世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
紅の戦君バルナハルト。
その存在自体は皆が知っているものの、その具体的な恐ろしさを知るエクソシストはいない。
何故なら、彼が現世に出現することは容量的に難しく――そして、彼と魔界で遭遇した者は漏れなく殺されており、その脅威を仲間たちに伝えることができなかったからだ。
紅蓮の甲冑など、分かりやすい特徴は周知の事実ではあったが、結局四騎士の実態は何も掴めないまま時間だけが流れていた。
故にレイたちは、情報も何もないまま、ただ“悪魔の中でも最上位の存在”ということだけを知っている相手と相対することになったのである。
一歩を踏み出した紅の戦君バルナハルトは、エクソシストたちの中でも一際強い魔力を持つレイに目を付けた。
自害した大公によってつくられた偽りの地面を蹴り――
「ッ!」
――次の瞬間、空間跳躍をしたのかと見紛うほどの速度でレイの元まで接近した。
重厚な甲冑からは想像もできない俊敏性に面食らうも、レイもスピードを持ち味とする戦士だ。決して対応できない速度ではない。
逆に、あちらから接近してきたのであれば好都合である。
四騎士の力が不明の今、やるべきことはただ己の全力をぶつけるのみ。
レイは凄まじい速度で刀を抜刀し、柄に手を当てる。
狙うは一撃必殺のカウンター。
「斬霞刀・一の型『霧散残月』――!」
放たれる渾身の一撃。
眩い銀の輝きが満ち、悪魔を祓う聖なる力が作用する。
その刃は一直線に四騎士へと直撃し――
「えっ」
レイは思わず間抜けな声を漏らした。
彼女の渾身の一撃は直撃していた。意外なほど、あっさりと。
てっきり何かしらの能力で防がれるものだと思っていたが、防御態勢を取るつもりもないバルナハルトの甲冑に直撃していた。
本気のレイの抜刀術は音速も超える。
加えて、吸血鬼特有の膨大な魔力と強靭な膂力に身を任せた一撃は、並大抵の悪魔であれば一刀両断――あるいは肉片一つ残さず消し飛ばすほどの威力を秘めている。
その鋭い切っ先は、四騎士の紅蓮の甲冑に傷をつけていた。
これまた、意外なほどにあっさりと。
決して困るようなことではないが、血の大公に散々手こずらされた記憶があるレイは、内心で少し意外に思っていた。
もしかしたら、降臨したばかりで寝ぼけているような状態なのかもしれない。
であれば、今がチャンスだ。
「はぁッ――!」
レイは刀身に膨大な霊力を纏わせ、凄まじい速度で身動きを取る気配のないバルナハルトを斬りつけた。
紅蓮の甲冑が傷ついていく。
悪魔の頂点、あの四騎士を相手に攻勢に出られている。
レイに少し浮ついた高揚感があったことは否定しきれない。
しかし、連撃の最中、冷静さを取り戻したレイは突如として攻撃を止め、一気に距離を取った。
「Ms.レイ……?」
突然攻撃を中止したレイに、ユリウスが訝しげな視線を送る。
一方、間近でバルナハルト相手に攻撃を仕掛け続けていたレイは気づいていた。
「攻撃に対して耐性を得ている……?」
彼女の渾身の一撃は確かにバルナハルトの甲冑に傷をつけていた。
だが、その後に続く連撃が――通らない。
さらに、鎧につけられた傷もあっという間に再生されており、バルナハルトの紅蓮の甲冑はまるで最初から無傷だったかのように、禍々しい輝きを放っていた。
『
大概の攻撃をかすり傷で済ませる圧倒的な防御力を誇る、バルナハルト自慢の甲冑。
その能力はシンプルで、一度喰らった技に対しては以前よりも強い耐性を得るという、反則じみた性能だ。
加えて自動再生機能まで付与されており、破壊は極めて難しい。
さらに――
紅の戦君バルナハルトは無言で右腕を持ち上げると、何かを掴み取るように空間でグッと掌を握り込んだ。
それと同時に空間が捻じ曲がり、武骨な剣が出現する。
豪奢な紅蓮の甲冑とは対照的に、戦うためだけに用意されたような剣。
武骨な剣を構え、バルナハルトは再び一歩を踏み込む。
レイにも匹敵する圧倒的な速度で彼女に接近した四騎士は、刀身を振り翳した。
充填されている膨大な魔力。
その輝きは、銀。
「そ、それは――」
レイは目を見開いた。
四騎士を前に許されない油断と隙である。
だが、それも仕方のないことだった。
何故なら、その技は間違いなく彼女の見覚えがあるものだったから。
その技は――
「――私の……」
そして、レイは
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
紅の戦君バルナハルトは、悪魔の中でも最大の“容量”を持つ悪魔である。
それは彼自身の情報量が多いのもそうだが、何よりも彼の能力に理由がある。
『
その能力は単純明快で――受けた敵の攻撃能力を完全にコピーし、己の中に権能の一つとしてストックする能力である。
彼はこれまで幾千幾万の悪魔、エクソシストたちと戦いを繰り広げてきており、そして対戦相手の技術のすべてを吸収してきた。
つまり、バナルハルトは文字通り、戦えば戦うほど強くなるのだ。
彼の容量が膨れ上がり、いつまで経っても現世に顕現できなかった背景には、そうして蒐集した能力のストック過多がある。
さらに厄介なことに――彼の力はただコピーするだけではない。
「Ms.レイ……!」
ユリウスの叫び声が響く。
彼は見ていた。紅の戦君バルナハルトが放った銀色の斬撃がレイを呑み込んだその瞬間を。
その斬撃が、レイの放った斬撃よりも明らかに巨大であったことを。
『
敵の技をコピーするだけに留まらず、そこからバルナハルトの出力に合わせて“改良”まで施すことができる能力である。
「Ms.レイ! ご無事ですか⁉」
ユリウスの声が響く。
彼の視線の先では白煙が立ち込めており、己の技を喰らった霧島レイの安否は分からない。
しかしその直後、彼の声に応えるように白煙の中から、キラキラと輝く銀色の霧が噴出した。
「――すいません、ご心配をお掛けしました。この通り、無事です」
紅の戦君バルナハルトが動く気配がないことを確認したレイは、霧の状態のままユリウスたちの元まで後退した。
「良かったです……しかし、先程のは――」
「えぇ。間違いなく、私の技です。どうやら、技をコピーするのがあの四騎士の能力のようですね。……元々、対悪魔用の技ですから、お陰で私にはそこまで効き目がなくて助かりました」
「……しかし、逆に言えば、彼の能力は我々エクソシスト側の能力を精巧に複製できるということになりますね」
エクソシストにとって、悪魔と戦うための技や情報は貴重な資源だ。
決して知られるわけにはいかない機密である。
仮に悪魔退治の技術が流出しようものなら、悪魔たちに対策を練られてしまう。
だからこそ教会は情報流出に対して徹底的に対策を練っており、悪魔に向けるものと同程度の苛烈さで身内の裏切り者たちを粛正してきた背景がある。
そんな秩序のもとにエクソシストと悪魔の戦争は成り立っていたわけだが、紅の戦君の能力は、その秩序を真っ向から破壊しかねない危険なものだ。
彼が1人いるだけで、エクソシスト側に齎される被害は計り知れない。
技を使わない、という選択肢はない。
使わなければ、無惨に殺されるだけだ。
だが、使ったところでコピーされてしまう。
これでは、手の出しようが――
『……攻撃してこないのか?』
レイたちが次の一手を迷っていたその時、紅蓮の甲冑の中からくぐもった声が聞こえてきた。
地を這うような低い声。
咄嗟に身構えるエクソシストたちだが、不用意に動くようなことはしない。
その姿をじっと見つめていたバルナハルトの甲冑の肩が、少しだけ動いた。
それは、人間が落胆した時に肩を落とす動作によく似ていた。
『……なら、いい』
見切りをつけたような台詞。
ならいい。
もういい。
どうでもいい。
そんなアンニュイなニュアンスを感じさせるような溜息を兜の中でついてから、紅の戦君バルナハルトは軽い動作で地面を蹴った。
重厚な鎧を身に纏ったその身体が上昇していく。見上げてくるエクソシストたちを見下ろしながら、彼は億劫そうにその右腕を持ち上げた。
そして――
『
その瞬間、紅の戦君バルナハルトの頭上に、まるで夜空を逆さに貼り付けたかのような光景が広がった。
満天の星々のように輝く、凶悪な光の群れ。
だが、その美しさは一瞬で恐怖へと変わる。
光の一粒一粒が、世界を滅ぼし得る悪魔の権能だった。
数百年を生きる悪魔四騎士、紅の戦君バルナハルト。
彼が蓄えた権能の総数は――七万五千三百六十四に及ぶ。
その数だけでも常軌を逸している。
だが、真に恐るべきは数ではない。
所有する権能のすべてを、
数は暴力だ。
戦いであるなら、なおのこと。
そしてその数が、すべて一級品の殺戮能力であるなら――バルナハルトを止められる存在など、この世にいない。
だが。
『……この程度しか展開できないのか』
己が展開した星空を見上げながら、バルナハルトはどこか不服そうに呟いた。
その声音には、明確な失望が滲んでいた。
その容量の大きさから現世への直接降臨ではなく、部下である大公が展開した空間への降臨という裏技で顕現した彼ではあるが、さすがに魔界の力をそのまま持ち込むには、この箱庭は狭すぎた。
現在展開されている権能は、本来の彼からすれば十分の一程度に過ぎず、七万もの権能は展開できていなかった。
不満を漏らすのも無理はないだろう。
「――――」
一方、レイたちは言葉を失い、ただ天を見上げていた。
戦いがどうだとか。
自分たちの技がどうだとか。
そういう次元ではない。
これは、災厄そのものだ。
正に理不尽の極み。
戦うことが――相対したことが間違いだったとしか思えない、戦争の化身。
「……ユリウス殿、急いで結界の展開を」
恐怖と絶望に呑まれ、誰一人として声を発せなくなった中で、唯一、霧島レイだけが動けていた。
乾いた声で隣のユリウスに指示を送る。
いつも飄々としていたユリウスは、平時の余裕を完全に失い、ただ呆然と頭上を見上げていた。
「ユリウス殿ッ!」
雷のようなレイの一喝が飛ぶ。その声に叩き起こされるように、ユリウスはようやく正気を取り戻した。
彼は震える手で槍を地面に突き立て、周囲のエクソシストたちを守護する結界を展開する。
「全員、構えてッ! それから――」
レイが何を言おうとしたのかは分からない。
最後まで諦めない彼女のことだ、きっと皆を鼓舞する言葉だったのだろう。
だが、その声が仲間たちに届くことはなかった。
『……』
紅の戦君バルナハルトは、何の感慨もなく右腕を振り下ろした。
王の命を受け、待機していた権能たちが静かに稼働する。
そして。
星が、落ちてきた。
天を覆う光の群れが、一斉に。
世界そのものを焼き尽くす滅びの雨のように、レイたちへ向かって殺到した。
光が尾を引き、空間が悲鳴を上げる。
ユリウスの展開した結界は、最初の五つの権能を弾いた。
だが、それだけだった。
次の瞬間、結界は紙のように破れ、無数の権能が容赦なく、無慈悲にエクソシストたちへ降り注いだ。
「そん、な――――」
大公クラスとは比較にもならない。
戦うことすら許されない、絶望的な力の差。
ユリウスは胸に下げた十字架を握り締めたまま、数多の権能に身体を貫かれ、抵抗する間もなく絶命した。
「おおおおおおおおおおおお――!」
十六夜蓮は必死に巨剣を振るい、戦闘経験不足とは思えない覇気と霊力を放っていた。
順番が違えば、彼は本来の力を覚醒させ、もっと戦えたのかもしれない。
だが、今回は相手が悪すぎた。
その才覚を発揮する場を与えられることなく、彼の身体は肉片一つ残さず吹き飛ばされた。
長谷川も、八馬継メイも、獅子頭も――抵抗らしい抵抗をする間もなく、その命を散らした。
そして、霧島レイ。
原種の吸血鬼として圧倒的な超速再生能力を持つ彼女でさえ、回復する隙すら与えられないほどの怒涛の攻撃を浴びればどうしようもない。
さらに、飛来する権能の中には“不死殺し”が混じっていた。
「ユウ、ト……」
最後の最後、恨み言でも泣き言でもなく、ただ己の主の名を呟いたのは、最期まで彼女が誇り高き“剣”であった証だろう。
頭を吹き飛ばされ、心臓を不死殺しの権能で貫かれ――霧島レイもまた、あまりにも呆気なく死亡した。
走馬灯を見る間もなく、己の死力を出し尽くして抵抗することもできず、ごみ屑のように蹴散らされたのだ。
淡々とエクソシストたちを始末した紅の戦君バルナハルトは興味を失ったように背を向けた。
彼にはこれからやるべきことが山ほどある。
早々に始末したエクソシスト共に割く時間などないのだ。
「な――んちゃって☆」
鉄錆の世界に、場違いなほど軽やかな声が響き渡った。
低く、艶やかなアルトの声。
聞き覚えのあるその声に、バルナハルトは弾かれたように振り返る。
パリンッ――と、鏡に罅が入ったような涼やかな音が空間を震わせた。
「それじゃあ、第二ラウンド、行ってみようか」
警戒に指が鳴らされる。
そして、虚像は粉々に砕け散った。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
まるで巨大な鏡が割れたかのような音と共に、世界がゆっくりと移り変わる。
虚飾は剥がれ落ち、隠されていた実像が浮かび上がる。
紅の戦君バルナハルトが更地にしたはずの場所には、先程と全く同じ姿のエクソシストたちが立っていた。
全員、生きていた。
全員、混乱した表情で立ち尽くしていた。
「……生きて、る?」
霧島レイは己の身体を見下ろし、茫然と呟いた。
彼女たちは確かに死んだはずだった。
数多の権能に身体を貫かれ、抵抗の余地もなく消滅したはずだった。
その光景を、確かに
……見ていた?
「一体、何が起きたんでしょうか……」
自分たちが殺される場面を目撃したはずなのに、どこか現実味がなく、記憶が靄がかったように曖昧だ。
ユリウスは困惑したまま首を傾げた。
エクソシストたちが動揺する中、紅の戦君バルナハルトは、徐々に状況を理解し始めていた。
『……鏡の大公の力か』
四騎士の目すら欺くほどの擬態。
世界そのものを塗り替え、騙す大掛かりな権能。
これを行使できる存在は一人だけ。
彼の部下であった鏡の大公である。
だが、鏡の大公はすでに消滅している。
それはバルナハルト自身がよく知っている事実だ。
故に、この力を行使できる者はただ一人。
鏡の大公を殺し、その力を簒奪した者だけである。
『メフィラ……!』
その声に宿る感情を、彼自身は理解していなかった。
『メフィラ……! いるな! どこだ! どこにいる! 姿を現せッ!』
これまでの寡黙でミステリアスな印象を完全に捨て去り、ただ感情のままに叫ぶ紅の戦君バルナハルト。
紅蓮の甲冑は熱を帯びたように脈動し、戦気が爆ぜ、魔力が渦を巻く。
声だけで世界を震わせながら、黄金の瞳がせわしなく周囲を探る。
だが、あの悪魔の姿はどこにもない。
件の悪魔は、ここではないどこか――誰にも視認できない鏡の世界に身を潜め、優雅に、そして愉快そうに嗤っていた。
「フフフ、四騎士が犬みたいに吠えるんじゃないよ。品位が下がるじゃないか」
彼女には、彼の前に姿を現すつもりなど毛頭ない。
故に――
『俺と決着をつけたいんだろう⁉ 面倒だからさっさと出て来いッ!』
露骨な挑発を受けても、彼女は肩を竦めるだけだった。
「決着をつけたいのはそっちの方のくせに。……相変わらず面倒な奴だねぇ」
動揺し、感情を乱すバルナハルトを、彼女は面白そうに――いや、軽蔑するように見下ろしていた。
「ああいう面倒な奴の相手は、同じく面倒な……失礼、豪快な方に任せるべきだね」
ケラケラと笑いながら、メフィラは別の空間へ視線を向ける。
そこには、一人の女性の姿が映し出されていた。
現世から隔離されたこの世界へ、一直線に向かってくる流星のような少女。
やがて空間に近づいた彼女は拳を振り上げ、豪快に壁へ叩きつけた。
地割れのような轟音が響き渡り、空に巨大な亀裂が走る。
「さて――後は頼みますよ、姉上」
生じた亀裂の中から、一人の少女がゆっくりと舞い降りてくる。
漆黒のドレス。
鮮やかな赤の長髪。
黄金と真紅の瞳。
その姿は、まるで堕天した天使のようだった。
『貴女は……』
感情を乱し、我を忘れていたバルナハルトの動きが止まる。
黄金の瞳が大きく見開かれ、降臨した少女を真っすぐに見据えた。
「久しいのぉ、小僧――」
少女の姿をした四騎士、死王女モルヴェリアが言葉を紡ぐ。
「――久々に、四騎士同士で喧嘩でもしてやろうかの」
不敵な笑みを浮かべ、モルヴェリアは人差し指を翳した。