世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
屋敷の壁を堂々と破壊して現れた十六夜唯。
その姿を目にした地藤優斗は目を大きく見開き、唖然と口を開いていた。
普段の飄々とした雰囲気はどこにもない。
「やれやれ……どういう顔ですか、それは」
唯は肩を竦め、呆れたように笑った。
普段ならここで何かしらの反撃が飛んでくるところだが――地藤は蝋人形のように固まったまま口を動かそうとしない。
唯は小さく溜息をついた。
「ここで皮肉の一つも言わないあたり、随分と重傷のようですね。……まぁ、そこら辺の話はこれからじっくりと聞かせてもらうとしますか」
「――えぇ。僕も色々とお聞きしたいことがあります」
女王のように君臨する唯の背後から響く鋭い声が響いた。
唯はちらりと視線だけを後ろへ向ける。
「話をするのはいいですが――」
そしてすぐに地藤へ視線を戻し、興味なさげに告げた。
「――先にその槍は下ろしてください。無礼ですよ」
「無礼は百も承知です。ですが、僕もエクソシストなものでして……かの死王女を前に、臨戦態勢を取らないわけにはいかないのですよ」
唯の首元に突きつけられた銀色の槍の矛先。
ユリウスは緊張を滲ませた硬い声で、最強を誇っていた四騎士の名を呼んだ。
「ふむ。職務に忠実なことで結構ですが、自分の命は大切にされた方がいいですよ。……最後の忠告です。その槍を下ろしなさい。私はエクソシストに二度も慈悲を掛けるつもりはありません」
「……」
唯の言葉は冗談ではない。彼女はエクソシストに対して容赦などしない。
根がどれほど純粋な少女であろうとも、彼女は既に己の中に住まう“魔”と手を取り合うことを決めた逸脱者であり――覚悟を決めた一人の戦士なのだ。
しかし、だからといって早々に槍を下ろすわけにもいかないのがユリウスだ。
エクソシストとして悪魔と戦い、師よりその槍を下ろすなと教えられてきた。
悪魔に脅された程度で易々と従うわけにはいかない。
「……ユリウス殿。槍を下ろしてください」
だからこそ、その声はユリウスに小さくない衝撃だった。
彼に声を掛けたのは白銀の霧から実体化した霧島レイである。
彼女は同僚であるユリウスの肩に手を置き、冷静な声で告げた。
「……本気ですか、Ms.レイ。本気で、四騎士を前に武器を下ろせと?」
「はい。そう言っています」
「ッ! 僕たちはエクソシストなんですよ⁉ その意味が分かっているのですか⁉」
「分かっています。その上で申し上げている」
淡々と告げるレイ。
暫く睨み合っていた両者だが、やがてユリウスの目に失望の色が浮かんだ。
「……なるほど、とっくに貴女も堕ちてしまっていたということですか」
「別に悪魔の軍門に下ったというわけではありませんよ。ただ、状況を見極めるべきだと申し上げているのです」
「……というと?」
レイはちらりと唯へ視線を向け、静かに言った。
「武器を構えることに意味がないと言っているのです。彼女がその気になれば、我々などとっくに殺されているのですから」
「ッ!」
ユリウスは唾を呑み込んだ。
レイの言葉は、残酷なほど正しい。
十六夜唯はその気になれば、ここにいる全員を一瞬で殺せる――瞬殺できる。
それだけの力を有している。
逆に言えば、その力が振るわれていないことこそが奇跡なのだ。
「彼女は武器さえ下ろせば、攻撃しないと言っている。おまけに、あれしろこれしろとも言っていません。ただ、この場を中立地帯にしたいだけなのです。――そうだよな、ユイ」
「……勝手に仕切られていることに対して言いたいことはありますが、概ね霧島先輩の言う通りです。私は別に、ここで戦争を始めるつもりはありませんよ。貴方が無礼を働かない限りは」
「……」
武力的には間違いなく最上位の存在でありながら、下位の存在であるはずの霧島レイと先輩後輩の関係を続ける唯。
その奇妙な関係性に、ユリウスは目を白黒させていた。
「混乱するのは分かりますが、ここは何とか矛を収めていただけませんか? 第一、俺たちの目的は別にあるんですから」
そこへ、壁をよじ登ってきた蓮が畳み掛けるように声を掛けた。
ユリウスは怪訝な表情で振り返り、蓮の青い瞳を見つめる。
「……あなたは、自分の妹が災厄の四騎士であることを知っていながら、それでも彼女を“妹”と呼ぶのですか?」
「もちろん」
十六夜蓮は揺らぎない声で断言した。
「四騎士とか、死王女とか、色々物騒なことは分かっている……ようで何も分かっていない俺ですけど、でも断言できます。唯は俺の妹です。何があろうと、絶対に」
「……」
背中を向けている唯の黒衣がパタパタと揺れた。
風の悪戯かもしれないが、どこか嬉しさを隠しきれない犬の尻尾のようにも見えた。
「……はぁ、納得できたわけではないですが、分かりました。この場は矛を収めさせていただきます。……第一、悪魔なら他にもいるわけですしね」
槍の矛先を下ろしたユリウスはチラリと背後に視線を向けた。
そこには、破壊された壁の隙間から顔を覗かせている赤髪褐色肌の少女がいた。
「……私は悪魔じゃないぞ」
「これで悪魔じゃなかったら僕はエクソシストを引退しますよ」
呆れたような声で言いながら、ユリウスは視線を室内の黒い檻と――その中に囚われた少年に向けた。
「――さて、色々とお待たせしてしまって申し訳ありませんでした。貴方が……地藤優斗さんですね?」
「……」
檻の中の優斗は、やつれきった顔で集まった面々を見渡し――
力なく、しかし確かにコクリと頷いた。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
少し、予想と違ったな――。
それが、地藤優斗を初めて見たユリウスの率直な感想だった。
雰囲気は凡庸そのもの。
苛烈な意思やカリスマ性は感じられず、どこにいても中立を保っていそうな、柔らかい空気を纏っている。
顔立ちは整っているが、派手さはない。
身体つきも引き締まってはいるものの、決してマッチョではない。
どこにでもいそうで――しかし、どこにいても少し浮いていそうな、不思議な存在感。
それが、ユリウスの目に映った地藤優斗だった。
(あれほど完璧なMs.天羽が惚れ込む存在と聞いていましたので、さぞかし凄まじい殿方なのだろうと予想していたのですが……逆に驚きましたね)
これまで数多の人物と出会ってきたユリウスだが、その彼の目から見ても“天羽璃奈”という少女は頭一つ抜けた存在だった。
その容姿、その能力――どれも過不足がない。
性格的に尖った部分はあるが、それを差し置いてもそのスペックは驚異的だ。
五角形の能力分布図があったとして、オールステータス満点と言っていい。
だからこそ、ユリウスは期待していた。
あれほど完璧な天羽璃奈がベタ惚れする彼氏とは、一体どれほどの傑物なのか、と。
もしかすると、完璧という言葉すら超越する存在なのでは――そんな期待を抱いていたのだ。
だが現状、地藤優斗はユリウスが勝手に積み上げたスカイツリー並みのハードルを飛び越えるには至っていなかった。
(……いつもの悪い癖だな。勝手に人に期待して、勝手に失望する)
地藤優斗という少年は、正しく“平凡”――もしくは、そこから少し逸れた程度の存在だった。
おまけに今は心理的に追い詰められているのか、覇気がなく、顔色も悪く、やつれて見える。
本来の魅力があったとしても、半減してしまうだろう。
(とはいえ、逆にこれで良かったのかもしれないな。死王女に、謎の悪魔の少女……仕事に集中しないと、いつ死んでもおかしくない)
この屋敷に集まった面々の濃さは尋常ではない。
百戦錬磨のユリウスでさえ動揺を隠せないほどの、前代未聞の状況だ。
余計な趣味に現を抜かしていたら、あっさりと命を落としかねない。
現実を直視したユリウスは、己の中のスイッチを静かに切り替えた。
「――で、この檻はなんですか先輩。見た目のわりに中は随分と快適そうですが……人間からウサギに転職されたんですか?」
檻を眺め、さらに中に置かれたテレビやソファーを見て、唯は唇を歪めながら皮肉を飛ばした。
檻の中の地藤は、輝きを失った(元からそんなに輝いてはいなかった)黒い瞳で唯を見上げ、か細い声で答えた。
「……璃奈が用意したんだ。彼女が……いや、僕のせいだな。僕が彼女を不安にさせてしまったから、こうなったんだ」
要領を得ない返答に、唯は眉をひそめる。
「どうやら、本当に重症のようですね……。まぁ、細かい話はここを出てから聞きます。ここ、どうにも居心地が悪いので」
気味悪そうに屋敷を見回しながら、唯は右手を宙に掲げた。
黒い魔力が渦巻き、物質化していく。
やがて彼女の手には剣ではなく、大きな黒色の棍棒――というか、
「お、おい、唯」
「皆さん、下がっていてくださいね」
嫌な予感しかしない蓮が声を上げるが、時すでに遅し。
唯はやる気満々で棍棒という名のバットを振りかぶり――
「この檻、ぶっ壊しますからッ!」
――全力で振り抜いた。
触れるだけで全てを死滅させる死王女の権能で作られた漆黒のバット。
当然、蓮たちにとっては最上級に恐ろしい凶器だ。
蓮たちは反射的に頭を抱え、全力で回避行動を取る。
そして、唯の全力スイングは檻に直撃し――
「うぇッ⁉」
バットが球を弾いたのではない。
球がバットを弾いたかのように。
「「「ドわあああああああああああああああああ――⁉」」」
慣性の法則に従い、跳ね返った“死のバット”は、唯の背後にしゃがんでいた面々へ一直線に向かっていく。
凶器というには可愛らしく、偶然というには凶悪すぎるタイミングで飛来した“死”の塊から逃れるべく、3人は恥も外聞も捨てて全力で散開した。
幸い、3人の反応が素早かったこと、そして唯が咄嗟にバットを霧散させたことで、このギャグじみた惨劇に死傷者は出なかった。
「ゆ、唯!」
「ご、ごめんなさい~!」
今年に入って一番死にかけた蓮は、当然の権利として妹に怒りの声を上げる。
一方、完全に自分が悪いと理解している唯は、目をぐるぐる回しながらぺこぺこと頭を下げていた。
「これが、死王女……?」
エクソシストとしての常識を強く持つユリウスは、ただただ困惑することしかできない。
その肩をポンポンと叩きながら、レイは口を開いた。
「しかし、死王女の力でも突破できないとは……この檻は何で出来ているんだ?」
死王女の攻撃力は魔界随一だ。
弱体化した現在でもここにいる全員を瞬殺できるだけの力を持っている。
だというのに――唯のフルスイングを受けたにも関わらず檻には傷一つついておらず、それどころか彼女の攻撃を弾いて見せたのだ。
尋常なことではない。
「くっ……! せっかく私の見せ場が回って来たと思ったのに、これでは格好がつかないじゃないですか……! ……ん? どうしたんですか、モルヴェリアさん」
恥をかいた唯は顔を真っ赤にしながら地団太を踏んでいたが、不意に虚空に向かって独り言を放つと、静かに目を閉じた。
そして――
「うぇぇぇぇぇぇぇッ⁉」
カッと目を見開き、仰天の声を上げた。
「……アイツは一人で何をやっているんだ?」
「多分、内側に居るモルさん――死王女モルヴェリアと会話をしているんでしょう」
奇行を披露する唯に困惑するレイへ、蓮が補足する。
「た、大変です兄さん! とんでもないことになってますよ!」
「落ち着け。モルさんはなんて言っているんだ?」
内側での会話を終えた唯は、興奮した様子で兄へ詰め寄った。
蓮に諭され、少し落ち着きを取り戻した唯は檻を指さす。
「あの檻、モルヴェリアさんのお父さんが造られたものみたいなんです!」
「モルさんのお父さん……? それって、もしかして――」
「悪魔王ベルファルドさんです!」
衝撃のビッグネームに、空気が一瞬で凍りついた。
「あ、悪魔王って……悪魔たちの王様ってこと、だよな……?」
悪魔界隈に詳しくはない蓮でも、その階位の重さは理解できる。
震える声で尋ねると、唯はキラキラした目で頷いた。
「はい! 王様らしいですよ! モルヴェリアさん、本当に王族の方だったんですねぇ」
唯は純粋に喜んでいるらしい。
死王女の父親の痕跡と出会えたことが嬉しくて仕方ないのだろう。
場違いというか、根本的に人間とズレているその反応に、レイは頭を抱えながら尋ねた。
「その、本当に悪魔王の力で造られた檻で間違いないのか……?」
「えぇ、間違いありません。モルヴェリアさんが魔力波動に見覚えがあると仰っているので」
四騎士にして悪魔王の娘でもあるモルヴェリアが言うのなら、まず間違いない。
レイは過去に遭遇した底の知れない王を思い出し、表情を曇らせた。
ある意味で自分の命を救った存在であり――そして、ある意味で弟の命を奪った存在。
怒りや憎しみを超え、畏怖すら抱かせる超常の王。
もはや二度と会うことはないと思っていた彼の名を、久々に耳にした。
そして、ふと脳裏に蘇る言葉。
『じゃあな、お嬢ちゃん。生きてたらまた会おうぜェ』
「――悪魔王の力が作用しているとして、近くに悪魔王はいるのですか?」
事態を静観していたユリウスが口を開いた。
レイはちらりと視線を向けるが、彼の無表情からは考えを読み取れない。
「いえ、近くにはいないようですね。この檻だけを残していったようです。もしかすると、誰かと“契約”を交わしたのかもしれないですね」
唯の言葉に、全員の視線が自然と地藤優斗へ向けられる。
「……ここであれこれ話していても仕方ないだろ。そろそろ説明してもらおうぜ。全てを知ってる奴に」
赤髪褐色肌の少女は退屈そうに耳の穴を小指でほじりながら呟いた。
地藤優斗はゆっくりと顔を上げ――
そして、静かに頷いた。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
ポツリ、ポツリと。
まだ本調子とは言えないものの、かすかにいつもの調子が戻りつつある口調で地藤優斗の口から語られたのは、ある意味では予想通りであり――またある意味では予想外の事実だった。
「まさか、本当に天羽がそんなことをするなんて……」
天羽璃奈の狂気を目の当たりにしていたとはいえ、それでも彼女の善性をどこかで信じていた蓮は、驚愕に目を見開いた。
「しかも、よりによって悪魔王と契約するとは……相当追い詰められていたのだな」
エクソシストでありながら、最大の宿敵である悪魔王と契約するという暴挙。
自分自身もまた、追い詰められた末に“血の大公”と契約してしまった過去を思い出し、
レイは苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
「しかし、Mr.地藤のお話通りであれば、悪魔王はMs.天羽との契約を邪魔されたくなかったから、強引に彼女を連れ去ったように思えますね。一体、何を企んでいるのやら……」
地藤や天羽と深い関わりのないユリウスは、冷静な分析を口にする。
確かに、悪魔王の行動は契約を解除されそうになったための介入に見える。
悪魔王が直接動くほどの契約内容とは、一体何なのか――。
「――で、お前はどうしたいんだ、地藤優斗」
悪魔王については全く興味がなさそうな赤髪褐色肌の少女が檻の中で考え事をしているらしき地藤優斗に問い掛ける。
「もちろん、ここから出てすぐに攫われた璃奈を救いに行くよ」
仲間たちの姿を見て――或いは、あまりにも馬鹿げたやり取りを見て少しは気が晴れたのか、唯が突入してきた当初よりは顔色がマシになった地藤は前を真っすぐに見て告げた。
「悪魔王に、勝てるのか?」
「勝てるとか、勝てないとかの問題じゃない。これは、やらなきゃいけないことなんだ」
天羽璃奈を救う。
それは、何があったとしても折れることがない地藤優斗の芯だ。
鏡の世界で改めて誓ったように。
その芯は、折れない。
輝きが鈍る瞬間があったとしても、決して折れはしない。
たとえ、絶望的なまでの力の差がある悪魔王を前にしても。
「……ふん。ようやく、マシな顔になったか」
窓から見た腑抜けた顔に内心で少し心配していた赤髪褐色肌の少女は、そっぽを向いて鼻を鳴らした。
他の面々もいつも通りの地藤の姿を見て安堵をしていた。
それでこそ、異常なまでに諦めが悪い、地藤優斗だと。
「しかし、そこから出ようにも方法は考えなければならないな」
腕を組み、レイは悩ましげに言った。
「流石に死王女にも破壊できない檻となると、我々にはどうしようもないしな……」
「ちょっと待ってください! たった一撃で無理だと決めつけられるのは心外ですね!」
レイの言葉に、唯が鋭く声を上げた。
黒衣をまとった彼女の赤と黄金の瞳がギラリと輝き、檻を睨みつける。
「さっきの一撃は中にいる先輩のため……というわけではないですが、少し手加減していました。今度こそ、本気の一撃を放ってみせます」
唯が人差し指を掲げる。
その指先に、死王女の魔力が――“死”そのものが――静かに、しかし確実に収束していく。
その光景を見た瞬間、全員が反射的に動いた。
レイは即座に後方へ跳び、蓮は唯から最も遠い壁際へ転がり、ユリウスは無言で結界を張りながら距離を取る。
檻の中の地藤でさえ、檻の隅へと必死に移動して身を縮めた。
「悪魔王だかなんだか知りませんが……私たちの力を侮らないでください! 行きますよ、モルヴェリアさん!」
唯の宣言に呼応するように、指先の“死”が膨れ上がる。
空気が軋む。
床が震える。
その脅威が自分に向けられている地藤は青ざめ、檻の中で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
そして――
「
黒い極線が放たれた。
それは光ではなく、闇でもなく、“死”という概念そのものが一直線に走るような一撃だった。
直進する黒の極線は檻を丸ごと包み込み、悪魔王の加護すらも無視して――木端微塵に破壊した。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
――いや、
「うぇっ⁉」
唯の驚愕が屋敷中に響き渡った。
死王女の本気の一撃。
高層ビルを一階から丸ごと消し飛ばせそうなほどの“死”の極線はしかし、跡形もなく消えていた。
檻には傷一つついていない。
かすり傷すら、ない。
まるで最初から攻撃など存在しなかったかのように、きれいさっぱり、完全に無効化されていた。
「そ、そんな……」
唯の声が震えた。
その震えは次第に全身へと広がり、やがて彼女は俯いたままプルプルと震え始める。
黒衣が、まるで彼女の感情を代弁するかのようにざわりと揺れ、凶悪な魔力がバチバチと弾けて空気を震わせた。
「ど、どうしてですか――ッ!」
そして、怒りの火山が噴火した。
ポカポカポカポカッ!
檻を両手で殴りながら、唯は吠える。
「わたしたち、
顔を真っ赤にし、地団太を踏みながら抗議する唯。
黒衣の裾がバサバサと暴れ、その内側にいるモルヴェリアまで同調して怒りを撒き散らしているのが、魔力の揺れで分かる。
そんな妹を後ろから羽交い締めにしながら、蓮は深いため息をついた。
「諦めろ。序盤で最強って設定された奴は、だいたいこういう扱いを受けるもんだ」
「納得、いきませんッ!」
ムキーッと白い歯を食いしばり、全身で不満を表現する(序盤)最強少女。
実際のところ、彼女は中盤も終盤も最強の一角なのだが――こればかりは、相手が悪かったとしかいいようがない。
暴れ回る妹を宥めながら、蓮は溜息をついた。
「唯とモルさんの力をもってしても傷一つつかないとなると、いよいよ厳しそうだな……」
レイが腕を組み、深刻な声で呟く。
「もしかしたら相性の問題かもしれない。私とレン、ユリウス殿の方も試してみよう」
冷静で前向きなレイの提案に従い、レイ、蓮、ユリウスの順番でそれぞれの力を檻へ叩き込んでみる。
しかし――
「やっぱりダメか……」
「これでも自分の力に結構自信はある方でしたが……傷一つつかないのを見ると流石に自信なくしますね……」
結果は唯の時と同じ。
黒い檻には、誰の攻撃も通らなかった。
3人はあまりの頑丈さに途方に暮れ、肩を落とす。
「……ん、そういえば、貴女はどうなんですか?」
ユリウスの視線が、不意に部屋の隅で大きな欠伸をしている少女へ向けられた。
この中で唯一、まだ力を振るっていない赤髪褐色肌の少女だ。
視線を向けられた少女は、面倒くさそうに眉をひそめ、首を横に振った。
「悪魔王なんか、無理に決まってんだろ。あまり私を舐めるなよ」
「これは、舐めていることになるんですか……?」
日本語の微妙なニュアンスに不安を覚えたユリウスは、助けを求めるようにレイへ視線を送る。
レイは「気にするな」と言わんばかりに首を横に振った。
「安心しろ。あの少女の方が間違っているだけだ。――それにしても、君はユウトを助けたいと言っていた割には、あまり積極的に動くつもりはないんだな」
「面倒だからな」
「焦りも感じられない」
レイの真紅の瞳が鋭く細められる。
「――君の目的はユウトを助け出すことではなく、余計なことをしないように監視しておくことなんじゃないか?」
「……どうだかな」
鋭い指摘を受けても、少女はいつものように無表情のまま肩を竦めた。
その態度は、図星なのか、ただの無気力なのか判別がつかない。
レイはしばらく彼女を見つめていたが、やがて諦めたように視線を逸らした。
「物理的に突破することはほぼ不可能だと分かった以上、後は正攻法で突破するしかないな」
「つまり、悪魔王と天羽の契約内容を把握し、それを破棄させるってことですよね」
「あぁ。そのためには天羽が必要不可欠なわけだが――」
「Ms.天羽はその悪魔王に連れ去られてしまって行方不明、と」
ユリウスの言葉に、レイは深く頷いた。
契約しか突破口がないのに、その契約相手を丸ごと連れ去るという暴挙。
悪魔王ベルファルド。
死王女すら寄せ付けない圧倒的な権能に加え、その意地の悪さも尋常ではない。
「Ms.天羽が……いえ、この場合は悪魔王ベルファルドですか。彼が現れそうな場所に心当たりはありますか?」
ユリウスに問われた地藤は、しばらく考えた末に静かに首を横に振った。
「まぁ、それはそうですよね……」
元から期待していなかったのか、ユリウスは落胆する様子もなく淡々と頷いた。
その時だった。
「――いや、
「ん?」
部屋に落ちた静寂を破るように、地藤が低く呟いた。
全員の視線が一斉に向けられる中、地藤は頭を押さえながら、震える声で言葉を続けた。
「そうか、そういうことか……! 多分、アイツはあそこに現れる……!」
「ユウト?」
「先輩?」
レイと唯が心配そうに声を掛ける中、地藤はようやく自分の中で繋がった答えを伝えようと口を開きかけたが――
「……マジか」
その瞬間、部屋の隅で欠伸をしていた赤髪褐色肌の少女が何かに反応したかのように鋭く顔を上げ、いつもの無気力な表情を完全に消し去って緊張を帯びた視線を一点に向けた。
「ッ!」
ほぼ同時に、唯もビクリと肩を震わせて顔を上げた。
赤と黄金の瞳は虚空に向けられ、ここではないどこかを見ている。
「どうしたんだ、唯」
蓮が問いかける。
唯が答えるよりも先に、赤髪褐色肌の少女は短く呟く。
「……
その言葉とほぼ同時に、空気が震え、床がわずかに揺れ、圧の強い魔力の波動が一気に押し寄せてきた。
「「「ッ⁉」」」
遅れて地藤、レイ、ユリウスもその存在を感知した。
全身の肌が粟立ち、背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
反応するより先に身体が固まり、誰もが一瞬動けなくなった。
「い、今のは……」
困惑した空気が流れる中、ユリウスのポケットの携帯が突然震えた。
ユリウスは動揺を押し隠しながら携帯を取り出し、努めて平静を装った声で応答した。
「……はい、ユリウスです。はい、えぇ……」
通話を続けるうちに、彼の表情はみるみる深刻さを増していく。
その様子を横目で見ていたレイの携帯も、ほぼ同じタイミングで震え始めた。
レイはポケットから携帯を取り出し、画面を確認した瞬間、目を丸くした。
「教会から……?」
彼女が応答しようとした、その刹那――
「なんですって⁉」
ユリウスの緊迫した声が部屋に響き渡った。
普段の落ち着いた口調からは考えられないほど切羽詰まった声で、ただ事ではないと誰もが悟る。
レイも急いで電話に出て、数秒もしないうちにユリウスが動揺した理由を理解した。
二人はほぼ同時に通話を終え、互いに視線を交わす。
言葉は交わさずとも、状況の深刻さだけは共有できた。
そして、二人は静かに頷き合った。
「……皆さん」
ユリウスは部屋にいる全員へ向き直った。
ここにはエクソシストだけでなく、本来なら敵である悪魔たちもいる。
だが、これまでの行動から彼女たちが害を及ぼす可能性は極めて低く――そもそも隠し事をしても意味がないほどの力を持っていることを踏まえ、ユリウスは包み隠さず状況を伝えることを選んだ。
「教会より、想定よりも早く“門”が完成したと報告がありました」
先ほどの衝撃波は、“門”が完成し現世に干渉を始めた証拠である。
つまり、これから起きることは一つしかない。
「この街に、悪魔の軍勢が押し寄せてきます」
それは、絶望的な戦いの幕開けを告げる報せだった。