その血は呪われている   作:海野波香

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 バーテミウス・クラウチはおよそ四半世紀ぶりにホグワーツの敷居を跨いだ。

 革靴の踵が大理石の階段を鳴らす。突き刺さる生徒たちの奇異の視線を気にもとめず、クラウチは校長室へと向かった。

 かつてクラウチが首席で卒業した日とほとんど変わらない、不可思議と神秘に満ちた学び舎だった。レッドキャップやトロール、闇の魔術師に対抗するために城として作られたこの空間は、若き魔術師たちのゆりかごでもある。

 

「――君の目にもどうやらホグワーツは懐かしく映るようじゃのう、バーティ」

「……ええ、何もかもが懐かしい」

 

 もはや自分が旧時代の遺物であるということを、ホグワーツはこれ以上ない形で突きつけてくる。

 かつての戦争では手を取り合うことが叶わなかったダンブルドアが、階段の向こうで柔らかな笑みを浮かべながらクラウチを待っていた。クラウチは一歩ずつ確かに階段を上がり、ダンブルドアが差し出した手を握った。

 

「お時間を作っていただいたこと、感謝する」

「わしはいつでも時間を作れるようにしておる。編み物のいいところは、いつでも続きを始められるというところじゃよ」

 

 昔からクラウチはダンブルドアが苦手だった。彼のユーモアにどう応えればいいかもわからなかった。すべてを見透かしているようなその瞳を見るたび、湧き上がるのは安心ではなく警戒心だった。

 それでもクラウチが頷くと、ダンブルドアは校長室へと繋がるガーゴイル像に手を差し伸べた。

 

「ブルーベリー・マフィン」

 

 ガーゴイル像が翼を広げ、成人男性ふたりが余裕を持って乗ることができるだけの空間が確保された。

 

「では、行こうぞ」

 

 鼻歌を奏でるダンブルドアの背を追って、クラウチはガーゴイル像に乗り込んだ。

 マグル界のエレベーターよりもスムーズに上昇する石像。一瞬訪れた沈黙はいつものクラウチであれば気にもとめなかったのだろうが、ダンブルドアの前にいるという緊張感がクラウチに口を開かせた。

 

「……資料はご覧いただけたでしょうな?」

「おお、無論じゃとも。ルード・バグマンの愉快な挿絵が君の手で幾分消されてしもうたのは残念じゃった」

「魔法省の機密文書に挿絵が必要とは思わなかったもので」

「そうじゃろうとも。君の実直さはいつでもわしの背筋をしゃんとさせてくれる。まさに美徳と呼んで差し支えない取り柄じゃのう」

 

 ガーゴイル像が校長室に到着した。

 ダンブルドアが先に降り、扉を開けた。校長室の中は真鍮製の天体儀や様々な魔法道具で溢れていて、小刻みな金属音や蒸気が吹き出す音が聞こえてきていた。

 クラウチは招かれるままに校長室に入り、帽子とコートをコート掛けに預けた。

 

「さて、ダンブルドア、あらかじめ資料でお伝えしたとおりだが――」

「まあまあバーティ、お茶を待つくらいの時間はあるじゃろう」

 

 どこかで聞いたような言葉に、一瞬クラウチは頬を引き攣らせそうになった。

 国際魔法協力部長として、またルシウスの協力者として、ここしばらくクラウチは忙殺されていた。戦時中の魔法法執行部長時代を思えばまだ時間に余裕はあるはずだが、それでも老いがクラウチに疲労を感じさせていた。

 そんな中でお茶を待つ時間というのはクラウチにとって苛立たしくもあり、ありがたくもあった。

 きっとここがダンブルドアと自分の違いなのだろう、とクラウチは考えていた。お茶を待つ時間をありがたがることができるダンブルドアと、苛立ってしまうクラウチ。そこには明確な感性の隔たりがあった。

 それでも、用意されたお茶に感謝する程度の礼儀はクラウチも弁えている。

 ダンブルドアが指し示した席に座ると、目の前に香り豊かな紅茶のポットとカップが2つ、ブルーベリー・マフィンの載せられた皿が現れた。

 

「最近これにはまっていてのう。少し酸味が強いくらいが生地の甘みに合うんじゃよ」

「それは結構」

 

 長い指でポットを持ち上げたダンブルドアがクラウチのカップに紅茶を注いだ。

 この平和な時代をいつまで維持できるだろうか、とクラウチは胸中で独りごちた。戦時中、魔法法執行部の魔法使いが人に注がれた紅茶を口にすることなど決してなかった。服従の呪文を唱えずとも人心を狂わせる術は山程ある。

 次の戦いをそうさせないためにも、今クラウチは死力を尽くさねばならない。

 

「それで、ダンブルドア。答えはいただけるのかな」

「無論じゃ、バーティ。君がいくつかの質問に答えてさえくれれば、わしはこの場で君の求めるあらゆるサインを書くことにしよう。三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)の復活というわけじゃ」

 

 三大魔法学校対抗試合。

 ボーバトン魔法アカデミー、ダームストラング専門学校、そしてホグワーツ魔法魔術学校。この歴史と格式ある三校が代表者を選出し、最も優れた魔術師を決めるために競う行事だ。

 1792年に選手の死亡事故が相次いだことで中止されて以来失われていたこの伝統を復活させる最大の目的は、国際協力の活性化にある。これから始まる次の戦争を早期終結へと運ぶためには他国の協力が欠かせない。

 重要なのは、協力であって介入ではないという点だ。あくまで英国魔法界が主導権を握らねば、戦後の新たな火種を残すこととなる。

 ダンブルドアはブルーベリー・マフィンを半分に割り、その細い指で口へと運んで静かに目を閉じた。

 

「甘いものが心を豊かにするのは万国共通と言えるじゃろう。ボーバトンとダームストラングの友人たちがこのホグワーツを訪れる際は、めいっぱいの晩餐でもてなさねばならんのう」

「そうしていただきたい。我々国際魔法協力部としては、ホグワーツが若年層にとっての他国との交流の場として最大限に快適であることを期待している」

「ホグワーツがいかに快適であるかについては、君も知ってのとおりじゃ」

 

 半分になったマフィンを皿に置いたダンブルドアが、カップを持ち上げた。

 

「そして、ルシウス・マルフォイもよく承知していることじゃろうと思う。彼は優秀な理事として長くホグワーツに尽くしてくれておるからのう」

 

 仕掛けてきた。

 クラウチは動揺することなく静かに頷き、カップを手に取った。

 

「氏の献身には私も感謝している。昨今は氏と協力してことを運ぶ機会が増え、今まで見えていなかった人物的な面も――」

「バーティ、マルフォイ氏の人物的な面に関するいささかの問題については我々に共通する認識があるかと思っておったが」

「……氏の経歴に問題があることは確かだ。しかし、このバーテミウス・クラウチ(魔法法執行部長)に服従の呪文の恐ろしさを説くほどあなたは愚かではあるまい」

 

 カップを傾け、紅茶をそっと口に流し込む。

 ホグワーツの屋敷しもべ妖精はクラウチ家のウィンキーよりも紅茶を淹れる腕がいいようだ。香りもよく開いていて、爽やかさすら感じさせる。

 しかし、状況は爽やかとは言えなかった。ダンブルドアはルシウスに疑念を抱いている。そして、その協力者であるクラウチに対しても。

 

「なるほど、君が信用すると言うのであればこの老いぼれに否はない。大切なのはかつてどこに心があったかではなく、今どこに心があるかじゃ。しかしのう、バーティ。君も知ってのとおり、それでは納得せん者もまたいるじゃろう」

「……マルフォイ氏の貢献は贖罪として十分なものではないとおっしゃりたいのであれば、それはマルフォイ氏ご自身にお伝えになったほうがよろしい」

「まさか! わしではない。君に問うておるのじゃ、バーティ。()()()()()()()()()?」

 

 クラウチは音を立てずにカップを置いた。

 許せるだろうか。

 ルシウス・マルフォイは間違いなく自らの意思で闇の陣営に与していた。与していたどころか、ヴォルデモートの腹心ですらあった。死喰い人の指揮官、司令塔と言っても過言ではなかった。

 多くの部下を喪った。

 結婚を控えていた者もいた。激務の隙間を縫って我が子と写真を撮ってきて、それをデスクに飾っていた者もいた。戦争が終わったら老いた親とともに故郷で過ごすと笑っていた者もいた。

 ルシウス・マルフォイが殺したのだ。

 笛が鳴った。弦が弾かれた。太鼓が叩かれた。なるほど、それらの音の責任は奏者にあるのかもしれない。しかし、指揮棒を振るっていたのは、その悲鳴を奏でろと命じたのは、他でもないルシウス・マルフォイなのだ。

 まだ、クラウチは決めかねていた。

 

「……ダンブルドア。私は公の奉仕者だ。私の目的は国益の最大化と損失の最小化であって、個人的な怨嗟でわがままを言っている暇などありはしない」

「見事な志じゃ。ロングボトム夫妻の前でも同じことを言えるのだとすれば、じゃが」

 

 思わずクラウチは立ち上がった。

 フランク・ロングボトムとアリス・ロングボトムの夫妻は死喰い人によって拷問され、我が子を守りきった代償に正気を失った。そして、その死喰い人こそが我が子、バーテミウス・クラウチ・ジュニアだったのだ。

 一生かかっても償えない罪を背負って、煮えたぎる憎悪を抱えて、それでもクラウチは進まねばならない。

 ダンブルドアの言う通りだ。ルシウス・マルフォイは信用できる相手ではない。しかし、クラウチは致命的な弱みを握られている。脱獄させた息子に服従の呪文をかけて匿っているという事実を。

 罪を思えば、我が子を殺すべきだ。しかし、たったひとり愛した女の願いを無下にできるほどクラウチの心は死んではいない。

 憎悪を思えば、ルシウスを裏切るべきだ。しかし、それは息子が生き延びる道を切り捨てるに等しい。

 どうすればいいのか。

 

「私に、どうしろというのだ」

「重要なのは君がどうしたいかじゃ、バーティ。人は誰でも自分の進みたい道を進む権利を持っておる。もしその道を進むためにわしの手助けが必要なのであれば、喜んで手を貸そうぞ」

 

 ダンブルドアは半分残ったマフィンをクラウチに差し出した。

 これは誘惑だ。ダンブルドアの陣営に下り、ルシウス・マルフォイの内心を探る密偵になれという誘いだ。

 もちろん、ダンブルドアはクラウチ・ジュニアのことを許さないだろう。アリスとフランクは不死鳥の騎士団の団員だった。ダンブルドアの身内を拷問し、精神を破壊した男が脱獄しているとなれば、ダンブルドアは淡々とウィゼンガモット議長としての職務を果たすに違いない。

 しかし、それでもこの誘いには抗いがたい魅力があった。

 ルシウス・マルフォイの脅しに屈しなくてもよい、死んでいった部下たちに胸を張って報告できるという魅力は、クラウチの指先を動かした。

 

「――舐めるな、ダンブルドア!」

 

 クラウチはダンブルドアが差し出したマフィンを払い落とした。

 

「私はバーテミウス・クラウチだ! 公の奉仕者、誰よりも闇を憎悪する者だ! 自分が耄碌したからといって、他人の正気まで疑うのは余計なお世話というもの!」

 

 クラウチがルシウスを憎悪するように、ルシウスもまたクラウチを憎悪しているに違いなかった。

 ルシウスが死喰い人の指揮官だったとするならば、クラウチは闇祓いの指揮官だった。互いに互いの手足を引きちぎりあった仲だ。

 戦時中、クラウチは戦争を効率化するために部下たちに許されざる呪文を解禁した。失神呪文よりも苛烈な緑の閃光が放たれ、真実薬よりも手軽な尋問が行われ、それでも屈しない死喰い人を痛みで躾けたこともある。

 そのルシウスがクラウチと同じ旗の下で戦うというのだ。

 誰よりも嫌っている。誰よりも憎んでいる。どうやったら殺せるか考えたことなど、一夜や二夜では済まない。

 クラウチはルシウスを信用しない。

 あの邪悪で冷徹な貴族の姿をした毒虫の針が、結局のところどこへ向けられているのか。それを見定め、場合によっては自らの手でルシウスを討ち取ることこそがクラウチの役目だ。

 死んだ部下たちには罵倒されるかもしれない。遺された家族たちには憎まれ、恨まれるだろう。膨らんだ怒りがクラウチを害そうとすることすらあるかもしれない。

 それでも、クラウチは次の戦争こそ犠牲を生まないもののまま終わらせたかった。それこそが、死んでいった者達への誠意だ。

 

「大変結構!」

 

 ダンブルドアは笑った。

 

「大変結構じゃ、バーティ。この歳になるとどうも不安性でのう、君のお墨付きがあれば今夜はぐっすり眠ることができそうじゃ」

 

 ぽたり、と滴る音を聞いて、ようやくクラウチは自分の膝がテーブルを蹴り上げて紅茶をこぼしていたことに気がついた。

 クラウチは咳払いをして杖を抜き、校長室に清潔を取り戻した。割れたマフィンとこぼれた紅茶は消え去り、冷静さを取り戻したクラウチの耳に校長室のあちこちから鳴り響く小気味良い金属音と蒸気の噴出音が帰ってきた。

 

「……失礼した」

「なんのことかさっぱりじゃよ。さて、そうと決まればサインをしようかのう。長く忘れ去られていた伝統がわしの代でこのホグワーツに帰ってくるとは、ディペット先生に自慢をせねばならんのう」

 

 ダンブルドアが一度手を叩くとテーブルの上に置かれたティーセットは消え去り、そのかわりに不死鳥の尾羽根を使った立派な羽根ペンと水晶製のインク壺がテーブルに置かれた。

 鞄から何枚かの羊皮紙を取り出したクラウチがそれらをテーブルに置くと、ダンブルドアは鼻歌交じりにそれらにサインを施していった。

 

「ディペット先生といえば、君にぜひ見学していってほしいクラブがあってのう。純血の生徒限定の勉強会なのじゃが、教材も指導法も工夫していて実に見事。純血限定でなければ、わしも教わりにいくところじゃ」

「興味深い話だが、帰ってすぐにフランスへ向かわねば」

「この話を聞くともっと興味が湧くのではないかと思うが……今日は主宰者のダフネ・グリーングラス嬢が守護霊の呪文について講義をするそうじゃ」

 

 ダフネ・グリーングラス。

 どこに行ってもついて回るその名を、クラウチはいよいよ見極める時が来たと悟った。

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