世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
303号室。
十六夜唯が入院している病室の前に2人は到着した。
既に作戦は明確に決まっており、躊躇する理由もない。
病室のドアに手を掛けた天羽は後ろに待機している蓮に尋ねた。
「開けるよ」
「あぁ」
蓮は頷いて腰を低くした。
手はずとしては、天羽が先行で突入後、彼女が状況を確認してからいくつかのパターンに分けて指示を送ってくるのでそれに従って行動することになる。
彼女が単独で唯を救出し、悪魔を殲滅できるのであれば後は逃げるだけ。
仮に悪魔が唯をすぐに殺せる位置に立っており、こちらが手出しできない状況になった時は蓮が飛び出し、自らの命を担保にして何とか悪魔の隙を狙う。
理想は前者の状況だが、悪魔たちも天羽の大暴れは知っているはず。状況がどう転ぶか分からない以上、臨機応変に対応するしかない。
蓮が覚悟を決めたことを確認した天羽は一呼吸置いた後、素早く扉を横にスライドさせ、中に突入した。
特殊部隊員も目を見張るであろうスピードで二丁拳銃の銃口を構え、どの角度から悪魔が襲い掛かってきても迎撃できる体勢を取る。
呼吸を忘れてしまうほどの緊張は暫く続いた。永遠にも思える無音の時間が過ぎた後、病室に飛び込んだ天羽璃奈は静かに銃口を下ろした。
それの意味するところは――
「唯!」
待機するよう命じられていた蓮はたまらず病室に飛び込んだ。
中はもぬけの殻だった。彼女がいつもいたベッドは空で、現実感を喪失させる邪悪な紫色の風景の中にいつもの殺風景な病室が溶け込んでいるのみ。
「唯……」
唖然と呟く。
「魔力の残滓が残っているわ。時間までは分からないけど、前まではここに居たんでしょうね」
「……移動先を絞ることは?」
「……ごめんね。私の技術では難しいの。あとはまたこの病院をしらみつぶしに調べるしかないわ。それか、悪魔たちから接触してくるのを待つことしか……」
「クソっ!」
ドン!と蓮がベッドを殴りつけた音が虚しく響く。
相手に先手を取られないために――妹に極力危険な目に遭わせないために強襲を仕掛けたというのに、これでは意味がない。
「こうなったら、俺が姿を現すしかないだろ。……この短剣を抜けば呪文は解けるんだよな?」
「……ちょっと待って」
焦燥に駆られた蓮の行動を制するように待ったを掛けながら天羽はその明晰な頭脳で思考する。
何かがおかしい、と。
(悪魔の目的は蓮君のはず。なのに、足止めしか出来ないような悪魔しか配置されていない。どうして……?)
自身の術の精度に自信がある天羽ではあるが、これだけ大暴れして、なおかつ会話もしていながら十六夜蓮の存在を隠蔽させ続けられるとは思っていない。
確実に悪魔たちは十六夜蓮の侵入に気が付いている。
その上で自分たちを見逃しているのだ。
(本当の目的は蓮君じゃない……? だけど、こんな大掛かりなことをしておいて呼び出しておきながら本目的じゃないとも考えづらい。何が目的? リスクを冒してまで蓮君を呼び出して、時間稼ぎをして……)
と、そこまで考えた天羽の脳裏に電流が走る。
(もしかして、
そう考えれば腑に落ちる……ところがある。
曖昧な表現になったが、天羽にはまだ敵の真の目的を看破することが出来ていないのだ。
だが、分かったのはこのまま何も考えずに敵の掌の上で踊っているわけにはいかないということ。
(悪魔が私たちにされたら嫌なことはなに? 蓮君の命が危険に晒されること? 妹さんを奪還されること? だけど、それじゃあ足止めの理由にはならない。足止めをするからには何か大きな目的があるはず。大きな目的……結界?)
天羽はおぼろげながら敵の目的を看破した。
「蓮君、私からの提案。姿を現すのではなく、結界を破壊しに行きましょう」
「結界を破壊? どうしてだ?」
早く妹を助けたくて仕方がないのだろう。蓮はどこか苛立ちの含まれた表情を浮かべている。天羽は飽くまでも冷静な口調で説明する。
「悪魔たちの動きから考えるに、どうにも私たちをこの結界内に足止めしておきたい意図が見えるの。残念ながら何を企んでいるのか詳細は分からないんだけど……それでも、このまま悪魔たちの意図通りに行動していたら良くない結末を迎えることになるわ」
「……」
「妹さんを助けたい気持ちは良く分かるけれど、蓮君の命を無暗に危険に晒すよりも、今は悪魔たちの意図を挫くことを優先すべきだと考えるわ」
エクソシストとしての思考回路で理路整然と天羽は語る。
冷静な彼女の語り口と目を見て、蓮も少し冷静さを取り戻した。
「その結界っていうのはどうすれば破壊出来るんだ?」
「少し調べてみたんだけど、4つの起点から成立している結界みたい。特定の場所に結界を維持するための柱があるはずだから、それを全て破壊すれば結界は消滅するはずよ」
「……だけど、結界を破壊したからと言って唯が帰ってくる保証はないんだよな?」
「えぇ」
天羽は誠実に頷く。
蓮は項垂れた。
自分の命を懸けて悪魔たちを誘い出すべきか、それとも確証がない彼女の仮説に従って結界を破壊しに行くべきか。
【呪文を解く】
【結界を破壊しよう】
十六夜蓮の前に2つの選択肢が提示される。
彼自身としては今すぐにでも呪文を解いて少しでも早く妹の無事を確認したかった。
だが、エクソシストとして確かな実力を持っており、さらに赤の他人である蓮の為にここまで尽力してくれている天羽璃奈を信じるべきという思いもある。
どうすべきか。
どちらを選ぶべきか。
→【結界を破壊しよう】
少しの間だけ悩んだ後、蓮は選んだ答えを口にした。
「結界を破壊しよう。……璃奈のことを、信じるよ」
「ありがとう」
十六夜蓮からの信頼を受け取り、天羽璃奈は笑顔を浮かべた。
さぁ、信頼されたからには裏切るわけにはいかない。
「それじゃあ、早速行こうか。最初の起点は――こっちだね」
己の感覚を頼りに先を歩き始める天羽。
蓮もまたその背中を追い掛けて歩き出した。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
影がいた。
闇よりも黒い影がいた。
黒い影は羽化する前の蛹のように丸まったまま、目覚めの時を待っている。
待ち望んでいる。
過去の戦で大きな傷を負ってしまった影には濃密な魔力が必要だった。
さらに現世で活動するためには依り代も必要で……やるべきことが山のように積もっている。
影は半ば微睡んだ状態のまま、じろりと自身の前に差し出された依り代を眺める。
依り代である少女は眠りについていた。
赤色の髪に、瞼を開けばその下には髪と同じく赤色の瞳がある美貌の少女。
彼女を物にするため、随分と手間の込んだ仕掛けを用意することになったが、後悔はない。
仮に失敗したとしても、セカンドプランが懐に飛び込んできたのだから。
セカンドプラン――影以外の悪魔にとっては、喉から手が出る程欲しいであろう逸材も、影は特殊な事情からそこまで関心がなかった。
無論、これからの計画に必要不可欠な存在であるからこの場所に呼び出したわけだが、その重要性は目の前の少女に比べれば幾分か劣る。
『……』
影はじーっと赤色の少女を眺める。
悪魔にとって、負の感情は一種の快楽となる。
少女が抱え込んでいた負の感情は、持ち合わせていた性質も相まって非常に濃密な魔力となっている――はずだった。
だが、どうしたことか。
ほんの数日前まで熟成されたワインのように芳醇な香りを放っていた彼女の負の感情は、今日に限って少し薄くなってしまっている。
おまけに、少女が大事に握り締めて離さない――忌々しき、銀色の十字架。
恐らく高位の聖職者によって神聖な霊力が注ぎ込まれたであろうそれは、少女の内側へ入り込もうとする悪魔を拒む結界となっていた。
影の全盛期であればこんなもの、視線を向けるだけで破壊できていたというのに、弱り切った今では触れることもままならない。
影は苛立ち、少しだけ身じろぎして――その僅かな動作で辛うじて形を保っていた自身の一部が崩壊した。
『……』
影は冷めた目で朽ちてゆく己の一部を眺める。
だが、すぐに興味を失ったのか視線を外した。
そして興味対象が再び少女に向く。
『……』
影はじっと少女を眺めていた。
飽きもせず、ただ暗闇の中で微かな光を放つ哀れな少女を見つめ続けていた。
無能な悪魔から侵入者たちが結界の起点に向かっていると遅まきながら報告を受けるその瞬間まで、ずっと。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
「結果的に、璃奈が正しかったってことか?」
「そうみたいだね。……流石にこの数は予想外だけど」
軽口を叩き合う十六夜蓮と天羽璃奈。2人の目の前には廊下を埋め尽くさんばかりにぎっしりと召喚された悪魔の群れがいた。
引き攣った表情を浮かべながら銃口を向ける天羽は蓮の言う通り、自身の仮説があっていたことに安堵していたが、同時にここまで大掛かりなことをする悪魔の意図を測りかね、内心で首を傾げる。
とはいえ、ようやく事態が動き出しそうなのだ。
是非もない。
「蓮君、下がっていてね。――ちょっと本気、出すから」
せっかくなら結界の起点ごと破壊してやろう。
天羽はそんな考えで自身の霊力を高めていく。
彼女から溢れ出る凄まじい力の波動を感じたのか、蓮は大慌てで後方へ避難した。
そうだ。それでいい。
これで、全力を出せる。
「……事態が動かなくて焦っていたのは蓮君だけじゃないからね」
敢えて話さなかった本音を小声で漏らす。
天羽とて人間だ。
物事がうまくいかなければイライラもするし、助けたい人が見つからなければ焦りもする。
十六夜蓮の前でその感情を発露させることはしなかったが、悪魔相手であればいいだろう。
天羽は手に握っている二丁拳銃の真の力を開放すべく、霊力を引き上げて――
「ッ! 天羽! ストップだ!」
「うん、分かっているよ。……そう来るのね」
結界が軋むほどの波動を放っていた二丁拳銃の光が収まる。
蓮の忠告を聞くまでもなく、彼女はそれを目にした瞬間に力の発動を抑制していた。
悪魔の軍勢が、まるでモーセが海を分けた時のように左右に割れる。
その中心には醜悪な悪魔たちとは対照的な美しい存在がいた。
赤色の髪。今は眠ったように閉じられているが、その下には髪色と同じく美しい赤色の瞳がある。
白く、美しい首元には現在、悪魔の鋭利な爪が突きつけられていた。
「唯――!」
蓮が叫ぶ。眠り姫として囚われている彼女こそ探し続けていた十六夜蓮の大事な人。
薄幸の少女、十六夜唯であった。
『ウゴ、クナ、オンナ』
「……」
唯に爪を向けている悪魔を撃ち抜こうとした天羽だが、すぐに指揮を執っていると思わしき中級悪魔の警告を受け、無言で銃口を下ろした。
一秒もあれば唯の周りにいる悪魔を五体は葬れるが、如何せん位置が悪い。
ここから廊下の先まで走ったところで、唯を無傷で回収する前に他の悪魔たちが彼女の命を奪ってしまうだろう。
『ジュウヲ、ステロ』
天羽に発砲の意思がないことを確認した悪魔は、さらに続けて彼女に武装解除を要求する。
「……」
天羽少し考えてから大人しく従った。手に持っていた二丁拳銃を地面に放り投げる。手から武器がなくなるのは痛手だが、天羽からすればこの程度はなんてことはない。
まだ奥の手は残してあるし、逆に銃を捨てることで悪魔の油断を誘えるだろうという考えもあった。
だが――
『カクレテイル、オトコ、デテコイ』
「ッ!」
天羽の二丁拳銃が廊下に転がるところを見た悪魔は続いて、彼女の後ろに視線を向けて指示を出した。
内心、思わず歯噛みする。やはり気が付かれていたか。
どう対応すべきか天羽は瞬時に頭を回転させるが、迷っている数秒に腹を立てた悪魔が人質にされている唯の首に鋭利な爪を食い込ませた瞬間、
「――出て来たぜ、悪魔野郎」
虚空が歪み、天羽が貸し出した短剣で聖言を解いた十六夜蓮が現れた。
その表情は憤怒で染まっており、射殺す勢いで妹を人質に取っている悪魔を睨みつけている。
「蓮君……」
やはり出てきてしまったか。短い時間ではあるが、十六夜蓮という男のことを理解し始めていた天羽はある種の諦めと共に彼を見つめた。
一方、悪魔たちは沸き立っていた。
天羽璃奈に勝るとも劣らない高純度の霊力を身に宿した男が現れたのだ。獲物を前に捕食者たちの本能が刺激されている。
今すぐにでも飛び出していきそうな悪魔たちを視線で抑制し、この中で一番知能が高い中級悪魔は口を開く。
『オトコ、オマエハ――』
「その前に言いたいことがある」
中級悪魔の言葉を遮り、十六夜蓮は堂々とした態度で告げた。
「あんたら、俺が目的なんだろ? ――俺と妹を交換しろ。さもなきゃ、俺はここで自害するぞ」
「蓮君ッ!」
「……これしか、ないんだ」
天羽から手渡され短剣を首元に添え、悲壮な覚悟を宿した瞳で十六夜蓮は言葉を吐き出す。
もう、これしかない。
妹の命を救うにはこれしかない。
彼はそう考えていた。
天羽璃奈の力が凄まじいことは十分に分かっている。彼女が善性の人間であることも分かっている。今もきっと、何か考えてくれていることも何となく伝わっている。
だが、醜悪な悪魔たちに囲まれ、首元に鋭利な爪を突きつけられている妹の姿を目にした瞬間、蓮の我慢の糸はプッツンと切れてしまった。
感情に身を任せた行動であったがしかし、頭の片隅にある冷静な思考回路はこれが正解だとも告げていた。
天羽璃奈に武器を捨てさせたように、あの中級悪魔はこれからあれやこれやと要求を繰り出してくるに違いない。
その内容は全て自分たちにとって不利なもののはずで、それでは妹を助ける前に自分たちが餌食にされて終わりだ。
だから、本当の意味で詰む前に、今動くしかない。
例え、その結果として自分が命を落とすことになったとしても。
決死の覚悟で切り出した十六夜蓮の提案は――悪魔たちの大爆笑によって呆気なく散った。
「はっ――?」
嗤う、笑う、哂う、嗤う。
悪魔たちはおかしくて仕方がないとばかりに醜悪な身体を折り曲げて笑い続ける。
突然切り替わった空気に困惑する蓮と、冷静な目で悪魔たちを観察する天羽。
暫くの間、悪魔たちの嘲るような笑いは続いた。
『オマエ、シニタイノカ?』
ゲラゲラと品のない笑い声をあげていた中級悪魔が、ニヤリと厭らしい笑みを浮かべながら言う。
『ジャア、カッテニシンデロ』
冷たい言葉を浴びせられ、固まる十六夜蓮。
先程の反応からも分かっていたことではあるが、彼らは蓮の命に価値を置いていない。
決死の覚悟は、唾を吐きかけられ、踏みにじられたのだ。
顔を真っ赤にし、俯く蓮に悪魔は冷酷に要求を突きつける。
『オトコ、ジュウヲ、ヒロエ』
「……蓮君、今は従うしかないわ」
「……」
天羽の言葉を受け、蓮はノロノロと廊下に転がっている二丁拳銃の片割れを拾った。
憎たらしいエクソシストたちが自身の言いなりになっていることに快感を覚えながら、悪魔は続けて要求を口にする。
考え得る限り、最悪の要求を。
『ソノジュウデ、オンナヲ、ウテ』
「……はっ?」
蓮は銃を持ったまま固まった。
この悪魔は今、なんと言った?
十六夜蓮に――天羽璃奈を撃てと言ったのか?
『デキナイナラ、コノオンナヲ、コロス』
出来ないのであれば、妹を殺す。
悪魔はどこまでも楽しそうに笑いながら、最悪の選択肢を提示した。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
悪魔は理解していた。
武器を捨てたとはいえ、天羽璃奈がなお恐るべき脅威であることを。
本気になれば、素手で数十体の悪魔を容易く屠る存在であることを。
だからこそ、悪魔たちは彼女には近づかない。
近づかずに――代わりに傍らの少年にその手を汚させることにした。
極めて合理的で、そして何よりも卑劣なやり口だ。
「我ながら、なかなかの妙策だ」
中級悪魔は満足げに鼻を鳴らし、自らの狡猾さを称賛する。
まるで映画の観客のように、期待に胸を膨らませながら、顔面蒼白の少年を眺めた。
――あぁ、そういえばそうだった。
策略など、所詮は後付けの理屈にすぎない。
悪魔たちは、もともとこういう"惨劇"こそが大好物なのだ。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
(璃奈を撃つ……俺が、璃奈を撃つって……?)
一方、悪辣な悪魔から選択権を委ねられた十六夜蓮は混乱の極みにあった。
手に持つ銀色の拳銃の重みが一気に増したような感覚に襲われる。視界が覚束ない。未だかつてない精神的な負荷を受け、今にも吐きそうな心境の中、それでも彼の脳みそは状況を正しく理解しようとする。
(璃奈を撃たなければ……唯が殺される……でも、璃奈を殺したからって、唯が殺されないって言う確証はない……)
グルグルと思考が回る。
『ソノオンナヲ、ウテバ、イモウトハ、コロサナイデ、ヤル』
「ッ!」
その女を撃てば、妹は殺さないでやる。
葛藤する蓮に対し、悪魔たちはさらに見世物を盛り上げようと燃料を投下する。
ふざけた提案を受け、蓮は怒りで血走った目で悪魔たちを睨みつけた。彼らはゲラゲラと楽しそうに笑いながら、唯の首元で鋭利な爪を弄んでいる。
『オンナ、ヨケイナコトヲスルナ、シャベルナ』
さらに悪魔は一瞬――ほんの一瞬だけ身体を動かした天羽を見てすぐに釘を刺した。
『ヨケイナコトヲシタラ、オンナヲ、コロス』
「……」
悪魔の忠告を受け、天羽は静かに手を下ろした。
恐らく何かしらの術を使おうとしていたのだろう。だが、実力がある中級悪魔たちが常に目を光らせており、隙を見出すことが出来そうになかった。
(クソッ! どうすればいいんだ……)
状況は最悪だった。
悪魔の言いなりになれば天羽が死ぬ――それも自分が殺してしまうことになる。
悪魔に逆らえば、唯が殺されてしまう。
(いや、冷静になれ! これは悪魔の誘導だ! 俺に2つしか選択肢がないように見せているだけだ! あるはずだ! 他にも選択肢が!)
蓮はギュッと銀色の拳銃を握り締め――ふと、気が付いた。
天羽は武装解除を強いられたが、自分は今、武器を持っている。
この状況は活かせるのではないか? 例えば、この銃を使って悪魔たちに攻撃を――
「蓮君。冷静になって」
「ッ! 璃奈……」
思い詰めた蓮の思考を落ち着かせる凛とした声。
これから蓮に殺されるかもしれないというのに、落ち着いた表情を崩さずに彼女は告げる。
「妹さんを助けたいんでしょ? なら、選ぶべきは一つよ」
「……お前、本気で言ってるのか? 第一、アイツらが約束を守るなんて確証は――」
「憎たらしい話だけれど、悪魔たちは交わした“契約”は必ず守るわ。たとえ口約束でもね。彼らが私を殺す代わりに唯ちゃんを殺さないというのであれば、それは必ず履行されるわ」
「だからって……」
泣きそうな顔をする蓮に対し、天羽は毅然とした態度で告げた。
「躊躇する理由なんてないわ。蓮君、
「――――」
頭が真っ白になるとはこのことか。
蓮は目を見開き、唖然ととんでもないことを言った少女を見つめる。彼女の顔に笑みはない。真剣そのものの表情で言ったのだ。
自分を撃て。
自分を殺せ、と。
手にもつ銀色の拳銃を見る。その銃は先程まで頑丈な悪魔たちの頭蓋骨を一発で粉砕する恐るべき力を秘めている。天羽が常人よりも遥に強いとはいえ、この銃で撃たれれば流石に死んでしまうだろう。
『サンジュウビョウ、イナイニ、キメロ』
30秒以内に決めろ。
ただでさえ混乱している蓮に追い打ちを掛けるように悪魔は言う。
彼の中で2つの選択肢が浮かび上がる。
【天羽理奈を撃つ】
【悪魔を撃つ】
どうすべきか。
どちらを選ぶべきか。
この場に地藤優斗がいれば、全力で叫んでいただろう。『天羽を撃て!』と。
何故なら、天羽の拳銃から発射される弾丸は全て彼女が編んだ霊力で造られており――そして、その弾丸は悪魔の命こそ奪うものの、
だが、ここで地藤優斗も知らぬ最大のイレギュラーが起きていた。
(璃奈を……撃てるわけがないッ)
十六夜蓮は
この銃に込められた弾丸の秘密を。
何故なら、彼は能力が覚醒したあの夜、天羽璃奈の家で"あるイベント"を経験することがなかったからだ。
――それは、十八禁ゲームに出てくるお決まりの展開。
もし彼があの夜、天羽璃奈の家に泊まっていたら。
彼女の屋敷の複雑な構造に翻弄され、頭の中で響く謎の声に気を取られ、先客の存在に気づかぬまま風呂場へと突入していただろう。
そして――湯気の立ち込める浴室で、風呂上がりの天羽璃奈と鉢合わせることになったはずだ。
当然の如く、天羽は真っ赤になって激怒。
二丁拳銃を召喚し、容赦なく弾丸を乱射した。
だが、蓮は
死ぬほど痛い思いをしたが、身体に傷ひとつ残らなかったのだ。
しかし――"原作のイベント"を経験していない蓮は、その事実を知らない。
だからこそ、今、目の前で天羽がまっすぐに自分を見つめるその姿が、見当違いな自己犠牲に見えてしまう。
すべては、そう――
天羽璃奈が、救いようのない愚か者に操を立ててしまったがゆえに。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
すれ違いが起きている。
冷静な天羽璃奈は思い詰める十六夜蓮の表情を見て状況を正しく理解していた。
理解しているが故に事態の深刻さにも気が付いている。
(こんなことになるんなら、武器の詳細を教えておけば良かった……私のミスね)
内心でコミュニケーション不足を反省する天羽だが、まずは何とかこの状況を切り抜けるしかない。
天羽を撃てば、全てが上手くいく。彼女にその銃は効かないのだから。だが、事情を知らない蓮にそれを期待するのは無理だ。焦りと混乱に満ちた表情――冷静さなど欠片もない。むしろ、このままでは何か取り返しのつかないことをしでかす。そう確信できるほど、彼の目は危うく燃えていた。
「蓮君!」
弾丸の正体を彼に伝えたいが、悪魔の目と耳がある場所で伝えても作戦が筒抜けになるだけだ。
故に――
「私を……信じて!」
彼女は歯がゆさを噛み殺しながらも、十六夜蓮に自分の想いが届くことを信じ、必死に訴えるしかなかった。
真っ直ぐに彼の瞳を見つめ、自分を信じろと叫ぶ。
神秘的な紫色の瞳は一点の曇りもなく、まるで見つめる者の心を浄化するかのように美しい――だからこそ、今の十六夜蓮には逆効果だった。
彼は気づき始めていたのだ。
天羽璃奈という少女が、どこか歪であることを。
お人好し、という言葉では到底収まらない、異常なまでの善性。
穏やかで冷静な仮面の奥に潜む、危うさ。
時折見せる、ぞっとするほど美しく、切なげな瞳。
十六夜蓮にとって、天羽璃奈はこの上なく鮮烈な美しさを持つ少女だった。
だが、それと同時に――彼女は、人のためなら迷いなく自らの命を差し出せる。そんな異常さすら秘めていると感じていた。
だからこそ、蓮は彼女の言葉の裏に隠された真意を見抜けない。
天羽璃奈なら、本気で「撃て」と言うかもしれないから。
(俺は……天羽璃奈を死なせたくはない)
我儘だと言われても仕方がない。
妹だけを見ていたんじゃないかと非難されても、反論の余地はない。
それでも、蓮は確かに思ってしまったのだ。
――天羽璃奈を守りたい、と。
出会ってからの時間は短い。
それでも彼女を死なせるなんて、それも自分の手で殺すなんて、考えられるはずがなかった。
彼女は、命の危険を冒してまで妹を救おうとしてくれた恩人だ。
その恩に仇で報いるなんて、十六夜蓮にできるはずがない。
それは彼女を裏切る行為であり――何より、自分自身を裏切ることになる。
だから蓮は、その選択肢を頭から消した。
……心の奥底に芽生えてしまった彼女への想いに、気づかぬふりをしたまま。
(この銃があれば、まだ突破口を開けるはずだ……!)
「璃奈」
十六夜蓮は選んだ。
→【悪魔を撃つ】
「合わせてくれ!」
誤った答えを。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
十六夜のエクソシストにおける天羽璃奈ルートで最も大切なことは、「とにかく天羽璃奈を信じること。ただし、彼女の自己評価を除く」である。
初心者向けのルートということもあり、天羽璃奈ルートの選択肢はどれも簡単で分かりやすく、実力者にして人格者でもある天羽を信じていれば大概何とかなるという親切設計だ。
……ただ、天羽もこの作品のキャラクターにありがちな「異常なまでに自己評価が低い」属性を持っているので、彼女が自身について言及する場面だけは信じてはいけないのだが、戦闘場面での選択肢は脳死で彼女の言うことに従っていれば大丈夫だ。
だが。
逆に言うと、天羽璃奈を信じ切れなかったその時、プレイヤーたちはとんでもないペナルティを食らうことになる。
思い出したくもない。
ゲーマー根性を発揮し、どうせなら全部の選択肢を見てやると意気込み、敢えて誤った選択肢を選んでみた時のことを。
あれは本当に、最悪だった。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
「……璃奈、合わせてくれ!」
「まって――!」
天羽の制止も虚しく、十六夜蓮は拾った拳銃の銃口を悪魔に向け――咄嗟に思い直してすぐ近くにある
『ナニ⁉』
緊迫した場面でこそ頭が切れる十六夜蓮は愚直に悪魔を撃ち抜くのではなく、その場を混乱させることを選んだ。
撃ち抜かれた消火器から溢れ出した白い煙が天羽と十六夜蓮の姿を隠していく。
「璃奈!」
十六夜蓮は混沌とした状況の中、天羽に握っていた拳銃を投げ渡した。
言いたいことは山ほどがあるが、ここで無駄な時間を消費するわけにはいかない。
天羽は反射的に拳銃を受け取ると、地面に捨てたもう一丁も拾い――そのまま一瞬で移動し、蓮が撃ち抜いた消火器を悪魔の群れの中に蹴り飛ばした。
煙幕となった消火器は予想外の行動に固まる悪魔たちの中に投下され、さらに事態を混乱させる。
その隙を逃さず、天羽は突撃する。
慌てた悪魔たちが十六夜唯を脅しの道具にしようとするが――遅い。
煙幕越しでも悪魔たちの立ち位置を把握していた天羽が、一秒で唯を取り囲んでいる悪魔を五体撃ち抜いた。
そのまま唯を奪還すべく、凄まじい霊力を身に纏わせながらあと少しの距離を詰めようとする。
だが彼女の奮闘も虚しく、
2人は選択肢を誤った代償を払わされることになる。
『ソノチヲ、モラウゾ』
「なっ――ぐあっ!」
正しい選択肢を選んだのであれば――
蓮に撃たれた天羽は死んだふりをし、悪魔たちが完全に慢心した隙をついて完璧に唯を奪還し、蓮も連れてその場を離脱していた。
正しい選択肢を選んだのであれば――
天羽は十六夜蓮に接近していたそれに気が付き、簡単に撃退していた。
正しい選択肢を選んだのであれば――
ここは地獄にはならなかった。
「ッ⁉」
天羽はこれまでの人生で最大級の悪寒に襲われた。何か、
あと少しで唯を奪還できるというのに、警鐘を鳴らす本能に従い背後を振り向く。
視線の先では十六夜蓮が悪魔に襲われ、不気味な短剣に脇腹を刺されていた。
まずい、とは思うが致命傷ではない。
天羽の秘術があればあの程度の傷、どうとでもなる。
しかし、天羽のアラートは鳴り止まない。寧ろ、あの血に濡れた短剣を見た瞬間から最悪の方向に運命が流れていることを直感的に悟った。
敵の目的は未だにはっきりしない。
あの短剣の正体も分からない。
だが、天羽は普段の彼女では考えられない思考回路で例外的な決断を下した。
十六夜唯を救うのではなく、あの短剣を持つ悪魔を撃つことを。
思考に要した時間は僅か0.5秒。
天羽はすぐに脚を止めて短剣を持つ悪魔を撃った。
一撃とは言わない。必ずその命を奪う為、数十発の弾丸を容赦なく浴びせる。
彼女の判断は正しい。何も間違っていない。エクソシストとして甘い考えを持っている彼女ではあるが、その選択だけは誰も否定しないだろう。
だが、彼女の努力では間違えた選択肢を正すには至らない。
全ては遅く、
彼女たちの運命は道を違えた。
全身に風穴を開けられた悪魔は歓喜に満ちた表情でその短剣を廊下に突き立てる。
『■■■■■■■■■■■■■■――!』
封じられし影が歓喜の声を上げた。
十六夜唯に渡された銀色の十字架が神々しい光を放つが、そんなか弱い光、今となっては無意味だ。
底知れない悪意と魔力が病院を包み込む。
天羽はあまりにも濃密なその魔力を受け、一瞬だが平衡感覚を失った。
蓮は一瞬、心臓が止まった。
無造作に放出されていた濃密な魔力はやがて、一つの場所へ収束する。
「そんな――!」
ここに至りようやく敵の目的を悟った天羽は、魔力が集っていく場所を見て驚愕に目を見開いた。
悪魔たちの骸が、じわじわと黒い渦へと飲み込まれていく。
それはまるで、見えざる手が死者を貪るかのように、蠢きながら絡みつき、溶かし、ひとつの塊へと還していった。
その中心に君臨しているのは、意識を失った十六夜唯だ。
黒いベールのような魔力が、花嫁のドレスのごとく彼女の身体を覆い尽くしていく。
だが、それは決して祝福などではなかった。
暗い深淵から這い出るように、唯の指が微かに動く。
そして、ゆっくりとその瞳が開かれた。
――美しく紅かった瞳は、今や歪な黄金へと塗り替えられていた。
そこに宿るのは、人の理を踏み荒らす、禍々しき狂気の輝きだった。