その血は呪われている   作:海野波香

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 新年がやってきた。

 アステリアはダイアゴン横丁の薬問屋が売っているノンアルコールのシャンパンが好きで、グリーングラス家では新年のお祝いにこのシャンパンで乾杯するのが恒例になっている。存命の頃は母も楽しんでいた。

 

「新年おめでとう!」

「おめでとうございます!」

「はは、おめでとう」

 

 仕事上がりに駆けつけたガウェインがノンアルコールに少し物足りなさそうな顔をしている。グリーングラス家には大手を振って酒を買える年齢の人間がいないのだから、仕方のないことだ。

 

「それからガウェイン、昇進おめでとうございます」

「わあ、おめでとうございます、ガウェインさん!」

「ありがとう。まあ、昇進って言っても職階がひとつ上がっただけだけど」

 

 もはやガウェインもグリーングラス家の食客としてすっかり馴染んでしまった。

 彼は最近ノクターン横丁で大捕物を繰り広げたばかりだ。生き肝ほしさにウェールズの農村で連続殺人に手を染めていた鬼婆を捕縛したのがきっかけで昇進が決まったらしい。

 

「そして、アステリア。社交界デビューをしっかり乗り切ったわね。偉いわ、姉として誇りに思います」

「お姉様……アステリアはお姉様に褒めていただけるのが一番嬉しいです!」

「じゃあ、俺からは気持ちだけ」

 

 そう言ってガウェインはローブのポケットに手を突っ込むと、中から細長い包みを取り出した。包み紙にはフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店のロゴが印字され、その周りを黒い羽ペンが踊っている。

 

「開けてごらん」

「いいんですか? ……わあ、これって!」

 

 アステリアの細い指先がそっと包み紙を解く。その中の箱に収まっていたのは、書店謹製の高級羽根ペンだった。

 若葉色の美しい羽根に曇りひとつない金のペン先が付けられている。ダフネの目利きが正しければ、フウーパーの尾羽根を使った最高級の飾り羽ペンだった。

 

「インクの自動補充とスペルチェックがついてる。この間の事件で攫われかけた店主を助けたら、お礼でもらってね。ホグワーツは羽根ペンが主流だから、今のうちに慣れておくといい」

「ありがとうございます、ガウェインさん!」

「よろしいのですか?」

 

 安く見積もっても5ガリオンはするプレゼントだ。親族でもなんでもない護衛対象の子供に与えるものではない。

 ダフネがガウェインを見上げると、ガウェインはいたずらげにウィンクしてみせた。

 

「俺は万年筆派なんだ」

「……そういうことでしたら、ありがたくいただいておきますわ」

 

 ダフネの予想が正しければ、これはもらいものではない。

 鬼婆が拠点にしていたのはウェールズだし、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店の店主は鬼婆程度に攫われるような杖捌きをしていない。何より、グリーングラス家へのプレゼントが偶然()()()などできすぎている。

 ここ最近、ダフネの中で違和感が蓄積しつつあった。

 ガウェインはアステリアに甘すぎる。

 そこに悪意は感じない。しかし、意図も読めない。放っておいていいものかもわからない。

 

「それで、計画の方はどうなんだ? ルシウス・マルフォイと接触したんだろ?」

「え? ええ、そうですわね。肝が冷えましたわ」

 

 あのパーティーの日、ルシウスはダフネに釘を刺した。

 あまり好き勝手やるようなら身の安全は保証できない、素直に自分の籠の小鳥でいろ――そういう圧力が多分に含まれたやり取りだった。

 

「ルシウスおじさまの可哀想なところは、聡明な味方に恵まれなかったところですわ」

 

 ルシウスには賢い手下がいない。

 クラッブ家、ゴイル家は子を見ればわかるように親の質も相応だし、屠殺人のマクネアなど言うまでもない。

 影響力を及ぼすことができる範囲は広いが、マルフォイ家やルシウス個人に従っているわけではない。金、暴力、権威、そういったものに服従しているに過ぎない。

 だから、ルシウスは手駒を使うのではなく、自分で脅すなどという危険を冒す必要があった。傷つけたくはない、しかし態度は示しておきたいという葛藤が滲んでいる。

 

「元来、マルフォイ家の気質は君主向けではない。よき臣が集うには少し軽すぎるのです」

「なるほど……?」

 

 背信(mal foi)という姓によって運命づけられているかのように、マルフォイ家は裏切りを繰り返してきた。

 泥舟に乗り続けないという点では嗅覚に優れているのだが、君主としての信頼感に欠ける。ましてや、最悪でも杖さえあればひとりで生きている魔法族にとって主君というものはさほど重要ではない。

 派閥は必要に応じて形成される。

 本質的に派閥とは国家によってではなく民によって営まれる社会活動だ。マルフォイ家の供与する利益に魅力を感じる者が集うのだ。そうなれば必然的に、マルフォイ閥には状況判断を他者に委ねるような者ばかりが集まる。

 

「ルシウスおじさまは優れた政治家です。だから、ルシウスおじさまを頼ってくる者はその政治力をあてにするような、政治能力に欠けた人々なのです。これでおわかりかしら?」

「……まだわからないな、マルフォイにはそれで何の得があるんだ?」

「平時における兵士たちは夏季の煙突のようなものである。バーレイですわ」

 

 ガウェインはしばらく悩ましげに眉を曲げていたが、シャンパングラスをテーブルに置いて唸った。

 

「そうか、マルフォイは()()で私兵を持てるのか」

「自分たちで食い扶持を稼いでくる軍隊。これほど優秀なものはありませんわね」

 

 ルシウスの庇護下にあるクラッブもゴイルも、大人の魔法使いとして社会に出て働いている。もちろん、そこには少なからずルシウスの差配があるが、それでも自らの手で稼いでいる。

 平時に金をかけることなく、有事に暴力機関を有することができる。

 しかも、ルシウスはこの暴力機関を強制して振るうのではない。それとなく機会を与えてやることで、喜んで暴力欲を発散しに向かうのだ。なんなら機会を与えてくれるルシウスに感謝すらするだろう。

 

「……なあ、それってまずいよな? 君はマルフォイに睨まれてるわけだろ?」

「だから、あなたが必要なのですわ」

 

 ダフネがガウェインを見上げて微笑むと、ガウェインは少し嫌そうに呻いた。

 

「おい、マジかよ……最初からそのつもりだったのか? 闇祓いを抑止力にするためにフォーテスキューに噛みついたって?」

 

 正解だ。

 闇祓い局は元々グリーングラス家を警戒していた。前回の戦争でも遠縁にあたる男が死喰い人に加わっており、闇に近しいところにいる家であることは明らかだと思われていた。

 だから、ダフネはフォーテスキューを通じてアプローチをかけた。警戒と護衛、その両面で人を割くべきだと判断されるように。

 結果は見ての通りだ。ガウェインがいる限り、マルフォイ閥の人間はダフネに直接的な危害を加えられない。さすがのルシウスも証拠を掴んだ闇祓い局の捜査から下手人を庇うのには苦労する。

 

「そのおかげであなたとはいいお友達になれました。嬉しく思いますわ」

「まあ……いいよ、わかった。せいぜい頑張って睨みを利かせておくさ」

「それはどちらに対して?」

「両方だよ、やんちゃなお嬢様」

 

 どちらともなくグラスを合わせ、乾杯する。

 ガウェインのことは嫌いではない。全てを話せるわけではないが、察しがいいし、根が明るいのもあって話していて苦にならない。これからもいい関係を築いていきたいと考えている。

 ダフネが笑みを深めていると、アステリアが不満そうに声を上げた。

 

「もう! アステリアもお姉様と乾杯したいです!」

「そうね、乾杯しましょう。今日が終わったら明日からまたパーティーに次ぐパーティーだもの、今のうちに気を抜いておきなさいな」

「このパーティーの中でマルフォイを攻略するのか?」

「いいえ、まだその予定はありませんわ」

 

 ガウェインが驚いたような声を上げるのを傍目に、ダフネは乾杯したシャンパングラスを傾けた。香りが華やかで、どこかハーブのような爽やかさすら感じる。後味にはまだ青いベリーのような瑞々しい青臭さがある。

 

「現時点で、ルシウスおじさまを味方につけることはできません」

「どうしてだ? なんというか……同じ目標じゃないか」

「あら、まだまだ理解が甘いですわよ。純血至上主義と純血社会志向の違いですわね」

 

 ルシウスは純血至上主義者だ。

 マグル生まれや混血、マグル贔屓の血を裏切る者が魔法界に蔓延ることを嫌悪している。ましてや彼ら彼女らが出世したり、活躍したりすることに対しては心から憎悪を向けている。

 ダフネはその逆を行く。優秀なマグル生まれや混血のパトロンとして貴族たる純血が君臨する、純血派閥による貴族制。それがダフネの目指す社会だ。

 同じ純血社会を求めているように見えて、ふたりは全く相容れないのだ。

 

「それに、ルシウスおじさまは利のないところにつかない」

「あー、そうだな。それはわかる」

 

 ルシウスから見て、ダフネのやっていることはまだ子どものごっこ遊びだ。

 なんなら、先日の脅しすらその半分以上が「これ以上の火遊びはやめておきなさい」という戒めを含んでいる。一度飼ったペットには相応の世話を与えてくれるのがルシウスという男だ。

 だから、ルシウスがダフネに合流することはない。

 

「お姉様は、ルシウスおじさまと喧嘩なさっているのですか?」

「まさか。お互いまだ相手のことを知ろうと頑張っているところなのよ。手を取りあって踊る機会はきっと、必ずやってくるわ」

 

 原作の知識があるダフネだから、断言できる。

 ルシウスをダフネ側に傾けさせる策はある。ルシウスが失敗し、絶望し、未来を悲観したその瞬間に、ダフネは女神の姿をして彼の前に現れる。その時初めて、ルシウスはダフネに縋るだろう。

 だから、それまでに準備を済ませておかねばならない。

 

「……味方を増やす必要がありますわね」

「そうだな。君の目標には俺だけじゃ足りないだろ?」

「あなたには十分役立っていただいていますが……そうですわね、そろそろ手を広げていく頃合いかしら」

 

 しばらく考えてから、ダフネはアステリアを見た。

 今日もこの世で一番可愛らしい乙女だ。かすかに残る疲労の色が深窓の令嬢もかくやと言わんばかりの美少女ぶりを引き立てている。ホグワーツにミスコンがあればアステリアが七連覇するに違いない。

 

「どうされましたの、お姉様」

「そうね……今夜は久しぶりに一緒に寝ましょうか」

「わあ! よろしいのですか!」

「明日からまた大変ですもの。もしかしたら、次のパーティーではしばらく傍を離れることになるかもしれないわ。今のうちにあなたの可愛さを満喫しておかないと耐えられなくなりそうなの」

 

 ニューイヤーパーティーは複数の派閥が合同でパーティーを主催する。

 それはつまり、マルフォイ閥の末席に座るダフネが他の派閥と交流を図る貴重な機会と言える。

 

「旧交を温め、新しき友と出会う。いい日になりそうですわね」

「ニューイヤーパーティーか。一応俺にも招待は来てるんだよな。局長のおこぼれって感じだけど」

「招待はどなたから?」

「デメテル・ザビニだ。……ここだけの話、なんとかあいつの保険金詐欺を暴いてやりたいって思ってるんだ。局長にも何度か進言したことがある」

 

 意外な名前にダフネは思わず眉を上げた。

 デメテル・ザビニ。ブレーズ・ザビニの母親で、絶世の美女として知られる。6人の豊かな魔法使いと次々に結婚し、その夫たちがいずれも他界したことで莫大な富を手に入れた。

 派閥としては新興だが、デメテル自身がアフリカ系の魔女ということもあり有色人種や魔女に人気がある。弱者の代弁者、そんな肩書きで噂されることもあるほどだ。

 

「案外、招待も袖の下を送ったつもりなのかもしれませんわよ」

「ふん、それなら失敗だな。局長の堅物っぷりを理解していないらしい」

「それでも、スクリムジョール局長は政治的判断を下せるお方でしょう? デメテル閥を切り崩そうとすれば少なくない不満が上がりますわよ」

 

 ガウェインが嫌そうに呻いた。

 派閥とは利害関係だ。ルシウスが政治力を提供するように、デメテルは信奉者たちに影響力を提供する。

 本来、それは喜ばしいことだ。弱者の声が押し潰されないための代表者がいるのは望ましいことと言える。しかし、デメテル・ザビニは善意あふれる聖母というわけではない。

 探られると痛い懐を守るために、デメテルは弱者を盾にしている。

 

「それに、新興のデメテル閥がここまで急成長したのはひとえに魔法省の怠慢ですわよ」

「それを言われると耳が痛いな……」

 

 デメテルが弱者の代弁者として勢力を拡大できたのは、魔法省が弱者と向き合ってこなかったからだと言うこともできる。

 有色人種、未婚の魔女、病人、人狼。デメテルは多くの弱者に手を差し伸べてきた。事実、その手によって救われた者は多い。だからこそ、デメテルの発言力は日に日に増しているのだ。

 

「英国魔法界は伏魔殿ですわね。怪物がひしめきあって、陰謀の縄で互いを締め上げながら笑っている。恐ろしくて近寄りがたいのに、どこか美しい」

「近寄りがたい? よく言うよ、まったく」

 

 ノンアルコールシャンパンで唇を濡らして、ダフネは明日のパーティーに思いを馳せた。やらなくてはならないことが山のようにある。

 ニューイヤーパーティー。それは英国魔法界政治の縮図。

 

「マルフォイ閥、ヤックスリー閥、ザビニ閥。今年のニューイヤーパーティーの顔はこの三家ですわ。楽しみですわね……」

「……何か企んでるのか?」

「ええ、もちろん!」

 

 ダフネは乙女のように微笑んだ。

 1988年が始まる。




3月末まで更新ペース低めになりそうです。
転職が早く片付けば更新ペースも上がるので応援してくれると嬉しいです。
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