抜群のパフォーマンスを発揮すれば練習を早めに切り上げることができるのではないかというハリーの作戦は失敗に終わり、ウッドは秋雨の中声を張り上げ続けていた。
「いい動きだ、ハリー! 今のターンはよかったぞ! あと1時間後にも同じ動きができるようになれば上出来だ!」
「おいおいウッド、1時間後だって? 僕らにシャワーを浴びる時間もくれないつもりかよ?」
フレッドが苦情を申し立てたが、その声は雷にかき消された。
ここのところスコットランドの天候はぐずついていて、木々の葉は常に湿っているし、下手をすればうろつく吸魂鬼の冷気を受けて霜が降りてすらいた。こんな天候でクィディッチの練習をするのは正気の沙汰ではないが、ウッドはそもそも正気ではない。
耐えかねたアンジェリーナが怒鳴り声を上げた。
「ウッド、もう限界だわ! 今私たちに必要なのは練習じゃなくて、熱いシャワーよ!」
「だが、初戦が迫っているんだぞ!」
「初戦の前にケイティが風邪を引いたらどうするのよ!」
「元気爆発薬を飲めばいいだろう!」
「耳から煙を噴き出しながら試合に出ろって? 正気じゃないわ!」
全くもって正気の沙汰ではなかった。
ハリーは水滴まみれの腕時計を確認して、がっかりした。ダフネが開催している守護霊の呪文についての勉強会には間に合いそうにない。
しかし、チームメンバーたちの怒涛の抗議に根負けして、ついにウッドは休憩を挟むことを認めた。メンバーは箒から降り、ロッカールームに泥まみれで駆け込んだ。
雨で冷えた身体に叩きつけるようなシャワーの水圧が心地良い。バーノンは高い金を払って自宅のシャワーをいいものに換えていたが、ホグワーツのシャワーはそれよりもずっと上等だとハリーは感じていた。
ハリーがシャワーを浴び終わると、フレッドとジョージは先に着替えはじめていた。どうやらウッドはもう出たようだ。
「まったく、ウッドって本当に最高だよな」
「ああ、マジでホットだ。吸魂鬼だって溶かしちまうよ」
「吸魂鬼と言えば、ハリー、愛しのダフネが何か吸魂鬼をやっつけちまう魔法についての勉強会を開いてるんだろ?」
「ユニコーンに跨った王子様の必修科目だ、行かなくてよかったのか?」
「そんなんじゃないってば。それに、ウッドがそんな理由で練習を休むことを許してくれると思う?」
フレッドとジョージは目を合わせて肩をすくめ、シャワーの水滴がまだ残るハリーの癖っ毛を両側からわしわしとかき乱した。
「元気を出せ若人、なんならマンツーマンで教えてもらえばいい」
「そうそう、空き教室で秘密のレッスン、縮まる二人の距離、触れ合う杖腕ってわけだ」
「もう、そんなんじゃないってば!」
「でもよハリー、考えてもみろ。ダフネは競争率が高いぜ?」
ハリーはどきりとして、危うくタオルを落としそうになった。
「そ……そうなの?」
「ああ。まずなんていったって顔がいい。凛々しさと幼さの共存、ハグリッド流の言い方をすればグリフィンとパフスケインの間の子って感じだな」
「グリフィンみたいに強くてパフスケインみたいに可愛いってわけだ。おっと、ハグリッドなら逆かもな」
「それは確かにそう……」
ダフネは可愛いし、それでいて表情がきりっとしているのがいい。だからこそふとした瞬間に見せる柔らかな笑みが夏薔薇のように甘く香るのだ。
フレッドとジョージはにやりと笑って、そして続けた。
「当然家柄もいい。親父とお袋は認めないだろうが、時には家柄ってやつが役立つ瞬間もある。ダフネはそれを使いこなすのが上手なやつだ」
「ハリー領主閣下様々のお屋敷なんかまさにそうだな。それでいてダフネは自分の手を動かす真面目さってやつもある。ふんぞり返ったお貴族様ってわけじゃない。そういうところは俺達も好きだ」
確かに、ダフネは貴族らしく過ごしていながら自分の手を動かすことを全く厭わない。
勉強会の教材を作り、妹の世話をし、ハリーのことだってあれこれ助けてくれる。一体彼女はいつ休んでいるのだろうか。心配なくらいだ。
「頭もいい。1年生のときは我らがハーマイオニーと同率チャンピオンだったわけだしな」
「俺達からしたら雲の上、月の上の人ってやつだ」
「噂じゃファンクラブもあるらしい。ただの人気者とはわけが違うぜ、ハリー。ファンクラブだ。うちのビルですらファンクラブまではいかなかった」
「近いグループはあったけどな、ビルが惚れっぽいせいで喧嘩が絶えなくて統制はめちゃくちゃだったって話だ」
「ああ。その点ダフネは自分のファンクラブをしっかり仕切らせてる」
フレッドは一息置いて、真面目な顔でハリーの目を見た。
「そんなダフネが、今日勉強会で主催としてスピーチをする。あいつのことだ、きっといいスピーチをするんだろう。パースが見に行ってるから、あとで詳しいことを聞けると思うけどな。わかるか、ハリー……ダフネは、一気にモテるぞ」
ハリーは急いでタオルを丸め、ロッカーに放り込んだ。
「僕病欠する! 下痢と嘔吐と熱とめまいと、あと、あと発疹! それが一気に出たってウッドに言っておいて!」
駆け出そうとしたハリーの両腕をフレッドとジョージががっしりと抱き込んだ。
「生憎ズル休みを許してくれるウッドじゃあない。俺達としてもズル休みのやり方ってやつを模索してたりもするわけだが、それをクィディッチに使う気はないぜ」
「そうだ、シーカーがいなくちゃ練習も始まらないからな。それともデートが終わってほかほかで帰ってきたハリーがスニッチを捕まえるまで俺達に練習を続けさせる気か?」
ハリーは抵抗を試みたが、ハリーが帰ってくるまで練習を続けるというウッドの狂気がいかにもありえそうだと感じて流石に諦め、ぐったりとうなだれた。
今、ハリーは焦っていた。
もし勉強会がきっかけでハリーよりも素敵な男の子と出会ってしまったら? その男の子とデートをするようになって、ダフネがハリーのことをすっかり気にしなくなってしまったら?
もちろん、ダフネは優しい子だ。ハリーのことを忘れるなんてことはしないだろう。それでもその関係は
「それで、ハリー? 君はどうしたいんだ」
「どうしたいって……」
「つまり、付き合いたいのか、付き合いたくないのか」
「なすべきか、なさざるべきか」
「そう、それがいわば最大の問題だってやつだ」
ロッカーの前に引き戻されたハリーは、諦めてびしょびしょのクィディッチユニフォームを絞りながら呻いた。
その先にいきたい。
「それは……まあ、その、なんていうか、好きなんだと思うよ」
ハリーはダフネのことが好きだ。
いつから好きだったのかなどわかりもしない。もしかしたら出会ったその日から恋していたのかもしれない。しかし、一緒に過ごす中でハリーの気持ちは少しずつ確信に変わっていった。
フレッドが腹立たしそうにハリーの尻を叩いた。
「好きなんだと思う? 締まりのない言い方だな。キスしたいんだろ?」
「きっ、キスなんて」
「キスしろハリー、キスだ」
「ああ、頭がとけちまうような濃厚なやつさ」
ハリーは耳が熱くなるのを感じた。
想像するのも恥ずかしかった。
それを期待したことがなかったとは言わない。そうしたいと思わないわけでもない。しかし、ダフネはハリーがそんな触れ方をするにはあまりにも清らかで、美しかった。その清らかさを汚してしまうような気がして、ハリーは今までそういうことを想像しないでいた。
「狙い目はホグズミードだ。ホグズミードでデートしたカップルは50%の確率でうまくいく」
「もう50%は?」
「もっといいパートナーを見つける。安心しろって、ハリーはなかなかイケてる男だ」
「シーカーだし、ヒーローでもある」
「でも……僕はホグズミードには行けないし、それに……」
思わず俯いた。
不安だった。ハリーは本当にダフネと釣り合うような男になれるのだろうか?
ダフネは高貴な生まれで、苦しみを抱えながらもまっすぐに生きていて、とても大きなことをやろうとしている立派な女の子だ。時々お茶目でいたずらっ子なこともあるが、基本的にはとても真面目で一生懸命な子だとハリーは思っている。
その一方でハリーは滅びかけた家を受け身で継いだだけの身だし、勉強も時々怠けるし、やりたいことなんてまったく見つかっていやしない。クィディッチに夢中なくらいだろうか。
ダフネにはそれこそドラコのような男の子がお似合いなのではないだろうか。
「その顔は余計なことで悩んでるって感じだな。話してみろよハリー」
「この手の話じゃビルほどは役に立たないが、パーシーよりかはずっと役に立つぜ」
「ふたりって恋人いるの?」
「おいそりゃないぜ……どうするよ兄弟、ちょっと尖りすぎてるクアッフルだぜ」
「俺達のスイングじゃちょっと打ち返せないかもな……」
急にフレッドとジョージが膝から崩れ落ちたので、ハリーは今の一言がかなり余計だったことを悟った。
「いや、まあ、いないというか作らないんだよ俺達は」
「恋愛にうつつを抜かすには正直ちょっとばかり忙しすぎる。偉大な悪戯仕掛人の先輩方だってきっとそうだったろうよ」
「悪戯仕掛人?」
フレッドとジョージは顔を見合わせて、しばらく無言で何かアイコンタクトをした末、ついに頷いた。何が何やらだが、どうやら何かしらの合意がなされたようだった。
ハリーがよくわからない状態で放置されているうちに、フレッドとジョージはロッカーから一枚のよれた羊皮紙を取り出した。
「いいか、ハリー……お前はちょーっと生意気なところもあるが、俺達にとっちゃもう家族みたいなもんだ」
「ああ、場合によっちゃロニー坊やよりよっぽど弟らしい弟だ」
「うん、その、ありがとう?」
「そのハリーが意中の人とホグズミードに行けないなんて不条理を許す兄と思うなかれ、俺達にはとっておきの策がある」
「きっとダンブルドアもおったまげなとびきりの策ってやつだ」
「いいか、小便漏らすなよ」
「まあ漏らしてもすぐシャワー浴びれるけどな」
フレッドが羊皮紙を広げると、ジョージが杖を取り出して羊皮紙に押し付けた。
「いいか、呪文はこうだ。われ、ここに誓う。われ、よからぬことをたくらむ者なり」
すると、途端に羊皮紙は模様を変えた。
精細に描かれたホグワーツの城壁が現れ、その内側は黒く塗られている。そしてその黒塗りに浮き上がるようにして、忍びの地図と書かれていた。
「ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングズ。われら魔法悪戯仕掛人のご用達商人がお届けする自慢の品……」
「この四人こそ俺達のマーリンさ」
「どんな授業より、この地図が俺達にあらゆる叡智ってやつを授けてくれた。そして、今度は君の番ってわけだ」
ジョージが杖先で羊皮紙を開いた。
それは地図だった。ハリーが今までに見たどれよりも精密で、かつわかりやすい完璧なホグワーツの地図だった。見たことのある廊下や階段、教室は全て載っていたし、見たことのない細道や存在すら知らなかったようなエレベーターが記されていた。
そして、驚かされたのがその地図の上を移動する細かな点だ。それはどうやら足跡で、全てに名前が記されていた。校長室にはダンブルドア、変身術の教室にはマクゴナガル、漏水中の3階の男子トイレにはフィルチ……。
「これって……今なの?」
「哲学的な問いだな。もちろん今さ。コンマ1秒の狂いもない」
「俺達はこの逸品にズレがないか検証するためにあちこちで猛ダッシュしたんだぜ」
「猛ジャンプもだ。あれはきつかった」
「ああ、とんでもなくきつかった。だが、その価値がある品だ」
「すごい……これ、すごいよ!」
ハリーがフレッドとジョージを見上げると、ふたりはにやりと笑ってハリーの肩に手を置いた。
「恋する弟への餞別ってわけさ。終わらせるのは簡単、こう唱えるんだ。悪戯完了」
「ウッドのしごきが終わったらそいつを使ってこっそり会いに行ってくるといい。もちろん、今月末のホグズミードでこっそり抜け出すってのも手だ」
「最高だ……ありがとう、フレッド、ジョージ!」
フレッドとジョージはハリーの肩をぽんと叩いて、ロッカールームから出ていった。
今なら何時間の練習でも耐えられそうだった。今やハリーはホグズミードに行く手段を手に入れただけでなく、秘密の抜け道を使ってこっそりダフネに会いに行くことだってできるのだ。
ハリーは練習に戻る前にもう一度だけ地図を確認した。
「あれ、これって……」
ダフネは大講堂の近くにある外部講師用の来賓室にいた。それ自体はおかしなことではない。きっと今日の勉強会の控室として借りているのだろう。
そして、そこにはもうひとつだけ名前があった。
「バーテミウス・クラウチ・