その血は呪われている   作:海野波香

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 革靴がアズカバンの霜を踏む。

 ガウェインがこの冷たい監獄を訪れたのは、ある囚人と面会するためだった。ウェールズを中心に各地を転々として殺人を繰り返したその女は、捜査の末ガウェインによって逮捕されたのだ。

 

「822番、面会だ」

 

 監獄の隅でゴミのように丸まっていたその女は、ゆるゆると顔を上げた。

 

「あんたぁ……確か」

「お前を逮捕した闇祓いだ、ミゼリコルディア」

 

 ミゼリコルディア――数年前、ガウェインに逮捕された鬼婆は黄ばんだ歯を剥き出しにして笑った。何本か欠けがあるのは、逮捕劇の際に起きた激闘の成果だ。

 

「お前には手こずらされたからな。思い入れもひとしおってわけだ」

「まさかこんな若造に捕まるとはねぇ……あたしもヤキが回ったもんだよ」

「実は、あれからお前の手口をずっと追っていた」

 

 その鬼婆にはまだ謎が残っていた。

 鬼婆という種族は屋敷しもべ妖精やゴブリンとは違い、ほとんど人間と変わらない姿をしている。足の指が4本しかないこと、そして老いると全身がイボだらけになることを除けば人間との見分けはつかないと言っていい。

 ミゼリコルディアを名乗るこの鬼婆は自らの外見が人間と変わらないことを活かし、地下鉄やタクシーを駆使して捜査網をくぐり抜けていた。

 

「お前は賢い。地下鉄もタクシーも俺たちからすれば想定外の手段だ。勉強になったよ。これからの時代は俺たち闇祓いももっとマグルについて勉強しなくちゃならない」

「そうだろうねぇ……あんたたち杖持ちはいつも杖を使わないことに無頓着なのさ」

「だが、疑問が残る。お前は一体、どこでマグル界のポンドを手に入れたのか」

 

 ミゼリコルディアは襤褸切れのような毛布を羽織ったまま、肩を震わせて笑った。

 

「そりゃあんた、あたしら鬼婆が生き肝しか取らないとでも思うかい? 死体の懐からいただいたのさ。死体に金はいらないだろぉ?」

「当時は俺もそう思った。ところが、面白い写真を手に入れてな。防犯カメラって知ってるか? 最近の発明らしいが」

 

 滑稽とばかりに笑っていたミゼリコルディアは、ガウェインが格子越しに突きつけた写真を前にして顔色を変えた。

 それは、()()()()()A()T()M()()()()()()()()()の写真だった。

 ロンドンの街角、ごく普通の主婦や労働者に混じって、ごく最近普及したばかりのATMを利用する鬼婆の姿を目にしたガウェインは一瞬すべてが信じられなくなった。

 そう、このミゼルコルディアという鬼婆はマグル界の銀行に口座を持っていたのだ。彼女は何の罪も犯すことなく、当たり前のように自らの口座からスターリング・ポンドを出金していた。

 闇祓い局にとってこれは完全な盲点だった。

 なにせ、マグル界のあれこれには疎いのが魔法族だ。この写真を見せた闇祓いの大半が、ATMを鬼婆の用いる原始的な祭壇の派生と勘違いした。

 

「俺の友人に()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()がいてな。それ以来、マグルの技術ってやつに興味を持って調べてたんだ。それで、この写真にたどり着いたってわけだ」

「……あたしゃ知らないよ。そんな動かない妙ちくりんな写真があるかい」

「あるのさ、ミゼリコルディア。俺はお前の足取りを追い、今朝一番にこのATMを設置してる銀行を訪ねた。知ってるか、今のマグル界の銀行は電気の通信で入出金の記録を残してるらしい。まったく、まるで魔法だな」

 

 入出金の記録。

 そう、口座に金が入っている以上はどこかの誰かが入金したのだ。金は無からは生まれない。

 そして、ミゼリコルディア自身がガリオンをポンドに変えた記録はなかった。つまり、彼女にはマグル界の収入があったか、あるいは彼女以外の誰かがマグル界の銀行を通じて送金していたということになる。

 

「誰がこの犯罪を幇助したのか、俺には調べる義務と権利がある。お前に殺された11人の魔法使いや魔女の無念を晴らすことができそうだ。俺は柄にもなく興奮したよ」

「……何の話だかさっぱりだね。あたしゃ寝るよ、帰んな」

「そう邪険にすることはないだろ、ミゼリコルディア。吸魂鬼の寒さが恋しくなったか?」

 

 ガウェインの肩に止まったアマツバメの守護霊をこれ見よがしに撫でてやると、ミゼリコルディアは威嚇するように唸った。

 吸魂鬼は人間以外の気配に疎いとはいえ、限りなく人間に近い鬼婆は吸魂鬼にとって少し変わった味のご馳走のようなものだ。ここ数年、彼女は冷たい看守たちに苦しめられてきたことだろう。

 守護霊で吸魂鬼から庇ってくれるガウェインの訪問を心から拒むことはできない。

 

「正直になれよ、ミゼリコルディア。どうせこれが明るみに出ればお前はシャバで居場所を失う。それなら司法取引に応じておいたほうが楽ってもんだ、そうだろ?」

「……お前はあの娘のことを知らないからそういうことを言えるのさ」

「娘って歳じゃないだろ――デメテル・ザビニは」

 

 デメテル・ザビニ。

 その名前が捜査線に浮上したとき、ガウェインは思わず「運命か」と口走った。

 

「お前に食われたのはいずれも高名な篤志家だった。捜査本部では逆恨みの線で見てたんだ。中にはお前達鬼婆の境遇に同情する者だっていたからな。だが、違う。お前がやってたのはデメテル・ザビニの競合他社を潰すことだった」

 

 乞食、病人、寡婦、みなし児。デメテルが支援してきた――つまり、デメテルの手駒となった人間は最初から彼女のところに集まっていたわけではない。

 魔法界は古くから互助のコミュニティを形成してきた。篤志家、慈善家の顔はデメテルの専売特許ではなかったのだ。行き場のない者を雇って杖の振り方を教える魔法の農園があり、常に下働きを募集している魔法の治療院があった。

 しかし、戦後の不況は篤志家の数を減らした。こればかりは仕方のないことだった。誰だって自分の生活が第一だろう。

 焼かれた家、失われた職、奪われた財産。戦争は市民を等しく不幸に落とした。篤志家が減った一方で救われるべき人々は増え、救世主の到来が待たれていた。

 そこで現れたのがデメテル・ザビニだったのだ。

 デメテルは膨大な資金と絶世の美貌で政財界に乗り込み、多くの市民にかりそめの救いをもたらした。そしてそのまま彼女は英国魔法界における慈善事業の第一人者として君臨するに至ったのだ。

 しかし、その背景にはどうやら闇が蠢いていた。

 

「つまり、こういうことになる。デメテル・ザビニはお前達鬼婆を尖兵として使い、不幸な人間を増やしていた。お前達はその見返りとして何人かの孤児をいただいていたというわけだ」

「ち、違う、あたしひとりで」

「俺の後輩に面白い闇祓いがいてな。()()()()()()()()()()()()()んだよ。お前ら鬼婆って連中は同族と見るとすぐに噂話をする。お前がアズカバンにぶち込まれたおかげで取り分が増えたって喜んでるやつがすぐに見つかったよ」

 

 ガウェインが笑ってみせると、ミゼリコルディアは歯を剥き出しにしてガウェインを睨んだ。

 

「あたしたち鬼婆がどれだけ苦労しているか、お前のような若造にはわからないだろうよ!」

「ああ、わからないね。しかし、もっとわからないことがある。どうしてザビニは鬼婆と手を組むことを選んだのか。そこで俺は基本に立ち返ることにした。やつの過去を漁ったんだ」

 

 デメテルはワガドゥーの卒業生だ。それは以前アーマンドの伝手で手に入れた卒業名簿と記念写真からわかった。

 ではその先祖はどこから来たのか。金と同様、人も無からは生まれない。デメテルにも必ず親がいる。当然それは純血旧家であるザビニ家の一族である。その血は疑う余地すらなく純粋で、清らかであるはずだ。

 ごく最近までは、そう思われていた。

 

「最初の疑問はアフリカ魔法界とザビニの関係だ。アフリカでは純血は重視されない。向こうにはそもそも純血旧家という概念がないはずだ。向こうの魔法省に照会をかけて驚いたよ。そもそも向こうには血統による家制度の記録がなかった」

「……どこにだって変わり者はいる! あの娘が偶然そういう家の生まれだった、それだけだろうが!」

「なるほど、一理ある。俺たちイギリス魔法界にだってウィーズリー家みたいな変わり者はいるしな。記録が残っていないだけで、ザビニ家は変わり者でヨーロッパかぶれの純血旧家だった。ひとまずこの疑問は解決だ」

 

 次の疑問に進もうとして、ガウェインは思わず笑いをこぼした。

 

「何がおかしいって言うんだい!」

「いや、すまん。あいつはなんでもお見通しだと思ってな」

 

 ザビニ家の影を追うガウェインに、ダフネはあるヒントをもたらしていた。

 歴史に名を残したザビニはもうひとりいる。

 

「ザビニという名前の魔法族は過去にもいた。グリンデルバルドのアコライトとしてあのニュート・スキャマンダーともやりあったんだそうだ」

「それがなんだい、あたしには関係ないね」

「俺はその男が逮捕され、釈放された後のことを漁った。どうやらその男は鬼婆の怒りを買ってパリで殺されたらしい。フランス魔法省に事件記録が残っていた。その鬼婆の名前はエレノア・グリム。魔法薬で美女に化け、ザビニの妻として子を授かったそうだ」

 

 ミゼリコルディアは牢獄の檻を掴み、ガウェインにその汚れた爪を伸ばした。しかし、彼女の鋭い攻撃がガウェインを黙らせることはなかった。

 

「興味深いと思わないか? 今、英国魔法界には永遠の美貌を誇る魔女がいる。そいつはザビニを名乗っているんだ。だが、パリで死んだザビニに子はその一人しかいなかった。鬼婆が生んだ、言ってみれば鬼子のようなものかな」

「殺してやる……あたしがここを出所したら真っ先にお前の生き肝を抜きにいってやるからな!」

「つまり、こういうことになる。デメテル・ザビニは――鬼婆の血を引いている」

 

 これが露見すれば一大スキャンダルだ。

 鬼婆はどちらかといえば闇の陣営に与していると見なされがちで、罪を犯せばろくな裁判も経ずにアズカバン送りになる。その鬼婆の血を引いた魔女が、鬼婆たちを指揮して計画殺人を繰り返していたのだ。

 ようやくガウェインはデメテルの尻尾を掴んだ。これでダフネとアステリアを守るという誓いは遵守できそうだ。

 もちろん、このままでは『週刊魔女』も掲載しないようなゴシップにしかならない。必要なのは証言と証拠、それも単に鬼婆の血を引いているというだけでなく悪事を企てていたという明確な証拠がなくてはならない。

 

「俺がどうしてお前にこんな話をしたと思う? あいにくと遊びのつもりで推理ショーを披露するほど暇なわけじゃない」

「殺してやるぞ、闇祓いぃ!」

「お前がそうやって怒るかどうか、それを確認したかったんだよ。いい情報をありがとよ、ミゼリコルディア。つまり、お前たち鬼婆はサラマンダーの尻尾切りで投獄されてもなおあの女に忠誠を誓ってるわけだ」

「ッ、あたしを担ぎやがったな!」

 

 この情報は大きい。

 デメテルは単に鬼婆を雇用していたのではなく、支配している。小さな闇の王国の女王。彼女の影はイギリス中に広がっている。そして、どうやらそれは魔法界に限った話ではない。

 

「なるほど、排外思想の薄いアフリカ出身ならマグルに混じって行動することにも抵抗はないだろう。デメテル・ザビニの最大の強みはマグル界の使い方を知っていたことにあったわけだ。慈善家として政界で名を馳せるというのもどちらかといえばマグルらしい考えだった」

「だからなんだってんだ、それで捕まえようってかい!」

「お、詳しいな。そうだ、マグル界に詳しくてマグル界のあれこれを利用してるだけじゃ罪には問えない。それどころか、マグルと親和的として一部から称えられすらするわけだ」

 

 かねてより、デメテルが乞食や寡婦を使った情報網を構築しているという可能性は闇祓い局の中でも指摘されてきていた。そこにマグル界への理解が合わさるのであれば、デメテルが他国出身であるにもかかわらず英国魔法界で一大派閥を築き上げたことにも納得がいく。

 しかし、それだけでは説明のつかなかった部分もある。

 

「ところが、だ。以前、俺の友人の家に人狼が押し入ろうとしたことがあってな? デメテル・ザビニはそいつに狼人間登録簿への登録をすすめたらしいんだよ。ところが、そいつは承諾したその晩に約束を破って強盗に入ろうとした」

 

 グリーングラス邸を襲った人狼の取り調べは、パイアスが手を回したことで狼人間捕獲室ではなく闇祓い局で行われた。

 その結果わかったのは、その人狼は名前も知らない鬼婆に唆されて強盗に入ったということだ。

 屋敷に住んでいる子どもの生き肝さえ譲ってくれれば後は好きにしていい。そう言ってその鬼婆は魔法薬で屋敷の守りに穴を開けた。鬼婆の中には卓越した魔法薬の技術を持つ者もいる。人狼は疑いすらせず、金銭と若い肉のために敷地に忍び込んだ。

 

「デメテル・ザビニの名前は最後まで出てこなかった。鬼婆とデメテルを繋ぐ線も見つからなかった。今日までは、だが」

「この……畜生め。お前の一族を呪ってやる!」

「どうやらお前は俺よりもデメテルについて知っていそうだ。色々と話を聞かせてもらうとしよう」

「あたしが口を割ると思うかい!」

「こういう時ばかりは人間至上主義者が法律に携わっていたことをありがたく思うよ。俺が鬼婆相手でも丁寧に取調室の予約を取ると思ったか?」

 

 ガウェインは杖を構え、ガウェインの鼻先に食らいつこうとして身をよじるミゼリコルディアの目を覗き込んだ。

 通常、取り調べで開心術や真実薬を使うには所定の手続きを踏まねばならない。ましてや囚人に対してとなれば、権利を無視したことが露見すれば市民からの突き上げで闇祓い局の立場が危うくなる。

 しかし、鬼婆は人間ではない。

 

「さあ……いろいろ教えてもらおうじゃないか」

 

 立場の危ういダフネを助けるため、ガウェインは奔走してきた。

 なんとかしてスクリムジョールの関心をダフネから逸らさなければならない。そのうえでダフネにとっての障害も取り除きたい。それならば、一番いいのはデメテルを潰すことだ。

 ここで確かな証拠を掴み、デメテルを叩く。

 

「――開心せよ(レジリメンス)

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