その血は呪われている   作:海野波香

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 ギリシャの魔法大臣にそれらしい助言を伝えて落ち着かせたあと、暖炉の前でダンブルドアは小さく息を吐いた。

 厄介なことになった。

 ギリシャ魔法省の人々は揃いも揃って口を閉ざしているが、その態度がむしろ雄弁だった。腐ったハーポの脱獄。おおむね最悪の事態と言っていいそれは、ダンブルドアにとっても決して他人事ではなかった。

 

「歴史とは恐ろしいものじゃのう、フォークス」

 

 若鳥の姿にまで育ったフォークスが小さくくしゃみをした。

 古の術、分霊箱が表舞台に現れた。昨年度、ハリーとダフネが破壊した日記帳のおかげでダンブルドアはヴォルデモートの不死性についてその源泉を知るに至った。最も忌むべき闇の秘術が、ヴォルデモートをこの世に繋ぎ止めている。

 それでもダンブルドアが動かなかったのは、分霊箱の数がわからなかったからだ。すぐに動いてヴォルデモートに警戒されれば、最悪千日手に陥る可能性がある。

 時間はヴォルデモートの味方だ。

 ダンブルドアは老い、ハリーもまたいつかは死ぬ。予言はハリーかヴォルデモート、どちらか一方の生を語っている。ハリーが死ねば、ヴォルデモートはその時ついに永遠の生を得る可能性がある。

 

「……正気の沙汰ではないよ、トム」

 

 一体、ヴォルデモートは魂をいくつに分けたのだろうか。

 まともな人間なら、試すことを考えたとしても一度きりだ。しかし、ヴォルデモートがまともな考えをするだろうか? 執念のために長期的なリスクを度外視する。それがダンブルドアの考えるヴォルデモートだ。

 そして、分霊箱が複数あると考えれば、ここしばらくのルシウスとダフネの怪しい動きにも納得がいく。おそらく彼らのどちらかは日記帳を破壊したタイミングですでに他の分霊箱を見つけていたのだろう。ルシウスに裏切りを決意させるには十分な機会だ。

 問題は、ダフネがいつから分霊箱を知っていたか。

 

「――お呼びですか、校長」

「セブルス、そろそろ我々は認識をすり合わせるべきなようじゃ。ダフネ・グリーングラスという謎について」

 

 スネイプは土気色の鉄面皮にうっすらと疲労をにじませていた。

 ここしばらく、スネイプは授業の合間を縫って元死喰い人と接触し続けていた。それも、マルフォイ閥に属する純血たちに。それらは全て、ルシウスとダフネの思惑を読み解くためだった。

 魔法省やウィゼンガモットに指をかけるダフネの振る舞いは若い頃のダンブルドアによく似ていた。しかし、ふたりには明確な違いがあった。若さに任せた漠然とした功名心か、明確な目的意識を持った()()()()()か。

 そろそろ、ダンブルドアはダフネという()()()を認識する必要があった。

 

「ルシウス・マルフォイはグリーングラスを新たな領袖として担ぎ上げるつもりのようです。純血の連帯、純血主義の巨大な派閥が作られようとしています」

「問題はその目的じゃ。……そう、ダフネは見事、純血に緩やかな目的意識の共有を成し遂げた。その手腕は天晴と言うほかないようじゃのう」

 

 反ヴォルデモートの純血主義派閥が成立しようとしている。

 ルシウス・マルフォイとバーテミウス・クラウチを両翼とし、アークタルス・ブラックの名を背負い、妹にアステリア・ブラック-グリーングラスと名を与え、ダフネは今や一大派閥の長となった。

 ヴォルデモートがお題目として唱えた破滅的な純血至上主義。レストレンジやロジエールのような狂信的な配下を惹きつけた破滅的なその主張を、先鋭化した時代遅れの過激派と切り捨てる。魔法界のために戦う穏健派純血の派閥だ。

 それは一見、悪いことではないように思える。しかし、ダンブルドアにとっては大きな懸念事項だった。果たして彼らは不死鳥の騎士団と連帯しうるのか?

 いや、そうではない。

 ダンブルドアはすっかり暗くなった窓の外を見た。今、アテナイの空はこれよりさらに暗いと聞く。そこに未来はあるのだろうか。

 そう、問題は未来だ。

 

「校長、やつは危険です。あと一歩でも傾けば、やつは第二の闇の帝王になりうる」

「そうでなくとも……マグル生まれや半純血にとっては苦しい時代がやってくるのかもしれんのう」

 

 フォークスを撫でると、若鳥はくすぐったそうに鼻から火を吹いた。

 ヴォルデモートさえ殺せればいいと思っていた。十分すぎるほどに生きた。生きすぎたとすら思う。もはやこの命はヴォルデモートを討つために使い切ればそれでいいと、そう考えていた。そのための策すら組み立てていた。

 しかし、状況が変わった。

 まるでヴォルデモートの分霊箱が破壊されたことと連動するかのように、腐ったハーポが世に姿を現した。20世紀の終わりが見えるこの時代に、語り継がれるのみとなったはずだったおとぎ話の悪が解き放たれたのだ。

 ()()()()()()()()

 ダンブルドアはハーポに勝つ自信がある。古代ギリシャの巨悪は確かに恐ろしい敵だが、それだけだ。ハーポがいかに強力な存在だろうと、数千年の蓄積が彼を時代遅れにしている。負ける道理はない。ダンブルドアは当代最新の英雄なのだから。

 万が一ダンブルドアがハーポに後れを取ったとしても、()()()()()()。どんな最悪の事態になろうと、ハーポがイギリスを壊滅させることはないとダンブルドアは確信していた。

 しかし、多くの魔法族にとってはそうではない。ハーポは魔法族にとっての危機である。その事実こそが、ダンブルドアに真の危機をもたらしていた。

 

「ハーポが手を貸せば、ヴォルデモートはたちまちのうちに復活するじゃろう。過去に類を見ない危機じゃ。それを前にして、きっと魔法界は大いに団結する。……そう、ダフネを旗頭として」

「すでにグリーングラスは校内で自らの派閥を作り上げております。学年も寮も超越した大規模な連帯です」

「しかし、そこにマグル生まれや半純血の席はない。ヴォルデモートを追いやりつつあるように、ダフネの思い描く世界では純血がピラミッドの頂点にいるようじゃのう」

 

 マグル生まれや半純血が飼いならすべき家畜と見なされる社会。

 ダフネの思想、その全貌が少しずつ見えてきた。必要の部屋は彼らが思っているほど沈黙を保ってくれる部屋ではないのだ。

 もちろん、平時であればダンブルドアも聞き耳を立てるような真似はしなかっただろう。しかし、ダフネはダンブルドアの記憶を大いに刺激するほど精力的だった。その先にある栄光と破滅を知っているダンブルドアは、彼女の思想を知りたいという誘惑に負けた。

 そして、ダフネたちが唱えるそれはダンブルドアの理想とは反していた。思わず自らの死を前提とした計画を修正してしまうほどに、ダフネの目指す社会は聞き捨てならないものだった。

 ダンブルドアにとって至上の目的だったヴォルデモートの討伐は、今や少しずつ過程へと移行しつつあった。巨悪を討ち取っても日々は続く。その日々が破滅していれば、それはダンブルドアの求める勝利ではないのだ。

 勝ち方を選ぶ必要があった。

 

「弱者には負け方を選ぶ権利すらない。その点においてわしは恵まれておる。勝ち方を選ぶ程度の余力はなんとか捻出できるじゃろう」

「では、グリーングラスを追いやるのですか」

「それは得策ではない、セブルス。わしは彼女を慕う純血の生徒ひとりひとりの可能性を摘む必要があるとまでは思わんよ。それに、ダフネの手元には少々厄介な人質がいるでのう」

 

 ダフネは分霊箱を確保している。

 分霊箱はヴォルデモートの生存を示すたったひとつの証拠でもありうる。魔法法執行部がダフネを疑っているのも、その内側にダフネの協力者が潜んでいるのも、分霊箱という証拠があるからだ。少なくともダンブルドアはそう推理していた。

 しかし、ダフネは分霊箱を全て確保したわけではないだろう。いくつあるのかもわからない分霊箱を全て回収することは不可能に近い。

 しかし、もしダフネが分霊箱の数まで把握しているのだとしたら、ダンブルドアはいよいよ教育者としての矜持を捨て、開心術に頼ることを覚悟せざるをえないだろう。

 

「そのようなぬるい選択で、本当にハーポとヴォルデモートの連合を破れるとお思いですか!」

「セブルス、まだハーポがヴォルデモートと手を組むと決まったわけではない。そして、我々がダフネと手を組めないと決まったわけでもなかろう」

 

 声を荒げたスネイプをダンブルドアは手のひらで制した。校長室にかかるいくつもの肖像画が何事かと顔を上げた。

 この点を見誤るべきではない。ダフネは敵ではないのだ。

 もし本当にルシウスが寝返り、彼女を旗頭として反ヴォルデモートの純血勢力を築き上げるのだとすれば、それ自体は歓迎すべきことだ。戦後のことを考えると彼らの台頭は望ましくないが、ヴォルデモートに与しない魔術師は多ければ多いほどいい。

 敵か味方か、勝つか負けるか。もはや、そういった単純なゼロサムゲームで語ることができる情勢ではない。どのように勝つか。誰とともに勝つか。道を選ぶ必要があった。

 選択のために、まずは状況を把握する必要がある。

 

「フィニアス」

「……私としては、ブラック家に輝きを取り戻してくれた彼女を裏切るような真似は御免被るのだが」

 

 眠そうな顔の肖像画――アークタルスの祖父、フィニアス・ナイジェラス・ブラックの肖像画が不愉快そうに眉間に皺を寄せた。

 

「アークタルス・ブラック3世は祖父であるあなたの意見であれば耳を貸すのではないかな」

「私の子孫がただの絵画をありがたがるほど耄碌していないことを願うよ。……はあ、わかった。君の意向を伝えればよいかね」

「ダフネの保護者としてぜひ一度お茶に来てほしいとも伝えてくれるかのう。どうぞよろしく。……さて、セブルス」

 

 額縁からフィニアスが消えたのを見届けてから、ダンブルドアは改めてスネイプと向き合った。

 うんざりした様子で、スネイプは額に張り付いた前髪を払った。彼は明確に苛立っていた。

 それはそうだろう、ダフネの思い描く世界は彼が憎んだジェームズ・ポッターを肯定する世界というだけでもなく、彼が愛したたった一人の人であるリリー・ポッターを否定する世界でもあるのだから。

 ヴォルデモートの闇と思想に酔った半純血のプリンス(かつてのスネイプ)はもうここにはいない。

 スネイプがダフネに同調することはない。それどころか、ダフネの信奉者にかつての己を重ねることで同族嫌悪すら抱えているかもしれない。スネイプはごく私的な理由でダフネを嫌悪している。

 それでいいとダンブルドアは思っていた。ダフネは少しずつ自分と自分の考えを肯定する社会を構築している。しかし、その陰には無数の反対者が存在する。スネイプに彼らを統率するカリスマはないが、それでも教師という権力者がダフネを肯定しないことには意味がある。

 

「我々の認識では、ヴォルデモートはまだアルバニアにいる可能性が高かったはずじゃのう」

「その通りです。ギリシャの北西、つまりこのイギリスへ向かう第一歩としてハーポはアルバニアに踏み込むでしょう。校長、もはや一刻の猶予もありません」

「わしの考えでは、むしろ猶予は増えたと見るべきじゃろう」

 

 ハーポの考えは読めない。しかし、分霊箱を研究した最新の魔法使いと分霊箱を発明した最古の魔法使いが出逢えば、何かしらの相互作用が生まれる可能性は高い。

 つまり、ハーポは当分アルバニアで足止めされる。

 バルカン半島に信頼できる仲間を送り込み、情報を集める必要がある。それと同時に行うべきは国内の監視だ。ヴォルデモートは強力な闇の魔法使いだが、配下を統率するそのカリスマ性さえ発揮させなければ単なる決闘巧者で不完全な不死の魔法戦士でしかない。

 幸い、ダフネのおかげでヴォルデモートに与する魔法使いや魔女は減りつつある。純血にヴォルデモート以外の拠り所ができたのはダンブルドアにとっても大きかった。

 だからといって喜んでもいられない。分霊箱の回収とその破壊についてはダフネの陣営と連携しつつ進めなければ、肝心なところでヴォルデモートを討ち漏らすどころか、思わぬ痛手を被りかねない。

 そこで、問題は最初に戻ってくる。

 果たしてダフネは信用できる同盟相手なのか。

 

「重要なのはダフネが分霊箱を知っていることそのものではない。なぜ、どのようにして知ったかじゃ。それ次第では、彼女を警戒する必要があるやもしれん」

「ディペット前校長がヴォルデモートへの刺客として育て上げたという可能性はあるのでしょうか」

「どうやらスクリムジョールはその可能性も視野に入れているようじゃのう。しかし、そのように若者を使い潰すような残酷な振る舞いができるほど、アーマンド・ディペット先生は恐ろしい男ではないとわしは思う」

「では、グリーングラスはどこでその情報を? フォーテスキューから借りたという伝記に書かれている情報だけでハーポに辿り着くでしょうか」

 

 校長室の壁にかけられた絵画の一枚――デクスター・フォーテスキューが咳払いをした。

 

「我が子孫の名誉のために言っておくがね、当家には闇の魔術に関する資料は一切ないぞ」

「もちろん承知しておるとも、デクスター。禁書の呪いをこじあける抜け道の魔法を開発したのが君だということも、よーく覚えておる」

「あ、あれはちょっとした知的好奇心を満たすためのものだ。それに、フローリアンは魔法法執行部の民間協力者として働いている。彼らの監視をかい潜ることができるならいつまでもアイスクリーム屋などやっていないだろう」

「フローリアンのアイスクリームにはどんな魔法にも劣らぬ価値があるが、それはそれとして彼の蔵書を改める必要はあるやもしれん」

「……いいだろう、君が信用できる者を寄越してくれ。抜き打ちで構わん」

「結構。なにもなければ彼には誠心誠意謝罪しようぞ」

 

 デクスターは額縁の中で大きく頷いた。

 フローリアン・フォーテスキューはただのアイスクリーム屋と侮られているが、ダフネが政財界に影響力を及ぼすようになったきっかけだ。彼の伝手でダフネはグリンゴッツと交渉するようになったのだから。

 そして、それはつまりダフネがグリンゴッツに狙いを定めた理由はフローリアンに接触するより前にあったということになる。

 フローリアンに接触するより前、ダフネは魔法界の様々な賢人に知恵を借りるための手紙を送っていた。それは主に家の運営に関する相談だったが、中にはその手紙がきっかけとなって後見人となったアーマンドのような人物もいる。

 しかし、悩める少女に助けの手を差し伸べようという者から果たして分霊箱やハーポに関する情報が出てくるだろうか?

 ダフネがヴォルデモートを倒そうとしているのはわかった。しかし、一体いつから、何の目的で倒そうとしているのかについては判然としない。そして、ダフネが理由もなく戦う無謀で勇敢な正義の味方であるわけではないということはここ数年の彼女自身が示している。

 

「これだけはお聞かせいただきたい。……ハーポの脱獄を手引きしたのは、グリーングラスだとお考えですか」

 

 ダフネはハーポが脱獄する直前にマルフォイ家を伴ってギリシャに渡航している。

 アテナイのグリンゴッツ魔法銀行ギリシャ支店を訪ねた可能性が高い。ダフネはグリンゴット8世といくつもの取引を交わしている。彼らゴブリンはダンブルドアが相手であっても取引の情報を漏らしはしないが、それでも察せられることはある。

 ダフネはハーポに何を求めたのか。可能性が高いのは分霊箱の破壊手段だ。それも、発明者であるハーポしか知らないような高度な破壊手段である可能性が高い。

 もしや、ダフネはダンブルドアと同じ推量をするに至ったのだろうか。

 つまり、ハリー・ポッターという分霊箱を破壊せねばならないという事実に辿り着いているのではないか?

 

「それこそまさか、じゃよ」

 

 ダンブルドアは静かに首を振った。

 ダフネは悪人ではないし、愚かでもない。仮にハリーを分霊箱の呪縛から解き放とうとしているとしても、ハーポの脱獄を望んで手引きするとは思えない。

 しかし、悪人に利用価値を見出すという点で、ダフネとダンブルドアはよく似ている。ダンブルドアも同じ立場でハーポの生存を知っていれば、あるいは知恵を求めて訪ねたかもしれない。

 自分ならハーポをどうするだろうか。ハーポの脱獄はダフネを苦しめるだろうが、一方で状況をうまく乗り切ればダフネにとって有利な形で結末を迎えることが容易になった。見方によっては、ダフネはハーポの脱獄で得をしたとも言えるかもしれない。

 疑わしくはある。

 一方で、信じたくもある。彼女がハリーに向ける眼差しにこもったあまりにもまっすぐな愛を、ダンブルドアは否定したくはなかった。

 

「疑わしきは罰せずじゃ、セブルス。しかし、疑うことを止めよとまでは言うまい」

「では、そのように。……ポッターと引き離すべきでしょうか」

 

 その問いに、ダンブルドアは答えを出せなかった。

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