世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第79話:やっぱり悪魔は碌でもない件について

 

巨いなる銀の剣(クラレント・ソレス)――!」

 

 十字架を模した巨大な大剣から青い斬撃が放たれる。

 清涼な霊力に満ちたその斬撃は、海浜公園一帯に広がる瘴気を一気に蹴散らし、まるで朝霧を晴らす風のように、汚濁を浄化していく。

 その圧倒的な光景を目にした獅子頭は、畏怖と感嘆が入り混じった声を漏らした。

 

「空気清浄機かよ……」

「もっと他に良い例えはなかったわけ?」

 

 げんなりした様子でツッコむ八馬継メイ。

 とはいえ、彼女もまた獅子頭と同じく、目の前の現実離れした浄化の力に言葉を失うほどの畏怖と関心を抱いていた。

 触れるだけで命を削られる覚悟が必要な瘴気が、埃のように吹き飛ばされていく――そんな光景に、まともな例えが出てこないのも当然だった。

 だが、感心している暇はない。

 

「ッ! 来たぞ!」

 

 リーダーである長谷川の声が響いた瞬間、全員が即座に動き出す。

 大剣を振り終えた直後の十六夜蓮を狙い、超速で鉄の棒が百を超える数で飛来していた。

 だが――

 

「させん!」

 

 霧島レイが蓮の前に割って入り、刀を振り抜いて鉄の棒を弾き飛ばす。

 その動きは鋭く、迷いがなく、まさに最前線のエクソシストのそれだった。

 

「やれやれ、馬鹿の一つ覚えみたいに芸がないですねぇ」

 

 呆れたように呟きながら、ユリウスも槍を扇風機のように回転させ、レイと同じく軽々と鉄の棒を弾き返していく。

 二人の鉄壁の防御により、蓮へ向かう攻撃はすべて遮断されていた。

 

「……もう、あの子たちだけでいいんじゃない?」

 

 三節棍で鉄の棒を弾きながら、八馬継メイがぼそりと呟いた。

 

「黙って手を動かせ」

 

 長谷川は嗜めるように言ったが、内心では彼女の言葉に同意せざるを得なかった。

 

 負傷した柳沢についてはユリウスの優れた治癒の秘術によって応急処置が施され、現在は仲間の一人に抱えられて戦場を離脱した。

 つまり、この隊は現在、殉職した佐々木も含め三名が離脱しており、本来の状態からは程遠いわけだが――あの三名が悪魔を抑え込んでくれているお陰で、残った人員でも十分に対応可能となっていた。

 

 十六夜蓮は信じられないほどの霊力量で周囲を浄化し、彼を危険視した敵が集中攻撃を仕掛けても、霧島レイとユリウスというトップクラスの二人が護衛につき、徹底的に被弾を防いでいる。

 浄化は着実に進み、敵も次第に手詰まりになってきている。

 まさに鉄壁の布陣だ。

 

 幸いにも“門”が完全に開いて悪魔が雪崩れ込む気配もない。

 このまま堅実に前へ進めば、“門”の破壊も現実味を帯びてくるだろう。

 

 だが。

 

「……上空からの支援がなくなったのが、気がかりだな」

 

 混沌とした戦場の中でも冷静に状況を俯瞰していた長谷川は、星空が広がる夜空へと視線を向けた。

 絶体絶命の彼らを救った、天からの攻撃。

 寒気がするほどの魔力を帯びた、理不尽なまでの超遠距離狙撃。

 絶え間なく続いていた援護が今は、嘘のようにピタリと止まっている。

 

 胸の奥に、ひやりとした不安が走る。

 長谷川は眉をひそめ、夜空を睨んだ。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

(唯、どうしたんだ……?)

 

 上空からの支援が途絶えたことに違和感を覚えているのは、十六夜蓮も同じだった。

 彼は妹の強さをよく知っている。

 そして同時に、あのツンデレな妹が根は誰よりも真面目で、一度任された仕事に手を抜くような性格ではないことも、痛いほど理解していた。

 

 だからこそ――攻撃が止まったのは気まぐれなどではない。

 何かが起きたのだ。

 蓮は思わず上空へ視線を向けたくなるが、今の状況で余所見などできるはずがない。

 

「十六夜、次も頼む」

「はいっ!」

 

 大剣を構え、柄を強く握りしめる。

 何度も練習した通り、彼の身体の奥底で生み出され続ける膨大な霊力が、血流のように全身を巡り、超速で大剣へと注ぎ込まれていく。

 

 その間にも、蓮を狙って鉄の棒が飛来するが、霧島レイとユリウスがこれまで通り前に立ち、すべてを弾き返してくれていた。

 

 しかし――攻撃の苛烈さは確実に増している。

 

 一つは、鉄の棒を投げている悪魔が他のエクソシストへの攻撃を諦め、蓮だけを狙い撃ちにしていること。

 そしてもう一つは、上空からの支援が途絶えたことが確実に影響していた。

 

「あともう少しです。僕たちが絶対に守りますから、頑張っていきましょう」

 

 ユリウスが爽やかな笑みを浮かべて蓮を励ます。

 攻撃は激しさを増しているのに、彼の表情には疲れの色がない。

 いや、もしかすると無理をしているのかもしれない。

 だが――たとえ虚勢であっても、蓮はその言葉を信じるしかなかった。

 

「いきますッ!」

 

 自衛を捨て、仲間のために瘴気を晴らす霊力を限界まで溜め込んだ蓮は、

 大剣を掲げ、力強く宣言した。

 待ち構えていたかのように、敵の攻撃はさらに苛烈さを増す。

 だが――

 

「斬霞刀・一の型『霧散残月』」

 

 レイが温存していた必殺の抜刀術を解き放ち、これまでで最大規模の弾幕を一息に切り裂いた。

 

貫罪の光槍(ルクス・ピアシオン)!」

 

 ユリウスもまた己の霊力を槍へ注ぎ込み、銀色の槍を輝かせて地面へ突き立てる。

 穂先を中心に広がる美しい紋章が地面を走り、やがて形ある聖なる守護となって、彼らを包み込む巨大な盾となった。

 

 お膳立ては整った。

 仲間が繋いだ時間を無駄にするわけにはいかない。

 蓮は柄を握りしめ、胸の奥底から湧き上がる霊力をすべて大剣へと注ぎ込み――高らかに剣を掲げた。

 

巨いなる銀の剣(クラレント・ソレス)――!」

 

 振り下ろされた巨剣から、青白い光が奔流となって解き放たれる。

 それは斬撃というより、天から降り注ぐ救済の奔流だった。

 人を堕落させる瘴気が渦巻くこの地に、圧倒的な浄化の光が満ち、

 世界そのものが洗い流されるかのように輝きが広がっていく。

 

 青い光が波となって押し寄せ、瘴気は悲鳴を上げる暇もなく――完全に打ち払われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……屈辱」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もがホッと息をついた、そのわずかな隙を切り裂くように――地獄の底から響いてきたかのような、低く濁った声が戦場を震わせた。

 空気が一瞬で変わった。

 思わず背筋が粟立つほどの圧倒的な存在感に、エクソシストたちは反射的に武器を構える。

 

「あれは……悪魔?」

 

 瘴気に隠されていた影が、浄化された空気の中でゆっくりと姿を現す。

 長い背丈に、不自然なほど深い猫背。

 黒い鎧は煤けたように鈍く光り、痩せ細った身体はまるで飢えた獣のように骨ばっている。

 灰色に近い肌は生気を感じさせず、ギラギラと輝く黄金の瞳だけが異様に鮮烈だった。

 その右手には、先ほどから飛来し続けていた鉄の棒が握られている。

 

 悪魔は苛立ちを隠そうともせず、手にした鉄の棒で地面をコツ、コツ、と叩いた。

 

「屈辱」

 

 再び、低く、地を這うような声が響く。

 エクソシストたちの間に困惑が広がる中、レイは刀を構え、喉の奥に生まれる嫌な予感を押し殺しながら声を張り上げた。

 

「何者だ! 名を名乗れ!」

 

 じろり、と。

 爬虫類のような、湿った光を宿す黄金の眼がレイを捕らえる。

 その視線だけで、皮膚が粟立つ。

 

 悪魔は鉄の棒を構え、まるで宣告するように、己の名を口にした。

 

「鉄の大公バレル」

 

 絶望的なその名を。

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 鏡の中から現れた黒衣のメフィラは、檻の中にいる地藤を一瞥し、楽しそうに唇を吊り上げた。

 

「随分とまた、愉快な姿じゃないか」

 

 地藤は顔を顰めた。

 

「笑いに来たのか?」

「いやいや、褒めに来たのさ」

 

 優雅な足取りで檻に近づいたメフィラは、檻越しに地藤を眺めながらチャーミングなウインクを送る。

 

「犬みたいで可愛いよ」

「分かった。馬鹿にしに来たんだな」

「だから褒めに来たんだって。僕は犬が好きなんだ。特に、働き者の犬は大好きでね」

 

 そう言ってから、チラリと赤髪褐色肌の少女へ流し目を送るメフィラ。

 少女は嫌そうな顔をして舌打ちし、視線を逸らした。

 

「フフフ、うちの犬はどうだい? 役に立ってくれたかな?」

「……よく働いてくれたよ。お陰で、霧島先輩たちに状況を伝えることができたから」

「それはそれは、役に立ったみたいで何よりだよ。苦労して手に入れた甲斐があるというものだ」

 

 メフィラは肩を竦めて笑い、赤髪褐色肌の少女の頭を撫でようとしたが、少女の腕に振り払われた。

 

「おっと、まだ躾が足りないみたいだ」

「それくらいにしておけよ。彼女、困っているじゃないか」

「おやおや、名も知らぬ少女に同情とは、相変わらずお優しいねぇ、我が愛しの契約者様は」

「お前に苛められている奴には誰だって同情するさ」

 

 地藤は肩を竦めてから言った。

 

「それに、名前はもう分かったよ」

「へぇ?」

 

 メフィラの黄金の瞳が細められる。

 

「契約で名前は名乗れないことになっているはずだから、僅かなヒントから推測したということかな? 流石は我が愛しの契約者様、と言ったところかな? 本当に油断がならないね」

 

 感心したような口調はメフィラの本心だ。

 彼女は決して己の契約者を侮ってなどいない。

 だからこそ、彼が理由もなく自分を呼び出したわけではないことも分かっていた。

 ニヤリと笑い、メフィラは本題を切り出す。

 

「それで? 急に僕を呼び出してどうしたんだい?」

「この檻から出して欲しい」

 

 地藤は単刀直入に要件を伝えた。

 全く奇をてらわない、彼らしくない直接的な物言いに、メフィラが少しだけ眉を吊り上げる。

 

「これまた急なお願いだねぇ」

「それくらい切羽詰まっているんだよ。状況を見れば分かるだろう?」

「ふむ、確かに君にとってよろしい状況ではなさそうだね」

 

 メフィラが授けた万能権能“悪魔の屁理屈”は無効化されており、さらに原種の吸血鬼の力も発動していない。

 檻の中にいる地藤は、心臓がないことを除けば、随分と久しぶりに一般人の身体になっていた。

 

「さっさとここから出してくれ。お前なら、何とかできるだろう?」

「ふむ……」

 

 確信めいた地藤の発言を受け、メフィラは腕を組んで人差し指を顎に当てた。

 

「僕のことを評価してくれているのは嬉しいけれど……今回ばかりは少し厳しいかもしれないなぁ」

「珍しく弱気じゃないか」

「弱気にもなるさ。君のことだからもう分かっているとは思うけれど、この檻は僕の父上が創ったものだよ? 僕ごときがどうこうできるわけがないじゃないか」

「嘘をつけ」

 

 ピシャリと地藤は断言した。

 メフィラは目を丸くし、怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「……我が愛しの契約者様にしては、随分と短絡的な発言だね。僕の父上だよ? 悪魔たちの王様なんだぜ? どうして僕にどうにかできると思うのさ」

 

 悪魔王ベルファルド。

 悪魔たちの王であるというその称号は決して飾りではない。

 現にメフィラの権能は無効化されているし、何より彼はメフィラの父親である。

 圧倒的な存在感と底知れなさは、明らかにメフィラよりも格が上のように感じられた。

 しかし、真正面から悪魔王と対峙した地藤は、それでも確信を抱いていた。

 この状況をひっくり返せるとしたら、彼女しかいないだろう、と。

 

 なぜなら――

 

「お前が、如月メフィラだから」

「――――」

 

 メフィラは黄金の瞳を見開いて固まった。

 予想もしていなかった発言に虚を突かれた反応。

 やがて彼女は小刻みに肩を震わせ始め――しまいには身体をくの字に折り曲げて、大きな声で笑い声を上げた。

 

「ハハハハハ! これは、これは、悪魔を煽てるのが上手じゃないか!」

「真実を言ったまでだ」

「フフフ、そんなに真っ直ぐな目で言われてしまうと照れてしまうよ」

 

 いつになく楽しそうなメフィラに対し、冷静さを保っている地藤は先を急かすように尋ねる。

 

「――で、どうなんだ? 何とか出来るんだろう?」

「ふむ。そうだねぇ……」

 

 檻を長く白い人差し指で艶めかしくなぞり、メフィラはよく響くアルトの声で言った。

 

「――まぁ、何とかできなくはないよ」

 

 悪魔王の権能を何とかできる、とメフィラは宣言した。

 己の権能を完璧に封じられているにも関わらず、不遜にもそれが可能だと言ったのだ。

 己が望んでいた回答を引き出せた地藤ではあるが、なぜかその顔に喜びの表情はない。

 彼は苦虫を噛み潰したような顔で口を開いた。

 

「で?」

「で、とは?」

「お前がタダで面倒ごとを引き受けるわけがない。あるんだろう? 何か、条件が」

「流石は我が愛しの契約者様。話が早くて助かるよ」

 

 ニヤリ、と悪魔らしい邪悪な笑みが浮かぶ。

 黄金の瞳は欲望でギラギラと輝き、獲物を前にした獣のように瞳孔が開いている。

 その視線は地藤優斗を一直線に貫いており、彼女が何を欲しがっているのかは明白だった。

 

「僕の条件は一つ。新たなる“契約”さ」

「……その内容は?」

 

 予想はしていたのか、嫌そうな表情を浮かべながらも地藤は淡々と尋ねる。

 メフィラは答えた。

 

「【地藤優斗は如月メフィラの()()となり、また絶対的な味方として行動し、いかなる場合においても彼女を裏切らないことを誓約する。さらに、地藤優斗は自身の心臓を如月メフィラに預け、当該心臓を如月メフィラが自由に損傷し、これを行使することを無条件に許可するものとする。その代わりとして、如月メフィラは地藤優斗を悪魔王の檻より外へ出す義務を負うものとする】っていうのはどうかな?」

「……滅茶苦茶だな」

「嫌なら断ってくれてもいいんだよ? 一生そこに住んでいればいいさ」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべるメフィラ。

 地藤は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。

 彼としては当然、吞めるような条件ではない。

 メフィラの伴侶など、死んでも願い下げである。

 ちなみに、仮に彼女と結婚した場合にはあのやたらとフットワークが軽くておっかない父親が義父になる。

 二人に苛められる未来は容易に想像がついた。

 

(親子揃って嫌な奴だな……!)

 

 自分のことを棚に上げて地藤はそんなことを思った。

 

「僕的にはかなりいい条件だと思うけどなぁ。こう見えてもお姫様だし。美人で性格もいいし、優良物件だよ?」

「ちょっと黙っててくれ」

 

 頭が痛くなってきた地藤は、額に手を当てながら戯言を聞き流した。

 しかし、この状況ではメフィラに頼るしかないのは紛れもない事実だ。

 死王女にも突破できなかった以上、力技ではなく“裏技”を使えるメフィラこそが唯一の突破口なのだから。

 

(クソッ……メフィラが積極的に契約したがるような条件があればいいんだけど……ん、いや、待てよ……)

 

「……なぁ、メフィラ」

「なんだい、我が愛しの契約者様」

「お前さ、実は今、結構()()()()()()()()()()()()?」

 

 メフィラは地藤の発言を鼻で笑い飛ばした。

 

「ハッ、別にそんなことはないよ。必要だったら必要って言うさ。困ってないから、何もしていないんだよ」

「嘘をつけ」

 

 低い声が地藤の口から発せられる。

 眉を下げ、困ったように懇願していた地藤の雰囲気が一変した。

 メフィラは微かに目を見開く。

 

「急にどうしたんだい?」

「僕のことが本当にどうでもいいなら、そこのお嬢さんをわざわざ監視に付ける必要なんてないはずだ。僕の呼びかけに応じてここに駆けつける必要もない」

「契約者の動向が気になるのは当然のことだろう? 僕がわざわざ足を運んだのは、ただの気まぐれだよ」

「だから嘘をつくなよ」

 

 地藤の黒い瞳が、真っすぐにメフィラを射抜く。

 ゾクリと、メフィラの背筋に震えが走る。

 悪魔と契約しておらず、原種の吸血鬼の力も封じられている今の地藤は、ただの人間だ。

 ただの黒目で、ただの視線。

 それなのに――そこに宿る底知れない洞察と、不気味なほどの静かな確信が、いつも彼女を魅了し、同時に警戒させる。

 メフィラは表情を崩さぬように気を付けながら尋ねた。

 

「嘘っていうのはどういう意味かな?」

「そのままの意味だよ。気まぐれ? 悪い冗談だ。僕はお前ほど()()()()()()()()()()()()()()()。お前は、何か目的がないと動けない根っこからの合理主義者だ。そんなお前が僕の呼びかけに応じてここに来たのは、僕に“させたいこと”があったからに他ならない」

 

 地藤はメフィラのことをよく知っている。

 彼女の性格を熟知している。

 だからこそ、彼女が地藤からの呼びかけを“好機”と捉え、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを見抜いていた。

 

「もう一度聞くぞ。お前、僕にさせたいことがあってここに来たんだろ?」

 

 メフィラは感情の見えない黄金の瞳で地藤を見つめる。

 やがて、諦めたように肩を竦め、降参するように両手を上げた。

 

「降参……やはり鋭いね、我が愛しの契約者様」

「やっぱりそうだったか……なら、契約は対等な内容で結ばれるべきだ。伴侶がどうこうとか、絶対に裏切らないとか、そういうのは無しでいこう」

「いやいや、悪魔王の檻を突破しようっていうのに、君だけノーリスクというのは筋が通らないんじゃないかい? やはり“裏切りなし”って条件は入れさせてもらいたいな」

「お前はしょっちゅう裏切るのに? 酷い奴だなぁ……悪魔かよ」

「悪魔だよ」

 

 珍しくツッコミ側に回ったメフィラが淡々と真実を告げる。

 その後も二人の議論は平行線を辿った。

 何とか地藤を己の完璧な支配下に置きたいメフィラと、それだけは絶対に避けたい地藤。

 互いに譲れないラインがあり、皮肉や婉曲を織り交ぜながら本質を誤魔化しつつ、どうにか自分の条件を通そうとする。

 

 無論、決着はなかなかつかない。

 

 議論の最中、地藤はチラリと時計に目をやった。

 その視線に釣られて、メフィラも時計へ視線を向ける。

 余裕綽々の態度を崩さず、表情にも出さないが――この状況に焦りを感じ、時間がないのはメフィラも同じ。

 地藤の推測は見事に的中していた。

 

「我が愛しの契約者様。このままじゃあ、埒が明かないね」

「あぁ、僕もそう思っていたところだ」

 

 同じような思考回路と速度を持つ二人は、同時に同じ結論へと辿り着いた。

 

「「折衷案しかない」」

 

 檻越しに向かい合う二人。

 その立場は今、間違いなく対等だった。

 

「【地藤優斗は、如月メフィラの要請に応じ、()()()()()完全に彼女の味方となり、その指示に従うことを誓約する。また、地藤優斗は自身の心臓を如月メフィラに預け、当該心臓を如月メフィラが自由に損傷し、これを行使することを無条件に許可するものとする。その代わりとして、如月メフィラは地藤優斗を悪魔王の檻より外へ出す義務を負うものとする】――これでどうだい?」

「その“一度だけ”をいつ使うつもりなのかは知らないけど、事前に僕に事情を説明して承諾を得るくらいのことはしてくれよ」

「嫌だよ。君、絶対に嫌がるもん」

「お前は僕に何をさせるつもりなんだ……?」

 

 内容は全く分からないが、碌でもないことだけは分かっている。

 地藤は目を瞑り、己の中の考えに沈む。

 折衷案でしか互いに折れることができない状況であることは明白だ。

 

「……一度だけ。一度だけなんだな?」

「うん。一度だけだ。それ以外は何もしないよ。普段通りさ。あぁ、心臓を傷つける許可は貰うけどね。でも、別に構いやしないだろ? 君は原種の吸血鬼なんだから」

「まぁ、確かにそうだろうけど……」

「それにね、これは今回の檻から出るために必要なことなんだよ。僕の趣味だけじゃない」

「お前の趣味が混じってることは否定しないんだな……」

 

 目の前の女に再び心臓を好き勝手にされる未来を想像し、青い顔で身震いした地藤だが――彼女の言う通り、今の地藤はこの檻から出られるなら心臓の損傷などものともしない正真正銘の化物だ。

 以前と異なり、心臓自体への執着はそこまでない。

 

(これが、限界点か……)

 

 メフィラに一度だけでも主導権を譲ることの恐ろしさは理解している。

 だが、それでも――そうしなければこの檻から出られない。

 そして檻から出られなければ、璃奈を迎えに行くこともできない。

 

「……分かった。その条件で契約しよう」

「結構。それじゃあ、これからもよろしく頼むよ、我が愛しの契約者様」

 

 メフィラは檻の地藤に向かって右手を差し出した。

 白魚のように白く美しい掌。

 地藤は檻の中から手を差し出し、彼女の手を握った。

 世界の法則が書き換わる。

 

【地藤優斗は、如月メフィラの要請に応じ、一度に限り完全に彼女の味方となり、その指示に従うことを誓約する。また、地藤優斗は自身の心臓を如月メフィラに預け、当該心臓を如月メフィラが自由に損傷し、これを行使することを無条件に許可するものとする。その代わりとして、如月メフィラは地藤優斗を悪魔王の檻より外へ出す義務を負うものとする】

 

 権能を封じる悪魔王の檻であっても、新たに結ぶ契約を防ぐことはできない。

 故に、二人の契約は問題なく締結された。

 しかし、この契約自体が悪魔王の檻を突破することはできない。

 あくまでも、この檻はメフィラ自身が破らなければならないのだ。

 

「さて、それじゃあ早速仕事に移るとしようか」

 

 メフィラは優雅な動作で左手を宙へ持ち上げ――その掌の上に、赤黒く脈打つ心臓を出現させた。

 言うまでもなく、地藤優斗の心臓である。

 

「……それをどうするつもりだ?」

 

 胸の奥にひやりとした嫌な予感が走り、地藤は思わず声を潜めて尋ねた。

 メフィラはニコリと微笑み、まるで悪戯を思いついた子供のように答える。

 

「父上と天羽璃奈が結んだ契約の詳細は知らないけれど、どうせ“永遠に二人で一緒に()()()()()()()”とかなんだろう? だったら、その契約をぶっ壊してやればいいだよ」

「ちょ、ちょっと待て! まさか――」

「そのまさかだよ」

 

 邪悪な笑みが浮かぶ。

 そして、

 

「じゃあ、()()()()()()()。我が愛しの契約者様」

 

 メフィラは躊躇なく左手の心臓を握り潰した。

 

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