その血は呪われている   作:海野波香

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光よ(ルーモス)

 

 トロッコを降り、静かな呪文があたりを照らし出した。苦痛に歪む表情は黄金に覆われている。そこはまるで悪趣味な成金が作ったお化け屋敷のようだった。

 金庫の前で縮こまるゴブリンの頭髪を一本抜き取ったビルにそれを差し出されたルシウスは、受け取らずに杖明かりでそれを照らした。

 

「先遣隊が採取したサンプルによれば、これらの黄金像は変身術によるものとは性質が違うのだとか。当然ですね。あらゆる試行錯誤にもかかわらず――」

「賢者の石を除いて、魔法で金を生み出すことに成功したものはいない。ミスター・ウィーズリー、私は君にツアーガイドを頼んだわけではないのですがな」

「おや、そうでしたか? 僕はてっきり観光にいらしたものかと思いましたよ」

 

 一瞬、空気が張り詰めた。

 兎にも角にもマルフォイ家とウィーズリー家というのは隙を見せれば噛みつかざるをえない天敵と天敵のようなもので、それがこの緊急時であったとしても協力関係を一朝一夕に成立させるのは困難な話だった。

 ルシウスが知る限りでは、この両家の対立はマルフォイ家の先祖がエリザベス女王の宮廷に仕えていたころにはもうあったのだという。これはもはや血に刻まれた嫌悪感と言ってよかった。

 しかし、だからといってこの状況で使える手を突っぱねるほどルシウスは愚かではない。少しでも状況を改善するヒントを掴んで帰国するためにも、ビルのことは使い潰すつもりで酷使する必要があった。

 

「それで? 優秀なエジプト支局の呪い破りの皆様はこの変容をどう推理しているのですかな」

「……テンプル、例の標本を」

「はい、隊長」

 

 テンプルと呼ばれた浅黒い肌の呪い破りがポーチから一本の試験管を取り出した。

 杖明かりで照らされたそれは、どうやら黄金に変えられた衣服の断片を収めたものらしかった。その断片を保護するように赤い液体で満たされており、かすかにとろみがついているのがわかる。

 ビルはちらりとルシウスを見て、それから言葉を続けた。

 

「この液体は僕達がエジプトで墓守たちがかけた呪いを解明するのに使っている魔法薬です。特に疲れた墓荒らしを内側から食い破るキノコの呪いを解明するのに役立ちました」

「興味深い」

「重要なのはここからです。テンプル」

「はい」

 

 もう一本試験管が取り出された。厳密には試験管だったものだ。

 グリンゴッツのよく磨かれた大理石の床に反射する光を受けて、その試験管は絢爛に輝いていた。部分的に黄金と化したガラスはもはや魔法薬の実験に使うには不適切になったが、好事家なら買い取るだろう不可思議な高級感があった。

 二本の試験管を並べられて、ルシウスはすぐにそれが何を意味するか察することができた。

 

「呪いが拡大したのか」

「おそらくはそうです。まだこの呪いは生きている。……以前、父が僕の職場を見学に来たときに興味深い意見を聞かせてくれました。マグルはミイラにかかっている墓荒らし対策の呪いのことを、アスペルギルス菌というカビのようなものだと考えているのだそうです」

「ミスター・アーサー・ウィーズリーの指摘はいつも我々魔法族にはない見解ばかりを示してくれる。あるいは、魔法族に必要ない見解を」

 

 ビルは不快そうに眉をひそめた。

 

「我々呪い破りチームはこの意見が検討に値するものであると考えていますよ、マルフォイさん」

「親子愛に関しては私も尊重するべきと考えるところではあるが、業務に差し障りはありませんかな」

「ご心配どうも。総裁の指示でなかったらもう帰ってるところです」

「そして、総裁は君に私の指揮下に入るよう指示なさった。指揮下だ。わかりますかな、ミスター・ウィーズリー。君の意見を尊重するのはサー・グリンゴットが推薦した君の能力を買っているからだ。アーサー・ウィーズリーの息子だからではない」

 

 テンプルが怒りと不満を示すように一歩前に出ようとしたが、ビルはそれを制して首を振った。

 しばらく、鍾乳石から水が滴る音だけが響いていた。ドラゴンやトロールといった警備もいない今、グリンゴッツは静寂の湿り気に満ちた空間だった。

 

「……先に進みましょう。いい結果になるかはわからないけど」

「同感ですな。仕事は早く済ませるに限る」

 

 ルシウスがステッキで床を打つと、ビルはちらりとルシウスのステッキに目をやった。

 当然、アーサーの息子ならルシウスがステッキに杖を仕込んでいることくらいは聞かされているだろう。今にも背中から撃たれるのではないかと、ビルは常に意識をルシウスに向けている。

 悪くない実力だ。ルシウスは素直にビルという若者のことをそう評価した。少なくとも死喰い人だったころに彼と同じくらいの年頃で彼を凌ぐ実力の者はそういなかった。

 隊員たちもよく訓練されている。ビルの影のように付き従うテンプルと、先に進み時折戻ってきてはビルに報告を入れるサミールという男。地上には呪いの分析をすぐに行えるように後方支援部隊が待機している。

 グリンゴッツの実働部隊、呪い破りには決して侮ることのできない厚みというものがあった。

 

「問題の7番金庫はこの回廊を抜けて別のトロッコに乗り換えた先でしたね。路線を分けているあたり、セキュリティは徹底していたようですが」

「あのような太古の闇を一介の金庫で封じること自体が間違っていたのでしょうな。やつは出ようと思えばいつでも出ることができたのでしょう」

「……グリンゴッツの人間として腹立たしいですが、その点については同感です。ギリシャ支店はもっと早期に手を打つべきだったと思いますよ。今言ってもしょうがないですがね」

 

 ビルが線路に向かって杖を振ると、そこにトロッコが現れた。

 四人の魔法使いはトロッコに乗り込んだ。トロッコは自動運転で進み、むせ返るような湿気をかき分けながら地下深くへと進んでいく。石筍と鍾乳石、そしてその合間を縫うように走る防護魔法の青い光が流れるように消えていく。

 途中、向かいに座ったビルが何かを言おうとしたが、風を切る音でうまく聞き取れない。ビルは肩をすくめて杖を振り、トロッコに透明な風防を生み出した。

 

「確認しておきたいことが」

「それはトロッコに乗る前ではいけなかったのかね」

「場合によってはあなたをここから叩き落とすこともできる」

「ハ、面白い。何を確認したいのですかな、ミスター・ウィーズリー」

「グリンゴット総裁は7番金庫に腐ったハーポの意思と記憶が封印された魔法道具が眠っていたと僕に説明しました。そしてあなたはその魔法道具に詳しいとも」

 

 ビルの視線がルシウスに突き刺さった。

 

「なるほど」

 

 どうやらグリンゴットはルシウスに揺さぶりをかけるつもりらしい。

 ここで何を語るかによってルシウスの立場が定められる。危険な魔法道具の専門家である呪い破りのビルに生半可な嘘は通じない。かといって本当のことを話せば、正義の心あふれるウィーズリー家の息子はルシウスとダフネを糾弾するだろう。

 金気臭い指長の小鬼風情に圧をかけられることへの不快感はあるが、グリンゴットはダフネの一大スポンサーだ。彼をないがしろにするわけにはいかないだろう。

 幸いにして分霊箱についての情報は世に出回っていない。この手の誤魔化しは前回の終戦時にウィゼンガモットの法廷で散々やって慣れている。ルシウスはほんの1秒もかからずに考えをまとめ、口を開いた。

 

「詳しいというほどではない。闇の帝王が研究者でもあったという話はご存知かな」

「一応は」

「結構。服従の呪文の支配下にあったのであまり詳細を覚えているわけではないが、その魔法はかの人の研究資料に記されていたものと同一である可能性が高い。極めて高度な闇の魔法……その護りは並大抵の呪文では破れないでしょう」

 

 服従の呪文についての下りで退屈そうな顔をしていたビルが、最後の一節に目を輝かせた。危険に飛び込む呪い破りらしい態度だ。

 

「たとえばどのような対抗手段が?」

「知られている手段としてはバジリスクの毒などが挙げられますな」

「バジリスクの毒、なるほど……確か、最近ホグワーツで倒された個体がいたはずですね。死体は処理してしまったんだろうか」

「ホグワーツ理事として、あのような危険物をホグワーツに放置しておくわけにはいきませんからな。すでに要請はダンブルドアに伝えてあります。サンプル程度でよろしければ融通できないこともありませんが」

「それは……助かります」

 

 一瞬、ビルは疑うような目をルシウスに向けた。

 直截的な雄弁さだ。ウィーズリー家らしい、物怖じしない態度。政治家には向かないだろう。ウィーズリー家に子弟を政界へ送り込む資産があるとも思えないが。

 おそらく、ビルはルシウスが分霊箱への対抗手段を独占しないことに疑問を抱いたのだろう。ルシウスもそうしたい気持ちはある。しかし、残りの分霊箱がどこにあるかわからない以上、対抗手段を流布しておくのは対策として有効だ。

 確かにバジリスクの毒は貴重品だ。生きた個体は過去400年目撃されていなかった。だからこそ、これを惜しみなく提供する姿勢によってルシウスは信用を買うことができる。

 

「……でも、馬鹿馬鹿しい話だ。初めてバジリスクを飼育したのは腐ったハーポ。それなら、彼は後世に自分の残滓とその破壊手段、両方を残したことになる」

「あるいは、望んで残したか」

「ハーポが自分を殺す手段を用意したって言いたいんですか? それこそ希望的観測では?」

「さて……ひとつ確かなのは、腐ったハーポは自らの目的を明かしていないということだ。なんのために自らを保存したのか、なんのために今の世を騒がせているのか」

 

 ビルは怪訝そうにしていたが、反論は出なかった。

 トロッコが停車し、ビルが軽やかに飛び降りる。隊員たちが後に続き、ルシウスは最後に降りた。グリフィンライダーの先遣隊が発見した水たまりがまだ残っている。ルシウスが杖を振って水の中に道を作ると、ビルが眉をしかめた。

 

「できれば現場保存にご協力いただきたかったですね」

「失礼。先遣隊が採取したサンプルが未鑑定だとは思わなかったもので」

「鑑定は進めています。この水には魔法がかけられていました。一定の温度に保つだけの簡単な魔法ですが、どんな目的があったのか……」

「それを明らかにするのが君たちの仕事だ。では、進むとしましょう」

 

 一行は慎重に金庫への道を進んだ。

 静かだった。鍾乳石から水が滴る音も後方に過ぎ去り、運行しているトロッコもない今、ここにはこの4人だけがいる。

 そして、金庫に辿り着いた。

 

「……ひどいにおいだ」

 

 先頭を進んでいたサミールというアラブ風の魔法使いが思わずといった様子で鼻を覆った。

 水に揉まれたゴブリンの死体は腐乱しはじめていた。骨が剥き出しになり、ゴブリン特有の細長い指は床に転がってますます細くなっている。

 

「……サリンベッジだ。ギリシャ支店の特定口座管理部門の現場リーダー。この金庫も彼の管理対象だった。巡回中だったんだろう」

 

 ビルは静かに黙祷を捧げた後、小さく呪文を唱えて死体袋を呼び出した。そして杖を振ってサリンベッジの死体を黒い袋の中に収めた。

 血管や神経を通して繋がったままの臓器が床に広がった水から呼び出され、惨たらしい姿が露わになった。ビルは哀れむように小さく眉を動かしたが何も言わず、全てを死体袋で包んだ。

 

「持って帰るのかね。ここで消したほうが手っ取り早いが」

「同僚の亡骸をゴミのように処理しろと?」

「まあ、いい。それくらいを待つ時間はあるだろう」

 

 ゴブリンの死体が処理されている間、ルシウスは静かに部屋を観察していた。この部屋で一度殺されかけた。意識を失う直前、見えたのはダフネの小さな背中だ。かすかに震える肩。助けを求めるように動く杖腕の指先。

 この再訪で、ルシウスはダフネのために全力で情報を集めねばならない。

 ルシウスはローブの裾を濡らさないよう慎重に歩き、立方体状の部屋を調べはじめた。水音に混じって足音が響く。

 

「この水はどこから湧いて出るのだろうか」

 

 ルシウスが小さく呟くと、テンプルが顔をこちらに向けた。

 

「経路自体は通風孔からだと思いますが……反響音に違和感があります。地下に空洞がある可能性が」

「それは本来の設計通りなのかね」

「いいえ、銀行強盗の侵入経路になりかねませんから通常はありえません」

「ふむ……となると、ハーポが作り上げた空間が地下にあるのか。ミスター・ウィーズリー、床を爆破しても?」

「あなたの爆破程度で破れるならグリンゴッツは世界の銀行になってませんよ。テンプル」

 

 死体を袋に収め終えたビルが顔を上げ、テンプルに頷いてみせた。

 テンプルは金庫の外に出てポーチから杭のような何かを取り出し、複雑な呪文を唱えはじめた。極度の集中力が求められる魔法なのか、目を閉じて唱える様はまるで祈りを捧げるようだ。

 

「あれは?」

「金庫と対になっている礎石の固定杭です。拡張時に金庫ごと動かす必要があると、この杭で金庫を動かすんですよ」

「銀行強盗にその杭を狙われるのでは?」

「呪文を知っているのは関係者だけですし、仮に知っていても金庫の鍵が開けられるわけじゃありません。それより、外に出てください。金庫が動きますよ」

 

 全員が金庫の外に出ると、テンプルは額に汗を伝わせながら杭を引き抜くように動かした。途端に地響きが鳴り、目の前の金庫が浮上した。

 次の瞬間、ルシウスは後ろに飛び退いていた。

 

「これは……」

 

 確かに空洞が広がっていた。

 杖明かりを受けてもなお薄暗い空洞の底には、緑色の水面があった。不透明の水からは溺れた者が助けを求めるように奇妙なキノコのような何かが姿を現している。そして、そこからは鼻を突くような異臭が漂ってきていた。

 キノコらしき何かの周囲には黒い毛玉のような何かが浮遊している。ゆっくりと回転するそれはまるで穢れた邪教の天体図のようだった。

 ルシウスは直感した。長い年月の中で、腐ったハーポはここに力を蓄えていたのだ。

 

「これを見てもなお、死体を持ち帰ろうと思うかね」

 

 ビルは顔を青ざめさせながらゆっくりと首を横に振った。彼の目は空洞とそこに蓄積された穢らわしい何かに釘付けになっていた。

 この不気味な穢れはルシウスが知るあらゆる闇の魔術と一致しない。一体何が起きているのだろうか。背筋を伝う汗とは裏腹に、ルシウスは笑みを浮かべていた。

 

「……どうやら、掴んだ尻尾はバジリスクの尾だったようだ」

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