日刊予言者新聞編集長のバーナバス・カッフは、銀縁の眼鏡を軽く下げて訪問者の顔をじっくりと観察した。それを無礼と思われても問題とならない程度には、日刊予言者新聞編集長という地位は尊重されていた。
「なるほど、スラグホーン先生の紹介というなら是非もない。座ってくれ」
「ありがとうございます、カッフ編集長」
来客用の椅子に座ったダフネ・グリーングラスをなおも観察する。
セーターは肌触りのいいスコットランド製のカシミヤ。象牙色を選ぶあたり、汚れないという自信と落ち着きを感じさせる。スカートは厚手のツイード地でモスグリーン。大人びているが、嫌味になりすぎない組み合わせだ。
若葉色より少し深いグリーンの瞳は穏やかだが、目元には凜々しさがある。力強いと言い換えてもいい。昨今政財界で名前を聞くとおり、意欲と柔軟性の両面を兼ね備えた期待の若手と言ったところか。
その若手が、スラグホーンの紹介で訪ねてきた。
「それで、日刊予言者新聞に興味が?」
「ジャーナリズムには常に深い関心を向けていますし、その最大手である予言者新聞社はいつだって私にとって注目の的ですわ」
「記者になりたいわけではないだろう? 君は報じる側というより報じられる側のようだから。私も君には注目していた」
カッフは眼鏡を戻し、スラグホーンからの紹介状に書かれていることをもう一度確認した。
ホグワーツの3年生。夢は英国魔法界に議会制を導入することで、魔法界の官僚独裁と間接民主制についての開明的な論文が今ウィゼンガモットを騒がせている。成績優秀。生き残った男の子と親しい。妹はブラック家に養子縁組。
特ダネの宝庫のような存在だが、同時に火薬庫でもあるとカッフの嗅覚は告げていた。迂闊に手を出せば日刊予言者新聞は彼女の広報になる。それはカッフのジャーナリズム精神に反する。
「日刊予言者新聞は常に市民の代表者だ。杖の代わりにカメラとペンを突きつける。それは誰が相手であっても変わらない。特に政治家相手には、我々は常に批判的な目を向ける必要がある」
「ごもっともですわ。報道は広報に成り下がってはならない」
「そのとおり。それを踏まえて、君が私に何を求めるのか聞かせてほしい」
正直に言えば、カッフの気持ちはすでにダフネへの関心に傾いていた。
14歳かそこらで何人もの大人を手玉に取り、政界に乗り込もうとしている次世代の希望。彼女が新聞というメディアを使って何をするのか、何をしたいのかに興味があった。
カッフは根っからの新聞屋だ。プロデュースした特集で魔法省官僚を失脚させたことは一度や二度ではない。それが間違っていたとも思っていない。しかし、新聞にはそれだけの力があるという事実から目を逸らす気もない。
ダフネがその力をどう使うのかについては、注目のしがいがありそうだった。
「インタビューしてほしい人がいますの」
「ほう、インタビューね。その口ぶりから察するに君個人の話ではなさそうだが」
「先日のザビニ家によるチャリティー・コンサートでの騒動は当然ご存知でしょう?」
カッフは頷いて、庶務課の社員が運んできたコーヒーのカップに指を添えた。まだ飲まない。特ダネがあると騒ぎ立ててカッフに面会を求める愚か者は少なくないが、カッフにコーヒーを飲ませた者はほとんどいない。
「悲惨な騒動だった。あのデメテル・ザビニがまさか正体を隠した鬼婆だったとはね。我々予言者新聞としても彼女とは良好なお付き合いをさせてもらっていたから、正直ショックだよ」
「あの事件には、もっと深い始まりがある……と申し上げたら、ご興味はあるかしら」
「そういう話はどちらかといえば週刊魔女さんのほうがお得意だと思うが、まあ興味はある。聞かせてもらおうか」
まだ飲むには値しない。
これまでもカッフを訪ねてきた有望な若手は存在した。彼らはお世辞を言い、「特ダネの心当たりがある」と語り、対価として都合のいい報道をカッフに求めた。それはカッフにとって心の震える豊かな時間とは言えなかった。
あまり期待はしていなかった。スラグホーンの紹介がなければ会いもしなかっただろう。編集長として、多くの可能性を見てきた。その大半は退屈で、実の伴わないものだった。
しかし、カッフの批評するような視線にも怯えずにダフネは柔らかく微笑んで頷き、一枚の手紙を取り出した。
「これは1988年にアークタルス・ブラックから純血各家に送られたものです。内容それ自体はシンプルなもので、襟を正し純血として恥ずべきところのない振る舞いをせよという檄に過ぎません」
「……ああ、覚えている。ちょっとした騒ぎになったな。臨検を示唆しているんじゃないかって噂が立って、色んな家が後ろ暗い財産の整理をした。うちも一枚噛んで稼がせてもらったよ」
「この檄に乗じて、本当に臨検が行われました。これはご存知かしら」
「大臣室が動いたというあれか」
記憶は薄れつつあったが、カッフの明晰な頭脳はそれでもその事実を引っ張り出した。ゴブリンからのたれ込みがあったが、記事にするほどではないと片付けたものだ。
そのたれ込みによれば、大臣室が大臣令を盾に強行捜査を行ったのだという。いくつかの闇の物品が押収されたとそのゴブリンはこぼしていた。カッフも魔法法執行部ではなく大臣室が動いたことには興味を抱いたが、それだけだ。
「ええ。魔法法執行部にも知らされなかった臨検は、密かに行われました。そして、その先頭に立っていたのが大臣室上級次官であるドローレス・アンブリッジですわ」
「あの女か……まあ、やりかねないやつだ。黒い噂は色々と耳に入ってるよ。うちはあの女に騙された人間の駆け込み寺みたいなものだ。助けるとは限らないがね」
アンブリッジは日刊予言者新聞にとってお得意様のようなものだ。彼女は報道の力をよく理解している。
もちろん、カッフ個人のポリシーとして新聞社が政治の広報になってはならないとは思っている。しかし、社の利益を考えるのであれば時には政治家のための記事を書くこともやむなしという状況はある。特に、経営陣がそうしろと求める場合は。
今の経営陣には魔法省からの天下り官僚もいる都合上、大臣室との関係はよくするに越したことはない。ファッジ個人のバッシングは許されるが、大臣室官僚へのバッシングは許されないのだ。
「それで? 君もアンブリッジについてのたれ込みかい」
「誰がやったかは重要ではありませんわ。重要なのは、何が起きたかです」
「ふむ?」
さすがにこれはカッフも興味を惹かれた。
アンブリッジについてのネタを持ち込んでくる者は大抵アンブリッジを憎んでいる。あの女が誰かを蹴落とすときは再起不能になるまで蹴落とすのが常だ。そうでなければ待っているのは復讐。そのリスクを甘受するほどアンブリッジという魔女は甘くない。
だから、ダフネがアンブリッジ叩きに走らなかったことでカッフの関心は一気に高まった。
「グリンゴッツで押収された闇の物品のうち、ひとつがデメテル・ザビニに流れました。それがデメテル・ザビニを狂わせたのです。慈善家で篤志家だった彼女は、同業を排し弱者を搾取する苛烈な悪人に変えられてしまった」
「……なるほど、面白いアプローチだ。あの夜を境に誰もがミセス・ザビニを叩いているが、内心では彼女に救われた者も少なくはない。一定の需要は見込めるが……証言者がいないことにはな」
「そこで、話は最初に戻りますのよ」
コーヒーカップを傾けたダフネが、静かに微笑んだ。
「デメテルの息子、ブレーズ・ザビニの取材記事を掲載してほしいのです。彼が全てを証言しますわ。母が呪われても献身的に支え続け、元に戻る日を待ち続けた青年が」
「ふむ。……ふむ。お涙頂戴になるが、まあ悪くはない。味付けをこちらに任せてくれるのならいい記事には仕上げられる。だが、まだ見えてこないな。君のメリットはどこにある? まさかスラグホーン先生がくれたチケットをお友達のために使い捨てたいわけじゃないだろう」
そう、この話にはダフネの利益がない。
この記事が世に出れば、デメテルは一躍悲劇の人となるだろう。幾人もの夫を失ってなお、弱者のために戦い続けた魔女。それが呪われ、自らの夢ごとねじ曲げられてしまった。それでも息子は彼女を支え続け、ついに彼女の夢は終わった。
カッフの耳には世間で語られていない続報も色々と入っている。大臣室主導で魔法族福祉支援課が発足しようとしているとか、ノウハウのある古老アークタルス・ブラックがアドバイザーとして招聘されたとか、情報は枚挙に暇がない。
しかし、その中にダフネの姿はなかった。今、この瞬間までは。
「福祉財団を立ち上げようと思っているのです」
「なるほど? 応援したい気持ちがないわけじゃないが、デメテル・ザビニの後追いはいくらでもいると思うがね」
「出所後はそのデメテルが私のアドバイザーに就任することになっていますの」
「出所って言ったって、裁判は……」
「あら、鬼婆は裁判を受けませんわ。そうでしょう?」
一夜にして極悪犯罪者として名を馳せたデメテル・ザビニが、裁判を受けない。なるほど、それはそうだ。鬼婆に裁判を受ける権利は認められていないのだから。
だから、どのような刑罰を与えるかは英国魔法界の司法であるウィゼンガモットの判断ですらない。現場の、魔法法執行部の裁量で行われる。それはつまり、魔法法執行部の判断さえ揺らがせることができれば名目上の罰だけで済むことすらありえるということだ。
「私、魔法法執行部にはお友達が多いんですのよ」
くすりと冗談めかして笑ってみせたダフネを、カッフはもはやただの子どもとは思っていなかった。
「君は……随分と危ないことをするな。私がこの癒着を報じないだなんて、どうしてそう思ったんだ?」
「ホグワーツ3年生の小娘が魔法法執行部と癒着しているだなんて、そんな記事を日刊予言者新聞に載せたら信用が揺らぐと思いませんかしら」
そのとおりだった。
世間的には、ダフネという少女は多少名が通るだけの子どもだ。その彼女が魔法省の一部門に影響力を持っているなどと報じてしまえば、世間は日刊予言者新聞がゴシップ誌に落ちぶれたと嘲笑するに違いない。
カッフは生唾を飲み込んだが、むしろ自分が飲み込まれるような気分は緩みすらしなかった。
「だが、記事を出したところでミセス・ザビニの支持者が帰ってくるわけじゃないだろう。鬼婆とわかれば離れていく者は決して少なくはない。いや、9割だ。9割が離れると言っていい」
「十分ですわ。デメテルは質より量を選んだ。1割が残るのであれば、私が立ち上げた財団でも面倒を見ることはできる。デメテルと違って飼い殺しにしない、自立支援のための福祉システムであれば」
カッフの震える指がコーヒーカップを持ち上げた。
これがダフネ・グリーングラスか。
ただの小娘に過ぎなかったダフネは、これによって支持基盤を得ることとなる。支援を必要とする弱者と、支援をすることによって地位を得たいがノウハウのない中間層。大半が離れるとしても、その数は決して侮れない。
そして、ダフネはルシウス・マルフォイとも親しくしている。それはつまり、上流から下流まで英国魔法界のあらゆる層にダフネの影響力が及ぶようになるということだ。
英国魔法議会。ダフネが唱える夢が、現実味を帯びてくる。
「……君は、議員になりたいのだったね」
「ええ。英国魔法議会最年少の議員になってみせますわ」
「なりたい、と言わないところが面白い。そして実際、君はなるのだろう。君は今、票田を得ようとしている」
面白い。
今日、ダフネは記事を書かせに来たのではない。バーナバス・カッフという男をスカウトしにきたのだ。
本当に議会が完成すれば、そして英国魔法界に選挙制度が導入されれば、新聞社の仕事は一気に増える。トロールがどうの、ドラゴンがどうのという下らない記事に紙面を割く必要がなくなる。
議員とその候補者。日刊予言者新聞にとっては垂涎ものの好機だ。今からダフネを追っていれば、カッフは編集長として天下を取ることができる。そしてゆくゆくは、今の気に入らない経営陣を一掃して真のメディアとして予言者新聞社を再誕させることすら見えてくる。
そのためには、デメテルの印象を改善する必要がある。ダフネの財団にデメテルがアドバイザーとして就任しても世間の目が厳しくならない程度には、デメテルが善人だったことを知らしめる必要があるのだ。
そして、それはメディアの、カッフの仕事だ。
「私は日刊予言者新聞の編集長として、多くのたれ込みを聞いてきた。若い頃は自分の足で取材にも行ったものだ。だが……そうか。議会、議会か」
「今ご協力いただけるのであれば、議会発足までの全てをご覧に入れるとお約束しますわ。あなたは英国魔法界変革の生き証人として歴史に名を残すことになる」
憧れなかったわけではない。自らの名前で本を出し、歴史に名を刻むことを。編集者という裏方の仕事でここまで上り詰めておきながら、カッフにはどうしようもない欲があった。
だからスラグホーンに縋った。幸い、カッフにはスラグホーンに見出されるだけの才覚があった。学生時代は誰よりも校内のゴシップに精通し、発行した学生新聞は生徒たちのマストアイテムにまでなった。
スラグホーンのコネは、カッフを驚くほどスムーズに出世させてくれた。魔法省が行うどんな会見もカッフの席が用意されていた。スラグホーンの伝手で官僚から裏話を聞けば、退屈だったはずのニュースは鮮烈な色を帯びた。
それでも、期待していたほどのチャンスはなかった。生き残った男の子はダンブルドアに守られていたし、闇の帝王に密着取材する度胸はなかった。このまま平和な戦後が続き、カッフは紙面に下らないゴシップを踊らせる日々を過ごすものだとばかり思っていた。
これは特ダネだ。
「独占かい?」
「もちろん」
そうだ、他に譲ってはならない。
ダフネには気迫がある。ここまで走ってきたという自負。これからも走り続けるという覚悟。ただの幼稚な自信過剰ではない。たとえ茨の道であっても、そこを王道とし闊歩する威風だ。
本物。
レプラコーンの金貨ではない。本物の輝かしさが、目の前に座っている。
風が吹いた。窓を叩いたその風が、カッフの乾いた胸に流れ込むのを感じる。ずっと飽いていた。メディア人としてのカッフは次第に死んでいき、椅子の上で尻を温めるだけの批評家に落ちぶれつつあった。
これはカッフの、カッフだけの特別なチャンスだ。今動かなければ、ダフネは別の相手を選ぶだろう。『週刊魔女』は喜んでダフネを迎え入れるに違いない。
コーヒーを流し込む。
まだ熱いままのそれを、カッフは火傷も恐れずに飲み干した。
「ブレーズ・ザビニは今どこに?」
「そろそろ魔法法執行部での取り調べを終えたところですわね」
「では、迎えに行こう。記憶が新鮮なうちにね。……ミス・グリーングラス、君のことが気に入った。真実を報じて利益を得る。我々が本当にやりたいことをよく理解しているよ」
「お褒めにあずかり恐縮ですわ。またご相談させていただいても?」
返事の代わりに、カッフは手を差し出した。
ふたりはしっかりと握手を交わし、そして編集長の執務室を後にした。予言者新聞社の人々はダフネとカッフが連れ立って歩くのを好奇の視線で観察していたが、今はこの特ダネを他人に融通してやるつもりは微塵もなかった。
「ブレーズ君を迎えに行って、昼食を取ったらそのまま取材に入ろう。君の話も聞かせてほしい。君が立ち上げる財団についてもね」
「あら、新聞が広報に成り下がるのはまずいのでは?」
「報じるべきだと確信したものを報じるのもメディアの仕事でね」
クリスマスの過ぎ去ったダイアゴン横丁は閑散としていたが、その透き通った空気がますますカッフを興奮させた。真の特ダネを得たければ、他人が休んでいるときほど働かねばならない。
今まで経験したことのないような大きな仕事が待っている気配がする。