その血は呪われている   作:海野波香

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お盆休み毎日更新をなんとか達成しました。
次回からはまた不定期更新になります。最低でも2週間に1回は更新したいなと思っています。


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 リーマス・ルーピンは教員用のシャワーを浴び、髭を剃り、髪を整え、屋敷しもべ妖精が洗濯した清潔なシャツを着て朝を迎えた。

 早起きと断眠の習慣がついてしまったせいで、どうにも朝を持て余す。

 人狼にとって安全な寝床などない。マグルに交じって日雇い労働者として働き、深夜の土木作業で日銭を稼ぎ、安宿に泊まり、チーズとカビたパンを水道水で流し込んで寝る。それだけの日々の合間に野性的な満月がやってくる。

 だから、こうして文化的な生活を送るのは久しぶりだった。

 自身に割り当てられた教室に戻ると、そこにはリーマスを待つ小さな影がいた。

 

「さっぱりされましたわね、ルーピン先生」

「おはよう、ダフネ。やはり、教師としては清潔感が大事だと思ってね」

「おはようございます。そうですわね、先生にはお髭はあまり似合いませんもの」

 

 グリフィンの石像の縁に腰掛けていたダフネはぴょいと飛び降り、リーマスの前に立った。

 

「お約束はありませんけれど、お邪魔しても構いませんかしら?」

「もちろんだとも。お茶を淹れよう。朝だから濃いめにね」

「嬉しい。お土産もありますのよ。当家で採れた林檎のジャムですわ」

 

 懐かしい響きに、リーマスは思わず目を細めた。

 ジェームズたちが変身術クラブに出入りするようになった頃には、イオはもう5年生だった。今のダフネとさほど背丈は変わらないが、顔つきはもう少し凛々しく、悪く言えば威圧的だった。

 そんなイオに親しみを持たせていたのが、グリーングラス家のリンゴ農園で取れるブラムリーアップルを使ったジャムやコンポート、シロップだった。彼女は好んでお茶会を開き、後輩たちの世話を焼いていた。

 

「それは嬉しいね。さ、お入り」

 

 部屋の鍵を開ける。ダンブルドアのおかげでリーマスは久しぶりに鍵付きの個室に住むことができた。ありがたい話だ。

 リーマスがティーセットを引っ張り出している間に、ダフネは鼻歌を奏でながらテーブルを片付け、ジャムの小瓶を出し、積んであった本をぱらりと捲った。

 

「君に謝らなければならない。イオの葬儀に行けなくて申し訳なかった。訃報を知った頃にはもう何年も経っていてね」

「いいえ。母はきっと、可愛がった後輩に死に姿を見られることを嫌がったと思いますわ」

「……そうか。あのイオですら、呪いは克服できなかったんだね」

 

 ティーポットに茶葉を放り込み、お湯を沸かす。

 グリーングラス家の女性に遺伝する血の呪いは、当然のようにイオのことも蝕んでいた。彼女が初めて人前で変身したのは4年生のハロウィーンだったらしい。リーマスも一度だけ、口論の末に感情を昂らせて変身するイオの姿を目撃したことがある。

 リーマスの感情は複雑だった。

 血の呪いで獣に変身する苦しみは共感できるが、一方でマレディクタスは人狼のようには感染しない。似た呪いを抱える身として同情する一方で、ふとした瞬間に人を傷つけない呪いを羨んでいる自分に気づき、愕然としたことを今でもよく覚えている。

 感染しないが、遺伝する。人狼よりも優しく、人狼よりも残酷な呪いだ。

 その呪いを受け継いで生まれてきたダフネは、リーマスが思っているよりもずっと強い少女だった。初めて手紙を受け取った時、リーマスは嬉しさと悲しさの間で揺れた。彼女は強くならなければ生き残れない環境にいたのだと痛感させられたからだ。

 

「それじゃあ、今日訪ねてきたのはまね妖怪の件かな」

 

 ダフネがジャム瓶の蓋を開けると、ふわりと果実の豊かな香りが広がった。

 まね妖怪、ボガート。相対した人間の心を読み、最も恐れるものに変身する形態模写妖怪だ。すでに他寮ではボガートの授業を終え、残すはスリザリンだけとなっていた。

 最大の恐怖が形を取る怪物。それはつまり、感情の昂りによって変身を強制させられるマレディクタスにとって最大の難敵と言っても過言ではない。リーマスは親しい先輩だったイオを通して、そのことをよく知っていた。

 お湯を注ぎ蒸らしはじめたティーポットをテーブルに置いてダフネを見つめると、ダフネは真剣な表情でリーマスを見つめ返した。

 

「ええ。授業の前で申し訳ないのですが、一度練習をさせていただきたいの」

「いいとも。熱心な生徒の予習に付き合うのも教師の役目だ。ただし、紅茶をしっかり楽しんで、気持ちを落ち着けてから。いいね?」

「もちろんですわ」

「結構。さて、どこかにまだまともな状態の焼き菓子があったと思うが……」

 

 何か茶菓子を出そうと鞄を漁りながら考える。

 ダフネはただの14歳ではない。

 初めてダフネからの手紙を受け取った時、リーマスはイーニッド・ペティグリューの入居している老人ホームを訪れていた。シリウスの脱獄が報道され、不安がっているだろうと思ったからだ。

 イーニッドからすれば、シリウスは息子の仇だ。しかし、昨今の報道によればシリウスは無実の罪で投獄された可能性があるのだという。ありえない話だ。ジェームズとリリーが守り人に選ぶとすれば、それは間違いなくシリウスなのだから。

 そんなことを悩んでいたリーマスのもとに届いたダフネからの手紙は、まさに迷路の入口だった。

 

「シリウス・ブラックの件、まだ悩んでらっしゃいますかしら」

「……私は彼らをよく知っているつもりだ。だから何度でも言うが、ありえないよ。ジェームズがピーターを守り人に選ぶとは思えない」

「そうかしら。母の日記を読む限りでは、シリウス・ブラックはむしろそういった奇策を起死回生の一手として好むタイプだと思ったのですけれど」

 

 その通りだった。

 ありえる。ありえるのだ。あのシリウスならやりかねない。さらに言えば、ピーター・ペティグリューを秘密の守り人にして潜伏させ、シリウス自身は自らが守り人であると思わせて敵の注意を惹く……くらいのことまではやってもおかしくはない。

 もしそうだとしたら、ペティグリューはシリウスの策を逆手に取って世間にシリウスが守り人だと思わせたまま罪をなすりつけ、逃走したことになる。

 ペティグリューにそこまでのことをする勇気があっただろうか。

 よく知っているはずの親友たちなのに、考えれば考えるほどわからなくなる。かつての親友たちとの思い出すら像が曖昧になるようで、リーマスは気が狂いそうな思いだった。

 

「……なんにせよ、戦時中の話を生徒たちに聞かせるというのは悪くない発想だ。ペティグリュー夫人もきっといい気晴らしになるだろう」

「悲劇は繰り返される。それでも、当時の苦しみはきっとその繰り返しを和らげてくれると信じていますわ」

「同感だ。……さて、そろそろ紅茶がいいころかな。昨日スプラウト先生から差し入れてもらったマフィンが残っていたから、一緒に食べるとしよう」

「あら、素敵ですわ」

 

 それからふたりは今までの会話を忘れたかのようにゆったりと紅茶を楽しんだ。

 ボガート、先輩の死、血の呪い。お互いに心中は穏やかではなかったかもしれないが、少なくとも表情は和らいでいた。苦しみを抱えて微笑むことができるという点で、リーマスとダフネはよく似ていた。

 そして30分後、リーマスはキャビネット棚に向き合うダフネを見守っていた。

 

「いいかい、少しでも危ないと感じたら割り込むよ」

「……わかりました。お願いいたしますわ、先生」

「では、始めよう。1、2……3!」

 

 リーマスが杖を振り、キャビネット棚の扉を開けた。

 一瞬と言うには長い時間。しばらく、暗がりの空洞がダフネを覗き込んでいた。キャビネット棚の内側に広がるカビっぽい空間がダフネを待ち受けていた。

 そして、次の瞬間、カラスの鳴き声が響いた。

 

「ッ!」

 

 ダフネが身構えた。

 羽ばたく音。まだ未熟な、巣立つ前の雛のように弱々しく翼を動かす音がキャビネット棚の内側から漏れ出てくる。

 その音の主、オオガラスと呼ぶには小さなワタリガラスが姿を現すと、ダフネは息を呑んだ。

 

「……ダフネ、やるんだ」

 

 ダフネが杖を振りかぶると、カラスは甘えるように小さく鳴いた。

 

「リ……馬鹿馬鹿しい(リディクラス)

 

 ぽん、と音を立ててカラスは姿を変えた。

 アステリアが横たわっていた。青白い肌がローブの裾から覗いている。そしてその肌はまだらに羽毛で覆われ、特に両腕は翼に置き換わったように黒く染まっている。

 明らかにそれは死んでいた。表情は強張り、苦痛に染まっていた。リーマスはそのアステリアの死体に黒いロープが絡みついているのに気がついた。そのロープはアステリアの首に巻き付き、その呼吸と声を封じているようだった。

 まるで、カラスの鳴き声を封じる縄のようだった。

 ダフネは目を見開き、歯を食いしばった。

 

馬鹿馬鹿しい(リディクラス)……!」

 

 再び姿が変わる。

 今度はまた別の死体が転がっていた。その死体を見て、思わずリーマスは杖を抜いた。

 割れた眼鏡。額の傷跡に伝う赤黒い血。ジェームズに似た癖っ毛は乾いた血で固まり、リリーに似た緑色の瞳は受け入れがたい死に見開かれていた。

 ハリーの死体がそこに横たわっていた。

 浅い呼吸としたたる汗がダフネの精神状態を如実に表していた。

 ダフネは震える手でポケットから何かを取り出した。それはどうやら注射器のようだった。リーマスが制止する間もなく、ダフネはそれを首筋に当て、中に詰まっていた魔法薬を注入した。

 からん、と落ちた注射器が虚しい音を立てた。

 それでもダフネは杖を振り、呪文を唱えた。

 

馬鹿馬鹿しい(リディクラス)ッ!」

 

 ついに、ダフネは成功した。

 筋となっていた血はクラッカーの紙リボンに。髪にはクリームが飛び散り、緑の瞳は驚きと喜びに染まっている。サプライズパーティーの主賓に置き換えられたハリーは恥ずかしそうによろよろと立ち上がり、眼鏡を拾った。

 そして、再び変身が始まる。

 

「ッ、こっちだ!」

 

 ダフネはもう限界だ。

 杖を構えたリーマスはダフネとまね妖怪の間に割り込み、その変身に介入した。次の瞬間、空中にたなびく雲と満月が生まれた。

 もはや何の感情も抱かず、リーマスは杖を振った。

 

馬鹿馬鹿しい(リディクラス)

 

 満月は風船に変身し、そのまま空気が抜ける勢いでキャビネット棚の中へと飛び込んでいった。リーマスはそのままキャビネット棚に向けて杖を振り、鍵をかけた。

 

「ふう……上出来だ、ダフネ」

 

 なんとか呼吸を整えたダフネが、ゆっくりと顔を上げた。

 汗で額に一筋の前髪が貼り付いていた。それを払うこともせず、ダフネは曖昧に笑った。今にも崩れそうな、脆い笑みだった。

 

「あの注射は?」

「血の呪いを制御するための中和剤ですわ。ほら、このように」

 

 ダフネの像が空中でくるりと回り、そこに若々しいオオガラスが現れた。

 オオガラスは大きく一鳴きし、それから翼を広げてキャビネット棚の上に飛び移った。次の瞬間、ダフネがキャビネット棚の上に腰かけていた。

 

「危ないところでしたわ。あと一歩遅ければ、呪いが暴走するところでした」

「でも、君は最後に成し遂げた。立派なことだ。一流と呼ばれるような魔法使いや魔女でも、君のように大切なものについての恐怖を目前にすると何もできないことが多いんだ。成功を祝ってスリザリンに5点あげよう」

「ありがたく頂戴しますわ」

 

 もう汗は引いていた。

 どうやらダフネ・グリーングラスという少女はとても愛情深く、身内思いのようだ。彼女にとっての恐怖はアステリアの変身と死、そしてハリーの死。どこまでいっても自分は勘定外のようだった。

 

「ボガートって本当にずるい存在ですこと。生も死もない非存在、どちらかといえば現象に近いものなのでしょう?」

「そうだね。性質としては吸魂鬼によく似ている。私は連中が自我を持った魔法なんじゃないかと思っているよ」

「もしボガートも誰かが作ったものなのだとしたら、ちょっと悪趣味が過ぎますわ」

 

 キャビネット棚の上で足をぶらつかせたダフネが、八つ当たりをするように踵で閉ざされたキャビネット棚をコツコツと叩いた。

 

「授業での実習は免除しよう。そのかわり、みんなの前でボガートについて説明をしてくれるかい?」

「もちろんですわ」

「ありがとう。……さて、今の君に必要なのは温かい食事と少しの休憩かな」

 

 ダフネが両手を広げて待ちの態勢を取ったので、リーマスは腕を伸ばして彼女をキャビネット棚から抱いて下ろした。見た目でもわかっていたが、驚くほど軽い。触れているのが怖くなるほど華奢だ。

 

「ちゃんと食事を取ったほうがいい」

「それはお互い様ですわ、先生。ホグワーツの食事はいかがかしら」

「懐かしい味だよ、故郷の味だ。ところで、ハリーとは親しいのかい?」

「今はまだ友達ですわ」

「はは、それはいいな。ハリーもきっと気が気じゃないだろう。さ、朝食の時間だ。私は少し授業の準備が残っているから、先に行くといい」

「それでは、お先に失礼いたしますわ。ありがとうございました、先生」

 

 ダフネを見送ってから、リーマスは自らの部屋に戻った。

 授業の準備とは言ったが、そこまで残っている仕事があるわけではない。ある生徒の保護者に手紙を書かなくてはならないのだ。

 その保護者は魔法界でも有名な慈善家で、最近ますます扱いが悪くなっている人狼の権利についても魔法省に訴えていることでリーマスは彼女の名前を知った。世間に人狼を守ろうとしてくれる人がいることに思わず胸が温かくなった。

 その彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだろうが、「3年生になる息子が最近手紙を寄越してくれないので、ホグワーツの様子を教えてくれないか」とリーマスに頼んできた。

 

「……世の中、捨てたものじゃないな」

 

 午後にはスリザリンの3年生の授業がある。

 デメテル・ザビニという慈善家に彼女の息子が初回授業で頑張った様を伝えられるよう、リーマスはレターセットの準備をすることにした。

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