その血は呪われている   作:海野波香

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序章 1987年 - 1988年
001


「国家は一階級によって他階級を圧迫する機械にほかならない。これは、君主政体においても民主政体においても真実である」

「誰の言葉ですか、お姉様?」

「エンゲルスよ、アステリア。マグルで最も冷徹な夢想家」

 

 アステリアの小さな手がぱちぱちと感嘆を示す。言葉の意味はわからないだろうに、姉の賢さを信じているからその言葉も素晴らしいに違いないと信じられるのだ。

 この魔法界は信仰に満ちている。

 自分たちは魔法的に清く正常であるから、近親婚を繰り返しても遺伝異常にならない。メンデルの法則を魔法族が理解したあと、最初に流行った信仰だ。

 

「お姉様は博学です。もう父上の書斎にある本は全て読まれてしまったのでは?」

「全てではないわ。読書というのはね、アステリア。どれだけ読むかではなく、何を読むと決めるかで時間の有意義さが定まるのよ」

「金言ですね、お姉様」

 

 何を言っても褒めてくれる妹は可愛い。よその男には指一本触れさせたくないとすら思う。いっそ食べてしまいたいほどだ。

 ダフネ・グリーングラスが前世の記憶を取り戻して熱を出したその日も、アステリアは姉のためにと献身的にタオルを絞り、水差しを運び、寝るときすらそばにいようとベッドのそばにマットレスを引っ張ってきた。

 愛おしい妹にすら秘密にしているが、ダフネは転生者である。そして、この世界が魔法ワールドフランチャイズの世界であることを人並み以上に熟知している。

 

「ねえアステリア、魔法界が純血によってマグル生まれを圧迫する機械なのだとしたら、それは残酷なことかしら?」

「お姉様の質問はいつも難しいです。でも……マグル生まれの友達が押し潰されてしまったら、アステリアはとても悲しくなると思います」

「あなたは優しい子ね」

 

 撫でてやると恥ずかしそうに目を細める。なんと愛おしいのだろう。

 全ての純血がアステリアと同じ程度に思いやりを持っていれば、魔法省高官のポジションはあと3割はマグル生まれに開放されていただろう。アーサー・ウィーズリーの薄給も改善されていたに違いない。

 しかし、それは現実的ではない。全くもって現実的ではないのだ。

 

「でもね、こうも思わないかしら。国家がそういった構造の機械である以上、誰かが誰かを圧迫しなくてはならないのなら、私は圧迫する側でありたいわ」

「それは……はい、アステリアもそう思います。苦しいのは、嫌です」

 

 圧迫する側でありたい。そんな生易しい言葉では片付かないほど、グリーングラス家の状況は逼迫していた。

 グリーングラス家の女は血の呪いに縛られている。

 血の呪い。それは感情のゆらぎに従って肉体を変貌させ、ついには獣へと身を堕とさせる邪悪な呪いだ。この呪いはグリーングラス家の女系に遺伝し、グリーングラスの姓を持つ魔女の多くはそれゆえに狂うか、自死を選んできた。

 狂うか、死ぬか。

 母は両方だった。ダフネはきっと後者を選ぶ。アステリアには、どちらもさせたくない。これは姉としての偽らざる思いだった。

 

「だからね、アルバス・ダンブルドアとハリー・ポッターの物語は些か都合が悪いのよ」

 

 本を閉じる。

 今はまだ1987年。今頃、ハリー・ポッターはマグルの親戚に虐待を受けている頃だろう。

 1991年、ハリー・ポッターがホグワーツに入学する。復活の時を待ち望むヴォルデモート卿を討つための、銀の杭として。

 1998年、ハリー・ポッターがヴォルデモート卿を討ち滅ぼす。純血主義の時代は終わり、スリザリンは敗北した悪の魔法使いとその配下を輩出した寮としてますます人気を失い、マグル生まれが台頭するようになる。

 戦後のマグル生まれの台頭は著しく、その代表例がハーマイオニー・グレンジャーの魔法大臣就任だ。これまでであればウィゼンガモットが認めたはずもない。

 それはおそらく健全で、立派で、妥当な結末なのだろう。

 しかし、グリーングラス家にとってはそうではない。純血主義のおかげで呪いを受けても生き延び続けている、グリーングラス家にとっては。

 

「ハリー・ポッター? お姉様はハリー・ポッターとお友達なのですか? アステリアは彼に会ってみたいです!」

()()お友達ではないわ。でも、きっと()()()()を築けると思うの」

 

 父のものだった黒檀の執務机から、何枚かの羊皮紙を取り上げる。

 

「それはなんですか、お姉様?」

「相続登記の書類よ。管轄が運輸部なのには驚かされたわ。魔法族は不動産を運輸するからだそうだけれど」

「お屋敷、引っ越してしまうのですか……?」

「安心しなさい、アステリア。ここは誰にも譲らないし、引っ越しもしないわ。あなたの大好きな果樹園もそのまま」

「よかったです。じゃあ、一体何の書類を?」

 

 これからの計画のための大切な書類だ。これも結局は妹を安心させるためのものでしかないのだから、我ながら姉馬鹿がすぎる。

 計画。そう、ダフネは転生して以来ずっと計画を企てていた。

 ヴォルデモート卿が死ぬ、大いに結構。死喰い人が捕まる、ご自由にどうぞ。ハリー・ポッターが英雄になる。おめでとう。

 しかし、純血主義だけは守らなくてはならない。

 

「お友達を増やすための書類よ。ホグワーツに入った時、お友達が多いほうが嬉しいでしょう?」

「はい、あの……ドラコ兄様とよく一緒にいるクラッブ様とゴイル様のような?」

「いいえ。あの世話焼き坊やが連れている大きな赤子たちとは違う、もっと聡明で、大志をともにできるお友達のことよ」

 

 なぜ純血主義を守らなくてはならないのか。

 こんなものは百害あって一利なしだと思われていることは、ダフネも重々承知している。近親交配と血縁による支配はどちらも遺伝という脆弱性を抱えている。

 それでも純血主義を守るのは、アステリアのためだ。

 

「もしかしたら、アステリアの旦那様候補も見つかるかもしれないわね?」

「もう、お姉様の意地悪。アステリアはお嫁になど行きたくありません」

「行かなくてもいいわ。でも、あなたはきっと行く。行って、いい人と幸せになりなさいね」

 

 グリーングラス家が呪いを抱えているにも関わらず断絶しなかったのは、ただひとつ、古い純血の家であるからだ。

 家名が英語名であることからわかるように、このイギリスに古来から暮らしてきた一族だ。歴史の古さではブラック家にも引け目を取らない。外様のマルフォイ家やレストレンジ家など言うに及ばず。

 だから、血を取り入れたいという一族は少なくなかった。女児が生まれないことを祈ればそれでいいのだ。血の呪いは女系にしか遺伝しないのだから。

 血の呪いを受け、それでも次代に血を残すために子を産む短命な道具。結局のところ、グリーングラス家の女とはその程度の価値しかない曰く付きの品だ。ボージン・アンド・バークスに査定に出すまでもない。

 

「お姉様こそ、どうなのですか。この間のダンスパーティーではドラコ兄様と踊られたのですよね?」

「貴族のいいところはね、アステリア。自分でダンスの相手を選ばなくていいところよ」

 

 ダンスの相手も、結婚の相手も、選択の権利はない。

 しかし、まだ見ぬ戦後であればどうか。ダフネの知る原作では、ドラコが父ルシウスに反対されながらもアステリアを娶って暮らしていた。その家庭が穏やかであることはスコーピウスの快活さと利発さを見ればわかる。

 血の呪いがあるからと避けられるようではいけない。かといって、道具として使い潰されるようでもいけない。

 妹に、アステリアに恋愛と結婚と出産の自由を与えてやりたい。叶うなら、長生きもさせてやりたい。

 転生を自覚した日、熱にうなされるダフネの手を震えながらも握りしめてくれたアステリアの優しさに、そう誓ったのだ。

 

「アステリアは選びたいです。ダンスが上手で、お話が面白くて、そんな方と踊りたいです!」

「素敵ね。誰と踊るのがいいかしら……アルバス・ダンブルドア?」

「ええっ、あんなおじいさまとですか!」

 

 だから、ダフネはダンブルドアと踊らなくてはいけない。

 ダンブルドアは権力を拒む。権力を拒むが、結局は行使する。愛の力を尊びながら誰よりも愛に溺れることを恐れる。どこまでいっても教育者にはなれない、政治家になりたくないと叫び続ける怪物。

 それが古老、アルバス・ダンブルドアの正体だ。

 彼は若き日の過ちを忘れていないからこそ、マグルやマグル生まれとの融和について恐ろしいほど意欲的だ。自ら政治の矢面に立つことはないが、彼の意見がなければ動けない政治家はごまんといる。

 ダンブルドアの勝利は融和派の勝利を意味する。そしてそれはすなわち、純血主義と純血社会の敗北をも意味するのだ。

 

「あるいは……それこそ、ハリー・ポッターでもいいかしら」

「どんな方なのでしょう……闇の帝王を敗北させて以来、消息不明なのですよね? その、生きているのですか……?」

「もちろんよ。きっとあなたのいいお友達になるわ」

 

 ハリーもまたダフネのダンス相手だ。

 後に闇祓い局局長にまで昇りつめる彼は、運命に選ばれて英雄に至る存在だ。ヴォルデモート卿を倒した赤子ではない。ヴォルデモート卿と戦う運命が刻まれた赤子と呼ぶのが正確だろう。

 グリフィンドール、ウィーズリー派、ダンブルドア信者、マグル融和派。

 これだけとってもダフネにとっては都合の悪い相手だが、それは彼が魔法界でそのように導かれたからだ。

 つまり、ダフネが導くこともまた、可能なはずなのだ。

 

「もう、お姉様のずるっこ! 今ダンスできる相手から選んでください!」

「ふふ、ごめんなさい。それなら、そうね……やっぱり、ルシウスおじさまかしら」

「あっ、ずるい! でも、ルシウスおじさまは素敵な方です。紳士的で、奥様にも優しくて……」

 

 ルシウスは間違いなく、要となる駒だ。

 主が負けたと見るやすぐに手のひらを返し、分霊箱を喪失し、俗世でのうのうと生きていたにもかかわらず、ヴォルデモート卿からは相応の席次を与えられている。

 たとえそれが財力と地位ゆえだとしても、いや、だからこそ、純血社会はルシウス・マルフォイという屋台骨を失うわけにはいかない。

 それに、マルフォイ家はマグル界にも領地を持つ本物の貴族だ。その事実が持つ価値は、大半の魔法族が思うよりもはるかに大きい。

 

「次のダンスパーティーはアステリアも行きたいです!」

「デビューにはまだ早い歳だけれど……そうね、ルシウスおじさまに相談してみましょう。ドレスも採寸しなくてはね」

「わあ、ドレス……!」

 

 アステリアのためならば、女神アルテミスが纏うキトンを盗んでくることだってできる気がした。

 これは夢想かもしれない。

 小さなダフネが手を伸ばしたところで、賢人会議から始まったウィゼンガモットの純血支配は終わりを告げ、英国魔法界は純血という鎖から解き放たれるのかもしれない。

 それでも、我欲のために命を賭けてみる価値はある。




Twitterで「ハリポタで純血主義中心に本気の政治劇書いてみたーい」と適当なことを呟いたら評判がよかったので、いつか続きを書くように序章だけ残しておきます。
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