世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第88話:星屑と、死線と、剣と

 

『やったか――⁉』

『モルヴェリアさん! その台詞はちょっとまずいですよ……!』

『むっ、そうか。油断は良くなかったな』

 

 ゼロ距離で必殺を叩き込んだ死王女は、有頂天になりかけたところを唯の声で我に返り、吹き飛ばされたバルナハルトへ視線を向けた。

 

『とはいえ、儂の一撃をゼロ距離で受けて無事でいられるはずが――』

 

 視線の先。

 豪奢な紅蓮の甲冑には無惨な傷跡が刻まれていたが――白煙を吐きながらも自動修復を続けていた。

 加えて、飛行魔術が切れる様子もなく、バルナハルトは背筋を伸ばして立っている。

 普通に健在らしい。

 モルヴェリアは苛立ち気に舌打ちを漏らした。

 

『チッ、頑丈な小僧じゃ……!』

 

 頼みの綱であったゼロ距離攻撃でも仕留めきれないとなると、いよいよモルヴェリアには後がない。

 せめて、敵がダウンしている今のうちにダメージを稼ごうと、再度接近を試みるモルヴェリアだったが――白煙の中でゆらりと持ち上がる腕を見て、急停止した。

 

戦君の勲章は星屑のように(ウォー・バッチ・スターダスト)

 

 次の瞬間、夜空のように展開される無数の権能。

 

『ッ!』

『モルヴェリアさん、来ます……!』

 

 唯の警告と同時に、展開された権能が一斉に掃射される。

 死王女は空を舞うように駆け、追尾する攻撃を紙一重で躱していく。

 先程までであれば、その動きで攻撃を躱せていただろうが――

 

『数が、増えてる……⁉』

 

 展開されている権能の数が増えていることに気づいた唯が中で悲鳴を上げる。

 逃げた先の空間まで権能で埋め尽くすような猛攻。

 強引に死の線で逃げ場を確保するものの、権能の雨が止む気配はない。

 

『己の領土を拡張しよったか……!』

 

 本来、この空間は鉄の大公の領域である。

 だがバルナハルトは、滞在するうちにこの空間を侵食し、じわじわと自分色に染め上げていた。

 それはつまり、バルナハルトが徐々に魔界での本来の力を取り戻しつつあるということである。

 

 そして同時に。

 これほど死王女を圧倒している今でさえ、バルナハルトはまだ本気を出していないという証左でもあった。

 

『唯! もう一度飛び込むぞ! このままでは埒が明かん――!』

『ッ! モルヴェリアさん! 後ろです!』

 

 捌ききれないと判断したモルヴェリアは、再度バルナハルトの懐に飛び込むことを決断するが、唯の鋭い警告が響く。

 

『ッ!』

 

 慌てて辺りを見渡すモルヴェリアだが、遅かった。

 素早く移動する彼女を囲うように展開された黒い剣たちの群れ。

 その正体は――

 

死王女の乱舞(モル・ヴェラ)

『おのれぇ……! また儂の技を……!』

 

 先程直撃させられた死王女の技をコピーしたバルナハルトは、早速と言わんばかりにその権能を行使していた。

 憎たらし気に周囲を取り囲むコピー品を睨みつける死王女。

 その剣群が射出される刹那、同じ数を生成したモルヴェリアは、己の剣群を解き放った。

 

 空中で衝突する黒き死の剣たち。

 爆撃の華が咲く中、その場を離脱して仕切り直しを測っていたモルヴェリアに迫る影があった。

 

『モルヴェリアさん……!』

『ッ!』

 

 彼女たちより遥か上空から降り注ぐのは、待機状態に置かれていた権能の群れ。

 死王女に隙が生まれるまで、ずっと上空で待ち構えていたのだ。

 

 狙いすましたタイミング。

 完璧な角度。

 死王女に逃げ場はない。

 

 普段より防御力が低下している今、この攻撃を受ければ行動不能に陥る危険性が――

 

「――失礼、少し邪魔をする」

 

 銀色の風が吹いた。

 美しく長い銀髪を尾に引きながら、紅蓮の瞳で権能を睨みつけ、少女は鞘に納められた刀に手を伸ばす。

 

「斬霞刀・一の型『霧散残月』――!」

 

 少女、霧島レイは鞘に納めていた刀を解放し、一気にその力を解き放った。

 死王女を確実に仕留めるべく、放たれたその権能には、強力な破魔の力が籠められていた。

 だが、破魔の力は破魔の力と相性がいい。

 格上の四騎士からの攻撃だが、レイの一撃は見事にその権能たちを無効化してみせた。

 

『……なんのつもりじゃ、小娘』

「礼なら結構だ――と言うつもりだったが、言われないとそれはそれで悲しいものがあるな」

 

 助けられたにも関わらず、礼を言うつもりもない死王女の態度に肩を竦めるレイ。

 

『答えよ。儂はなんのつもりじゃと聞いているのだ』

「見ての通り、助太刀だ」

 

 冗談が通じない死王女の凍り付くような視線を受け流しながら、横から割って入って来たレイは飄々と答えた。

 

『……エクソシストが、悪魔を助けるのか?』

「不本意ながら。――とはいえ、血の迷宮でも助け合った仲だろう?」

『ふん。あれは共通の敵がいたというだけの話であろう?』

「今回も同じことでは?」

『むっ』

 

 言われてみればその通りで、言葉に詰まる死王女。

 レイは口元に自虐的な笑みを浮かべた。

 

「……情けない話だが、我々だけではバルナハルトに勝てない。だからこそ、生命線である貴女に死なれては困るのだ」

『ふん。儂の威を借りようというのか。人間らしい浅ましさよ――』

(モルヴェリアさん、助けてもらったからにはお礼を言わないとダメ、ですよ?)

『――礼を言ってやってもいい。感謝せよ、小娘』

「どういう情緒をしているんだ……?」

 

 内側にいる唯の声が聞こえないレイは突如態度を豹変させたモルヴェリアに怪訝な表情を浮かべた。

 

『しかし、貴様程度の助力を得た程度で、何も変わりはせんぞ?』

「そうかもしれない。だが、助力は私だけではない」

 

 レイは空を見上げた。

 星屑のように空へ浮かんでいる権能。

 その大部分はモルヴェリアを追い掛け回すために消費されていたわけだが、それでもまだ少しは残っている。

 

 その星屑の欠片たちが、少しずつ、一つずつ、消えていっていた。

 それを為しているのは、地上から放たれる黄金の光。

 

「みなさん、霊力を集中させてください……!」

「おう!」

「えぇ!」

「わかった」

 

 仲間のエクソシストたちの霊力を己の槍に搔き集め――そして、それを解き放つ。

 一人一人の力はバルナハルトの権能に及ばないかもしれないが、皆の力が合わされば、破滅の星を打ち破る矛になり得る。

 ユリウスを中心とした、エクソシストたちによる微かな抵抗の証が、夜空まで届いていた。

 その光景を眺めていたモルヴェリアは黄金と赤の瞳を細める。

 

『ふん。この儂が、人間の世話になるとはのぉ……』

「それを言うなら、我々エクソシストたちだって、悪魔のお陰で生き長らえているようなものです」

 

 悪魔は人間がいるから一難を免れ、人間は悪魔がいるから生き残れている。

 敵対関係にある存在だとしても、事実は事実として受け止める必要があるだろう。

 レイは死王女を真っ直ぐに見つめながら、言った。

 

「ここは協力体制といかないか? 死王女モルヴェリア、そして十六夜唯」

『儂は――』

(モルヴェリアさん! せっかくだから一緒に戦いましょうよ! あの紅い人、鬱陶しいですし!)

『――いいじゃろう! 共に戦ってやるわい!』

「だから、どういう情緒をしているんだ……?」

 

 さっぱり読めない死王女の態度に首を傾げつつ、最終的には「まぁ、いいか」と割り切り、霧島レイは霧で構成された銀色の翼を広げ、刀を構えた。

 

「世界を壊させるわけにはいかない。暫し、共同戦線といこう」

『是非もなし。足を引っ張るなよ、人間』

「承知」

 

 同時に動き出す銀のエクソシストと、死王女。

 迫りくる脅威を見据えながら、紅の戦君バルナハルトは無言で剣を構えた。

 

 地上から放たれる黄金の光と天に座す権能が衝突し――再度、戦いの火蓋が切られた。

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 星屑のような権能と、死線と、黄金の光。

 

 鉄の大公が生み出した武骨な世界は今、華美な輝きによって彩られていた。

 とはいえ、その色全てが致命傷となりうる恐ろしい威力を秘めている。

 

 黒い線を操る死王女モルヴェリアはエクソシストたちの助勢を受け、再び紅の戦君バルナハルトに対して攻勢に出たと思われていたが――

 

『えぇい! もっと踏ん張れんのか、人間共!』

 

 現実は、甘くなかった。

 

 一点突破の火力においては他の追随を許さない死王女からすれば、エクソシストたちの攻撃は微々たるものであった。

 渋々ながらも手を組んだ味方の不甲斐なさに、思わず怒声が飛ぶ。

 矛先を向けられたレイも負けじと怒鳴り返した。

 

「そちらこそ! 四騎士なのであればもっと頑張っていただきたい……!」

 

 レイは必死に剣を振るっていた。

 そして、地上から援護攻撃しかできていないエクソシストたちもまた、必死に己の死力を尽くして戦っていた。

 

 それでもなお、星屑のように降り注ぐ権能の奔流を押し返せていないのだ。

 恐るべきは紅の戦君バルナハルトの常軌を逸した“戦力”である。

 

 当然、死王女も滅多に出さない全力を出しているが――彼女が不在の間、四騎士最強の座を死守していた全盛期の四騎士を前に、深刻な火力不足を痛感していた。

 

『悪魔任せとは情けないッ! 儂がいなければ全滅しているくせに、強がるでないぞ――!』

 

 そんな状態でもまだエクソシスト全員が生き残っているのは、死王女モルヴェリアという存在が、ただただ規格外だからだ。

 

 たとえ四騎士最強の座を明け渡していようと。

 たとえ全盛期には程遠い状態での復活であろうと。

 

 それでも、死王女モルヴェリアは強い。

 

 彼女は紛れもない本物の強者であった。

 生まれついての覇者であった。

 

 だが、既に戦場は彼女のスペックだけで勝ち切れるような段階を過ぎ去ってしまっている。

 

 バルナハルトは歯向かってくる全員に対して攻撃を繰り出しながら――着々と己の領土の拡張を進めていた。

 魔界での全力を現世でも振るうため、空間そのものを侵食し続けているのだ。

 地道な作業の甲斐もあり、既に空間の半分以上はバルナハルトの領域と言って差支えがない状態になりつつあった。

 

 その証拠に、展開される権能の数はさらに増加し続けている。

 さらには――

 

死王女の指先(モル・ヴェス)

 

 放たれた死王女の死の線がバルナハルトに直撃する、が。

 立ち昇る白煙の中、無造作に腕を振るって現れた紅蓮の甲冑には、もはや傷一つついていなかった。

 

『……完全に耐性をつけられた、か』

 

 悔しげに呟くモルヴェリア。

 全盛期の彼女であれば、“甲冑のダメージ軽減機能”そのものを死滅させるという、わけのわからない荒業で突破していただろうが、今の彼女には“概念”そのものを撃ち抜く力はない。

 

 つまるところ、詰みだった。

 

『ッ! モルヴェリアさん! 兄さんたちが……!』

『全く、忙しくて目が回るわい……!』

 

 内側から悲鳴を上げる唯。

 モルヴェリアが何よりも優先するのは己の主の声である。地上へ視線を向けると、黄金の護りがいよいよ破壊されかけているのが見えた。

 モルヴェリアは急降下しながら、降り注ぐ権能を死の線で次々と薙ぎ払っていく。

 

『おい! 銀色の娘! 手を貸せ!』

「承知ッ!」

 

 ユリウスの黄金結界の傍へ飛び込んだモルヴェリアは、星屑の権能に対抗すべく地獄のような数の黒剣を生成し、射出する。

 同時に、最前線で権能を弾いていた霧島レイを呼びつけた。

 彼女がエクソシストたちの中でも突出した実力を持っていると見抜いていたが故である。

 最前線で権能を弾いていたレイは死王女の声を聞いた瞬間に霧となり、即座に彼女のもとへと後退してから実体化した。

 

 死王女のビームと、レイの斬撃が辛うじて雨のように降り注ぐ権能からエクソシストたちを守護する。

 だが、このままではじり貧なのは明らかだった。

 

『えぇい! ちまちまと棒切れ振るばかりか⁉ 貴様、もっとこう、なんか凄い技はもっておらんのか……!』

「生憎と、これ一本でやって来たものでな! そんな派手な技は持ち合わせていない……!」

 

 苛立ちからレイに愚痴を漏らすモルヴェリアだが、理不尽な台詞に対し、レイは即座に言い返した。

 そんな技があるのならとっくに使っている。

 己の力不足は、レイ自身が誰より痛感していた。

 

『役立たずめ……!』

「貴女と比べれば大抵の者は役立たずだ……!」

『儂と比べているのではないわ、戯け! 遠距離手段をもっておらんことに怒っているのだ!』

「あんな空高く浮遊している相手を射抜ける技など……天羽璃奈くらいしかもっていない!」

『チぃ……!』

 

 歯ぎしりをしながら、モルヴェリアは低く呟く。

 

『せめて、時間を稼ぐことができれば隙をつけるというのに……!』

「時間稼ぎ……なら、できなくもない……!」

『……』

 

 レイの言葉に、モルヴェリアは一瞬だけ動きを止め――

 

『ならさっさとやらんか⁉ 戯けッ!』

 

 隣のレイを思い切り怒鳴りつけた。

 今回ばかりは死王女が正しいが、そもそもコミュニケーションが不足しているというか。

 やっぱり悪魔とエクソシストは分かり合えないというか。

 色々と言いたいことはあったが、その全てを呑み込んでレイは頷いた。

 

「……承知ッ!」

 

 次の瞬間、レイの身体から銀色の霧が噴き出した。

 一気に地上が霧に包まれる。

 温存していた霊力の何割かを持っていかれたが――全滅を防げるなら安いものだ。

 

『でかした! やるではないか! 銀色の!』

 

 地上全土を包み込む銀色の霧。

 モルヴェリアは歓喜と称賛の声を上げながら、さり気なく己の結界を発動させた。

 バルナハルトの力をもってすれば、このような霧はすぐに晴らされてしまう。

 ただ、少しでも長く時間を稼ぐべく、レイの霧をさらに包み込むように球体の大結界が展開された。

 

 すぐに結界へ権能が降り注ぐ音が外から聞こえるが――まだ霧が晴れる気配はない。

 バルナハルトの圧倒的な物量をもってすればこの地上に逃げ場などないも同然だが、姿が見えなくなったということは少なからず狙いを集中させにくくなったということである。

 

 この貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。

 

『おい、人間共。今のうちに移動して態勢を整えよ。そのように壊れかけの盾では儂でも守り切れぬ』

「分かりました。皆さん、東側の要塞跡地まで来てください! 急いで!」

 

 霧に包まれた空間の中で死王女の言葉が響き渡る。

 結界を張っていたユリウスは即座にその言葉に反応し、現状の結界を解除してから皆に呼びかけた。

 銀色の霧はエクソシストたちの視界も塞いでいるが、ユリウスの背中を追いかけ、明確な集合地点を目指して皆が一斉に移動を開始する。

 

『それから銀色の娘、貴様はこちらへ来い』

「どうした?」

 

 この霧を発生させた張本人であるレイは、霧の中であっても人の姿を見失うことはない。

 霧の中からふわりと現れた彼女に向かってモルヴェリアは尋ねた。

 

『いい話と悪い話、どちらから聞きたい?』

「悪い話から」

 

 モルヴェリアは自嘲気味に唇を持ち上げた。

 

『喜べ、儂の死の線が完全に対策された。この距離ではもうダメージを与えることはできんだろう』

「――――」

 

 レイは目を見開いた。

 間違いなく、レイたちの陣営において最強の存在はモルヴェリアである。

 だが、その彼女の攻撃手段の一つが対策されたというのだ。

 このままでは、その他の技も対策されてしまい、レイたちは敗北する――

 

「……いい話の方は?」

 

 最後まで希望を捨てない――いや、捨てられないレイの問い掛け。

 モルヴェリアは答えた。

 

『喜べ、エクソシスト。貴様に()()()()()()()()()

「なに……?」

 

 突然の申し出に目を丸くするレイ。

 だが、彼女たちに呑気に談笑する時間は許されていない。

 説明する時間を惜しむようにモルヴェリアは端的に告げた。

 

『刀を出せ』

「刀を……?」

『別に、へし折ったりはせんから安心しろ。あぁ、ただし霊力は切っておけ。儂の魔力に反応して余計な反発を生むかもしれんからな』

「……」

 

 既に状況はエクソシストと悪魔の立場を超えた段階に来ている。

 生きるか、死ぬか。

 それだけだ。

 

 モルヴェリアにとってもそれは同じはずで――この局面でレイを陥れる必要性は欠片もない。

 エクソシストとしてはアウトかもしれないが、レイはモルヴェリアの言葉を信じ、ゆっくりと斬霞刀を死王女の前に無防備な状態で晒した。

 

 死王女モルヴェリアは己の敵であるその刀身を忌々しそうに眺めつつ――スッと人差し指を持ち上げ、そして刀身の根元から切っ先まで滑らせた。

 

死王女の恩寵(モル・グレイス)

 

 その指の動きに合わせ、“黒”が現れる。

 “黒”は銀の刀身を包み込み――その姿を黒刀へと変貌させた。

 

「こ、これは……!」

『儂の“死”の力を貴様の刃先に纏わせた。長続きはせんが、使えなくはないじゃろう』

 

 生あるものの天敵。

 最強の悪魔の権能。

 “死”の力を宿した刀身を見つめるレイに死王女は告げる。

 

『儂が奴の注意を引き付ける。貴様はその隙に――』

「承知した。何とかやってみよう」

 

 モルヴェリアの意図を汲み、短く頷いたレイは霧となってその姿を消した。

 その直後、ピシッと結界に罅が入る音が響く。

 

『やれやれ、せっかちな小僧じゃ』

 

 呆れたように首を振りながら、モルヴェリアは掌を天に翳した。

 完全に結界が破壊され、さらに霧ごと吹き飛ばしながら権能が迫る。

 掌から生み出した死の波動でその権能を吹き飛ばし――モルヴェリアは一気に上空へ向かって加速した。

 

 背後にいた守るべき人間たちは既に移動済み。

 つまり、今なら全力でバルナハルトとの一対一に戻れるということだ。

 

 機動力に全振りした軽装のまま、モルヴェリアは舞うように空を駆ける。

 無数の権能が追いすがるが、死の剣がそれらを撃ち落とす。

 何度も見た光景――だが、優勢なのはバルナハルトだ。

 

 時間が経つごとに元の力を取り戻していく紅の戦君は、死王女を完全に仕留めるべく権能の包囲網を着々と完成させていく。

 優れた戦術眼を持つモルヴェリアは当然、敵の狙いに気が付いていたが――誘われるように敢えてその罠の中へと飛び込んだ。

 

 気が付けば、モルヴェリアはバルナハルトの正面まで到達していた。

 もっとも、彼女の四方八方を権能が取り囲んでおり、彼女自身は既に詰んでいるに近い状況である。

 

 急停止したモルヴェリアは、忌まわしげに周囲の権能を眺め――

 両手に持っていた黒剣を消滅させた。

 

『久しいのぉ、バルナハルト。貴様、随分と強くなったではないか。儂がいなくなった魔界で調子に乗っておったようじゃなぁ?』

『……』

 

 不敵な笑みを浮かべ、親しげに語りかけるモルヴェリア。

 バルナハルトは応じることなく、確実に殺すために腕を持ち上げ――

 

『そういえばのぉ、現世で久々に()()()()()()()

 

 ――その動きを止めた。

 

 モルヴェリアは内心ほくそ笑みながら、話を続ける。

 

『相も変わらず飄々と、好き勝手に生きておったわ。全く、我が妹ながらあの放蕩ぶりには頭が痛くなる。そういえば、貴様も昔は随分と振り回されておったなぁ』

『……』

 

 バルナハルトは答えない。

 口を開かない。

 だが――攻撃をすることもできずにいた。

 

『現世へ侵攻する前に儂が呼んでやろうか? 貴様の容量では、侵攻するだけで現世ごと消滅させかねんからな。最後に話す機会もなくなるじゃろう』

『……不要だ』

 

 兜の内側から響く低い声。

 久々に聞く同僚の声に、モルヴェリアは小首を傾げる。

 

『どうしてじゃ? 貴様ら、仲が良かったであろう?』

『……仲が良かったわけではない』

『そうか。儂の勘違いじゃったか。すまぬ、すまぬ。それに、今は呼んでも来んじゃろうなぁ。なにせ――』

 

 モルヴェリアは妹のように性格が悪い笑みを浮かべながら言った。

 

『――奴はとある人間の小僧に執心しているようだからのぉ』

『人間、だと……?』

 

 疑念に満ちた声が漏れる。

 紅の戦君バルナハルトは、宿敵を追い詰めている状況すら忘れ、感情のまま問い返した。

 

『メフィラが、人間に興味を持っているのか……?』

『どういう風の吹き回しかは知らぬが、随分と入れ込んでいるようじゃったぞ。なにせ、契約を結んで自分の権能まで使わせるほどじゃからなぁ』

『――――』

 

 紅蓮の甲冑で全身を覆っているバルナハルトの表情は窺えないが、とんでもなく間抜けな顔をしているんだろうな、とモルヴェリアは確信した。

 

『いつどこに行ってもその小僧にひっついておってな。そりゃあ、もう、ところかまわずベタベタベタベタ……あ奴、人間になるつもりかもしれんと危惧するほどじゃ』

 

 当人たちは絶対に認めたがらないが、やはり腐っても姉妹というべきか。

 普段は短絡的で直情的なモルヴェリアだが、こういう局面では舌がよく回る悪魔だった。

 この場に地藤がいたらこう言うに違いない。

 

『やっぱり貴女、メフィラのお姉さんだったんですね……』と。

 

 あと、ついでにこうも言うに違いない。

 

『お願いだから……本当にお願いだから、それ以上はやめてください』と。

 

『……死王女よ。己の不利を悟り、下らぬ虚言を吐くとは、堕ちたものだな』

『ハハハ! 儂の言葉が虚言じゃと? 馬鹿を言え! 儂はそのようなつまらぬ真似はせぬ! これは全て事実じゃ!』

 

 本当に事実なのが質の悪い話である。

 モルヴェリアは妹とよく似た仕草で肩を竦めた。

 

『まぁ、そこまで疑うのであれば、当人に聞けばよいではないか。愚妹――は呼んでも来んじゃろうし、奴が熱を上げている人間の小僧に聞けばよい』

(も、モルヴェリアさん……! これは、ちょっとまずいんじゃ……)

 

 モルヴェリアの意図を悟った唯が内側からおずおずと発言する。

 脳裏には青ざめた顔で頬を引き攣らせる彼女の先輩の顔が浮かんでいる。

 普段であれば唯の言葉を全て肯定するモルヴェリアだが、この時ばかりは違った。

 

(ユイよ。認めたくはないが、我らは今、ピンチなのじゃ。使えるものはなんでも使わなければならん)

 

 それはその通りなのだが――そこに地藤優斗への()()()()()が含まれていないかどうか聞かれた時、死王女は不敵に笑いながら微妙に視線を逸らすことになる。

 つまりは、そういうことだった。

 

『……その、人間の、名は?』

 

 バルナハルトの声が響き渡る。

 如何なる感情か。

 その身から溢れ出す魔力は凶悪さを増しており――死王女を取り囲む権能は過剰なまでの魔力を注がれて爆発寸前だ。

 

 言わねば殺す。

 

 紅蓮の甲冑越しの黄金の瞳がそう告げていた。

 別に言っても(モルヴェリア的には)何の支障もないので、彼女はあっさりとその名を口にした。

 

()()()()、じゃ』

 

 だいたい、コイツが悪い。

 死王女は堂々と腕を組みながらそう断言した。

 

『地藤、優斗』

 

 紅の戦君バルナハルトは噛みしめるようにその名を口にする。

 

『地藤、優斗……!』

 

 己の頭にその名を刻みつけるように、もう一度その名を口にする。

 

『地藤優斗……!』

 

 燃え滾る憎悪の感情を向けながら、呪いのようにバルナハルトはその名を吐き出す。

 紅の戦君バルナハルトは怒っていた。

 姿すら見たことがない少年を憎悪し、甲冑に包まれたその身体を震わせていた。

 完全な機械のように戦っていた彼らしからぬ、露骨な感情の乱れ。

 

 それはつまり、明確な隙だった。

 

『――今じゃ』

「承知」

 

 死王女の合図と同時に、息を潜めていたレイが動き出す。

 霧となって権能の隙間をすり抜け、バルナハルトの懐へと滑り込む。

 そして――黒刀を振り翳した。

 

『ッ!』

 

 “死”の力を宿した破魔の刀。

 その刃が、空間を裂く。

 

「斬霞刀・二の型――『霧閃残光』ッ!」

 

 放たれた必殺の奥義。

 黒い斬撃が、縦一文字にバルナハルトを切り裂いた。

 

『ぐぅ……!』

 

 レイの一撃は強烈だった。

 彼女自身の剣技も冴え渡っていたが、何より死王女が付与した“死”の力が、確かに機能していた。

 脳天から腰まで、深々と刻まれた黒い傷跡。

 この全力の一撃で刀に宿っていた“死”の恩寵は剥がれ落ちたが――問題はない。

 

『ゼロ距離の攻撃は効いていたな……!』

 

 レイと入れ替わるように、死王女が一気に距離を詰める。

 その人差し指が、バルナハルトへ突きつけられた。

 

『耐性をつけられるなら、それを上回る出力を叩き込めばいいだけのことよ……!』

 

 指先に凶悪な魔力が収束する。

 そして、

 

死王女の指先(モル・ヴェス)――!』

 

 放たれる渾身の一撃。

 その攻撃は、レイの一撃で微かに罅が走っていた鎧に吸い込まれ――

 

『ッ――⁉』

 

 確かに、四騎士紅の戦君バルナハルトへと、届いた。

 

 

 

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