取調室は無機質な木張りの壁で覆われていた。窓はなく、椅子は動かせるものの鎖で可動域を制限されていた。
足元をちらりと見れば、溝が空いている。噂通りならこれは被疑者を閉じ込めるための檻が格納されているもので、不審な動きを見せればすぐさませり上がってくるのだろう。
ダフネには取調室を悠長に観察する自由があった。スクリムジョールは眉間に皺を寄せテーブルを指先で叩いていたが、何かを強制することはできなかった。少なくとも、ダフネはまだ一切の法を犯していないのだから。
しかし、状況はさほど悠長にしていられるものではなかった。
「君がホグワーツに入学する前のことだ。腐ったハーポの伝記を手に入れようとフローリアン・フォーテスキューと取引をしたな。そしてこの夏にギリシャに渡った。君はグリンゴッツの頭取と懇意にしていると報告を受けている」
スクリムジョールは追い詰めるように事実を列挙した。
なるほど、確かにダフネは怪しい立場だ。腐ったハーポについて調べていて、その居場所を知る人物ともやり取りがあり、実際に現地に赴いている。状況だけで見れば黒と言っていい。
しかし、ダフネは知っている。
原作でスクリムジョールは酒場で「自分は死喰い人だ」と嘘をついて自慢したスタン・シャンパイクという若者をアズカバンに放り込んだ。
これをハリーはスクリムジョールの無能さを示すエピソードと捉え、実際にスクリムジョールと魔法省を糾弾する足がかりとして使いもした。
しかし、実際はそうとは断言できない。スクリムジョールは市民感情を意識できる為政者であり、そのために政治的な判断を下せる柔軟な人物であるとダフネは考えている。つまり、大局のためなら多少の犠牲を厭わない人間であると。
「グリーングラス家からは過去に死喰い人と名乗る過激な闇の魔法使いも出ている。……自分の立場がわかっているかね、ダフネ・グリーングラス」
「私がヴォルデモートの復活を目論んで腐ったハーポの脱走を手引きしたと?」
「……その名前を口にできることは、やつに与していないことの証明にはならない」
スクリムジョールは不快感をあらわにして鼻を鳴らした。その瞳には怯えではなく、憎悪がちらついていた。
「何を知っている? 何を企んでいる? すべて正直に話すのが身のためだ」
「閣下はヴォルデモートが生存しているとお考えかしら」
「質問をしているのは私だ」
スクリムジョールは身を乗り出した。
憎悪とかすかな狂気。闇祓いは皆、死喰い人やヴォルデモートの話をする時に多かれ少なかれこの色を瞳に宿す。それはもはや職業病と言ってよかった。
スクリムジョールはクラウチが命じ、ムーディが指揮する戦場で戦い続けた戦士だ。彼の闇に対する憎悪は、彼の理性で統御できるギリギリのラインにある。
しかし、統御できているうちは、スクリムジョールはダフネの敵ではない。
「では、もう少し質問を具体化してくださるかしら。子どもの長話は退屈でしょう?」
問題はどうやって敵でないことを証明するかだ。
元々、ダフネは分霊箱に関する情報を開示できるようにするためにアーマンドを頼った。トム・リドルの教育者だった彼がトム・リドルの不死性について調べていることはなんらおかしなことではない。
しかし、アーマンドを生存させることを選んだ今、ダフネは分霊箱を知っている言い訳に彼を使うことができない。
かといって闇祓い局との連携を先送りにするわけにはいかない。ハーポが脱獄した今、ダフネの計画はすべて崩壊した。
もはや原作頼りでは何もできない。
「いいだろう。ハーポに会ったか?」
どう答えるべきか。
原作にハーポはいなかった。所詮は蛙チョコカードに登場する過去の伝説。どこかでダフネは腐ったハーポを甘く見ていたのではないか?
ここから先は未知の戦いになる。ダフネはアドバンテージを失った。足元が崩れるような感覚。
「はい、会いましたわ」
ここからはダフネ個人の力で戦うしかない。
原作知識を持つ転生者としてではなく、この世界に生きるひとりの魔女として、この政局を戦いきるしかないのだ。
スクリムジョールはダフネの返答に一瞬目を剥いたが、すぐに机の下から羽根ペンと羊皮紙を取り出した。
「羽根ペンを取れ」
ダフネは躊躇うことなく羽根ペンを手に取った。
わずかに覗き込まれるような感覚が走ったあと、羽根ペンは羊皮紙の上を走りはじめた。それはどうやら、ハーポの人相書きだった。
柔らかな頬の輪郭。質のいい絹の目隠し。あちこちを飾る金の鎖。到底古き闇の魔術師とは思えない人相に、思わずといった様子でスクリムジョールがこぼした。
「子どもなのか?」
「肉体だけですわ」
「……次の質問だ。ハーポに会った目的は」
「分霊箱の破壊方法を求めて」
「分霊箱?」
スクリムジョールが知らないのも当然だ。ダンブルドアですら実物を目にするまで確信は得られなかったのだから。
ここからが勝負だ。
ダフネを闇の魔術師だと思わせず、ヴォルデモートの敵であると認識させたうえで、スクリムジョールにヴォルデモートが復活する可能性を伝えなくてはならない。
そのためには、どこでどうやって分霊箱を知ったかを説明する必要がある。
どうするべきか。
「分霊箱とは、ヴォルデモートの不死性の源泉たる闇の魔術です。腐ったハーポがそれを発明しました。魂を分割し、器に保存することで現世に自らを縛り付ける鎖を作る術ですわ」
「……興味深い。本人から教えられたのかね」
「いいえ。……彼の師、アーマンド・ディペット先生が罪滅ぼしのために調べたことを、伝え聞いたのです」
これは賭けだ。
アーマンドが知らないと言えば、ダフネは終わる。闇の魔術の秘奥を知り、その発明者と結託し、闇の帝王を復活させようとした邪悪な魔女としてアズカバンに送られることになる。当然真実薬と開心術も使われるだろう。
原作知識が世に公開される。そのデメリットは計り知れない。
もはや原作知識は枷と化した。これから先、ダフネは真実薬と開心術を避けるためにどこまでも法の下にいなくてはならない。そして法に守られ続けるとはつまり、ダフネは法を破ることができないということだ。
そのためには、これまで手に入れた多くのつながりを頼るしかない。
「ディペット先生は自らの教え子、トム・リドルがヴォルデモートとなったことを知り、自責の念に駆られました。そしてその過去を調べ、分霊箱に辿り着いたのです」
「なるほど……なるほど」
「そして私は先生からヴォルデモート討伐という任を継承しました。そのためにはまず、分霊箱の壊し方を知る必要があったのです。しかし、古い闇の魔術についての資料はほとんどなく……そんな折、分霊箱を発明した本人が囚われていると知ったのですわ」
筋は通る。
ダフネはまずアーマンドの助力を求めた。誰よりも最初に彼を頼った。それはダフネの表向きの行動指針――対ヴォルデモート戦略を一貫させる意味があった。
スクリムジョールは無表情のままだった。
そう簡単に信じはしないだろう。しかし、これを嘘と断じることもできない。これからスクリムジョールはトム・リドルという人物について調査することになる。そして彼の足跡は彼自身の手によって徹底的に消されている。調査は難航するだろう。
時間を稼ぐことはできる。
その間にダフネが実績を作れば、魔法法執行部はダフネを支持する流れになる。その流れを作れば、公人であるスクリムジョールがそれを無視することはできない。たとえ彼の胸中にわずかな疑念が残ろうとも。
「事は急を要しますわ。分霊箱の発明者が脱獄した今、ヴォルデモートの復活は迫っていると言っていいでしょう。すぐに動かなければ――」
「一応言っておくが、君の前に座っているのは闇祓い局の局長で、例のあの人に対処するのは我々の仕事だ。君のようなホグワーツの学生が出る幕ではない」
「では、情報をご提供すればご協力いただけるのかしら?」
「我々には独自の捜査手段がある。そしてそれを果たせるだけの能力ある部下たちも。わかるかね、ミス・グリーングラス。君は手助けを乞われている立場ではない。正体を疑われている立場なのだ」
かすかに苛立った様子でスクリムジョールは眉間に皺を寄せた。
彼ら闇祓いにはプライドがある。長年闇と戦ってきたというプライドが。そして、闇との戦いは陰謀との戦いだ。易きに流されて失敗した経験は一度や二度ではないだろう。
つまり、すぐに魔法法執行部を味方につけることはできない。
パイアスやガウェインのような個人的な味方はいても、闇祓い全体とその指揮官であるスクリムジョールはダフネの味方ではない。彼らは自らの力のみで戦うことを選んだ。ダフネが提示した情報は批判的に検討され、判断次第で捜査材料のひとつとして加えられる程度だろう。
それは正しい判断だ。裏取りをしない法執行部に存在意義などありはしない。しかし、この急事においては、いささか遅きに失する。
「ミス・グリーングラス。私の考えでは、君はルシウス・マルフォイの手先なのではないかね」
「闇祓い局はルシウスおじさまを疑っていると?」
「彼にはそういった疑いを向けられるだけの過去がある。それは彼自身も承知していると思うが」
「そうかしら。ウィゼンガモット大法廷で無実を勝ち取った人物に疑いの目を向けるのは法執行機関として正しい姿とは思えませんわ」
「法執行機関の正しい姿は私が決める」
「いいえ、それを決めるのは市民ですわよ」
しばらく、ふたりは黙っていた。
スクリムジョールは強権を発揮できるタイプの指揮官だ。気質としてはクラウチに近い。しかし、クラウチほど視野は広くない。魔法大臣になるよりは闇祓い局で指揮を取っていたほうが向いているだろう。
その彼に疑いの目を向けられているというのは、もちろんいい状況ではない。いい状況ではないが、最悪とも言えない。ダフネに対する疑いがスクリムジョール止まりであるうちはまだ自由に動くことができる。
悪い言い方をすれば、所詮彼は闇祓い局の局長に過ぎないのだから。
扉がノックされた。
「――局長、失礼します」
「なんだ、今聴取の最中だぞ」
「しかし、その……スラグホーン教授がいらしています。ダフネ・グリーングラスと約束があると」
魔法省には致命的な欠陥がある。
健全な財政構造を構築できていないがために、スポンサーを黙らせることができない。
スクリムジョールはダフネを睨んだ。
「さて、随分と厳しい聴取でしたが……お役に立てないようですし、お暇いたしますわ。もし私がお役に立てるときがありましたら、いつでもお呼び立てを」
「……我々は君を見ているぞ、グリーングラス」
「そして我々もまたあなたたちを見ていますわ、闇祓い局の局長さん。では、失礼」
ダフネは立ち上がった。
椅子の周りを囲っていた溝からは、檻は現れなかった。
席についたままダフネを睨み続けるスクリムジョールをよそに、ダフネは取調室をあとにした。
迎えに来たのがガウェインで本当に助かった。
そのまま応接室に通されたダフネは、そこで初めてその男と顔を合わせた。
「ほっほう、では君が! いや、大変なことになったな。アーマンドから話は聞いているが……」
ホラス・スラグホーン。
ヴォルデモートが分霊箱を作るため、最後の後押しを求めた人物。
彼が動かないはずがないのだ。分霊箱について学術的に理解している彼は、当然その起源である腐ったハーポを知っている。腐ったハーポの脱獄という言葉の重さを理解している。
だからこそ、
根本的にスラグホーンとは良心的な一市民だ。そして、彼は自らを大物だと思っている。誰かを救うことができ、誰かを救わねばならないと。
その臆病な勇気は、分霊箱というキーワードによって刺激される。
そしてそこに催促が加わる。アーマンドが「ダフネを助けてやってほしい」と頼れば、スラグホーンはかつての上司を無下にはしない。
「お手を煩わせてしまい申し訳ありませんわ、スラグホーン先生!」
「いや、いや! アメリア・ボーンズとは知己の仲だ、これくらいのことは煩わしいとすら思わんよ! では行こうか。少しお茶をする時間はあるね? 何、セブルスもいいと言うに決まっているが」
「もちろんです、喜んで」
スラグホーンに手を預けて、ダフネは闇祓い局の暖炉へと向かった。
闇祓いたちがふたりを見守っている。心配そうにする者もいれば、ダフネにわずかな警戒の視線を向ける者もいる。できるだけ早く、彼らを味方につけなければならない。種は蒔いた。あとは芽吹くのを待つだけだ。
「おお、ジョン! ジョン・ドーリッシュじゃあないか! 元気にしてたかね、ええ?」
「……ええ、先生のおかげで元気に働いております」
「それは結構。すまないが、彼女とは先約があってね。聴取は終わったのだろう? なに、ホグワーツの3年生が今回の事件についてどこまで役に立つか私には皆目見当もつかないが……そういうわけだ、今日のところは失礼するよ。また食事でも」
「もちろんです、先生」
ドーリッシュと呼ばれた闇祓いが表情を強張らせたまま会釈をした。
スラグホーンは煙突飛行粉をむんずと掴み取り、暖炉に入ってダフネの肩を抱いたまま大きな声で宣言した。
「スラグホーン邸へ!」