「――以上が初回の勉強会で起こった出来事です」
報告を聞きながら、ダフネは窓の外を見ていた。
ホグワーツは堅牢な城だ。いつの時代も、堅い護りを崩すのは獅子身中の虫。時代も地域も関係なく、密偵が嫌われる最大の理由がそこにある。
その点において、カイン・リヴィングストンは勇敢な少年だった。
「結構。大変興味深い話を聞かせていただきました。心から感謝いたしますわ、ミスター・リヴィングストン」
片膝をついて頭を垂れる少年は、端から見れば完璧な騎士のように映るだろう。
端正な顔立ち。成績優秀。杖捌きも1年生らしからぬ冴えを見せている。マグル生まれというハンディキャップをものともせずに頭角を現した彼は、アステリア、コレットのグリフィンドール三人組として広く知られつつあった。
そのカインがなぜフクロウ小屋でダフネに跪いているのか。
「いいでしょう、貴方の提案を呑みます。これよりあなたは
「……感謝いたします。これからの魔法界を牽引する首領であるあなたとお近づきになれたことは、僕にとってこの上ない幸いです」
面白い子が入ってきた、とダフネは小さく笑った。
カインはずっとダフネに接触する機会を求めていた。友人の姉だからではない。ダフネが力を持っていると感じたからだ。
野心。
その瞳に燃える炎を見ればわかる。カインは栄達を望んでいた。魔法界で立身出世するためには、マグル生まれという背景が足を引っ張ることも理解していた。そして、そのためにまず何よりも得るべきはコネクションであるということも。
「少し調べさせてもらいましたわ、ミスター・リヴィングストン。お母様と二人暮らしですわね。お父様はブリティッシュ・ペトロリアムの石油プラントに勤務していた労働者で、事故で亡くなられている」
「僕の身辺調査を? 信用いただいているものと思いましたが」
「妹の周囲にいるのが何者かを知っておきたいと思っただけですわ。これから友人になれれば嬉しいことですわね」
カインは答えず、静かに跪いていた。彼がダフネに求めるものは友誼ではない。
屋敷しもべ妖精による身辺調査の通りなら、行儀の良さは母方の祖母に躾けられた賜物。出自を隠せば明日からでも純血社会に溶け込めるだろう気品を有している。あるいはアステリアが気を許したのもそういった雰囲気があってこそか。
ダフネはカインが気に入っていた。大きな目標を持つ若者は長く働いてくれるいい駒になる。たとえマグル生まれであっても、いや、マグル生まれだからこそ、ダフネには価値ある駒として映った。
「僕の話より、勉強会の話をしませんか」
「ええ、そうね、よくってよ。貴方はどう思ったかしら。ジャスティン・フィンチ-フレッチリーはホグワーツの頂点に君臨しうるとお思い?」
ジャスティンが勉強会を開くという話が広まってすぐ、カインはダフネに売り込みをかけてきた。
目的はシンプルだ。カインがダフネに勉強会の情報を流す代わりに、ダフネはカインに道を与える。マグル生まれにとっては極めて困難な、魔法界での出世の道を。
そして、今日は約束されていた報告の日だった。
「……あるいは、ありえるでしょう。彼には度量がある。才覚もある。機転も利く。強い男です。出自を苦としない、柔らかな力強さがある」
一言一言を噛み締めるようにそう口にしたカインは、どこか嫉妬しているようだった。
自分であれば。そう考えるのは理解できないことではない。カインはジャスティン同様のマグル生まれだが、ジャスティンが持つ教養に由来する厚みがない。どれだけ躾で取り繕おうとも、貧民のメッキはどこかで透けて見える。
ジャスティンの強みはまさにそこにある。マグル界のサラブレッド。石油メジャーの執行役員を母に、上院議員を父に持つジャスティンにとって、教養とは手慰みのようなものだ。
しかし、ダフネの意見は違った。
「ふたりの暴漢がいたとしましょう。片方はナイフ、片方は銃で武装している。あなたならどちらを危険視するかしら?」
「それは……銃を持っている方ではないですか? ナイフの方は近づかせなければなんとかなりますが、銃は撃たれたら終わりです」
「では、シチュエーションを変えますわね。ふたりの銀行強盗がいました。ふたりは初犯で、犬も殺したことがないような綺麗な手をした普通の男たち。もちろん人殺しなんて怖くてできるわけがない。でも、金のために無我夢中で脅し、喚き、暴れることならできた」
振り返ったダフネが膝をついてカインの首に手を添えると、カインは小さく息を呑んだ。
「ナイフならこうして首を掻き切れる。でも、使い方のわからない銃には、せいぜい暴発する鈍器くらいの価値しかないと思いませんこと?」
「……ジャスティンは役立たずの銃だとお考えですか」
「彼には弾が込められている。でも、彼は狙いの付け方も知らないし、引き金を引いた反動の逃がし方も知らない。だから借りてきた猟犬に舐められるのですわ」
ダフネの予想が正しければ、フラウィウス・ブルストロードはジャスティンを利用しようとしている。その目的が何かまではまだ見当がついていないが、フラウィウスが若き思想家たちを支援するだけの目的で近づいたわけではないことは確かだ。
ジャスティンには情熱がある。若いとはいいことだ。両親の薫陶を受けたジャスティンには何かを成し遂げるだけの力がある。
しかし、その若さは彼にとって命取りとなりうるのだ。しかも、ダフネのナイフと違って、ジャスティンは飛び道具を構えている。国際魔法使い機密保持法という、とびきり危険な飛び道具を。
「国際魔法使い機密保持法が邪魔だという気持ちはとてもよく理解できますわ。これまで無数の改革者がこの法に挑み、そして散っていった……このまま進んだ時、彼がどうなるのかは歴史が証明していますわね」
ダフネはカインの暗い黒髪に指を通して、囁いた。
「ミスター・リヴィングストン。貴方の野心を私は肯定しますわ。だから、狙いをつけてあげなさいな。彼の構える銃に正しい狙いをつけて差し上げるのです」
「……あるいは、僕が求める狙いを?」
「あら、悪いことを考える方。妹の友達がそんなに怖い方だったなんて、私びっくりですわ」
ダフネはクスクスと笑ったが、カインは笑わなかった。
フクロウ小屋には誰もいない。ただフクロウたちだけが、ダフネとカインを見下ろしている。その猛禽の瞳はまるで獲物を品定めしているようだが、彼らは飼いならされた家畜だ。
今、この場で品定めしているのはただひとり、ダフネ・グリーングラスだけだ。
「誰もがあなたの噂をしている。ダフネ・グリーングラスはハリー・ポッターを隠れ蓑にホグワーツの事件を操り、名声を高めたのだと」
「光栄な噂ですわね」
「しかし……アステリアはあなたのことを愛している。あなたは志が高く、協調的な人物だと散々聞かされました。はっきり言って、どちらも真実とは思い難い」
「では、真実の姿は? 私の真実の姿はどのようなものなのかしら」
沈黙の答えを埋めるようにフクロウが鳴いた。
カインは賢い男の子だ。答えられない問いには答えないということを選べる。それは大抵の人々にとってとても困難な選択だった。
ダフネはローブのポケットから一枚の封筒を取り出した。それは招待状だった。
「まず、貴方に魔法法執行部とのコネクションを用意しましょう。魔法界における出世の最短ルートですわ。少し危険の伴うイベントになるかもしれませんが、ついてきてくださるかしら?」
「承知しました」
「従順になるべき時とそうでない時を覚えたほうがよくってよ、ミスター・リヴィングストン。いえ、アステリアにならって私もカインと呼ぼうかしら。いいでしょう、カイン?」
「……ご随意に」
カインは戸惑った様子だったが、それでもダフネが封筒を差し出すと手を伸ばして受け取った。
捺された紋章は巨大なバオバブの樹とそこに刻み込まれた三本の爪痕。ザビニ家の紋章だ。デメテル・ザビニからダフネとアステリアに招待状が届いていた。クリスマスのチャリティーコンサートだ。
「パーティーにはパートナーを連れていくことになっていますの。学生の場合は大抵が父親にエスコートされるのですけれど、私とアステリアは誰か他のパートナーを選ばなければならない」
「それを、僕に?」
「アステリアの友人としてエスコートをお願いできるかしら」
ダフネに促されるまま、カインは招待状に記されたアステリアの名前の隣に自らの名前を書いた。
元々、この招待状はデメテルの謀略だ。
今、ダフネを取り囲む状況は非常に悪いと言っていい。パーティーにパートナーのエスコートを受けられないとは、それだけ社交界で孤立しているということを意味する。デメテルはダフネの孤立を深め、その孤立で破滅させようとしていた。
たとえば、このパーティーでダフネを糾弾することもデメテルにはできる。先日の取り調べに関する噂はすでに広まっている。ダフネの名声を致命的なまでに失墜させようと思えば、彼女にはそれができた。場をデメテルがセッティングした以上、ダフネを庇う者はいない。
この策に乗じて状況を改善するプランはいくつか思いついていたが、ガウェインがデメテルの尻尾を掴んでくれたおかげでそのような遠回りをする必要もなくなった。
そして、どうせ大きなイベントになるのであれば、それを最大限に活用するべきだともダフネは考えていた。
「パーティーで得た情報は惜しみなく勉強会に還元なさって結構ですわ。むしろ、そうしていただいたほうがありがたい」
「……お考えをお聞かせ願えませんか。僕にどのような役回りをお望みなのです」
「貴方には出世していただきますわ。最終的にはマグル生まれの代表者として立っていただければ嬉しいですわね」
ダフネは魔法界に議会を導入しようとしている。それは純血魔法族を真の意味で貴族たらしめるためだ。しかし、単に純血魔法族のみで構成された議会を作ろうとしても、市民の反対を被るだけだろう。
そこでマグル生まれが重要になる。
マグル生まれや半純血によって構成された下院と純血魔法族のみによって構成された上院。その二院制を取り、そして上院の優越を成立させる。表向きはマグル界の知見を取り入れて近代化したことになるが、その実は純血社会が形を変えただけだ。
「ジャスティンはいいタイミングで動いてくれました」
「てっきりお怒りかと」
「なぜ?」
「火事場泥棒のようなものではありませんか? あなたの名声が陰った途端に立ち上がるというのは、要はあなたの築いた地盤をただで横取りしようとしているようなものでは」
ダフネが思わず声を上げて笑ったせいで、フクロウたちが驚いて飛び立った。
「火事場泥棒! それはいいわね、いつかジャスティンを正面からなじる機会があったら使って差し上げますわ。……少しも怒ってなどいませんわ。むしろありがたいくらいですのよ」
ジャスティンは動くべき時に動いてくれた。
しかし、マグル生まれのための会を潰したという心象をダンブルドアに与えてしまえば、いよいよダフネの活動は先細りしていくに違いない。ダフネが弱っていて、彼らを潰せないことへの言い訳が立つ今だからこそ、ジャスティンの活動が発足することを喜んで見逃すことができる。
マグル生まれの勉強会があるというのはダフネにとってむしろ都合がいいのだ。このままジャスティンには走り続けてもらわねばならない。ただし、カインという手綱の下で。
「しばらくはフラウィウス・ブルストロードを警戒しなさい。おそらくは影響力の綱引きになるでしょう。彼が何を企んでいるかはこちらでも探りを入れておきますわ」
「……そのようにいたします。最後にひとつだけ」
「何かしら?」
「ハリー・ポッターが勉強会に参加していた件については、どうお考えですか」
ダフネはフクロウを一羽呼び寄せて、封筒を持たせた。
ハーポの呪いがきっかけとなり、ハリーとは疎遠になってしまった。そのことがダフネを傷つけなかったわけがない。全てを投げ捨ててもいいのなら、今すぐハリーのいるところに駆け込んで彼を抱きしめたいとすら思う。
しかし、今立ち止まってしまえば、ハーポの呪いがダフネを絡め取るだろう。精神を腐らせ、恐怖に染め上げ、何もできなくしてしまうに違いない。
全てが終わったら。
ハーポの呪いが片付き、デメテルやヤックスリーといった敵を排除したら、その時はダフネもハリーとヴォルデモートを結ぶ運命に本腰を入れて介入することができる。ハリーのために戦うことができるのだ。
そのためには、まず足元を固めなければならない。ハリーと会って直接話したい気持ちはあるが、それは今ではないのだ。
「……ハリーには、貴方と私の関係は秘密であってほしいと思っていますわ。余計な疑念を彼に持たせる必要はありませんもの」
「仰るとおりです」
「アステリアにも私たちの関係は秘密ですわ。……あの子のよき友達であってくださるかしら、カイン」
カインは小さく頷いて、フクロウ小屋から去っていった。
招待状の返事を持たせたフクロウが遠くの空へ消えていく。このクリスマスでダフネは難敵をひとり排除することになる。
しかし、それは同時にこれまでデメテルが支援してきた病人や貧民、寡婦に乞食といった人々が放り出されることを意味する。これまでの戦いとは違う。今回の戦いには犠牲と痛みが伴う。
全てを救えるほどダフネの手は大きくない。
「……あなたなら、それでも全てを救うって言うのかしらね。ハリー」
曇り空にフクロウたちが舞っていた。空のどこを探しても、答えなど見つかりはしなかった。
あけましておめでとうございます。なんとか更新できました。
遅くなって申し訳ないです。
作者の状況については以下の活動報告でご報告差し上げたとおりです。
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=335211&uid=244813
しばらくは月1更新くらいになるかと思われます。
完結までゆっくりでも一歩ずつ進めていきます。よろしくお願いいたします。