その血は呪われている   作:海野波香

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 校内にざわめきが広がった。それはハロウィーン当日だからというだけではなかった。

 あのダフネ・グリーングラス、スリザリンきっての秀才で品行方正、先生方の覚えもよく家柄も文句なし、勉強会の主宰までしている誰もの憧れが、闇祓いに連行されたのだという。

 その晩のうちに帰ってきたそうだが、帰りは遅かったという話だ。何か問題が起きたのは確かだろうというのが大半の見方だった。

 しかし、ハリーはそうではなかった。根も葉もない噂話も、ハロウィーンらしくないじっとりした空気も、突き刺さる好奇の視線もうんざりだった。

 

「絶対に何かの間違いだよ。ダフネが悪いことをするはずがないもの」

 

 ハリーは憤りながら頬杖をついた。湿気でかすかに大広間の長机がべたついている。心なしか空気もこもっているような気がした。

 この閉鎖的な城、噂話と偏見があっという間に広がることでお馴染みのホグワーツにおいて、今やダフネは悪い意味で時の人だった。ホグワーツの嫌な体質にはハリーも痛い目を見せられた。だからこそ、ハリーは今のダフネが苦しい状況にいることが理解できた。

 だからといって人の口に戸を立てることはできない。

 

「でもさ、ハリー……ダフネのやつが変なのは今に始まったことじゃないぜ?」

 

 ベイクドポテトを大皿から取りながら、ロンが口を曲げた。

 スティンチコームのポッター邸で過ごしたあの夏休み以来、ウィーズリー家の人々は誰もがダフネに好意的だった。しかし、そのロンですら今やダフネに訝しむような目を向けていた。

 

「確かにあいつはいいやつだけどさ、君に全部を話してるってわけでもないだろ? それに、ほら、マルフォイとつるんでる。あいつが何もしてないとしても、マルフォイに巻き込まれたって可能性だってあるさ」

「ドラコだっていいやつだよ。ルシウスさんはちょっとわからないけど、子どもを巻き込むような人じゃないと思う」

「……まあ、そこはどうでもいいよ。君の友達付き合いに口出しする気はないから」

 

 ロンは少し機嫌を損ねたようにフォークでポテトを突き刺した。ポテトの下でニシンの燻製が潰れ、白い目玉が皿の上で転がった。

 今度はハーマイオニーが口を開いた。

 

「ねえハリー、闇祓い局って私たちの世界で言うところの警察とか軍とか、そういう人たちでしょう? そういう人たちが何の根拠もなくダフネに疑いをかけるとは思えないの。きっと何か隠していることがあるんだわ」

「それはどうかな。シリウス・ブラックが裁判を受けずに投獄されたことに一番怒ってたのは君だったはずだよ」

 

 ハーマイオニーは困ったように眉を曲げた。

 1年生の時、ハーマイオニーはダフネに命を救われている。それ以来、ハーマイオニーがダフネのことを悪く言うところなど見たこともなかった。

 

「それは……そうだけど。でも、グリーングラス家には長い歴史があるんでしょう? その……例の呪いについての歴史が。その中にもし法に触れるようなものがあったとしても、おかしくないと私は思うわ」

「そりゃいいや。歴史が長ければ連行していいことになるなら、僕やロンは今ごろアズカバンの中だ」

 

 ハーマイオニーはまだ何か言いかけたが、テーブルの奥で悲しそうに眉をひそめているアステリアを見つけて口を閉ざした。

 どうやらスリザリンのテーブルを見る限りではダフネは朝食に出てきていない。こうも噂が蔓延している中では賢明な判断だとハリーは思ったが、その一方でダフネがお腹を空かせているのではないかと心配にもなった。

 きっとアステリアもダフネのことを思って胸を痛めているに違いない。グリーングラス姉妹が互いのことをどれだけ想いあっているかは、ハリーもよく知っているつもりだった。

 ハリーがアステリアに声をかけようと立ち上がった、ちょうどその時だった。

 

「――いいでしょう、そこまで言うのなら僕が相手になります。かかってきなさい!」

 

 威勢のいい声の後、だん、と鋭いパンチが肉を打つ音が大広間に響いた。数秒後、レイブンクローの上級生が折れた歯を吐き出しながら崩れ落ちた。

 拳を構えたまま、ブリジットが険しい表情でうずくまるレイブンクローの青いローブを見下ろしていた。その目には明確な敵意と強い怒りがめらめらと燃えていた。

 そして、ブリジットは厳しい口調で宣言した。

 

「先輩の敵は僕の敵です。次に口を開くときはその言葉が先輩への謝罪であることを期待していますよ」

「何をしているのです、ミス・トランブレ!」

「教育です。この愚か者はアステリア様に、グリーングラス家が抱えている悪事の証拠を突き出せと強い言葉で――」

「そういうことを言っているのではありません、どうしてミスター・ゴライアスの奥歯が転がっているのかと言っているのです! グリフィンドールから10点減点! 罰則もです!」

 

 あたりは騒然としたが、ハリーは安心して息を吐いた。どうやら、ダフネを信じているのは自分だけではないようだ。

 突然の血なまぐさい騒動に注目が集まり、コリンがシャッターを切る音が響いた。

 

「あっ、ハリー! ねえハリー、ダフネ・グリーングラスと付き合ってるって本当? 彼女が隠してた闇の魔術の証拠って見たことある?」

「おはようコリン、ベーコンが皿から落ちかけてるよ」

「わっ……ありがとう!」

 

 ダフネと何の関係もないカメラ小僧のコリン・クリービーですらダフネに嫌な興味を向けている。

 この状況は異様だ。

 ハリーはちくちくと妙な違和感に苛まれていた。いくらホグワーツで噂が広まりやすいからといって、こんなに誰もがすぐに影響されるだろうか?

 不自然というほどではない。1年生のころ、ハリーがドラゴンのノーバートを運んだ帰りにブレーズ・ザビニの密告のせいでフィルチに見つけられて大幅な減点を食らったときは、一日にしてハリーの立場は失われてしまった。

 それでも、ロンとハーマイオニーまでもがダフネにここまで疑いを向けるのはおかしいような気がする。元々ふたりがダフネをそこまで信じていなかったと言われればそこまでかもしれないが、一緒に賢者の石を守った仲のはずだ。

 

「おやハリー、食欲が優れませんかな」

 

 その時、食器の隙間からほとんど首なしニックが姿を表した。

 ニックもまたダフネに恩がある人物――ゴーストを人物とカウントしていいのかはわからないが――だ。石にされたニックは「まるでもう一度死んだような気分だった」と口にし、敵を討ったダフネに大層感謝していた。

 

「ほっときなよニック、ハリーは今ガールフレンドが疑われててピリピリしてるんだ」

「それはよくありませんな!」

「そうだよなあ、ダフネだってもう少し疑いを晴らすような振る舞いをしてれば――」

「よくないのはあなたのほうかと、ロン、我が友よ」

 

 ニックはロンを諭すように指を立てた。

 

「たとえどんな噂が流れようとも、真偽が明らかになるまでは信じるのが友というものです。ええ、私にもかつてはそういう友がいました。私が彼らを信じ、彼らが私を信じてくれたことを今でも誇りに思います」

「それは……そうだけど」

 

 ロンは気まずそうに目を逸らした。

 

「ゆめゆめ忘れなさるな。ハーマイオニー、あなたもです。友の価値を失ってから知っても遅いということを、私は儚い身となって初めて知りました。……しかし、今日の大広間は妙に湿っているというか、肌に馴染みますな」

 

 ニックが話題を変えるように明るく言ったが、ロンとハーマイオニーは揃って首を傾げた。

 

「湿ってる? そんなことないと思うけどな」

「そうよ、いつもと変わらないわ」

 

 ハリーはぞっとして立ち上がった。

 ふたりは何を言っているのだろうか。()()()()()()()()()()()湿()()()()()()()()()()

 

「どうしたんだよハリー、顔色が悪いぜ」

「僕……僕、ちょっとアステリアに用事がある!」

 

 まだうずくまって呻いているレイブンクロー生とそれを囲む群衆をかき分けて、ハリーはアステリアのもとに駆け寄った。

 何かが起きている。誰もが気づいていない、不気味な何かが。

 

「アステリア!」

「おはようございます、ハリー。その、お姉様でしたら……」

「ううん、君に用事があるんだ。ちょっと向こうで話せる?」

「私ですか? わかりました。ごめんなさいコレット、またあとでお話しましょうね」

 

 ハリーはアステリアの手を引いて足早に大広間を抜け、人気の少ない廊下へと進んだ。めったに額縁の中にいないマーリンの肖像画を除けば誰も聞いていないようなところまで出て、ハリーはアステリアに向き合った。

 

「その、何のご用でしょう……? 今日のハリー先輩はちょっとなんだか、怖い目をしています」

「教えてほしいんだ。君の周りに、ダフネを疑う人が急に増えなかった?」

「それは……はい。お姉様が闇祓いに連行されたからと、疑いの目を向ける人は増えました。でも、お姉様は参考人として聴取を受けただけで!」

「うん、大丈夫、僕はわかってる。もうひとつ聞きたいんだけど、()()()()()()()()()()()()湿()()()()()()?」

 

 アステリアは小さく首を傾げて、それから頷いた。

 やはりそうだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()湿()()()()()()()()()()()()

 

「なにか……とんでもない呪いなんじゃないかな、この湿り自体が」

「呪い?」

「さっき、ロンとハーマイオニーがダフネのことを疑うようなことを言ってたんだ。ふたりは少しも湿気てないって言ってた。でも、ニックはダフネのことを庇ってて、今日は湿気てるって言ってたんだ」

「……私も変だなと思っていたんです。コレットもカインも私のことを心配してくれて、でも私が今日は湿っぽいですねってお話してもピンとこないような顔をしていて」

 

 ハリーの背筋を興奮と緊張が這い上がった。

 これは呪いだ。誰かがダフネに呪いをかけたのだ。その誰かはダフネに対する疑念と敵意の種に水を注ぎ続けている。まるで、そのまま()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

「心当たりはある?」

「お姉様は……夏休みに、ルシウスおじさまと一緒にギリシャでお仕事をされていました。お姉様があれほどお疲れのご様子だったのは初めて見ました」

「ギリシャ?」

 

 今朝の日刊予言者新聞の一面記事が蘇った。

 大規模な魔法事故でアテナイ一帯が湿った暗闇に包まれているらしい。中心部にはグリンゴッツ魔法銀行ギリシャ支店があって、当面の間営業を中止すると書かれていた。

 以前、グリンゴッツ魔法銀行には賢者の石が収められていた。

 汗が吹き出した。

 賢者の石のような秘宝すらも安全に保管できる金庫なら、恐ろしい闇の魔法道具も保管できるのではないか?

 そして、もしダフネがその闇の魔法道具に呪われたのだとしたら?

 

「どうしたらいいんだろう……この呪いをそのままにしてたら、ダフネは今度こそホグワーツから追い出されちゃうよ!」

「ダンブルドア先生に……いえ、でももしダンブルドア先生も呪いの影響を受けていたら……」

 

 その時、誰かの声が聞こえた。

 

「――どんなに賢い魔法使いや魔女でも、目に見えないもののことを忘れてしまう。でも、目に見えないものほど知るべきことはないんだ。ママが言ってたもン」

 

 ひた、ひたと裸足の足音が廊下に響いた。

 まるで頭を天日干ししているかのように、太陽の被り物をした女の子がそこにいた。濁ったブロンドの髪が腰まで伸びているが、その毛先にも太陽のチャームが吊るされていた。

 首元はまるで風邪を引いているときのように空色のスカーフで温められている。緑色のレンズがはめられた丸メガネをかけていて、目の色はよくわからなかった。

 

「ポックピックムラサキムシが大繁殖してるね。なんか昨日から湿気てるなって思ったら、パパがこの観察眼鏡を送ってくれたんだ。あんたたちは感染してないみたいだけど」

「あなたは確か……ルーナ・ラブグッドさん?」

「そうだよ。あんたはアステリア・ブラック-グリーングラスだね。一回だけ、勉強会の見学でおしゃべりした。あんまり面白い勉強会じゃなかったな。テストの点数を上げるよりも知るべきことがこの世界にはいっぱいあるのに」

 

 ルーナと呼ばれた女の子は、太陽の被り物についた波打つ突起を掴んで頭を揺らした。ハリーにはなぜそうするのか少しも理解できなかったが、彼女の手つきに迷いはなかった。

 

「あんたのお姉さん、ダフネ・グリーングラスからこのムラサキムシは発生してるんだと思うな。トラッキングに行ってもいい?」

「待って……そのムラサキムシって何?」

 

 ハリーが声をかけると、ルーナはまるで自転車のギアを強引に変えたようなぎこちなさで首を回し、ハリーを見上げた。まるで今ハリーに気がついたような、とても驚いた顔をしていた。

 

「あんた、ハリー・ポッターだ」

「ああ、うん、僕はハリー・ポッターだけど」

「ムラサキムシがすごい集まってる。きっといっぱい餌を持ってるんだね。でも感染してないから、きっとすごく気持ちが強いんだ」

「餌?」

 

 太陽の被り物をかぽりと持ち上げて、ルーナは頷いた。

 

「ポックピックムラサキムシは目に見えない小さな生き物でね、湿った嫌な空気、昔のマグルが瘴気(ミアズマ)って呼んでたような空気に乗って広がるんだ。感染すると()()()宿()()()()()()()()()()()()んだよ」

「それって……!」

 

 今の状況そのものではないか。

 ハリーが続きを促そうとすると、アステリアがそれを遮るようにハリーとルーナの間に立った。

 

「待ってください。……ラブグッドさん、興味深いお話をありがとうございます。でも、それは誰がいつ発見した生物なんですか? 私はそれなりに魔法生物飼育学の勉強を進めていますが、そんな魔法生物の話はどこにも書いてありませんでした」

「あたしのママだよ。ママは魔法細動物学の研究者だったんだ」

「魔法細動物学? 聞いたこともありません」

「当たり前だよ、この分野はマグルのほうが詳しいもン。純血の研究者はマグルに負けを認めたくなくて、細動物なんていないってことにしちゃったんだってママが言ってたよ」

「適当なことを言わないでください! からかってるんでしょう! お姉様が今どれだけ苦しんでらっしゃるか……!」

 

 アステリアが瞳を潤ませると、ルーナは戸惑ったように太陽の被り物から手を離した。

 このルーナという女の子はホラ吹きなのだろうか。それとも少しおかしいのだろうか。どちらともという可能性はある。少なくとも格好は滑稽で、まるで前衛的なお芝居のようだった。

 しかし、ハリーはルーナの主張に妙な説得力を感じていた。何より、ルーナの言う通りならハリーが気付いた呪いに筋が通る。

 

「ねえルーナ、その細動物についてもう少し教えて」

「信じちゃうんですか!」

「いいよ。魔法細動物学はずーっと昔、()()()()()()()()()には魔法で研究されていたんだよ。そのころは人を呪う小さい魔法使いがいるって思われてたんだ。……あ、そのころの名前が今もマグルに使われてるんだよ」

 

 ルーナの一言は、ハリーを確信させるのに十分だった。

 

「小さい魔法使いが振るう小さい杖(Bacterium)、バクテリア」

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