世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第85話:意味はない私の話

 

 紅の戦君バルナハルトと、死王女モルヴェリア。

 

 二人の関係は、数百年という途方もない時間を共に歩んできた長い因縁だ。

 互いに魔界の頂点に君臨し、絶対的な力を振るっていた二人の関係は対等――ではなく、とあるエクソシストに敗北して魔界を追われたその日まで、圧倒的に死王女優位の関係だった。

 

 単純に、モルヴェリアの方が強かったのだ。

 

 バルナハルトも恐ろしいほどの強さをもった四騎士ではあるが――対戦するごとに力を増し、ストックを増やしていく大器晩成型の彼に対し、モルヴェリアは最初から完成された生まれついての絶対強者だった。

 

 指を指せば敵は死ぬ。

 物は朽ち、権能はその効果を丸ごと殺されて無力化される。

 抗いようのない“死”を自由自在に操る彼女に真っ向から太刀打ちできるだけでも大したものと言えたが、とにかくバルナハルトはここ数百年、モルヴェリアに勝利したことがなかった。

 故に、モルヴェリアはバルナハルトのことを「小僧」と呼び、バルナハルトはモルヴェリアに頭が上がらない関係が続いていたのだが――

 

『……まずいのぉ』

 

 唯から一時的に身体の主導権を譲り受けたモルヴェリアが、 珍しく弱気な声を漏らした。

 

 彼女の表情は優れない。

 それも無理はないだろう。

 

 数百年続いた力関係が、今まさに崩れようとしているのだから。

 

 空に展開された、数えるのもバカらしくなるような――星空のような権能群。

 モルヴェリアは対抗するように、背後に無数の“死の剣”を展開した。 バルナハルトが右腕を振り下ろすのに合わせ、 死王女もまた指を弾く。

 

 次の瞬間、鉄の要塞全体が爆心地になった。

 

 権能と死の剣が衝突し、空間が悲鳴を上げる

 光が弾け、闇が裂け、世界の色が何度も反転する。

 モルヴェリアを殺そうとする権能を死の剣が貫き、無効化。

 逆にバルナハルトを狙った死の剣を権能が盾となり、無効化。

 

 互いに一歩も動かぬまま、一秒間に数百回の殺し合いが繰り返される。

 

 衝突音が雷鳴のように響き渡る。

 魔力の奔流は竜巻のように渦巻き、空間はひび割れ、鉄の要塞は軋み、世界そのものが悲鳴を上げていた。

 常人なら一瞬で魔力中毒を起こし、細胞が焼き切れて死ぬほどの高濃度魔力が空間に満ちる。

 

「皆さん、動かないでくださいよ……!」

 

 ユリウスは槍を地面へ深く突き刺し、仲間たちを包み込むように巨大な結界を展開した。

 鉄の大公の攻撃すら防いだ強力な結界だが、今はその結界が戦いの余波だけで軋み、ひび割れ、今にも粉砕されそうになっている。

 

「これが……四騎士か……!」

 

 レイが歯を食いしばり、霊力を結界へ注ぎ込む。

 黄金の結界が二重、三重と重なり、ようやく余波を押し返し始めた。

 だが、外では依然として世界そのものを揺らすような超次元の戦いが続いている。

 

 もはやユリウスたちにどうこうできる領域ではない。

 直接戦うどころか、余波に触れただけで肉体が霧散するだろう。

 全員が結界の中で肩を寄せ合い、祈るような気持ちでただ耐えるしかできない。

 

 轟音が空間を裂き続けていたその最中。

 不意に、音が止んだ。

 

「止まった……?」

 

 突然止まった音に驚きながら頭上を見上げるレイ。

 彼女の視界が自動的に拡大され、何が起きたのかを脳が把握しようとする。

 拡大されたレイの視界の中には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の姿が映し出されていた。

 

『モルヴェリアさん……⁉』

 

 唯が身体の中で悲鳴を上げる。

 モルヴェリアは無言で権能に貫かれた右肩を眺めてから、すぐに左手を当てて魔力を流し込んだ。

 それだけの動作であっという間に出血は止まり、肩は元通りに再生された。

 

『すまんな、ユイ。お主の身体を傷つけてしまった……こうして治したから許してくれ』

『い、いえ、私の身体のことはどうでもいいんですが、その……』

 

 唯は言いづらそうに、心の中からモルヴェリアを見つめた。

 

 唯の知るモルヴェリアは、史上最強の悪魔だ。

 全てを消滅させる唯一無二の権能を持ち、その権能を無尽蔵に連発できる魔力量を備えた、理不尽の権化。

 彼女が本気を出せば、勝てない相手などいない。

 なぜなら、彼女は“死”の化身であり、生あるものは彼女に勝てない宿命なのだから。

 

 生まれついての絶対王者にして、超越者。

 

 だからこそ――そんなモルヴェリアが()()()()()()()()()、被弾したという事実そのものが、唯には信じられなかった。

 

 死王女の異名を持つ四騎士はいつものように毅然とした態度のまま、小さく溜息をついた。

 

『案ずるな。久々の運動で少し鈍っておっただけじゃ。……まさか、儂があの小僧に後れを取るとはのぉ……』

 

 十六夜唯の身体に憑依することで現世に復活したモルヴェリアだが、未だに全盛期の力は取り戻せていない。

 

 原作の展開であれば、エクソシスト、悪魔、さらには一般人まで手に掛けて魔力を吸い上げ、徐々に本調子へ戻っていき、最終的には全てを蹂躙する“史上最強の四騎士”へと回帰していたのだが――この世界では一般人としての生活を楽しむ唯に気を遣い、そういった行為を一切していなかった。

 結果として今のモルヴェリアは中途半端な状態のまま、かつて互角に戦い合った同格の四騎士を相手にすることになってしまったのだ。

 バルナハルトも本調子ではなさそうとはいえ、現状では明らかにモルヴェリアの方が不利だ。

 

 さらに、問題はそれだけではない。

 

『モルヴェリアさん。その、先輩から預かっていたあの少女のことですが――』

『あぁ。あの小娘を途中で奪われたのは痛手じゃったな……』

 

 この世界に飛び込む直前のことを思い出す。

 

 唯とモルヴェリアは、地藤から託された赤髪褐色肌の少女を抱え、彼が繋いだ道を進んでいた。

 その最中、どこからともなく伸びてきた黒い腕に、少女を奪われたのだ。

 当然、即座に迎撃しようとしたモルヴェリアだったが――

 

『……まさか、父上も絡んでおるとはのぉ……』

 

 その腕の主を本能的に悟り、反射的に攻撃を躊躇ってしまった。

 結果、少女は攫われてしまい、探知が苦手なモルヴェリアは追跡もできず――なし崩し的にこの世界へ突入し、今に至る。

 

『愚妹に、小僧に、父上に、儂か……魔界の同窓会かのぉ』

『そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですよっ! このままじゃ、モルヴェリアさんが――』

『案ずるな、ユイ』

 

 心配する少女へ、王女は断言する。

 

『あのような虚無的な小僧にしてやられるほど落ちぶれてはおらん。誰が魔界最強か、今一度叩き込んでくれる』

 

 ポキポキと指を鳴らし、好戦的な笑みを浮かべる死王女モルヴェリア。

 その自信に揺らぎはない。

 例え不利な状況だと理解していても、これまで積み上げてきた圧倒的な戦果が、彼女の背を支えている。

 

『じゃが……少し、荒い戦いになるやもしれん。お主の身体を酷使することになるやもしれんが、許してくれ、ユイ』

 

 決して不利な状況であるとは口にしなかったものの、高慢で我が強いモルヴェリアらしからぬ発言に、唯は現在の状況を悟る。

 だが、それを感じさせない明るい声で彼女は言った。

 

『もちろんです! 私に、モルヴェリアさんが最強だってところを見せてくださいッ!』

 

 契約者からの声援を受け、モルヴェリアは口元に笑みを浮かべた。

 

『もちろんじゃっ! 四騎士最強の力、証明してやろうッ!』

 

 黒衣を翻し、死王女は飛翔する。

 

 再び、権能が星屑のように空を埋め尽くし――

 黒い流星との壮絶な撃ち合いが始まった。

 

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 

「いいかい。我が愛しの契約者様から目を離しちゃダメだよ」

 

 メフィラがいつになく真剣な目で私に言う。

 私は適当に頷いた。

 

「……何度も言うなよ。もう分かったから」

「何度だって言うさ。君はまだきちんと理解できていないようだから」

 

 溜息をつきながらメフィラは私の額を人差し指で小突く。

 

「見た目はただの少年だけれど、その中身は僕並みに恐ろしい悪魔だからね。油断したり、同情したりするとあっという間に寝首を掻かれるよ」

「マジか」

 

 メフィラ並みに恐ろしい――それは確かに、恐ろしい悪魔だ。

 私はようやくメフィラがどうして執拗に忠告してくるのかを悟った。

 珍しく、親心的なものを出してきたのかもしれない。

 

「まぁ、やる気がない君が寝首を掻かれて猫のようにビックリして飛び上がるところも見てみたいものだけれど――」

「おい」

 

 訂正。やっぱり、コイツに情なんてものはない。

 

「ただ、今回に限っては我が愛しの契約者様に状況をかき乱される方が厄介だからね。しっかりと監視を頼むよ」

 

 メフィラがここまで警戒するのだから、地藤優斗という男は相当に厄介なのだろう。

 まだ顔は見たことがないが、さぞかし憎たらしい顔をしているに違いない。

 

 それはそれとして。

 私はここで気になることを聞いてみることにした。

 

「……なぁ、それなんなんだ?」

「というと?」

「その“我が愛しの契約者様”ってやつだよ。どうして名前で呼ばないんだ? その言い方の方が長くなるだろ」

「……」

 

 全く予期していない質問だったのか、メフィラの目が丸くなる。

 初めて見たな、コイツのこんな顔。

 

「ふむ、どうして、か……そう問われると難しいね。そう呼びたいから呼んでいるとしか言いようがないけれど、確かに長いから合理的ではないね……」

 

 かと思えば、腕を組んで指を顎に当てながら真剣に考え込み始めた。

 コイツは徹底した合理主義者で、やることなすこと全てに意味があるような奴だが――そんな彼女自身もよく分かっていなかったらしい。

 

「これは困った。分からないな……」

 

 首を捻りながら唸るような声を出すメフィラ。

 いつもニヤニヤ笑っていて余裕がないコイツの姿も、もちろん初めて見た。

 私は何となく居心地が悪くなって、溜息をつきながら結論を出す。

 

「じゃあ、特に意味はないんだな?」

「意味はない、ねぇ……」

 

 私の言葉に何を思ったのか、再び考え込むメフィラ。

 やがて考えをまとめたのか、

 

()()()()()()()

 

 メフィラは言った。

 

「大事なことは、ちゃんと言葉に出した方が合理的だろう? そうすれば忘れないしね」

「……」

 

 ドヤ顔で胸を張るメフィラ。

 一方、私はわけがわからなくてぽかんとすることしかできなかった。

 

「……口に出さないと忘れるから、口に出しているのか?」

 

 疑問に思った点を口に出すと、再びメフィラは黙り込んだ。

 日頃からコイツのことをいつかやりこめてやりたいと思っていたが――いざ、こういう状況になると嬉しさよりも困惑が勝つ。

 

 かと言って、いつもの調子に戻ったら戻ったでムカつくのがコイツなのだが。

 

「この僕が物忘れなんてするはずがないだろう? だけど、そうするとさっきの説明の筋が通らないな。なんだ、なんだろう……僕はどうして、彼を“我が愛しの契約者様”と呼ぶんだ――?」

 

 “我が愛しの契約者様”

 不必要なまでに長い名称だ。

 そもそも、悪魔にとっての“契約者”は確かに重要な存在かもしれないが、あくまでも契約に基づいた利害関係でしかない。

 だから、“我が愛しの”なんて大仰な呼び方をする必要性は欠片も――

 

「――あぁ、そういうことか」

 

 不意に、メフィラが深い息を含んだ声を吐き出した。

 目を見ると、黄金の瞳がキラキラと輝いている。

 コイツなりの答えが導き出されたらしい。

 

「……分かったのか?」

「あぁ、分かったよ」

 

 そして、メフィラは再び胸を張りながら導き出した“答え”を口にした。

 

()()()()()()()からさ。それに、そう呼べば向こうだって嫌でも僕の愛情を思い知るだろう? 感情は言語化しないと伝わらないからね。伝わらないなら、伝わるまで言い続けるのさ。――うん、正しく合理的だね」

 

 そう言って、メフィラは満足そうに笑った。

 なるほど。つまり――

 

「地藤優斗への嫌がらせってことか……?」

「話聞いてたかい?」

 

 メフィラは呆れたように片目を瞑り、溜息をついた。

 

「そりゃあ、嫌がらせをすることもあるけれど」

 

 あるんだ。

 

「それだって、好きな人へちょっかいをかけたくなるという、可愛い乙女心というやつさ」

 

 多分、された側はそう思ってないと思うぞ。

 

「ん? なんだい、その顔は」

「イヤ、べつに」

 

 私はメフィラから視線を逸らした。これ以上目を合わせていたら、余計なことを言ってしまいそうだ。

 

「――にしても、意外だな。単なる嫌がらせかと思ったら、意味があっただなんて」

「単なる嫌がらせだとしても、“意味”はあるものだよ」

 

 まるで諭すような口調でメフィラは言った。

 

「何にでも、誰にでも意味はある。皆、それを知ろうとしないだけさ。――さっきまでの僕みたいにね」

「何にでも……」

「君が生まれたことにだって意味はあるよ」

 

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 まるでこちらの考えを見透かされたような感覚。

 メフィラは黄金の瞳を細め、じっと私を見つめている。

 

「……私が創られたのは、お前の目的の為だろう」

「うん。君は僕の“切り札”だ。それは間違いない。ただ、それは僕の“意味”だ。君には、君の意味があるはずさ」

「私の、意味……」

 

 私が創られた――いや、生まれた意味。

 

「それは、なんなんだ……? その意味の内容は……」

「知らないよ」

 

 バッサリと、メフィラは私の問いを切り捨てた。

 先程までの若干優しかった風の女はもうない。

 いつもの悪辣な悪魔がそこにいた。

 

「……随分と、冷たいんだな」

「そういうのは、自分で見つけるものだからね」

「……探せば見つかるものなのか?」

「さぁね? 一生涯かけても見つけられない人間や悪魔を、僕は山ほど見てきたよ。探したからって見つかる保証はないし、そもそも見つけたところで失望するだけかもしれないね」

「……じゃあ、探すだけ損じゃないか」

「かもね。だから、こういうのは暇人の考えることなのさ。僕や、君みたいなね」

 

 勝手に“暇人”のカテゴリーに入れられたことは置いておくとして――

 いつもよりも淡々としたその語り口が、逆にコイツの本心を語っているように思えた。

 

「ま、こういうのは人それぞれ、悪魔それぞれさ。探したければ探すがいい。与えられた役割に不満があるなら、なおさらね」

「……見つけた結果、お前に反旗を翻したらどうなる?」

「そりゃあ、もちろん、殺すことになるね」

 

 至極当然のことを言うような口調で、メフィラは言った。

 

「ただ、それも一つの選択肢さ。戦う為に生まれたと思いたくないのなら、他の道を探せばいい。――最低限、仕事はしてもらうけどね」

 

 好きにしろと言いながら、仕事はしろと釘を刺す。

 その矛盾を指摘したところで、どうせまた口八丁で言い返されるのだろう。 私は反論することなく溜息をついた。

 

「……お前は、どうなんだ?」

「ん?」

「お前の生きる意味は、なんなんだ」

 

 ここまで大仰な説教を垂れたのだから、コイツには何か生きる“意味”があるのだろう。

 それを期待して問い掛ける。

 

「そりゃあ、決まっているだろう」

 

 メフィラの口元がニヤリと歪む。

 不敵な笑みを浮かべながら奴は言った。

 

「愉しいからさ」

 

 

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 

 

『――愉しいなァ、お嬢ちゃん。そうは思わねェか?』

「ッ……!」

 

 不意に、意識を取り戻した。

 

 少しだけ、前の夢を見ていた気がする。

 仕事を始める前、よく分からない会話をメフィラと交わしていた、あの時のことだ。

 結局、あの会話の後も私は流されるまま生きていて、意味も何も見出すことなく、気が付けばここにいる。

 

 ――悪魔王に首を掴まれ、ボロ雑巾のように宙に吊られている。

 

『魔界ではよォ、俺様の力が強すぎて碌に相手になる奴がいねェんだよ。対抗できるとしたら四騎士の連中ぐらいだが、アイツらは重要な戦力だから殺すわけにはいかねェしな。だから、こうして現世に出張して弱体化したぐらいの方がいい戦いができんだよ』

 

 ケラケラと愉しそうに笑う悪魔王。

 私は明確な隙を見せている奴の顔面を殴ろうとして――()()()()()()()()ことを思い出した。

 

 そうだ。

 私はこの王様に連れ去られ、そしてボコボコにされていたのだった。

 もちろん抵抗はしていたが――メフィラによって名前と力を封じられている今の私では弱体化している悪魔王にすら敵うはずがない。

 

 朦朧とする意識の中、チラリと自分の身体を見下ろすが、随分と酷い有様だった。

 右腕は切り取られ、身体中傷だらけで、視界が赤く滲んでいる。

 多分、頭からも出血しているのだろう。

 

 よくもまぁ、これだけ痛めつけられたものだと感心する。

 同時に、これだけのことをされてもまだ生きている自分の身体の頑丈さに呆れてしまう。

 

『とはいえ、流石にもう飽きたな。お嬢ちゃんが頑丈なのは良く分かったからよォ、そろそろ終わりにしようかァ』

「どうし、て……」

『あァ?』

「どうして、私を――」

 

 残っている左腕で悪魔王の腕を掴みながら、必死に言葉を絞り出す。

 悪魔王の影は首を捻ってから、ケラケラと笑いだした。

 

『どうしてって、そりゃあ決まってんだろ。お嬢ちゃんを生かしておくとまずいことになるからさ。いやァ、お嬢ちゃんの存在を知った時はビビったぜェ……』

 

 悪魔王は、まるで世間話でもするような調子で言葉を吐く。

 

『メフィラも悪辣な手を思いついたもんだ。俺もアイツの立場なら同じことをしていただろうが……身勝手に振り回されたお嬢ちゃんも散々だったな』

「……」

 

 実際、散々な目に遭ってきた。

 メフィラにはこき使われ、変な奴の子守唄をさせられ、気づけば王様の前に引きずり出され――そして今、王様に殺されそうになっている。

 

『同情はしてやるが……生かしておくつもりはねェ。どうにか俺様の支配下においてやりたがったが、メフィラの唾がつけられてる以上、手の出しようがねェしな』

 

 “メフィラの唾”――契約のことだろう。

 

 私はメフィラによって縛られている。

 だが、それは逆に言えば悪魔王の手から私を守ることにも繋がっていたわけだ。

 ……アイツに守れているだなんて、癪な話だけどな。

 

『俺様はなァ、自分の手に入らないものが大っ嫌いなんだよ。特に、それが特大級の危険分子ともなれば猶更だ。だからよォ――』

 

 黒い影が蠢く。

 その隙間から歪な黄金の瞳を覗かせながら、悪魔王は命令を下した。

 

『――死んでくれや、お嬢ちゃん』

「ぐ、うぅ……⁉」

 

 首が締め付けられる。

 私は必死に残った左腕に力を籠め、悪魔王の腕の力を弱めようとする。

 

『ったく、本当に呆れるくらい頑丈だなァ……』

 

 だが、全然意味をなしていないのか、悪魔王の拘束は弱まらない。

 意識が薄れていく。

 痛みも揺らぎ、睡魔にも似た感覚が全身に覆いかぶさって来る。

 恐らく、これが死への歩みだろう。

 このままだと、私は死ぬ。

 

 何もできないまま。

 自分の生まれた意味も理解できないまま。

 

「わ、たし……」

『あァ?』

「わたしの、うまれた、いみ……」

『ハハハ、随分とまた滑稽なことを言うじゃねェか』

 

 遠ざかる意識の中、悪魔王の嘲笑が響く。

 

『――んなもん、あるわけねェだろ』

 

 冷たく突き放すような声。

 それはメフィラの声によく似ていて――親子揃って冷血だな、なんてことを思った。

 

 だけど、悪魔王の言葉は正しいかもしれない。

 何かしらの意味を与えられて生まれた存在だって、必ずその役目を果たせるとは限らない。

 メフィラも言っていたように、意味を探して見つけられないままその生涯を終える連中だって大勢いる。

 

 だから、私もその一員に過ぎなかったという――ただ、それだけの話なんだ。

 

 私は特別じゃなかった。

 生まれは特別でも、特別な運命じゃなかっただけだ。

 

 受け入れてしまえば、案外あっさりと腑に落ちた。

 

 だって、私は生きながらに死んでいたから。

 心なく生きていたのだから。

 

『君が生まれたことにだって意味はあるよ』

 

 メフィラはそんなことを言っていたが、そんなのは幻想だ。

 私にそんなものはない。

 私は意味も意義も求めない。

 

 私は、何もいらない。

 

『おォ? まだ抵抗すんのか――』

「っ……!」

 

 なら。

 

 ただ苦しいだけの地獄にいながら、まだ動くこの腕はなんなのか。

 

「ま、だ……」

 

 声を振り絞る。

 本能に従って、己の望みを口にする。

 意味も意義も求めないとか、心がないとか、そんなのは嘘だ。

 私にはやりたいことがある。

 何かは分からないが、確かにある。

 それはまたケーキを食べたいとか、そんな小さな願いなのかもしれない。

 

 だけど、それでも。

 

「しにたく、ない……!」

 

 だから。

 

「たす、けて――!」

 

 誰に助けを求めたのか、自分でも分からない。

 だけど、そうせずにはいられなかった。

 意味なんて見出してないし、面倒にしか思っていないけれど――それでも、私は生を求めた。

 

 

 

 

 

 

 

「――いいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、こんな適当な奴の適当な声に応じたそいつは、きっと度を超えたお人好しなのだろう。

 いや、私は悪魔だから――()()()()()か。

 

『ッ!』

 

 空間が裂けた。

 黒い闇に白い亀裂が走り、そこから“腕”が伸びてくる。

 

 少年の腕だ。

 その腕は真っすぐに悪魔王の顔面を狙っていて――

 

「――取り敢えず、一発殴らせろッ!」

 

 怒号とともに、渾身の拳がベルファルドの頬へ突き刺さった。

 

 轟音。

 空間そのものが震え、黒い闇が波紋のように揺れる。

 王の身体が弾丸のように吹き飛び、同時に、私の首を締めていた腕の拘束がふっと消えた。

 

 重力に引かれて落ちかけた身体を、私は床に手をついてどうにか支える。

 呼吸が戻るたび、肺が焼けるように痛い。

 でも――生きている。

 

 亀裂からひらりと人影が舞い降りた。

 

 銀色が混じった黒髪。

 紅蓮の瞳。全身に漂う、凶悪でありながらどこか人間味のある魔力。

 人外の姿をしていながら、優男の風貌を残した少年――地藤優斗は、私を見下ろしてからニコリと微笑んだ。

 

「やぁ」

「……よぉ」

 

 どんな顔で向き合えばいいのか分からなくて、私は咄嗟に視線を逸らした。

 クソッタレ。こういう時は礼を言えばいいのか……?

 

「……また女の子、か」

 

 悩んでいたその時、凛とした女の声が響いた。

 

 亀裂から次の人影が現れる。

 艶やかな黒髪。紫の瞳。整った顔立ちに、どこか冷たい光を宿した美形の女――天羽璃奈。

 

 彼女は私の姿を見た瞬間、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。

 驚きと、わずかな嫉妬が混じった複雑な表情。

 

「この子がさっき説明した“切り札”だよ」

「うん。女の子ってことも聞いていたけれど――そもそも、どうして優斗君の周りにはこんなに女の子ばかり集まって来るんだろうね」

「な、なんでだろうねぇ――ッ!」

 

 冷や汗をかきながら苦笑いを浮かべていた地藤優斗の表情が一変する。

 即座に銀色の刀を召喚した奴は、飛来した影を一閃で切り払った。

 火花のように黒い霧が散る。

 地藤優斗は影が飛んできた方向へ鋭く向き直った。

 

『……よォ、また会ったな、小僧』

「また会ったね、王様」

 

 ゆらりと立ち上がった悪魔王の低い声が響く。

 軽快な口調で返しながら、地藤優斗は不敵な笑みを浮かべた。

 

「これは予想外の状況なんじゃないかい? 王様」

『あァ、想定外だぜェ……まさか、俺がそこのお嬢ちゃんに掛かりっきりになっている間に、自分の女を取り戻すとはねェ』

 

 影の中で揺らめく黄金の瞳が、女――天羽璃奈を射抜く。

 

『――それで、契約は破棄ってことでいいのか、天羽璃奈』

「もちろんよ。……貴女と契約した私が馬鹿だった」

 

 天羽璃奈は静かに、しかし強い意志を込めて言い放つ。

 その横顔は凛としていて、己の定位置であるかのように地藤優斗へ寄り添うように立っていた。

 

『もったいないねェ、悪魔王が直々に契約を持ちかけるなんて稀なことだぜ? おまけに、そこの小僧と永遠に一緒に居る貴重なチャンスだったってのに』

「……優斗君は、私と一緒に居てくれると言ってくれた。二人で話し合ったの」

『だがそれ、確実じゃねェだろ?』

「確実な話さ」

 

 挑発する悪魔王の言葉に割って入ったのは、地藤優斗だった。

 

「僕が何とかすると言ったんだ。もう、お前の力は要らない」

『人間の小僧が大きく出たもんだ』

「悪魔の猿大将風情が調子に乗るなよ」

 

 その瞬間、空気が変わった。

 悪魔王の影が膨れ上がり、空間そのものが軋む。

 常人なら発狂しかねないほどの圧力が押し寄せる。

 

『――おい、調子に乗り過ぎだぞ、小僧』

「調子に乗ってるのはそっちだろ」

 

 常人なら発狂しかけないほどのプレッシャーを受けながら、しかしアイツは笑っていた。

 笑いながら、刀の切っ先を悪魔王に突きつけた。

 

「何でもかんでも自分の思い通りになると思って、思い通りにならなかったら癇癪垂れるだなんて――どっちが餓鬼だよ」

『……そうか、死にたいんだな、お前……!』

「生憎と、こちとら不死身の吸血鬼だッ!」

 

 魔力が爆ぜた。

 黒銀の魔力が渦を巻き、地藤優斗の身体から噴き上がる。

 紅蓮の瞳がギラリと輝き、空間の闇を切り裂く。

 

「人の彼女にちょっかいをかけた報いを受けてもらうぞッ!」

『ハハハ! しつこい男はモテねぇぞ……!』

「はっ」

 

 悪魔王の挑発を鼻で笑い飛ばし、

 

「お生憎様! もうお姫様は見つけてるんでね――」

 

 刀を構えた。

 

「――モテる必要、ないんだよッ!」

 

 吸血鬼の少年が地を蹴った。

 黒銀の残光を引きながら、一直線に悪魔王へ突撃する。

 同時に、影の悪魔王も疾走する。

 

 二つの黒が、真正面から衝突した。

 

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