世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
実は――という表現をするのもおかしな話だが、僕は高校生である。
然るに、この国においては義務教育の真っただ中であり、勉学に励む“義務”があるわけであって、世界の危機を救っているからと言ってその点が免除されるわけではない。
少しくらいは大目に見てくれてもいいじゃない! と声高に主張したいところだが、僕の功績を説明するにはまず悪魔の存在を開示するところから始めなければならず、そして悪魔の存在を開示しようとすると教会の偉い人たちがぶちギレしてくるので、今の僕は世界を救った悪魔の契約者でもなければ、原種の吸血鬼でもなく、ただただ学校をサボりまくっていた男子高校生という扱いになっているのが現状だ。
とにかく、色々な死線を潜り抜けている間にも時計の針は進んでいて、僕が解くべき課題は文字通り山のように積み重なっていた。
さらに、そこへ追い打ちを掛けるように期末テストまで控えているときている。
つまり、だ。
「流石に勉強しないとダメか……」
前世では既に高校を卒業しているが、ぶっちゃけその時の知識なんて何も覚えていない。
必死に身に着けた知識も、必要がなければ呆気なく脳から消えていくものなのだ。
だから僕は多少のアドバンテージを持ったうえで、改めて高校の科目を学び直すことになっていた。
既に期末試験はすぐそこまで迫っている。
ここだけの話、“
そんなわけで、僕は天羽邸の中にある自分の部屋で、机の上に広げた高校の教科書と向き合っていた。
しかし、なかなか思うように集中できない。
単純に僕が勉強というものを苦手に思っていることもそうだが、理由はもう一つある。
「――ほら、優斗君。手が止まってますよ。次の問題を解いて」
「あぁ……うん」
のろのろとペンを動かしながら、チラチラと視線を向ける。
僕が集中できていない“もう一つの理由”が、そこにあった。
白いシャツに黒のタイトスカート。
落ち着いた色のストッキングに包まれた脚線美。
長い髪は後ろでまとめられ、目元には細いフレームの眼鏡。
いつもの凛とした雰囲気に、知的で大人びた空気が加わっている。
完璧で、究極の美人教師がそこにいた。
天羽璃奈――教師モードである。
「ほら、また手が止まってますよ。どこか分からないところがあるんですか?」
「そう、ですね。ちょっとここが分からなくて――」
「分かりました。では、先生が教えてあげましょう」
クイッと眼鏡を押し上げる仕草が妙に板についている。
璃奈はホワイトボードを使い、懇切丁寧に問題の説明を始めた。
背筋を伸ばして講義を聞いている僕だけれど……なんか上手く頭に入ってこない。
これもそれも、璃奈の“教師スタイル”が似合いすぎているからだ。
別に奇抜な格好ではない。
ただ、落ち着いた大人の雰囲気があまりにも自然で、普段の璃奈とは違う一面を見せられているようで――どうにも意識してしまう。
テスト勉強をしようと誘ったのは僕の方だったが、まさかこの間の“先生”発言に味を占めた璃奈が本当に教師スタイルで来るとは思わなかった。
意外と形から入るタイプだったらしい。
視線が自然とホワイトボードではなく、璃奈の方へ吸い寄せられていく。
いかん! いかん! 璃奈は真面目に教えてくれているんだから、授業に集中しろ僕!
自分に強く言い聞かせてから、僕は穴が空くほどホワイトボードを睨みつけ、ノートに板書をしていく。
エクソシストになっていなければ教師になっていたという原作設定通り、璃奈は人に物を教えるのが本当に上手だ。
先ほどまで苦戦していた問題の構造が丁寧に解説され、僕の理解度に合わせて解き方が自然と頭に入ってくる。
恰好に気を取られていたが、やはり彼女はいい“先生”だ。
「――はい、よくできました。では、数学はこれくらいにしておきましょうか」
何故か口調まで先生に寄せている璃奈は、数学の教科書をパタンと閉じた。
苦手科目の一つが終わったことにホッと一息つき、僕はグッと伸びをした。
「ちょっと休憩にしませんか? 先生」
雰囲気に釣られて僕まで敬語になりながら尋ねると、璃奈先生はコクリと頷いて眼鏡を外し、いつもの璃奈の表情に戻った。
「全然勉強してないからヤバいって言っていたけど、大丈夫そうじゃない」
「いやぁ、璃奈に教えてもらわなかったらヤバかったよ」
完全にリラックスモードに入った璃奈は僕のベッドに腰を下ろした。
スラリと長い脚が組まれる。
視線が吸い込まれそうになるところを、強引に数学の教科書へ移した。
素数、素数を数えるんだ。
素数は孤独な数字。
きっと僕の煩悩も打ち払ってくれる――。
「他に苦手な教科はある?」
「国語と世界史は得意だし、生物は暗記すればいいから、後は英語かな……」
前世からそうなのだが、僕は文系だ。
間違いなく理数系は弱い。
だが文系のくせに英語は苦手というタイプで、とにかく“勉強”というものが苦手な人間なのだ。
馬鹿は死んでも治らないというが、僕がそれをきっちり証明していると言えるだろう。
「分かった。それじゃあ、次は英語にしようか」
「うん。……はぁ、世界を救い終わった後はテスト勉強かぁ……世知辛いなぁ……」
「こればっかりは仕方ないよね~」
苦笑する璃奈。
ちなみに、彼女は既にテスト勉強を終えているらしい。
何なら、一度授業を聞いただけで全てを理解したのだとか。
僕の彼女が秀才すぎて辛い……。
「でも、私はちょっと嬉しい、かも」
「えっ? なにが?」
この勉強のどこに嬉しい要素があるというのか。
不思議に思って素で尋ねると、璃奈は少し頬を染めながら言った。
「優斗君と一緒に勉強できるのが」
いじらしい発言を受け、僕は自然と笑顔を浮かべていた。
「確かに、璃奈と一緒に勉強することなんてなかったね。……どうして先生スタイルになっているのかはよく分からないけれど」
一緒に勉強すると言ったら、普通は二人とも制服で並んで勉強するものではないだろうか? ファミレスとかで肩を並べながら勉強している、あの感じだ。
気になっていたことを指摘すると、璃奈は頬をもっと赤く染めた。
「す、スタイルは何でもいいでしょ⁉」
「確かに何でもいいんだけど、なんでよりによってそういう感じなのかが気になってさ。……何を見て勉強したの?」
「……」
璃奈は顔面を真っ赤にしながら視線を泳がせた。
こんな彼女は滅多に見られないので、もっと追及したいところではあったが――これ以上深掘りすると僕も火傷しそうなので、この辺りで切り上げておこう。
「――まぁ、何でもいいや。そろそろ英語の勉強しようか」
「そ、そうね……!」
僕の助け舟に思いっきり便乗したらしい璃奈は、安心したようにホッと一息ついてから再び眼鏡をクイッと持ち上げた。
「ゴホン! では、英語の授業を開始します。今回のテスト範囲のページからいきましょうか」
ベッドから立ち上がった璃奈先生は、僕が座る椅子の隣に立ち、ページの指定をしてくる。
僕は教科書を捲り、苦手な言語が広がるページを見て溜息をついた。
さて、長い戦いになりそうだ。
「まずは文法の確認から――って、ちょっと待って」
二限目の授業が始まろうとしていたその時、璃奈は突然待ったを掛けた。
眼鏡を外し、素の状態に戻る。
何事かと思いながら彼女を見上げると、璃奈はやや困惑した表情で言った。
「そういえば優斗君、
「――はい?」
心底困惑しながら首を傾げる。
冗談かと思ったが、璃奈もまた困惑した表情を浮かべていた。
「ほら、ユリウスさんが電話で教会に報告している時、英語を聞き取って、そのまま英語で指示をしていたじゃない」
「……んん??」
僕は首を傾げながら少し前のことを思い出す。
紅の戦君バルナハルトのオリジナルに勝利した後、教会の本部が怖くて仕方なかった僕はユリウスに依頼し、任務の報告内容を偽装するようお願いした。
教会に忠誠を誓っているユリウスが大人しく言うことを聞いてくれるか不安だったが、何故か快諾してくれた彼が偽の報告をしてくれたお陰で、僕たちは今も日常生活を送れているわけだが――
「えっ、あれって英語だったの……?」
「英語だったよ!」
璃奈がそう言うのなら、そうなのだろう。
というか、英語と日本語の区別もつかないとは、いよいよ僕はダメになったのかもしれない。
「しかも、僕が英語を話していたって言った……?」
「うん。すごく流暢に話していたよ。だから、優斗君も英語話せるんだーって思いながら見てたの」
「えぇ……?」
僕は再び困惑した。
もちろん、僕は英語なんて話せない。
知っている単語は「sorry」と「thank」くらいのものだ。
――ちなみに、『優斗君“も”英語話せるんだ』という璃奈の発言から分かる通り、璃奈は英語が話せる。ペラペラに話せる。うちの彼女が才女すぎて辛い……。
「だけど、この間英語の授業を受けた時も全く分からなかったよ……?」
前世から英語音痴である僕は、とにかく終生英語に手こずっていた記憶が微かにある。
だから今世でも苦手意識を覚えていたわけだが、そんな僕が英語を話せるようになっただって? Really?
「そんなまさか……た、試しにこの教科書を読んでみて!」
「わ、分かった」
何故か僕より興奮した様子の璃奈に教科書を手渡され、僕は目を凝らして英語の教科書を睨みつけた。
「お……おぉ……!」
「優斗君……?」
僕は思わず声を上げた。
「こ、これは……!」
「もしかして優斗君……!」
「す、凄いぞォォォォォォ!」
「優斗君!」
僕は言った。
「全く分からんッ‼」
ズコーっと璃奈はズッコケた。
まぁ、お約束だよね。
穴が空くほど英語の教科書を睨みつけたが、マジで何も分からなかった。
僕が知っている二単語すらないので、本当にマジで、何について話しているのかも分からない。
「あ、あれぇ……? この間は間違いなく英語を話していたと思うんだけどなぁ……」
不思議そうに首を捻りながら璃奈が言う。
僕もその時のことを思い出してみるが、自分が英語を話していたシーンなんて浮かび上がってこない。
あの時は教会と本格的に敵対するかどうかの瀬戸際だったので、とにかく必死で、何をユリウスに話したのかもよく覚えていない。
「日本語も問題なく話せているから、“外国語症候群”でもなさそうだし……うーん、なんなんだろう」
「外国語症候群? なにそれ?」
初めて聞く言葉だ。
璃奈は何故か眼鏡をかけると、再び先生モードで解説を始めた。
「外国語症候群とは、その名の通り、患者が突如として母語ではない言語を話し始める症状のことです。非常に稀な症例で、主に麻酔薬などを使用した後に発生するとされています。神経系などに異常は見られませんが、麻酔薬によって認知プロセスに混乱が生じた結果として起こる、一種の“覚醒せん妄”ではないかと推測されています」
「へぇ……元から勉強していたとかではなくて?」
「対象の患者は複数言語を操るバイリンガルではなかったそうです」
「全く関係ない言語を話せるようになったのか……凄い話だな」
思わぬ雑学を聞き、素直に感心する。
「しかし、優斗君はあの時、日本語と英語の二つの言語をスムーズに切り替えながら話していました。意識もハッキリしていましたし、記憶も確かでした。完璧に二つの言語を操っていたことから、外国語症候群の可能性は低いと思われます。私は医者ではないので確かなことは言えませんが」
別の世界では医者になっていた可能性もある璃奈先生はそう締めくくってから、眼鏡を外した。
「けど、今は英語を話せないっていうのは、逆に外国語症候群っぽい感じもあるんだよね。……優斗君、紅の戦君バルナハルトとの戦いで脳にダメージを負ったりしてない……?」
「山ほど負ったと思うよ」
心配そうに見つめてくる璃奈に、僕はあっけらかんと返した。
山ほど顔面を殴られたし、雨のように権能爆撃を喰らいまくった。
あれでダメージを負っていない方がおかしいだろう。
目を見開く璃奈だが、しかし彼女は重要なことを忘れている。
「だけど璃奈、僕は吸血鬼なんだよ? おまけに“
「あっ、そっか。そうだった」
ポンと手を叩いて安心したように頷く璃奈。
そう。僕は吸血鬼だ。死ぬほどダメージを喰らっても、ケロッと回復できるのだ。
「じゃあ、吸血鬼になったことが原因とか……?」
「血の迷宮と鏡の世界から帰ってきた後も、英語の授業はさっぱりでした」
「“
「可能性としては一番高いけれど、別に発動させた覚えはないんだよね……」
基本的に“
唯一、メフィラに心臓を渡しているために蘇生だけは勝手に発動するようになっているが、言うなればこれは常時能力を発動させているようなもの。
“英語を話せるようになる”なんて能力を発動させた覚えはないので、可能性としては低いのだが――こういう摩訶不思議なことが起こっている時は十中八九この能力が原因なんだろうという、嫌な信頼もある。
璃奈と二人で首を捻る。
英語が話せて困ることなんて欠片もないのだが、流石に原因が分からないと不安にもなる。もはやテスト勉強どころではない状況になってきたが、どうしたものか――。
「あっ」
と、そこで名探偵璃奈先生は何か閃きを得たような声を上げた。
「もしかしたらアレかもしれない」
「アレ、とは?」
「悪魔四騎士だよ」
璃奈は何故か再び眼鏡を掛け、先生モードに切り替わった。
……もしかして、結構楽しんでノリノリでやっているのではないだろうか?
「優斗君は諸々の条件が重なった結果、一時的に“悪魔四騎士”へと階位を上げました。悪魔四騎士は悪魔の頂点に立つ存在であり、生態系の中では最上位に位置します。人間界への影響力も大きく、太古より数多くの人間の願いを叶え、絶望に導いてきたとされています。そしてここが重要な点ですが……
「えっ、マジで?」
「マジです」
クイッと押し上げられた眼鏡がキラリと光った。
「人間は嘗て全員が同じ言語を話しており、傲慢さを見かねた神の力によって言葉が分かれたという伝説があります。ご存知ですか?」
「うん。バベルの塔でしょ?」
バベルの塔。
かつて人類が一つの言語を共有していた時代、天まで届く塔を建てて神の領域に挑もうとした結果、神は人間の傲慢を戒めるために言語を分断し、互いに意思疎通できないようにした――そんな伝承だ。
僕自身はあまり真に受けてはいなかったが、神と悪魔が現役で暴れているこの世界では、史実だった可能性も十分にある。
「悪魔四騎士たちは太古より存在しています。もしかすると、神によって分断される前の“共通言語”を理解しているからこそ、全ての言語を操ることができるのかもしれませんね」
「なるほど……」
確かに高位の悪魔たちは色んな国に出没するが、全員その国の言葉を理解して話すことができる。
原作ではその理由に触れられることはなかったが、璃奈が語ったような裏設定があるのかもしれない。
「現世に戻ってきた後、優斗君は暫く“悪魔四騎士”の状態を維持していたのでしょう。だからこそ、ありとあらゆる言語を理解できる状態にあった」
「だから、僕は英語を話した記憶すらないのか。英語を英語として理解することもなく、ただ“言葉”として理解していたからこそ、無意識のうちに話せていた、と」
「そういうことです」
璃奈先生は眼鏡を外し、悪戯っぽく片目を瞑った。
「――だから、もう一度悪魔四騎士になれば英語を理解できるかもね」
それが出来れば苦労はしないというか……あれはあの状況だからこそできた反則だ。
僕は溜息をついた。
「それは無理だから、大人しく勉強することにするよ」
バベルの塔はもうない。
僕は悪魔四騎士ではないし、ただの――というには色々と属性過多だが、少なくとも今は“英語が苦手な男子高校生”だ。
学ばずに何もかもを得られる便利な立場ではないのだから、学び続ける必要がある。
「僕に英語を教えていただけますか? 璃奈先生」
頼りになる先生に教えを乞おう。
教えるのが大好きな先生に。
「もちろんです」
嬉しそうに眼鏡を掛ける璃奈先生。
そうして、英語の授業が開始された。
僕は前世と同じように苦戦しながら、少しずつ多言語への理解を深めていく。
相変わらず大変な作業ではあったけれど――前世の時よりはずっと楽しいものに思えた。
バベルの塔によって言語が分かたれたことに対して、逆に感謝をするくらいには。
◆◆
「どうだった?」
「まぁ、思っていたよりは悪くなかったよ」
期末テストを終えた後、僕は璃奈と一緒に屋上でテスト結果を見ていた。
ちょっと格好をつけてそんな風に言ってみたが、実際のところはとんでもなく良い点数になっていた。
これもそれも、的確にテストに出る部分を集中的に、分かりやすく教えてくれた璃奈先生のお陰だ。
――ちなみに、璃奈さんは満点だったらしい。僕の彼女が才女すぎて(以下略)
「これも、教えるのが上手な先生のお陰だね」
先生の方を見ながら言うと、璃奈は不敵に微笑んだ。
「教え甲斐がある生徒のお陰で、私も楽しかったよ」
「うっ……それは悪かったって……」
勉強中、何度璃奈に同じ解説をお願いしたことやら……。
基本的に僕の脳みそは緊急事態にならないと上手く回ってくれないので、テスト前の勉強ほど相性が悪いものはない。
その分、本番でのキレはなかなかのものがあったと自覚している。
「先生」
「なんですか」
眼鏡は掛けていないが、まだ先生ロールを続けている璃奈先生。
僕は恭しく胸に手を当てながら言った。
「お礼をしたいのですが……ケーキはお好きですか?」
「……嫌いじゃないわ」
大好き、とキラキラ輝く瞳が言っていた。
「それじゃあ、放課後に行きませんか?」
「是非」
璃奈は悪戯っぽい瞳で言った。
「――バベルの塔くらい高いケーキを頼みましょう」
「……それは勘弁してください」
屋上に璃奈の笑い声が響き渡った。
僕は放課後のことを楽しみにしながら、自己最高得点となった英語のテスト用紙をそっと鞄に仕舞った。
――ちなみにこれは後から知ったことだが、その身に死王女を宿している唯ちゃんは、悪魔四騎士の恩恵で英語がペラペラらしい。
他の国の言語も全て話せるのだと言って、ドヤ顔で胸を張っていた。
羨ましい限りだ。
今度、ケーキでも奢ってもらうとするか。