その血は呪われている   作:海野波香

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「でね、ハリーって私とダンスしてる間もずーっとダフネのこと見てたの! ちょっと露骨すぎない? そりゃ、私だって別に興味があるわけじゃないけどさ。私とダンスしてる間は私がパートナーでしょ? なーんかなー」

 

 パンジーの愚痴に曖昧な相槌を打つミリセントをなんとなく眺めながら、ダフネはアステリアの小さな手を撫でていた。

 ついに、ついにアステリアと一緒にホグワーツ特急に乗る日がやってきたのだ。

 アステリアと引き離されたこの2年間はダフネにとって地獄のような日々だった。この世界一可愛い天使から離れるなど、正気の沙汰ではないのだから。

 

「お、お姉様? どうしてずっと黙ってらっしゃるんですか?」

「静かに……今あなたの柔らかくて小さなお手々を堪能しているところなの」

「な、なにか、こう……よくない気がします……!」

 

 耳まで赤くなりながら、それでも拒まないアステリアの愛おしいことと言ったら。

 しかし、ダフネが静かにしているのはそれだけのためではなかった。心を幸福で満たす練習をしているのだ。つまり、これは守護霊の呪文の練習でもあった。

 自宅でダフネは何度か練習を重ね、無形の守護霊を放つところまでは辿り着いた。しかし、有体守護霊を出すにはまだダフネの魔女としての能力が不足していた。あとは練習あるのみだ。

 守護霊の呪文の練習は急務だ。

 原作とは違う流れではあったものの、結局ダフネはホグワーツに吸魂鬼が配備されることを止められなかった。

 ルシウスが理事として働きかけることで「万が一にも生徒が襲われることがあればウィゼンガモットの責任とし、即座に吸魂鬼を撤収する」という確約は得られた。しかし、ウィゼンガモットはそれでも吸魂鬼の配備を強行した。

 アズカバンはウィゼンガモットの管轄だ。彼らは賢人会議として自らの行いに誇りを持っている。その誇りを汚したシリウスのことは決して許さないだろう。たとえ、生徒に犠牲を出してもだ。

 

「ねえダフネ、本当にシリウス・ブラックはホグワーツに来ると思う?」

「……そうですわね、目的次第といったところかしら」

「目的? ポッターを、その、殺めるためじゃないのか」

 

 ミリセントが怯えたように大きな体を丸めた。

 

「復讐なのか、それとも無実を証明するためなのか。なんにせよ、悩むべきはウィゼンガモットのお歴々と闇祓いたちであって、私たちではありませんわ」

「でも、ハリーが狙われてるならダフネも危ないってことでしょ? ほら、ハリーを誘き出すためにダフネを人質に取るとか! そしてハリーは己の危険も顧みずにダフネを助けに行くの! きゃー!」

「パンジー、演劇の見過ぎよ」

 

 実のところ、ダフネはシリウスと連絡を取りあっているわけで、彼が()()()()()()()()()()()()()()ことを知っている。そういう約束だからだ。

 そう、ダフネとシリウスは約束を交わした。

 シリウスとダフネは何度か対話を重ね、時に罵りあい、時に睨みあって、最終的にこう結論付けた。ペティグリュー夫人を囮に使うより先に、まずシリウスがペティグリューを捕まえられないか試す。

 シリウスは最終的に復讐心より情を選んだわけだ。

 その判断をダフネは否定しない。確かにペティグリューは重要な駒だが、愛や情を大切にする人々の反感を買ってまで確保すべきかと問われれば難しい。それならばいっそ、譲歩することで恩を売ったほうがいいだろう。

 

「助けに行くで思い出したけど、なんか今日もこの列車に吸魂鬼の立入があるんでしょ? パパが言ってたわ。大量の吸魂鬼を連れ出すために専用の輸送船を用意させられたって」

「あら、そのまま沈んでくださればよろしかったのに」

「あんた、吸魂鬼嫌いよねー。まあ、あれが好きなやつなんていないけどさ」

 

 ダフネは肩をすくめて、窓の外を見た。昨夜から続く大粒の雨が窓を叩いている。もうすぐこの濡れた窓は凍りつき、そして吸魂鬼が現れることだろう。

 結局のところ、吸魂鬼にアズカバンの警備と刑罰を担わせているのはウィゼンガモットの怠惰に過ぎない。怪物をうろつかせて囚人に恐ろしい思いをさせれば罪を償ったことになるという発想は前時代的で、非生産的だ。

 しかし、吸魂鬼嫌いで知られるダンブルドアですら、ウィゼンガモットの議長を務めているにもかかわらずアズカバンの改革には着手できなかった。ウィゼンガモットの伝統主義と前例主義は悪しき慣習すらも肯定する。

 腹立たしくは思う。しかし、ダフネの両腕はアズカバンを抱けるほど長くはない。

 いつか、どこかで改革の手は入るだろう。それが原作と同じ流れかはわからないが、どこかで魔法族は吸魂鬼に見切りをつけるはずだ。その改革にダフネは立ち会えるだろうか。

 

「お姉様、少し冷えてきましたね。ブランケットを出しましょうか。パンジー先輩とミリセント先輩の分もありますよ!」

「あら、気が利くじゃない! 昔から可愛かったけど、最近ますます可愛いわねあんた」

「えへへ……お姉様、ブランケットをどうぞ!」

 

 足元のバスケットからアステリアがブランケットを取り出したちょうどその時、咄嗟にダフネはアステリアを抱き寄せた。

 まず、明かりが消えた。

 

「えっ、何?」

 

 その問いかけに答えるより早く、車体が揺れた。

 急ブレーキで線路と車輪が擦り合わせられる異音が響く。耳を割くような金属音に混じって、どこかから悲鳴が聞こえた。

 始まった。

 

「いったた……」

「怪我はないか、パンジー」

「うん、大丈夫。ちょっとおでこぶつけたけど。……え、立入ってこんな急に来るわけ? 事前通達とかなしで?」

「事前通達していたら捜査になりませんわよ。奥へ。窓の外は見ないほうがよろしいですわ」

 

 ダフネは杖を抜き、深呼吸した。

 吸魂鬼は嫌いだ。絶望と悲嘆の感情を呼び起こす。感情の荒ぶりによって症状が発現する血の呪いにとっては天敵と言っていい。

 この胸に抱いた幸せはダフネだけのものだ。薄汚れた、廃墟の窓にぶら下がっていそうな怪物にくれてやるものではない。

 

「ッ、来た!」

 

 ミリセントが悲鳴を上げた。

 コンパートメントの外、凍りついたガラスの向こう。いつもなら車内販売の老魔女が微笑んでいる廊下を、冷気を纏った怪物が漂っている。

 吸魂鬼だ。

 そして、吸魂鬼がゆっくりと扉を開けた。

 

「形式上、言っておかねばなりませんわね。ここにシリウス・ブラックはいませんわ。……あなたたち、言葉はわかるのかしら」

 

 当然返事はない。

 吸魂鬼はほつれだらけの暗灰色の布で覆われた顔をダフネに向けた。その下に大きく空いた穴のような口が待っていることも、その口にキスされた者は魂を失って廃人になるか、あるいは吸魂鬼の仲間入りをすることも知っている。

 杖を上げると、一瞬だけ吸魂鬼が身動ぎした。

 かつてはこの吸魂鬼も人間だったのだ。エクリジスという闇の魔術師が漁師を攫って実験を繰り返し、その果てに生み出されたのがこの冷たく哀れな怪物だ。

 もしかすると、この吸魂鬼は元々魔法使いか魔女だったのかもしれない。

 ほのかに同情を抱きながら、それでもダフネは杖を振った。

 

「……守護霊よ、来たれ(エクスペクト・パトローナム)

 

 光が生まれた。

 白く、霞のような光が吸魂鬼を阻んだ。ダフネはその柔らかな光を杖先から放ち続け、吸魂鬼をコンパートメントの外まで追い出した。

 なんとか成功した。

 安心したダフネはゆっくりと杖を下ろした。光は消え、暗闇の向こうで吸魂鬼が蠢いていた。あまりにもおぞましい光景に背筋を嫌な汗が伝う。

 ダフネは急いでコンパートメントに戻り、ドアを閉めようとした。

 その時だった。

 

「ッ!」

 

 激痛がダフネの腕に走った。冷たさのあまり熱を錯覚した。まるで、焼けた炭が指の形になってダフネの腕に絡みついているようだった。

 吸魂鬼がダフネの杖腕を掴んだのだ。

 暗闇から手だけが差し出されていた。その細い、水死体のような指先はたちまちのうちにダフネの腕を捕らえた。

 

「この……ッ!」

 

 守護霊の呪文を再び唱えようとしたが、思考がうまく働かない。

 呼吸が聞こえる。

 吸魂鬼の顔が近い。生々しい呼吸音が、冷気を伴ってすぐ近くまで迫っている。

 

「お姉様!」

 

 アステリアの叫びと同時に、廊下の奥から白い靄が吸魂鬼に叩きつけられた。

 

「――手を離せ!」

 

 顔に負った傷跡が歪むほどの憤怒の形相を浮かべた男――リーマス・ルーピンが、吸魂鬼を追いやっていた。彼の守護霊は有体でこそなかったが、それと同じくらい力強かった。

 

「この少女の内側に! シリウス・ブラックは! いない! ……まったく。大丈夫かい? 腕を見せなさい」

 

 リーマスは素早くダフネの腕を掴むと、杖明かりを頼りに触診した。そしてポケットから小さな軟膏を取り出し、ダフネの腕にさっと塗った。

 ダフネはその様子をどこか他人事のように受け止めていた。

 何が起こったのだろう。現実感がなかった。今、ダフネは死にかけたのだ。一体何が吸魂鬼にそうさせたというのか。

 

「とんでもない目にあったね。間に合ってよかった。まさか吸魂鬼があそこまで興味を示すとは……おや、君はまさか」

「……ええ、直接お会いするのは初めてですね、ルーピン先生」

「そうか、やはり君がダフネか。ということは後ろにいるのはアステリアだね」

 

 頷いたリーマスは、ポケットからチョコレートを取り出した。

 

「食べるといい、元気が出る。やつらに出会った時はこれが一番だ」

「お気遣いありがとうございます、先生。でも、チョコレートの用意はありますの。そのおいしそうな板チョコは他の生徒に」

「そうかい、でもちゃんと食べるんだよ。では、私はもう行かねば。ホグワーツで話せるのを楽しみにしているよ」

 

 杖明かりの中で一瞬、リーマスの瞳に懐かしさの煌きがちらついた。彼もまたダフネの母を知る人物のひとりだ。きっとダフネとアステリアに旧友の面影を見出したのだろう。

 そして、リーマスは先頭車両の方へと向かっていった。

 振り返ったダフネは、今にも泣きそうなアステリアに駆け寄った。妹の小さな体に宿った温もりがじわりと染み渡る。まだ体の芯に冷気が残っている気がして、ダフネはその冷気を追いやるように力いっぱいアステリアを抱きしめた。

 

「ダフネ、あんた……目が」

「……今はそっとしておこう、パンジー」

 

 あと一歩で魂が奪われるか、そうでなくとも血の呪いが暴走するところだった。

 呪いが脈動するのを感じる。獣に変身すれば吸魂鬼の影響を受けないことを身体が理解しているのだ。血管が熱を帯び、高速で血が巡り、心臓が早鐘を打っている。

 きっと部分的に変身が生じていることだろう。翼の付け根(肩甲骨)に違和感がある。あと少しでもあの冷気を浴びていれば、変身は制御不能なレベルになっていたかもしれない。

 

「お姉様……怖かったです」

「大丈夫よ、アステリア。お顔をよく見せて?」

 

 ダフネはアステリアの頬に両手を添えた。己の手が震えていることは極力無視しながら。

 そして、気付いた。

 ()()()()()()()()()()

 これが示す事実はたったひとつ。アステリアも血の呪いを発症したということだ。それも、吸魂鬼が近づいたというだけで。

 あまりにも発症が早い。もしかすると、アステリアの呪いはダフネのそれよりも重いのかもしれない。なんにせよ、ホグワーツに着き次第ニコラス・フラメルに手紙を書かねば。

 

「いい、アステリア……今年のホグワーツには吸魂鬼がうろついているけれど、絶対にやつらに近づいては駄目よ」

「はい、もちろんです」

「あなたの学生生活の大切な一年目に吸魂鬼なんていう余計な異物が入ることを、私は心から残念に思うわ」

 

 もう一度アステリアを抱きしめてから、ダフネはゆっくりとアステリアを座らせた。

 照明が復旧し、アステリアの瞳も元通りの少し深い若葉色に戻っていった。それでも、発症した呪いは元には戻らない。

 パンジーとミリセントから浴びせかけられる心配の言葉に笑顔で応えながら、ダフネは(はらわた)を煮えたぎらせていた。ウィゼンガモットのつまらないプライドがアステリアの呪いを進行させたのだ。この落とし前は必ず付けさせる。

 しかし、復讐程度に拘泥していられるほどダフネは暇ではない。復讐には絶大な快楽が伴うが、快楽だけを求める時間ほど非生産的なものはない。

 速やかに血の呪いの治療法を見つけ、そして血の呪いを抱えていたという過去があってもアステリアが幸せに暮らしていける社会を作らねばならない。そのためにも、この一年を実りあるものにしなくては。

 焦りの中でダフネは忘れつつあった。先程吸魂鬼が見せた、不自然な執着を。

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