その血は呪われている   作:海野波香

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 ルシウスは激怒していた。ここが自らを無罪たらしめた懐かしのウィゼンガモットでなければ杖を抜いていたところだった。

 ダフネが吸魂鬼に襲われた。

 これはウィゼンガモットの失態だ。かつて自分が買収した評議員たちに面子を潰された。飼い犬に手を噛まれたようなものだ。仮にも政界の人間であると自認しているルシウスにとってこれは何よりも恥だった。

 ウィゼンガモット事務局の事務局長室で、ルシウスは事務局長と相対していた。ダフネの代理人として来ている以上、あくまでルシウスは気品ある貴族でなくてはならない。汚い手を使うのは気品ある手が通用しなくなってからだ。

 

「しかしだね、ミスター・マルフォイ。その女子生徒は自らコンパートメントを出たのだろう? それだけを理由に捜査を中止するわけにはいかんよ。しかも、腕を掴まれただけだ! 未遂もいいところだよ」

「興味深いお言葉ですな、フォウリー事務局長。吸魂鬼はコンパートメントの中に入ろうとしたのだ。彼女の後ろには1年生となる妹がいた。アステリア・ブラック=グリーングラスが」

 

 ブラックの名を聞いて、シリル・フォウリーは整った口髭をひくつかせた。

 今やアステリアは多くの純血の家々にとって決して軽んじることのできない政治の駒となった。子息が彼女と結婚すれば、その家はブラック家の名声を手にすることになる。

 だからこそ、あの場でアステリアが死んでいたかもしれないという事実はルシウスにとっても、シリルにとっても軽くはない問題だった。

 

「ええ、まあ、認めよう。一部の吸魂鬼が問題のある行動を取った可能性はある……しかし、問題はなぜそれが起こったかだ。彼女が吸魂鬼の興味を惹くだけの何かを持っていた可能性はないのかね?」

「本気で仰っているのか。吸魂鬼に感情はない。だから看守として長年使われてきた。囚人が吸魂鬼の興味を惹けるのなら、もっと早くに脱獄が起きていたでしょうな」

 

 ルシウスがそう言い切ると、シリルは頬を引きつらせた。

 シリル・フォウリーは政治家としては二流だ。既得権益を手放さない立ち回りに関しては器用だが、先祖代々温めてきたウィゼンガモット評議員の席をさらに伸ばそうという考えがない。

 しかし、ウィゼンガモット事務局長という地位は軽んじることができるものではない。ウィゼンガモット評議員の進退は最終的には彼が決定するのだ。それゆえにシリルは事務局長として絶大な影響力を有していた。

 

「いや、たとえば……ダフネ・グリーングラスとかいう女子生徒が」

「白を切るのはやめたまえ、事務局長。君はハリー・ポッターがいたパーティーの日に彼女と会っているだろう」

「……わかった、わかった! 腹を割って話そう、ルシウス。ウィゼンガモットとしても想定外の動きだったのだ。まさか吸魂鬼が一個人に関心を示すなど、誰が想定できる?」

 

 シリルは喚き、椅子から立ち上がった。

 

「ダフネ嬢には何かがあるに違いない。……まさかとは思うが、彼女の父親がシリウス・ブラックという話ではあるまいな」

「いや。彼は元を辿ればリロイ家の人間だったはずだ」

「リロイ? 大陸系か」

 

 ダフネとアステリアの父モリスは複雑な経歴の持ち主だ。

 若い頃はモリス・リロイと名乗っていた。元々は大陸に居を構えていた純血の一族だ。その家が離散し、ブリシュウィック家という小さな純血の家に養子に取られ、さらにそこからグリーングラス家に婿入りした。

 決して無能な魔法使いではなかったが、妻の苦しみに耐えられない弱い男だった。

 ルシウスも何度か会ったことがあるが、際立った個性のない平凡な魔法使いだったと記憶している。あのイオ・グリーングラスが幾分年上の彼を夫に選んだのが不思議だったほどだ。

 

「なら、父親という線はないにしても……何かが吸魂鬼たちに彼女への興味を抱かせているのだ。ブラックの関係でないのなら、それこそ神秘部レベルの問題としか思えん」

「……ダフネと吸魂鬼の間に何か神秘的なつながりがあると?」

 

 一瞬、ルシウスは納得しそうになった。 

 ダフネは異常だ。先見の明、膨大な知識、恐ろしいほどの行動力。どれをとっても14歳のそれではない。何かが彼女を突き動かしている。

 あの衝動はどこから生まれるのか。それが神秘の領域から生じているのだと言われれば、納得する者はルシウスだけではないだろう。言ってみれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「もしそうであれば、ウィゼンガモットの側では対処のしようがない。幸い、彼女は守護霊の呪文を扱えるのだろう?」

「最低限だ。有体ではない」

「有体である必要があるかね? このウィゼンガモットにそこまでの魔術を扱える者がどれほどいると? 仮に彼女が3年生で有体守護霊の召喚に成功するようなら、それこそ神秘部での検査をおすすめするよ、私は」

 

 ルシウスは内心で納得しつつ、それをおくびにも出さずに反撃に取り掛かった。ダフネが作ってくれた好機を無駄にするわけにはいかない。

 

「それがウィゼンガモットの総意ですかな? 小さな3年生の体質を決めつけて責任を押し付け、ひとりの生徒が殺されかけた事実を揉み消すと?」

「人聞きの悪いことを。我々にはどうしようもないと言っているのだ」

「それでいて、吸魂鬼を撤退させるつもりもない、と?」

「……重要なのは殺人鬼の逮捕だ。君としても都合が悪かろう、例のあの人の手下がうろついているというのは」

 

 ここが見解の相違だ。

 ルシウスはシリウスが無実であることを知っている。ダフネから聞かされただけでなく、十分な調査の上でそう判断した。

 しかし、評議員としてシリウスがアズカバン送りになったことに絶対の自信を持つシリルは、そこに再捜査が必要であることを認めない。だから、ヴォルデモートの腹心が脱獄してハリーを狙っていると信じて疑わないのだ。

 重要なのは、シリルがこれでもハリーに友好的な人物であるということだ。

 かつてフォウリー家が輩出した魔法大臣ヘクター・フォウリーはグリンデルバルドの脅威を軽視し、魔法界に甚大な被害をもたらしたことで知られている。シリルはその汚名を雪ぐため、今度こそフォウリー家を英雄の陣営につかせたいと考えているのだ。

 ルシウスはそうではない。ルシウスはダフネの陣営であって、ハリーの仲間ではない。

 

「その容疑も疑わしいという話ではなかったかな。彼は裁判を経ずに投獄された。当時の議長であるミスター・クラウチがその問題点を認めている以上、貴兄らのすべきことは決まっていると思うが?」

「所詮は一官僚の提言に過ぎん。我々は多忙なのだ」

「なるほど。恥の上塗りに躊躇いがないとは、事務局長殿は我々市民には計り知れない遠大な計画をお持ちのようだ」

「貴様、ウィゼンガモットを愚弄するか!」

 

 シリルが机を叩いた。

 激昂した素振りこそ見せるものの、ルシウスを追い出す様子はない。これはつまり、パフォーマンスなのだ。

 シリルにとって重要なのは、シリウス・ブラックの一件でフォウリー家とポッター家の距離を縮めること。そのためにはハリーの庇護者であるダフネのことも、その庇護者であるルシウスのことも決して無視できない。

 ややあって、シリルは小さくこぼした。

 

「理解してくれることと思うが、我々にも面子というものがある。シリウス・ブラックを確保するまで吸魂鬼は引かせられん」

「ではせめて、今回の件について補填があって然るべきでしょうな」

「いかにも。……ダフネ嬢は何を望んでいるのだね」

 

 さて、どうしたものか。

 ホグワーツに着いたばかりのダフネとは十分な打ち合わせができていない。よきように事態を進めてくれというのがダフネの要望だ。

 命が危うかったとはいえ、ウィゼンガモットに貸しを作ったというのは大きい。ダフネはよくやってくれた。その行いに応えるには、どんな権益を引っ張り出せばよいか。

 この貸しはシリル個人に対してでなく、ウィゼンガモット全体に対してだ。責任の所在が不明瞭である以上、大きな要求は呑ませられない。ここで話を固めておかねば、やがて有耶無耶になって流されてしまうことだろう。

 であれば、司法としてのウィゼンガモットに影響を与える機会を得たと考えたほうがいいだろう。シリルに限らず、ウィゼンガモット内にダフネの思想に協調する魔術師を見つけるいい機会だ。

 しばらく考えて、ルシウスはこう結論付けた。

 

「ダフネは将来、政界に携わることを目指している。若者らしく、大きな目標を持った力強い少女だ」

「魔法省に口利きをしろと?」

「そこまでは言わん。だが、彼女の書いた論文に目を通して、興味を持った評議員がいればダフネに助言を送ってもらいたい。この英国魔法界の政体について興味深い指摘をしている」

 

 実際にはまだそのような論文はないのだが、書けと言えば書くだろう。ダフネが目指す議会制の設立、その足がかりとなるコネクションをひとりでも作れれば御の字だ。

 シリルは口髭をしごきながら鷹揚に頷いた。

 

「いいだろう。若者の学びに貢献できるのであれば、我々評議員としても吝かではない」

「結構。……ところで、ブルストロードをホグワーツに送り込んだ件だが――」

「私は反対だった! あんな異常者を要職に就かせること自体がどうかしているのだ!」

 

 シリルは悲痛な叫びを上げた。

 フラウィウス・ブルストロードはあまり評判のいい男ではない。

 もちろん前科はないし、性格も多少難はあるが邪悪ではない。アンブリッジのほうがよほど歪んでいる。死喰い人だったというわけでもない。

 ただ、彼は異常者なのだ。

 聖二八族の跡取り息子として生まれておきながら、マグル生まれを娶って子を産ませた。ブルストロード家の家名を失墜させて、本人は平気な顔で仕事をしている。

 その仕事というのも、アズカバンに送るほどではない罪人に刑罰を与える矯正局の仕事だ。優れた魔法戦士ではあるのだが、好き好んでやりたい仕事ではない。

 

「誰の差配だね」

「アンブリッジだ。あの女、何を企んでいるのか……君も気をつけたまえ、ルシウス。どうも最近あの女の動きは怪しくていかん! 評議員の皆を少しずつ蝕んでいる」

「なるほど。そう仰るからには、事務局長はまだご無事のようで」

「当然だ! あの女は好かん。ホラスもそう言っておった」

「ふむ、スラグホーン御大が」

 

 アンブリッジは他人の弱みを握ることと他人の功績を奪うことについて卓越したものを持っているが、それだけだ。真に優れた人間を揺らがせるところまではいかない。

 しかし、アンブリッジには地位がある。大臣室上級次官とはつまり、大臣室における官僚のトップだ。さらに彼女はウィゼンガモット評議員たちに大きな影響力を有している。買収、脅迫、ルシウスも慣れた手口だ。

 同じやり口で負けるつもりはないが、評議員で綱引きをするのも馬鹿馬鹿しい。アンブリッジはいずれ処分しておくべきだろう。

 

「ルシウス……この件をハリーはどう考えているのだね?」

「一生徒の感情など知ったことではないのではなかったかね」

「それは、いや、そうとは言っていない! ダフネ嬢にも最大限の補填はする! 私自身が論文に査読をしたっていい。悪くないだろう? 私はウィゼンガモット事務局長だ」

 

 どうにもこの男の二流らしい仕草が嫌いになれない。あるいはそれも演技なのだろうか。

 ルシウスは一瞬思考を挟んでから、シリルに都合のいい踊り方をしてもらうべくいくらかの情報を吹き込むことにした。

 

「幸い、ダフネは吸魂鬼に襲われたことについてまだハリーに秘密にしている」

「そうか! まあ、そうだな。ボーイフレンドに知られたくないことだってあるだろう」

「しかし、問題はハリー自身だ。吸魂鬼に狙われるだけで意識を失うらしい。きっと闇の帝王に両親が殺される瞬間が蘇るのだろう」

「それは……参ったな」

 

 シリルは髭を捻りながら椅子に倒れ込んだ。

 この男にとってハリーとの伝手を作ることは最優先事項だ。可能なら今すぐにでも吸魂鬼の撤収を命じたいところだろう。しかし、一度通った決議を覆すには彼でも相当な時間がかかる。

 

「守護霊の呪文は」

「使えない。彼はマグルの家庭で育った」

「……どうしろというのだ。私は事務局長だぞ。決議の責任を負うべきは議長であるダンブルドアだ。私は人事や総務についての責任は負うが、決議の責任は負わない!」

「そのダンブルドアは最後まで反対していたのではなかったかな。事務局長の責任ではないかもしれないが、評議員の責任ではある。これはウィゼンガモット全体の責任だ。シリル、ハリーは誠実な大人を求めている。わかるな」

 

 しばし悩んでから、シリルは大きく息を吐いた。

 

「わかった、わかった! 吸魂鬼を撤収させる条件はシリウス・ブラックが見つかるか、無実が証明されるかだ。頼むから、できるだけ早く評議員たちが納得しそうな証拠を見つけてきてくれ」

「結構。吉報に期待していたまえ」

 

 この言葉を求めていたのだ。

 今回のルシウスの役目、それはピーター・ペティグリューの確保に伴ってウィゼンガモットの協力が得られるよう環境を整えることだった。これがなければ、ダフネはペティグリュー確保に動けない。

 ルシウスはシリルの執務室を後にすると、煙突飛行ですぐさま自宅に戻った。

 

「おかえりなさい、あなた」

「ただいま戻った。何事もなかったか?」

「ええ。ちょうどタルトを焼いたところです、部屋でお待ちになって」

 

 屋敷の玄関でナルシッサにコートを預けながら、ルシウスはあたりに充満する香ばしい匂いを楽しんだ。一仕事終えて待っているのが妻の焼いたタルトとは、素晴らしい一日だ。

 タルトを待つ間、自室でしもべに注がせたワインを揺らしながら、しばらくルシウスは考えていた。

 本当にダフネが何か神秘的な理由で吸魂鬼に狙われるのなら、そしてその理由こそがダフネを神秘的な人物足らしめているのなら、ルシウスは今度こそ勝ち馬に乗ったのかもしれない。

 

「……そろそろ裏切りにも飽きてきたところだ」

 

 ナルシッサの足音が聞こえる。どうやらタルトを持ってきたようだ。

 これまでの人生で一番の充足感を覚えながら、ルシウスは可愛い妻のためにもう一杯ワイングラスを呼び寄せた。

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