大勢の懸念に反して、ダフネがアステリアの組分けで機嫌を損ねることはなかった。
確かに寂しくはあるし、心配でもある。何かしらの手段で組分けを覆せるのならもちろん検討しただろうが、アステリアがグリフィンドールへの組分けを喜んでいるのを見たことでその気持ちも霧散した。
冷静に考えてみれば、むしろダフネの庇護下にいないほうがいいときもある。いくらかの
それに、心強い騎士も控えている。
「ブリジット」
「は。今日も問題はありませんでした。双子のウィーズリー先輩に教えられた近道をご友人に披露し、大層楽しそうにしてらっしゃいました」
「そう、ありがとう」
すっかりアステリアの側仕えと化したブリジットは、定期的にアステリアの様子を報告しに来てくれていた。アステリアもブリジットによく懐いている。
ブラック家の名もあって最初は遠巻きにしていたグリフィンドール生たちも、ブリジットの様子を見て問題ないと判断したのか、最近は寮の末っ子として可愛がられているようだ。それがダフネにとっては何よりの吉報だった。
新学期の始めということもあってか勉強会も賑わいを見せている。その大教室の隅でダフネは椅子に腰掛け、直立したブリジットと向き合っていた。
「ところで、ブリジット」
「なんなりと」
「最近、妙な噂を聞いたの。……私のファンクラブがあるそうね?」
ブリジットが目を逸らした。
発覚したのはつい最近のことだ。
まだダフネの「モリガンの継承者」という噂は消えていない。ハリーにすり寄る邪悪な魔女と思い込んでいる生徒もいる。だからダフネもトラブルを起こさないよう、周囲に気を配って生活している。そんな中、夕食後に騒動が起きたのだ。
ダフネの陰口を叩いていた男子生徒に殴りかかった女子生徒がいた。拳はクリーンヒットし、男子生徒は涙と鼻水でぐしょぐしょになりながら医務室に運ばれた。勇敢この上ない振る舞いではあるが、暴力はよくないとしてその生徒は減点を食らった。
気になったのは、その女子生徒とダフネの間には何の接点もないということだ。
「気になっていたの。この
そう、勉強会の参加者が今年は最多だった。大教室でも少し手狭になってきたほどだ。
あちこちで羽根ペンを走らせる音が聞こえ、呪文を練習する声が響いている。心配になったのか、時折フリットウィックとマクゴナガルが交代で様子を見に来るようになった。
これはただの勉強サークルに集まる人数ではない。何かしら裏があるに違いないと確信したダフネは、しばらく勧誘を行うメンバーの動向を監視した。
昨年度のブレーズ・ザビニの件でダフネは人のつながりというものについて大いに反省させられた。これほど厄介で、なおかつ利用価値のあるものはなかなか存在しない。いい勉強の機会を得たとすら思っていた。
そして、注目に値するつながりを見つけた。それはブリジットを中心とした、寮も学年も問わない緩やかなつながりだった。
「せ、先輩のカリスマの賜物では」
「ねえ、ブリジット」
ダフネがブリジットの指を絡め取ると、ブリジットは声にならない声を上げた。
「私、正直な子が好きよ」
「は、はい、ファンクラブがあります!」
「あなたの会員ナンバーは?」
「1番です!」
「つまり、創設者ということね」
ブリジットは耳を赤くしながら頷いた。
おかしい。普通、ファンクラブというものはもっと遠い関係の人間が勝手に感情を高ぶらせた末に主宰するものではないのか。ブリジットとダフネの距離ならいつでも話しかけられるというのに、なぜファンクラブなど主宰する必要があるのか。
どうやら、当事者には理解できないファン心理というやつが働いているようだった。この件について問い詰めるのは無駄というものだろう。
ダフネがため息をついて手を離すと、ブリジットは申し訳無さそうに眉を曲げた。
「その、ご迷惑だったでしょうか」
「いいわ、別に。ただし、統制はしっかりね」
「しょ、承知しました! 徹底いたします!」
ブリジットはきびきびと頭を下げて、それから下級生たちの指導に回りはじめた。
まだ2年生だというのにファンクラブを主宰とは、大胆な娘だ。グリフィンドールらしいといえばらしいのだろうか。
悪い流れではない。ダフネ個人に人気が集まるのは本意ではないが、支持基盤は盤石であるに越したことはない。ファンクラブの統制が取れているうちは有効活用させてもらおう。
ただし、追っかけのような迷惑なファンまで生まれてしまうと、
「お姉様ー!」
軽やかな足音とともに、アステリアが入室してきた。珍しい連れがいる。ジニー・ウィーズリーだ。
ダフネが立ち上がって出迎えると、アステリアはダフネに飛びつき、力いっぱい抱きしめた。ダフネはそれを受け止めてふわりと一回転してみせた。
「元気いっぱいね、アステリア」
「はい、元気です! お姉様のクラブを見学に来ました!」
「ゆっくりしてらっしゃい。久しぶりね、ジニー」
「うん、久しぶり。なんていうか、純血が集まる勉強会って聞いてなんとなーく来てなかったんだけど……賑わってるね」
ジニーは興味深そうにあたりを見渡した。
この教室には学年も寮も性別も問わず、様々な生徒が集まっている。レイブンクローの1年生がハッフルパフの7年生に教えを請うこともあるし、スリザリンの5年生がグリフィンドールの5年生と呼び寄せ呪文で競うこともある。
唯一のルール、それは純血であること。この絶対のルールがここに集まる生徒たちに連帯感を与えていた。たとえ自らが純血をアイデンティティとしていなくとも、この勉強会に参加することで自然と純血を意識させられる。
もちろん、ウィーズリー家の生まれであるジニーにも参加する権利はある。
「ふふ、鼻持ちならない貴族ぶったサロンでも想像してらしたかしら?」
「いや、えーっと……まあ、そう。パパやママはマグル贔屓だし、うちは血を裏切りし者だからね。どうしても苦手意識っていうか」
「わかりますわ。私もある意味、似たようなものですから」
血が呪われている一族と血を裏切った一族、果たして罪深いのはどちらだろうか。
もっとも、ダフネに純血への苦手意識などありはしない。かといって純血思想に傾倒しているわけでもない。ダフネは純血という道具を使っているだけだ。
ジニーは一瞬きょとんとして、それから申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめん、そういうことを言うつもりじゃ」
「いいんですの。ある意味、この勉強会は私の
「へー……付き添いだけのつもりだったけど、ちょっと見学していこうかな」
ジニーがそう言って笑うと、アステリアが喜びの声を上げた。
「ジニー先輩が一緒に勉強会に来てくれたら嬉しいです!」
「いや、まあ、見学だけね? ゴブストーンクラブも気になるし、兄貴たちからはクィディッチの選抜を受けておけって言われてるし」
「うちは自由参加、ノルマなしでやらせてもらってますわ」
「それはちょっと魅力的かも。またあとで声かけるね」
ジニーに手を引かれて、アステリアは大教室に集まった勉強会メンバーを見て回っていた。
元々は蒼の貴血のメンバーを集めるための隠れ蓑でしかなかった勉強会だが、純血の互助会としてかなり有意義に機能している。メンバーを純血に限っていることにいい顔をしない先生もいるにはいるが、もっと厳しい制限をかけているクラブもある。
クラブとしての名前も売れはじめ、勉強会に参加するために家系図を捏造しようとする者も現れたほどだ。計画は順調と言っていいだろう。
ダフネが添削から返ってきた教材のチェックをしていると、誰かが駆け寄ってきた。
「ミス・グリーングラス!」
「……あら、アーニー。どうしましたの?」
「どうしたもこうしたもない! 君の妹の件だ。つまり、ブラック嬢の」
「ブラック=グリーングラスですわ、お気をつけあそばせ。それで?」
アーニーは困ったような、怒ったような不思議な顔でダフネに詰め寄った。
「シリウス・ブラックのことだ。彼が実家に接触していないとは思えない。ミスター・アークタルス・ブラックはご存命だと父から聞いている。それならば、君の妹にも――」
「アーニー、アーネスト・マクミラン……あなた、昨年度で懲りたと思っていたのですけれど」
その様子を後ろから呆れた様子で見ていたザカリアスが、つかつかと歩み寄ってアーニーのローブを掴んだ。
「あんたまた冤罪ふっかけてるんですか。この人忙しいんだから、ほら、行った行った」
「し、しかしだな……ホグワーツが吸魂鬼に囲まれているのだって、シリウス・ブラックの脱獄が原因じゃないか! 情報があるのなら公開すべきだ、そうだろう!」
困ったことに、今回は冤罪ではないのだ。
ダフネはシリウスが脱獄したその日から足取りを追っていたし、グリモールド・プレイス12番地に帰ってきたその場に居合わせたし、隠れ家を手配したし、今も連絡を取り合っている。
ところが、それを全て公にするとダフネは脱獄幇助で捕まってしまうのだ。それはいささか都合が悪い。そういうわけだから、思い込みの激しいアーニーには申し訳ないがしばらく悪者になってもらう必要がある。
「ねえアーニー、私の友人には闇祓いが2人もいるの。あなたが尋問するより彼らが尋問したほうが効率的だとは思わないかしら」
「……本当に、何も隠していないと?」
「話すべきことがあれば真っ先にダンブルドア校長にお話ししているわ」
「――そうじゃのう、ダフネはいつだってわしに新しい気付きを与えてくれる。素晴らしい友人じゃ」
思わず全員が振り向いた。
いつの間にそこにいたのか、ダンブルドアが指先でレモンキャンディーの包み紙を弄びながら立っていた。まるで最初から話の輪に加わっていたかのような自然さだった。
ダフネが立ち上がると、ダンブルドアは微笑んでポケットからもうひとつキャンディーを取り出した。
「多忙な君にこのようなことを頼むのはいかにも不躾なことじゃが、少し散歩に付き合ってはくれんかの」
「もちろんです、ご一緒しますわ。パンジー! しばらく監督をお願い!」
驚いた顔のパンジーが頷くのを確認してから、ダフネはアーニーに笑いかけた。
「そういうわけですから、話すべきことを話してまいりますわ」
「……そ、そうか。うん。まあ、それならいい」
どうやら突如として現れたダンブルドアに度肝を抜かれたようだ。
ダフネはインク壺に手早く栓をして、ダンブルドアの後に続いた。教室の外にはここ数日よく見かける生徒たちが集まっていた。どうやらダフネの出待ちをしているファンクラブ会員のようで、ダフネが手を振ると歓声が上がった。
ダンブルドアとともに廊下を進んでいき、人気のない中庭に出た。夏のスコットランドによく見られるコマドリが枝を拾い上げていた。
「重畳、重畳。君の活躍が名声となり多くの期待と信頼を生んでおることを、教育者の端くれとして誇らしく思うよ」
「光栄ですわ。ダンブルドア校長を筆頭とする先生方の教えの賜物ですわね」
「君は多くを知り、多くを学び、多くに活かすタイプのようじゃ。時折、君の賢さはわしをも凌駕するのではないかと感嘆させられる。シリウスに関してはまさにそうじゃ」
ダンブルドアは石畳の隙間から咲いた花を興味深そうに覗き込んだ。
まるで日課の散歩を当たり前のようにこなしているような調子で、ダンブルドアはシリウスの名を口にしてみせた。
「まさかシリウスが無罪だったとは、わしには思いもよらなんだ。これほど情けない思いをしたのは久しぶりじゃった。左様、これほど情けないことはなかなかない」
「あら、ウィゼンガモット主席魔法戦士のお言葉としては少々軽率ではございませんこと?」
「確かに、これでは職を解かれても文句は言えんのう。のんびり日向ぼっこをしながら編み物をする日々に惹かれないと言えば嘘になる」
クスクスと笑って、ダンブルドアは懐から手紙を取り出した。
大きく肉球のマークが付いたそれは、シリウスからダンブルドアに宛てた告白だった。なぜ自分が脱獄したのか、そしてなぜ今もなお潜伏しているのか。
「しかし、わしは今のところまだホグワーツの校長で、ウィゼンガモットの主席魔法戦士を務めておる。もちろん、蛙チョコカードの席さえ残っていれば他は失っても構いはせんのじゃが」
「一生徒としては、先生が校長であってほしいと願っていますわ」
「一教師として、その言葉を誇りに思おうぞ。さて、必要なのは証拠じゃ。文字通り、尻尾を掴む必要があるようじゃのう。それさえあれば重畳、わしはまさに今ついておる諸々の席に付随したちょっとした権利と責任を行使することとしようぞ」
ダンブルドアが指先でネズミの尻尾をつまむような仕草をしてみせた。
「お許しいただけるのであれば、すぐにでも動けますわ」
「しかし、君の友人たちにとってはあまりことが早く進むのも都合が悪いのではないかね? 特にルシウスに関して言えば、最近の多忙さは心配になるほどじゃ」
どうやらお見通しというわけらしい。
ルシウスがうまく話を進めてくれれば、吸魂鬼の問題とペティグリューの問題を一挙に解決することができる。ダフネはそれを待っているのだ。
そして、ダンブルドアもどうやらそれを承知している。そうでなければ、吸魂鬼嫌いのダンブルドアがいつまでも連中をホグワーツの周りにうろつかせるはずがない。
ダンブルドアは鷹揚に頷き、花に止まった小さなハチを静かに見守った。
「心配するでない、ダフネ。このホグワーツの内側に限って言えば、わしはネズミ一匹見逃さん。おお、そうとも、この杖に誓ってもよい」
「……では、お言葉に甘えて堅実に、一歩ずつ追い詰めることといたしましょう」
どうやら、今年はダンブルドアを味方と思って動いてもよさそうだ。ダフネは安心して息を吐き、ダンブルドアと一緒に花を眺めることで一時の休息を得た。