その血は呪われている   作:海野波香

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 毛玉ひとつない柔らかな布張りのソファと上等なアフガニスタン絨毯が暖炉の前で温められていた。快適さを求める主と献身的な召使いの顔が見えるような部屋だった。

 スラグホーンは暖炉から出るやいなや指を鳴らした。するとすぐに複数の屋敷しもべ妖精が現れ、灰を払い落としたり飲み物を用意したりした。スラグホーンはそれを当たり前のように受け入れた。

 

「ドライクランベリーは好きかね? ゴールドスタイン氏が贈ってくれたものに入っていたのだが、わたしが食べるには少々酸い」

「喜んでいただきますわ」

 

 スラグホーンは長年の友人を招くようにダフネを席に招き、その向かいにどっかりと座った。何度か尻の位置を調整して、ようやく満足のいくところに落ち着いたのか、大きく鼻息を吐き出した。

 しもべたちが紅茶とブランデー、ドライクランベリーとドライパイナップルを用意する中、スラグホーンは興味深そうにダフネの瞳を見つめた。

 

「イオ・グリーングラスによく似ているな。彼女よりも少し穏やかで、華やかで、奥ゆかしい。しかし、奥底には彼女よりも熱い何かを秘めている」

「あら、目だけでそこまでわかるものかしら」

「わかるとも! そう、わかるのだよ。わたしは人を見る目に関しては少しばかりの自信がある」

 

 琥珀色の液体に満たされたグラスを手に取りながら、スラグホーンは自慢げに指を振った。そして一口ブランデーを含むと、思い出したように瞳を燃え上がらせた。

 

「その点、スクリムジョールは人を見る目というものがない! あまりにもない! こんなにも可憐で志のある少女に聴取などと!」

「まあまあ先生、私が疑わしい素振りを見せたのがいけなかったのですわ」

「いいかねダフネ、子どものちょっとしたやんちゃを本気に取るのはまともな大人のやることではない。そうとも、まともではない……」

 

 スラグホーンはうんざりした様子で首を横に振った。たっぷりの顎肉が豊かに堂々と揺れた。

 衝動を堪える必要があった。

 スラグホーンは分霊箱を知っている。トム・リドルに助言を与えられる程度には知っているのだ。それはつまり、分霊箱を発明したのが誰かということをも知っているということになる。

 もしスラグホーンを味方につけられれば、ハーポに対抗する手段が何か見つかるかもしれない。あの旧き魔術師の深淵に蓋をする術が見つかる可能性がある。

 しかし、それを求めるのは絶対に今ではない。

 

「いつだってまともでない状況にはまともでない判断がついて回るものです、そうでしょう先生?」

「ん? んむ、そうかもしれん。ギリシャの件かね。気味の悪い話だよ。ギリシャ魔法省には友人がそれなりにいるが、口を揃えて原因がわからないと言っている」

「ええ、本当に不気味なことです」

 

 ダフネはティーカップを指先で持ち上げた。

 ありがたいことに、スラグホーンはダフネのことを非凡な子どもだと思ってくれている。そう、子どもだ。彼にとってダフネは保護すべき、そして罪のない存在なのだ。

 だからこそ、今スラグホーンにハーポの話をするわけにはいかない。彼の贅沢な庇護欲を活用するためには、ダフネはまだ子どもでいなければならないのだ。

 カップの水面が震えなかったのは奇跡だった。

 実感が伴わない中、それでもダフネは恐怖に震えていた。今すぐ全てを壊してしまいたかった。それでも、積み重ねてきた全てがダフネにそれを許さなかった。

 

「そんなことより、中々興味深い話を耳にしたぞ。なんでも君は純血だけが入ることができる勉強会の主宰者なのだとか」

「ええ、蒼の貴血という勉強会をやらせていただいていますわ。学外の後援者の皆様に手伝っていただいて、なんとか軌道に乗ったところですの」

「ほっほう! それはいい。しかし、アルバスがよく認めたものだ。あの男は根っからのマグル贔屓だからな」

「マグルにはマグルの得手が、魔法族には魔法族の得手があるものでしょう? 私は魔法族のお友達が得意なことを磨くお手伝いをしているだけですわ」

 

 微笑む。

 己を鼓舞する。そうだ、微笑めダフネ・グリーングラス。まだなにも終わってはいないのだから。

 魔法族、純血。主語のすり替えなどというありきたりなレトリックに騙されてくれるほどスラグホーンはやりやすい相手ではない。

 だからこそ、意図ははっきり伝わる。ダフネが純血至上主義や魔法族至上主義でないことは語るまでもなく、今の対話ではっきりと示される。

 スラグホーンは嬉しい驚きという様子で眉を上げた。

 

「いやはや、君のような面白い生徒がわたしの時代にいれば! 間違いなく勉強会の参加人数は2倍、いや、3倍になっただろう。間違いなくね」

「ええ、先生の人望は今もスリザリンで語り継がれていますわ。私もスラグ・クラブがない時代のホグワーツを少し寂しく思いますもの」

「そうか、そうか!」

 

 スラグホーンは満足げに笑い、グラスを傾けた。

 

「大切なのはな、ダフネ、やりたいことに集中できる環境だ。そうだろう? 安心していい、明日から君のやりたいことはもう少しうまくいくようになる」

 

 つまり、スラグホーンはダフネの後援者に名乗り出たということだ。

 もちろん、スラグホーンは愚かではない。ダフネがどこで何をしてきたかを理解しているだろう。ダフネの名前は今やホグワーツだけでなく、魔法省に、ウィゼンガモットに広がりつつある。

 そして、それら全てをひっくるめて、スラグホーンはダフネを価値あるコネクションと評価した。なんなら乗り遅れたとすら思っているかもしれない。

 スラグホーンはポジティブな影響力の持ち主だ。ルシウスにもクラウチにもできない、恩と義で人を動かすということがこの男にはできる。ダフネにとって必要な、そして重要な手札が加わった。

 

「あら、先生は私の幸運薬ですわね」

「その通り、飲み過ぎに注意さえすれば世はすべて事もなしというわけだ。……ところで、一応確認しておきたいんだが」

 

 スラグホーンは神妙な表情になり、グラスをローテーブルに置いた。

 

「ルシウス・マルフォイはギリシャで君に何をさせたのかね」

 

 やはり、とダフネは胸の中でこぼした。

 ルシウスを味方に引き込んだデメリットが表出しはじめている。

 先の戦争で死喰い人の統率者として多くを殺したルシウスは、今もなお闇の魔術師と見られている。善良な魔術師ほどダフネに力を貸したがらないだろう。

 スラグホーンにとって、ヴォルデモートに手を貸さないというのは絶対のルールだ。そのルールが彼自身の心を守っている。だからこそ、ダフネがルシウスの手駒でないことを確認する必要がある。

 信用したような笑顔を見せながら信用しきらないという点で、スラグホーンは実にスリザリンの寮監らしい人物だった。

 

「実は、人事のことで賭けをしていたのです」

「賭け?」

「ダンブルドア校長の進退についてですわ。当時、理事会ではセオドール・ノット・シニア氏を推す声が強かったのです。ルシウスおじさまはダンブルドア校長が秘密の部屋の事件で退任なさるとお考えでしたわ」

「しかし……君はそうではなかった、と?」

「まだダンブルドア校長には教えていただきたいことがたくさんありますもの。だからルシウスおじさまと賭けをして……その賭けで勝つために私が少しズルをしたことは先生もご存知でしょう?」

 

 スラグホーンは呆れたように笑った。

 秘密の部屋に関する事件は表向き闇の魔法道具が自律して引き起こしたことになっているが、最終的にハリーとダフネがバジリスクを仕留めたことまで含めて噂になっている。

 

「あの男を留任させるためにバジリスク退治をしただなんて表沙汰にしてみたまえ、ファッジは君にマーリン勲章を授与するぞ。少なくともノットが校長になっていたらファッジの心は持たんかったろう」

「でも先生、私たちの世代にとって校長といえばアルバス・ダンブルドアですわ」

「ディペットのやつが泣くぞ。君が闇祓いに連行されたと聞いて真っ先にふくろう便を寄越したというのに」

 

 責めるような口ぶりだったが、目は笑っていた。

 ダンブルドアとスラグホーンはアーマンドが校長だった頃の同僚だ。しかし、きっとアーマンドは彼らにとっていい上司ではなかった。

 きっとスラグホーンにとってもダンブルドアが校長になったのは納得の人選だったのだろう。あるいは、自分に校長などという重責を押し付けられなくてホッとしているのだろうか。

 快適さを求めてゆっくりと這うカタツムリ。厄介事は殻にこもってやり過ごし、晴れよりもむしろちょっとした小雨を好む。

 その小市民的な気質はダフネも好ましく思っていた。だから、彼を無理に振り回すつもりはない。ダフネが用意するのは、彼が喜んで殻を脱ぎ捨てられるような湿った大地だ。快適さを感じながら安心して協力してもらわねばならない。

 

「まあ、いい。なるほど、ギリシャ旅行は賭けに勝ったご褒美というわけか」

「ええ、仰るとおりですわ。でも、ひどいんですのよ。おじさまったら旅行だってお約束したのに、マルフォイ家のお仕事のついでだったんです。アブラクサス様とご一緒できたのは嬉しかったですけれど」

「ほう、アブラクサスが!」

 

 ようやく、アブラクサスが同行した理由がわかった。

 アブラクサスは予想していたのだ。ギリシャに行くことでダフネにルシウスの手駒という嫌疑が向くことを。

 しかし、アブラクサスが同行することで旅行はルシウス個人ではなくマルフォイ家としてのものになる。つまり、ダフネはルシウス個人ではなく、マルフォイ家と親しくしていると示すことができる。

 そして、アブラクサスは死喰い人ではない。

 スラグホーンは安心したように笑って、ドライパイナップルをつまんだ。

 

「そうか、そうか! アークタルス御大といいアブラクサスといい、君はどうも年上に強いタイプらしいな」

「そんなことありませんわ。これでも私、先生の前で緊張していますのよ?」

「はっは、そういうあどけなさが年寄りには刺さるものだ。しかし、そうか、マルフォイ家の仕事か。確かにあの家はギリシャ独立に一枚も二枚も噛んでいたわけだが」

 

 そう、表向きマルフォイ家がギリシャを訪問する口実は山ほどある。ギリシャ魔法省からすればマルフォイ家は国賓なのだ。

 今、ルシウスはギリシャに渡っているだろう。ダフネが指示するまでもなく、彼はハーポについて情報を集めつつこの一件でイギリス魔法界が不利益を被らないよう工作をするに違いない。

 なにより、今のルシウスにはクラウチという表の外交の手札がある。今のダフネ陣営がこの一件で手傷を負うことはない。

 

「そういえば、わたしは気に入った生徒に必ずする質問がある。君の将来の夢は何だね?」

「将来の、夢」

 

 真っ先に浮かんだのはアステリアの顔だ。

 あの瀟洒なグリーングラスの屋敷で、小さなリンゴ農園を手入れしながら静かにゆっくりと暮らしていきたい。

 しかし、ダフネは目を閉じてその夢を追い払った。もはや、その夢は叶わない。ダフネはいい加減、自分が引き返せないところに来たことを自覚しなければならない。

 新生ブラック家の次期当主の姉として、純血の新たな派閥の領袖として、そして改革を志す者として。ダフネはゆっくりと口を開いた。

 

「英国魔法界議会。その最初にして最年少の貴族院議員になるのが、私の目標ですわ」

「……それはまた、大きく出たな! 議会ときたか!」

「簡単に叶う夢でないとは思っています。でも、魔法省とウィゼンガモットの関係が健全でないことは先生もご承知でしょう?」

「それは、まあ、そうだが……」

 

 スラグホーンは戸惑ったように目を瞬かせた。

 魔法族の多くが政治に関心を持たないのは、政治に関する教育を受ける機会がなかったからだ。しかし、一部の純血に関して言えば、家庭教育は十二分に充実している。

 そして、スラグホーンは政治の教育を受け、政治に関心を持つ貴重な魔術師だ。それでいて、彼は為政者になることに興味がない。彼に必要なのはコネクションであって、権力ではないのだから。

 

「そのためには多くの協力者が必要だと考えています。先生のように優れた方々と良き関係を構築する術を、私も身に着けたいと思っているのです」

「ふむ……」

 

 スラグホーンは髭を撫でながら唸った。難しそうな顔をしていたが、その唸り声には満更でもない響きがあった。

 魔法界に議会ができる。そうなれば、スラグホーンのコネクションはより快適さを増すだろう。そのような好機を見逃すはずがない。たとえ実現しなかったとしても、スラグホーンはすでにダフネというコレクションを得ている。

 

「スラグホーン先生。私はきっと、先生から多くを学べると思いますわ」

 

 スラグホーンという駒を得るためには、自分から近寄ってはいけない。

 近づく価値のある、コレクションとして魅力的な存在になってはじめて、スラグホーンは自ら近寄ってきてくれるのだ。ダフネはずっと、彼が接触してくるのを待っていた。

 ややあって、グラスを空にしたスラグホーンは笑った。

 

「基礎から教える必要はないようだ。クリスマス休暇が近くなったら予定を教えなさい。バーナバス・カッフに会わせよう」

「日刊予言者新聞の編集長の?」

「実は彼を新聞社に推薦したのもわたしだ。ニュースについてのわたしの見解を常に気にしている。そういうわけだから、君の声を世に届ける日が来たら彼の力を借りることになるだろう」

 

 スラグホーンは杖を一振りしてドライクランベリーを品のいいシルクのハンカチに包み、ダフネに持たせた。

 どうやら、今日はこれで解散のようだ。

 

「あまり生徒を長居させてアルバスを怒らせてもいかん。あの男はあれで怒ると中々怖いからな」

「わかる気がします。では先生、お手紙をお送りしますわ」

 

 ダフネは立ち上がって会釈すると、煙突飛行粉を掴んで暖炉の前に立った。

 布石は着々と積み上げている。あとは生き残るだけだ。なんとしても生き残らなければならない。まだ何も始まっていないのだから。

 

「ホグワーツへ!」

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