その血は呪われている   作:海野波香

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 放課後。ドラコとチェスを指しながら、ダフネは思索に耽っていた。

 策は成った。

 クラウチは無事ダフネの陣営に下り、彼を攻略するうえでの最大の難問であったクラウチ・ジュニアの処理も完了した。()()()()世話役であるロックハートにもルシウスの発案という形でいくつか餌を与えてある。

 そもそも「魔法界と非魔法界のハーモニーが夢」と語る程度にはマグル融和派の半純血であるロックハートがヴォルデモートの陣営に下ることはない。ダンブルドアにもその悪行を露見させることが難しい程度には暗躍の知恵もある。そしてダンブルドアが彼を受け入れることはない。

 軽薄だが、悪くはない人選だ。

 

「チェック」

「お前にしては珍しい新手だな。少し考えさせろ」

「よくってよ」

 

 談話室の一等席でソファの肘置きに頬杖をついて、グリフィンドール寮からわざわざ呼び寄せ隣に座らせたアステリアの髪を撫でる。いい放課後だ。

 もはや誰もが喜んでダフネにこの席を譲るようになった。

 権力を誇示するつもりはない。権力と名声に溺れるほどダフネは愚かでも暇でもない。しかし、パフォーマンスは必要だ。蒼の貴血(ブルーブラッド)で実績を積み上げれば地位を手に入れられる、その実例として振る舞うことは他の生徒達にとっての希望にもなる。

 もはやダフネは「家柄だけが取り柄の呪われた哀れな女子生徒」ではない。得た地位を正しく認識し、有効に使わねばならないだろう。

 

「そういえば、ハリーとはどうなんだ」

「どうって?」

「彼、ホグズミードの許可証がないんだろ? ハロウィーンはホグワーツに残るのか?」

「そうですわね……」

 

 アステリアの髪先を弄ぶ。ダフネとブリジットによってよく手入れされている髪には枝毛一つありはせず、指通りもいい。まるで上等な絹糸のようだ。この美しい黒を編めば夜より深い反物ができあがることだろう。

 原作通り、ハリーはホグズミードへの許可証を手に入れられなかった。ここについてダフネは手助けをしなかった。これによってハリーはフレッドとジョージから忍びの地図を引き継ぐ。忍びの地図は単なる道具ではなく、父たちの立場を継ぐというアイデンティティの継承も意味する。

 とはいえ、正規の手段も必要だ。

 

「シリウス義兄様の名誉が回復され次第、彼に許可証へサインしていただく必要がありますわね」

「指名手配犯で脱獄犯のサイン? フィルチが縮み上がるだろうさ」

 

 バーノンが許可しない以上、許可証にサインする権限があるのは法的な後見人である名付け親のシリウスだけということになる。

 シリウスの名誉回復に向けての活動も進めている。ウィゼンガモットからの言質は引き出した。あとはピーター・ペティグリューを確保するだけだ。その策も十分に練ってある。

 

「はい、もう一度チェック。……計画通りというものも考えものね」

 

 ペティグリューの確保については熟考の上行動に移さなくてはならない。

 クラウチ・ジュニアが記憶を失った今、投獄されていない忠実な死喰い人で知られている人物は存在しなくなった。つまり、ヴォルデモートの復活は現状白紙だということだ。

 原作に登場しないだけでまだ正体を隠している死喰い人がいる可能性も考えたが、そうであればクィレルに憑依しているうちにその死喰い人を頼っただろう。これでヴォルデモートの手足は奪ったと思っていい。

 しかし、それはダフネにとって都合が悪い。

 ダフネはヴォルデモートに復活してほしいのだ。ヴォルデモートの復活に伴う混乱と悲劇にはいくらかのメリットがある。もちろんデメリットはとても大きいが、最終的にこの物語はハリーの勝利とヴォルデモートの死によって飾られる。

 予言を逆手に取るのであれば、ハリーとヴォルデモートの決着は必ず当事者間でつけられるのだから、現時点でヴォルデモートを完全に追い込むことはできない。ダフネにできるのは、ヴォルデモートが自覚できない形で詰みの盤面を作ることだけだ。

 

「うるさいな、最近は忙しくてチェスを指す暇がなかったんだよ。クィディッチの練習も大変だしな。フリントのしごきに耐えるので必死だ」

「あら、それなら次の試合は期待していますわよ。ねえ、アステリア?」

「わ、私はどっちを応援すればいいんでしょう……!」

 

 アステリアが困ったようにダフネを見上げた。

 少しずつ、グリフィンドールとスリザリンの関係は改善されている。ハリーとアステリアがスリザリンで歓迎され、ダフネがグリフィンドールで歓迎されることで交流が成立するようになった。蒼の貴血がきっかけとなって交流が続いている者もいる。

 なにより、アステリアの存在が大きい。

 アステリアを邪険に扱うスリザリン生などいない。それどころか「ダフネの妹なら」と喜んで歓迎する者もいる。そのアステリアが無邪気にスリザリンの談話室で起きたあれこれをグリフィンドールで話すのだ。

 魔法族の子供であろうと人間は人間だ。親しくする姿を見ていつまでも偏見を抱えてはいられない。特にウィーズリー兄弟と親しくするダフネの姿を見てスリザリンへの偏見をぶちまけられるほどグリフィンドール生は恥知らずではない。

 グリフィンドールとスリザリン、千年続く確執が些細な交流からほぐれようとしている。

 これは大きな実績だ。教師たちからそれなりの譲歩を引き出せる程度の優等生としてダフネの地位は着実に向上している。それはつまり、蒼の貴血がホグワーツ内で大きな存在となりつつあるということだ。

 順調と言っていいだろう。

 

「これでどうだ」

「あら、苦し紛れにしてはいい手ですわね」

「ふん、言っていろ。……なんだ、騒がしいな」

 

 談話室の入口が何やら騒がしい。

 ダフネが振り返ると、そこに見覚えのある顔がいた。

 

「……ガウェイン?」

 

 いつものようににこやかな様子ではなかった。今までに見たことのない深刻な表情で駆け寄ってきたガウェインは、ダフネの手を取って立ち上がらせた。

 

「ダフネ……悪いが、一緒に来てもらわなくちゃならない」

「構いませんが、どちらに?」

「魔法法執行部だ。暖炉は押さえてある」

 

 ガウェインは小声で囁いたが、それでも周囲にざわめきが広がった。

 生徒が闇祓いの呼び出しで魔法法執行部に行く。そんなことは滅多にない。もしあるとすれば、それは重大な罪を犯したときくらいだ。

 モリガンの継承者。

 誰かがぽつりとこぼしたのが聞こえる。ダフネにかけられた冤罪はまだ完全には払拭されてはいない。もちろん、その程度のことで動くほど魔法法執行部は暇ではない。何かが起きたのだ。

 心当たりはいくつかある。しかし、ガウェインが表情を曇らせて直接駆けつけてくるほどのこととなると、条件は限られてくる。

 

「今日でなければならないかしら」

「悪いが、局長が待ってる」

「用件を今聞くことは?」

「できないんだ。……すまないが、急いでくれ」

 

 何か、表沙汰にできないことが起きた。

 それはイギリス魔法界の、いや、下手をするとイギリス全土の国防に関する出来事。そしてそれはダフネに関係があり、スクリムジョールはダフネから話を聞きたがっている。あるいは聴取を通り越して尋問までいくかもしれない。

 ダフネはガウェインに頷きを返した。

 

「ごめんなさいドラコ、この対局の続きは改めて」

「構わないが……大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

「お姉様……?」

 

 思わず引きつった表情を整えて、今度こそダフネは笑った。

 何が待ち構えているにせよ、あらゆる苦難を好機に変えて乗り越えるのがダフネのやり方だ。ここで足踏みをしている暇はない。

 

「ちょっと夜遊びしてくるわね。朝帰りになるかも」

「……ちゃんと帰れよ。スネイプ教授の機嫌が悪くなる」

「お姉様、その……いってらっしゃい」

 

 手を振り、ダフネはガウェインの後に続いた。

 早足のガウェインに付いていくのは大変だった。いつもなら歩調を合わせてくれる彼がここまで焦っているということは、よほどのことが起きたということだ。

 ガウェインが向かったのは変身術の準備室だった。マクゴナガルが暖炉の準備をしながら困惑した様子でふたりを待っていた。

 

「久しぶりに顔を見せたと思えば……何があったのです、ミスター・ロバーズ」

「すみません、先生。魔法法執行部の最上級機密案件です。グリーングラス嬢をお借りします」

 

 最上級機密案件と聞いて、マクゴナガルは頬を引きつらせた。

 マクゴナガルは元魔法省官僚だ。闇祓いが「最上級機密」と口にした際の、その重さをよく理解している。単なる法規上の問題ではない、国を揺るがすトラブルが起きているということをガウェインははっきりと示した。

 

「ミス・グリーングラスは確かに優秀な生徒です。しかし、彼女に魔法法執行部が求めるような何かがあるとは思えません。スクリムジョールの勘違いであることを祈っていますよ」

「先生、俺もそう思いたいのですが」

「そうではないと?」

 

 ガウェインが頷くと、マクゴナガルは渋々暖炉の前を空けた。

 

「そうですか……ミス・グリーングラス。決してミスター・ロバーズのそばを離れないように」

「ご忠告感謝いたしますわ、先生」

 

 煙突飛行のうねりがダフネとガウェインを捉え、次の瞬間にふたりは魔法法執行部のオフィス直結の暖炉に飛んでいた。

 すぐに誰かがガウェインの鞄を受け取り、呪文を唱えて灰を払い落とした。

 

「局長は来客を迎えに行った。局長が戻って来る前にシックネス副長と会ってくるといい」

「悪いな、プラウドフット」

「幸運を祈る」

 

 プラウドフットと呼ばれた闇祓いがガウェインの腕からコートを受け取り、ダフネに小さく頷いてみせた。どうやら闇祓いたちはダフネに対して敵意を持っているわけではないようだ。あるいは事態の全容を知らされていないのか。

 案内されるまま、ダフネはパイアスのオフィスに向かった。

 柔らかな雰囲気のオフィスだった。テーブルにはキャンディーとトフィーのキャニスターが置かれ、マグカップからはココアの香りが立ち上っていた。しかし、パイアスの纏う雰囲気はそれよりいくらか鋭い、冷静なものだった。

 

「時間がない、単刀直入に伝えよう。これから君には重要参考人として聴取を受けてもらう。今、ギリシャ魔法界の特使を受け入れたところだ」

「ギリシャ……まさか」

 

 最悪の想像が脳裏によぎる。

 揺れる金の鎖。紫絹の目隠し。無垢な笑みとは裏腹の、呼吸だけで人を殺すような重圧。

 パイアスはゆっくりと頷いた。

 

「グリンゴッツ魔法銀行ギリシャ支店が崩壊した。現地は暗闇に包まれていて、七日歩いても端に辿り着かないそうだ。……中央に辿り着いたギリシャの調査隊は、これを見つけたそうだよ」

 

 パイアスは机の上に小さな何かを置いた。

 それは金でできていた。広げた翼には艶があり、嘴は凛々しく、手のひら大とは思えない見事な作りのオオガラスの像だった。

 像は対になっていた。2羽のオオガラスが仲睦まじく羽根を繕いあっている。しかし、その2羽は土台に鎖で縛り付けられていた。

 背筋を汗が伝う。

 

「幸い、君があれの金庫に入ったという公的な記録は残っていない。証言するゴブリンもいない、全滅したからね。しかし、グリンゴットはこの件で君の意見を聞くべきだとスクリムジョールに主張した」

「……ハーポが今、この世に放たれたと?」

「そう思っていいだろう。すまないけれど、僕には庇えない。スクリムジョールは当初からグリーングラス家の研究を疑っている。君には禁書であるハーポの伝記を入手しようとしたという過去がある」

 

 スクリムジョールに疑われる程度のことはどうということでもなかった。

 ダフネは肌が粟立つのを感じた。ハーポが解き放たれたのだ。あの重圧が今、どこかにいる。悠々と闊歩している。

 まだ、()()()()()()()()()1()()()()

 

「情報を共有してほしい。ハーポの目的はわかるかい?」

「ハーポは……」

 

 記憶が蘇るだけで、頭痛が走った。

 しかし、もはや猶予はない。ダフネは静かにパイアスの問いかけに答えた。

 

「……ハーポは、私に再会を約束しましたわ」

「そうか。では、ハーポはイギリスに向かっているというわけだ。……厄介なことになった。近隣諸国の情報網を片っ端から借りているが、あれの足跡に関する情報は一切入ってこない」

 

 それはそうだろう。

 ハーポは闇の魔術師と呼ぶにはあまりにも古すぎる、深淵の向こう側にいる存在だ。それでいて彼の姿はあどけない美少年でしかない。隠れようと思えばいくらでも隠れられるだろうし、身分を偽ろうと思えば好きなように偽ることができるだろう。

 足元が崩れるような感覚。

 あの闇が、邪悪が、死が解き放たれた。ダフネを目指して一歩ずつ進んでいる。森も、山も、海も、彼を隔てる障壁足りえないだろう。

 じわじわと、実感を伴わない緩やかな恐怖。その中で、ダフネの理性だけが急速に回転していた。

 

「……ハーポはヴォルデモートと接触するでしょう。分霊箱の発明者として、彼はヴォルデモートに強い興味を示していましたわ。接触の現場を押さえられれば、あるいは」

「そうか。……しかし、まだやつの生存を公にするわけにはいかない」

「俺が行きます、副長」

「ガウェイン、これはひとりでどうにかできる問題ではない。かといって組織立って動くわけにもいかない。本件は表向き魔法事故として処理される」

「魔法事故? 言い伝えられていたような伝説の闇の魔法使いがシャバに出たんですよ!」

「だからこそだ。まだ独立してから歴史の浅いギリシャ魔法界が国際社会に多大な借りを作ることになれば、情勢は不安定さを増すことになる」

 

 ふたりの会話がダフネにはうまく理解できなかった。

 呼吸がおぼつかなかった、あの空間が想起される。立方体の部屋に鎖が揺れている。水音が聞こえる。中央で、目隠しの向こうからあれが見ている。

 パイアスが大きく息を吐いた。

 

「……わかった。僕がなんとかしよう。まずは聴取を乗り切ることだね」

 

 その時ちょうど、扉がノックされた。

 

「局長が第三取調室でお待ちです」

「行っておいで、ダフネ。……心配することはない、元々これはおじさんたち大人の魔法使いがどうにかしなければならなかった問題なんだ。数千年先送りにしていた難題が今目覚めたというだけだよ」

「……しかし」

「大丈夫だ、ダフネ。俺達がついてる。そうだろ?」

 

 ダフネはようやくゆっくり頷いて、踵を返した。

 闇祓い局の廊下は静かで、清潔だった。ホグワーツのように絵画が囁くこともないし、床が甲高い悲鳴を上げることもない。

 そして、第三取調室の表札がかかった部屋の前に辿り着いた。

 

「入れ」

 

 ダフネは部屋の中から促されるままに扉を開いた。

 癖の強い髪を強引に撫でつけ、豊かな眉を険しく歪めている。わずかに寄った皺は(いかめ)しく、老いた獅子のような印象を与える。

 ルーファス・スクリムジョールがそこにいた。

 

「ダフネ・グリーングラスだな」

「はい」

「座りなさい」

 

 ダフネはパイプ製の古びた椅子を引いた。床が嫌な音を立てた。

 しばらく黙って、スクリムジョールはダフネのことを見つめていた。その間にダフネは多くのことを考えた。

 闇が迫っている。太古の深淵から這い出た悪夢が、ダフネを追っている。目的は何なのか。ダフネの命か、それともヴォルデモートか、あるいは他に何か目的があるのか。

 アステリアだけは、なんとしてでも守らねばならない。

 やがて、ようやくスクリムジョールは口を開いた。

 

「偽りなく、全てを語りなさい」

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