魔法族とは本質的に野蛮である。
これはダフネが前世の知識ゆえに外側から魔法族を嘲弄して言うのではなく、魔法という力そのものに由来した種単位での問題、謂わば「魔法を使える」という事実がもたらした呪いのようなものだ。
「人間が賢くなるのは経験によるものではなく、経験に対処する能力に応じてである」
「金言ですね、お姉様」
「バーナード=ショウの言葉よ、アステリア」
久しぶりにアステリアとふたりきりで、ダフネは庭に来ていた。
グリーングラス家には果樹園がある。ブラムリーアップルの季節になったので、今日は収穫の日というわけだ。収穫した林檎はパイやジャム、ドライフルーツになるほか、少量ながら酒になって贈答品としても使われる。
林檎を見ると考えずにはいられない。魔法族は知恵を持ちすぎたのではないかと。
「ねえ、アステリア。ナイフって杖に似ていると思わないかしら? マグルはナイフで何でもこなすのよ」
「マグルの皆様って本当に器用ですよね。アステリアは、もし魔法が使えなかったらきっと大変だったと思います」
ダフネが兎の形に剥いた林檎をかじりながら、アステリアが笑った。
魔法族は魔法を使える。
このトートロジーめいた事実が、魔法族を野蛮足らしめている。魔法族は常に「魔法に頼る」という誘惑に駆られている。マグルであればやらないことでも、魔法族には可能であり、可能であるという事実はあまりに魅力的だ。
「魔法族は杖で何でも解決してしまう。だから魔法族は杖以外に頼る技術が拙いんだわ」
「じゃあ、ホグワーツでナイフの扱い方を教えないとですね!」
「そうね。でも、マグルの学校でだってナイフとお金の使い方は教えてくれないのよ? 彼らは使うなかで自然と覚えていく。経験に対処する能力に応じて賢くなる」
ダフネは悩んでいた。
魔法族の政治において、暗闘とはすなわち魔法による敵対勢力への妨害である。呪いで病にかけ、身内を服従させて醜聞を作らせ、時には派閥内で殺しあいすらさせることがある。これはマグルにはできないことだ。
かつて史上初にして唯一のマグル生まれの魔法大臣ノビー・リーチは、ほんの数年で辞職することとなった。原因は病だが、病を与えたのは時のマルフォイ家家長アブラクサス・マルフォイだとされる。
魔法界で最も
魔法族の政治は成熟していない。
「ねえ、アステリア。みんなが林檎を青いまま食べている中、ひとりだけ熟れるのを待つのは愚かなことだと思うかしら?」
「えっと……みんなに教えてあげるのはどうでしょう。本当に甘くておいしいのはもっと先ですよ、って」
「やはり、それが一番の手段よね」
林檎を一口かじる。酸味と甘味のバランスがちょうどいいのは、この林檎が長い年月をかけて魔法的に品種改良されているからだ。グリーングラス家の資産と言っていい。
戦後、マグル生まれが台頭する。マグル生まれは魔法という棍棒に頼らない政治の回し方を知っている。知らずとも、マグル界から学ぶことができる。魔法族がマグルの政治塾に通ってはならない法はない。
ダフネは確信した。
このまま放置していれば、純血は旧主として追いやられる。純血が謀に用いてきた魔法という棍棒は、マグル生まれが持ち込む民主主義、数という鋭利な剣に勝てない。
「みんなに教える……私にそれができるかしら」
思わず弱音が漏れた。
ガウェインもいない、社交の席でもない、全く自由の場だからこぼれた、ひとりのダフネ・グリーングラスとしての弱音だった。
魔法族はマグルとは別の道を進んだ。しかし、政財界はマグル界と切っても切り離せない関係にある。毎年一定数のマグル生まれが魔法界にやってくる以上、その影響は避けられるものではない。
だから純血の旧家はずっとマグル生まれの魔法大臣を拒んできた。
マグル生まれの優遇は、すなわち魔法界の伝統的秩序の崩壊である。家同士の婚姻による横のつながり、派閥の長とその臣下による縦のつながり、それによって守られてきた秩序が失われる。
ダフネに勝ち目はあるのか。
「お姉様にならできます!」
林檎を咀嚼し終えたアステリアが、当たり前のように笑顔でダフネの手を握った。その手は幼さ相応に温かく、またようやく迎えた春の陽気に少し汗ばんでいた。
姉妹でお揃いの瞳、グリーンの瞳がダフネの顔を覗き込む。
「お姉様は優しい人です。最近はお友達のヘスティア様とフローラ様もよく笑ってくださるようになりました。だから、お姉様にならきっとできます!」
ダフネは優しくなどない。
カロー兄妹を貶める策はうまく働いた。今、あの死喰い人たちはアズカバンにいる。直系の長女であるヘスティアがカロー家の正統な家長として認められ、将来的には彼女が婿を迎えることとなった。
しかし、ダフネはカロー兄妹がいずれ帰ってくることを知っている。アズカバンの崩壊と大量脱獄は未来に約束されているのだ。
それを黙って、ダフネはヘスティアとフローラに対して聡明な盟主のように振る舞っている。
今更良心が痛むなどとは言わない。
それでも、アステリアが誇れるような姉であり続けるためには、ダフネはもっとうまくことを運ぶ必要がある。
「それに、微力ではありますが……アステリアも、お姉様のことを手伝います!」
「……そう。それは何より心強い味方ね」
姉を勇気づけるように握るアステリアのその手が清いままであるように。そう願うのはわがままだろうか。いつか、アステリアにも政治の一翼を担わせる日が来るのだろうか。あまり考えたくはなかった。
立ち上がる。いつまでも甘い果実に浸ってはいられない。
「ありがとう、アステリア。おかげで元気が出たわ。さあ、林檎たちを片付けてしまいましょう」
「はい、お姉様!」
林檎の樹の木陰で、しばらくふたりは静かに林檎を収穫していた。
ひねり、手首を返し、もぎ取って籠に入れる。
本当であれば、今日はガウェインがここに加わる予定だった。彼はグリーングラス家の護衛として派遣されているが、より緊急性の高い任務では本部に戻ることになっている。
ウィゼンガモットの評議員が昨晩毒を盛られた。
伝え聞くところでは、カロー兄妹の裁判で死喰い人時代のことを蒸し返した人物らしい。それはおそらく、カロー兄妹が属していたヤックスリー閥の元死喰い人による報復であり、警告でもある。
「主を失って初めて得る平和、か」
林檎をもぎながらひとりごちる。
死喰い人はヴォルデモートが消え去ったことで平和を獲得した。戦後、みるみるうちに経済は復興していった。その復興には少なからず元死喰い人である純血の旧家たちが影響していた。
誰もが戦争を過去のものにしたいと願っている。
原作の1995年、コーネリウス・ファッジがヴォルデモートの復活を認めなかったのは、彼個人の問題ではない。誰が魔法大臣でも否定したがっただろう。あれは魔法界全体が悪夢を忘れようとベッドで藻掻いていた最中のことだった。
気持ちは死喰い人たちも同じだ。
かつて仕えた主の暴虐を忘れたい。今投獄されていない死喰い人のほとんどは、ヴォルデモート卿に殉じるのではなく魔法界に奉仕することを選んだ。彼らの経済的奉仕が英国魔法界を復興に導いた。
ヴォルデモートに仕えたくて仕える連中、狂信者や精神異常者、凶悪犯罪者を除けば、誰もが本心では発展と安寧を願っている。
「ままならないものね」
籠がひとつ満杯になり、魔法で厨房に送られる。
今日中にあと籠3つは収穫してしまいたい。魔法で管理された林檎は一度に完璧な熟し方まで辿り着いてくれる。一日で収穫しきらなければ熟れすぎてしまうというのは、いいのか悪いのか。
両親が存命の頃は杖の一振りで籠へと林檎の大河が流れ込んでいた。収穫の呪文は魔法族の第一次産業を支える伝統的な呪文のひとつだ。
「お姉様ー! 籠がひとつ終わりましたー!」
「よくやったわ! 私も今2つ目よ!」
大声に驚いて、どこかの枝から鳥が飛び立った。
グリーングラス家の果樹園は鳥獣に開かれている。それはもしかすると、獣に堕ちた先祖が帰ってくることを期待してのものだったのかもしれない。
「……時間がないのが困りものね」
林檎が腐って落ちるように、ダフネには時間の制限がある。
純血を連帯させることで純血のコミュニティに経済的・政治的な特権を与え、これによって純血を貴族にする。これがダフネの計画だ。
なんとしてでも間に合わせなければならない。
この計画が間に合わなければ、戦後に純血は席を追われることとなる。そうなればアステリアが誰のもとに嫁ごうと苦しい思いをすることは間違いない。
「――お姉様?」
気づくと、ダフネの収穫の手はすっかり止まってしまっていた。
これではいけない。アステリアに心配をかけるようなことがあってはならないのだ。
かけられた声に笑顔を作って振り返ると、アステリアは心配そうな表情でダフネを見上げていた。ほんの2歳の年齢差が、ダフネの背丈から生まれた影でアステリアを飲み込むことすら可能にしていた。
「少し考え事をしていたの」
「その……お姉様。アステリアは心配です。最近、お姉様は少し痩せられました。難しい顔をされています。好きだった小説もあまりお読みになっていないですよね?」
「……今は少し難しい時期なの。落ち着いたらまた、楽しく過ごしましょうね」
「でも……お姉様が苦労してらっしゃるのは、アステリアのせいなのではありませんか?」
アステリアのせいなどではない。
これは生存のための闘争なのだ。社会的な動物として生まれた以上、誰もがこなさなければならない責務なのだ。ダフネはこの闘争の勝利条件にアステリアの幸福を設定した、それだけのことだ。
ダフネは籠を置き、アステリアを抱きしめた。
「ありがとう、心配してくれて」
「……もし、もしも、お姉様がお母様のように死んでしまったらと思うと、アステリアは怖くて」
「うん、そうね。少し急ぎすぎていたかもしれないわね」
アステリアがまだ赤ん坊だったころに、母は自殺した。
死体は無惨な姿だった。血の呪いが半端に発現し、背中から腕までを黒い羽毛に覆われた姿はマグルが思い描くハーピィの出来損ないのようだった。
その死に姿をアステリアに見せずに済んだのは幸運だったと言えるだろう。アステリアはまだ、自身に宿った残酷な宿痾の正体を目の当たりにせずに生きることができている。それがどれだけ幸せなことか。
それでも、母が自殺したという事実だけは、社交界デビューを果たせば自然と耳に入ってしまう。
「……私達は呪われているのですよね、お姉様。そして、お姉様はその呪いを解いてくださる人を探してくださっている」
「ええ。まだ成果は出ていないけれど、いつかは見つかると思っているわ」
「それは嬉しいです。でも……呪いが解けたら、ずっと一緒ですよ? お姉様がいなくなったりしたら、アステリアは……」
あまり泣かないアステリアが、珍しく涙を流していた。
「最近のお姉様、怖いです……いつか、消えてなくなってしまいそうで……」
「アステリア……」
その時初めて、ダフネは過ちを理解した。
ダフネはただ、勝利までの道を駆け抜ければよいと思っていた。その先にある世界を自分が見ずとも、アステリアが幸せになればそれでいいと。
しかし、アステリアはその幸せを望んでいない。
「……あーあ、結局あのご老人が言ってたことが正しいのだわ」
「お姉様?」
「アステリア、顔を洗ってらっしゃい。それから、書斎の棚から杖を取っておいでなさい。収穫をさっさと終わらせて、今日はふたりで買い物に行きましょう」
「でも……」
「あなたの心配が晴れるまで、いくらでも付き合うわ。私はあなたの姉なのだから」
ダフネはもう一度アステリアを強く抱きしめて、ダフネは強く息を吐いた。
どうやら、死ぬわけにはいかないらしい。