな」
エクソシストの手前、死王女の力を使えない唯を除けば、ここにいる4人は身体能力的には同じことができる。
だが、窓周りのスペースが狭すぎて、他の者では張り付く余地がなかった。
「どうですか? 優斗は見えますか?」
「……」
蓮が下から問いかけるが、少女は返事をしない。
まるで張り込み中の刑事のように、じっと中を見つめている。
「どうしたんでしょうか? 様子が変ですね」
「じっとしていないで、状況を教えてくれ」
唯が小首を傾げ、レイが呼びかける。
やがて、窓にへばりついていた少女はゆっくりと顔を離し、下へ視線を向けた。
「……まずいぞ。アイツ、変だ。いつも変だけど、今日はもっと変だ」
少女の言葉に、レイと唯は狼狽した。
動揺が走る中、少女は再び窓へ張りつき、状況を伝える。
「いつもは窓の方を気にしていて、音が聞こえなくても私が来たら気づくのに、今日は座り込んで床を見つめてる。なんだあれ? 落ち込んでんのか? いつもふざけてるのに、今日はちょっと変だ」
ちなみに、地藤優斗は少女の前でふざけたことなど一度もないのだが……少女の中では、地藤優斗=ちょけたおふざけ少年という謎の認識が出来上がっていた。
「この忙しい時に困る。……にしても、天羽璃奈が見当たらないな。インターフォンにも出なかったし、出掛けてるのか?」
「――すまない。そこをどいてくれ」
「うぉッ⁉」
突如背後から凛とした声が響き、少女は慌てて振り向いた。
そこにはいつの間にか銀色の翼を背中から生やし、空中に浮かぶ霧島レイの姿があった。
「お前、飛べたのかよ……」
少女が呆れたように呟くが、レイは答える余裕もなく、翼を器用に動かして窓へ近づいた。
「ユウトがどうしたんだ?」
レイは緊迫した表情で、窓の中を覗き込もうとする。
「ちょ、ちょっと待てよ! 分かったって。どくから……」
少女は呆れたように肩をすくめつつ、壁から壁へとパルクールのように軽やかに移動し、レイのために窓前のスペースを空けた。
「ユウト……ッ!」
レイが窓から中を覗き込んだ瞬間、その表情が凍りついた。
部屋の中央には、黒々とした異質な檻。
その中に――彼女が会いたくて仕方がなかった少年、地藤優斗がいた。
だが、彼は俯いたまま動かない。
柔らかな笑顔が印象的だった彼の面影は薄れ、まるで大切な何かを失ったような、深い影がその背中に落ちていた。
少女が「変だ」と評した理由が、レイにも一瞬で理解できた。
「ユウト! 私だ! レイだ! どうしたんだ⁉」
レイは焦りのまま窓を叩き、声を張り上げる。
だが――優斗は微動だにしない。
「無駄だ。この屋敷には防音結界が張られている。声は通じない。だから私はメモ帳を使ってやり取りしてた。……顔も上げられないんじゃ、それも出来ないけど」
「ッ!」
少女の説明に、レイは悔しげに唇を噛んだ。
そして、窓から距離を取り――刀を抜いた。
「お、おい。何をする気だ……?」
「こうなったら仕方がない。力づくで突破する」
レイの瞳は完全に据わっていた。
刀身には霊力が渦巻き、今にも結界ごと叩き斬らんとする気迫が溢れている。
「ちょっと待て! 生半可な攻撃じゃ天羽璃奈に気づかれて厄介なことになるぞ! だいたい、この結界は相当な強度で――」
「私に破れないとでも?」
「地藤優斗に当たったらどうすんだよ!」
「ッ!」
その一言で、レイの霊力が一瞬で霧散した。
彼女はハッとした表情を浮かべ、刀を下ろす。
少女は胸を撫で下ろしながら説明を続けた。
「どういう仕組みか知らないけど、色んな能力を持ってる地藤優斗が外に出られていないってことは、あの檻自体に仕組みがあるんだと思う。つまり、アイツは今、不死じゃない可能性がある。だから――」
「……リスクのある攻撃は撃てない、と」
レイは悩ましげに溜息をついた。
彼女は優れたエクソシストだが、持ち技は広範囲殲滅型が多い。
それはエクソシストとして当然のことで、人員不足の中で複数の悪魔を一人で相手にするため、自然とそういう技構成になってしまうのだ。
「少なくとも、確実にこの結界を突破するだけの威力がありつつ、しかし絶対にユウトには当たらない……そんな都合のいい力を持つ存在なんて――」
いない。
普通なら。
「――やれやれ、仕方がない先輩ですね」
その時、地上から凛とした声が響いた。
この場で唯一“普通の少女”ということになっている十六夜唯の声だった。
「Ms.唯……?」
「貴方に“唯”と呼ぶことを許したつもりはありませんが……まぁ、十六夜というのも呼びにくいですし、兄とも被りますからいいでしょう」
飄々とした口調のまま、唯は静かに前へ歩み出る。
「唯……いいのか?」
妹の背中に向けて蓮が問いかける。
唯は振り返らず、淡々と答えた。
「いいですよ、別に。貸しはきっちり利子を付けて返してもらいますから」
そして、唯は窓を見上げ、軽く地を蹴った。
ふわり、と身体が宙へ浮かぶ。
制服の裾が揺れ、次の瞬間――黒い魔力が彼女の身体を包み込み、黒衣へと姿を変えていく。
レイと同じ高度に達した時、唯の姿は“少女”ではなくなっていた。
黒衣はドレスのように揺れ、瞳は赤と黄金の二色に輝き、その身から放たれる魔力は、まるで世界そのものを支配する“王”のそれ。
圧倒的な威圧感に、赤髪少女は目を見開き、地上ではユリウスが呆然と口を開けていた。
唯は静かに右手を伸ばし、人差し指で窓を指す。
そして――
「――
その瞬間、指先から放たれたのは、魔界随一の破壊力と、唯一無二の“精度”を誇る絶対の一撃。
天羽家が代々積み上げてきた結界はまるで紙細工のように粉砕され、壁ごと跡形もなく吹き飛んだ。
だが、破壊されたのは壁だけであり、檻にはその余波すら届いていない。
神業――その言葉すら生ぬるいほどの精度だった。
呆気にとられる周囲をよそに、唯はふわりと室内へ着地する。
カツ、カツ、とヒールの音を響かせながら檻へ歩み寄り、深い絶望に沈んだまま俯く優斗を見下ろす。
「先輩」
静かに、しかし確かに届く声で呼んだ。
思えば、唯の声は絶望的な状況に追い込まれた地藤と共にあった。
死王女に殺され続けていた時。
血の迷宮で大公に歯が立たず、心が折れかけた時。
優斗は、彼女の名を叫んで助けを求めていた。
だから――
「……唯、ちゃん?」
絶望の中に響く凛とした声に身体が反応し、優斗がゆっくりと顔を上げた。
酷い顔だった。
生気を失い、魂が抜け落ちたような、
今にも消えてしまいそうな表情。
だが、唯は、そんな彼を見ても眉ひとつ動かさない。
むしろ、いつものように皮肉げに唇を吊り上げた。
「やれやれ、全く。世話の焼ける人ですね」
その声音は、呆れと、ほんの少しの安堵と、嬉しさが混ざっていた。
そして、いつかと同じように。
最強の援軍は、絶望の檻に囚われた少年へ向けて、
女王のように堂々と、しかし少女らしい優しさを滲ませながら――
「迎えに来ましたよ」
そう告げた。