その血は呪われている   作:海野波香

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 夜も更けたころ、クラウチ家の屋敷を訪ねる影があった。

 

「もう少しゆっくり歩いていただけませんかね? 私はまだ芯のほうが木のままなんですよ。いや、人間に芯なんてないんですが」

「確かにあなたは芯のない男ですな」

「ひどい言いようだ。これから私の力を借りようっていうのにその態度はないでしょう」

「いかにも。そしてあなたもまた諸々の社会復帰に私の力を借りているということをお忘れではないでしょうな」

 

 表情を強張らせた男――ロックハートがぎこちなくドアノッカーを叩いた。

 ダンブルドアの手によって、ロックハートの名声は不自然でない範囲でゆっくりと地に堕ちていった。彼が抗弁できない状態の間にダンブルドアは友人たちを介して次々とロックハートの()()の証拠を世に出していったのだ。

 そのロックハートのマーリン勲章をなんとか守り、第二の人生を提供したのがルシウスだった。ロックハートはマーリン勲章に付随する年金を頼りに新大陸に渡り、そこで新たな名前とともに作家活動を再開することになっている。

 そして、その前にふたりは秘密を共有する。

 

「入ってくれ」

 

 扉が開かれた。

 ルシウスが進む後ろをロックハートは少し怯えた表情でついていった。ロックハートは大まかな事情を聞かされている。彼が新大陸でのクラウチ・ジュニアの世話役になるからだ。

 そして、クラウチ・ジュニアがそこにいた。

 服従の呪文にかけられた者特有の恍惚とした瞳、脱力感。これがマグルであればドラッグに溺れたジャンキーの末路と思ったことだろう。しかし、屋敷しもべ妖精の甲斐甲斐しい世話によって身なりだけは良家の子弟らしさを保っている。

 その隣で、クラウチは厳しい表情に僅かなためらいをちらつかせていた。

 

「や、やりますよ? いいんですね?」

「……少し待ってくれ」

 

 クラウチは息子が座る椅子の前に回り、彼と向き合った。

 背を向けられたルシウスには彼の表情は見えない。しかし、たったひとりの息子、愛妻の忘れ形見をこれから別人に変えるという段にあって、何も思わないはずがないということはわかった。

 一瞬だけ、ルシウスは脳裏に自らの愛息子ドラコの姿を思い浮かべた。もし自分が全てに失敗して、ドラコを別人として亡命させることになったら。その時、自分はどう思うだろうか。後悔? 安堵? 絶望? どれでもないかもしれない。

 ゆっくりと、クラウチが口を開いた。

 

「……お前がかつて私に唱えた理想に似た夢を抱く若者に出会った。いつも忙しくて家を空けている私に読ませるためと、お前は論文にまとめて私に持ってきたな。そして私はそれにできる限りの赤を入れた」

 

 返事はない。

 当然だろう、クラウチ・ジュニアは今服従の呪文による夢の中にいる。万が一にも服従の呪文が緩めば、ヴォルデモートの忠実な信奉者であるクラウチ・ジュニアは父を害し、脱出しようとするだろう。

 

「あの時、お前は自分の理想を否定されたと思って泣いていたな。それは違うと、教えてやればよかった。お前の父も同じ夢を見たのだ。だから、お前にはあの夢を……魔法界に議会を作り、自ら政治家として魔法界を変えるという夢を実現してほしかったのだ」

 

 ロックハートが戸惑った顔でルシウスのほうを向いたのを、ルシウスは無視した。

 よく知っている。バーテミウス・クラウチ・ジュニアという若き死喰い人は、ヴォルデモートの信奉者である以前に改革を志した夢想家なのだ。そして、ヴォルデモートなら社会を変えられると本気で思っていた。

 いつもこぼしていた。父のような正面から戦っていくやり方では何も変わらない。時には痛みを伴う改革が必要なのだ、と。

 クラウチ・ジュニアは優秀で、聡明だった。ただ、ヴォルデモートを理解しようとしなかった。

 

「あれの……アビゲイルの生まれ故郷にお前を送ることになって、私は正直安堵している。お前はまだ若い。アメリカ魔法界で新たな人生を勝ち取ることができるだろう。……いつか、別人になったお前がMACUSAの議会で弁舌を振るうのを楽しみにしている」

 

 クラウチは静かに膝を折り、我が子を抱きしめた。

 歪な親子だ。最後の最後までクラウチは自分の言葉を息子に伝えなかった。服従の呪文の支配下にあるクラウチ・ジュニアは今の言葉に返事もできないし、この後ロックハートが全ての記憶を消すのだから。

 しかし、それでいいのかもしれない。親としてクラウチができることは何もない。誰よりも有能な官僚であるクラウチは、誰よりも無能な親なのだ。それでも、誰よりも有害な親であるよりはよほどいいだろう。

 少しだけ、ルシウスは我が身を振り返った。果たして、自分は有能な親だろうか? それとも、有害な親だろうか?

 

「アビゲイルはいつも言っていた。お前の夢を一緒に見てやってくれと。……今度こそ、お前の夢を見に行こう」

 

 クラウチは震える手でそっと我が子の頭を撫でた。

 一体、何年ぶりの抱擁なのだろう。戦時中の彼に家族サービスをする暇など一秒たりともありはしなかった。当時の魔法法執行部は帰宅せずとも生活が成り立つように身だしなみに関する魔法を徹底的に叩き込まれたという。

 もちろん、それはルシウスが死喰い人たちを指揮して彼らを苦しめたからだ。しかし、ルシウスはそのことに微塵も罪悪感を抱いていなかった。ルシウスは当時の職で果たすべき役割を果たした。今度はダフネの下で果たすべき役割を果たすだけだ。

 

「やってくれ」

「わかりました。……一応聞いておくんですが、ここで私が皆さん全員の記憶を消し飛ばして逃げた場合って」

「フェンリール・グレイバックは好きかな、ギルデロイ」

「オーケー、わかりました。仕事をするとしましょう。……全てを忘却せよ(オブリビエイト・マキシマ)

 

 一瞬、杖先が光った。それだけだった。

 そして、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは死んだ。虚ろな瞳はそのまま眠るように閉ざされ、混濁した意識はゼロへと向かう。次に目覚めた時、彼は無垢な存在として生まれ変わっている。

 

「流れを確認しておこう。ポートキーを用意してある。ギルデロイ、君の身分証もだ。君は旅の作家で、旅の最中記憶を失った若い男を拾い、助手として育てた。そして君は書き上げた作品を出版する場を求めてアメリカへやってきた」

「ええ、いいですとも。本当に助手として使っても?」

「構わん。……叶うなら、いい経験を積ませてやってくれ。記憶は失ったが、有能さまでは失っていないはずだからな」

「もちろんです、優秀な助手はいつだって歓迎ですよ。マルフォイさん、私の治療薬を定期的に送ってくれる約束を忘れないでくださいね」

 

 ルシウスはコートのポケットから万年筆を取り出し、ロックハートに手渡した。そして懐中時計を開き、時間を確認した。もうすぐだ。

 

「クラウチ、別れは済んだかね」

「これ以上かけられる言葉はない」

 

 クラウチは決して満足したわけではない。彼の胸中は生涯後悔に支配されるだろう。

 しかし、クラウチはそれを抱えたまま前に進める男だ。ルシウスはそのことを誰よりもよく知っている。ルシウスはその指揮によって彼の部下を誰よりも多く殺しているのだから。

 そして、時間が来た。

 

「では、ごきげんよう、ごきげんよう! さようなら、我が愛しのイギリス! 落ち着いたら手紙を送ります! ご心配なく、こちらの男性――ウーティス氏の世話はしっかり見ますとも!」

 

 ぐるりと像が歪むように回転し、ロックハートは消えていった。

 クラウチ・ジュニアの新しい名前については様々な案が出たが、最終的に「発見した自分が名前をつけていないとおかしい」というロックハートの主張が通り、彼の案が採用された。

 

「よかったのかね、誰でもない(ウーティス)など名前につけられて」

「英国魔法族らしくない名前のほうが都合がいいだろう。……要件は済んだな?」

「おおむね。屋敷しもべ妖精はどうした」

「今朝洋服を与えた。あれは息子に近すぎた。クラウチ家に仕えたままでは、都合よく解釈してアメリカに渡りかねん。クラウチ家のしもべがうろついているとわかれば身元が割れてしまう」

 

 広くなった邸宅を見回しながら、クラウチは小さく首を振った。

 

「それより……グリーングラス嬢と話した。貴様と組んでいるとは思えないほど理知的で、勇気ある少女だった」

「それは結構。彼女は私と組むにふさわしい知性と品位を有している」

「ふん。……まさか、貴様と同じ陣営で戦う日が来るとはな」

 

 それはルシウスも同感だった。

 死喰い人の将と闇祓いの将、互いが互いを殺しあった真の宿敵でありながら、まさか同じ旗の下に集うことになろうとは。これもダフネの恐ろしさと言うべきだろうか。

 

「これで後顧の憂いなく力を尽くしてもらえるのでしょうな?」

「一応言っておくが、私は彼女のアドバイザーだ。間違っても貴様の味方ではない。貴様が彼女を悪の道に引きずり込まないよう見守ることが私の役割と言ってもいい」

「それは結構、せいぜい見張ることですな。もっとも、誰が見張りを見張るのかという警句もあるが」

 

 しばらくふたりは睨みあっていたが、やがてルシウスはこらえきれず小さく笑った。

 

「何がおかしい」

「いや、なに……ダフネはきっと我々を均等に信頼しているのだと思うと、我々の関係はなんとも歪ではないかね」

「貴様がそこまで彼女の信頼を買うのに一体どのような手段を取ったのか、教えてもらいたいものだ」

「それが私にも心当たりがない」

「何?」

 

 不思議だった。

 時折、ダフネはまるで未来を知っているようなことを言う。ルシウスを敗北させると宣言した日、まだルシウスは日記帳からの命令を受け取っていなかった。

 その神秘性まで含めてダフネの強さだ。彼女には政治家としてのカリスマがある。人を惹きつけ、味方を増やす能力はどこかヴォルデモートにも似ている。しかし、ダフネの全身を満たしてなお余るほどの愛がヴォルデモートと彼女を明確に区別させている。

 

「あなたもいずれ実感するだろう。ダフネはただの若者ではない」

「……いいだろう、覚悟しておこう」

 

 クラウチはもう一度我が子が座らされていた椅子を眺めた。

 少し歴史がずれていれば、ダフネではなく彼が改革者として立ち上がっていた可能性もあった。バーテミウス・クラウチ・ジュニア英国魔法議会議長。その可能性を潰したのは彼自身だが、再起の芽を奪ったのは父親であるクラウチだ。

 面白い時代になったと思う。しかし、その一方で裏側には多くの苦痛と悲嘆の歴史が眠っている。見方によってはクラウチ・ジュニアも歴史の犠牲者だ。

 

「表舞台に戻る覚悟はできたかね、クラウチ」

「覚悟など必要ない。必要なのは実行することだ」

 

 力強く言い切って顔を上げたクラウチの表情は、もはや父のそれではなかった。

 これから魔法界は大きく変わる。この流れは誰にも、ヴォルデモートにも止められない。あるいはダフネ自身にすらも止められないだろう。

 ダフネは力を得た。魔法法執行部は彼女が一声かけるだけで協力する。後ろ暗い仕事はルシウスが手配する。表でも裏でもダフネが力に困ることはない。

 ダフネは格を得た。彼女は今やブラック家の次期当主の姉だ。後見人にはホグワーツ前校長がつき、ウィゼンガモット評議員にも彼女を支持する声がある。

 ダフネは仲間を得た。彼女が立ち上げた蒼の貴血(ブルーブラッド)には有力な純血の子弟が集い、若年層の結束を高めている。ハリーを取り込んだことでかつての戦争で戦った者達もダフネに注目の目を向けている。

 そしてついに、ダフネは実行力を得た。

 

「どうやら、ダフネが表舞台に立つ日が近づいているようだ」

「彼女にプランはあるのか」

「三大魔法学校対抗試合の終幕までは動かないと聞いている。どうやら彼女は三大魔法学校対抗試合の混乱に乗じてヴォルデモートが復活すると考えているようだ」

「ッ、では、本当に」

「そうだ、ヴォルデモートは復活する」

 

 ルシウスは薄っすらと笑った。

 かつてあれだけ恐怖し、平伏した主君を禁じられた名で呼ぶのは奇妙な心地だった。その名そのものに呪いがかけられ、多くの勇気ある魔法族が名を口にして狩り出されたことを今でも覚えている。ルシウスが狩人を送り込んだのだから。

 しかし、これからははっきりと名を口にしなくてはならない。ダフネがそうするのであれば、ルシウスもそれに習うまでだ。

 

「もう少し呼びやすい名前で彼を紹介しよう。ヴォルデモート、その真の名はトム・マールヴォロ・リドル。ゴーント家の末裔にしてスクイブの娘とマグルの男の間に生まれた哀れな落し子だ」

「トム・マールヴォロ・リドル……」

「我々は彼の復活を期待している。今のリドルは生きてもいないし、死んでもいない。分霊箱によって繋ぎ止められた霞のような命だ。殺し切るには、まず復活してもらわねばならない」

 

 トム・リドルは純血ではない。これからの時代に彼の席はないのだ。

 

「ダフネからひとつ、おつかいを頼まれている。トム・リドルは出自を秘密にし続けた。それであれば、ゴーント家の屋敷にも秘密が隠されているとは思わないかね?」

 

 クラウチは頷き、杖を取り出した。

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