一体どうしてデメテルは敗北したのか。
その鍵を握っていたのは他でもない、ニンファドーラ・トンクスその人だった。ガウェインは彼女をからかうために「ニンフのお嬢さん」と呼ぶが、さすがに仕事の場で見習いをそう呼ぶわけにはいかない。
「よし、全員集まったな」
スクリムジョールが会議室を見渡して重々しく頷いた。その後ろには義眼をギョロつかせて立つアラスター・ムーディと、彼が今育てている見習いのトンクス候補生がいた。
「ロバーズが掴んだ情報をもとにトンクス候補生が聞き込みを行ったところ、確証を得られた。よくやった、トンクス候補生」
「へへ、ありがとボス」
「デメテル・ザビニ逮捕は我々の悲願だ。やつの開催するクリスマス・チャリティー・コンサートで逮捕に踏み切る」
会議室に熱気がこみ上げた。
デメテルにかけられていたいくつもの容疑、とりわけ保険金殺人の容疑は魔法法執行部にとっての重大案件だった。しかし、そこに同業である篤志家の暗殺や信奉者を使った工作行為までもが露見した以上、彼女を逃す手はないということになる。
スクリムジョールの隣に副長として立つパイアスが、補足するように柔らかく声を上げた。
「現行の魔法法では鬼婆の証言には証拠能力がない。だから、我々はデメテル・ザビニが鬼婆と結託しているという現場を押さえる必要があるんだ」
「あるいは、その現場を作る」
「口を慎め、ロバーズ。だが、そうだ。我々はこれを機に鬼婆の一斉摘発を行うべきだと判断した。少なくとも、奴に繋がる鬼婆は逮捕しなくてはならない。これは組織的な犯罪だ」
大仕事になる。
ガウェインは脳裏でこの絵図を描いたダフネを思い浮かべ、身震いした。彼女は一体どこまでを予見していたのだろうか。
「アラスター、皆に状況を説明してくれ」
「わしとトンクスが一芝居打った。トンクスが鬼婆に変装して近々ガサ入れがあると吹聴して回り、わしが実際に鬼婆の集落に押し入ったわけだ。連中の間ではわしは多少名が知れている、だからわしに押し入られたという事実それ自体が意味を持つ、そうだろうが?」
ムーディの言葉に、若い闇祓いのプラウドフットが肩をすくめた。
「前の戦争を生き残った鬼婆相手なら、先生の名声は多少ってレベルじゃないと思うけど」
「ふむ、そうかもしれんが、ともかくわしは腸だの骨だのを差し押さえするふりをして情報をばらまいた。連中はすっかりデメテル・ザビニがクリスマスに逮捕されると思っている」
「それに何の意味が? 警備を強固にするだけでは」
プラウドフットの質問に、ムーディが鼻を鳴らした。
「やっこさんが鬼婆を警備に使えると思うか? 表向きは鬼婆とつるんどるなんて素振りも見せんのにか? 奴は鬼婆を遠ざけたがるだろうが、鬼婆どもは自分らの親分が捕まると知って気が気じゃない。認識の差異が生まれるわけだ」
「それだけじゃない。ロバーズ、報告を」
「やつの主催する結社『
つまり、こうだ。
トンクスとムーディの芝居によって、鬼婆のコミュニティにはデメテルが逮捕されるという噂が蔓延している。司法の理不尽さを知っている彼女たちはデメテルと自分たちの未来を思って不安を抱えることだろう。
その一方で、ダミアンから知らされた偽の捜査状況によってデメテルは慢心する。魔法法執行部は鬼婆のコミュニティに強行捜査をしてもなおデメテルの尻尾を掴めていないということになる。
「今回は奴の招待に応じる。だが、トンクス候補生は我々の伏せ札だ。トンクス候補生が現在収監中の鬼婆に変装し、デメテル・ザビニの動揺を誘う。そこで我々が表立って逮捕に動き、鬼婆を誘引して、叩く!」
スクリムジョールが拳をテーブルに叩きつけた。それは鬼婆とデメテルに下される鉄槌を象徴しているようだった。
すでにガウェインはダフネから計画を伝えられている。ダフネはデメテルから全てを奪うつもりだ。この作戦と重なることで、英国魔法界から鬼婆の力は半永久的に失われると言っていい。
テーブルの向こう側で一瞬パイアスが意味ありげな目配せをガウェインに向けた。それは、デメテルと分霊箱の関係を知るふたりだけがわかる合図だった。
「当日は激戦が予想される。お前たちが鬼婆の原始的な魔法に後れを取るとは思っていないが、それでも数は脅威だ」
「それだけじゃあないぞ! 闇の魔法使いや魔女がこの混乱に乗じて悪事を働くに決まっている! いいか、死喰い人崩れどもから決して目を離すな! 油断大敵!」
ムーディが大きな杖で床を叩いた。今更彼の口癖にいちいち反応するほど初心な闇祓いはいなかったが、今回は彼の警告が正しいと誰もが認識していた。
ルシウス・マルフォイやコーバン・ヤックスリーのような大物だけが闇の魔術師ではない。魔法法執行部は常にイギリス全土の闇を注視している。
会議室の熱気をものともしない穏やかな表情で、パイアスが話を続けた。
「班をふたつに分けようと思う。A班は劇場でデメテル・ザビニ逮捕に動いてもらう。B班は漏れ鍋で後詰めだ。煙突飛行ネットワークを前提とした即応部隊だと思ってくれればいい」
「シックネスの説明したとおりだ。A班は私が率いる。ドーリッシュ、副官を任せる」
「お任せください!」
ドーリッシュが厳しい顔を期待と緊張で紅潮させた。
同期であるガウェインがこの一件で大きな手柄を上げてからというもの、ドーリッシュは点数稼ぎに躍起になっていた。出世レースに出遅れたと感じたのだろう。
もっとも、スクリムジョールは書類上の検挙数だけで評価してくれるようなわかりやすいボスではない。だから、今回の配置はドーリッシュにとって間違いなく好機だった。
「ガウェイン、プラウドフット、パーマストンはB班だ。ガウェイン、指揮を取ってくれ。残りのメンバーは私と一緒に本部機能を果たしてもらうよ。トンクス候補生、君も役目が終わったら本部を手伝ってほしい」
「そんな、私も戦う!」
パイアスの発表にトンクスが噛み付くと、会議室に温かい空気が漂った。
誰もが候補生時代に似たような思いをする。現場を知るためと駆り出され、大した役に立てずに本部を手伝わされるのだ。負傷者の救護と関係各所への連絡のために待機するのはあまり楽しい仕事ではない。
年齢と経験から考えれば、トンクスは十分すぎるほど活躍している。七変化という先天的な才能をスクリムジョールは高く評価している。もちろん、それはムーディの推薦とそれなりに優秀な訓練結果があってのことなのだが。
「命令に従え、トンクス候補生。お前はまだ正式な闇祓いではないことを忘れるな」
「でも!」
「トンクス候補生、私たちは君を高く評価しているよ。だからこそ一歩ずつステップアップしてほしいんだ。こんなところで君を使い潰すのはあまりにももったいないと思う。そうだろう、アラスター?」
パイアスから話を振られたムーディは、不機嫌そうに鼻を鳴らしてから頷いた。
「今のまま前線で一端の活躍ができると思っているなら思い上がりもいいところだぞ、トンクス! うっかりで味方の足を引っ張っていいほど戦場は暇ではない!」
「私だってやるときはやるの、マッド-アイ!」
「訓練でわしを打ち負かせないうちは前線には出させん。そういう約束だろうが、え? 闇の魔術師はお前が思っているよりずっと手強いぞ!」
ここにいる闇祓いの大半と違って、トンクスは戦争を知らない。物心ついたころにはヴォルデモートが消え、戦後処理に進んでいただろう。
だからこそ、闇祓い局のメンバーにとってトンクスは末の妹のようなものだった。
パイアスはトンクスが本部に来る日には必ずお菓子を補充しているし、ドーリッシュは先日書店で部下の育成についての本を立ち読みしていた。スクリムジョールすら一度文句を言われてからニンファドーラと呼ばないようにしている。
活躍してほしいという気持ちはもちろんある。その一方で、平和な時代のうちにしっかり経験を積んで優秀な闇祓いに育ってほしいとも思っている。
もっとも、ガウェインとパイアスは今が平和な時代でないことを知っているのだが。
「当日は激戦が予想される。ウィゲンウェルド薬の支給も予定しているが、安全第一で行動しろ。魔法薬や魔法道具の携行を検討している者は今週中にシックネスまで申し出るように。以上、解散。ロバーズ、残れ。話がある」
やる気に満ちた闇祓いたちとふてくされたトンクスが会議室を出ていくなか、ガウェインはスクリムジョールに呼びつけられて会議室に残った。
スクリムジョールは無表情でガウェインを見つめていた。あまりいい気分ではない。それはスクリムジョールが取り調べの時に被疑者を追い詰めるための顔だからだ。
「座れ。……まずはよくやってくれた。デメテル・ザビニの尻尾を掴めたのはお前の捜査があってのことだ」
「嬉しいお言葉ですが、やつを逮捕してからボーナスをいただければそれで十分ですよ」
「やつを逮捕する前に確認しておきたいことがある」
ガウェインの向かいに腰掛けたスクリムジョールは、指を組んでガウェインを見つめた。
老いた獅子のような熟練の闇祓い。その威圧感は必ずしも敵だけに向けられるわけではない。魔法省官僚の中にもスクリムジョールを苦手とする者は一定数存在する。
もちろん、部下として威圧感だけで上司を苦手に思うことはない。それでも、こうして広い会議室にふたりで向き合うとかすかに緊張するのは確かだった。
「デメテル・ザビニの逮捕について、大臣室からは慎重に動いてほしいという要請が以前からあったのは知っているな」
「奴の空白をカバーする福祉制度を魔法省が構築できていないから、ですよね」
この点はダフネにも指摘されていた。
本来であればデメテルが行った弱者救済は政府が行わなければならないものだ。魔法省が福祉制度を充実させていれば、デメテルの求心力はより小規模なものになっただろう。
福祉制度を代行する形で台頭したデメテルは、本来魔法省が担わなければならないシステムを担う形で魔法省に接近した。その結果、大臣室の一部官僚がデメテルと急接近しているという報せは度々魔法法執行部を悩ませてきた。
「奴を野放しにするわけにはいかない。しかし、奴を逮捕することによって多くの失業者が生じるリスクがあるのも確かだ。だから大臣室は我々の捜査に否定的だった。……それが、ここ数日になって抵抗が大きく目減りした」
スクリムジョールの黄色い瞳がガウェインを静かに突き刺した。
「誰かがファッジを動かした。大臣室内の政治かとも思ったが、違う。動いたのは魔法大臣秘書課、ルイーゼ・メリフルアだ」
ルイーゼ・メリフルア。
決して目立つ人物ではない。大臣室の優秀な秘書だ。物静かで気が利くと評判だった。純血ということもありウィゼンガモットからの覚えも悪くない。ルシウス・マルフォイと接触したことで一時期マークされていたが、それも今は解除されていた。
これまでは、ルイーゼに注目する者など誰もいなかった。
「彼女に取り調べを?」
「いや、エレベーターでの立ち話で十分だった。ちょっとした雑談のつもりでマグル界の福祉についての話をしたそうだ。その話は妹のコレットから聞いたと言っていた。友達とマグル学の教室を見学した際に知ったことを送ってきた、と」
スクリムジョールがガウェインに探るような視線を向けた。
そう、これはダフネが仕掛けた計画だ。
ダフネはトップを動かした。ハリーの家出に乗じてファッジに好印象を植え付け、そのままハリーを話の種に戦災孤児や寡婦の救済が不十分であることを訴える。同時に秘書であるルイーゼからマグル界の福祉についての話を吹き込めば、ファッジは焦りはじめる。
ダフネはファッジを焦らせることに成功した。ファッジも愚かではない。デメテルが悪事でのし上がった魔女であることくらい察しはついている。もしデメテルが逮捕されれば、魔法省は代替手段を用意できないと気づいたのだ。
ファッジはアドバイザーを求めた。大臣室やウィゼンガモットにいるような魔術師は皆経済的に困窮したことがない。弱者救済のノウハウを持っている者が必要だった。
そして、アークタルス・ブラックが選ばれた。
「確かに、アークタルス・ブラックは適任だろう。マグル界の大戦でイギリスが干上がりそうな時に私財を投じてイギリスを救ったのは彼だ。その功績でマーリン勲章も授与されている」
「ええ、同感です」
「私には、お前とシックネスが共謀してこの状況を作ったように思える」
その呟きは静かだったが、確信を帯びていた。
「ブラック家の影響力を抑えるために、闇祓いを派閥に加えるのは魔法法執行部の伝統だった。それがいつの間にか逆転し、魔法法執行部には一定数のブラック閥がいるようになった。ファッジがシリウス・ブラックの捜査に我々ではなく吸魂鬼を投入した理由のひとつがそれだ」
「俺とシックネス副長が、ブラック家のために動いていると?」
「いや、お前たちの後ろにいるのはあの老人ではないだろう。……ダフネ・グリーングラスだな。奴であれば、デメテル・ザビニ以上の求心力を持って福祉システムの中心になれるだろう」
内心で、ガウェインは舌を巻いた。
スクリムジョールを侮っていたわけではないが、これだけの情報でダフネに辿り着いたのは恐るべきことだ。確かに彼は闇祓い局の局長だった。
「ブラック家に養子縁組した妹を看板に、新たな派閥の長となるつもりなのだろう」
「局長としては、見逃せませんか」
「私は法執行機関の長だぞ。奴が罪を犯せば、それを暴いて司法に引き渡す。それだけだ。……お前をグリーングラス家に派遣したのは迂闊だった。取り込まれるとは思っていなかった」
スクリムジョールは大きく息を吐いて、首を横に振った。
「俺はクビですか」
「その逆だ。なんとしてでもお前には昇進してもらわねばならなくなった。お前にはグリーングラスの抑え役という重要な役目ができたからな。暴走を未然に止めるのも我々の仕事だ」
立ち上がったスクリムジョールは、ポケットから包みを取り出してガウェインに放り投げた。
それを受け取ったガウェインは、その包みが最近フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーで売り出した溶けないアイスクリームであることに気がついた。
もしかするとスクリムジョールは、かなり深いところまでダフネを追っているのかもしれない。
「死ぬなよ、ロバーズ。お前が目をかけた子どもを逮捕するのはごめんだ」
「……当たり前ですよ。ジョンの野郎に負けるわけにはいきませんから」
「ドーリッシュとの関係も今のうちにもう少し改善しておけ。話はそれだけだ」
資料を杖の一振りで消して会議室を出ていくスクリムジョールの大きな背中を見送りながら、ガウェインは考えた。ダフネにとっての障害は少しずつ増えている。しかし、それは彼女が前進しているからだ。
ダフネが辿り着く先を、なんとしてでも見たくなった。
溶けないアイスクリームの包みを破いて、中身をかじる。不思議と口の中で冷たくなるバニラ味の塊を噛みながら、ガウェインは大きく伸びをした。