また不定期更新に戻りますが、それほど間が空かないようにしたいと思っています。引き続き応援よろしくお願いいたします!
葉巻の重い煙が、ヤックスリーの気持ちを表していた。
「デメテル……そうか、負けちまったか」
デメテル・ザビニが敗北した。
多くの魔法使いや魔女が困惑していた。デメテルを破滅させたのは誰なのか。
ルシウスではない。ルシウスはギリシャにいた。スクリムジョールでもない。スクリムジョールにはこのような美しい破滅を描くスキルがない。当然、ヤックスリーでもない。
では、誰が。
「ダフネ・グリーングラス。いい腕をしているじゃねえか」
ヤックスリーの投げたナイフが、コルクボードに貼り付けたダフネの写真を貫いた。
この事件でひとりだけ得をした人物がいる。それがダフネだ。自らの保護者であるアークタルス・ブラックを魔法省に招聘させた。おそらくはデメテルの事業を引き継ぐために。
もしかすると妹のアステリアをブラック家に養子縁組させたのもこれを狙ってのことかもしれない。ブラック家とグリーングラス家の共同事業というわけだ。もしそうだとしたら、夏のころにはもうダフネの計画は動いていたということになる。
「いや、いい腕だよ。大したもんだ」
ダフネは見事にやってのけた。
いかなる手段でデメテルの魔法を解いたかはわからない。わからないが、やったのはダフネだとヤックスリーの嗅覚は告げている。
三大派閥のうちルシウスを味方につけ、デメテルを陥落させた。残るはヤックスリーのみ。単純な算数の問題だ。3分の2と3分の1なら、3分の2のほうが大きい。
もちろん、ダフネは自らの派閥を構築せしめたわけではない。これからデメテルの積み残しを消化していく中で派閥を構築することになる。その立ち上がりを狙えば、まだヤックスリーにも勝ち目がある。
普通は、そう考える。
「負けたな」
煙を吐き出して、ヤックスリーは呟いた。
負けた。
ダフネは英国魔法界の社交で多数派の掌握に成功した。彼女にはハリー・ポッターというとっておきの手札が残っている。もうヤックスリーはこの盤面を単独で覆すことができない。
かといって、ダフネの軍門に降ることもできない。ダフネがそうさせてくれない。元死喰い人の金貸しなどという汚れた経歴では、彼女の輝かしい覇道に加わることは許されないだろう。
だから、次のゲームに進む必要があった。
もう政治ごっこは終わりだ。ルシウスが敵に回り、デメテルが盤面から消えた以上、わざわざそれに付き合うのは馬鹿馬鹿しい。
「ダーリン、荒れてるわね」
「大荒れさ、ハニー。これからもっと荒れるぜ」
リンジーの柔肌を抱き寄せてキスを落としたヤックスリーは、杖を一振りして手紙を封筒に収め、封蝋で閉じた。
それは、ダフネに債権の回収を知らせる通知書だった。
アージニウス・ジガーが煎じた抗菌剤。これの権利を買い取ったヤックスリーは、ダフネに対して魔法法が許す範囲でなんでもひとつだけ支払いを要求することができた。金はいらない。奉仕も必要ない。しかし、記憶には興味があった。
1992年、ダフネはハリーとともにホグワーツで何かと戦った。それによって悪霊に取り憑かれていたとされるクィリナス・クィレルという教授が死んだ。
ヤックスリーの嗅覚が、ある新聞記事を捉えた。グリンゴッツの713番金庫に誰かが押し入ったが、中身はすでに運び去られたあとだったという。ヤックスリーは貸しのあるゴブリンを辿って金庫の持ち主を調べた。それはニコラス・フラメルだった。
こうなれば後はシンプルな図式だ。ホグワーツに賢者の石が隠されていた。何者かが賢者の石を求めてクィレルを使い、ハリーとダフネがそれを退治した。
その、何者かというところが問題だ。
「我が君が蘇れば、盤面を気にする必要はねえからな。ゲームが変わる」
「そしたらダーリンは荒稼ぎ?」
「おうよ、荒稼ぎも荒稼ぎだ。だけどよ、そのためには我が君の第一の臣として馳せ参じる必要があらあな」
すでにヤックスリーは人を派遣して捜索を始めている。
生き残った男の子に消し飛ばされ、姿を消したヴォルデモートは間違いなく衰弱している。そうなると、いるのはおそらく回復まで誰にも見つからないような魔法的な土地だ。
あらゆる霊地に人を派遣した。表向きは考古学趣味に目覚めたということにして、自ら古代の魔術について勉強すらした。金を払って講師を招き、古文書を紐解いた。
そして、ある記述を見つけた。
愛の護り。ヴォルデモートは人を殺すときに様々な魔法を使って戯れたが、ポッター家は別だった。きっとヴォルデモートは躊躇せず死の呪いを使っただろう。もし、それが反射されたとしたら。
「思うによ、ハニー。我が君は愛の護りってやつに死の呪いを反射されたんじゃねえか。古い護りの魔法だ。自己犠牲によってあらゆる呪いを反射する盾を作る」
「それってなんだか、闇の魔術みたいね。だって命を材料にするんでしょう?」
「ハッハ、いいセンスしてるぜ。だが、そのとおりだ。愛を導火線にした自爆の魔術なんてもんがもてはやされちゃ、たまったもんじゃねえやな」
ヤックスリーはポッター家の仮住まいがあったゴドリック・ホロウにも赴いた。
衝撃を受けた。瓦礫の下にヴォルデモートの杖が転がったままなのを見つけたのだ。誰ひとりそれに気づきすらしなかった。もし見つかっていれば折られ、そして燃やされていただろう。
触れると、まだ魔法の力は消えていなかった。不思議とヤックスリーはその火花に確信を抱いた。ヴォルデモートはまだ生きている。
「俺は我が君を見つける。そして、俺の勘はダフネ・グリーングラスが我が君について何か知ってるんじゃないかと訴えてるんだなあ」
「ダーリン天才! だから記憶を覗くのね。それってなんだかちょっと変態みたいだけど」
「変態だっていいさ、ハニー。お前が愛してくれるなら、俺は変態にだってなる。そら、捕まえた!」
ヤックスリーが尻を鷲掴みにすると、リンジーは艶っぽい声を上げた。
この色気に満ちた妻がはるか年上の女であるということを、ヤックスリーは時折忘れそうになる。リンジーは若返りの魔法薬のために愛してくれる人の一部を必要としている。だから、ヤックスリーはリンジーのためにずっと彼女のそばにいる必要がある。
同じ魔法薬をデメテルも使っていた。そのデメテルがダフネによって破滅し老婆の本性を晒した以上、いつ同じことをリンジーにしかけてくるかわかったものではない。
ついに、ダフネとヤックスリーは敵対した。
「お前を守るために、俺はダフネ・グリーングラスに勝たなきゃならねえ。頑張るぜ、俺は。こんなに気合いが入ってんのは久々だ」
「頑張ってね、ダーリン。キラキラしてるあなたも素敵よ」
「おう、任せとけハニー。お前がいる限り俺は無敵さ」
キスをして、髪を撫でて、この愛おしさを独り占めする。
まだしばらく時間は稼げる。金で人を繋ぎ止めればウィゼンガモットでの綱引きは当分拮抗する。その間にヤックスリーは勝ち筋を――ヴォルデモートを見つけなければならない。
「落ち着いたら、ばあさんになったデメテルにも会いに行こうじゃねえか。ハニー、お前の弟子だからな。俺も無下には扱わねえさ」
「可哀想なデメテル……これからどうなるのか、心配ね。ひどいことをされないといいんだけど」
「アズカバン行きか、あるいはダフネ・グリーングラスがもっと別の使い道を見つけてるか。魔法法執行部とのパイプが太いからな、あいつの思うままだろうさ」
ヤックスリーなら、アズカバン送りなどという安っぽい結末にはしない。
なんといってもデメテルには利用価値がある。奇妙にひねくれて歪んでいたが、根は悪人ではないということをヤックスリーは見抜いていた。本性を露わにして全てを失った今、生きる道を模索してダフネと手を組むのもありえない話ではない。
「政治、社交、福祉、義務。そういうつまらねえもんをよお、我が君と一緒に全部ぶち壊すんだ。混沌の中で生まれる残酷な市場原理を、俺が全部支配する」
「そしたら、ダーリンはとっても儲かる? 幸せになる?」
「おうよ、ハッピーの最高潮さ。ハニー、お前が隣にいるだけで今日が俺のラッキーデーだって、いつも言ってるだろ? そこに我が君が加わるんだ。ハッピーの二乗だぜ、そいつは」
ファイア・ウィスキーの栓を抜くと、きゅぽんと気持ちのいい音が鳴った。
杖を振ってグラスをふたつ呼び出し、グラスに注ぐ。オレンジと見紛うような濃い琥珀色の液体がとぷり、とぷりと鳴きながらグラスに注がれる。
「乾杯しようぜ、ハニー。ゲームがひとつ終わった。次のゲームで勝つのは俺だ」
「えー、お酒飲むとむくんじゃうんだけどな。でも、酔ってるダーリン可愛いから付き合ってあげる! 一杯だけね」
細い指がグラスを持ち上げ、そしてそれをヤックスリーの手元に差し出した。
スモーキーな立ち上がり。奥行きのある甘み。かすかにとろみを帯びた喉越し。喉の奥にドラゴンの火袋ができたような感覚。ファイア・ウィスキーの味わいを堪能しながら、ヤックスリーは思案した。
策はある。
どうやらダフネのバックにはグリンゴッツ魔法銀行がいる。一体いかなる手段であのグリンゴット8世を籠絡したかは定かではないが、グリンゴッツはダフネの味方らしい。それはあまりにも堅牢な護りだ。
しかし、グリンゴッツは中央銀行であって市場そのものではない。そして、ヤックスリーは市場の主だ。正面から殴り合えば負けるのはヤックスリーだろうが、ヤックスリーは汚い手を知り尽くしている。伊達に闇の陣営で銀行役を担っていたわけではないのだから。
手段を選ばずともよいのなら、勝ちの目が見えてくる。
「まずはどうするの?」
「そうさなあ……まずはでかい資金源を作りてえ。今までの俺を超える、どでかい資金源だ。そのためには、新しいビジネスを始める必要があるな」
「いいわね、新しいビジネス! いつだって最初が一番ワクワクするのよね。それで、何をやるの?」
ヤックスリーの計画を実現するためには、何よりも巨額の富が必要だ。
いくつもの案を練っては捨てた。生半可なビジネスでは意味がない。しかし、下手なことをして今逮捕されれば元も子もない。法的リスクは無視するが、当局が踏み出せないような何かをする必要がある。
多くの他人を仲介しない、大いに稼ぐことができる、魔法法執行部が捜査に二の足を踏む、そんなビジネス。そう簡単には思いつかないだろう。そんなものがどこにでも転がっていれば、この世界は億万長者ばかりになる。
しかし、ヤックスリーの優れた頭脳はひとつの正解を導き出していた。
「ハニー、カロー兄妹がなんで捕まったか知ってるか」
「マグルの子どもにひどいことをしたんでしょう?」
「そうだ。あいつらは昔からマグルのガキに興味津々だった……あいつらの性癖はどうでもいいが、あいつらのビジネスはなかなかよかった」
カロー兄妹は醜悪なペドフィリアのサディストだが、ただのサディストではない。彼らのビジネスは闇の陣営を支える柱のひとつだった。
闇の陣営はカロー兄妹のおかげでスパイを送り込まずとも情報を得ることができた。それは魔法省やウィゼンガモットの高官がカロー兄妹のビジネスのお得意様だったからだ。多くの賢者がカロー兄妹の島では知恵を忘れ、猿に成り下がった。
そのビジネスを、あのふたりはただ「農場」とだけ呼んでいた。
「パーティーで何度か見たが、カローの本家を継いだちびたちはダフネ・グリーングラスの派閥にいる。だが、あのちびたちは分家がやっていた農場のことをちっとも知りやしないだろう。どこにあるかすら知らないはずだ」
「じゃあ、今その農場はどうなってるの?」
「そりゃもう、荒れ放題よ。だが……俺には島をもう一度開拓するための人手がある。やろうと思えば、あっという間にあの島を高級リゾートに変えることだってできらあな」
平和と秩序の時代にはありえない娯楽。もはや不要と判断してヤックスリーが切り捨てたカロー兄妹の負債を、今こそ蘇らせよう。それは平和の終焉と秩序の崩壊を示すのに相応しい狼煙になるだろう。
カロー兄妹が営んでいたビジネス、それは――
「マグルショップ」
歴史上、一度たりとも途絶えたことがないビジネスがある。
その資源は再利用効率が高く、安定した利益率を誇る。摘発は困難で、官憲との癒着のための奉仕も容易だ。そして、仮に摘発されても薬物や殺人などと違って量刑は極めて軽い。
社会の脆弱性をつくビジネスであり、その資源を社会が再生産し続けるかぎり元手は無尽蔵と言っていい。それでいて社会の本質的な需要を満たす。
そのビジネスの名を、人身売買という。
「俺は、