世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
しばしお付き合いくださいませ。
第96話:アルバイトをしたい件について
「えっ、アルバイト?」
璃奈は翡翠色のティーポットを手に持ったまま紫の目を見開いた。
そんなに驚くことか、なんて思いながら僕は頷く。
「うん。ちょっとやってみたくなって」
「どうしたの、急に……」
再起動を果たした璃奈はティーポットから自分と僕のカップに紅茶を注ぎ、それから席に腰を下ろした。
どことなく不安そうな表情をしている。
僕は彼女を安心させるように、いつもの朗らかな態度で言った。
「いや、蓮が家計のためにアルバイトをしてるって話を聞いてさ。なんかこう、立派だなぁって思うと同時に、今の自分の状態を再確認して、その、ちょっと情けなくなったというか……」
「優斗君は情けなくなんかないよ」
静かだが強い口調で断定する璃奈。
僕は慌てて弁明した。
「いや、璃奈から見たらそう思うのかもしれないけれど、僕としては――」
「私から見なくても、優斗君は情けなくなんてないよ。だって、アルバイトをしていない高校生はたくさんいるし、その皆が情けないってことにはならないでしょう?」
「むぅ……」
理路整然と語る璃奈。
こうなった時の彼女はとても手強い。
ただ、今回は僕にだって考えがあるのだ。
「璃奈、ちょっと冷静に考えてみて欲しいんだ。僕は確かに高校生で、金銭的に困っていないのであればアルバイトをする必要性というのはないだろう。けれど、僕には他の高校生とは明らかに違う点があるんだ」
「違う点……?」
首を傾げる璃奈に向かって、僕は答えを口にした。
「同棲だよ」
世間の高校生カップルの統計データなんて取ったことがないので正確なことは何も知らないが、流石に親がいない高校生二人が同棲しているというケースは極めて稀だと思われる。
「しかも! 僕は璃奈の家に住まわせてもらっているのに、一切お金を払っていない。これは、大問題だよ」
「私は別に気にしてないけど」
「僕が気にするのっ!」
永遠に話がかみ合いそうになかったので、少し強い口調で主張する。
目を丸くする璃奈に向かって、僕は熱弁を振るった。
「彼女の家に転がり込み、働きもせずぐーたらして、ご飯をご馳走になってお風呂に入ってぐーすか寝る! こういう人を世間では何と呼ぶかご存じですか⁉」
「……彼氏?」
「ヒモ男ですッ‼」
璃奈の中にある“彼氏”の定義について確認したくなったところではあるが、今は置いておく。
僕は魂の籠った主張を続ける。
「いいですか璃奈さん! 僕は今、世間から見たらヒモ男なんですよ! 人間の屑! 男の最底辺! 僕はピラミッドの一番下にカテゴライズされているわけです!」
「……世界に二人しかいない原種の吸血鬼で、おまけに悪魔の契約者なのに?」
「それは今関係ないから!」
確かに生物的に見たらピラミッドの上澄みの方にいるのかもしれないけれど……今話しているのは人間社会におけるピラミッド階級の話だ。
「このままだと僕は男として最低の奴ということになってしまう。例え璃奈が否定してくれても、僕は『そういえば地藤君って、ヒモなんですよね? ……ハハ、ダサくないですか?』と言われた時に、一切反論できない状況にいるんです!」
「そうかなぁ……?」
「そうなんだよ!」
多分そんなことはないような気もするけれど、大事なのは勢いだ。
「それに、璃奈だって自分の彼氏が“ヒモ男”だなんて、嫌でしょ?」
「いや、私は別に大丈夫だけど」
あっけらかんと言い放つ璃奈。
と、ここで何故か頬を染め、視線を逸らしながら彼女は言った。
「……寧ろ、それもいいかな、みたいな」
僕は絶望した。
天羽璃奈、ダメ人間製造機すぎる。
100%僕が言えた義理じゃないが、絶対にダメな男に引っかかるタイプだ。
原作では十六夜蓮がいてよかったねぇ……。
ん? この世界ではダメ男に引っかかってるって? しゃらっぷ。
彼女曰く、僕はダメ男じゃないらしいので、セーフだ。せーふ。
「と、とにかく! 僕はヒモ男なのは嫌なんだ! だからアルバイトをして、お金を自分で稼いで、璃奈に渡す! そして社会的地位を向上させていきたいんだ!」
僕がここまで自己主張をするのは結構珍しいことだけに、璃奈は驚いたような顔をしていたが、やがて納得したように頷いた。
「男の人の世界のことはよく分からないけれど……優斗君としてどうしても社会的地位を向上させたいっていうことであれば、理解はしたよ。ただ、アルバイトをするって言っても何をするつもりなの?」
僕はニヤリと笑った。
「それはもう決めてあるんだ。――ここッ!」
「……喫茶アルマーニュ?」
差し出したチラシを見て、璃奈は首を傾げた。
◆◆
喫茶アルマーニュ。
「十六夜のエクソシスト」をプレイしたゲーマーであれば、一度は訪れてみたいと願う“聖地”である。
一体何の聖地なのか。
それは、主人公・十六夜蓮がアルバイトをしていた店――その舞台そのものだからだ。
原作において登場頻度が特別多いわけではないが、蓮の日常を象徴する場所として度々登場し、苛烈で容赦ない物語を温かく支える重要なロケーションだった。
さらに派生作品では、ここがメイン会場となるケースもあり、ファンからは非常に馴染み深い場所として愛されている。
生粋のファンである僕からすれば、ぜひとも訪れてみたい場所だった。
客として行くのも良いが――何より、十六夜蓮と同じ空間で働き、原作さながらの店内の空気を味わえるなら、それはもう最高だ。
璃奈の説得に成功した僕は意気揚々と面接を受け、全身から溢れ出す熱意を買われてあっさりと合格。
こうして、念願の聖地で働けることになったわけだが――
「よろしく、蓮」
「あ、あぁ……よろしく」
原作で披露していたウェイター姿の十六夜蓮が、困惑したように頷く。
うん、やっぱりよく似合っている。
こうして聖地で主人公の正装を眺められるというのは、それだけでファン冥利に尽きるというものだ。
「ところで優斗」
「なんだい」
「後ろの
「……」
僕はゆっくりと振り向いた。
そこには――
「今日からここで働かせていただく天羽璃奈です。どうぞよろしくお願いいたします」
僕の彼女である天羽璃奈がおしとやかな笑みを浮かべて立っていた。
その身には喫茶アルマーニュの制服が着用されている。
白いシャツに黒いタイ。
腰から下には黒いエプロン。
長い黒髪を編み込み、凛とした表情を浮かべる璃奈の姿は、ある意味でとても新鮮で、シンプルな格好が恐ろしく似合っていた。
「いやぁ……気が付いたらいたというか、何故かシフトも全く同じだったというか……僕も、びっくりしてる……」
「びっくりしてくれたんだ。よかった。内緒にしていた甲斐があったよ」
悪戯が成功したような表情で笑う璃奈だが、僕からすれば軽い恐怖である。
一体いつ、面接を受けたのか。
何をどうやって僕と全く同じ日にシフトを入れたのか。
エクソシストの秘術とか使ってないよね……?
――使っていないと断言できないところが、最近の璃奈の怖いところだ。
「十六夜君もよろしくね」
「あ、あぁ……」
ピタリと僕の隣にくっついて挨拶をする璃奈に、困惑しながら挨拶を返す蓮。
「……なんだか、大変なことになりそうだな」
ギャルゲーの主人公らしく、波乱の予感を感じ取った蓮が遠い目で呟いた。
◆◆
喫茶アルマーニュは、古い洋館を改装したようなクラシカルな内装で、おしゃれで落ち着いた雰囲気から多くの人に親しまれている名店だ。
豆にこだわり抜いたマスターのコーヒーと、キーマカレーが看板メニューだが、最近一番売れているのはパフェらしい。
なんでも「若いJKにはこれが受けるんだよ」と言って新しく始めたのだとか。
そういえば、原作でも皆が食べているのはだいたいパフェかジュースだった気がする。
立地も悪くないので、いつも誰かしらお客さんがいる人気のお店ではあったが――
今日は少し、様相が違うらしい。
「はい、ブレンドコーヒーがお二つですね。一つを私に? ……すいませんが、遠慮させていただきます」
「こちらパフェになります。写真ですか? えぇ、どうぞ。――あぁ、すいません。私を写すのはご遠慮いただければと思います」
「すいません、私には彼氏がいますので、他の方とのお付き合いはできません」
「電話番号ですか? いえ、受け取れません。チップも結構です。ここは日本ですので」
「お待たせいたしました。オムライスになります。はい、お子様向けのスプーンも一緒に持参させていただきました」
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。……またね~」
凄まじい勢いで客を捌いていく美貌の店員。
キビキビとした動作で動いたかと思えば、花が咲くような笑みを浮かべる。
かと思えば、高圧的な客に対しては逆に委縮させるような恐ろしいオーラで圧倒し、口説き文句は華麗にスルー。
ただし、子供には優しい笑みを向ける。
正に完璧な店員だった。
近年はSNSの発展が凄まじい。
あっという間に「とんでもない美人店員がいる!」と話題になり、昼頃からはさらに客の数が増えた。
僕と蓮もキッチンにホールに大忙しだ。
一応、前世で軽い接客業の経験があったので何とかなったが、普通ならバイト初日の男子高校生をこんなに働かせることはないだろう。
ただ、それくらい余裕がないほどに大盛況だったのである。
主に、璃奈のお陰で。
かつてない繁忙を乗り越えた業務終了後、喫茶アルマーニュの店長は血走った目で璃奈に駆け寄った。
「天羽さんッ! 君さえよければ、この店に就職しないかい⁉ 待遇は応相談! 君が望む条件で契約しようッ!」
璃奈は美しい笑みを浮かべて一言。
「結構です」
にべもなく誘いを切り捨てた。
号泣し、泣き崩れる店長。
僕は好きだった原作キャラが涙の池に沈んでいく様を、大変複雑な目で見ていた。
……いやほんと、どういう顔をすればいいのよ? これ。
特に気にする様子もない璃奈は澄ました顔で普段着へ着替えを終え、僕の方を向いてニコリと笑った。
「優斗君、帰ろっか」
「う、うん。お先に失礼します」
「またな」
店長を慰めながら、十六夜蓮がひらひらと手を振ってくれる。
手を振り返しながら、僕は璃奈と帰路に就いた。
◆◆
「どうだった? アルバイトは」
「うーん、ちょっと想像していたのとは違ったかなぁ……」
僕の思い描いていたアルバイト風景は、原作のように働きながら何かしらのトラブルに巻き込まれ、持ち前の度胸と頭脳で解決していく十六夜蓮を傍らからニマニマしながら見つめる――だったのだが、璃奈が全てを掻っ攫っていったので、そんな光景は微塵も見られなかった。
璃奈や霧島先輩、唯ちゃんが十六夜蓮目当てで喫茶店を訪れ、洒落た会話を交わすという描写もあったのだが――この世界では実現しなさそうだ。
可能性があると言えば唯ちゃんだけだが、死王女も一緒に来ることを考えると、その場に同席するだけでも命懸けになりそうである。
「ところでさ、璃奈。どうして急についてきたの? アルバイト自体には反対してなかったでしょ?」
璃奈は気まずそうに視線を逸らしてから、
「……だって、一緒に居られる時間が、減っちゃうんだもん……」
何ともいじらしいことを言った。
さらに、
「喫茶店でバイトをしている女の子って、可愛い子が多いでしょ?」
「えっ? あぁ……そう、かな?」
実はあまり喫茶店自体行かないのでよく分からず、曖昧な答えを返す。
「そうなんだよ! バイト先では接触回数が自然と多くなるから、そのまま恋仲になるケースが多いって聞くし――」
「璃奈より可愛い子なんているの?」
純粋な疑問を口にする。
本当に喫茶店のことを知らないので何とも言えないが、璃奈レベルの容姿があれば普通に芸能界とかに行っている気がする。
それとも、芸能界の登竜門として喫茶店で働くものなのだろうか?
……うーん、よく分からない。
まぁ、少なくとも今日のお店には璃奈以上に可愛い人なんていなかったことは事実だ。
「あれ、璃奈? どうしたの、黙り込んで」
「……こういうところが、不安になるんだって……!」
何やら小声で呟いている。
気のせいか頬も赤い気がするけれど……どうしたんだろうか?
「よく分からないけれど……取り敢えず、あのバイトは決まっているシフトを終えたら辞めることにするよ」
「えっ……いいの?」
「うん。お店の雰囲気は分かったし。それに――」
「それに?」
「……やっぱり、働くの面倒だなって思って」
自分はヒモ男です、と認めるような発言だが、これが事実だった。
とにかく疲れたというか。
多分だけれど、璃奈がいなくてもへとへとに疲れていたと思う。
接客業は、大変だ。
「なんじゃそりゃ」
僕の適当な発言を受け、璃奈はおかしそうに笑った。
「それじゃあ、私も組み終わってるシフトを消化したら辞めるね。優斗君がいないなら意味ないし」
「ハハハ……店長さん、また泣いちゃうだろうなぁ」
まぁ、女神様は気まぐれということで、諦めて欲しい。
大丈夫。
あなたには頼れる主人公、十六夜蓮がついているから。
「しかし、ヒモ男は卒業できずかぁ」
思わずぼやくと、璃奈は不思議そうに首を傾げた。
「そんなに働きたいの?」
「働きたいわけじゃないけど……」
言うかどうか迷ったが、もうここまで来たら何を言っても同じだと割り切り、考えていたことを口に出した。
「一緒にデートに行った時、僕が全部を払えないのが、悔しくて」
「――――」
急に黙り込んだ璃奈が不安になり、横を見る。
彼女は微笑んでいた。
とても嬉しそうに――愛おしいものを見るような眼で僕を見つめながら微笑んでいた。
「そういうことだったんだ……」
「そ、そんなにおかしなことだった?」
「うぅん。おかしくなんてないよ。寧ろ、嬉しかったの」
そう言って、璃奈は僕の腕により強く抱き着いてきた。
二人でゆっくりと帰路を歩く。
その最中、不意に彼女は口を開いた。
「……天羽家はね、エクソシストとして代々この地を守って来た報酬として、色んな土地を貰ったの」
「あぁ、前にも教えてくれたね」
「私も色んな土地の管理をしていて、他にも余剰資金で株もやっているんだけど……優斗君、良かったらやってみる?」
「えっ」
思いもよらない提案をされ、僕は目を見開いた。
璃奈は真剣な瞳で提案する。
「報酬として、私がお金を払う――優斗君は、
璃奈の家でアルバイトをする。
それは考えもしなかった発想だった。
璃奈は悪戯っぽく笑いながら告げる。
「優斗君、そういうの得意そうだしね」
「……どうかなぁ。璃奈の方がずっと得意そうだけど」
「いや、私はお金の管理はそこまで得意じゃないんだ。あんまり興味がないから」
「なるほど。だったら確かに守銭奴の僕の方が熱心にやれるかもしれないね」
「別に守銭奴ってほどでもないでしょ」
「いや、僕は結構ケチだよ」
「ケチな人は、人に奢る為にお金を稼ぎたいなんて考えないよ」
璃奈は笑う。
彼女が笑っているのが嬉しくて、僕も笑った。
「じゃあ、上手くいったらそのお金で旅行に行こうよ」
「いいね。どこか行きたいところはある?」
「うーん、沖縄とか?」
「あり! 北海道とかもいいかも」
「日本の端と端だねぇ」
未来の予定を話し合いながら、僕たちはゆっくりと歩く。
そんな、何でもない日の夜だった。
ずぅーっと戦い続きの展開が続いていたので、たまにはこうした穏やかな幕間も良いかなと思い、今回は日常の描写をお届けしました。
本当はこれまでの章のどこかに挟みたかった場面でもあったのですが、物語の展開やテンポの都合で入れられずにいたため、こうして改めて形にできて嬉しく思っています。
しばらくは、こうした日常風景を少しずつお届けできればと思います。
ゆるりとお付き合いいただけますと嬉しいです。