ルーファス・スクリムジョールにとって、ニューイヤーパーティーとは実務の一環ですらあった。
戦時中を思い出すたび、自分が押し付けられた闇祓い局局長という損な役回りにため息が零れそうになる。同じ局長でも先代のアラスター・ムーディは社交の場を完全に嫌っていたが、だからといって真似するわけにもいかないだろう。
結局のところ、闇祓い局局長とは官僚であって、戦士ではない。
戦後において闇祓いに求められているのは治安の維持であって国難の排除ではないのだ。それを弁えない者から魔法法執行部を辞めていくことになる。
だからといって、オリーブ・ピクルスをつまんでシャンパンを飲むことが仕事だと言われると、かつては魔法戦士として誰かのために戦った身としては気が滅入るのも仕方のないことのはずだ。
「局長様、そう難しいお顔をなさらないで。せっかくのニューイヤーパーティーですもの」
「……お気遣い感謝する、ミセス・ザビニ。残してきた部下たちが新年だからと浮かれていないか、心配になってね」
妖艶に微笑むアフリカ系の魔女は、確かに絶世の美女と謳われて然るべき容貌をしていた。
デメテル・ザビニ。
きっと局員の半分は彼女とパーティーで同席したことを心底羨むだろう。もう半分は彼女の保険金殺人についての資料を漁りに資料室に駆け込むことだろう。
これまでに計6人の夫を喪い、今は7人目と穏やかに過ごしていると嘯くデメテルは、経産婦とは思えないほど引き締まった肉体を惜しみなくアピールしている。明るい灰色を基調としたドレスは彼女の肌によく映える。
その美貌が男を引き寄せ、そして富と死を生む。
毒蛾のように鮮烈な美貌。ルーファスはデメテルのことをそう評価している。
「新年だもの、たまには羽目を外すべきだわ。先日は戦災寡婦のチャリティコンサートにお越しいただいて、皆喜んでいました。ああいう機会がもっと増えればいいのだけれど」
「戦後の闇祓いにとって、市民の安寧を守ることは職務です」
「ええ、もちろん! あなたがたがいらっしゃらなかったら、今も夜を怯えて過ごしていたでしょうね。魔法法執行部と闇祓い局に乾杯!」
曖昧に微笑んで、ルーファスはグラスを傾け、シャンパンを飲んでいるふりをした。局員にも酔いが回ることがないよう厳命してある。
昨今ではデメテルにウィゼンガモット評議員の資格を与えるべきという意見もある。彼女は弱者の代表者として積極的に発言し、市民とともに生きようとしている。戦後の魔法省は弱者に寛容でなくてはならない。
その市民の内訳が問題であるということを、局員たちはどれだけ理解しているだろうか。
デメテルの支持基盤、そのひとつである独身や寡婦の魔女。彼女たちは先の戦争で闇祓いたちの働きが不十分だったと感じている。夫や婚約者を喪ったのは闇祓いの怠慢が原因なのだと。
ザビニ閥。そう呼ばれる派閥が力を持てば持つほど、魔法法執行部は身動きが取れなくなっていく。
「そういえば、先日のお話は考えていただけましたかしら?」
「……バックオフィスポジションにおけるパートタイマーの採用というのは、前例がないことです。魔法法執行部には重要機密も少なくない。可能かどうかも含め、検討にはお時間をいただきたいとお伝えしたはずですが」
「そう冷たいことをおっしゃらないで。信頼できる方なら大丈夫、そうでしょう? 何人か推薦したい方がいますの。先日のコンサートにも参加していた方よ」
デメテルは自分の権勢欲を隠さない。
魔法法執行部に自分の手駒を送り込もうという姿勢を隠しすらしないその強気な態度は、ルシウス・マルフォイにすら不可能だったことだ。弱者救済のためという大義名分が彼女に無敵の盾を与えている。
弱者救済は確かに大切だ。ルーファスも思うところはある。救えなかった者たちを目の前で喪い続けてきた闇祓いたちこそ、弱者救済の必要性は誰よりも理解している。
弱者を駒として動かすデメテルのやり方には反吐が出る。それでも彼女を公然と批難できないのは、デメテルがいなければ救われなかった弱者の存在を思うからだ。
全ての苦みを飲み下して、ルーファスはどうやってこの会話を切り上げるかを頭の中で組み立てていた。
その時だった。
「ディペット家、アーマンド様のご到着!」
会場が騒然とした。
アーマンド・ディペットと言えばダンブルドアの前にホグワーツの校長を務めていた老人だ。社交界からも離れて久しく、何の影響力も持たない人間として放置された、謂わば骨董品のような存在。
それが、今この会場に来た。重い扉が魔法で開かれ、ゆったりとしたローブを纏って、白い髭を豊かに蓄えた老人がゆったりと歩いている。
「アーマンド・ディペット?」
「確か……少し前に噂を聞いたわ。年若い娘ふたりの後見人になったとか。立派な方ね」
「なるほど。では、後見人としての顔見せに」
囁き声が飛び交う中、小さな影が飛び出してアーマンドの右腕に手を添えた。
若葉色のドレスに銀の鎖飾りを纏い、編んだブルネットを垂らしたその少女のことは、ルーファスも少なからず耳にしていた。
「あれが、ダフネ・グリーングラス」
ダフネはアーマンドといくらか言葉を交わし、嬉しそうに笑った後、近くのテーブルにいた誰かを手招きした。それに応じて、ダフネによく似た小柄な少女がアーマンドの左腕へと寄り添った。
「珍しいことがあるものだ」
「そうね、珍しいこと……。少し失礼」
テーブルを離れてホストとして挨拶に向かうデメテルの背を見送った後、ルーファスは周囲のざわめきが落ち着かないどころか、より増していることに気がついた。
人々はアーマンドの到着にざわついていたのではない。
「俺がそんな穢らわしいことをするやつに見えるか、ええ?」
柄の悪い怒鳴り声がパーティーの喧騒を突き破った。
静まり返った会場の隅、あまり賑わっているとは言えないテーブルで、顔を酒気に赤く染めた男が中東風の魔法使いの胸ぐらを掴み上げていた。
なにかがあったらしい。
広がったざわめきの中で、ルーファスの耳と思考はいくつかの噂を拾い上げた。
「マグルの子どもに性暴力を振るったとか」
「確かなことなんでしょうか。確か……アミカス・カロー氏でしたか? カローの分家ですよね? 本家の直系はどなたにあたるんでしょう」
「あまり素行がいい人とは言えません。前回の戦争でも……」
「おい、その話はよせ。今日は闇祓いも来てるんだぞ」
騒動の全貌が見えてきた。
アミカス・カロー。ルーファスもよく覚えている。コーバン・ヤックスリーの派閥にいる元死喰い人だ。ヤックスリーが多額の金を積んだことで法廷で無罪となった。ルーファスは当時のウィゼンガモット大法廷の腐敗を昨日のことのように覚えている。
その彼がマグルの子どもに手を出したとしてもさほど驚きはしない。差別的な純血主義者にとって、マグルとは不潔な家畜のようなものだ。
やっきになって否定するアミカスの意図に反して、噂はますます広まりつつあった。
「あまりよくない状況ですね」
「余計な口を挟むな、ロバーズ」
「しかし、ザビニがどう動くか」
「わかっている」
弱者を搾取する性犯罪。
それは当然あってはならないことだ。魔法族、非魔法族を問わず、そのような邪悪な行いが許されることは決してあってはならない。
同時に、今そういった犯罪が露見することは魔法法執行部にとっても都合が悪かった。
これはつまり、危険人物のマークを怠った魔法法執行部が凶悪な犯罪を許したということになる。きっとマスコミは過去の裁判記録まで引っ張り出して魔法省を盛大に叩くことだろう。
デメテルを支持する者の中には、我が子や友人、あるいは自身がそういった残酷な犯罪の被害に遭ったという者もいる。そういった者の怒りをデメテルは煽るだろう。もしかすると、その火はウィゼンガモットにまで届くかもしれない。
「カロー、か」
噂の通り、カロー兄妹の素行は悪い。魔法法執行部でも要警戒人物のリストに入れている。しかし、要警戒人物だからといって監視をつければ彼らの属するヤックスリー閥の反感を買う。それが犯罪抑止のためだとしてもだ。
あるいは、すでにデメテルが証拠を掴んで騒ぎを大きくしているのかもしれない。
そう考えてから、ルーファスは頭を振った。もしそうなら、デメテルはパーティー会場などというアウェーではなく先日のチャリティーコンサートの時点で動いているはずだ。この一件はデメテルとは関係なしに起きている。
「局長」
「なんだ、ロバーズ」
ガウェインに促されて顔を上げると、そこにふたりの少女が立っていた。
顔面を蒼白にし、揃いの茶髪にもどこか力がない。よく似たふたりは顔を見合わせて、それから意を決したように話しはじめた。
「スクリムジョール局長、わ、私、ヘスティア・カローと申します。こちらはフローラ、私の妹です。その、どうしてもお伝えしたいことがあって」
「私にかね」
「きょ、局長は公明正大なお方だと伺って……お願いします、これを見てほしいんです!」
差し出されたのは、一枚の写真だった。
ルーファスは受け取って、その内容を理解した瞬間に呻いた。手から力が抜ける。取り落とさないようにするので精一杯だった。
それは、マグルの手法で撮られたものだった。
泣き叫ぶ少女。裸体に刻まれた傷から流れる血。奥に立たされている大人は親だろうか。服従の呪文をかけられているに違いない無感動な表情で、少女の衣類を手に立ち尽くしている。
「……なるほど」
「お願いします、局長。し、従わないと、妹を同じ目に遭わせると脅されているんです」
誰とは言わなかった。しかし、写真に映った人物の人相から特定するのは容易だった。
アミカス・カローはマグルに魔法を使って性犯罪を働いた。これが事実として露見すれば、間違いなく世間は魔法省を盛大にバッシングすることだろう。最悪の場合、ルーファスの首が飛ぶ。
戦後、まだ不安定なこの時期に責任者の交代などという不祥事は避けなければならない。今度こそザビニ閥から
「局長、カロー兄妹には本件以外にも余罪の可能性があったかと」
別件逮捕。
ルーファスの脳裏にその一言が浮かんだ。
罪状はなんでもいい。死喰い人崩れだ、余罪など山ほどある。今回ばかりはヤックスリー閥も庇いきれないだろう。彼らには死喰い人という共通の脛の傷があるのだから。痛くもない腹を探られるよりは、カロー兄妹を切り捨てるほうを選ぶに違いない。
噂は広まるだろうが、立件されていない余罪の可能性はゴシップに過ぎない。
ホストであるルシウスとコーバン・ヤックスリーが仲裁に入ったのを確認しながら、ルーファスはグラスを屋敷しもべ妖精の持つトレイに置いた。
「先に本部に戻る」
「非番の連中にふくろうを飛ばしておきます」
「ああ。それから、こちらのお嬢様方を頼むぞ」
震える双子の少女を一瞥して、ルーファスはかけるべき言葉に悩んだ。
彼女たちがルーファスに直接告発するという手段を取らなければ、事態はもっと緊急性を帯びていた。明日にも日刊予言者新聞が騒ぎ立てていたことだろう。
なぜ自分を真っ先に頼ったのか。
気になったルーファスは、思わずふたりに問いかけた。
「なぜ他の家族や友人ではなく、私に頼ったのだね」
「あの……」
ヘスティアはあたりをはばかるように視線を迷わせてから、声を潜めてこう囁いた。
「実は、ゆ、友人に相談したんです」
「姉上、それは」
「続けてくれ。その友人はなぜ私に相談するようにと?」
「その……こう言っていました」
一拍置いて、ヘスティアは言葉を続けた。
「正しき思慮こそ、神の最上の贈り物なり」
「……アイスキュロスかね」
「きっと神から新年の贈り物があるから、信じてみなさい、と……ごめんなさい、私にも意味がわからなくて」
意味がわからないのはルーファスも同じだ。
しかし、その友人とやらのおかげで、デメテルが動き出すよりも早く行動に移すことができる。被害者であるマグルは哀れだが、もとより魔法界の法でマグルを救済することはできない。それならば、できるのはアミカスとその協力者に厳罰を処すことだけだ。
どこかに違和感を覚えながら、それでもルーファスは自分の仕事を果たすためにパーティー会場を出た。
アーマンド・ディペットに寄り添う少女のことなど、すでに忘れ去っていた。