その血は呪われている   作:海野波香

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 ホグワーツ中にたちまちのうちに広がったその騒動を、冷ややかに見るひとりの生徒がいた。

 ダフネ・グリーングラスといえば先学期の英雄ではないか。ハリーと協力してバジリスクを退治し、闇の魔法道具の陰謀を打ち砕いたというのに、一度闇祓いに連行されただけでこの疑いようはどうしたことか。

 

「ミス・グリーングラスのことを信じたい気持ちはある……そう誓った、そう、誓ったんだ。しかし、しかしだ。状況が悪すぎた。これまでの彼女の振る舞いも、今考えればあまりよろしくなかったのかもしれない……」

「そうですね、君が疑いたくなる気持ちも分かりますよ、アーニー。友達を心から信じることができないというのは悲しいことです」

 

 ジャスティン・フィンチ-フレッチリーは頭を抱えて嘆くアーニーに悲しげな微笑みを向けながら頷いた。ジャスティン自身は少しもダフネを疑ってはいなかったが、今は同調を示すのが彼のためになると思ったからだ。

 魔法界に初めて来たとき、ジャスティンは魅了された。イートン校を蹴った甲斐があったと確信した。自分が魔法使いになることで、フィンチ家、フレッチリー家の両家はますます栄えると確信した。

 魔法とは素晴らしい資源だ。

 エネルギー産業、とりわけ北海油田の開発に従事しているフィンチ家に生まれたジャスティンにとって、魔法は文字通り光り輝いて見えた。これは人類に新しい時代をもたらす可能性だった。

 しかし、魔法を使う人々、その能力に関して言えば、はっきり言ってお粗末だった。上流階級のアーニーですらこの程度の噂に踊らされる。魔法族は政治的に極めて幼稚だった。少しのプロパガンダで容易く操作できそうだと感じられるほどに。

 だからこそ、輝いて見える人もいた。

 

「ダフネ・グリーングラス、ですか」

 

 指先でフィナンシェをつまみながら呟く。

 ハッフルパフの談話室に数多あふれるお菓子たちは、厨房にひしめく屋敷しもべ妖精の手によるものがほとんどだ。そして、彼ら屋敷しもべ妖精はイギリス魔法界の名家たちに仕えてきた奉仕種族なのだという。

 グリーングラス家はまさにその名家であり、そしてその若き当主ダフネ・グリーングラスはジャスティンの目にも見事な人物として映った。社会派で、意欲的で、彼女ならきっとマグル界の政財界でも活躍できるだろうという期待が持てた。

 だからこそ、ダフネの名声が凋落しつつある今はジャスティンにとって動くべき時であるように感じられた。

 

「ねえ、ハンナ」

「どうしたの、ジャスティン?」

「確かにミス・グリーングラスは疑わしい人物かもしれません。しかし、彼女の唱えた理想……寮の壁に隔てられることのない学生の互助は、捨てるにはあまりに惜しいと思うんです」

「それは……そうだよね。私は参加資格がなかったけど、でもアーニーに教材を貸してもらって随分成績が伸びたもの」

 

 フィナンシェを指先で半分に折り、ハンナ・アボットに渡す。

 魔法界における富の分配システムは資本主義的な成長の市場に反している。技術は成長を、成長は富を生むはずが、技術の独占が成長の独占を、成長の独占が富の独占を生んでいる。

 誰にも言わなかったが、ジャスティンは内心でロックハートのことを尊敬していた。彼は半純血というハンディキャップを抱えながらも自らの強みで市場を開拓し、富と名声を築き上げた。なんとも素晴らしいビジネスマンだ。

 翻って、ジャスティンはどうか。

 フィンチ-フレッチリーの名は魔法界では役に立たない。マグル界の金を注ぎ込めば多少のマネーゲームはできるかもしれないが、それだけだ。魔法使いとしての自分はちっぽけな子どもに過ぎない。魔法の能力で言えば凡人もいいところだ。

 しかし、それはダフネ・グリーングラスも同じではないのか?

 

「ハンナ、アーニー。僕らも結社を作りませんか」

「結社を?」

「ミス・グリーングラスのように上から手を差し伸べるのではなく、マグル生まれや半純血を中心とした横のつながり……僕達は同じ故郷を持っている、そうでしょう? それならば、よりわかりやすい形で助け合えると思いませんか」

 

 フィナンシェをミルクティーに浸す。

 ダフネが成し遂げたそれによって、ジャスティンの野心に火が灯った。自分ならもっとうまく仲間を助けられる。そして、その規模が膨らめば、いずれはマグル界の家族にも恩恵をもたらすことができるだろう。

 魔法は秘密にしなければならない。それは法で定められている。しかし、魔法界で培った人脈に関して言えば、法はその限りではないと言っている。

 

「ジャスティン、心意気は買うが……難しいと思うぞ。君たちのような生まれは、その」

「差別されている?」

「そこまで強い言葉を使う気はなかった!」

「いいんです、アーニー。気を遣ってくれてありがとうございます。でも、僕のようなマグル生まれが純血の人々から見れば歴史が浅く、劣った存在であることは僕なりに承知しているつもりなんですよ」

 

 マグル生まれは魔法界において劣っている。

 ジャスティンは現状になんら不満はなかった。なるほど、確かにマグル生まれは劣っているのだ。魔法界のことを知らない新参者であり、純血に導かれて然るべき立場にいるのだ。

 だからこそ、ジャスティンはダフネを応援していた。彼女のような純血が導く立場にいるのなら、マグル生まれは安泰だ。魔法界で平和な暮らしを手に入れることができる。

 そのダフネが噂によって追いやられつつある今、ジャスティンの胸中には疑念があった。

 マグル生まれはもっと主体的に主権を勝ち取っていくべきではないのか? 自らの権利を主張し、能動的な市民として代表を送り込み、マグル生まれの権利について盛んに議論が交わされるべきではないのか?

 その理想を実現するには、ダフネのように行動する必要があった。

 そう、ジャスティンはダフネを模範として、自らの権利のために立ち上がることを決めたのだ。

 

「僕達マグル生まれは未熟な存在です。だからこそ、団結しなければならない」

「……どうだろうか。スリザリンの純血主義者に睨まれると思うが」

「その垣根はミス・グリーングラスが取っ払ってくれましたよ。今や、マグル生まれが集まっているというだけで糾弾するような生徒はいません。やるなら今だと僕は思います」

 

 ダフネが開いたような、純血の利権に頼った勉強会はできない。マグル生まれにはコネも伝手もないからだ。

 しかし、マグル生まれにはマグル生まれの知恵――マグル界の知恵がある。

 

「たとえば、こういう集まりはどうでしょう。政治や金融、情報工学に有機化学……我々マグル界の教材を取り寄せて、みんなで読書会をするんです」

「それって……何の役に立つの?」

()()()()()()()()()()()()を蓄えるんですよ」

 

 ジャスティンは考えていた。

 ここまで魔法族が情報に従順で操りやすいのだとしたら、メディアに慣れ政治に長けたマグル生まれこそが強者になりうるのではないか?

 もちろん、支配や蹂躙を望むのではない。しかし、たとえばマグル生まれの魔法大臣ノビー・リーチが陰謀によって早々に退任させられたようなことを再演しない仕組みづくりくらいはできるのではないだろうか。

 そのうえで、マグル生まれの権利に関心がある魔法大臣を結社から送り出すことができれば、魔法界はより繁栄する。マグル界の技術を吸収し、現代的で構造的な社会として再生するのだ。

 

「もちろん、妨害もあるでしょう。しかし、そもそも僕達マグル生まれは下等な存在として見下されています。そんな存在が集まったところで、気にする人がどれだけいるでしょうか? 僕が純血なら、きっとまともに取り合うことはないと思いますよ。ね?」

「それは……」

「大丈夫。僕達のような立場の弱い人間は、元来団結することが大切なんです。ワット・タイラーやギヨーム・カルルのようなリーダーがマグル生まれにいなかったことがここまで状況を悪くしてしまったと僕は思います」

「どちらも死んでいるじゃないか!」

「だから、僕達の活動は平和的で紳士的なものでなければなりません。幸い、ダンブルドア校長はマグル生まれに肯定的な立場の方でしょう? きっと結社の活動を認めてくださいますよ」

 

 そして、結社はいつか大きな芽を出す。

 マグル生まれが先進的な知識や技術で魔法族を牽引する、新しい時代。言ってみれば、魔法界を「マグル界2.0」にするのだ。そして、その繁栄から生まれた富をマグル界に還元することで、両者の壁を少しずつ取り払っていく。

 ジャスティンが目指すのは国際魔法使い機密保持法がもはや必要とされない世界だ。電波塔のいらない通信。魔法と工学が一体化した安全で効率的な採掘。医者や弁護士のような権威として様々な場で魔法使い、魔女が堂々と活躍し、報酬を受け取る社会がやってくる。

 富という目に見える絆によって、魔法族とマグルは連帯できる。互いが互いの素晴らしい取引先になれば、魔法族とマグルは互いを尊重して生活できるだろう。

 わざわざ法を書き換える必要はない。マグル生まれが先頭に立ってマグルと融和していけば、その日常は必然的に誕生する。ジャスティンは国際魔法使い機密保持法の実効的喪失こそがマグル生まれを豊かにする最適のルートだと確信していた。

 もちろん、そんなことを明かしはしない。

 ジャスティンはみんなに幸せで豊かな暮らしをしてほしいと願っている。それはハッフルパフ生ならきっと誰もがそうだ。その夢を語るうえで国際魔法使い機密保持法という話題は少々重すぎる。議論になってしまう。それは今すべきことではない。

 

「目指すは魔法界にマグル生まれによる諮問機関を設置することです。マグル生まれや半純血という出自自体を誇るべきステータスにできる時代にできたら、素敵だと思いませんか?」

「……僕は純血として、すぐに君の考えには賛同できない。しかし……ミス・グリーングラスの目指した社会の理想を、ある意味で継承しているのかもしれないな……」

 

 アーニーは眉間に皺を寄せながら頷いた。

 結社を長期的な成功に持っていくために必要なのは安定したスタートアップだとジャスティンは考えていた。ダフネはその点をうまくクリアしていた。同じ軌道に乗るためには、マグル生まれや半純血に関心のある純血の力を借りることが望ましいだろう。

 加えて、アーニーは蒼の貴血(ブルーブラッド)にいた経験がある。その経験を活かしてジャスティンの結社を大いに盛り上げてもらえれば、ジャスティンとしてはこれ以上なくありがたい話だった。

 

「でも……」

「ハンナ?」

「ダフネはどうなるのかしら。その、伝え聞いた話でしか彼女を知らないんだけど……ダフネってそんなに簡単に諦めるタイプなの?」

 

 それだけはない、とジャスティンは思った。

 ジャスティンが間抜けにもバジリスクに睨まれて石にされている間、ダフネは冤罪をかけられながらもハリーとともに戦い、ついにはバジリスクを打ち倒したのだという。

 分析通りなら、ダフネは計画的で用意周到でありながら状況に応じて策を大胆に書き換えられるタイプだ。彼女はこの程度で屈するようなか弱い乙女ではない。

 さらに言えば、ジャスティンはダフネの目的がもっと先にあるとも考えていた。単に勉強会を主宰するのではなく、ホグワーツ内における純血の優越を確立することで何かを成し遂げようとしている。彼女は権威を上手に使い、その目的に迫りつつあった。

 であれば、ダフネが諦める理由はどこにもない。

 ホグワーツ内に蔓延する彼女への不信感は確かに大きな壁だが、ひとつふたつの不祥事で道を閉ざすような者はそもそも政界に向いていない。ジャスティンの父も何度かメディアに叩かれたが、今も現役でウェストミンスター宮殿に詰めている。

 

「彼女が疑いを晴らして再び立ち上がるのであれば、僕は喜んで彼女と協力しますよ。純血は彼女が、マグル生まれや半純血は僕達が引っ張っていけばいいのですから」

 

 ジャスティンには勝算があった。

 なるほど、純血は魔法界という階級社会において上位者たらんとしているのだろう。そして、その動きから察するに、ダフネは純血という階級を守ろうとしているように思える。

 しかし、それは悪しき慣習だ。

 純血の顔色を伺いながら日々を過ごすのは幸せでも豊かでもない。当初、ジャスティンはホグワーツの間だけの我慢だと自分に言い聞かせてきた。しかし、その社会が再生産され続けるというのなら、後進のためにできることがあるはずだ。

 幸い、数の有利はこちらにある。純血の純粋性をアイデンティティとするダフネにとって、多数派である半純血はどこまでいっても味方にはならない。民主主義においては多数派こそが正義であり、多数派を獲得できるアイデンティティこそが優秀なのだ。

 

「やりましょう。僕達の時代は僕達の手で築くべきです」

「……そう、そうよね。自分たちで頑張らなきゃ」

 

 ハンナは興奮に頰を紅潮させて頷いた。

 

「君の結社に名前はあるのか?」

「マグル生まれを庇護し、権利を唱える団ですから……そうですね、下層労働者が選挙権のために戦ったチャーティズムから取って憲章団(チャーターズ)というのはどうでしょう」

「なるほど……」

「ちなみにチャーティズムで戦ったのは下層労働者だけでなく、彼らを保護する立場に立った知識人もいたんですよ。僕達にもそういった人物が必要だと思います。助けてくれますか、アーニー?」

「それは……僕はまだ蒼の貴血(ブルーブラッド)を抜けると決めたわけではないからして……」

「やめずとも構いません。憲章団は蒼の貴血と対立しているわけではないのですから。ただ、そうですね……もし可能なら、蒼の貴血があそこまで活動を活発化できたノウハウのようなものを教授してくれるととても嬉しいのですが」

 

 しばらくアーニーは悩んでいたが、ハンナの突き刺さる視線に負けてとうとう頷いた。

 まずは信頼できる仲間を集めるところからだ。ダフネのところにもドラコやカロー姉妹がいるように、ジャスティンにも安心して頼ることができる味方が必要だった。

 それと同時に、ダフネとの距離を縮める手段が必要になってくる。ダフネが最終的にマグル生まれをどう思っているにせよ、学生という弱い身分では目的を越えた連帯が必要な瞬間もある。

 当面はダフネにまつわる噂の払拭で恩を売ることはできるだろう。しかし、長期的に関係を構築するとなれば、もっとしっかりとしたきっかけがほしいものだ。

 

「そういえば……ハリーはミス・グリーングラスに好意を抱いていましたね」

「初々しくて可愛いよね。あれでまだ付き合ってるとは思ってないんでしょ?」

「そのようです。僕が思うに……ハリーにはまだ、ミス・グリーングラスと並び立つだけの自信というものがないのではないでしょうか」

 

 ハリー・ポッター。

 生き残った男の子としてでもなく、ポッター家当主としてでもなく、半純血としてのハリー・ポッターに、ジャスティンは今初めて正しい意味で興味を持った。

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