その血は呪われている   作:海野波香

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 いよいよ冬が迫っている。

 ホグワーツにより一層の寒さをもたらした少し早い冬の風が、情勢に変化をもたらしている。11月も終わろうとしている今、葉を落とした枝々の間を漂う吸魂鬼の不気味さは生徒たちに凍えたような感覚を与えたが、それでもやってくるクリスマスへの期待までは奪えなかった。

 

「お姉様ー!」

 

 大教室に飛び込んできたアステリアを笑顔で迎え入れながら、ダフネは書きかけの手紙を裏返した。

 ガウェインは素晴らしい働きをしてくれた。人狼をけしかけたのがデメテルであることは確信していたが、証拠がなかった。まさか鬼婆が彼女の支配下にあったとは。

 もっとも、鬼婆の証言は法廷では十分な証拠とは言えない。尋問において鬼婆の権利は認められていないが、証言において鬼婆の価値も認められていないのだ。

 それに、ウィゼンガモットにも彼女のシンパはいる。鬼婆をひとりやふたり検挙したところで、そう簡単に盤面は覆らない。デメテルを法廷に引っ張り出すことすら現状では難しいだろう。

 しかし、重要なのは法的制裁を加えることではない。要はデメテルの信用を失墜させればいいのだ。これは正義の戦いではないし、ダフネは正義の味方でもない。鬼婆たちを支配しているという不都合な事実を見逃すほどダフネは優しくなかった。

 

「ご機嫌ね、アステリア」

「最高にご機嫌です! コレットのお姉さんが昇進することになったんですよ! 大臣室の帳簿を預かる偉い人になったんです!」

「あら、それは素敵ね。優秀な彼女が昇進するのは当然のことだけれど、めでたいのは確かだわ。オリヴィアに私がお祝いしていたとお伝えくださるかしら、コレット」

「あの……はい、あ、ありがとうございます」

 

 姉を褒められたコレットは俯いたままおずおずと感謝の言葉を口にした。柔らかな栗色の髪に伏し目がちな琥珀色の瞳、撫で肩に少し丸まった背中。このグリフィンドールらしからぬ引っ込み思案な少女はアステリアの友達だ。

 この小リスのような少女は入学のその日にアステリアと親しくなり、それ以来いつも一緒にいるのを見かける。いつもならここにマグル生まれの友達カイン・リヴィングストンが加わるが、彼は蒼の貴血(ブルーブラッド)の勉強会に来る日は同行していない。

 ダフネはコレットに興味があった。彼女のことを認識したのはアステリアの友達になってからだが、メリフルア家については以前から関心を向けていた。

 メリフルア家はブラック家とも姻戚関係にある純血の家系で、親戚にはマグル狩りを合法化する法案を強行通過させようとしたアラミンタ・メリフルアがいる。シリウスの母ヴァルブルガのいとこにあたる人物だ。

 それも重要だが、なにより大事なのは彼女の姉がオリヴィア・メリフルア、大臣室の官僚でルシウスの協力者であることだ。ヤックスリーの妨害で停滞してしまったが、シリウスの再審請求は彼女とルシウス、そしてクラウチの協力で進められていた。

 

「オリヴィアはお元気? ルシウスおじさまが家の仕事でギリシャに飛んでしまったでしょう、それでこちらでの仕事が任せきりになってしまったから申し訳ないとおじさまが言っていたわ」

「姉さんは、その、とっても元気で……」

「そう、それはよかったわ。いつの時代も優秀な人に仕事が集まるのが組織の理ですけれど、オリヴィアは少し周りに仕事を押し付けられすぎだわ。私がなにかお役に立てればよいのだけれど」

「えっと、その……はい、そう思います」

 

 こくこくと頷く様子は小動物のようで、その瞳からはかすかに警戒心が見て取れる。彼女もハーポの細菌に毒されているのだろうか。それとも姉に何か吹き込まれたのだろうか。

 どちらにせよ、アステリアの友達であるうちはコレットを通じて何かをする予定はなかった。アステリアが自分で選んだ友達を政治の道具にするのは姉として気が咎める。もちろん、コレットが自ら進んで役に立つ分には構わないし、そうなるように仕向ける手もないではないが。

 

「お姉様、2年生の呪文学の副読本をお借りしてもいいですか? あと、選択授業のパンフレットも借りたいです!」

「いいわ、持っていきなさい。でも、予習には少し早いんじゃないかしら」

「コレットは呪文学がとっても得意なんですよ! フリットウィック先生が『ここまで上達の早い一年生はなかなかいない』ってお褒めになって、カインが悔しがるくらいなんですから!」

「あら、そうなの? それは素晴らしいことだわ」

「えっ! あ、そ、その……す、少しだけできるです、はい」

 

 顔を真っ赤にしたコレットはアステリアから渡されたばかりのパンフレットを持ち上げて顔を隠し、わたわたと後ずさりした。

 意外なところに才能が隠れているものだ。この勉強会の名声が汚された今、成績のいい参加者は多ければ多いほどいい。少しずつ勉強会の看板をダフネから他の参加者に移している中、こうして優秀な参加者が現れたのは喜ばしいことだ。

 

「い、行こ、アステリア!」

「はい! お姉様、また後で!」

「ええ、楽しんでらっしゃい」

 

 教室の隅へと消えていったふたりを見送ってから、ダフネは立ち上がった。

 

「パンジー、お願いできる? 少し外の空気を吸ってくるわ」

「おっけー、任せて。……あっ、そこのハッフルパフ! 火の出るような呪文を唱えるときは先に上級生に声をかけなさいって言ったでしょ!」

 

 怒気を露わにして駆け寄っていくパンジーにこの後叱られるであろうハッフルパフ生は哀れだが、ひとまず勉強会はなんとかなりそうだ。

 ダフネは教室を出て回廊を進み、迫りくる冬の寒さに息を白くしながら湖へと向かった。

 夜間外出の手段がなく、周囲の目が厳しいダフネにとってホグワーツは身動きを取るのが難しい環境だった。デミガイズ製の透明マントを買うことも考えたが、透明マントを持ち歩くというのはやましいことがあると自供しているようなものだ。

 ホグワーツは小高い丘の上に建てられている。そのため、水中人の住んでいる黒い湖に向かうにはしばらく坂を下る必要があった。

 遠くにハグリッドの小屋が見える。煙突から立ち上る煙。彼の焼くロックケーキは紅茶に浸さねば齧ることも難しいほど固いが、それがダフネにとっては妙に面白く、時折彼が手土産にと焼いてきてくれるのをどこかで心待ちにしていた。

 坂を下り、アーマンドが校長時代に植えたベリーの茂みが紅葉しているのを横目に歩いていく。この坂にも無数の時代が刻まれているが、今はそれに浸っている気分ではなかった。

 

「――やあ、グリーングラス」

 

 木陰からかけられた声に振り向くと、枝の上にハッフルパフの黄色い裾が見えた。

 ひらりと舞い降りてきた青年は、爽やかな笑みをダフネに向けた。たくましい体つき、凛々しい眉。ハッフルパフのプリンス、セドリック・ディゴリーだ。

 セドリックとの関係はさほど深いわけではない。ハッフルパフの下級生が勉強会に出入りするようになってから何度か様子を見に来たくらいだ。彼自身が勉強会の会員というわけではない。

 しかし、ダフネはセドリックが訪ねてくるたび積極的に声をかけるようにしていた。偉大な魔法大臣エルドリッジ・ディゴリーを輩出したディゴリー家の跡取り息子を蔑ろにするべきではない。それに、彼個人の性格にも好感が持てる。

 

「あら、ミスター・ディゴリー。ごきげんよう。木の上でお昼寝とは、見事な体幹ですこと」

「これが意外といいトレーニングになるんだ。気を抜いていてもバランスを維持できるっていうのは箒乗りの基本だからね。散歩かい?」

 

 ダフネが微笑んで頷くと、セドリックはローブの内側からマフラーを取り出した。

 

「その格好じゃ風邪をひきそうだ。貸すよ」

「お優しいのね。でも、遠慮しておいたほうがいいかしら。あなたのファンに呪われそうだわ」

「大丈夫、ホグワーツにそんな悪い子はいないよ。君だって、噂されてるほど悪いやつには思えない。……噂のこと、あまり気にしないほうがいい。君は単に少し目立ちすぎただけだ」

 

 どうやらセドリックは励ましてくれているようだ。

 ここ数日でダフネを取り巻く状況は幾分改善された。依然として疑念は突き刺さり、背後にひそひそ声が漂うものの、アステリアに言いがかりをつけたりダフネを直接尋問しようとするような愚か者は現れなくなった。

 もしかするとスラグホーンが約束通り手を回してくれたのかもしれない。なんにせよ、気持ちが楽になったのは確かだ。

 少し思案して、ダフネは結局ハッフルパフの黄色と黒で編まれたマフラーを受け取った。ほのかに蜂蜜と林檎、そしてなめし革のにおいがする。ハッフルパフのクィディッチ選手らしい香りだ。

 

「きれいにして返しますわね」

「気にしないで、って言おうと思ったけど……君が巻いたマフラーをそのまま返してもらったなんて知れたら、それこそ僕が君のファンに呪われそうだ」

「あら、ホグワーツにそんな悪い子はいないのでしょう?」

「僕そんなこと言った?」

「ふふ、言わなかったかもしれませんわね。では、お借りしていきますわ。どうもありがとう、ミスター・ディゴリー」

「これは前も言ったと思うけど、セドリックでいいよ。じゃあ、また」

 

 ひらりと手を振って、セドリックは城に向かって歩いていった。

 蒼の貴血(ブルーブラッド)に弱点があるとすれば、それは彼のようなリーダーシップのある上級生を囲い込めていないことにある。ダフネが主導権を握る結社である以上仕方のないことではあるが、上の世代を取り込めないというのは少々惜しい。

 しかし、セドリックのようなタイプを純血のための闘争に没頭させるのは難しいだろう。セドリックは分け隔てなく下級生を助けることを選ぶに違いない。

 風が吹いた。

 頰を枯れ葉が掠めていく。かすかに感じるかび臭さは吸魂鬼が通った跡だろうか。ダフネはマフラーをしっかりと巻き、息を吐いて再び歩きはじめた。

 

「セドリック・ディゴリー、か」

 

 何も介入しなければ、来年度にセドリックは命を落とす。

 もちろんダフネは彼を助けるつもりでいた。魔法生物規制管理部を掌握しようと思えば、セドリックの父であるエイモスを陥落させるのが一番効率がいい。彼は有能というわけではないが、アーサー同様省内に顔が利くタイプの官僚だ。

 人間至上主義者の側面もあるルシウスは魔法生物規制管理部を甘く見ているが、彼らの管轄には人狼やゴブリンが含まれる。ダフネは魔法生物規制管理部を軽視するつもりはなかった。

 問題は来年、三大魔法学校対抗試合の裏側が不透明なことだ。

 バーテミウス・クラウチ・ジュニアはアメリカでロックハートの監視下にある。ピーター・ペティグリューはもうすぐ確保できる。

 ハーポが世に放たれた以上、ヴォルデモートは無力化してしまったほうが都合がいいだろう。そのためにはホグワーツが最も無防備になる瞬間である三大魔法学校対抗試合を完全に制御する必要がある。

 予言がある以上、いつかハリーとヴォルデモートは戦う。

 では、いつ誰がどこでヴォルデモートを復活させるのか?

 

「……今考えても詮無きことですわね」

 

 ダフネは爪先で枯れ葉を蹴散らし、小さく笑った。

 寒さのせいか、陽が傾きはじめた湖畔には人影がない。都合はいいが、景色の寒々しさに思わず背筋が粟立った。あるいは遠くに見える吸魂鬼のせいだろうか。

 ポケットに手を入れ、コインを握る。モリガンを信用するつもりは少しもなかったが、この記念硬貨がただのガラクタである証拠もない。試してみる価値はあるだろう。

 少し緊張しながら水面に指先を触れようとした、その時だった。

 

「――水中人と話すのならば、泡頭の呪文を練習したほうがよいじゃろう。彼らの言葉を練習するのには些か時間がかかるからのう」

 

 勢いよく振り向いたせいで転びかけたダフネの背を、皺の寄った手がそっと支えた。

 白く豊かな髭に迷い込んだ枯れ葉を払いながら、ダンブルドアがにこやかにダフネを見下ろしていた。

 

「こんにちは、ダフネ」

「……最近気づいたのですけれど、先生って意外と意地悪ですわね?」

「おや、そう思うかね? マクゴナガル先生によれば、これでもわしは昔よりずっと素直でまっすぐになったそうじゃよ」

「不良中年だったころの先生にはとても興味がありますわ、私」

 

 しばらく、ふたりは見つめあっていた。

 湖の冷たさをすくい上げるようにして走る風がダフネの細いくるぶしを撫でていく。底冷えするような寒さだが、これでもまだ冬の始まりだ。

 ややあって、ダンブルドアは静かに切り出した。

 

「今日は埋め合わせにきたのじゃ、ダフネ。わしに機会を与えてくれるかのう」

「あら、先生に謝っていただくようなことがあったかしら」

「あるとも。そうじゃ、わしは腐ったハーポの呪いに絡め取られ、君を疑った」

 

 あっけらかんとそう言ってみせたダンブルドアは膝を折り、ダフネの目線まで顔を下ろした。

 

「すまなんだ、ダフネ。これは教育者として何より恥ずべきことじゃった。そして何より、ハーポとの戦いを君に押し付けてしもうた」

「私が蒔いた種ですもの、私が戦わねば誰が戦いましょう」

「実に勇敢で正義心に溢れた言葉じゃ。ハーポの一件が秘密でなければ、わしは喜んで君に得点を与えていたことじゃろう。しかし、じゃ。君はもう知っておると思おうが、君はひとりで戦わねばならぬわけではない」

 

 ダンブルドアは杖を取り出し、ダフネに手を差し伸べた。

 その目はまっすぐだった。いつもの少年のようにキラキラと輝く瞳でもなく、疑念に満ちた吸い込まれるような瞳でもなく、ただひたすらにダフネを正面から見つめていた。

 

「戦うなとは言わぬ。もはやわしにそれを口にする権利はないからのう。しかし、その旅路を共にする老いた荷物持ちとして、わしを連れていく気はないかね? わしはきっと君の役に立つ。この杖に誓ってもよい」

「……ふふ、杖に誓う必要はありませんわ。そんなことをしたらグリンデルバルドが悲しみますわよ」

 

 からかうような言葉が胸を突いて出たのは、仄かな苛立ちがダフネを揺らしたからだった。

 何を今更、という幼稚で感情的な苛立ち。

 長い戦いの中でダフネがハーポの呪いに苦しんだのは、相対的に見ればほんの一瞬のことだ。しかし、その苦しみはダフネをじわりと蝕んだ。夜毎にハーポへの形のない恐怖は深まり、逃げ場を求めて何度もニコラス・フラメルの中和剤を握りしめた。

 それでも、ダフネはここで立ち止まるわけにはいかない。個人的な感情のために足を止める猶予はダフネにはないのだ。

 だから、ダフネはダンブルドアの手を取った。

 

「私、先生のお力をお借りしてばかりですわね。返すあてのない借りが一番怖いと昔教わりましたわ」

「きっと君にそれを教えた人は君がここまで友に恵まれることを予想しておらなんだじゃろう。友人として、わしは今日力を貸すのではなく、喜んで君と力を分け合うことを選ぼうぞ」

「先生らしい物言いですこと。……では、行きましょうか」

 

 ダンブルドアが杖を振ると、湖に渦が生まれた。

 底の見えない深い渦。それはきっと湖底まで続いているのだろう。そして、ダンブルドアはダフネの手を取ったまま湖へと足を踏み出した。

 つられてダフネが前に進むと、靴底が水面を踏んだ。まるで手入れしたばかりのペルシャ絨毯の上を歩いているような、柔らかく歩き心地のいい質感だった。

 

「泳ぎは得意かね?」

「生憎と、あまり」

「では、このまま歩いていくこととしようかのう」

 

 空には星が出はじめている。

 風は冷たかったが、渦が跳ねさせた雫がダフネの頰を濡らすことはなかった。

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